Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

ミク欲しい!・・・けど

2007-09-30 04:40:12 | diary
これこれ。

初音ミク

なかなかの水準でないですか??
ちょっとまえのヴォーカルジェネレイタ(っていう?)はどうしてもマシンが話してる感が強くて、そこがまあ面白くもあったけど、ミクちゃんはもうすごいわ。

でも・・・Mac版はないのね。。というかはなからマックなんぞ相手にしていない感じがばりばりで^^;
シーケンサとのインタフェースがVSTとREWIREというのもな~
AU対応のMac版出してくれ~
(したら即買い!!)




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四捨五入はしないでください

2007-09-28 03:07:23 | diary
すると50になってしまいます。

今日(いや昨日)は誕生日記念で恒例の消化器検診を受診。
発泡剤?とバリウム飲んで、検査台の上をいわれるがままにごろごろ。
あおむけうつぶせ一回転なんでもござれ。
あたしゃいったいなにをやってるんだろうか的気分に・・・

それでも異常が見つかったらもういくらでもごろごろしますから治してください~的気分になるのだろう。

結果が怖い。



さらに前日には一般健康診断を。
問題は血液検査。総コレステロールと中性脂肪が最近ヤバし。
結果がこわい。
体重測定でも係の人に「昨年はXXkgでしたが、今年はこのくらいで間違いないですか?」とか念押しされるほどの増加率で・・^^;

いや~結果が怖い。


というわけで、今週は健康診断週間です。
明日(今日)乗り切ればまた休みだ。

****

職場復帰ですが、先週18日から本復帰して、奇跡的に2週間無遅刻無欠席で行けそうな雰囲気になってまいりました!
あと一日で今月は全クリア。

この2週間、なんだかんだと出勤前カフェの余裕もある日もあって好調。

でも夕方はけっこうへろへろになり、退社するやいなやスタバでおやつ食わないと家までもたない~とかいいながらスコーンを食べラテを飲む。太るよな~

で、週末はかなり疲れます。
たまたま復帰後は連休もあって週4日だったからよかったが、週5日になると結構きつそう。


あと夜ですね~問題は。
早寝するんだけど、2時頃に目が覚めちゃう。でiMacちゃんをいじりながら1時間くらいだらだらして、二度寝。
また眠剤出してもらうかなあ・・・でもまたペース狂うのもやだし・・中途覚醒でもペースがしっかりしていればいいのかな???


***

夜は家で誕生会。
といってもケーキ食うだけですが。(太るってば)
シェ・リュイのケーキを4つ奥様が買ってきてくれたので、チョコ好きのワタシはこってりチョコケーキをいただく。

う~ん、濃厚~ねっとり~

明日から強力にダイエットに走ろう。


ダイエットといえば
この記事
写真はちょっと出しませんけど、ちょっとインパクトがあり。
ワタシのように太る一方は困りますけど、逆もまた困る。

人間は食べなければ骨と皮になるのだなあと実感したのは、不謹慎ながらもアラン・レネ「夜と霧」を見たとき。それと同じ感覚がこの広告で引き起こされた。本能的な、まずいものを見た、という思い。この感覚はいったいなんだ?

****

しばらくは映画もあんまり見れそうにないので、ふたたび戯れ言メインのブログになってしまうかもしれませんが、そういえば去る18日が当ブログ3周年だったじゃないですか、忘れてた・・・なようなわけで、読んでくださる方に感謝しつつ、今後ともよろしく、とご挨拶で〆るのでありました。

m(__)mペコペコ


ついでにson*imaのCDはまだ在庫豊富ですので(笑)よかったらアマゾン/タワレコ/HMVとかのオンラインショップでお求めくださいまし。
たまに聴くとなかなかよいよ。
(宣伝)





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「右側に気をつけろ」ジャン=リュック・ゴダール

2007-09-27 14:05:47 | cinema
右側に気をつけろ

ハピネット・ピクチャーズ

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SOIGNE TA DROITE
1987フランス
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
撮影:カロリーヌ・シャンプティエ
音楽:リタ・ミツコ
出演:ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・ペリエ、ジャック・ヴィルレ、ジェーン・バーキン


ひと月前くらいに観たのでもう忘れちまったわい^^;

冒頭見事な飛行機雲があっただろうか?
あれは「パッション」だっただろうか?
見事な空はゴダールには多いので記憶がかぶってしまう。

そういう一瞬が突出する。ゴダールはそこが好き。
これは映画に対するまともな態度なのかどうかはわからないが。

そういう突出を、こともなげに撮って無造作に貼り付けて提示してしまう、その価値の無価値化の感覚。

****

話としては、
・どうやら完成した映画を上映にこぎつけようと不可解な旅をする映画監督=白痴=公爵=ゴダールの珍道中
・なにやら車で移動しては妙に詩的な呟きを繰り返すセレブな男女(ジェーン・バーキン)
・終わりなくレコーディングセッションを繰り広げるリタ・ミツコ
の3つの流れが、相互に関連なく切り離されつながれる。

笑っちゃうのは、ゴダール自身がいつになく派手に動き演技する。はしゃいでいるといってもいいかもしれない。せりふもあるし、突然奇声を発するわ、車のまどからジャック・タチよろしくするりと車内に滑り込んでみせるわ、フィルム缶を担いで派手にタラップでスリップしてみせる。がらがら~ん。
大笑いだ(笑)

コメディでもないのにこんなに可笑しいのは、ゴダールが、おれはあのゴダールなんだよというのを隠しもせず臆面もなく全編に匂わせつつおどけてみせる、その白々しさのせいだろうか?



その線でいくと、いつものゴダールだって十分に可笑しい。極度に思わせぶりな画面と音を適当につないで、どうやこれ?みたいなことをされるとね。大手を振って歩くナンセンスって可笑しくないですか?

「右側」や「パッション」の空に、「カルメン」の鉄橋ですれ違う列車に涙しながら、大真面目なばかばかしさに笑う、この泣き笑いが80年代ゴダールの楽しみなんだ。

そういう意味じゃこの「右側」は、むしろ大真面目なばかばかしさにはちょっと欠けるのかもしれない。そのぶんゴダールによる笑いの身振りが占めている。
とすると、この映画では、笑いの身振りを選択することによりむしろ退屈さがいや増すという、そういう脱力するような別種のばかばかしさを充溢させることに成功してしまっているのだろう。
(もはやなにいってんのかよ~わからんのです)

****

タイトルは、ルネ・クレマン監督「左側に気をつけろ」1936から来ている。と思われる。(ゴダールに聞いたわけじゃないからね)
「左側」は脚本と主演がジャック・タチ。
そうとうに他愛ない話で、場面も非常にローカル低予算コメディ。笑うというより、タチののっぽで異様にぎこちない所作にむしろぎょっとする。

笑いの身振りで観る者を居心地悪くさせるという点でこの2作は通じるのかもしれない。(と思いつきで語る)

そいから、白痴に公爵というのはドストエフスキーですね。
ムイシュキン公爵はたしかスイスで長期療養をしていたと思うので、ゴダールとはスイスつながりというこじつけ。



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「半島を出よ」村上龍

2007-09-26 12:41:03 | book
半島を出よ 上 (幻冬舎文庫 む 1-25)
村上 龍
幻冬舎

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半島を出よ 下 (幻冬舎文庫 む 1-26)
村上 龍
幻冬舎

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言霊が足りないような気がして苦手意識のあった村上龍だけれど、これはもう一気読み。
相変わらず言霊は足りてないのだけれど、これは冷徹な近未来シミュレーション小説であることもあって、むしろそういった類の幻想を振り払うことによって成り立っている。
こういう小説もなかなかよいものだと認識を改める。

一時期の小松左京的リアリティの後継者なのだろうと思う。
現在の日本をめぐる侵略はどのようにして計画され得るのか。
侵略者を前にして日本人(政治家・ジャーナリスト・民間人)はどのような振る舞いに出るのか。
おどろくべき取材力でリアルに想像/構成している。国際社会論であり日本人論。

***

日本人は、他者への接し方を知らない。ここでの他者とは、他人というレベルのものではなく、絶対他者、得体の知れない、好意から敵意から何が含まれているのかすら見当のつかない他者。
日本人の多くはそういう者相手の処し方は訓練されていないし、歴史の波のなかでいやおうなく習得することもなかった。
ドームで制圧された3万人のとった従順な態度、閣僚や官僚が隘路に追い込まれる論理、いちいち身にしみて思わずうなずいてしまうなるほど感である。

「主権の侵害こそ国家の一大事であり、侵害への対抗にはどこかでなにがしかの犠牲を伴うものである」
絶対他者への処遇とは、国家社会的スケールでみるとこういう命題をどう処理するかということになる。これがこの小説のひとつのテーマとなっているように思える。
その命題の真偽にはいろいろ意見があるところだろうが、この小説では、こういう状況ではそういう命題がいやおうなく真となるのだということを、そしてその命題の否定を選択すれば、侵略者に対して手も足も出せなくなることになるのだということを、論理的に示すのが恐ろしい。

その命題が真である世界こそわれわれが属していて、選択してさえいる社会であるということに自覚的であれ、という強烈なメッセージを発している。


一方で、それに自覚的であることの難しさも現実としてあるという視点も忘れていないのがまた面白い。
例えば政治家は、危機存亡の際に反射的に「国民の安全・生命を第一とする」と口にする。このことは生命の犠牲を伴う可能性のある手立てを打つことを自ら封じ込めることになり、結果的に政府はまったく手の出しようがない状況に追い込まれる。
この選択は、政治家の資質というより、日本社会においては不可避的にとらざるを得ない道であることもまた日本という幻想社会での現実なのである。

社会とは理性や論理の裏面で不合理や妄信の力学も作用する生き物なのだ。

****

あとは、登場人物に単なる説話的な役割以上の人間味を与えているところも面白い。北朝鮮のコマンダーも単に冷酷な敵対者ではない。飢餓と貧困を生きた幼少期の思い出をバックボーンとして描くことで、なぜコマンダーとしての資質を得るに至ったか、コマンダーの行動原理がどこから発するかを生々しく捉える。

また、物語の思わぬ中心人物たちである、「はみ出し者」たち。
切り刻めばどのような崇高な人間でも単なる肉片になることを確認したくて憧れのクラスメイトを殺害するような、強烈に反社会的出自を持つものたちのゆるい集団の心情の描き方も、また日本社会の一面をあらわそうとするものだろう。
彼らは本質的に社会に「同化する」という心象を理解していない。彼らの存在によって、社会の一員という概念の幻想が鋭く剥ぎ取られる。
その一方で、国家の主権とかいうこととは一切無縁な同期で侵略者への戦いを挑む彼らも、集団に必要な統制や機動力を欠き、滅びの中でのかろうじてのかすかな勝利を得るにとどまることで、その徹底的な反社会的生のもろさが暴かれる。

こういう多面的な人間たちによるバランス感覚が、この小説をエンタテインメントから遠ざけ、ことさらダークサイドを強調するでもなく、国防の崇高な物語にするでもない、独自の距離感を生んでいるのだと思う。

どこまでも冷徹な、でも人間に寄り添った小説だったな。

****

あと、私的には、住基ネットをめぐる設定が面白かった。
この小説では近未来、住基番号に基づく情報がさまざまな分野で生成されており、ネットへのアクセス権を奪い取った侵略者はそれをベースにID識別はおろか、財産状況や行動記録を引き出して犯罪者逮捕を行ったりする。
背番号制自体の批判とともにネットやデータベースの管理体制への批判にもなっており、これは情報社会総体の脆弱性の指摘でもあるのだ。

****

ってか、この記事、長すぎるよな
文庫本2冊一気読みしたい方はぜひど~ぞ。


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ムフフ

2007-09-24 03:47:01 | movelog
あらっ??また写真が横だ^^;



すごくお金がないのに買ってしまった。
iMac。
2.4GHz Intel Core2 Duo
20inchモデル。
メモリは2GB。ほんとは4Gにしたいんだけど、すごく高いのでやめた。
同じ20inchモデルでも2.4GHzと2.0GHzでは、実はグラフィックの性能も違っていて
どうせならいい方で。
かつ24inchではでかすぎてうちには絶対置けない~

というわけで、このモデルに。





基本的なセットアップはすぐにできたんだけど、うちのはLOGICを載せるので、今日は午後LOGIC PROのインストール。
LOGICだけじゃなくて、ソフトウェア音源のsampletankとか、オーディオインタフェースのAudiophilleのドライバとかもアップグレードしたりして、結構時間がかかった。

外付けのHDDとオーディオインタフェースの2つでfirewireを使っているんだけど、旧機ではいずれもfirewire400だった。でも新iMacのインタフェースでは400と800がひとつずつ。これ、ケーブルのコネクタの仕様からして違うのね。初めて知った。あわててHDD裏側をみると、あ~よかった、800サポートしてた~。。。
ごそごそとケーブル引き出し(という引き出しが家には3つくらいある^^;)をかき回すと、おお、奇跡的に800用のケーブルがあるではないですか!
綱渡りだなあ・・・・

オーディオインタフェースはドライバをインストールしたら普通に使えて問題なし。

ソフトウェア音源は、機械がかわると再オーソライズというのをしなくてはいけないので、メーカーのウェブサイトでオーソライズコードをゲット。
(メーカーがつぶれたらどうなっちまうんだろうこのシステム・・・)

これでおもむろにLOGICを立ち上げてみる。
およよ??MIDIインタフェースが動いてないです~~なぜに?

ドライバが古いのだと思ってしばらくネットで探してみたが、今使っているインタフェースを作ったEMAGICという会社はもうなくなっていて(多分アップルに吸収されたんだよね)、ドライバなんてどこにもないし・・・
窮地???
と思ったら、どうやらiMacに新しいドライバが既に組み込んであるらしいという情報を書いたサイトを発見。

じゃ、なぜに動かん??

そこで、ぴ~ん。USBをふる~いUSBハブでつないでいるからいかんのでは?
オーディオインタフェースのUSBケーブルを外して、iMacに直結。
すると、あら不思議、、ちゃんとMIDIキーボードを認識するようになりました~~(ってことはこのUSBハブはUSB2では使えんってこと??)


いや~やっとLOGICのファイルを開ける~~~

が、ここで巨大な問題が!!
なんと過去作ったファイルのデータで持っているソフトウェア音源の設定がまったく引き継がれない・・・??
いきなり「プラグインsampletankがつかえません」とかメッセージがでる。
LOGICのエンバイロメントで再度I/Oに設定し直すとsampletank自体は使えるようになるけど、音色からなにからすべてまっさらな状態になってしまう~~!!
これでは過去の曲すべて音色設定し直し??げげ~???


・・・・というとこで、最後にきて大問題が・・・・なんとかならんか頭脳を振り絞る今のワタシ・・・・・(目が覚めてしまった)


とはいえ、意外と一度まっさらにして作り直した方が曲の出来が良かったりするので(笑)、あまり悲観しないのでありましたが。



単なるメモでした~~


あ、で、やっぱ早いわ。2.4GHz。
でも画面位置がいままでのeMacより10cmくらい高くなったので、ちょい首が疲れる。
あと音が非常に静かです。




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クストリッツァについてのメモ

2007-09-24 03:39:53 | cinema
1954年生
サラエヴォのムスリム系ボスニア人の家庭に生まれる。
チトー治下のユーゴ。父親は篤実な共産主義者。
ロック少年だったエミールはプラハの映画学校に進む=勉強のできない学生コース。
そこでの先生がミロシュ・フォルマン。
初期の長編「ドリーベルを覚えてる?」「パパは出張中」を撮った後、フォルマンの招きでニューヨークへ。
「アリゾナドリーム」撮影中の1992年に祖国ユーゴスラヴィア解体。サラエヴォではセルビア人・ムスリム人・クロアチア人が民族と宗教の違いで対立、激しい戦闘に。
クストリッツァはルモンドに、戦いの欺瞞を訴える文章を寄稿。

サラエヴォの生家は接収され、故国を失う。
クストリッツァは、旧連邦から民族原理主義的に独立していった諸国に戻れず、唯一他民族の統合を国是としたユーゴの残滓=新ユーゴスラヴィア(セルビア・モンテネグロ)の首都ベオグラードに戻る。

1995年「アンダーグラウンド」完成。
新ユーゴ政府からは国威発揚の機会と受け取られる。
セルビアやミロシェヴィチ政権から資金援助を得たこともあり、ボスニア・ヘルツェゴビナでは上映されず。サラエヴォはクストリッツァを裏切り者と名指す。サラエヴォ救援に湧くフランス知識層からも「親セルビア的プロパガンダ」と総スカンを食う。
この騒ぎで、クストリッツァは以降映画を撮らないと宣言する。

このときクストリッツァを擁護したのがペーター・ハントケ
なぜクストリッツァに対しては政治的厳正さが最優先されその美学的独自性が等閑視されるのか?と

もっともその後映画製作を再開し「黒猫・白猫」1998、「スーパー8」2001「ライフイズミラクル」2004を撮る。打たれ強い。

(四方田犬彦「パレスチナ・ナウ」より)

パレスチナ・ナウ―戦争・映画・人間
四方田 犬彦
作品社

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「黒猫白猫」エミール・クストリッツァ

2007-09-22 01:52:37 | cinema
黒猫白猫

パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン

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CRNA MACKA, BELI MACOR
1998フランス/ドイツ/ユーゴスラビア
監督: エミール・クストリッツァ
脚本: ゴルダン・ミヒッチ
撮影: ティエリー・アルボガスト
出演: バイラム・セヴェルジャン、スルジャン・トドロヴィッチ、ブランカ・カティッチ

クストリッツァによる、わりと純然たるコメディ。

ジプシーのマトゥコとその息子ザーレは山っ気のあるお調子者。川べりに住み、行商人から冷蔵庫を買って川に落としてしまったりと、日々落ち着かないヤツ。ある日彼はロシアの密輸船から石油を買うが、見事に騙されて大金を失う。金に困ったマトゥコは、息子とともにゴッドファーザー・グルガに石油列車強奪の計画を持ちかけ資金援助を乞うが、自体はろくでもない方向へ・・・

この列車強奪が話のメインになるかと思いきや、思いっきり肩透かし。息子は惹かれあう村の娘がいるのに、ひょんなことからうさんくさい悪党の娘と結婚するはめになる。この流れを食い止められるのはグルガと、ザーレのおじいちゃんだけ。なのにおじいちゃんも頼みのグルガもいきなり死んでしまう。
う~ん、このただでさえドタバタな設定を、思い切りドタバタな人物たちが、ドタバタな衣装、ドタバタな身振りで、ドタバタと転がしていく。
すごくほこりっぽくて、酒やタバコにまみれ、泥にまみれ、猫や鳥がうろつきまわり、水浸しになり、ついには糞尿まみれでウンがつく(笑)

クストリッツァとしては手放しで笑える作品でした。

クストリッツァは本国(というのも微妙だが、ボスニアとかヘルツェゴヴィナとか?)ではかなり微妙な立ち位置なよう。ボスニア人でありながら動乱期をアメリカで過ごし、セルビア資本で映画を撮ったりするという、政治的な節操のなさが批判の対象になるというようなこともさることながら、あの猥雑なタッチが問題で「彼の映画をみていると旧ユーゴ諸国にはジプシーしか住んでいないように思われる」というのも批判の的らしい。
この映画なんかはまさにそういう感想を抱かせる(笑)バルカン半島ってこんなに大騒ぎなの?


コメディとしては意外に様式的で、主にドタバタを担当する親父と悪党、祖父とゴッドファーザー。それに対してメロドラマを構成する息子と娘。ドタバタのなかに愛が幸福に成就するハッピーエンドは、やはりどこかで観たなつかしの映画という感じがする。キートンやマルクスブラザーズとチャップリンのちょうど中間のような感じかな。
そういう意味でも安心できる作品で、でもちょっと物足りない面でもあるな。


村の娘を演じたブランカが、奔放でありながらいじらしいロマの娘をワイルドかつ愛らしく演じていたのが印象的。


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「ドレミファ娘の血は騒ぐ」黒沢清

2007-09-21 13:04:08 | cinema
ドレミファ娘の血は騒ぐ

パイオニアLDC

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1985日本
監督:黒沢清
脚本:黒沢清、万田邦敏
音楽:東京タワーズ、沢口晴美
出演:洞口依子、伊丹十三、麻生うさぎ、加藤賢崇



すっごい80年代でした。

あの時代はインディーズの時代だったなあ。洗練・頂点・完成指向に基づくアートの硬直化に背を向け、素人・未熟・瞬発力によるデコンストラクションで、商業から人間への表現の奪回を目指した時代。(とあとになって思う)

その突出したインディーズパワーは後にあっさりと構造化され、メジャー未満の部分をさす便利なジャンルになってしまった。そのおかげで、今では「定評のあるインディーズ」だけが復刻されメディアに乗ってわれわれのもとに届く。それが形容矛盾であることに気づくものはもはやいない。

というわけで、これまた80年代からずっと観たかった作品を、まさに構造化の恩恵をこうむり観ることができたわけです。生き残ったものとして。よろこんでいいのかどうなのか。

***

あこがれの先輩をたずねて都会の大学を訪れた少女。ひょんなことから伊丹十三扮する心理学(似非)教授のゼミに迷い込む。教授の追及するのは、究極の恥ずかしさにおける人間行動。ゼミに集まる学生たちに根本的に恥じらいの念がないことを見て取り失望する教授は、まよいこんだ少女こそ究極の羞恥心を持つ者だと確信する。少女もまた教授の学説の怪しげな魅力に惹かれ、教授のもとを訪れ、いよいよ究極の羞恥の実験が始まる・・・

というのが筋といえば筋。しかし例によって、この映画は筋と関係なく、学生たちの享楽的生活の断片、田舎を飛び出して男に夢を抱く少女の独白(粗い画像)、唐突なミュージカルシーン、教授の突然のバイオリン演奏、衒学的な講義、ブラームスやモーツアルトについてのウンチク、いきなりの銃撃戦ごっこ、などなどのカットアップにより構成される。

これはゴダール的ヌーヴェルヴァーグだ、と断じるのは簡単。簡単すぎる。でも言いたい。これはゴダール臭い。

しかしこの映画製作時、ヌーヴェルヴァーグはなつかしい過去なのだ。それはある意味オーソライズされた表現形式として認知されていただけでなく、すでに多くの観客にとって忘却の段階にあったし、「再発見」されてもいたわけで。

その時代に、60年代ゴダールをなぞることは、その表層を借りた末の自爆だったのか、それとも権威を相対化しひざかっくんを食らわす果敢な行為だったのか。
今観てみると、状況は当時よりもはるかに相対化されていて、どちらに転んでいたのか容易にはわからない気がする。
で、それで正しい、という気もするな。

***

・・・ということはまあおいといて、私的に感じたところを言っちゃうと、たとえばアンナ・カリーナとジャン=ポール・ベルモンドがやるとあんなに魅力的な唐突ミュージカルも、腹蔵ありげな存在感では右に出るものがいない加藤賢崇が演じることで、いかに異質で忌むべきものに見えることか(笑)
この1点だけでも、この映画がヌーヴェルヴァーグ的快楽をなしくずしに異化してしまおうという悪意に満ちていたに違いない、と断じてしまってもいいような気もする。

どうだろか?

***

どうしてタイトルはドレミファ娘なんだろか??
作中で、ブラームスがいい、とか言わせながら、音楽部室ドアにブラームスの肖像を貼り目や手のあたりに穴ぼこを開けるおとぼけぶりだが、教授のバッハ演奏といい、音楽の趣味が意外と前面に出てきている。(ちなみにワタシもバッハ&ブラームス派)
それに、ミュージカルだといいはればそうもいえなくはないし、そういうことでドレミファなのかな。

麻生うさぎの、服を着たエッチ演技もなかなかよい。というか、ああいう半端なエロに惹かれるのかもしれない自分。

エンディングでちょいとゴダール「ワンプラスワン」のパクリがある。というか、あれはゴダールは他の作品でもつかいまくっているけれど。

もともとピンク映画として撮られてお蔵入り。それを通常映画(?)として再編集したもの。

洞口さんはいま闘病中ときく。がんばれ。


あそうそう、音楽の東京タワーズは、出演もしている岸野氏一派のグループで、不定形メンバーでライブなんかもやっていた。見に行ったな一度。
作中歌も良くも悪くも京浜兄弟社の音。


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「神田川淫乱戦争」黒沢清

2007-09-19 10:48:39 | cinema
神田川淫乱戦争

エースデュースエンタテインメント

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1983日本
監督:黒沢清
脚本:黒沢清
助監督:水谷俊之、周防正行、塩田明彦
出演:麻生うさぎ、美野真琴、岸野萌圓、沢木ミミ、森太津也、周防正行


わはは~くだらね~~(笑)

なつかしのピンク映画のフォーマットを借りつつ、ピンク度を徹底して換骨奪胎。
遊ぶ遊ぶ。
性交シーンやらレズビアンにオナニー、近親相姦、とあらゆるモチーフをちりばめているにもかかわらず、「そういう」目的の手段であることをひたすら回避し、母の変質愛にとらわれたあわれな少年を神田川越しに救いに行く乙女たち、という教訓もなにもない説話をなにがなんでも完結させる。60分きっかりで。この抜きぶりが楽しいではないですか。

性交シーンがジャンプカットでつぎはぎだったり、ご時勢がヘアもなければ、絶頂シーンもない。
と思えば、やたら儀式的な近親相姦や、近隣の窃視というヒッチコック的モチーフや、夜の神田川越えのばかばかしいコメディタッチ、エロ小説の朗読がかぶさるエッチシーンとかいう異化効果的ギミックにはあふれている。
意味なく絶望的なラストもナンセンスで可笑しい。(エロ版勝手にしやがれ!?)

これをピンクな期待で劇場で観たらきっと憤慨するだろうし、インディーシーンに新たな感性を持つ監督の誕生を求めてアンダーグラウンドをさまよう観客なら、壁にスローガンがびっしり張られた少年の部屋が妙にゴダール的なことに興奮したことだろう。


まあ、高いお金を出して観るほどのものではないという気もしますが、80年代にウワサだけ聞いてずっと観たいリストに入れていたワタシは、ようやくDVDの時代になって観ることが出来た、というわけでした。

***

麻生うさぎさんはさすがその道のひとらしく、なかなかエロ系シーンではいい演技。でも川渡ったり水中大喧嘩をしたりと奮闘。
「ドレミファ娘・・」にも出ている。

岸野さんは気色悪い青年でした(笑)


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ブレードランナーは買いか??

2007-09-18 13:59:16 | cinema
【10,000セット限定生産】『ブレードランナー』製作25周年記念 アルティメット・コレクターズ・エディション・プレミアム(5枚組み)

ワーナー・ホーム・ビデオ

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これは欲しいですが、どうしよう??
ブレラン5バージョンがすべて入っている!
というのは、まあいいんですが。見比べるかなあ??

ワタシ的には、ボーナストラックにP.K.ディックのインタビュー(音声のみ)が入っている!!というところが買い!
なんですよね~~

そのためにン万円??

10000セット限定生産版はさらにこういうのがついているそうです。
・オリジナル「スピナー」フィギュア
・オリジナル「ユニコーン」フィギュア
・オリジナル・チェンジング・レンティキュラー
・リドリー・スコットからの手紙
・オリジナルフォルダー入りシド・ミード 画コンテ集(5-8枚)
・ブックレット(20p)


****

ワタシはこっちにしようかな・・・↓

【初回限定生産】『ブレードランナー』製作25周年記念 アルティメット・コレクターズ・エディション(5枚組み)

ワーナー・ホーム・ビデオ

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****

あれ?ファイナルカット単体でも出るんですね。
でもブルーレイディスクだよ・・・↓

『ブレード・ランナー ファイナル・カット』製作25周年記念エディション

ワーナー・ホーム・ビデオ

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みなさんはどうする?


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「煉獄エロイカ」吉田喜重(寝ちゃった)

2007-09-18 13:16:15 | cinema
煉獄エロイカ

ジェネオン エンタテインメント

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1970日本
監督:吉田喜重
脚本:山田正弘、吉田喜重
撮影:長谷川元吉
美術:山口修
音楽:一柳慧
出演:岡田茉莉子、鴨田貝造、木村菜穂、牧田吉明


冒頭から極度にスタイリッシュな画面設計の応酬に、おおっ?と思うも、テーマにしろ台詞回しにしろ設定にしろ観念的な感じがして、良くも悪くも60年代日本の懐かしさだな~美術とか建築とかもモダニズムな感じ・・・・

・・・・と思っているうちに、不覚にもすやすや寝てしまった^^;

例えば大島渚の同時期の作品と比べると、似たようなテーマを扱いつつもこうも温度が違うものか・・・

今回は書く資格なし。




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「シンドラーのリスト」スティーヴン・スピルバーグ

2007-09-16 00:11:23 | cinema
シンドラーのリスト スペシャルエディション

ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン

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SCHINDLER'S LIST
1993アメリカ
監督:スティーヴン・スピルバーグ
原作:トーマス・キニーリー
脚本:スティーヴン・ザイリアン
撮影:ヤヌス・カミンスキー
音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:リーアム・ニーソン、ベン・キングズレー、レイフ・ファインズ、キャロライン・グッドオール


特権的視線というのが映画の特権である、というか観客の特権であるならば、その特権をどこまでも行使して他者の視線を、あるいは超越者の視線すらも乗っ取ってみることの醍醐味を味わい尽くせばいい。

と思ってはみるものの、根が小心者なせいか、いざ超越的視線を与えられると、なんだか身の丈にあっていないような、こんなところにきてよかったのワタシ?的なオドオド感に襲われちゃうのですよ。
なんなんですかね~ワタシのこれは。


「シンドラーのリスト」もそんな感じで観てしまった。
ポーランドのゲットーを見ているうちはまだよかったんだけれど、列車がアウシュヴィッツの門をものものしくくぐるあたりでどうも様子がおかしくなり、と思ってたらそのままカメラはどんどん奥へ奥へと突き進んでいってあれよあれよといろいろ見せてくれるではないですか。お~い、いったいどこまでいくんだよお??いくところまでいっちゃうのかぁ?と思ったら、ほんとにあの部屋にカメラは入ってしまうじゃないの!!うひょぉおぁ~~~~

というわけで小心なワタシは肝心の美談?そっちのけで、ひとり戦々恐々盛り上がり盛り下がりしてしまいました。

**

たまたま最近観たポランスキー「戦場のピアニスト」が、同じような時代と状況を扱っている。同じように過酷な状況だし、人はばしばし死ぬし、その描写は同じく生々しいし。でも全体的な印象はかなり違う。
思うにこの違いは、ポランスキーのほうは視線が特権的でない、つまり主人公の視線に限定されていることに由来するのじゃなかろうか。

ちょっとしたシーンだけれど「戦場~」には↓こういうシーンがあって印象的だった。

ワルシャワのゲットーを区画する壁のほころびから、少年がゲットー側に入り込もうとしている。外で食料などを掠め取って帰ってきたのだ。少年が壁の内側に体を半分出しているところに主人公が通りかかる。すると、どうやら壁の外側で少年の下半身がSSに発見されてしまったらしい。少年は突然苦しみだし叫び声を上げ、そしてぐったりしてしまう。

↑このシーンをカメラはあくまで壁の内側からのショットのみで撮るので、観客も壁の外側でなにがあったのか正確に知ることはできない。もどかしくもあるが、反面、主人公の抱いた戦慄をリアルに感じさせることにもなっている。

このシーン、スピルバーグだったらどうしただろうか。
もしかしたら、壁の内側と外側両方のショットをつないでしまうのではなかろうか??

と思うのも、たとえばスピルバーグは「プライベート・ライアン」冒頭の戦闘シーンで、ハンドカメラを駆使して従軍カメラマン的視点を装いながらも、あっさり敵側からビーチを俯瞰するショットも挟み込んでいる。そんな例もあるからなのだ。


味方側/敵側、内側/外側。この境界をどう扱うかがこの2作品の基本的な違いだったように思う。

たぶん事情は「シンドラー~」でも同じ。
「戦場の~」では、アウシュヴィッツ行きの貨車の出発シーンはあるが、到着シーンはない。なぜならそれは主人公が見た/見ていないシーンだから。
でも「シンドラー~」では主人公が見ていない情景もしっかりぐりぐり描かれる。

同じく20世紀視覚化プロジェクトともいうべきこの2作品の違いを、さて、どう考えるべきか??
(と尻切れる。)


好き度:とてもランク付けする気力なし。



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「プライベート・ライアン」スティーヴン・スピルバーグ

2007-09-14 12:31:59 | cinema
プライベート・ライアン

パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン

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SAVING PRIVATE RYAN
1998アメリカ
監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:ロバート・ロダット、フランク・ダラボン
撮影:ヤヌス・カミンスキー



SFX超大作。

SFXは
1.非現実を可視化するのか?
2.現実を可視化するのか?
という問いを考えて、これは問いの立て方がめちゃくちゃだなあと思いつつも、
なんとなく頭を離れない。

***

「可視化」というのは、「現実らしい表現」と言えるので、その内容は時代の意識や表現技術の変化に応じて変わってゆく。何が現実らしいかということ自体は共同体の共通認識を基盤とするわけで、現実らしい表現とは「現実らしさという虚構」に基づいて行われる表現なのだ。

だから、表現がその時代や共同体のもつ現実らしさの幻想にぴったり合致すればおおむね成功した表現として扱われるだろうし、幻想をうまく汲み取れない場合は陳腐とか非現実とかいうふうになじられる。しかし時には表現のほうが幻想に軌道修正を迫るような改革のときも訪れる。

というか、もちろん幻想が先にあって表現が後にあるわけではないわけで、なにが現実かということについては・・・(あとはフーコーとかデリダとかにまかせよう(笑))


で、と、
スピルバーグという監督は、現実らしさという幻想に大変意識的であって、しばしばその表現によって幻想に意識改革を求める過激な開拓者であり続けているのだ、と思う。

たとえば古くは「未知との遭遇」の斬新さとは、巨大宇宙船が発する重低音で建物のガラスが砕け散るというような、従来の映画的リアルを凌駕するリアリティを表現する意思にあったのだ、と思う。映画的リアルの更新への意思は、最近作「宇宙戦争」に至るまで変わらない。

なのでその作品はとても刺激的であってわくわくするのだが、リアルを更新するのだから、わくわくの裏で妙にどこか居心地悪いわけ。現実らしいなら驚かなくてもよさそうなもんだが、観ると「うえ~っリアル!」とか驚いちゃうわけだ。

***

で「プライベート・ライアン」。
冒頭ノルマンディ上陸作戦の情景から、われわれはいきなりうえ~っリアルの居心地悪さに直面する。戦場を生きる(戦場で死ぬ)とはこういうことなのか?上陸艇のゲートが開いた瞬間に狙い撃ちとなる兵隊、吹き飛ばされた腕を拾い上げ所在無く歩く兵隊、内臓がでろでろにはみ出て叫ぶ兵隊。文句なくいやだ。戦争は。

人が死ぬ瞬間のディテールの徹底ぶりで、この映画は
・戦場で死ぬということの現実
・その中を生きる人間の弱さと誇り高さ
・現実と乖離した大きな意思のむなしさ
てな、戦争ってこういうもんだ的メッセージを力強く伝える。


でも・・・でも・・・
うえ~っリアル、の居心地悪さもさることながら、なにか別の居心地悪さが・・・

で、冒頭のおかしな問いに。
非現実の可視化でとどまっているうちは映画はなんだか無邪気に楽しめる。ミニサイズの宇宙船が隊列をなして路上を過ぎる。これは楽しいリアル。
でもこの映画のリアルは・・・現実の可視化に傾いている。戦争は現実なんだ、と。そういう思いがこの可視化の意思の原動力になっていると思う。

違和感はたぶんここにある。

平たく言うと「見てきたように撮る」ということ。
ここではSFXによる可視化とともに、音楽がないこと、従軍カメラマンのように現場によりそう手持ちカメラという手法、など、映画のあらゆる構成要素が「見てきたように」ということに加担し、それに成功している。

「見てきたように撮る」ことに成功している、というのは、どういうことか。
本当に現実なの?という問いすら封じ込めてしまう無言の力を手にしたということなのではないのか?
この際本当はどうなの?という問いは放っておくとして(ワタシには検証できないからね)、そういう無言の力の発露にちょっとぞっとするワタシでありました。

この映画を作るにあたって参照した文献とか証言者の経歴とかが詳らかになればもうちょっと安心するのかも?


好き度:ランク付けがたし



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復帰訓練中です

2007-09-13 11:31:47 | diary
9月3日から職場復帰訓練中です~

初日にこけた話はもうしたな。
その後はいちおう連日出勤しています。

今週までは
7日は診察のため休み、
12日は週中なので休み、
という週4日勤務です。

勤務時間も11日までは14時まで。
今日からフルタイム勤務です。
今日から午後長いな~~

ちょっと疲れ気味。

仕事だ!と気張ると一日もたないので、
極力だらだらとすごすよう努める。
ブログ書いたりして。


正式復帰は18日の予定。
18日は期せずしてこのブログの3周年の日。
う~んと、だからなに?


***

11日は「9.11」だったけど特に意識せず。
夜に「プライヴェート・ライアン」を観て、
その後ジョー・ザヴィヌル死去の話を知る。

ウェザーリポートはジャコがいるから聴いていた。
ジャコのいないウェザーは聴いたことがないということで、
もちろんウェザー前後のザヴィヌルについてはまったく知らん。
なのでショックを受けるほどのファンではないが、やっぱりなんとなくさびしい。

同時にジェーン・ワイマンの死去も知る。
このひとも女優としてはまったく知らず。
一般的にも「レーガンの元妻」でなければそれほどのニュースにはならなかっただろう。
しかし経歴的にはアカデミー主演女優賞受賞者。ノミネートも多数。
役者的には元夫よりも格上だっただろう。
役者というのはやはり寂しい商売なのか。

***

タルコフスキーの映画をさまざまに彩る、父アルセーニーの詩。
アルセーニーの詩集邦訳が出たということで、さっそくamazonのカートに入れる。
「鏡」や「ストーカー」での詩の豊かさに、ロシア語を解して耳で聞ければな~と歯噛みしたもんである。

雪が降るまえに
アルセーニー・タルコフスキー,坂庭 淳史
鳥影社

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昼飯はそばでも食うかな。





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「族長の秋 他6篇」ガブリエル・ガルシア・マルケス

2007-09-11 13:27:03 | book
族長の秋 他6篇
ガブリエル・ガルシア・マルケス,鼓 直,木村 榮一
新潮社

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ガブリエル・ガルシア=マルケス全小説(新潮社)

「族長の秋 他6篇」
・大きな翼のある、ひどく年取った男
・奇跡の行商人、善人のブラカマン
・幽霊船の最後の航海
・無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語
・この世でいちばん美しい水死人
・愛の彼方の変わることなき死
・族長の秋


「族長の秋」は以前文庫版で読みはじめたけれど挫折し放置していた。が、今回読みはじめたら面白くて一気読み。この間に自分になにが起きたのか?

挫折の原因も一気読みの原因も、おそらくはこの独特な語り口にあると思う。
ずっと一人称で通されるにもかかわらず、語り手が目まぐるしく変わるという、小説ならではの視点の重層化。
それから時制もしばしばワープし、ことの終わりから語りはじめられる冒頭のシーンへ至る線が、何本も何本もはりめぐらされた螺旋的構造になっていること。(「予告された殺人の記録」にも見られる形だ)
滔々と言葉が数珠つなぎにくりだされ、ほとんどブレイクがないこと。(改行すらない)
そんな語り口がこの作品の魅力であり本質であるだろう。
ここにはまれれば一気に読み通すことができる。

***

「百年の孤独」が一族の何代にもわたる波乱の歴史であったのに対し、「族長の秋」は、南米の小国の独裁者一代の百年にわたる治世を描く。
おそらくは民族解放ゲリラ戦の末に手にした政権の長である彼の虚像は、影武者がいたりメディア統制をしていたりで、何十年経っても変わらず君臨する大統領だが、その実像は、疑心に満ち、邪悪な直感に突き動かされ、小事に動揺し、大事に大胆で、夜は「3個の掛け金、3個の差し金、3個の錠前」をおろした部屋で軍服も脱がずに不安な眠りにつき、母の面影に語りかける、深い孤独を生きる老人である。

不実な取り巻きたちと生きる独裁者を、沼地のような内面から描くことで、ラテンアメリカの独裁者のもつ豪胆や残忍の源がどこにあるのかを感じさせようということなのだろうか。虚実の双方に大きく広がった人間像を生きながら、そのどちらにも安住を許されない一人の人間と権力の謎を、これほどの言葉を費やして汲み上げる面白さは、並大抵の小説では読むことは出来ないだろう。ガルシア=マルケスならではの力量。

「百年の孤独」を読んだときはその力量に対抗する余裕がなくて、仕事を休んでまで読み体制に入ってしまった^^;が、今回も相当入り込んでしまった。病気休暇中に読んでよかったなあ。。

****

と同時に、冒頭の大統領府の異変に代表される、映画を観るような鮮烈なイメージにも圧倒された。屋敷を徘徊する牛、糞尿にまみれる荒れ果てた室内、破れた窓、飛び交うハゲタカ(だったっけ?)、そのなかに横たわるぼろ布のような人間、破れた服・・・・これを誰か映像化してほしい。グリーナウェイかトム・ティクヴァあたりでどう?

(でもあの文体の妙を映画で生かすのは至難の技だろう。映画は意外と線的で視線も単一なものなのかもしれない。)

***

これまた映画的な「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」(実際、映画の原作として構想された)を含む6編もなかなか魅力的。
大体が蒸し暑く泥や砂や汗にまみれた世界での幻想譚。小品は他の小説中のモチーフとしても再登場したりするので、それもまた面白い。

ガルシア=マルケスは、書き始めるにあたって、ふさわしい文体の発見に加えて、核となる視覚的イメージに霊感を得るタイプの小説家であるという。という意味では映画とのかかわりも気になるところ。

ガルシア=マルケスと映画については、同じ全小説シリーズの「悪い時」の解説に詳しいが、そこでは出演作や脚本執筆を含め映画とのかかわりの深さが解説されていて面白い。

「予告された殺人の記録」「エレンディラ」は映画化されているようであるが、未見。観たい。
他にこの本からは「大きな翼を持った老人」が映画化されている。
寺山修司「さらば箱舟」が「百年の孤独」を原作としているというが、これは相当に無理があるぞ!!
(他方「さらば箱舟」には、「族長の秋」に表れる、消え行く記憶に対抗してメモを書きなぐる男、というモチーフが使われているのも要チェック。)

映画といえば、グリーナウェイ「コックと泥棒、その妻と愛人」の凄惨の源泉はすでに70年代「族長の秋」にあったのか!という発見も。
凄惨を重要なモチーフとするグリーナウェイとガルシア=マルケスは、相当にかけ離れた風土にも係わらず共通するものがあると思う。この件については一度よく考えてみたいなと思う(が、考えないかもな・・)



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