Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「セレステ∞ジェシー」リー・トランド・クリーガー

2013-05-29 23:51:50 | cinema
セレステ∞ジェシーCELESTE AND JESSE FOREVER
2012アメリカ
監督:リー・トランド・クリーガー
製作総指揮:ラシダ・ジョーンズ、ウィル・マコーマック、ケヴィン・フレイクス
脚本:ラシダ・ジョーンズ、ウィル・マコーマック
出演:ラシダ・ジョーンズ、アンディ・サムバーグ、クリス・メッシーナ、アリ・グレイナー、エリック・クリスチャン・オルセン、レベッカ・デイアン、ウィル・マコーマック、イライジャ・ウッド 他


女性1000円の日に観に行ったのも悪いんですけど(いや悪くないけど)、お客さん女子率99%!!な環境で、さすがの女子好きなワタシといえどもなぜかおどおどしてしまうくらいに客席はじょしでうめつくされていたわけですけれども、そして女子のみなさんは女子的環境に気を許したのか上映前はもちろんのこと予告編がはじまってもさわさわさわさわとおしゃべりに余念がなく、それはまあかまわないのでして、しかもそのおしゃべりも予告編が『アンチ・ヴァイラル』になったとたん水を打ったようにしーんとなったという感動的な瞬間を現出するためのものだったと思えばなんの苦もありませんし、本編が始まった瞬間にいっさいの私語がなくなったのはさすがというほかありません。


ということで、一瞬『アンチ・ヴァイラル』にしとけばよかった、などと思ったりもしたこの映画ですが、観てみると実に素晴らしい映画でありました。
アメリカでは4館の限定公開だったものが反響が大きく586館での公開までに拡大したという話ですが、うなずける出来です。
こういうインディペンデント(だと思う)による秀作がぽこっと出てくるのが感動的ですね。

脚本もよく出来ていて、ストーリー的なことだけでなく豊かに細部を彩るアイディアがいっぱいいっぱい詰め込まれている。
(横入りのこととかね)
映画的にも、おお、とうなるシーンがときおりあるし。結婚式のパーティで夜空にあがる花火を観た時はそれだけで泣けたし。

なんでこのふたりはこうなっちゃうんだろう?わざわざこういう設定にするのはなぜだろう?とちょっと思ったけれど、考えたら愛があるのに成就しないということは世の中いくらでもあって、そういう出来事のうちのひとつなんだよなと思うと納得がいきましたね。
みんな不器用で失敗しながら一所懸命なんだよね。

監督も役者もみんな若くて、若者がこういう豊かな映画を作るのだなあと感慨深いものがあり。

****

主演のラシダ・ジョーンズは脚本も書いており(出演しているウィル・マコーマックと共同執筆)たいしたもんである。

と思ってラシダのプロフィールを見ていたら、クインシー・ジョーンズの娘だということで、へーー。
と思ったら、さらに「母親はペギー・リプトン」とある。ペギーといえば誰あろう、ツイン・ピークスのノーマじゃないですか!!ペギーとクインシーが出来ていたとは知らなかったぜ!!

と妙なところでも盛り上がっている次第で。。。(あまり似てないねペギーとラシダ)

それと、ぜーんぜん気がつかなかったけど、セレステの同僚のスコット君はあのイライジャ・ウッドだそうな!!!


あと、たぶんいつもだと思うけど、シネ・クイントは音がでかくていいね。


@シネ・クイント
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「ハートレス」フィリップ・リドリー

2013-05-27 02:14:27 | cinema
ハートレスHEARTLESS
2009イギリス
監督・脚本:フィリップ・リドリー
出演:ジム・スタージェス、クレマンス・ポエジー、ノエル・クラーク、ジョゼフ・マウル、ニキータ・ミストリー 他


ポスト・デヴィッド・リンチといわれるリドリー監督の14年ぶりの新作ということです。

前作を観ていないし何とも言えないですが、まあ、リンチとは大部違いますよね。
違って当たり前なんですけども。
ポストリンチという風に売る必要もないようにも思いますが、こうしてその言葉に惹かれて観に行ったワタシのようなやつもいるので、宣伝としては効果あったということでせうww


いろいろな面でコンプレックスから社会との接点を見いだせない青年が
「悪魔と契約」してそのコンプレックスを取り除いてもらって
しかし見返りにヤバいこともさせられる
という映画なんですけども・・

こういっちゃうとなんだかつまらないもののように見えますが^^;
たしかにつまらないところもありますが、映画としては一応地に足がついたものだったと思いました。
タダの?ホラーサスペンス調ファンタジー(なんだそりゃ)ではない。

それでもラストのパパの言葉がなかったらちょっとあぶなかったかもしれない。
なんだこりゃ?となったかもしれない。
あれで深いところに手が届いたという気がする。


悪魔であるらしいパパ・Bのアジト?(全然隠れ家ではない、公然の建物)はなんてとこでしたっけ?
あそこはジェイミーのパパが暮らしてたところだ、という設定が気になってしょうがない。
パパ・Bは、ジェイミーの亡きパパと対を成すもの、反面というか、そういうものではないだろうか?

パパ・Bと出会うあたりからのあの、ベルのいる世界は、ジェイミーの内面で起こっていることなのだ。たぶん。
というか、現実の出来事に内面での出来事が膜のように重なっている。
あの(かわいい)ティアはちゃんとアザのあるジェイミーを愛していたのだと思うけど、ジェイミーの世界ではそうではない。

ジェイミーは最後には一応反旗を翻して怪しいギャングどもと戦うんだけど、
もともとジェイミーが自分のなかで作り上げた世界で(勝手に)魂を売っちゃったことに対して
自分で反撃するのだから勝利に終わる気がしない^^;
人間じゃないと思ってたギャングどもも、翌朝見るとちゃちなマスクが転がってたりして、ごろつきっぽい兄ちゃんがいたりする。

夢から覚めたジェイミーだけど、結末はちゃちなやつにやられちゃう。


パパの言葉(泣ける)を信じて人の愛を信じきることができなかったジェイミーが
パパや家族やティアの愛に囲まれているにもかかわらず
自分の心の閉塞の打開として悪魔(非パパ)との契約を作り出し
とうとうパパの示した愛の道をゆくことができなかった
というものすごい絶望的な話だと思ったんだけど、
どうだろうね?

街も人も殺伐としていて
そのなかでも暖かく生きようとする人々はいるんだけれど
彼らが挫折してしまうのもまたムリはない、そういう環境なんだろう。
その絶望をギミックとしないで正面から扱おうとしている映画と感じたけどね。

****

なんとなくパパ・Bの風貌がツインピークスのあのボブっぽいので
勝手にパパ・BのBはボブと思って観ていた。


名前忘れたけどジェイミーの甥っ子。跳ねっ返りのガキ。
彼の演技は素晴らしいと思いましたねー
やばいことにまきこまれてるガキの感じ、ホントにヤバいと思っている感じがよく出てた。

特に前半、どうでもいい脅かしの仕掛けがいくつかあるけど、あれはつまらなかったと思う。
もっとさりげなくやっても十分に恐いので、自然にやったほうがよかった。

挿入歌のほとんどを書き下ろしているのかな。
作詞を監督がやっているようだ。


シネスコ


@ヒューマントラストシネマ渋谷



【追記】
同時間にとらねこさんとかえるさんも同じ劇場でこれを観ていたが、
3人とも気がつかず退席。後に判明した(笑)
かえるさんはワタシの前の列、とらねこさんに至ってはワタシのひとつ空いた隣りに座っていたにもかかわらず^^;

あとmigさんもこのとき違う映画を同じ劇場で観ていたそうです。

4個体ニアミス事件。
コメント (2)
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The Threepenny Opera (1954 New York Cast)

2013-05-25 03:50:28 | music
The Threepenny Opera (1954 New York Cast) (Blitzstein Adaptation)
クリエーター情報なし
Decca Broadway


くわしいことが全然わかりまへんが
1954年のブロードウェイでのオリジナルキャストによる録音ということで
ロッテ・レーニャもいます。

ブレヒトとクルト・ヴァイルによるオペラ『三文オペラ』だが、
猥雑なお芝居+高度な音楽という感じがしびれます。

録音はモノラルで音質はわりとよし。
演奏は全体的に速め。
歌はこれも全体的にフェイク多めで、曲によってはステキなメロディが見失われちゃう感も。
歌手によって思い切り崩す人とわりとスコアを守る人とあり。

おおむね雰囲気よし。
もうちょっとのんびりしたところがあってもいいような気がする。

もちろん英詞。




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「クラウド アトラス」ウォシャウスキー+ウォシャウスキー+ティクヴァ

2013-05-19 23:32:47 | cinema
クラウド アトラスCLOUD ATLAS
2012/アメリカ
監督・脚本:ラナ・ウォシャウスキー、トム・ティクヴァ、アンディ・ウォシャウスキー
原作:デイヴィッド・ミッチェル


観たけど、どんどん記憶が薄れていく^^;

自分が頭が悪いのかもしれないが、宣伝にあるように、
複数の物語がなにかに収斂して「いま、<人生の謎>が解けようとしている。」みたいに盛り上がることはなかった。
頭悪いのかな~
よく考えればなにか関連性のあるエピソードたちなのかもしれないが、
ちょっと考えただけでは全然わからん。。

人生の謎なんか別に解けなくてもいいかな、と思って観ると、
それなりに楽しめたんだけどね。

それぞれのエピソードはそれぞれに面白い設定や展開があって、
1本の映画にまとめちゃうのはもったいない。
必然的にどのエピソードもどこか物足りない燃焼しきれない感はあるけれど、
そこはクルクルとエピソード間を渡り歩くのであまり気にならない。
むしろさっきのエピソードはもしかしたらこうなるんじゃないの??とか思いつつ次のエピソードを観るので、
脳は忙しく働いている。

想像力が補っている。
それはそれでよいありかたなのかもしれない。


しかし、原作はどうなっているんだろう?
あまり読む気にならないのでなんとも言いがたいけれど、
こういう物足りなさと関係なさはあるのだろうか?

時代や地域を越えて物語が拡散するときに、
あまりエピソード間に関連がありすぎるのも、なんか白ける感じはする。
結局は輪廻転生で、本人は自覚しないけど世代を越えた意志みたいなものが貫いていて主人公はその意思にあらがえない・・みたいなのは、ありがちでかつ運命論的で観念的でつまらないと思うんだよね。
生まれ変わったけど全然違う人生を歩んで、どうでもいいくだらないところで前世とつながってることがわかるとか
そういう方がリアルな感じがするのよね。

輪廻のリアルってのも変だけどさ。

だからこういう無関係パラレルワールドっていう作りはワタシはよいと思うんだよね。



でも、にしても、なんとなく、もうちょっと関係性をだしてもよかったようにも思うねw
そうしたほうがワクワク感がでるからね。
もうちょっとでいいんで、出してくれないかな。。


***

しいて考えるならば・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いや、やっぱりわからんww

自由のための戦い
巨悪への挑戦
因習からの離脱

そういうなんというかハリウッド的な?価値観を共通して持っているとは思うね。
そこがまたちょっとつまらないとこでもあるんだけどね。



あと、役者さんを使い回しているのが今ひとつ理由が計りかねるです。
あ、これはあの人だとわかる場合もあるけれど、全然わからないくらいに変装?してたりするんで。。
誰かわからないのに使い回す意味とはなにか???


まあペ・ドゥナ観たくて行ったんだけども・・



@渋谷シネパレス



クラウド アトラス ブルーレイ&DVDセット(初回限定生産) [Blu-ray]
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ワーナー・ホーム・ビデオ
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「ポール・マッカートニー&ウイングス/ロック・ショウ MOVIE」観てきました!!

2013-05-18 00:32:53 | music
ポール・マッカートニー&ウイングス/ロック・ショウ MOVIE

1976年に行われたウイングスの全米ツアーから、76年6月10日シアトル・キングドームでのギグを記録したフィルムがこのROCK SHOW。
公開は80年にアメリカ、81年に英国ほか。

日本での公開時には、日本のみのボーナス映像?7曲分が追加されていた。

DVD化されておらず、かつ7曲を含む全長版がソフト化されていなかったROCK SHOWだが、
とうとうBD/DVD化されて発売されるとなったのだ。
そして併せて映画館での上映があるということなので、早速初日にいってきました。

もちろん!例の事情により中止となった幻の80年日本公演のリベンジですよw
ライブ感を味わうには劇場大画面大音響で観たいじゃないですか。

しかも一応ブルーレイ上映ではなくて、映画用に起こしたDCP上映ということだし。


ということで、行ってきました。
堪能してきました2時間25分!

映像はもともと大部ぼやぼやなところがあるので
リマスターとはいえ美しいとまではいきませんでしたが
音の方は若干バランスが悪いところはあるにしても、迫力のサウンドでした。

冒頭Venus & Mars~Rock Show~Jet!!の流れですでに涙腺が緩みつつ
客席にじっと座っていることが苦痛でなりませんでした。

Maybe I'm AmazedとかLive and Let Dieとか名曲を挟みつつ
怒濤の終盤へいくのですが、長時間にも関わらずサウンドに乱れはなく
圧倒的なドライブ感で突き進むステージで、やっぱり若いなあとww

ライブアルバムでは繰り返し聞いていましたが、こうしてあらためて集中して聴いてみると、
バンドとしてのまとまりやサウンドの迫力のスゴさにあらためて気がつき感動的でした。


観た中では特にドラムスのジョー・イングリッシュ君がなかなかのプレイヤー。
左手ハイハット、右手スネアという変則的な叩きかたもかっこいいですが
リズムがまったく乱れない安定したドラムが素晴らしい。
ここにポールやデニーの安定したベースが乗るからサウンドが太くなるんだよね。

あとは、ポールがぴあのを弾く時は主にデニー、時々ジミーがベース弾くんだけど、
この曲のベースはポールじゃなくてデニーだったのか^^;とレコードではわからなかったところも見えて面白かった。
デニーのベースかっこいいじゃないですか^^;ポールに負けてない。

デニーのかっこよさは、ずーっと昔にこのROCK SHOWをVHSで観ていたときにも感じてたんだけど、
今回もそれを堪能。
Time to Hideなんかで全身で歌う姿はもしかしたらポール以上に場を背負っていたかもしれませんね。
ポールの歌はうまい分どこかにまだ余裕があるw




アンコールの終曲Soilyが大迫力で終わったところで客席から拍手。
フィルムの終わりにも拍手。
映画で拍手は久しぶりだな。



ということで、予想以上に楽しめました。
リベンジ世代(笑)にはお勧めです!!
まだやってると思うので。


@TOHOシネマズ六本木


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「リンカーン」スティーヴン・スピルバーグ

2013-05-17 04:13:58 | cinema
リンカーンLINCOLN
2012アメリカ
監督:スティーヴン・スピルバーグ
原作:ドリス・カーンズ・グッドウィン
脚本:トニー・クシュナー
撮影:ヤヌス・カミンスキー
出演:ダニエル・デイ=ルイス、サリー・フィールド、トミー・リー・ジョーンズ、ハル・ホルブルック他


冒頭にスピルバーグがちょっとした口上を述べるのが面白かった。
記憶が曖昧だが、あれは日本での上映に向けたメッセ-ジだったのではないかな。
各国向けにあの前振りをつくっているのかな。

前半はあちこちで議論をして歩いている南北戦争中のリンカーンという感じだと思うんだけど。
言葉がいっぱいで眠くなってしまったのでよく覚えていない。

中盤、奴隷制廃止の法案をどうやって通すか、という策略を練り始めた頃から目が覚めてきて、いくぶんかのユーモアを交えつつも対立正統である民主党の議員にもアタックして賛成票を集めるところなどは面白い。

南軍からの和平密使の存在が知れると奴隷解放を実現せずとも戦争が終結してしまう、ということでワシントンには来させずに留め置いたりする策略も弄する。
実際はもっともっといろいろなことをやっていたのだろう。

急進的な奴隷解放論者であるスティーブンス君(トミー=リー・ジョーンズね)も、最後の最後で局面を読んで、法案成立のために自説を少し曲げてみたりするところも、大人の駆け引きという感じでね。

後半は議会での論戦と採決が場を盛り上げるのだが、そういうスリルとサスペンスなのだよね。
当事者はそれは必死だっただろうけれど、250年くらいの時を経て再現ドラマをみていると、なかなかのエンタテインメント性である。こういうところにスリルを見いだして撮るところはさすがアメリカの映画人というところか。


和平密使が来てるなら奴隷解放などしなくても戦争集結できるじゃないか!という流れに対して、
今の局面だけでなく、子孫のために、人類のためになすべきことをなさなければならないのだと(いうようなことを)声を荒げるところがハイライトだろう。
実際はリンカーンは黒人奴隷に対してはそれほどの使命感を持っていなかったのではという話も史料からうかがえるという話をきいたことはあるが、まあこの映画では、この大きな視野が感動的なのだよね。
我々ももっとささやかではあるけれども、日々の課題をこういう大きな視野で取り組んでいけたらいいだろうな、そうすることで自分が充実し幸せになるだろう、そう思わせてしまうのが、これぞアメリカ映画!!って感じで嬉しくなった。



@TOHOシネマズ日劇



【追記】
もしかして冒頭は南北戦争版「プライヴェート・ライアン(冒頭)」だったらどうしよう??
と友人と話していたのだが、
本当にそうだった(汗)
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ZYPRESSENというバンド

2013-05-16 00:11:41 | music
ZYPRESSENというバンドがありまして
一言で言うならばチェンバーロックバンドということになるんですが、
ドラム/ベース/ギター/キーボードというロックなフォーマットに
さらにバイオリンやチェロ、フルートやクラリネットといった楽器を加えて、
曲調も普通のロックではなく、変則拍子やポリリズムのあるへんな曲が多いです。
(いっぽうで素直な曲もあるんですけど)

ZYPRESSENが出したアルバムは1996年の『ZYPRESSEN』のみ
(他にオムニバスCD2作に参加)

このバンドにはワタクシすた☆も関わっておりまして
権利の問題とかはちょっとおいといて(おいおい)YOUTUBEに上げたりしています。

で、そのうちの1曲がこれですが↓
マスタリングが気に入っていなかったので、勝手にリマスターしてしまった(笑)
音源はマスターテープからではなくCD音源を使っているので、まあ遊びです。

よかったら聴いてみてください
Point Of Compass

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「雪」オルハン・パムク

2013-05-12 15:43:20 | book
雪〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)
オルハン パムク
早川書房

雪〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)
オルハン パムク
早川書房



ノーベル文学賞にふさわしい小説でした。
と同時に、政治や宗教の衝突や貧困などの社会的な問題を扱いながらも、それらの問題や矛盾に鋭く切り込むというよりは、主人公が詩人であることも作用して、どこか別世界の出来事であるかのような、静かに傍観するようなある種の軽みがあるところは、80年代以降の作品だと思わせるものがありました。

政治と宗教に深くコミットして正義を貫くことや、世俗化、民主主義を求めて戦うことだけでは、この世の困難を乗り切るのには足りない、いや、違う道を考えていかないといけない。対立軸を出すことではなく、様々な立場を慮って捉え直して見ること。そういう姿勢に貫かれた小説だっただろう。

作者自身によるとこの小説は「政治的メッセージなき政治小説」ということなので、イデオロギーのための小説ではないと少なくとも作者は位置付けているだろう。

***

主人公であるkaは詩人であって、昔の共産主義的活動によりドイツに亡命していたが、ジャーナリスティックな目的でトルコの辺境の街カルスを訪問する。

はじめはカルスで増えている少女の自殺について、各方面の取材を行うが、その部外者・よそ者的な立場を、地の様々な政治・宗教的勢力に利用されることとなる。

当のkaは、カルスの街にある貧困や言いようのない閉塞感の中で気力を失う一方で、旧知の美女イペキと結ばれることを願うようになる。またドイツでは衰えていた詩想のひらめきが蘇り、次々と詩をしたため始める。

kaは政治的イスラム主義者や、それに対立する世俗主義者に半ばはめられるようにして仲介役を押し付けられるが、kaの行動原理はもはや、いかにしてイペキとこの街を出てドイツで暮らすかということに尽きるようになる。仲介役を引き受けるのも、安全にイペキと街を出られると思うから。

kaが様々な考えの末に至るのは、個人のささやかな幸せを求めるこころである。愛する女性と家庭を持ち、詩作に励むこと。それだけの希望しか持たないkaだが、周囲の策謀はkaの立場を複雑なものにして、ついにはドイツに帰国後に何者かによって射殺されてしまう。



滞在中に何度もkaが見やる雪。そこから得る詩想は、子供の頃の出来事や事物の記憶から書き起こされる。kaは現在の体験もそうした個人的な小宇宙と結びつけて詩的な価値を得る詩人らしく浮世離れした存在である。
そのkaすら、様々な主義主張から見るといろいろ疎ましい存在に見える。イスラムの魂を失った西欧かぶれの世俗主義者、どっちつかずの腰抜け。トルコから逃げ出した臆病者。

個人の思いとは離れていやおうなく対立に巻き込まれてしまう政治や宗教のあり方。その中でのいろいろな立場で生きる人々のあり方。そういったものがこの小説の主題だろう。


****

「群青」の居場所を密告したのはkaなのだろうか。
そこははっきりとは示されないが、状況証拠的には黒。
kaの心情としては密告などしないと思うが、彼が群青と会っていたのはおそらくスナイ・ザイム側には筒抜けだっただろうから、カルスを出る見返りとして群青の居場所を教えるよう迫られたかもしれない。
まさにイペキとこの街を出られるというところなので、かつイペキが群青に惹かれていることへの怒りのようなものもあって、kaは密告してしまったかもしれない。
それは十分あり得るな。


文庫版は新訳。


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「コズモポリス」デヴィッド・クローネンバーグ

2013-05-12 01:57:12 | cinema
コズモポリスCOSMOPOLIS
2012フランス/カナダ
監督・脚本:デヴィッド・クローネンバーグ
原作:ドン・ゲリーロ
撮影:ピーター・サシツキー
音楽:ハワード・ショア



同じような時期に同じくリムジン映画を撮ってしまったクローネンバーグとカラックスの不思議な出会い。
どちらも現代のいわゆる先進国社会で生きることの歪な形を、リムジンという移動する閉鎖空間をベースに外界と内界の境界や因果律が曖昧となる奇妙な生活によって禍々しく彫り出してみせる。

どちらも映画作家としてひと頃の旬でアナーキーな製作期間は終わったとすら目されてしまうような微妙な作風を持ち、特に比較的コンスタントに作品を放つクローネンバーグにおいては前作『危険なメソッド』などにおいて、これが彼の作品?とクエスチョンマークさえ誘発してしまう近年の動向の中で、なおさら「衰退した」印象を抱かせてしまう本作。
この「問題作」でクローネンバーグ映画はどこに向かおうとしているのか?

・・・と書き出してみたのだが、どこへ向かおうとしているのかって、全然わからないw


クローネンバーグの特に初期の作品は、世界あるいは人間の持つ奇形的な側面を、あっけらかんと可視化し、五感に(そう、匂いですら感じさせる)訴える生理的な具現化の実験に費やされてきたと言ってよいと思うのだが、本作はそういう作風ではなく、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』のように、むしろ視覚化されない奇形性についての映画なのだ。


【ここからたぶんネタバレです】


リムジンに乗って町を横断したところにある床屋に向かう主人公エリック君は、
映画中ではほぼずっとリムジンに乗りっぱなしなのだが、
話の中で普段もおそらくはオフィスにこもりっぱなしで、
リムジンかオフィスのどちらかにしかいないと思われる。

そういう環境における「現実」は、外から招き入れるスタッフがもたらす「情報」である。
「情報」を判断し処理することによって巨額の富を得たと思われる主人公は、
現代のある種の人々の生き方をデフォルメした姿なのだ。

大規模なデモ(ほとんど暴徒)がリムジンの外を通り、リムジンにスプレーでラクガキされまくっても、
それは外界の出来事であって、エリック君にはたいした問題ではない。
それより、ときおり車内に呼び寄せられる、常人離れした才能を持っていそうなブレインたちのもたらす、為替の先読みやら相場パターンやらコンピュータシステムのセキュリティやらの抽象的な事柄の方が重要。

あとはセックスも重要みたい。
リムジンを降りる数回のほとんどが女性がらみ。

自分に向けた暗殺の強迫もあまり現実味を感じていないようだ。
(もちろんセキュリティを万全にした上で)



エリック君の受難は、終盤リムジンを降りセキュリティから離れて銃も持たずに閉店後の床屋さんを訪れるあたりからはじまるのだけど、映画的にはこの辺からがらっと雰囲気がかわって、なんというか、面白くなるw
リムジンが車庫に入りエリックが無防備になったところから、エリックの日常にはない体験が始まる。

しかし、これはエリックが殻から出て冒険したり成長したりする物語ではない。
殻から出たとたんに、外界の暗い側面に出会って破滅する(んだと思う)。
そういう点で全く希望のない映画なのだと思う。


***

ジアマッティさんが演じているあの人は、エリックを強迫していたヤツなんだろか?
でもエリック襲撃の最中にタオル顔に巻いてトイレに行ったりはしないと思うんだよね(笑)
たまたまかつての雇い主に出会った、怨念貯め込んだ元従業員ていうことでどうかね?
たまたま出会うというのもありそうにはないけど。


エリックのロバート・パティンソンはなかなかの「クローネンバーグ顔」をしており良い雰囲気だ。

奥さんのエリーズ(サラ・ガドン)はすごい美人さんだし、エリックと同じくらいどこか壊れてる感じが出ててよかったね。巨額の損失の話が出たとたんに「私たちの関係は終わりね」とか言って退場しちゃうし・・

ジュリエット・ビノシュは歳を取ったね、と言いたいがワタシより若干年下である。。。



@新宿武蔵野館
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「アギーレ/神の怒り」ヴェルナー・ヘルツォーク

2013-05-06 01:09:57 | cinema
アギーレ/神の怒りAguirre,der Zorn Gottes
1972西ドイツ
監督・脚本:ヴェルナー・ヘルツォーク
音楽:ポポル・ヴー
出演:クラウス・キンスキー、ルイ・グエッラ、ヘレナ・ロホ、デル・ネグロ、セシリア・リベーラ 他


これまたドキュメンタリーなタッチのヘルツォーク。

険しい山道を行軍するスペイン人の征服者一行。
スゴい数の一群だ。
ほとんど崖のような斜面を細い道を危うげに進む彼らの姿が延々写される冒頭で、この映画が醸すであろう疲労感がこれでもかと予告される。

ほんと疲れる。。

征服者たちは、伝説の都エルドラドを探し求めているのだが、
もういかにも失敗が約束されているかのような不吉な顔立ちの面々なのだ。
そしてその不吉の筆頭にいる顔がもちろん我らがクラウス・キンスキー演じるアギーレ。
密林と河の湿気ムンムンのなか、映画とはこのようにして五感に訴えるのだといわんばかりのうっとうしさがフィルムに収められている。

これを映画と呼ばずしてなんとする?


いや、それはさておき、

アギーレを副官に据えた先遣隊が組織され、1週間で戻るよう命令される。
先遣隊はエルドラドの有無と、先住民の動向を視察する任務があるのだが、
もうこの時点で死亡フラグ立ちまくるw
予想通り不吉な道行きになるのだが・・・

しかし、例えばブアマン『脱出』のように禍々しいスリルでまとめる劇映画にはならないのだ。
実際は反乱を起こしたと言える彼らの、どちらかといえばぱっとしない出来事を、カメラは丹念にというか辛抱強く捉えていく。
どうもこれは反乱に同行したカメラマンによる記録映画なんじゃないか?という錯覚を覚える。

だからどんな神の怒りが降り掛かるのかと思いつつみていると、なんだよアギーレも強がっているだけじゃないかよということで、割と尻つぼみな終幕なのだけれど、それはまあ居間でのんびりDVD観てるから言える感想なわけで、実際に現場暴君の名高いクラウス君がいる現場で、しかも実際にアマゾンロケといういかにも過酷、過酷がフィルムに写っている状態。
これはある意味本当のドキュメンタリー、映画の現場の記録がそのまま映画作品になっているようなものではないのかね。
つまり不運なクルーたちの不運な表情と画面にみなぎる疲労感、これをフィルムににじませるために、過酷な現場を作っちゃったということなのではないだろうかねー

そう考えると、実に涙なくしては観られない映画なのだ。
そして観終わった後には、実在した反逆者アギーレたち一行の体験を想像して、そして同時に撮影隊ご一行様の苦行も想像して、ご愁傷様と思わずにはいられない我々がいることになるわけなのだ。


****

しかし結局のところ、そういう即物的なドキュメンタリータッチでありながらこの映画が主題としたのは、
アギーレの狂気のあり方、狂気が周りに及ぼす力、のようなものに尽きてしまうのではにゃかろうか。

アギーレは極端に支配されることを嫌う。
また同時に誇大妄想的であって、自分がスゴいことを成し遂げるはずだ。そうに決まっている!という変な確信に満ちている。
自分が大将になれる気が到来するや、大将を殺して、果ては国王に対して反乱を宣言する文書までしたためてみたりするし。
自分がエルドラドを発見できると疑わないし、発見の暁にはそこの支配者になることを疑わない。

そういう狂気についていくことは並大抵のことではなく、
10人くらいいたクルーも先住民の矢にやられたり熱病にやられたりアギーレにやられたりしてどんどん数が減っていくのだが、最後まで変わらないのはアギーレの野望と確信なのだ。

この変わらぬ意志の狂気がこのフィルムに焼き付いている。
フィルムが暗転したあとも、アギーレは一人になってもこの確信は揺るがず持ち続けたことは明らかであって、その貫かれる狂気というものがいささかもかわることなく生き続けるフィルムとなっていることが、なにやらぞっとするのだ。

****




@自宅DVD
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「フィツカラルド」ヴェルナー・ヘルツォーク

2013-05-04 02:32:57 | cinema
フィツカラルド Blu-ray [DVD]
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紀伊國屋書店


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フィツカラルドFITZCARRALDO
1982西ドイツ
監督・脚本:ヴェルナー・ヘルツォーク
音楽:ポポル・ヴー
出演:クラウス・キンスキー、クラウディア・カルディナーレ 他


絶対好きだと思っているんだけど何故か観ないできてしまったヘルツォークにようやく手を付ける。

『フィツカラルド』噂通り船が山を越えて、おお~越えた!てな感じですが、
これは実際にアマゾンロケで実際に船を山越えさせてるし、実際に山を切り開いているし、
事実上フィツカラルドの行状のドキュメンタリーだと言ってもあながち間違ってはいないのかも。

いや、まあドキュメンタリーではないのだが、
山越えに手を貸す奥地の原住民のたたずまいといい怪しげな行動といい実に迫真のものがあって、
ドラマ運びにも編集にも劇映画的な技法を凝らそうとは全然思っていない様子もあり、
どちらかというとドキュメンタリーの視線の作家なのだなと思う。

ある意味実際に船を山越えさせる撮影の記録といえそうで、
船を撮るカメラやクルーが写り込んでもあまり驚かないかも知れない。


先日ヘルツォークが撮った登山家のドキュメンタリーを観る機会があったのだけれど、
険しい山肌をゆく登山家の姿などはそういえば『アギーレ/神の怒り』の冒頭の行進とテイストは同じであった。
最近の洞窟3Dもだけど、やっぱりヘルツォークはドキュメンタリーであることを意識しているのかもしれない。
すくなくともこのころは。

*****

クラウディア・カルディナーレがスターだけど、あまり働かない(笑)
彼女がいるマナウスの町だけが妙に劇映画している。
このギャップ。

もの凄い手間をかけて命もかけて、むなしく川巡りをしただけで終わったフィツカラルドたちは、
最後に念願のオペラハウスの前哨戦のようなことをやって
なんとなくこの冒険に終止符を打つのだけど、
これもマナウスの町の作り物めいた空気がそうさせたのだろうか。

スペクタクルから作り物への帰還。

*****

密林と河川ということで『夜の果てへの旅』セリーヌを思い出す。
内容は大部ちがうけれどもやはり19世紀的な誇大妄想的野心の存在が大きな柱となっている。
西洋文明が多くの困難にも関わらず外部へと猛烈に拡大していったそういう時代だったのだろうし、
そういう精神を体現したモデル的な人物には事欠かないのかも知れない。
フィツカラルドのモデルは実在したという話である。

*****

クラウス・キンスキーはここでは、野心と無鉄砲な行動力はあるけれど
そんなにクレイジーではない。
まあ比較的クレイジーではないという程度だけどもw

アギーレの方は結構やばかったけど
あれもそんなにぶっちぎりはしなかったな
(何を期待しているのかw)


@自宅DVD
コメント
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