Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「バッハの人生とカンタータ」樋口隆一

2013-12-16 03:00:02 | book
バッハの人生とカンタータ
クリエーター情報なし
春秋社


カンタータを軸にした
バッハの入門書でした。

バッハというと無伴奏バイオリンソナタとかチェロソナタとか
ブランデンブルクとか管弦楽組曲とか
平均律とか
そういうのが入門になることが多いと思うけど、
バッハが後半生に主に取り組んだことになるカンタータから入門するということもありですね。

200曲以上あるカンタータは作曲技法も水準も様々で
深みも美しさもいっそう感じられるその世界を味わわずして
バッハの魅力は語れないとも思いますし
もうそこから入門しちゃうのが最高の体験と、
そういう観点から書く必要を感じて書かれた本ではないかと思いましたです。


バッハの生涯について、カンタータの作曲ということを中心にざっと紹介し、
そのあとそれぞれの作曲時期のカンタータについて歌詞を引きながら内容を紹介し、
マタイとヨハネの受難曲や世俗カンタータについても書かれています。

1日で読めてしまうボリュームなので、
入門には最適と思います。


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「ダイドーとイーニアス」ヘンリー・パーセル/クルレンツィス

2013-12-11 23:14:02 | music
Dido & Aeneas (Dig)
クリエーター情報なし
Alpha Productions



英国の天才作曲家パーセルが唯一残した歌劇。
ということなんですが、

この盤の演奏がすばらしい
というか、ケルトの響きなんですよね。

こういう音で現れてくるのを聴くと
音楽の命というものは生易しく表せるものではないんだなと
痛感します。

とにかく生き生きとした演奏で
感動的です。

指揮はテオドール・クルレンツィス
演奏はアンサンブル・ムジカ・エテルナ
フランスとロシアを中心に活躍しているようですね。
もちろん古楽器使用。
歌もこぶしがきいていてすばらしい。



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「〈第九〉誕生: 1824年のヨーロッパ」ハーヴェイ・サックス

2013-12-07 23:50:06 | book
〈第九〉誕生: 1824年のヨーロッパ
クリエーター情報なし
春秋社


1824年5月7日はベートーヴェンの第九がウィーンで初演された日です。

ベートーヴェンが、あるいは第九が成し遂げたもろもろのこと、
すなわち古典派からロマン派への移行の端緒となったこと、
あるいは貴族の楽しみから人間の精神性を表現するものへと音楽を高めたこと、
そのための表現技法の冒険、
そういったものは、ベートーヴェンだけの営みではなくて、
ヨーロッパ、ドイツ語圏やフランス、イギリス、ロシアなどで同時代的に起こっていた潮流なのだよ。

ということを、第九初演の年周辺のヨーロッパ事情や、
ベートーヴェンをはじめ、バイロン、プーシキン、ドラクロワ、ハイネなど同時代人の業績にふれて
浮き彫りにしたのがこの本の前半。

後半は、第九はなにをわれわれに伝えるのかということを
主に音楽的な観点で考えるのと、
第九のあとの時代に音楽家はどう生きたかを振返ってみるというところ。

第九の誕生の秘話とかそういうことはあまり書かれておらず、
どちらかというと第九を中心に当時のヨーロッパ文化を考えるというほうに重きを置いている感じ。
第九の音楽的な側面を深く知りたいとか
第九成立の事情を詳しく知りたいという人には
ちょっと物足りないかも知れないです。


ただ、第九の分析のところでは歌詞を惜しみなく掲載して曲に迫ろうとする気迫があるし、
ベートーヴェンがなにを考えていたのかも、残された筆談メモなどを丹念に当って引用もしていたりするので、
ちょっと原資料に当った気分になれるかな。

年末に第九を演奏するし、
そうでなくても年末は第九気分な普通のクラシック好きなので、
この時期急いで読みました。

なので少し消化不良。

再読予定。
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「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+ 東浩紀アーカイブス2」東浩紀

2013-12-02 23:11:35 | book
サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+ 東浩紀アーカイブス2 (河出文庫)
クリエーター情報なし
河出書房新社



サイバースペースが「空間」として仮想されるのはなぜか。
ということについて、哲学的、精神分析的な知見から丁寧に解題して、
その認識が、現代が人間のあり方において転換期にあることを示すものであるのでは?
との見解を表明する。

という本でした。

主にフロイト、ラカン、ジジェク、ハイデガー、デリダ、ベンヤミンなどを参照しながら
現代思想ちっくな文体で進んでいくのだけど、
論点は明確。

「大きな物語」が消え、ラカンの理論にある象徴界の機能が弱体化したのが現代、あるいはポストモダン。
しかし人間は象徴界=シンボルの世界なくしては主体となることができない。
そこに登場するのがコンピュータとネットワーク。1960年代の終わりから70年代以降。
GUIの登場を受けて、我々は想像界(見えるもの)の向こう側にあるべき?象徴界(見えないもの)を抱える代わりに、
見えるものを額面通りに(at interface value)受け取り、想像界と象徴界を相互に陥入させ、
シミュラークルに満たされた世界を抱える。
そこに生起する主体はもはや近代的な主体ではなく、
「現前と不在、可視と不可視、現実性と仮想性が相互陥入した「背後なき表面」であ」る。
サイバースペースという概念の出現は、このエピステーメーの変動に裏打ちされているのだ。

ということ。
もちろんこんな簡単には書いてないし、それを裏付ける状況証拠や思想界の成果などを踏まえて、
(GUIをモデルにしつつもそこに現出するのは非視覚的な世界だ、とか目の隠喩の無効化とか)
面白くデリケートな理路をたどるのだが、それを挙げていくと本書と同じことを書かなきゃいけないので、
興味のある方は一読されたし。

後書きで濱野智史氏が書いているように、本書の論考が書かれた90年台半ばから現在に至る間に
「サイバースペース」という概念は衰退していることも含め、本書がどう位置付けられるのかは
議論のあるところかもしれない。

しかし、動物には想像界しかないという精神分析でのの位置づけのひそみを踏まえた『動物化するポストモダン』
(すんません未読です)であるとか、その後を見据えた業績が本書をベースとしつつ存在しているようなので、
そちらも読んだ上で考えてみたい。

まあワタシの考えでなどタカが知れるのだが。

****

という本書の主旨はさておいて、本書の前半では少なからずP.K.ディックの小説に触れているのが、
ワタシ的には大変ヒットである。
ディックの小説が、例えばサイバーパンクの旗手ギブソンに比べるとより本質的にポストモダン的主体を描いていることを論じている。
ディックの小説世界では、主体の主体性?が撹乱される面白さがあるのだが、
それは想像界と象徴界の境界が曖昧になる「不気味なもの」(フロイト)の導入(とそのポップ化)や、
統合失調的な多層的主体の登場などにより表象されており、
そこでの主体のあり方は「サイバースペース」概念に象徴される現代の我々のあり方と符合する。
(ということだと思う)

色々なディック論を読んできたが、これほど核心をついたものにはなかなか出会えないという印象だ。

ディックについても、他にも70年代のカリフォルニア文化との関わりとか、よく言われる双子の妹の話とか、
例の神秘体験のこととか広く触れられていて、面白い。

ということで、ワタシは標題の問いよりはむしろ優れたディック論として楽しく読んじゃった感があるです。

これを機に『ヴァリス』なども再読してみたい気満々である。



蛇足ながら『ヴァリス』『ティモシーアーチャーの転生』『聖なる侵入』などの核心作が現在入手困難なのはなんとかなって欲しいところです。
これまで時折ディックブームが巻き起こってきたので、ここらでまた起きないかな。

【追記】
なんて言ってたら、なんとハヤカワからヴァリス3部作の新訳刊行だそうですよ。祝!
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