Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「増補 友よ映画よ、わがヌーヴェルヴァーグ誌」再版ですかね

2010-01-31 23:41:41 | book
増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌 (平凡社ライブラリー)
山田 宏一
平凡社

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しばらく古本でしか入手できなかった本ですが
どうやら重版したようですね。
読みたかったのでうれしいです。
さっそく注文し、おととい届きました。

山田宏一氏は、近著で「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」というのもあるらしく、そちらも楽しみです。
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「メーヌ・オセアン」ジャック・ロジエ

2010-01-31 00:30:30 | cinema
メーヌ・オセアンMaine Ocean
1986フランス
監督:ジャック・ロジエ
脚本:ジャック・ロジエ、リディア・フェルド
出演:ベルナール・メネズ(検札長)ルイス・レゴ(リュシアン)イヴ・アフォンソ(プティガ)リディア・フェルド(女弁護士)ロザ=マリア・ゴメス(デジャネラ)


いや~面白かったですよ。
ジャック・ロジエ85年の長編
めちゃめちゃ面白かったですよ~。
135分もあるのに長くないし。

コメディタッチでそれなりにストーリーというか
それぞれモチーフにストーリー性があって
「オルエットの方へ」のようなただひたすら記録って風情はないんだよね。
そういう点では一般受けも可能な作品

でもよ~く考えると、人物がいろいろな関係性を軸に
場所と時間をどんどん移ろっていくので変化はあるんだけど、
その変化を、ただひたすら撮っているだけ~っていうのは実は変わっていない。
ただ撮るだけ(実際はかなりいろいろ凝っているけれど)~


最初は慣れないパリで列車の切符の扱いを知らないブラジリアン女性が、特急「メーヌ・オセアン」号のなかで車掌さんに罰金とられそうになるところから始まるんだけれど、そこから人物がひとり、ふたりと増えてきて微妙な関係を築きつつ、場所をアンジェからユー島へと移していく。

この関係性の変化、場所の変化、人物像の変化、そして主眼を注がれる対象の変化。変遷の映画であり、究極のロードムーヴィーでもある。移動とは映画である、という言葉がつい頭をよぎる。
ラストに至る、最も頭の固い車掌さんの変遷は、もっともこの映画の内容を象徴しているだろうし、その行き着く先が、容易ならざる道、孤独な道、辺境への道だということが、理由はよくわからないがとても面白く感動的だった。



あと、編集の技に長けているという印象。たとえばあの弁護士さんが活躍する場面。ここは腹を抱えざるを得ない映画中でももっとも幸福な場面のひとつだが、そこで主に観客を吹き出させるのは、弁護士さんのセリフを背景にした、画面の繋ぎ方にほかならない。カットが変わるたびに、それだけで客席はどっと湧く。絶妙なのである。

絶妙な編集=精緻な計画を駆使して、ただ記録しただけ~な映画を作ってしまい、しかもそれが移動と変遷を本質としたダイナミックな映画になってしまった。おまけにたくさん笑える。そんなすばらしい映画でありました。

****

全編にただようローテク感もすばらしく好みである。
ほんとにこれ80年代の映画だろうか?
田舎の島とはいえ、ラジオ局のインタビューアーが持ってきた機材は・・・だしww


ロジエ、いまユーロスペースで上映中だが、だんだん活況を呈し、今日は立ち見も出たということである。
『アデュー・フィリピーヌ』を未見なので、頑張って観に行こうと思う。



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「オルエットの方へ」ジャック・ロジエ

2010-01-27 22:20:04 | cinema
オルエットの方へDu côté d'Orouët
1969-71フランス
監督・脚本:ジャック・ロジエ
編集:ジャック・ロジエ、オディール・ファイヨ
音楽:ゴング/デイヴィッド・アレン、ジリ・スマイス
出演:ベルナール・メネズ(ジルベール)、ダニエル・クロワジ(ジョエル)、フランソワーズ・ゲガン(カリーン)、キャロリーヌ・カルティエ(キャロリーヌ)他


ユーロスペースで観てきましたよ。
ジャック・ロジエ

ほとんど事前に得た先入観を裏切らず、
パリで働く都会の3人娘が海辺でまったりすごすバカンスを
ただ追っただけ・・・という、なんとも朗らかで甘酸っぱい映画です。
事件性のあることはなにも起こらず、
箸が転がってもきゃっきゃと笑う3人+2人のヤサオトコの行状をひたすら追うこの作品は、まず間違いなくある人々には、中身のない映画だな~という感想をもたらすことでしょう。
観終わって劇場を出るお客さんの中にも、「長過ぎる!w」とつぶやいている人もおりましたし(笑)。

実際のところ、バカンス風景としてはそれでもかなりはしょっていて、
きゃっきゃと騒いでいるなあと思ったら、いきなり「9月17日」とかテロップ出て次の日になり、またきゃっきゃと騒ぐというような、スピード感wはありますのよ。

この映画に抱いた最大の感想は、退屈な(語弊アリ?)被写体のくせに、すごい臨場感があるんだよ~ってことですね。まるで3人にくっついて自分もあの海辺の(おかしな形をした)別荘で過ごしているような錯覚におちいるのです。極度に。
いっしょになってうなぎだかアナゴだかを満載のバケツをひっくりかえしてぎゃーぎゃー大騒ぎをしているような気分になるのです。

これは題材が日常的なものだからこその臨場感なのでしょうね。『アバター』のリアリズム的別世界には、どんなに形式がリアルであってもここまでの臨場感は実はない。
キャメラを持って街へ出るというロッセリーニ的精神の継承が、ある時期の(あるいはある側面での)ヌーヴェルヴァーグだとするならば、これはその精神の純粋な達成だったのかもなと思ったりするわけで。
(映し出す事柄の特権性を決定的に捨て、街へ出るという精神だけを純粋にじっこうしているかのような)

なんてことは実はどおでもよく?と思ってしまうほどに、このプライヴェートなバカンス感覚にどっぷり浸ってほんわか気分なんですよね~

***

カメラワークや編集は実はけっこう凝っていて、例えばヨットで大騒ぎのシークエンスなんかも、ボート上のカメラ(それも複数の視点からの)、ボートをすこし離れたところから撮るカメラ(そのときボート上にカメラはいない)、海辺からとおく観るカメラ・・とかなり複雑な設計がされている、とか。ヨットのシーンは複数のセッションを行っているはずで、それらを上手く繋ぎあわせて1回のセッションに仕立てているのですね。

あるいは、釣ってきたでかい魚を料理するところも。狭いキッチンのなかをたくさんの視点からのカメラを仕込んで、カットとつなぎは凝りに凝っています。(でもひたすらご飯つくってるだけ~)

そういう用意周到かつ量力をつぎ込んで、それであの他愛ない映画ができてしまう、そのことに不覚にも深くw感動してしまうのでした。実に素晴らしい。



そいから、ふとこれはヌーヴェルヴァーグ版『ぼくの伯父さんの休暇』かなあとか思い。ヌーヴェルヴァーグなのであからさまなギャグはやらないし、内容は全然違うんだけど、ひとつのバカンスの高揚と終わりの物淋しさを通じてなんか納得しちゃう気分を描くというところが似ている。
彼女たちの泊まる別荘がへんてこなところはタチ的だし、一日の終わりにその別荘の夜のシルエットがうかび、室内灯がふっと消えたりするところも、なんとなくタチ的。
もちろん作者はそんな意図はないだろうと、これは想像。



音楽のクレジットに、GONGとデイヴィッド・アレンがあり。
某所でDavidと書いたら、彼の綴りはDaevidだ、とおしかりをウケてしまった。
でも映画ではDavidだったと思う(負け惜しみ)、が、それも定かではない。
もしかしたらワタシが見間違えているのかもしれない。


今回上映の3長編+短編をひとまとめにしたパンフを販売しているが、ここに掲載されている山田宏一氏のエッセイが大変面白く、というか、なんでここまで事情通なんでしょうねえ??というくらいにいろいろなエピソードを披瀝する。
そのなかで、氏による「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」という本が近刊とあるので、これも楽しみです。


『メーヌ・オセアン』も観て、そちらも大変に面白かったのですが、それはまた後日・・


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ラ・ジュテ -HDニューマスター版も出ましたねえ。。

2010-01-25 23:58:43 | cinema
ラ・ジュテ -HDニューマスター版- [DVD]

コロムビアミュージックエンタテインメント

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ギリアム「12モンキーズ」の元ネタとして有名なんですよね。
でも作品自体もなにか、静止画を使った実験色のあるものだとか。
そんな認識しかありませんけれど、とても観たいですね~

ちょうど早稲田松竹でやるんですよね。
このプログラムも魅力的で。



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「落葉 他12篇」ガブリエル・ガルシア=マルケス

2010-01-24 01:44:30 | book
落葉 他12篇
ガブリエル・ガルシア=マルケス
新潮社

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落葉 他12篇: ガブリエル・ガルシア=マルケス
三度目の諦め/エバは猫の中に/死の向こう側/三人の夢遊病者の苦しみ/鏡の対話/青い犬の目/六時に来た女/天使を待たせた黒人、ナボ/誰かが薔薇を荒らす/イシチドリの夜/土曜日の次の日/落葉/マコンドに降る雨を見たイサベルの独白

新潮社ガルシア=マルケス全小説シリーズの1冊。ガルシア=マルケスが第1長編「落葉」を刊行するまでの、作家としての道をつかむ過程にある20代の頃の作品を発表順に収めたもの。著者が「頭の中だけで作ったもの」として習作と位置づける作品も多く含まれるが、それでも発表順に読むことで作家としてのテーマに次第に迫っていく過程を見ることができるという観点で刊行を許しているのだという。
この本からガルシア=マルケスを読み始めるというのもよいが、後の傑作群を読んでからこちらを読むのもまた著者のテーマをより俯瞰できると思う。ああ、あのエピソードはこういうルーツがあったのか。。等々。

短編の多くは10ページほどのごく短いもので、いきおいテーマというかアイディアをむき出しで置いてあるという感がある。もちろんそこが短編のスリリングなところで、心に響くものもあればちょっとピンと来ないものもある。この本からガルシア=マルケスを読み始めた方は「なんだこんなもんか」と思ってしまうかもしれないが、評価を下すのは「落葉」を出発点とするその後の小説群(特に「百年の孤独」)に触れてからがいいと思う。

****

ワタシが印象的だったものは、まずは冒頭の「三度目の諦め」で、生と死の境界のあいまいな世界の意識を描くもの。カフカ「変身」を読んだ衝撃のまま一気にかいたという割には、7歳から死体であり続ける人間というなんともガルシア=マルケス的主題であることに感心する。

それと「死の向こう側」。双子の弟の死が兄の意識に深く影を落とす。ここでも生と死の間を生きる者がモチーフ。その設定で思い出したのはP.K.ディックの生い立ち。双子の妹の死が彼の著作に投げかける影について。「鏡の対話」も同じ線上にある作品かも。

「土曜日の次の日」も印象深い。これは大分後のガルシア=マルケス風味に近づいてきた風情。鳥が窓に激突死する異変がおき始めた村、その村に住み着く100歳近い神父の人となり、その村に偶然足止めを食った若者(ガルシア=マルケスその人をイメージさせる)、など脈絡のないモチーフを並置して、けだるくゆっくり疲弊していく南米の村マコンドのイメージを形作っていく。ガルシア=マルケスの創作の舞台が出来上がってきた。

そして長編の「落葉」。ガルシア=マルケスが20代のころに母親と故郷アラカタカを訪ねたときに大きな転機が訪れ、その体験に根ざした小説ということだが、予想と違って物語は架空の街マコンドでのある男の葬儀を行おうとしている家族の心持を、父、娘、孫の3者の視点で語るという極めて閉じた世界での出来事を描いている。限定された視点ながら、マコンドの雰囲気や歴史を背後に茫洋と浮かび上がらせるところはなかなかいい感じだ。

最後の「マコンドに降る雨を見たイザベルの独白」は、「落葉」の後に読んでさらに味わい深い。もともと「落葉」の中の断章として構想されていたとのことで、「落葉」の娘イザベルの若い頃からの、家族を巡る思い出を綴ったもの。その中でやはり倦怠に満ち希望を抱き得ないマコンドでの人生が、雨の降り止まぬじめじめした日の描写とともに肉感的に迫ってくる。

****

てな感じです。ガルシア=マルケス自伝「生きて、語り伝える」を読むとさらに面白く読めるのだが、伝記的な事柄を踏まえた読みと、作品自体の強度とは分けて考えなくてはいけないのかも知れない。もう知っているということはどうがんばっても覆せないので、その峻別はとても難しいし、もしかしたら不毛な分類なのかもしれないけどね。



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ソクーロフDVD-BOX3が出るようです

2010-01-23 01:01:37 | cinema
アレクサンドル・ソクーロフ DVD-BOX 3

紀伊國屋書店

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内容は
チェチェンへ
牡牛座
ボヴァリー夫人
だそうです。

う~む

モレク神+牡牛座+太陽
とかのBOXならわかるんだけどねw

ま、出るのは歓迎です。
発売予定日は2010年3月27日です。



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the brilliant greenが再始動だ。

2010-01-21 21:58:42 | music
LIKE YESTERDAY(初回盤)

ワーナーミュージック・ジャパン

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the brilliant greenが再始動だ!
2010.2.24にシングルが発売だそうです。
ブリグリは昨年?だったっけ?
ベスト出してから事務所との契約も切れて
どうなることかと思っていたんだけど
新しい事務所も決まったみたいで。

ギョウカイのドロドロには興味はないけれど
再出発が成功にむかっていくといいね。

で、なんとブリグリのmy spaceがあるのよね!
ここでLIKE YESTERDAYのデモバージョンが聴ける。
すっごいブリグリ色丸出し^^;
こてこてだ!
http://www.myspace.com/thebrilliantgreen


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「ウィッカーマン」ロビン・ハーディ

2010-01-20 22:45:23 | cinema
ウィッカーマン 特別完全版 [DVD]

スティングレイ

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ウィッカーマン 【プレミアム・ベスト・コレクション\\1800】 [DVD]

UPJ/ジェネオン エンタテインメント

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ウィッカーマンTHE WICKER MAN
1973イギリス
監督:ロビン・ハーディ
製作:ピーター・スネル
脚本:アンソニー・シェイファー
撮影:ハリー・ワックスマン
音楽:ポール・ジョヴァンニ
出演:エドワード・ウッドワード、クリストファー・リー、ダイアン・シレント、ブリット・エクランド、イングリッド・ピット、リンゼイ・ケンプ

これまた心のふるさと系の映画ですね~
ワタシにはふるさとがいっぱいあるね。

イギリス映画。70年代。
みなきゃと思っていたのですが、1800円になったのを機に購入。
これは劇場公開版(短縮版)だと思います。
上の「特別完全版」には劇場公開版と拡大版の2つが入っているようですが、いまは「出品者から」になってますね。

ストーリーとか奇矯な設定とか奇習とかの面白さもあるけど、
そういうのではなくて、いいようのないよそよそしさというのか、
かすかな不安感がつねにあるような全体の雰囲気がいいのです。
絶対ハッピーな終わりはこないぞという感じとか。

そういう映画は昔よく民放TV深夜枠でやっていて、
その深夜ひとりで小さい音でTVみてる気分も思い出されてなおいいのです。

ウィッカーマンはそういう不安を基調としつつ、なおもあろうことか
ほとんどミュージカルといってもよいくらい、人物が歌い踊るのです。
それにも軽くキモを抜かれますね~不安なミュージカルという形容矛盾的居心地の悪さ。
音楽はまた異教的な香りのケルティック~スコティッシュな感じで、
それもあのクリストファー・リーが楽しげにリズムにあわせ腕を振り振り歌うのですからww

黄金銃を持つ男のボンドガール、ブリット・エクランドの
あやしげな全裸のダンスもみどころで。
なんというか、セクシーとか妖艶というよりは、ほんとに怪しい^^;
いまでいうとスカーレット・ヨハンソンタイプのタラコ唇系美女は
どうやらピーター・セラーズの奥さんだったらしいというのもビックリです。
そんでもってやはりセラーズ出演の『紳士泥棒/大ゴールデン作戦』にも出てたのね。。
これはバート・バカラックが音楽をやっているコメディAfter the Foxですね。
(ついでにこのAFTER THE FOXの監督はヴィットリオ・デ・シーカだってのも軽く驚くんですよね~。どうしても『自転車泥棒』『ひまわり』のイメージがあるからねえ。)


後半、村の異教的風習が次第に明らかになるにつれて、最初は警察官としての捜査という態度だったハウイーさんが、敬虔なキリスト教徒という本性?を表に出すようになって、ついにはラストの受難において神への祈りを激しく口にする。
この人物の変容がなにか興味をひいた。
異教が支配するというサブカルチャーの密かな勝利の物語であると同時に、世界を一身に背負うような受難の再話でもあるというような二重性がなんだか面白い。

それから、ロケーションの凄みというか、実際スコットランドの寒村で撮影されたようであるが、家々のたたずまいとか道や林や海辺の寒々しさとかが、冒頭書いた映画のよそよそしさを下支えしているのだな。
よそよそしさはそれだけじゃなくてカメラワークとか色身とかそういうことにもよるんでしょうけど。

このロケ風景のよそよそしさはたとえばニコラス・ローグ『赤い影』のイタリアにも通じるよなあ。特にあの路地の向こうにへんな着ぐるみが見えて、追っかけても追いつけないシーンでの感じとか。
と思ったらこの映画はイギリス公開時は『赤い影』との2本立てだったとのことである。
なんとも不安な2本立てであるw



ウィッカーマンをはじめ、ケルトとかドルイドとかその系の文化風習は
なにやら背筋がぞくっとする禍々しさのイメージがあって
興味はあるんだけれど、全然調べたりするにはいたっていません。
力があったらそのへんも知りたいですが。


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福原まりさんライブに猫沢エミさんも出演。。

2010-01-19 23:39:06 | 猫沢エミ
福原まりさんのライブがあるのですが
猫沢エミさんもperc+Voで参加されるようです。

2010/2/22(mon)南青山MANDALA
~MARI FUKUHARA /Fete de la musique mix~

福原まり(key,vo)、
中原信雄(bs)、越川歩(vln)、猫沢エミ(perc vo)、国吉静治(fl)
de-cika (+αフルヤン、ゲンタ)/Noahlewis' Maholon Taits

open 7:00 /start 7:30
3700yen(w.1drink)

てことだそうです。
福原さんの音楽もまたステキな世界ですよね。
「食堂かたつむり」の音楽などをやられているようです。

福原さんのブログ(だと思う)





問題は月曜日てとこですね~~
考えたらワタシ、チェンバロのレッスンじゃないですか;;
どうしたものか



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「チャットモンチー レストラン デザート」チャットモンチー

2010-01-19 00:58:53 | music
チャットモンチー レストラン デザート [DVD]

KRE

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「チャットモンチー レストラン デザート」チャットモンチー

2009年8月にリリースされたDVDをやっと見る。
デビュー直後の2006年新宿ロフトでの東京初ライブと、2009年同じくロフトでのライブ、2007年渋谷AXライブが収録されている。

2006年と2009年の違いは3点。
ベース福岡さんのベース構え位置、
お客さんのノリ、
えっちゃんの顔w。
これ以外大きな変化がなく、演奏テクの向上は観られるにしても、音楽性や前のめりな感じはデビュー時からもう出来上がっていたのだ。

デザートは、選曲もちょっとマイナーな曲を選んだようでそれもまたうれしいところ。
「夕日哀愁風車」など初期の曲の初映像化もいいし。これはポップなチャットとはまた一味違う側面の、謎のコード進行とそれにぶつかるシンプルメロディを持つ曲。謎の曲は初期のほうが多い。「湯気」もいい。

2009年のライブではいまのところ最新アルバムの「告白」からの初ライブ映像がうれしいね。特に歌の原初的すがたは繰り返しにこめる魂だということを感じさせる名曲「やさしさ」があるのがいい。えっちゃん的シャウトを堪能しよう。

******

福岡さんというかあっこさんのベースは2006年にはかなり高い位置で構えていたのだが、2007年にはすでに低い位置になっている。想像だがいまの日本のバンド界ではギター類はそれはもう低く構えるのが大主流で、そういうビジュアル面での「指導」がはいったのだろう(?)。えらいひと「ベースは低くなきゃ売れないよ。売れたいなら低くしな。」あっこ「はい」というやりとりがあり、あっこさんは猛練習の末低い位置でのプレイを短期間で獲得した・・・という涙ぐましい話があったかどうか・・・??(妄想)

えっちゃんの顔については、あちこちで「整形?」という流言があるのです。と書くと「高橋絵莉子 整形」という検索でここにきちゃう人が出るのですがww。まあ、初期の顔も今の顔もステキなのでなんら問題ないですね。そもそも整形する必要がないし、3ピースの音にこれだけこだわるチャットに整形はいかにも似合わない話だ。

えっちゃんはおまけ映像の舞台裏でもひとりギターを弾く姿があるが、あのギター、例えばリフやフレーズを弾くときもノンヴィブラートだしほとんどベースのライン奏法に近い指使いだし、そういういわゆるギターの定石の方向にテクニックを洗練させていく気配がないのがすばらしいよ。ヘタウマ的部分を堂々と大音響で全面に出すことで結果的にチャットの音の個性を一手に引き受けているよな。彼女のスタイルとしてむしろ成熟したともいえるね。

一方でお客さんは、やっぱり若いね~。あの人差し指立てて腕突き上げて振りながらぴょこぴょこはねる、あのスタイルはいったいなんなんだろうね。もっと思い思いの楽しみ方をすればいいのに。ライブに参加することで、あるいはアーティストに自己を仮借することでなにがしかの殻を破ろうとしているのだけれど、結局はライブハウスの「場のしきたり」に従順である自分がいるのに、それに気づいている気配もない。それに気づけよというメッセージはチャットの音楽に備わっていると思うのに。そういうお客さんはたとえばステージにほんとうの秩序霍乱者が出た際には、嫌悪丸出しでペットボトル投げたりするのだろう。
2006年の客席は控えめなぴょんぴょんだったが、2009年はもう大騒ぎだ。そういうもんだよねお客さんてのは。

と先入観に基づく憎まれ口で終わる。


あ、特典というかオマケのメンバーひとり1企画もおもしろかったよ。
えっちゃんの路上ライブ、やっぱりまじめに歌歌うとちょっと普通じゃないオーラがあるかもな。



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「孤独な声」アレクサンドル・ソクーロフ

2010-01-16 00:29:14 | cinema
アレクサンドル・ソクーロフ DVD-BOX (孤独な声/日陽はしづかに発酵し…/ファザー、サン)

紀伊國屋書店

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孤独な声ОЛИНОКИИ ГОЛОС УЕПОВЕКА
1978ソ連
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
原作:アンドレイ・プラトーノフ
脚本:ユーリー・アラボフ
出演:タチヤナ・ゴリャチョワ、アンドレイ・グラドフ


ソクーロフの処女長編。ソクーロフが全ソ国立映画大学の卒業制作として撮ったものの、卒制としては受理されず、のみならず作品の廃棄を命じられたというもの。作品はなんとか監督によって隠し持たれ、その公開を見るのは86年ペレストロイカ後を待たねばならない。

製作当時にこの映画に価値を見出し公開のために奔走したのがタルコフスキーである。公開はかなわなかったが、ソクーロフはタルコフスキーの推薦によりレンフィルムに入る。それでも、レンフィルムや記録映画スタジオで製作した初期作品はことごとく公開されることはなく、やはりペレストロイカ以降になってようやく世界に発見されることとなる。
不遇ではあるが、なんとか雪解けに間に合った作家でもあり、この処女長編を含めて作品が公開されたという点では、幸運であるといえるかもしれない。(そしてそれらの作品を観ることのできる我々もまた幸運である。)

『孤独な声』は、あからさまな体制批判などはなく(そういうのははなから不可能なのだろうけど)、寒村のある若い男女の個人的な姿を描いたものである。それでも当局を脅かすものがあるとするならば、この映画が一切のイデオロギー的なものと無縁であり、個人の心のありように深く内省するように迫っていることにあるだろう。悩み移ろい時には屹立し時には打ち沈む人間の姿は真実であり、そうした真実に立ち返って内省する個人こそが権力の真に恐れるものなのだ。

*****

映画は開始から内省的な美しさ/厳しさを感じさせる。なんてよい映画だろう。過剰な説明は一切なく、登場人物のわずかな会話とたたずまいが物語る。
核となる物語は、革命戦争で赤軍として戦い帰郷した青年が、旧知の女性と出会って控えめな恋に落ち、控えめな同居生活を始める・・・ということになる。動乱後の寒村での生活は貧しく活気はまるでない。青年ははっきりとは描かれないが戦争を通じて心の底に歪みをかかえており、生活には暗い影が伴う。

こうした静的な物語にときおり、様々なところから持ってこられた断片的なイメージが挟まれる。古い家族写真、労働者の過酷な労働の姿、古い町並み、屠殺風景などの記録映像。
あるいは青年の心象を表すような突然の前衛的な映像とノイズ。

これらのイメージの重層化によって映画はメッセージの伝達者であることをやめ、それ自体で読み取られることを待つ「作品」として成立する。この映画があえて芸術的であるというべきなのはそういう点である。

あらゆる映像が青年や女性の存在と呼応していると考える。家族写真や過去の街並みなどはどこまでも個人的でありながら、過去とのつながりという普遍的な要素を見るものに感じさせる。労働者の姿や記録映像は大括りの社会体制や歴史と個人のつながりを感じさせる。林を吹く風にざわざわと揺れる木の葉、竈でぱちぱち萌える薪の音は、いかなる文脈を越えていまここにいるとしか言いようのない存在を見るものに五感で感じさせる。暴力的に静寂を打ち破る前衛的な映像はもちろん人が抱え込み抑圧している何かである。そこには多様で謎めいた人間のありようについての広い表現がある。

人とはどのようなものかという深い関心によってこの映画は掘り下げられている。真摯でありのままを見ようとする思考と感性から浮かび上がる人間の姿は、例えば様々なイデオロギーから作り出されるいかなる人間像にも似ていないだろう。あらゆる「像」を相対化し、「実」に届こうとする試みを前に、その作品を観るものは、どこかで抗いがたい共感を感じているかもしれない。そういう境地に人々を誘う映画こそ危険な映画である。この作品がその危険をはらんでいることを、当局も、そして同じくタルコフスキーも、感じ取ったのに違いない。

*****

手法も媒体も異なるが、主題のベクトルという点で、タデウシュ・カントルの演劇との類縁を感じた。いや、カントルの演劇を記録した映像作品との類縁というべきだろうか。
カントルの演劇は、記憶の奥底に眠っていてしかし決して消えることなく個人の存立に関わっているような部分を掬い取って、それが現前することへの驚きと懐かしさを心で感じさせるような手法をとる。映像作品ではそれにやはり家族写真や記録映像をさしはさんで構成し、さらに作品を多層化してみせる。
過去とのつながりの中であらゆる像を無効にし個人の存在そのものをつかむ。そういう関心を『孤独な声』とカントルは共有しているのではないだろうか。

過去を糸口に存在をつかむという方法は、タルコフスキーではより明確に見られる。『惑星ソラリス』『鏡』を撮り、後に『ノスタルジア』を撮る監督が『孤独な声』に共鳴するのは避けがたい必然であることも言うまでもなく、逆に『孤独な声』末尾にはタルコフスキーへの謝辞が見られるのも、単に作品擁護への感謝以上のものがあるだろう。

****

演じる人は無名の俳優だというが、まったく見事な演技である。演技というべきかどうかもわからない。皆それぞれ顔つきと表情が個性的でよい。特に女性リューバを演じたタチヤナの顔はいい。ただその表情だけで趣きがありその人の人生に思いが向く顔だ。こういう顔の俳優を映画では使ってもらいたいものだと思う。

DVD鑑賞。



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「マラドーナ」エミール・クストリッツァ

2010-01-13 22:47:01 | cinema
マラドーナMARADONA BY KUSTURICA
2008スペイン/フランス
監督・脚本:エミール・クストリッツァ
出演:ディエゴ・マラドーナ 他


サッカーの王者マラドーナのドキュメンタリ。サッカーにはとんと疎いワタシが観にいく理由はひとえにこれがクストリッツァ監督作品だから。
期待に違わずドキュメンタリであると同時に、クストリッツァ丸出しの映画になっていた。

なにしろ映画の最初を飾るのはマラドーナの勇姿ではなくて、クストリッツァのバンド、ノースモーキングオーケストラでギターを弾くクストリッツァ自身の映像だ。これには笑った。
そこでは、ヴォーカルのネレ・カライリチが、クストリッツァを「まらど~な~!」と紹介する。(先日の日本公演では「エリック・クラプトン!」と紹介していたような気が・・)この映像によりクストリッツァはマラドーナにシンパシーを抱いていることが表明される。この映画、マラドーナについての映画であると同時に、マラドーナについての映画を撮るクストリッツァについての映画でもあるのだ。
特に前半ではマラドーナを追いかけ撮影するクストリッツァとそのチームの、まだ完全にマラドーナと打ち解けてはいない頃のドキドキ感をしばしば映し出す。マラドーナよりも悩むクストリッツァの姿のほうが露出が多いのでは?と思ってしまうほど。後半でもインタビューする姿や、マラドーナの友人としてTVショウに出演する姿などが撮られている。そういう点では、トリュフォー『アメリカの夜』やヴェンダース『ことの次第』などの映画チームを題材とした作品の系譜の片隅にちょこっと置いてもいい映画なのかもしれない。

クストリッツァはサッカー選手としてのマラドーナというよりは、マラドーナの持つ南米人らしい革命者的資質や、その反面の個人的な弱さや挫折という人間的な側面に注目しているようだ。マラドーナがメジャーな大チームの勧誘を蹴って、子供の頃からサポーターをしていたチームに移籍する話や、アメリカ大統領の招待を蹴るがカストロの招待には喜んで参上するという話をうれしそうに聴くクストリッツァ。生家であるみすぼらしいバラックを再訪して回想するマラドーナに、権威による不当な重圧にNOと言い貧しい人々の希望の星となった無頼精神を見る。旧ユーゴの惨状に無縁ではないクストリッツァが同調するのもわかる。

同調が勢い余って、随所にマラドーナがゴールを決める超人的なシーンとペアにして、アメリカ(ブッシュ)やイギリス(サッチャー)を徹底的にコケにするアニメーションがはさまれる。両国の愛国者がこれを見たら脳が沸騰することだろう。南米とは大国に蹂躙された周縁国という出自的共通項を持つクストリッツァとしては溜飲を下げたというところか。

音楽もよく登場する。そりゃあアルゼンチンだから人が集まれば音楽なんだろう。マラドーナを歌った曲を自身が歌うシーンは、家族を含んだ酒場的合唱に広がっていく。こういうダイナミズムもクストリッツァ的である。
また終盤、若いストリートミュージシャンが街角でやはりマラドーナをたたえる歌を歌い、それをマラドーナ本人がうれしそうに聴いているシーンも印象的である。自分が歌で歌われるというのはどんな気持ちだろう。それに、偉大な同志が出るとそのリスペクトする気持ちを音楽にするという、音楽の生き生きとした人間的な側面をうれしく思う。

クストリッツァが完全にマラドーナ肯定姿勢で、インタビューもほとんどマラドーナの言葉に同調してうなづいているだけなのはほほえましくもあるが、ドキュメンタリとしてはもうちょっと批評的な視線があったほうが面白いかもしれない。マラドーナと時にはケンカして、またよりを戻すくらいのほうが、より深く人間に迫れたかもしれない。この映画の残念な点はそこかな。

「マラドーナ教」がやたらと可笑しかった。特に結婚式。

その他の劇伴はエミールの息子ストリボールが書いているようである。いつものバルカン臭さは大分遠慮したらしい、ビートの効いたロック調が印象にのこる。(それでもかなり癖があるけどね)

渋谷シアターNにて2009.12.18




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大里俊晴氏

2010-01-11 21:58:29 | diary
大里俊晴氏が亡くなっていたことを
今日やっと知ったので、
ここに記す。

彼の名を最初に知ったのは
山崎春美「タコ」のアルバムだと思う。
そして関連のライブを観に行って彼のギターを聞いた/観た。
その演奏は、スタイルと言う概念を拒否して
ただノイズ発生装置としてそこにあるモノとして
機能していた/機能を停止していた

その1回しか観ていないと思うのだが、
その演奏する姿と音は克明に覚えているし、
自分たちの音楽にも少なからぬ影響を与えたのだ。
たった1回の出会いで。


その後は主に文筆の世界で目にした。
ユリイカなど、目を引く特集を手に取るとたいがい大里氏の名があった。
最後に読んだのはどれだろう。
ちょっと本をヒックリかえしてみようかと思ったが、
残念ながらジャングルなので断念する。



追悼イベントがいくつかあったようである。
直近では明日こういうのがあるらしい

大里氏の人となりについては
こんなページを見つけたので
無断リンクしておく。


ほぼ同世代の人間として敬意と哀悼を。。。


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2009年を振り返る~極私的映画ランキング~

2010-01-06 22:26:44 | cinema
2009年を振り返る~極私的映画ランキング~

恒例の振り返り行事をしてみるのです。
まずは観たリスト~

1「のだめカンタービレ最終楽章 前編」武内英樹
2「アバター」ジェームズ・キャメロン(長文)
3「ファーザー、サン」アレクサンドル・ソクーロフ
4「孤独な声」アレクサンドル・ソクーロフ
5「カティンの森」アンジェイ・ワイダ
6「マラドーナ」エミール・クストリッツァ
7「ONE PIECE FILM STRONG WORLD」境宗久
8「巴里の屋根の下」ルネ・クレール
9「悪の神々」ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
10「倫敦から来た男」タル・ベーラ
11「出稼ぎ野郎」ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
12「モン・パリ」ジャック・ドゥミ
13「ロシュフォールの恋人たち」ジャック・ドゥミ
14「ぼくら、20世紀の子供たち」ヴィターリ・カネフスキー
15「あなたは私の婿になる」アン・フレッチャー
16「戦場でワルツを」アリ・フォルマン
17「ひとりで生きる」ヴィターリ・カネフスキー
18「バグダッド・カフェ ニューディレクターズカット」パーシー・アドロン
19「2012」ローランド・エメリッヒ
20「動くな、死ね、甦れ!」ヴィターリ・カネフスキー
21「パイレーツ・ロック」リチャード・カーティス
22「パリ・オペラ座のすべて」フレデリック・ワイズマン
23「千年の祈り」ウェイン・ワン
24「ヴィザージュ」ツァイ・ミンリャン
25「脳内ニューヨーク」チャーリー・カウフマン
26「アニエスの浜辺」アニエス・ヴァルダ
27「空気人形」是枝裕和
28「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」ケニー・オルテガ
29「アンナと過ごした4日間」イエジー・スコリモフスキ
30「シェルブールの雨傘」ジャック・ドゥミ
31「ボヴァリー夫人」アレクサンドル・ソクーロフ
32「地下鉄のザジ」ルイ・マル
33「チチカット・フォーリーズ」フレデリック・ワイズマン
34「パリ・ジュテーム」
35「北の橋」ジャック・リヴェット
36「ポンヌフの恋人」レオス・カラックス
37「トリコロール/赤の愛」クシシュトフ・キェシロフスキ
38「トリコロール/白の愛」クシシュトフ・キェシロフスキ
39「ラストタンゴ・イン・パリ」ベルナルド・ベルトルッチ
40「トリコロール/青の愛」クシシュトフ・キェシロフスキ
41「パリ、恋人たちの2日間」ジュリー・デルピー
42「ドリーマーズ」ベルナルド・ベルトルッチ
43「大いなる幻影」ジャン・ルノワール
44「トップ・ハット」マーク・サンドリッチ
45「ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン」ホウ・シャオシェン
46「オリバー!」キャロル・リード
47「ハリー・ポッターと謎のプリンス」デヴィッド・イェーツ
48「砂時計サナトリウム」ヴォイチェフ・J・ハス
49「アマルフィ 女神の報酬」西谷弘
50「淀川長治物語・神戸篇 サイナラ」大林宣彦
51「バーダー・マインホフ 理想の果てに」ウリ・エデル
52「不安が不安」ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
53「不安は魂を食いつくす」ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
54「四季を売る男」ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
55「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」トラン・アン・ユン
56「逃げ去る恋」フランソワ・トリュフォー
57「家庭」フランソワ・トリュフォー
58「名探偵コナン 漆黒の追跡者(チェイサー)」山本泰一郎
59「フェルディドゥルケ」もしくは「30の扉の鍵」スコリモフスキ
60「夜霧の恋人たち」フランソワ・トリュフォー
61「アントワーヌとコレット」フランソワ・トリュフォー
62「グラン・トリノ」クリント・イーストウッド
63「あこがれ」フランソワ・トリュフォー再観
64「アイム・ノット・ゼア」トッド・ヘインズ
65「ノーカントリー」コーエン兄弟
66「バーン・アフター・リーディング」コーエン兄弟
67「赤い風船」アルベール・ラモリス
68「白い馬」アルベール・ラモリス
69「エレファント・マン」デヴィッド・リンチ
70「赤い影」ニコラス・ローグ
71「チェンジリング」クリント・イーストウッド
72「挑戦」ゲリン+エヘア+エリセ
73「チェ28歳の革命」スティーヴン・ソダーバーグ
74「チェ39歳別れの手紙」スティーヴン・ソダーバーグ
75「サンライズ」F.W.ムルナウ
76「地球に落ちてきた男」ニコラス・ローグ
77「愛の世紀」ジャン=リュック・ゴダール

ふう。。
毎度言うことですが、ワタシの映画鑑賞スタイルは劇場に足繁く通うというよりは、旧作中心にDVDでというものなので、年間公開作のランキングはできません。
なので、新旧作とりまぜてのmanimani脳内限定ランキングをやって喜ぼうという私的企画です。

そのまえに、どんな年だったかふりかえると・・・
●まず、カネフスキー発見の年だったでしょう。大切な心の映画をまた一つリストに加えることができた。
●それから、DVD-BOXの発売により、トリュフォーのドワネルものを観たね。ゴダールやジャック・タチの反映などを感じつつトリュフォーのもつ寂しい幸福感のようなものを感じました。ジャン=ピエール・レオーについては、他にも「ラストタンゴ・イン・パリ」「ドリーマーズ」そして「ヴィザージュ」で出会うことになる。
●同じくDVDにより、ファスビンダーも何本か。初期、中期のどちらかというと地味なものばかりだが、どれもファスビンダー一流の乾いた毒を含む。
●パリにいったので夏ごろはフランスものを選んで観た。ジュリー・デルピーとか。
●前半は「チェ39歳別れの手紙」によりワタシ的チェ・ゲバラブームが起きた。日記や評伝を読んだ。あっさり一過性ブームに終わる・・・
●「砂時計サナトリウム」ヴォイチェフ・J・ハスと20年ぶりくらいに再会した。スコリモフスキもワイダも新作があり、映画ではないですがカントル関連DVDも入手し、キェシロフスキのトリコロール3部作も鑑賞と、ポーランド勢とも縁があり。
イーストウッド新作2作で健在ぶりに感動。ニコラス・ローグ旧作2本再訪で心のふるさと的感覚を覚える。ワイズマン2本。
●東京フィルメックスで映画祭初参戦。まあ「ヴィザージュ」ツァイ・ミンリャン1本だが。
●邦画は6本だけ?映画らしいのは「空気人形」だけ~

きりがないのです。

さて、ランキングですが、今回は悩むなあ・・・



【ベスト5】
第1位:「アニエスの浜辺」アニエス・ヴァルダ
一番観ていてわくわくしたのはこれかな。題材はとても個人的なものなのに、過去へのアプローチの様々な変奏によって、映画としての普遍性を得ていると思う。ドキュメンタリとだけくくってしまうのは惜しい。「過去」とはなにかという映画。

第2位:「動くな、死ね、甦れ!」ヴィターリ・カネフスキー
文句なく大事な映画の発見。本当は「ひとりで生きる」のほうがグッときたのだけれど、あの作品もこちらがなければ存在しなかったということで。ロシア極東で子供であることとは。その境遇にもかかわらず受け継がれる人間的強度。

第3位:「シェルブールの雨傘」ジャック・ドゥミ
映画において全編を台詞を含め歌と音楽で進める野心的な試みは、オペラ作品の映画化などでもみられるのだろうけれど、なかなかに困難な技だろう。この作品でも必ずしもその試みが成功しているとはいえないが、にも関わらず、そうした努力や技巧を超えて、時になり続ける音楽すら聞こえなくなるほどの映画的感動を持つことには成功している。そのことが感動的である。特に泣いたのは、中盤二人の別離シーンで遠ざかる列車とホームに残る彼女の姿のあしらい。

第4位:「グラン・トリノ」クリント・イーストウッド
「チェンジリング」のエンドロールも捨てがたいのだけれど、イーストウッド自身も出演しているしこちらに。一つの価値の全う、というか、全うすることをその一部に含んでいる価値の帰結を描いたという点で、メロドラマとは違う枠組みを示したもので、そういう発想が監督自身の身についている自然なものだとしても、やはりその流されなさには敬意を表せざるを得ないのだ。

第5位:「バグダッド・カフェ ニューディレクターズカット」パーシー・アドロン
悩んだ末にこれに。ことさら優れたとかすばらしいとかは思わないんだけれど、なんだか理屈と違うところで訴えてきたんだよね。泣きゃいいってもんじゃないけど泣かせてくれたし、あの主題歌とともに、観終わったあとの甘酸っぱくも切ない印象は、自分が映画を観始めたころに感じた映画の魅力、その感覚を思い出させるものがあるので。


珍しく新しい映画が2本含まれているな。


【次点のものたち】
と挙げていくとキリがないんですけれど、悩んだものを列挙。
「サンライズ」F.W.ムルナウ
映画はだんだん進歩してよくなっているという考えをあっさり粉砕する黎明期の完成作。路面電車のシークエンスがすばらしく、それはソクーロフ「ファーザー、サン」とも共鳴する。
「砂時計サナトリウム」ヴォイチェフ・J・ハス
心のふるさと系映画で別格なのだけれど、記憶ではもうちょっと映像的詰込みがあったように思ったのに意外と(記憶比)あっさりしていたので残念、という意識で次点へ。
「アンナと過ごした4日間」イエジー・スコリモフスキ
実によい。次点にする理由は特にない。
「倫敦から来た男」タル・ベーラ
実によい。次点にする理由は特にないが、少し寝てしまったので、興奮をもってはまり込むことができていない。また観たい。
「脳内ニューヨーク」チャーリー・カウフマン
これも好きだなあ。迷宮に入り込む前に彼の生活はほとんど迷宮入りだったんだ。その悲しさ。悲しさを彼なりに受け止めるやりかた。

まだあるけど、このへんで。



【審査員特別賞】
「トップ・ハット」マーク・サンドリッチ
やたらと面白かった。なんども手を叩いて笑った。可笑しいときは手を叩くもんなんだな。ジンジャーとフレッドのダンスもいいしね。

今回は「残念でした賞」はなし。そういう意味ではハズレがほとんどなかったかも。
かわりに、

【別格で賞】←ちょっと昭和臭いネーミングでしょw
「カティンの森」アンジェイ・ワイダ
興味があろうがなかろうが、優れていようがなかろうが、明るかろうが暗かろうが、元気が出ようが出まいが、観ない理由はないというくらい別格なものでした。

****

そんなことでした。ああ、なんだかすごく疲れたぞよ。
今年もゆるゆると観ていきたいです。



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「のだめカンタービレ最終楽章 前編」武内英樹

2010-01-05 22:02:44 | cinema
のだめカンタービレ最終楽章 前編
2009日本
監督:武内英樹
原作:二ノ宮知子
脚本:衛藤凛
撮影:山本英夫
出演:上野樹里、玉木宏 他


ぎゃぽ~っ
のだめファンとしてはやっぱり映画館でね。というわけで家族で観にいきましたとも。

二人の渡欧後、千秋の指揮者コンクールとその後のマルレオケ就任などを軸に、それに刺激されかつ刺激しつつの、のだめのピアノレッスンの挫折と開眼から初リサイタルまでを描く前編。パリとプラハロケというまさに「現地」での観光客的視点も満足させつつの楽しい映画でした。

絵的にはTV版とはことさら違う点はなく、絵に多少は凝っているとはいえ、いずれTV放映されることを前提としたような構図やコマワリや光は、まあ想定内ということで。監督さんもTV畑で演出をやっている方のようですし。撮影は映画の人のようですけど、当然といえば当然で。

劇場で観る意義があるとすれば、それはやはり音のよさでしょうか。特に低域の聞こえはTVで見るのとは大違い。よほどのホームシアター所有者でない限り、あのオーケストラの低弦の響きを味わえる劇場鑑賞はおススメです。ベト7の第4楽章終盤でバスが五度の音程でうなるところとかはやっぱりいいですね~~
そう思うと、あのドラマ、音楽の録音にはすごく気を使ってますよね。
まあ、音楽は所詮ナマじゃないし、TVよりは多少長尺とはいえこま切れであるし・・という向きには劇場鑑賞を強くは勧めませんが・・・

キャストもTVドラマでおなじみの面子で、一人も挿し換わることなくいるのもいいですね。サエコがいないのがちょっと残念。
よくきく話ですが、ジャ○ーズが排除されているのもいいんですよねw。ジャ○ーズ必ずしも悪くないんですけど、なんでもかんでもあのノリではね。

千秋も大分指揮がうまくなってきてw最初の頃のように、いくらなんでもこれでコンクール優勝?という赤面感はなく。(というかこちらが慣れた?)
のだめを筆頭に、役者陣の演奏シーンはほんとによくできていて実際に弾いているようだ。地味だけど黒木君のオーボエを吹く姿が一番迫真だと思う。口の形、楽器を持つ角度、指使い、息遣い、よく研究されている。グッジョブ!
ベッキーのピアノもよかったです。ぶったおれるところもね。

あと、パリはワタシが行ったところばかりが写ってうれしかったですね~。いかに観光地しか行かなかったかww。しかし最初近く、千秋にのだめが噛み付くシーンはたぶんムフタール通りの端っこだと思うんだよね。ワタシが泊まったところの近くで、あそこは観光地じゃないぞ~。

それから、マルレオケの荒廃ぶりの演技と演奏が面白かったw。カフスしかない服の件とかw。役者さんも本気っぽくてよかった。

それと、以前から思っていたのだが、千秋君が感動したときに玉木君はちょっと泣きの演技に入ってしまうところは、どうも原作のイメージと合わない気がする。千秋の感動はもうちょっと崇高な気がするのだ。表現方法をもっと考えた方がいいだろう。と偉そうに。


↓こんなのあるんだね。実はちょっと欲しいかも。
最後は映画だ!ぎゃぼー!!のだめカンタービレ 最終楽章 ロケ地マップ [DVD]

アミューズソフトエンタテインメント

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