Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「シンドラーのリスト」スティーヴン・スピルバーグ

2007-09-16 00:11:23 | cinema
シンドラーのリスト スペシャルエディション

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SCHINDLER'S LIST
1993アメリカ
監督:スティーヴン・スピルバーグ
原作:トーマス・キニーリー
脚本:スティーヴン・ザイリアン
撮影:ヤヌス・カミンスキー
音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:リーアム・ニーソン、ベン・キングズレー、レイフ・ファインズ、キャロライン・グッドオール


特権的視線というのが映画の特権である、というか観客の特権であるならば、その特権をどこまでも行使して他者の視線を、あるいは超越者の視線すらも乗っ取ってみることの醍醐味を味わい尽くせばいい。

と思ってはみるものの、根が小心者なせいか、いざ超越的視線を与えられると、なんだか身の丈にあっていないような、こんなところにきてよかったのワタシ?的なオドオド感に襲われちゃうのですよ。
なんなんですかね~ワタシのこれは。


「シンドラーのリスト」もそんな感じで観てしまった。
ポーランドのゲットーを見ているうちはまだよかったんだけれど、列車がアウシュヴィッツの門をものものしくくぐるあたりでどうも様子がおかしくなり、と思ってたらそのままカメラはどんどん奥へ奥へと突き進んでいってあれよあれよといろいろ見せてくれるではないですか。お~い、いったいどこまでいくんだよお??いくところまでいっちゃうのかぁ?と思ったら、ほんとにあの部屋にカメラは入ってしまうじゃないの!!うひょぉおぁ~~~~

というわけで小心なワタシは肝心の美談?そっちのけで、ひとり戦々恐々盛り上がり盛り下がりしてしまいました。

**

たまたま最近観たポランスキー「戦場のピアニスト」が、同じような時代と状況を扱っている。同じように過酷な状況だし、人はばしばし死ぬし、その描写は同じく生々しいし。でも全体的な印象はかなり違う。
思うにこの違いは、ポランスキーのほうは視線が特権的でない、つまり主人公の視線に限定されていることに由来するのじゃなかろうか。

ちょっとしたシーンだけれど「戦場~」には↓こういうシーンがあって印象的だった。

ワルシャワのゲットーを区画する壁のほころびから、少年がゲットー側に入り込もうとしている。外で食料などを掠め取って帰ってきたのだ。少年が壁の内側に体を半分出しているところに主人公が通りかかる。すると、どうやら壁の外側で少年の下半身がSSに発見されてしまったらしい。少年は突然苦しみだし叫び声を上げ、そしてぐったりしてしまう。

↑このシーンをカメラはあくまで壁の内側からのショットのみで撮るので、観客も壁の外側でなにがあったのか正確に知ることはできない。もどかしくもあるが、反面、主人公の抱いた戦慄をリアルに感じさせることにもなっている。

このシーン、スピルバーグだったらどうしただろうか。
もしかしたら、壁の内側と外側両方のショットをつないでしまうのではなかろうか??

と思うのも、たとえばスピルバーグは「プライベート・ライアン」冒頭の戦闘シーンで、ハンドカメラを駆使して従軍カメラマン的視点を装いながらも、あっさり敵側からビーチを俯瞰するショットも挟み込んでいる。そんな例もあるからなのだ。


味方側/敵側、内側/外側。この境界をどう扱うかがこの2作品の基本的な違いだったように思う。

たぶん事情は「シンドラー~」でも同じ。
「戦場の~」では、アウシュヴィッツ行きの貨車の出発シーンはあるが、到着シーンはない。なぜならそれは主人公が見た/見ていないシーンだから。
でも「シンドラー~」では主人公が見ていない情景もしっかりぐりぐり描かれる。

同じく20世紀視覚化プロジェクトともいうべきこの2作品の違いを、さて、どう考えるべきか??
(と尻切れる。)


好き度:とてもランク付けする気力なし。



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コメント (4)
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