「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

「つかの間のレストラン」 シェ・ジャニー 春田光治さん

2009年09月08日 22時26分03秒 | Weblog
シェ・ジャニー 春田光治さん
つかの間のレストラン @ギャラリーリブレ 9月4日、5日


料理研究家・上野万梨子さんが主宰するギャラリーリブレで開催された「つかの間レストラン」シェ・ジャニー春田光治さんのシェフズテーブルが大盛会で終了したようだ。
今回は2日で3回の予定が、大好評で急遽もう1回追加されて4回となった。
1985年ジャニーが渋谷から安比に移り、シェ・ジャニーの料理を懐かしく思っている方々が如何に多いかだ。



当時のシェ・ジャニーの店内。


道路際、階段の脇のメニュー

会場は、あたかも学園祭のような活気にあふれ、参加者は懐かしい味と人に想いをめぐらせた。
残念ながら僕は出席が叶わなかったので、春田さんからのメールの数行での推察だ。

『無事終了しました。
ハモ、シビン夫妻、脚立(安比の弟子)山下夫妻(孫弟子)がボランティアで駆けつけてくれて大助かりでした。
殆どが昔のCHEZ JOHNNYのお客様で皆さん大喜びして下さいました。
シビンマダムの見事な貫禄ある外回り、ハモ始め軍団の流れるような動き、見せたかったです。』

注、ジャニーは弟子たちに奇妙な、的を得た?あだ名をつける。


嬉しい限りである。
何方かビデオに収録してくれただろうか?
ジャニーを囲む一夜はドキュメンタリー番組としても充分に成り立ったであろう。

或いは映画として。
仮題「シェ・ジャニー物語」
映画関係者で料理に興味が有る方が制作すれば日本にかって無かった映画が誕生する、と思う。先ずは、誰か小説か脚本を書く。
特別の共通点は無いかもしれないが、『青山『ロブロイ』物語?安部譲二と暮らした七年間 瓔子と譲二とジャズ』世界文化社刊は面白かった。
料理と店とお客の人生模様と春田光治さんの生き様。
ジャニーの人生は波乱万丈だ。
料理にかける情熱は鬼の如くだが、生き様も半端じゃない。

映画のファーストシーンは、ジャニーとの会話、客同士の話から回想シーンに移るのはどうだろうか?勿論、料理が主要な部分を占める。
1969年、29歳で東京・渋谷に「シェ・ジャニー」をオープン。
都内で2番目のビストロといわれているが、もっとも、ジャニーはビストロという言葉は嫌いだった様に思う。
今回のメニューにもあるトリップアラモードカン(牛胃袋の料理)などの内臓料理、ラタトゥイユ(南仏野菜の煮込み)、フランスと縁の深いモロッコ料理・ベトナム料理など、
今では当たり前になった料理を日本初登場させた。

それらの料理は中央公論社から「シェフシリーズ No.4・魅惑の南仏料理」として発表された。ジャニーはレシピは誰にでも教える。「当店秘伝のOOで」等というのが大嫌い。
素材や香辛料を使ってもその人の感覚で味は異なる。ことを良く知っていたし、自分に自信を持っている。仕込みと試作は充分に時間をかけた。
当時の従業員の帰宅時間は早朝の4時、5時であった。

見掛け倒しの一発料理ではなく、素材・火の使い方・時間・香草・香辛料・味の構築など、
全ての判断力が体にしみついてこそ初めて作ることが出来料理。
素朴でしみじみと味わい深い料理を作るジャニーにとって、昨今の見せ掛けだけの料理は到底許せないであろう。

今回の「つかの間のレストラン」は多くの人たちに料理とは何かを考えさせたであろう。
さらに、『食』とは何か?を考える機会となったであろう。



コメント
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