言霊が足りないような気がして苦手意識のあった村上龍だけれど、これはもう一気読み。
相変わらず言霊は足りてないのだけれど、これは冷徹な近未来シミュレーション小説であることもあって、むしろそういった類の
幻想を振り払うことによって成り立っている。
こういう小説もなかなかよいものだと認識を改める。
一時期の小松左京的リアリティの後継者なのだろうと思う。
現在の日本をめぐる侵略はどのようにして計画され得るのか。
侵略者を前にして日本人(政治家・ジャーナリスト・民間人)はどのような振る舞いに出るのか。
おどろくべき取材力でリアルに想像/構成している。国際社会論であり日本人論。
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日本人は、他者への接し方を知らない。ここでの他者とは、他人というレベルのものではなく、絶対他者、得体の知れない、好意から敵意から何が含まれているのかすら見当のつかない他者。
日本人の多くはそういう者相手の処し方は訓練されていないし、歴史の波のなかでいやおうなく習得することもなかった。
ドームで制圧された3万人のとった従順な態度、閣僚や官僚が隘路に追い込まれる論理、いちいち身にしみて思わずうなずいてしまうなるほど感である。
「主権の侵害こそ国家の一大事であり、侵害への対抗にはどこかでなにがしかの犠牲を伴うものである」
絶対他者への処遇とは、国家社会的スケールでみるとこういう命題をどう処理するかということになる。これがこの小説のひとつのテーマとなっているように思える。
その命題の真偽にはいろいろ意見があるところだろうが、この小説では、こういう状況ではそういう命題がいやおうなく真となるのだということを、そしてその命題の否定を選択すれば、侵略者に対して手も足も出せなくなることになるのだということを、
論理的に示すのが恐ろしい。
その命題が真である世界こそわれわれが属していて、選択してさえいる社会であるということに自覚的であれ、という強烈なメッセージを発している。
一方で、それに自覚的であることの難しさも現実としてあるという視点も忘れていないのがまた面白い。
例えば政治家は、危機存亡の際に反射的に「国民の安全・生命を第一とする」と口にする。このことは生命の犠牲を伴う可能性のある手立てを打つことを自ら封じ込めることになり、結果的に政府はまったく手の出しようがない状況に追い込まれる。
この選択は、政治家の資質というより、日本社会においては不可避的にとらざるを得ない道であることもまた日本という幻想社会での現実なのである。
社会とは理性や論理の裏面で不合理や妄信の力学も作用する生き物なのだ。
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あとは、登場人物に単なる説話的な役割以上の人間味を与えているところも面白い。北朝鮮のコマンダーも単に冷酷な敵対者ではない。飢餓と貧困を生きた幼少期の思い出をバックボーンとして描くことで、なぜコマンダーとしての資質を得るに至ったか、コマンダーの行動原理がどこから発するかを生々しく捉える。
また、物語の思わぬ中心人物たちである、「はみ出し者」たち。
切り刻めばどのような崇高な人間でも単なる肉片になることを確認したくて憧れのクラスメイトを殺害するような、強烈に反社会的出自を持つものたちのゆるい集団の心情の描き方も、また日本社会の一面をあらわそうとするものだろう。
彼らは本質的に社会に「同化する」という心象を理解していない。彼らの存在によって、社会の一員という概念の幻想が鋭く剥ぎ取られる。
その一方で、国家の主権とかいうこととは一切無縁な同期で侵略者への戦いを挑む彼らも、集団に必要な統制や機動力を欠き、滅びの中でのかろうじてのかすかな勝利を得るにとどまることで、その徹底的な反社会的生のもろさが暴かれる。
こういう多面的な人間たちによるバランス感覚が、この小説をエンタテインメントから遠ざけ、ことさらダークサイドを強調するでもなく、国防の崇高な物語にするでもない、独自の距離感を生んでいるのだと思う。
どこまでも冷徹な、でも人間に寄り添った小説だったな。
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あと、私的には、住基ネットをめぐる設定が面白かった。
この小説では近未来、住基番号に基づく情報がさまざまな分野で生成されており、ネットへのアクセス権を奪い取った侵略者はそれをベースにID識別はおろか、財産状況や行動記録を引き出して犯罪者逮捕を行ったりする。
背番号制自体の批判とともにネットやデータベースの管理体制への批判にもなっており、これは情報社会総体の脆弱性の指摘でもあるのだ。
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ってか、この記事、長すぎるよな
文庫本2冊一気読みしたい方はぜひど~ぞ。
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