Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「ブレードランナー究極読本」別冊映画秘宝

2017-11-27 01:57:30 | book
別冊映画秘宝ブレードランナー究極読本&近未来SF映画の世界 (洋泉社MOOK 別冊映画秘宝)
クリエーター情報なし
洋泉社


ブレードランナーのオタク的超高密度本。
これはすごいっすよ^^;

巻頭からもうオタク層をぐっと引き込むのを目的とするような
濃密記事が70ページくらい炸裂し、
「いやもう勘弁してください〜私が話るうございました」
と叫びだしたくなる頃合いを見計らって燦然と現れるのは
「目次」

。。。これまでのは目次の前の序章に過ぎなかったのか//と絶望すら味わえるスゴイ本ですw



まあ実のところは「目次」の後からは、割と平和な論考と
裏話、Tipsが並ぶんで、ちょっとホッとしますが。。。

公式にも5つのバージョンが出ている「ブレードランナー」ですが、
他にも幾つかのバージョンが存在する話とか、

それらをベースに、究極理想のバージョンを構成してみる話とか、
実際にそういう編集版を作って出している海賊版のこととか。

これまたマニアックな経緯で話題となった「サントラ盤」の歴史とか。

撮影時の裏話も多数。




「「ブレードランナー」のタイトルを思いついたのは
プロデューサーのマイケル・デューリーだ」と、初期脚本を書いたファンチャーが
メイキングドキュメンタリー「デンジャラス・デイズ」で発言しているにもかかわらず、
「諸状況から考えて、ファンチャー自身が考えたと思われる。」と断言する論考とか、
本当迫力ある。
すごいよな。


あとは、わかもと製薬の社員にインタビューしている(すごいでしょ!)
とか、
あの「強力わかもと」広告の芸者さんを演じた人のインタビューがあるとか、
ほんと、信頼できるオタクぶりです。



ということで、ファン必読、
大変楽しめる本でございます。


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「主の変容病院・挑発 (スタニスワフ・レムコレクシヨン)」などなど(まだ読んでませんが。。)

2017-07-31 11:25:07 | book
1ヶ月も更新しないのもアレなので、
読む予定のものなどを。。。

主の変容病院・挑発 (スタニスワフ・レムコレクシヨン)
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国書刊行会


国書刊行会のレム・コレクションがいよいよ完結。
「主の変容病院」はレムの処女作なんですね〜

リンク先の解説を読むとこれまたなかなか面白そうじゃないですか。
表題作のほかメタフィクショナルな中短篇5篇を収録。ってことなので
非常に楽しみです。

幾つかの書店では関連フェアをやっているということで、
フェア用の小冊子を配布しています。

ワタシが行った書店では、フェアと言っても非常にこじんまりとした感じで、
棚に新刊が4面くらいの平置きになっていて、
小冊子がひっそりと置いてある、という感じでした。

レム・コレクションは2004年の「ソラリス」が第一回配本でしたので、
苦節13年!てことですね。
時が過ぎるのはあっという間。。

ソラリス
ソラリス (スタニスワフ・レム コレクション)
クリエーター情報なし
国書刊行会


レム・コレクション版がハヤカワから文庫版で出たもの
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)
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早川書房







あと同じ日にこいつも購入
ツイン・ピークス シークレット・ヒストリー
マーク・フロスト
KADOKAWA


あろうことかマーク・フロストによるツインピークス本!
新旧シリーズを通底する事件背景ものということで、
これまた架空の世界設定を補完するメタフィクショナルなやり方で
好みだわ〜


ツインピークスの新シリーズはWOWWOWで放送が始まっておりまして、4話まで見ましたが、
これがもう徹底的にリンチの世界を妥協なく展開してるといった感じで、
これどこまで人気が出るのか??と心配になるレベル。

素晴らしい。。



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「母の記憶に」ケン・リュウ

2017-06-30 03:36:17 | book
母の記憶に (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
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早川書房



ケン・リュウの日本編集短編集の第2弾を読了。

SFらしいガジェット続出のものもあれば、全然SFじゃないものもあるが、
いずれの作品も、設定を突き詰め、そこに生きる人間の心身のありようを生き生きと描き出すという、
良質なSF魂をガッツリと備えていて感動的。

一編毎に深くその世界に入り込み、うーんと唸りながら読む感じで、
ひとつ読み終えた後は余韻から抜け出すまでは次に進めないので、
読むのに時間がかかりました。




『草を結びて環を銜えん』『訴訟師と猿の王』は、清朝成立前夜の揚州大虐殺に材を取った非SF作品だが、
悲惨な運命に散りながらも矜持を失わない、強くしかし儚い市井の人々の姿をありありと描写していて心を動かされる。

辛い状況を描きつつ、中国故事らしい諧謔や幻想をしっかり織り込んであるのもこの2作の魅力で、
ルーツである中国の文化を何らかのスタイルで継承していこうと考えているのだろうと推測される。


アメリカと中国ということでは『万味調和-軍神関羽のアメリカでの物語』(これもSFではないね)で、
二つの文化の出会いをやはりそこに住む人々の心のありようにぐっと迫って描いている。
豊かな細部に満ちた力作で、異文化の衝突の一方で、
特に西部フロンティアを求めるタイプのアメリカ人と、逆境に耐える移民中国人との精神的な親和性を軸に、
共に尊重し共生する姿もあったのだということを、希望を持って伝える感動作。



非SF作品ばかり挙げたが、SFらしい他の作品でも、
儚く散る無名の人々の思いに寄せる姿勢が底流に感じられる。
この基本姿勢は賞嘆すべき点だ。

表題作『母の記憶に』や、作者が自身で重要作と挙げる『残されし者』などでは、
光速に近い移動やいわゆるシンギュラリティといった、我々がまだ手にしていないテクノロジーを得た世界で、
そこにいる人たちがどのような事態に直面し、何を思いどんな行動をするのか、
人のモラルや実存的な事柄がどう揺らぐのかを突き詰めて、優しく苦い人の性を描いている。


帯にあるとおり、卓越した作家と言わざるを得ない。
若いのに大した奴だ。

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「正義から享楽へ 映画は近代の幻を暴く」宮台真司

2017-04-08 02:47:42 | book
正義から享楽へ-映画は近代の幻を暴く-
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垣内出版



宮台真司氏が再開した映画評論集。

巻頭に書かれているように、映画評論というよりは「実存批評」という形式をとり、
一般的な映画批評とは趣が違う。
シネフィルさんは怒るかもしれない。

しかし、映画をツマにして社会学的な世相を切るというばかりではない。
現代の社会学的な様相をよく反映し、あるいは社会の構造への気づきを促すような映画がこのところ増えており、
またそういう映画を観客も求め始めているという状況の読みが、宮台氏を再び映画批評へと駆り立てたという面がある。
そういう期待感を持って、映画製作と映画鑑賞のトレンドとはなにかを考える上でも面白い論考だと思う。

もとより映画愛というよりは、映画の体験が自分に何をもたらしているのかを知りたいタイプのワタシとしては、
こういう批評の方がしっくりくるのです。

映画体験が、自分を含めた社会・パーソンもしくは世界の関係性への気づきを促しているのだとすれば、
そのように受け止め、そのように読む力をこちらもつけておきたいところかと。

***

内容はもう読んでいただく他はなく、下手な要約など恐ろしくて出来ないんだが。。。

いくつかの(二項対立的な)図式が全体の鍵となっているのだけど、例えば、、


黒沢清の作品の多くは、通過儀礼〔離陸→渾沌→着陸〕の3段階を辿る。

離陸する元の大地は、「世界」ならぬ「世界体験」の生、
言語的にプログラムされた社会を自動機械的に生きる受動的な存在である。

そこに事件が起き、渾沌が訪れる。渾沌とは、コミュニケーション可能な世界=社会の外側にある
「世界」の気づき、言語以前のカオス。

主人公たちは渾沌を経て再び社会を、日常を生き始めるが、
それは最初にいた自動機械としての生を生きることはもはや不可能。
渾沌の中に浮かぶ奇跡の筏としての「社会」を、そうと知りながら「なりすまして」生きる存在となる。


大ざっくりこんな感じであるが、このことの意味を、哲学や社会学、
精神分析や文学から宗教から全動員して多面的に説きほぐして、
昨今の社会の右傾化とかトランプ現象とかに繋げていくので、
深いというか、世の様々な事象の繋がりを考えることができる。

とともに、特に黒沢作品などのページでは、例えば渾沌が映画的にどのように
表現・演出されるのかを掘り下げているので、ファンにも結構面白く読まれるのではなかろうか。

もちろん上記のような単純な図式化では終わらないので、読みでがあるし、繰り返し読みたいところです。

しかし紹介が難しい本だな・・・・

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「ファミリー: シャロン・テート殺人事件」エド・サンダース

2017-03-14 00:36:44 | book
文庫 ファミリー上: シャロン・テート殺人事件 (草思社文庫)
エド サンダース
草思社


文庫 ファミリー下: シャロン・テート殺人事件 (草思社文庫)
エド サンダース
草思社


チャールズ・マンソンの「ファミリー」の行状を、
入念な調査に基づき時系列で追った著作の文庫化。

なぜ今文庫化なのかわからないが、もしかすると
先日獄中のマンソンが病状悪化とのニュースが流れたので、それかしら。。

マンソンがまだヒッピー集団のボスになる前の、刑務所入りしていた頃から、
釈放後ヒッピームーブメントのど真ん中で徐々に形成されていく「ファミリー」、
そして無邪気な集団から次第に悪魔的暴力的な思想言動に染まっていく過程を、
ほとんど文学的な解釈抜きで、淡々と時系列で事実列挙していく。

事件や時代に関心のない人には読むのは苦行と思われるほどの
膨大な細部の集積は、
解放的な気運にはち切れんばかりの60年台後半のアメリカ西海岸の
とてつもなく深く救いのない暗黒面をくっきり描き出している。

悪魔崇拝、麻薬、LSD、暴力主義、窃盗、異常な性癖、異常な儀式、
そういう世界にどっぷりはまった人物が、次から次へ
とめどなく現れる。
マンソンだけが異常な犯罪者だったのではない。
マンソンも「彼らのうちのひとり」なのだと痛感せざるをえない。

読んでいて、そういうイカれた連中の話に付き合うのが
ほとほと嫌になる。
いやもう勘弁してくれとw
精神の崇高さを求めることの大切さをひしひしと感じたよ。

もっとも彼ら魑魅魍魎たちも崇高さを人一倍求めていたわけだけど。何が崇高かは人によって驚くほど違うけどな。。。

***

マンソンは基本無教養なのに、耳学問でハッタリかますのに都合のよい事柄をどんどん吸収して、自分の言葉とし、他人に対して飴と鞭を使い分けて人心を搦めとる。

絵に描いたような「カルト教祖力」を持っている。
彼に従う者たちは、どんどん自分で考える力を失い、肥大し錯乱した妄想による様々なルールに進んで参加する。
この心理ゲーム。日本でも例の事件がそっくり同じ道を辿って記憶に新しいわけだけど、なんというか、本当に人間て不完全で恐ろしい。
不完全で恐ろしい性を知ってなんとか自分はそこに陥らない生き方をしようと考える、その契機になるということでは、読んで寒々しい気分になる価値はあるかも。

でも、読む人によっては、これでマンソン英雄視みたいなことになるのかも知れない。
マンソンが、ビートルズの他愛のない戯れ歌に悪魔的な示唆を読み取ったように。

いやー恐ろしい。

***

しかしポランスキーって、なんというか間の悪いところに居合せる人生だよな。

彼はパリ生まれなんだけど、一家はあろうことかナチスがポーランドに侵攻する直前にポーランドに移住してる。

ハリウッドに鳴り物入りで招かれて「ローズマリーの赤ちゃん」ヒットでセレブの仲間入りをして、居を構えたのがこの事件の屋敷だし。

ロバートケネディ暗殺の直前にロバートと会食してたのがポランスキーだし。

そうやって暗いものを呼び込むような資質?が、また彼の映画の作風にあるどこか殺伐とした感触と妙に共鳴するよな。

殺伐とした環境なのに彼自身はなんだかんだ生き延びているところも実に味わい深いじゃないですか。。。

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「狂気の巡礼」ステファン・グラビンスキ 後半読みました

2016-12-29 02:33:17 | book
狂気の巡礼
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国書刊行会


ちょっと前ですが、やっとこさ後半を読み終えました。

本書『狂気の巡礼』は、グラビンスキ生前に発表された二つの短編集(『薔薇の丘にて』『狂気の巡礼』)からの訳出ということですが、後半は『狂気の巡礼』からの8編。

一つ目の『灰色の部屋』は、本書に通底している、場所が孕む魔という主題を根幹にもつ代表作。
前に住んでいたところがどうにもいたたまれなくなった主人公が転居したのだが、どうも新居もなんともやばい感じがしてきた。。と思ったらなんとその新居は・・・・!?
というお話(要約しすぎ)なんですが、話の展開もさることながら、
テーマに関する著者の見解がさりげなく書かれているのではないかしらというような箇所があって、
本文と注釈がごっちゃになっているような印象があるのが面白いです。

長期に住んだ家などに、人間の精神の残滓のようなものが残るということは
比喩としてのみ受け取るべきではない、とか急に書いてある。

場所、というのはつまり家や家具などの無生物なわけで、
無生物に精神エネルギーが浸透して、家主が去った後も残り、
周囲に影響を及ぼす、というのがこの短編集の基調となる薄気味悪さですね。

日本だと地縛霊というニュアンスになりそうですが、
ここではあくまで物に染みこんだ精神なので、
物を撤去してしまうと、精神エネルギーにも居場所がなくなるようです。


2つ目「夜の宿り」もまた、精神の残滓が人の夢に影響を与えるという主題ですが、
この短編の面白さは、全編ほぼ暗闇の描写であることですね。
闇の描写とはすなわち主観のみの世界というか、自分の感覚が生起するイメージだけの世界で、
その描写から夢の描写へのつながりが地続きなところが上手いと思う。

3つ目「兆し」は趣の違う作品。
どうやら恐ろしい事件が起きたのだが、誰もその現場を見ておらず、
読者にもその内容が伝えられないという面白いホラー。
傍観者というか(観ていないから違うか・・)第三者の抱く恐怖心もまた
主題になりうるという、手法的なかっこよさ。

4つ目「チェラヴァの問題」はジキルとハイド風の対照的な人格の話だけど
二重人格ものではない。いや、そうとも言えるけどちょっと違う。
面白いのは、この人格の対照性をネタにしてチェラヴァ氏が稼いでいること。
記憶や思考が両者で共有されていること。
劇的な終焉ののちもそれをネタにするチェラヴァ氏はちょっとしたたか。
精神分析医という存在が神秘と最先端の感覚を人々に与えた時代のもの。

5つ目「サトゥルニン・セクトル」
主に時間をめぐる哲学的な考察、それに精神の交流もしくは分身というテーマが絡んでいる。
繰り返し読みたい小編。やはりどこか埴谷雄高風。ウェルズへのちょっとしたアンサー。

6つ目「大鴉」これも人間の強い思い(というか妄執というか怨念というか)が
事物にとりついているお話。
グラビンスキの好きな、植物が繁茂する負の力場のような裏庭的空間の描写が冴えている。
そういう場所に心惹かれる主人公も定番。

7つ目「煙の集落」は、毛色の違う辺境探検モノ。舞台も北米。
着想がとても奇妙。異文化との出会いがお互い不幸なパターン。
謎の集落の描写が細部にこだわった病的な感じがする。
ドイツの冒険作家カール・マイの影響下にあるという話ですが、
カール・マイといえばあれですよ、シーバーベルクの1976年の映画「カール・マイ」。

そして8つ目「領域」。タイトルは「領域」なのか。う~む???
ワタシはこれが一番怖かった。映画にしたい。トラウマ映画になるだろう。
夜になると敵意を持ってこちらを見つめる人影が・・しかもだんだん増えてくるって。。
そんでもってラストに生まれ出るあれはいったいなに??


後半戦はわりと理知的な怖さを書いているという印象ですが、
最後の「領域」でまた理屈を超えた異様を表現しています。

また、ストーリーの奇想もさることながら、人物の性格設定であるとか、
ちょっとしたシーンの描写が細かく具体的に織り込まれており、
一話ごとの世界を立体的に立ち上らせる感じです。
「チェラヴァ氏の問題」はテレビドラマ化されてるということですが、
確かに映画のカットを想起させる描写にあふれています。


というわけで、グラビンスキ邦訳2冊目でした。
他のものも読みたいので、興味がわいた方はぜひこの「奇跡の巡礼」を購入して、
次の作品への機運を盛り上げてくださるとよいかと思います。

装丁と装画もすばらしいです。


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「狂気の巡礼」ステファン・グラビンスキ

2016-11-12 18:47:58 | book
狂気の巡礼
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国書刊行会


すみませんまだ前半読んだだけですが。。。

実はポーとかラヴクラフトとかあまり読んだことがないので、比較文化的にどういう水準にいるのかはっきりとはわからないのですが、ポーランドのポーと称されるグラビンスキの、日本での本格的なリリース第二弾は、まさにタイトル通り、これは相当狂ってます。
ポーやラヴクラフトもこの水準なんですよということであれば、やはりそちらもちゃんと読んでおくべきでしょう

狂気とはこういうもののことだと深く納得させる短編が次から次へと。
いやーすごい。

特にビビったのは3つ目の「接線に沿って」。
自分の行動や思考の動きと、外部からの影響について、楕円と接線で説明するところが、とにかく狂っている。
主人公の奇矯な行動や死の暗いイメージよりも、その背景にある認知の仕方が、もうイかれているのが恐ろしい。

こういう発想を記述できるグラビンスキ自身も相当恐ろしい。考えて捻って出てくるものなのだろうか。だとしたら作家というのは底知れぬ能力を持っている。

ということで、一編は割と短めなのに読むのにすごく時間をかけてます。頭クラクラするので。


全体を貫くテーマの一つが、場所の持つ狂気の力。催狂気性(と勝手に名付ける)。
「狂気の農園」はそのテーマど真ん中の作品。
心霊スポット的なヤバい場所は、確かにここにいたらマズイという第六感を刺激する。こういう感情は世界共通に持っているんだな我々は。

こういうテーマで世界のアンソロジー作ったら面白いと思う。すでにありそうだけど。

あとワタシの読書体験的に連想するのは、埴谷雄高の「死霊」でしたね。手触りは違うけど、狂い方に通じるものがあると思う。


後半も楽しみです。

芝田さん色々な作品を世に届けてくれてありがとう。


あーあと、装丁が良いですね。
こういう雰囲気の装丁は80年代にも流行った感じです。


こちらも!
動きの悪魔
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国書刊行会
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「23000」ウラジーミル・ソローキン

2016-10-27 01:40:00 | book
23000: 氷三部作3 (氷三部作 3)
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河出書房新社



「氷三部作」の最後「23000」を読みました。

氷による目覚め、選民思想、世界を巻き込む救済を求めた集団の88年に及ぶ活動の終焉が、意外な顛末で描かれる驚きの最終巻でありました。

ある意味無垢な原理と救済が、外面的にも内面的にもカルト的で全体主義的な集団を形成するという、人類史的な洞察を軸に、その外部、誤った世界としての現実の20世紀(と21世紀)の歴史が俯瞰され総括される。そういう総合小説をソローキンは書いたのだと思いました。

当初は現代の即物主義、主知主義への幻滅とそれに対しての魂の回復が色濃く描かれていた三部作ですが、終盤に至り、それまで「光」の兄弟姉妹たちが肉機械と称して唾棄していた「人間」の側のストーリーがやおら立ち上がり、最終的には「光」と「肉機械」の間にいる「死に損ない」が残るという、ある種の和解が示されます。

魂の側にありしかし全体主義的な「光」の兄弟団を勝利させなかったことは、歴史の必然としてそうしなければならなかったとみることが出来ましょう。

一方で、退廃と滅びの「肉機械」の勝利としても描きえない。生き延びるのは、肉でありながら心臓(こころ)の声を感じ取り神と話したいと願う存在であるというところは、調和、和解、第3項にこそ希望は託されるというメッセージを読み取らざるをえません。

「肉機械」の世界で、彼らの世界の中での「和解」を論じる集会が終盤に描かれています。それは希望に彩られてはいるものの前途多難な様相を呈しているわけですが(レーニンの遺体(禿げた肉機械の皮)の処遇ですらまず合意できません)、とにかく20世紀の歴史の後で全肉機械の和解を話すに至った彼らへの、細い細い希望をここに植えつけているのだと思います。

第3項である二人オリガとビョルンは、最後に、神と語る方法を人間界に戻って訊こう、と言います。人間界にまだ残るであろう知恵を、和解の人である彼らが汲み取り、この先を牽引する、そんな希望を感じました。

あろうことかソローキンに、そんなメッセージを読んでいいのかと思わなくもないですが、ワタシはまあこう思いました。

******

三部作を通して多くの人物がそれぞれ一人称で長く物語る場面が多いのだけれど、
そこでの文体の変わり具合がよく訳しわけられていたと思います。
というかロシア語でもそういう文体の違いというのがあるわけで、
その違いを理解できるというところは翻訳者というのはすごいなあと思っちゃうわけです。

特に本作では強烈な文体(モグラ人間とか飛び少女とか)が出てきてすごいです。

あとちょろっとデヴィッド・リンチが登場するところがうれしいのと、
結構日本の風俗をよく知ってるな~と感心する個所もあり。



氷三部作1「ブロの道」の記事はこちら
氷三部作2「氷」の記事はこちら
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「マリー・アントワネット」惣領冬実

2016-10-25 03:11:26 | book
マリー・アントワネット (KCデラックス モーニング)
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講談社


マリー・アントワネットの物語というとやはり
反射的に革命に至る激動の物語を期待するわけだが、
こちらの、ヴェルサイユ宮殿監修による『マリー・アントワネット』は
マリーのお輿入れから宮殿での生活を、
最新の研究成果などを織り込んで描いたもの。

ルイ16世が長身のイケメンで、不器用ながら聡明なところを見せるところや、
マリーが、豪奢に明け暮れ民衆の困窮に無頓着な貴婦人ではなく、
自身の立場に戸惑いながらも状況について考える少女であるところなど、
従来のイメージを覆す要素が満載である。

人物像だけでなく、服飾や宮殿の意匠、宮殿での作法やふるまい、
あるいは輿入れのときの街道の風景などにいたるまで、
徹底した考証が反映されている。

物語としてのインパクトは弱いかもしれないが、
そういう細部に至るまでの史実がぎっしり詰め込まれており、
従来の定説をひっくり返すという点では、
帯に書かれた惹起である「歴史に革命を起こす」という売り文句も
そんなに大げさではないということがじわじわと分かってくる。

ということで、ベルばら世代とか歴女の方とか真実を知りたい人(?)にはおすすめ。

****

日本側の企画かなと思ったんだが、どうも
フランス側からのオファーで出来た作品のようです。
フランスでの「マンガ」受容は、受容第1世代が大人になって、
ざっくりいうと一層の深みを持ち得る段階にあるので、
フランスの出版社などではそこに文化的なチャンスを見出しているということですね。

そういう点では、総領冬実さんの資質はばっちり適任て感じです。
ここまでフランスの文化を具体的に絵として表してくるのは
日本のマンガ文化ならではという感じがします。

巻末の30ページくらいが解説に費やされていて、これも本編理解のためには必読。
あと、関連本で『マリー・アントワネットの嘘』も必読。
こちらには『マリー・アントワネット』制作の経緯や、
最新研究における新事実や、
総領冬実さんと萩尾望都さんの対談などもあり。

マリー・アントワネットの嘘
クリエーター情報なし
講談社



あと、個人的には、冒頭のプチ・トリアノンの建物や風景の描写にムネアツ。
昨年行った時の空気感がよみがえった。

そんでもって、とても大変そうだけど、この路線で続編続々編があるといいなあ。。。
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「氷」ウラジーミル・ソローキン

2016-10-04 02:06:11 | book
氷: 氷三部作2 (氷三部作 2)
ウラジーミル ソローキン
河出書房新社


ソローキン「氷」読了
先に「ブロの道」を読んでいたので、困惑することはなかったが、
第1部はミステリアスな構成

背景を知ることがなかったら、一体何が起きているのか
全くわからないだろうと思う。
その点では、執筆順に「氷」から先に読むのも面白いと思う。
説明なく常識はずれのことが次々起こるのは
タッチとしてはストルガツキーを思い出す感じ。
ストルガツキーよりは整然としているけど。

第2部で一応の種明かしがある。
第2部をさらに詳細に語ったのが「ブロの道」ということになるのかもしれない。
第3部と第4部はちょっとコンセプチュアルな側面。

しかしこの選民思想的なユーフォリア物語はどう収束していくのだろう。
確かに「氷」だけでは不足なのかもしれない。
人間の営みを徹底して異化して蔑んで見せるこの物語、
それは絶望なのか、
人間にはもはやどこにも希望をつなぐ地点などないのだということなのか

金髪碧眼、過剰なまでの同胞愛、他者への徹底した冷淡さ、神話的起源への絶対的信頼
などなどは、むしろ人間の歴史の暗い側面を強く思わせる。
そこにはおいそれと未来の希望を託すことなどできない。
その意味でこれは深い絶望か、恐ろしい全体主義かのどちらかに転んでいく
救いのない小説なのだ。

次の「23000」ではどうなっちゃうのか、恐ろしい・・・

しかし、これを間に受けて小説と現実の区別がつかなくなるヤツがきっと何人かはいると思うと
背筋が凍るよ。
今頃実際に氷のハンマーを作っている金髪碧眼のロシア人が絶対一人か二人いるよなあ・・・


ああ、これは出版は2002年だからもう古いのかもしれないが。

あと金髪碧眼ってところが、少しほっとした
これが東洋人的な特徴を持った奴らだったら、
日本でも妄想に囚われて氷のハンマー作るやつが出るところだ。
今の日本はそういう選民思想的なことはすぐに蔓延するからな。


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「ブロの道」ウラジーミル・ソローキン

2016-09-13 01:44:09 | book
ブロの道: 氷三部作1 (氷三部作 1)
クリエーター情報なし
河出書房新社


ソローキン「氷三部作」の一つ目を読みました。
執筆順では2番目、作品の時系列では1番目ということなので、
悩んだけど『ブロの道』から読み始めることにしました。

一貫して主人公であるアレクサンドル(=ブロ)の視点で語られていて、
語り口も起伏はあるものの重く沈着した感じ。

内容は奇想を孕むものの、小説らしい小説となっていて、
ロシア文壇で批判、論争が起きたというのもよくわかる、
ソローキンらしからぬ作風。

『氷三部作』が「心」への回帰を匂わせる点に対して、ポストモダン的批判が寄せられたのだが、
ソローキンは批判に対して「いつもと異なる方面から自分たちを見るという直感的な試みの一つに過ぎない」と反論し、
また汎テキスト的な視点にある批評家や学者を批判している。

この批判は2つのベクトルを持っているように思う。
ひとつは「作者の死」を前提とするポストモダン的、コンセプチュアル的な方法や観点の閉塞感への挑戦。
もうひとつは、「作者の心」、形而上学的なスタイルへの「回帰」を、あたかも魂を売り渡したかのように捉え
批判を向ける考え方の不自由さの指摘。

ソローキンは実践者として、19世紀的な主観的な方法もまた、
それを否定するコンセプチュアル的な方法と配置できるものとして、
可能性を広げるツールとして用いることで、ポストモダンが新たに提示してきた
「枠」をさらに乗り越えようとしているのだろう。
そのある意味相対主義的な態度が、作品が提示している「心」の文学の「真剣さ」を
疑わしいものにしている、というさらなる批判を生んだとのことだが、
その批判こそがまさに近代的な発想に止まっているということになるだろう。

****

「ブロの道」の中身だが、つい最近たまたま某所で某氏とツングース隕石について
与太話を交わしたところだったので、その偶然に驚いたりしているわけです。
読むべき時に本書を開いちゃった感あり。

某氏とは、ツングースカ川に行ってみたいもんであるとか話したんだが、
ロシア通の彼も現地に行くのは熾烈を極めるだろうと言っていた。
本書前半でもその熾烈な探検の様子が描かれている。
観光地化してくれないかなロシア政府。

中盤からは、宇宙の起源に源を持つ光の一族が同族を探す物語になっていくのだが、
現実的な熾烈さは引っこみ、世界から23000人を探し出すという途方もない企ての割に、
ご都合主義的にとんとん拍子に事が進む感じ。

それも、一族の超越的な視点から、ツングース事件以降のヨーロッパ史を冷徹に俯瞰するという
意図からもたらされたものだろう。
特に途中主人公たちが「心の眼」で世界を見るようになってからは、文体から若干の変化をして、
徹底的に世界を突き放して見るようになる。

普通の人間たちはもはや「肉機械」呼ばわりだし、ドイツ語を話す肉機械の国で、
強烈な思考を持ち人前で大きな声で話すのが好きでたまらない1つの肉機械が権力を握り、
先祖がその国に住んでなかったというだけで他と変わらない肉機械を迫害し始めたみたいな書き方になってくる。
徹底的な俯瞰。

一族にしても、仲間に対する愛は宇宙規模で深いのに、人間たちに対する愛情は欠片もない。
無常で無情の人間の歴史の上に、無情な一族のネットワークレイヤーがかぶさっている。
この先一族は、人間は、どうなっていくのか。次は『氷』を読むよ〜。


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「ゼンデギ」グレッグ・イーガン

2016-07-26 02:36:42 | book
ゼンデギ (ハヤカワ文庫SF)
クリエーター情報なし
早川書房



イーガンの多くの小説の中で既に前提となっているテクノロジーは、演算に人間の意識を移し替えること、
人間は演算で作り出される世界で「生きる」ことができる、というもの。

コンピュータ内に移住するみたいな感じだ。
もしくは自分をアップロードする。

これによって人間はいくらでも長い時間を生きるし、しかるべきデバイスにインストールすることでどこへでも、
どんな遠くでも行くことが出来る。

ということを前提に、イーガンはとてつもなく壮大(でついでに難解w)な物語を提示してきたのだが、
本書「ゼンデギ」は、その前提テクノロジーの黎明期、もしくは誕生のお話。
あるいは誕生前夜。


前提テクノロジーを所与のものとして、壮大で多様な物語を繰り出しているイーガンは、その前提を定番ネタとして活用しつつ、なぜどうやってそれが可能かということについては、触れずにそっとしておいても何の罪もない。
SFというのはむしろ、原理的に「どうやって」が明確でないものを巧妙に感じさせずに前提にすることで、現実の檻を越え、想像の世界に大きく羽ばたくものだと思うのだ。
現にイーガンがそうしたように。

しかし彼はここでその「どうやって」を追求することで小説がひとつ書けることを示した。
それは、アイディアとしてのメタ小説的な試みであるだろうけれど、イーガンを読む上で避けがたく考えることになるモラルの問題(テクノロジーが既存の規範を根底から揺るがす時に我々はなにをどう判断し許容するか)を、小説での振る舞いにも適用したということでもあるだろう。

そのことは、イーガンファンなら何となくさもありなんと好意的にうなづいてしまうような嬉しさを伴うし、ここで展開される「どうやって」は、多くの困難を乗り越えかつ迷い一進一退しつつ進む技術開発の実際のところをよく描いていて、これまた真摯な印象を与える。

テクノロジーの黎明がイランの複雑な政治や生活と絡んで、やはりいつもの技術的なこととモラルの問題にも深く触れるし、その中でのひとりの個人としての思いのようなものもしっかり描くし、要するにいつものイーガン的な感動がしっかり詰まっているので、嬉しいのである。

*****

訳者の山岸さんが巻末に書いているので、読後に再び第一部の第1章を読み返したみたが、いや、まさに、ここには小説の言わんとすることの多くがぎっしり詰まっているではないですか。
読後の読み返しを強くお勧めですね。

ヴァージンプルーンズやザ・レジデンツの扱いに笑っている場合ではない感じですw
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「新カラマーゾフの兄弟」亀山郁夫

2016-06-30 04:04:38 | book
新カラマーゾフの兄弟 上(上・下2巻)
クリエーター情報なし
河出書房新社


新カラマーゾフの兄弟 下(上・下2巻)
クリエーター情報なし
河出書房新社




ロシア文学者亀山郁夫氏の初めての小説ということ。
蓮實重彦氏が例の会見で、「散文の研究者は小説くらい書けるんです」みたいなことを仰っていたと思うが、まさにその言葉を実証するかのよう。

カラマーゾフの深い読みと研究成果が、満遍なく隅々まで練りこまれた面白いミステリー長編です。

まず章立てがカラマーゾフと同じだし。
現代日本に舞台を移した謎解きだけど、人物の名前もいちいちカラマーゾフの登場人物と対照しているし。
話の筋やディテールもかなりカラマーゾフを思わせる造りになっている。

そういう枠組みを使って、現代日本のバブルからオウム以降あたりまでを描いてみせるのだが、そこではカラマーゾフの問題軸、罪と聖性、神秘と理性、罰の受容のようなことが、現代でも立派に成り立つことを示している。

バブル-阪神淡路大震災-オウムと、日本人が狂っていく中で、我々は何を重んじて生きていくべきかという問いと試みが、主人公黒木リョウ=アレクセイ・カラマーゾフの行動や思い、そして終盤の演説で示されるが、それは帝政末期のドストエフスキーの時代における困難さに劣らず、困難で身を削るような試みである。

読者はカラマーゾフと同様にそうした問いを受け止め、真摯に生活の中で答えを求め実践していくのか、あるいは易く悪魔に心を預け生きていくのか、考えて行かねばならないだろう。そういう恐るべき選択を迫る小説になっているだろう。

**

しかし、盛り込んでますw
よくここまで世の森羅万象を盛り込んだと思わざるをえない。
ひとつひとつの細部に、これはなんなのか、なぜここに出てくるのかを考えたくなる魅力というか、ある面では脈絡のないまでに不思議な挿入が面白い。
列挙したいところだが、それだけで本ができてしまうと思う。


黒木リョウが最後にあのような地位で演説をするのはどうなのか。それは現代日本においては有効なのか?と疑問であったが、リョウは短い期間の後その地位を捨てることにもなり、そこ以外では語る場所がないという閉塞感なのかなとも思う。

倉里=クラソートキンが何をしでかすのかドキドキだったがなぜかフェードアウトしてしまうのもなんだか?であるが、これはカラマーゾフの枠組みを反映しているのであれば、ここまでということなのかもしれない。続編があるのかも??

あと、小説中で本家「カラマーゾフの兄弟」をざっくり要約した物語も披露されるのが可笑しい。
カラマーゾフを下敷きにした小説に、さらに小説内小説でまたカラマーゾフがでてくるのがなんとも刺激的です。


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「カラマーゾフの兄弟」ドストエフスキー亀山訳

2016-04-20 21:58:23 | book
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)
クリエーター情報なし
光文社

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)
クリエーター情報なし
光文社

カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)
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光文社

カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)
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光文社

カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)
クリエーター情報なし
光文社


農奴制が廃止になり地主が徐々に凋落していく
社会主義者が台頭し始める
ロシア国教はヨーロッパのカトリックやプロテスタントの影響を受けながらも傍流の怪しげな宗派を擁しつつロシア的な情緒を孕み続ける
民衆はやはり貧しく貴族階級や役人といえど先細る
科学の成果が人々の生活や信念にじわじわと影響を及ぼし始める
合理主義と神秘主義が混交しせめぎ合う

そんな時代の小説であるが、そんな時代のすべてが人物の言動に溢れかえり渦巻いている。
世の中のすべて、人生のすべてを描いしてしまう「全体小説」が時折出現するが
これは19世紀末に現れた全体小説である。

カラマーゾフ家の父と3人の息子たちの愛憎を軸に、当時の民衆や支配層、あるいは先進的な、もしくは過激な層の思想が、様々な人物の口を借り語られるのは圧巻である。

冒頭近くゾシマ長老が語る素朴で伝統的な宗教思想、次兄イワンによる叙事詩「大審問官」に表れる超越的な人間像、長兄ミーチャが折に触れ語る感情と理性が相反し渦巻く特異な倫理観、少年コーリャによる社会主義・科学主義的な宗教否定、そしてゾシマ長老に深く影響を受けながらもそれらの生々流転を受け止めた末の個の原点に回帰するような(我らが)アリョーシャの呼びかけ。
どれもが激動の20世紀を揺るがし、現代もなお我々の存在の有り様に向かって問いかける力を持った問題軸であることに感動せずにはいられない。

ことに、ゾシマ長老が語り、終盤アリョーシャが追認することになる思想は、個人の体験に根ざした愛や善の発露と、それを源泉とする宗教の成り立ちを考えさせる。宗教とは非科学的なことを蒙昧に信じることではない。誰もが宗教の源泉と無関係に愛と善に生きることはない。そのことを最後にアリョーシャは神という言葉をまったく用いずに語りかけるところは圧巻である。

亀山郁夫訳による本書は、全体の章立てに合わせて4巻+エピローグ別巻という構成になっており、エピローグ別巻は、短いエピローグで幕を閉じた後、たっぷり1冊分ドストエフスキーの生涯とカラマーゾフの兄弟解題が仕込まれている。
また、各巻の終わりにも短めの解説があり、全巻により、小説とそれを理解する手がかりをふんだんに読むことができて、大変なお得感である。

****

誤訳問題とかで刊行後色々と苦しい思いをされたそうだが、そのことで本書の魅力はいささかも損なわれていないとワタシは思う。

本当は子供たちに読ませようと思って買ってきたのだが、ヤツらは根気がないので早々に投げ出してしまった。
仕方ないのでワタシの遺産にして、機が熟したら読んでくれることを願おう。
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ジョン・ヴァーリィ「汝、コンピューターの夢 (〈八世界〉全短編1)」

2015-12-06 02:06:03 | book
汝、コンピューターの夢 (〈八世界〉全短編1) (創元SF文庫)
ジョン・ヴァーリイ
東京創元社


ジョン・ヴァーリィ、読みたいかもと思っていたところに
短編集が刊行されたので早速購入。

で、すっごい面白かった^^
70年代を中心に活動した作家なのでネタ的に古めかしいかもと思ってたんですが
全然そんなことはなかったです。
(強いて言えば最後のはちょっとヒッピームーヴメント的なにおいがするかも??)

地球が宇宙からの侵略をうけて人間が月や火星などに散り散りになった世界を舞台にした短編連作なんだけど、面白いのはそれらのあいだに直接のつながりはなくて、場所も時間もばらばらでテーマもばらばら。SF的設定よりもそこで生きる人間たちのふるまいや考えのほうにフォーカスされてる感じなのよね。

それに様々に発展している技術やらガジェットやらが頻出するんだけど、ほとんどそれらについての説明はなくて、当然あるものとして話が進んでいくのよね。

こういう「不親切」な小説は大好きである。

山岸さんのあとがきによれば、「登場人物が電話を使うときにいちいち電話の説明なんかしないだろ?」とジョンは言ったとか言わないとか。(言ったらしい)

***

冒頭の「ピクニック・オン・ニアサイド」は、ヴァーリィのデビュー作だそうだが、
ここでもいきなり「変身」という技術があるらしいということがなんとなくわかる。
彼らは性の転換をかなり気軽に(しかし彼らなりの葛藤は持って)行っているらしい。

性からの解放というか選択の自由というのは、なんとなく60年代70年代的な感じもする。
フェミニズムなどの影響もあるのかもしれない。
アーシュラ・K・ル・グィンにもそういう設定のものがあるし、萩尾望都にも(SFに限らず)ある。
そういう転換~解放は、これから来るいろいろな奇想を受け入れるための準備運動としては最適かもしれない。
既成の概念にとらわれてはいけないのだということで。

それと、そもそも「ニアサイド」てなに?ということだけど、対する言葉として「ファーサイド」ってのが出てきて、
これは「うら側」ということ。
で、どうやら「ニアサイド」は表側で、地球に近いほう。
つまりこれは月が舞台なのね?とわかってくるのよね。

あと、ほかの作品にも頻出するのがセックスのこと。
彼らは性転換などを絡めつつややこしくしかし気軽にセックスをする。それもとても幸せそうだ。おそらくはセックスが生殖とは切り離されたものになっているのだろう。このへんも70年代の香りがする。

****

あとは、水星では太陽はどう見えてるのかとか、金星の地表はどんな環境かとか、
ブラックホールが近所を通過するとどうなるかとか、SF的な仕掛けが盛りだくさん(で説明はなし)。

ある意味ハードSFなんだろう・

ハードSFといえば、表題作「汝、コンピューターの夢」などで、
脳をコンピューターとつないで「バックアップ」をとり、
本体が死亡した場合はクローンにバックアップをインストールして復活するとか、
意識を動物に落とし込んでしばらく動物として暮らすとか、そういう意識のデジタル化技術が出てくる。
これは後にグレッグ・イーガンなどが所与の技術として採用し、
そこから遠大かつハードなSF世界を構築するところのもので、
現在の豊かなSFの成果の源流となっているだろう。

「汝、コンピューターの夢」はそういうハードSF的な要素に加えて、
今度はディック的な仮想現実、目の前に現れている世界は実は自分の持っている記憶や思考を
コンピューターがくみ取って現前させているものであり、
その気になれば気に入らないやつを消してしまったり、時間を元に戻したりできちゃうという、
なにやらおかしな世界を描いてもいる。

「ユービック」的な、奇妙でコミカルな短編だ。

******

ほかには、金星の辺境を訪ねるふたり(火星の人と金星の人)が困難を乗り越えながらこころを通わせる「鉢の底」や、
クローン+意識のバックアップで再生可能となった人間世界における「殺人」の奇妙な怖さと、
芸術家の苦悩を絡めた「カンザスの幽霊」なんかが面白かった。

まあどれもおもしろいんだけど特にね。


第2巻は2月に刊行予定だそうです。
たのしみじゃ。

あとハヤカワからもヴァーリィ短編集が同時期に出てる。
創元SF文庫のほうは「全短編」ということなんでこちらを読んでますが。

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