Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「萩尾望都がいる」長山靖生

2022-07-31 21:44:35 | book

 

「萩尾望都がいる」長山靖生

書店で見かけて購入。
著者についてはまったく知らなかったですが、
とっても同世代。

おそらく結構なマニアな方ではないかと思われ、
本書中にもその熱意はみなぎっている。

ただ、強い思いや考え方、解釈を熱弁するのではなく、
あくまで論証的に、高度な文化としての漫画表現を確立した第一人者として
萩尾望都の偉大さを検証してみせるので、
とても好感が持てる。

というか熱意と論証、主観と客観のバランスが
新書というあまり力まないメディアにふさわしい塩梅で、
同じく萩尾ファンである我々の興味と思いによく響くのがよい感じ。

初期から現在まで、作品を中心に
時代の空気や、作家の家族関係をふまえて
革新的な表現を切り開いていった過程を論じていくので、
作品に親しんだものは「そうそう!」とガクガク頷きながら読み進めるだろう。

*******

目次をみると、萩尾本人がもう最後にしてほしいという趣旨での出版の後なのに

大泉の件にも触れているようで、
これはどうなのかと思ったが、
読んでみると、ここも論証的なアプローチで、
大泉時代がどうだったのかということよりも、
近年「大泉サロン」的な物語化、神話化がぼんやりと進み
それに心地よく飛びつき耽溺しがちな我々読者に、
もっと慎重であれと語りかけるようである。

**

中盤からは特に1作毎の章が設けられ、
(ワタシの大好きな)「スター・レッド」や
(ワタシの大好きな)「訪問者」や
(ワタシの大好きな)「メッシュ」や
(ワタシの大好きな)「銀の三角」や

きりがない

が論じられていて
盛り上がりを禁じ得ない。。

 

ということで、萩尾ファンにはおすすめと思います〜

 

漫画世界最高峰とワタシは思う「訪問者」

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「三体」劉 慈欣

2021-02-01 00:58:10 | book

 

話題の「三体」をようやく読みました。

イーガンなどを読んでいるせいか、
それほど大スケール・奇想天外とは思いませんでしたが、
科学的・論理的な発想を、現実の出来事に具体的に反映して
ありありと描写する手腕がお見事という印象でした。

そもそも「三体問題」を
3つの太陽がある星系だったらどういうことになるか?というのが大元で、
生命にとって過酷すぎる世界と、そこに発展する文明の精神のあり方をよく描写して面白い。

またVRゲーム風に描写するのも優れたアイディアと思いました。
超ロングスケールを手際良く見せるとこができるとともに。
そもそもこのVR世界はなに?という謎を仕込めるし。

活劇的に一番の見せ所と思われるあのナノテクノロジーの恐るべき「応用」も
よく考えられた現実への適用ですね。

 

文革の時代の人の心のありようが、冒頭から通奏低音として人物の行動に現れて、
彼らが、終盤三体世界との衝突をもたらすことになるその原因というか動機として効いてくるのもよいし、
一方で資本主義的価値観の荒廃に苛まれた存在であるエヴァンスとの出会いにより
現実的な展開になっていくのもよい。

 

で、カウントダウンや背景放射の件はどうやってるの?とか、
カウントダウンまで出して予見しているのになんで阻止できないの?というような未回収の謎が残るんで、
おや?と思うんですが、
「三体」は3部作で本書はその第1部ということで、
今第2部を少し読み進めたところですが、ああなるほどということになってきます。

おそらく3部通して読むとすごいことが待っているのではないかしら。

*****

おや?ということでは
おなじみの大森望氏が訳者としてクレジットされていて、
さすがに中国語翻訳は無理なのではと思いますが、
これについても後書きでなるほど〜となります。

第2部は2分冊で邦訳。
第3部の邦訳も待ち遠しいですね。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「移動祝祭日」ヘミングウェイ

2020-11-20 00:33:41 | book

 

 

ヘミングウェイは全然読んでないんですが、
先日ウディ・アレン「ミッドナイト・イン・パリ」を再び観る機会があり、
少しパリ気分で盛り上がり、そういえばヘミングウェイのパリ本があったよね、と思い、
ついに読んでみました。新潮文庫版。

ガートルード・スタインとの交友と確執や
シルヴィア・ビーチの広く深い心意気とか
エズラ・パウンドとの友情とか
フィッツジェラルドとの奇妙に濃密な関わりとか
当時のパリの空気と作家たちの心情とか
なによりも当時の夫人ハドリーの素晴らしい人柄とか
臨場感あふれる筆致でありありと浮かんでくるようです。

もちろん「当時の空気」はワタシ自身には想像するほかないので
ありありと言ってもそう感じられるというだけではありますが、
そういう点でも文学として成功というか、さすがと思いました。
(と世界の大作家に対して思うことかね(笑))

前書きに作家自身が書いているように、書いてないこともいっぱいあるとのことで、
また作家の死後、刊行に際して編集者がかなりカットした部分があり、
パリでの生活がここに立ち上ってくることだけでは済まない、
いろいろなエッセンスに満ちていただろう。
そういうことにも想像を向けながら楽しむ感じでもありました。

書いてあることを額面通り受け取って良いかどうか?
ということについては、訳者の高見浩氏の解説に詳しくあり、
これもとても面白い。

******

という内容はさておいて(おいとくのか!)、
ごく個人的には、
本文冒頭2行目にいきなり「コントルスカルプ広場」と出てきてノックアウト。
2015年にパリに行った時の宿泊先がこの広場に面したアパルトマンだったので、
風景がいきなりありありとなまなましく!

その後も次々と
「カルディナル・ルモワール通り」とか
「通りを下ってアンリ四世校と古いサン・テティエンヌ・デュ・モン教会の前を過ぎ、風の吹き渡るパンテオン広場を通り抜け」・・などなどの描写が現れ、
いやこれ地理わかる〜!と(笑)

どうもパリに関しては完全におのぼりさん体質で、
「パリの〜〜」とかタイトルがつく映画はつい観ちゃうし
エッフェル塔が写っているジャケットのCDはつい手にとってしまうw

というわけで、冒頭から妙にわかる〜のミーハーエネルギーで
一気に読み進めた感じです。

もちろん当時の雰囲気と今は違うんだろうけどね〜

 

カルディナル・ルモワール近辺は低所得者が住むところということが書かれているが、
今はそんな感じでもないような気もした。
高級な地域とはもちろん雰囲気は全然違って庶民が住んでる感じはしたけれど。

古い通りで庶民的な雰囲気のあるムフタール通りを抜けたところに
コントルスカルプ広場はあって、
噴水のある広場を囲んでカフェなどがある。
夕方になるとみなカフェでそれぞれくつろいでいる
活気があるけれどもやかましくはない小さな広場でした。

 

ヘミングウェイがいたところはここよね。
銘板があるし、「ヘミングウェイの下の旅行代理店」w看板も出てるので。
コントルスカルプ広場からカルディナル・ルモワール通りに入って割とすぐのところ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「自生の夢」飛浩隆

2018-11-19 02:18:49 | book
自生の夢
クリエーター情報なし
河出書房新社


ディック、レム、ストルガツキーあたりをベースに
このところグレッグ・イーガン、テッド・チャン、ケン・リュウって感じであるのだが、
飛浩隆をこの列に並べるべきであったと完全認識した本作。

ということで、ハイレベルな短編ひとつひとつの魅力を紹介したいところではあるが、
何しろ本当にハイレベルなんです。
多層的というか、複数のモチーフが複数のレベルで潜み
響きあい、フィクションからメタフィクションへ、さらにメタレベルへ、と
変奏され共鳴して動いていくという感じなんで、
それらの仕組みをひとつひとつひもといていったりするととてつもない時間と体力を要するんですよ。

なのでここは諦めておく。
最近は諦めることが多い。
その多層的ダイナミック変奏曲をその動きのままに感じられるよう小説にしているんであるから、
それをそのまま感じ取るのが一番良い体験なのだと思うし。
と言い訳しているわけですが、実際これらの小説は優れた音楽と同じ。
論理も情緒も何もかも感覚の表層を通じて全体験として伝えられる。
そういう作品。


とりあえず特に表題作「自生の夢」については、
言語とは思考とは存在とは意識とはとかの
とめどない問題が噴き出してくるんだけれども、
一旦は冒頭の記述を読んで、「ああこれはアレじゃないか・・・・」と天を仰ぐわけです。

「ミツバチのささやき」からこれだけの物語につなげていくのはすごいことだし
なぜ映画の引用なのか、等の疑問にも作品全体で当面の答えを含ませているのも感動的なんですよ。

当然というか「フランケンシュタイン」の持つ問題軸も入り込んでくるのよ。
さらには「白鯨」とか。

引用が面白いということでなく、引用がなぜ行われるかがある意味ではこの物語の骨子の一つでもあるわけ。

で、とりあえずはエリセのDVDボックスを引っ張り出してきて
観るわけです。観ずにはおれないのです。
観るよね〜

で小説中の言語的?災禍が「イマジカ」と呼び習わされているのが
もう最高に可笑しいじゃないですか(笑)



あとは「はるかな響き」
これも素晴らしい。
著者によるあとがきでも触れられてはいないのであまり意識する必要がないのかもしれないが、
これは「2001年宇宙の旅」(の映画)についての優れた解釈でもあり、
むしろそういう観点を映画に与えたということが大変に面白いことなんじゃないかしら。
クラークは怒るかもしれんけど。
アレを観てこういう背景を広げていけるのはホントすごいことだ。


てことで、同時代にこんな作家がいて本当によかったわ。
またこれをネイティヴで読めるというのもラッキーだわ!






コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「シルトの梯子」グレッグ・イーガン

2018-08-06 01:27:06 | book
シルトの梯子 (ハヤカワ文庫SF)
クリエーター情報なし
早川書房


例によって、何が起きているのか2割くらいしかわかっていない感のまま怒涛のエンディングに向かうというスリリングな読書でした(笑)

異空間が侵食するネタは以前にもあったな。。
ええと、
「ルミナス」だ。
それとその続編「暗黒整数」。
いずれも短編。

「ルミナス」の方が、アイディアとしてはより奇想。
というか、凡人の理解を軽く飛び越える。

こちら「シルトの梯子」の方がまだイメージは湧きやすいかも。

と言っても、なんとなくはわかる。イメージはできる。とりあえず前提としては据えることはできる。
が、根本的に何が起きてるのか???
わからん(笑)


というわけで、宇宙に別の宇宙が発生しちゃって、それが光の半分くらいの速度で拡大してくる、
って状況になってはや何世紀もたったあたり。
その拡大を抑えて共存するか、なんとか殲滅してやろうと考えるか、
二つの派閥が対立する世の中で、
解決の糸口を見つけるまでのスリリングな(てかめちゃめちゃ理知的なw)戦いの記録。
なようなそうでないようなw

というハードな知識と思考と技術の展開とともに、
そういう遥かな未来の知性がどんな風なのかとか
あるいはそこでの「反知性」ってどんなのとか、
その時代と環境での、自己の意識や、愛やモラルはどうなっちゃうのか、とか
イーガンが好んで盛り込む要素がふんだんに盛り込まれていて、そこらへんはなんとかわかりやすい雰囲気をもたらしている。


特に理解し難いのは、
あの二人が「あちら側」に越境できた理屈と、
その後何をどうやって「あちら側」世界を「移動して」いるのか。。
ここはまるでわからない。
わからないので、とりあえず擬似的にいまの発想に当てはめて?読み進めることはできる。
それはそれで面白いが、多分本当の面白さにはたどり着いていないんだろうなああああ。

てことで、まるでわからないがめちゃくちゃ面白いという報告でした。
(わからない=つまらないの人には、もう近寄るな!と言っておきますw)

******

イーガンの近作は、前提となるテクノロジーやら設定やらの説明はほぼなく、
そこから説明したんでは一向に本題に入れないんではあるけど(笑)
一層ハードルを上げてきているかもしれない。

「順列都市」から毎度めげながらも諦めずにw
なんだかんだとずっと新作出るたびに読み重ねてきたので、
なんというか、「あの世界」の前提や感覚的なことにはすっと入りやすい体質になっているのだろう。
と今回は特に思いました。
わかってるわけじゃなくて、慣れているという(笑)

人間が完全にソフトウェアというか演算上の存在に移行してしまっていて、
バックアップがあったり、何千年もかけて彼方の星に転送したり、
物理的なボディにインストールして体を得るとか、
それもマイクロだかナノサイズのボディだったりとか
その手の諸々の環境は最早前提なのよね。。。


「ルミナス」収録短編集↓
ひとりっ子 (ハヤカワ文庫SF)
クリエーター情報なし
早川書房


「暗黒整数」収録↓
プランク・ダイヴ (ハヤカワ文庫SF)
クリエーター情報なし
早川書房
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「いま見てはいけない」ダフネ・デュ・モーリア

2018-07-27 00:19:56 | book
いま見てはいけない (デュ・モーリア傑作集) (創元推理文庫)
クリエーター情報なし
東京創元社


ながらく積ん読でありましたデュ・モーリアの短編集ですが、
予想の5倍くらい面白かったです。

表題作はニコラス・ローグ「赤い影」の原作でありまして、
そのことによってワタシはデュ・モーリアの名を意識し始めたわけですが、
同時に「レベッカ」や「鳥」の原作者であるということも知りまして、
その筋の人を惹きつけそうな感はありますな。

と言ってもググった限りにおいてはそれほど映画化が多いというわけでもないようで、
ピンポイントで迫ってきたなあというところでしょうか(笑)

表題作「いま見てはいけない」ですが、映画の雰囲気に結構近い、
主観の揺らぎなのか事実なのかというリアリティの移り変わりを巧みに用いた、
なんというか、素晴らしいノリです。

赤い服とか二人の老婆とか、キャッチーというか
一瞬でイメージを強く刺激するような要素を使うところなど、非常に映画的な印象です。

良い方向へと必死に努力するけど結局は全てはそこに通じていた的なオチは、
名前が付いていそうな構成ですが、まあ好きですな。

タイトルの由来というか持ってき方も痺れます。


2つ目「真夜中になる前に」もなかなか変なものです。
やや偏屈な芸術家肌の教師がバカンス先でさらに変な怪しい人々と関わり、
オレは絶対こいつらとは関わらんと強く思いながら自分から深みにはまるノリが、
人間のヤバさを汲み取っていて最高(最悪w)

その闇から滲み出るような細部、古代遺物の意匠とか、
夜の闇の海からやってくる「奥方」の気配とか、怪しい飲み物とかが豊かに全編を彩っている。


3つ目「ボーダーライン」の主題はこれまた危険。
両親と自分の出自の秘密の暴露に、近親相姦的な要素とアイルランドの問題が絡まっている。
秘密が最後に劇的に明らかになる経緯に、主人公が女優であることが密接に関わるのも上手い。

原題の「A borderline- case」は「境界例」のことだろうか。
ほかに単に「どっちつかずのケース」という意味でも用いるらしいが、どちらも内容とははっきりと呼応はしない感じ。


4つ目「十字架の道」は、毛色の異なる群像劇。
ミステリアスな要素はあまりないが、さまざまな要素が絶妙に絡まり合って、
それぞれに偏屈な人々の関係がダイナミックに動いていく。
事実は小説よりも奇なりというが、その「奇」を汲み取ってきたようなエピソード群。
群像劇って好きなんだよね。アルトマンとかで映画化したいわー。


5つ目「第六の力」
SF風味のオカルトorオカルト風味のSF。
とんでもないブレイクスルーが起きたと思われるが、その結果や証拠は5分もしないうちに失われる。
大変な秘密が秘密のまま残される。
この感覚。

主人公がここから立ち去ろうと強く決意した刹那に、抗いがたい魅力、興味、職業的習慣?によって
むしろ身も心も「それ」にコミットし始めてしまうあたりが、ほかの作品にも通じる要素。

意思や理性を深層のオブセッションがやすやすと乗り越えてしまう人の業みたいなものを好んでテーマに据える。




というわけで、予想の5倍は面白かったので、ほかの邦訳本も一気買いした次第であります。

ところで本書のカバー絵は、現代日本を代表する(と勝手に思っている)幻想画家浅野信二氏のもので、
大変に相応しい感あり。

個人的に関わりのある人でもあるとともに、
チェンバーロックバンドZYPRESSENの唯一のアルバムのジャケ絵も彼の作。(手前味噌)


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」ピーター・トライアス

2018-05-15 01:02:20 | book
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)
クリエーター情報なし
早川書房


ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 下 (ハヤカワ文庫SF)
クリエーター情報なし
早川書房




ディック「高い城の男」の精神的続編と自称?ということで、
読まずには置けません的なピーター・トライアスの小説。

ディックの設定をほぼベースにした世界で、
「高い城の男」のその後の時代を描いているのだが、
その進化というか変化の方向はなんというか、21世紀日本向き。。。

サイバーパンクの後にゲームやロボットアニメの感覚を取り込んで
なんとなくどこかで見た感じのあるノリで進んでいく。

日系の軍人であり忠誠心もなくはないが、
複雑な出自を持ち、どこか醒めた現実認識を持ち、
無能な側面を発散しながらも一点突破的にやたら優秀な資質もある。
大切なものを守ろうとする気質を持ちながら、クールで諦念とともに笑いながら賭けに挑む。

みたいな、ピントの定まらない人物像をどんと中心に持ってくるあたりも非常に現代的。



てことで、よく考えられた設定や、想像上のテクノロジーが帰結する現実をしっかり描写する腕は大したもんであるが、
まあなんというか、若い作品て感じはしたな。。

いったい何が正義なんだよ?という葛藤はあるが、
そもそも正義とは何なんだ?と考える俺は一体何者なんだ?
みたいなディック的問いの続編ではないと思いました。


読後感がマルドゥックに似ている。。。。



一つだけ具体的な難癖をつけるとすると、、、
昭子さんが「左手はやめろ」っていうところは、
えーと、作者はバイオリンを弾く人ではないんだろうと思いました。
(本当のところは知らん)
左手が最重要みたいな考えは、バイオリニストは抱かないよねえ。。。


エンタメ読書には最適。
楽しくあっという間に読み終える。


↓こちらは銀背の新シリーズ版の同書
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
クリエーター情報なし
早川書房



最近さらにこいつの続編が出たので、そのうち読むです。
(こちらも銀背と文庫の2バージョンで出てますね〜)

本書と著者については
大森望先生によるちゃんとした解説がありますので、
そちらもぜひ。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「高い城の男」P.K.ディック

2018-04-23 23:06:54 | book
高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)
クリエーター情報なし
早川書房


自称ディックファンでありまして、
自宅本棚には「ディック棚」がありまして、
そこももはや溢れ出て増設を要しているだけでなく、
そこにある本のほとんどはちゃんと読んでもいる。

にもかかわらず、ディックの大出世作であり、ヒューゴー賞を受賞し、
一般的にも代表作のトップと評されている本作を、
これまで読んでおりませんでした。

が、最近、いくらなんでもそれではマズかろうと不意に思い、
ついに「ディック棚」から昔購入した本書を引っ張り出したのです。

「ディック棚」としていたおかげで、我が家としては異例なことに、
本書は20秒くらいで発見されました。

しばらく見ないうちにすっかり赤茶けたなーオマエ。。。
と手にとって開いてみると、文字が小さい!w

最近は文庫本も文字が大きくなったのね〜

****

ディックらしいモチーフというかテーマを真ん中に据え、
ディックにしては珍しく破綻がない(笑)のに感心しました。

世の大きな趨勢に翻弄されその内外で
懸命に生きる個人の心のひだやその揺れ動き、
変遷を、絶妙な細部とともに絶妙に掬い取るのが、
ディックの驚くべき能力のひとつだと思うんだけど、
ここでもその力は遺憾無く発揮されていて感動的。

日本の支配層の重鎮である田上の、
立場に基づく行動の裏で武士道的達観と、
ドイツの観念的な悪と、被支配層アメリカの失われつつあるヒューマニズムとの間で揺れ動き引き裂かれる様は見事であるし、
それを筆頭に、人物一人一人が、
立場や出自の上の必然や偶然を受け止めて
行動を決して行く姿がちゃんと描かれている。

歴史改変モノとしての設定の面白さというよりは、
彼らの生き方、思考によって醸し出される思想が本書のメインテーマ。

とはいえ小説なので、
思想が整理され明示されるのではないところがこれまた魅力。

フランクが自身でも確信のないままに無価値と目される現代工芸に道を見出し、
関係者も無価値と一蹴しながらも心動かさせるところや、
「高い城」に住んでいると目される小説内小説の著者が実は無防備に暮らしていること、
そもそも易という手法が人々の行動原理として定着していることなど、
整理すれば意味を見出すことが出来ようが、
ぼんやりとここには何かあると思わせる力場が小説では生まれるのである。

素敵だわ。

ドイツのあり方について、
彼らの善悪が形而上学的なものだというくだりなど、
さりげなく突然本質を掴みに行くところも大変にディック的。

「ドイツ人にとって『善』はあっても、『この善人』とか『あの善人』というものはない。
観念が具象に優先する。それがナチズムの根本的な狂気の正体だ。それが生命にとって致命的なのだ」


日本が過度に好意的に描かれてているとか、
日本のことがわかってないとかいう批判もあるようだが、表面的というか、
そういう類のリアリズムではないということだとワシは思う。



本作の「精神的な続編」と言われる「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」が近年上梓されており、
そちらも楽しく読んだが、
精神的というより現代リアリズム的続編又はサイドストーリーって感じかなと思いましたです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「主の変容病院・挑発」スタニスワフ・レム

2018-03-27 23:44:18 | book
主の変容病院・挑発 (スタニスワフ・レムコレクション)
クリエーター情報なし
国書刊行会


恐ろしく時間をかけて読んだ。

表題作?「主の変容病院」はレムの処女長編ということだが、
全体的に、特に初盤はとても東欧臭い。
(ワタシの中にある東欧のイメージね)

冒頭の墓地のくだり、
葬式。
二癖ある親類、
寄る辺ない主人公の心象
など、
陰りがあり、寒々しく、疎外感があり、
滅びの予感のする描写が続く。

レムはポーランドの作家なのだなあ。。

半ば成り行きで病院に赴任した後、
患者の詩人が登場して皮肉に饒舌に語る内容から、
だんだんレムっぽさが出てくる。

俗な理解を拒み、突き詰めて考え抜くとこういうことになる、という
レム的な考えが、詩人の口から語られる。
詩人と医師との愛憎入り混じる会話からこぼれ落ちる。

中盤からの、外世界との関わりが閉鎖社会の中でどのように影響し
何が起きていくのかの描写は、
これまたありきたりな行動ではなく
それぞれの出自や生い立ちや立場や性格やらすべて踏まえて
必然も偶然も絡んでそれぞれの生存をかけた振る舞いとして
冷徹にしかし心象を推し量るように描かれるのは
さすがである。


ドイツがポーランドに侵攻して、市民に破滅が襲いかからんとしている、その時代の精神状態を、
閉鎖空間で醸成される奇妙な社会と
そこに滲出してくる外部との接触による変化を描くことで
非現実的でありつつも身に迫る緊張を肌感覚的に感じさせる。

手法としては後のレムのSF作品にも通じるところがあるようには思う。
内部は決して整然とはしておらず危うい均衡あるいは流転があるところに、
理解しえない外部との出会いが絶対的な変化を静かに呼び込むのは、
例えば「ソラリス」も同様なテーマを持っていると思う。

でも、そのテーマを描くことをレムが目的として小説を書いていて、
この作品がその萌芽と見るのも少し違うような気もする。

そのテーマを追求することで、レムは「何を」伝えたかったのか。
あるいは、「なぜ」レムはそれをテーマとしたのか、
その中身というか動機の一部が、この小説には直接的に刻まれているように思う。

萌芽ではなく、立脚点の一つがここにあった。
ということではないかしら。
後のSF作品の文脈を、この小説に基づく何かとして読み替えていくくらいのことをしても良いのかもしれない。

先日ネットで、レムのホロコースト体験が作品にどういう影響を及ぼしているのかということについて書いたものをちょっと読んだのだが、そういう研究がこれから行われるかもしれない。そしてそれは一つの正解ではないかと思う。




このほかの収録作は、書評などの形を借りた論評なのだが、
これまた実に現在にこそ読まれるべき示唆に富んだ驚くべき内容なんであるが、
力尽きたのでここには書きません。。。
現代人必読みたいな。。


国書刊行会の紹介ページ

祝コレクション完結!
「ソラリス」を読んでから長い年月でした。
よかったよかった。



あーあと、とても映画的な感じがするかも。
映画化しても同じ感じにできるかも。
なんとなく「まぼろしの市街戦」みたいなテイストがあるかも。
ポランスキーとかシュレンドルフとか、あるいはスコリモフスキとかで観て見たい。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「「最前線の映画」を読む」町山智浩

2018-03-22 01:01:58 | book
「最前線の映画」を読む (インターナショナル新書)
クリエーター情報なし
集英社インターナショナル



公開ほやほやの洋画20本を
バシバシ読み解いていく
勢いのある本でした。

新書で20本なので、どれも来るべき長い論考のうちのさわりだけという印象。
物足りないというか、この調子でもっと先が読みたいっ!で感じ。

ある意味今後の考察の予告編でもあるだろう。
まさに予告編を見るような楽しみ方で読むと良いね。
短いながらもそれぞれ密度の濃い調査と考察で、充実してます。



映画に限らないですが、人が時間をかけて突き詰めて作った作品には、
多くの思い、メッセージが詰まるんだな。
それを読み発見し考えるのが映画の楽しみのひとつだわね。

町山氏のスタイルは、映画自体に盛られた情報と映画の外側の情報を縦横に繋ぎ、
作品の思想や訴えを読み取っていくという感じで、
評論というより調査というのがふさわしいかもしれないといつも思う。

作品に表れることだけから考えるべきだとか
監督の私生活とか関係ないだろうとか
いう意見もあるかもしれないが、
ワタシは全然そうは思ってないのでw
裏話も満載な町山氏のノリが結構好きです。


取り上げられているブツはこちら
◆ブレードランナー2049  ◆エイリアン:コヴェナント
◆ワンダーウーマン  ◆セールスマン
◆マンチェスター・バイ・ザ・シー  ◆哭声/コクソン
◆イット・フォローズ  ◆ドント・ブリーズ
◆シンクロナイズドモンスター  ◆ラ・ラ・ランド
◆ダンケルク  ◆サウルの息子
◆LOGAN/ローガン  ◆メッセージ
◆ベイビー・ドライバー  ◆沈黙 –サイレンス-
◆エル ELLE  ◆ルック・オブ・サイレンス
◆アイ・イン・ザ・スカイ  ◆ムーンライト

ヴィルヌーヴさんは2本エントリーですな。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブレードランナー究極読本」別冊映画秘宝

2017-11-27 01:57:30 | book
別冊映画秘宝ブレードランナー究極読本&近未来SF映画の世界 (洋泉社MOOK 別冊映画秘宝)
クリエーター情報なし
洋泉社


ブレードランナーのオタク的超高密度本。
これはすごいっすよ^^;

巻頭からもうオタク層をぐっと引き込むのを目的とするような
濃密記事が70ページくらい炸裂し、
「いやもう勘弁してください〜私が話るうございました」
と叫びだしたくなる頃合いを見計らって燦然と現れるのは
「目次」

。。。これまでのは目次の前の序章に過ぎなかったのか//と絶望すら味わえるスゴイ本ですw



まあ実のところは「目次」の後からは、割と平和な論考と
裏話、Tipsが並ぶんで、ちょっとホッとしますが。。。

公式にも5つのバージョンが出ている「ブレードランナー」ですが、
他にも幾つかのバージョンが存在する話とか、

それらをベースに、究極理想のバージョンを構成してみる話とか、
実際にそういう編集版を作って出している海賊版のこととか。

これまたマニアックな経緯で話題となった「サントラ盤」の歴史とか。

撮影時の裏話も多数。




「「ブレードランナー」のタイトルを思いついたのは
プロデューサーのマイケル・デューリーだ」と、初期脚本を書いたファンチャーが
メイキングドキュメンタリー「デンジャラス・デイズ」で発言しているにもかかわらず、
「諸状況から考えて、ファンチャー自身が考えたと思われる。」と断言する論考とか、
本当迫力ある。
すごいよな。


あとは、わかもと製薬の社員にインタビューしている(すごいでしょ!)
とか、
あの「強力わかもと」広告の芸者さんを演じた人のインタビューがあるとか、
ほんと、信頼できるオタクぶりです。



ということで、ファン必読、
大変楽しめる本でございます。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「主の変容病院・挑発 (スタニスワフ・レムコレクシヨン)」などなど(まだ読んでませんが。。)

2017-07-31 11:25:07 | book
1ヶ月も更新しないのもアレなので、
読む予定のものなどを。。。

主の変容病院・挑発 (スタニスワフ・レムコレクシヨン)
クリエーター情報なし
国書刊行会


国書刊行会のレム・コレクションがいよいよ完結。
「主の変容病院」はレムの処女作なんですね〜

リンク先の解説を読むとこれまたなかなか面白そうじゃないですか。
表題作のほかメタフィクショナルな中短篇5篇を収録。ってことなので
非常に楽しみです。

幾つかの書店では関連フェアをやっているということで、
フェア用の小冊子を配布しています。

ワタシが行った書店では、フェアと言っても非常にこじんまりとした感じで、
棚に新刊が4面くらいの平置きになっていて、
小冊子がひっそりと置いてある、という感じでした。

レム・コレクションは2004年の「ソラリス」が第一回配本でしたので、
苦節13年!てことですね。
時が過ぎるのはあっという間。。

ソラリス
ソラリス (スタニスワフ・レム コレクション)
クリエーター情報なし
国書刊行会


レム・コレクション版がハヤカワから文庫版で出たもの
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)
クリエーター情報なし
早川書房







あと同じ日にこいつも購入
ツイン・ピークス シークレット・ヒストリー
マーク・フロスト
KADOKAWA


あろうことかマーク・フロストによるツインピークス本!
新旧シリーズを通底する事件背景ものということで、
これまた架空の世界設定を補完するメタフィクショナルなやり方で
好みだわ〜


ツインピークスの新シリーズはWOWWOWで放送が始まっておりまして、4話まで見ましたが、
これがもう徹底的にリンチの世界を妥協なく展開してるといった感じで、
これどこまで人気が出るのか??と心配になるレベル。

素晴らしい。。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「母の記憶に」ケン・リュウ

2017-06-30 03:36:17 | book
母の記憶に (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
クリエーター情報なし
早川書房



ケン・リュウの日本編集短編集の第2弾を読了。

SFらしいガジェット続出のものもあれば、全然SFじゃないものもあるが、
いずれの作品も、設定を突き詰め、そこに生きる人間の心身のありようを生き生きと描き出すという、
良質なSF魂をガッツリと備えていて感動的。

一編毎に深くその世界に入り込み、うーんと唸りながら読む感じで、
ひとつ読み終えた後は余韻から抜け出すまでは次に進めないので、
読むのに時間がかかりました。




『草を結びて環を銜えん』『訴訟師と猿の王』は、清朝成立前夜の揚州大虐殺に材を取った非SF作品だが、
悲惨な運命に散りながらも矜持を失わない、強くしかし儚い市井の人々の姿をありありと描写していて心を動かされる。

辛い状況を描きつつ、中国故事らしい諧謔や幻想をしっかり織り込んであるのもこの2作の魅力で、
ルーツである中国の文化を何らかのスタイルで継承していこうと考えているのだろうと推測される。


アメリカと中国ということでは『万味調和-軍神関羽のアメリカでの物語』(これもSFではないね)で、
二つの文化の出会いをやはりそこに住む人々の心のありようにぐっと迫って描いている。
豊かな細部に満ちた力作で、異文化の衝突の一方で、
特に西部フロンティアを求めるタイプのアメリカ人と、逆境に耐える移民中国人との精神的な親和性を軸に、
共に尊重し共生する姿もあったのだということを、希望を持って伝える感動作。



非SF作品ばかり挙げたが、SFらしい他の作品でも、
儚く散る無名の人々の思いに寄せる姿勢が底流に感じられる。
この基本姿勢は賞嘆すべき点だ。

表題作『母の記憶に』や、作者が自身で重要作と挙げる『残されし者』などでは、
光速に近い移動やいわゆるシンギュラリティといった、我々がまだ手にしていないテクノロジーを得た世界で、
そこにいる人たちがどのような事態に直面し、何を思いどんな行動をするのか、
人のモラルや実存的な事柄がどう揺らぐのかを突き詰めて、優しく苦い人の性を描いている。


帯にあるとおり、卓越した作家と言わざるを得ない。
若いのに大した奴だ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「正義から享楽へ 映画は近代の幻を暴く」宮台真司

2017-04-08 02:47:42 | book
正義から享楽へ-映画は近代の幻を暴く-
クリエーター情報なし
垣内出版



宮台真司氏が再開した映画評論集。

巻頭に書かれているように、映画評論というよりは「実存批評」という形式をとり、
一般的な映画批評とは趣が違う。
シネフィルさんは怒るかもしれない。

しかし、映画をツマにして社会学的な世相を切るというばかりではない。
現代の社会学的な様相をよく反映し、あるいは社会の構造への気づきを促すような映画がこのところ増えており、
またそういう映画を観客も求め始めているという状況の読みが、宮台氏を再び映画批評へと駆り立てたという面がある。
そういう期待感を持って、映画製作と映画鑑賞のトレンドとはなにかを考える上でも面白い論考だと思う。

もとより映画愛というよりは、映画の体験が自分に何をもたらしているのかを知りたいタイプのワタシとしては、
こういう批評の方がしっくりくるのです。

映画体験が、自分を含めた社会・パーソンもしくは世界の関係性への気づきを促しているのだとすれば、
そのように受け止め、そのように読む力をこちらもつけておきたいところかと。

***

内容はもう読んでいただく他はなく、下手な要約など恐ろしくて出来ないんだが。。。

いくつかの(二項対立的な)図式が全体の鍵となっているのだけど、例えば、、


黒沢清の作品の多くは、通過儀礼〔離陸→渾沌→着陸〕の3段階を辿る。

離陸する元の大地は、「世界」ならぬ「世界体験」の生、
言語的にプログラムされた社会を自動機械的に生きる受動的な存在である。

そこに事件が起き、渾沌が訪れる。渾沌とは、コミュニケーション可能な世界=社会の外側にある
「世界」の気づき、言語以前のカオス。

主人公たちは渾沌を経て再び社会を、日常を生き始めるが、
それは最初にいた自動機械としての生を生きることはもはや不可能。
渾沌の中に浮かぶ奇跡の筏としての「社会」を、そうと知りながら「なりすまして」生きる存在となる。


大ざっくりこんな感じであるが、このことの意味を、哲学や社会学、
精神分析や文学から宗教から全動員して多面的に説きほぐして、
昨今の社会の右傾化とかトランプ現象とかに繋げていくので、
深いというか、世の様々な事象の繋がりを考えることができる。

とともに、特に黒沢作品などのページでは、例えば渾沌が映画的にどのように
表現・演出されるのかを掘り下げているので、ファンにも結構面白く読まれるのではなかろうか。

もちろん上記のような単純な図式化では終わらないので、読みでがあるし、繰り返し読みたいところです。

しかし紹介が難しい本だな・・・・

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ファミリー: シャロン・テート殺人事件」エド・サンダース

2017-03-14 00:36:44 | book
文庫 ファミリー上: シャロン・テート殺人事件 (草思社文庫)
エド サンダース
草思社


文庫 ファミリー下: シャロン・テート殺人事件 (草思社文庫)
エド サンダース
草思社


チャールズ・マンソンの「ファミリー」の行状を、
入念な調査に基づき時系列で追った著作の文庫化。

なぜ今文庫化なのかわからないが、もしかすると
先日獄中のマンソンが病状悪化とのニュースが流れたので、それかしら。。

マンソンがまだヒッピー集団のボスになる前の、刑務所入りしていた頃から、
釈放後ヒッピームーブメントのど真ん中で徐々に形成されていく「ファミリー」、
そして無邪気な集団から次第に悪魔的暴力的な思想言動に染まっていく過程を、
ほとんど文学的な解釈抜きで、淡々と時系列で事実列挙していく。

事件や時代に関心のない人には読むのは苦行と思われるほどの
膨大な細部の集積は、
解放的な気運にはち切れんばかりの60年台後半のアメリカ西海岸の
とてつもなく深く救いのない暗黒面をくっきり描き出している。

悪魔崇拝、麻薬、LSD、暴力主義、窃盗、異常な性癖、異常な儀式、
そういう世界にどっぷりはまった人物が、次から次へ
とめどなく現れる。
マンソンだけが異常な犯罪者だったのではない。
マンソンも「彼らのうちのひとり」なのだと痛感せざるをえない。

読んでいて、そういうイカれた連中の話に付き合うのが
ほとほと嫌になる。
いやもう勘弁してくれとw
精神の崇高さを求めることの大切さをひしひしと感じたよ。

もっとも彼ら魑魅魍魎たちも崇高さを人一倍求めていたわけだけど。何が崇高かは人によって驚くほど違うけどな。。。

***

マンソンは基本無教養なのに、耳学問でハッタリかますのに都合のよい事柄をどんどん吸収して、自分の言葉とし、他人に対して飴と鞭を使い分けて人心を搦めとる。

絵に描いたような「カルト教祖力」を持っている。
彼に従う者たちは、どんどん自分で考える力を失い、肥大し錯乱した妄想による様々なルールに進んで参加する。
この心理ゲーム。日本でも例の事件がそっくり同じ道を辿って記憶に新しいわけだけど、なんというか、本当に人間て不完全で恐ろしい。
不完全で恐ろしい性を知ってなんとか自分はそこに陥らない生き方をしようと考える、その契機になるということでは、読んで寒々しい気分になる価値はあるかも。

でも、読む人によっては、これでマンソン英雄視みたいなことになるのかも知れない。
マンソンが、ビートルズの他愛のない戯れ歌に悪魔的な示唆を読み取ったように。

いやー恐ろしい。

***

しかしポランスキーって、なんというか間の悪いところに居合せる人生だよな。

彼はパリ生まれなんだけど、一家はあろうことかナチスがポーランドに侵攻する直前にポーランドに移住してる。

ハリウッドに鳴り物入りで招かれて「ローズマリーの赤ちゃん」ヒットでセレブの仲間入りをして、居を構えたのがこの事件の屋敷だし。

ロバートケネディ暗殺の直前にロバートと会食してたのがポランスキーだし。

そうやって暗いものを呼び込むような資質?が、また彼の映画の作風にあるどこか殺伐とした感触と妙に共鳴するよな。

殺伐とした環境なのに彼自身はなんだかんだ生き延びているところも実に味わい深いじゃないですか。。。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする