Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「わたしの叔父さん」フラレ・ピーダセン

2021-04-15 03:10:00 | cinema
恵比寿ガーデンシネマが休館となるので、
最終日に詣でることにし、
その日その時刻に鑑賞できるものということで、これを観ました。

なのでほぼ前知識なし。

印象としては、割とよく知っているヨーロッパの映画という感じで、静かで、ことさら大変なことが起きるわけでもないが、人々の中で確かな変化があるような感じ。

晩年のベルイマンやエルマンノ・オルミのような。

鬱屈して不器用な心を持ち、
日々の暮らしを保つのに時間を割かれ、
世話になった叔父さんの老いという現実もあり。

その中で開かれる世界への興味や憧れ。
未来の展望が心を変えるかと思われたが、
不動の現実の中でとりあえずはまた心を閉ざしていくしかない。

そういうどうにもならない感。
豪胆に傷つけあって枠をはみ出すことは出来ず、
理性的にも感情的にも現状守るべきものを守るしかないという選択をすること。

これがとても現代的なように思えた。
真面目な普通の人がどう生きるか。
おいそれと心を開き羽ばたいていけるものではないという作りは、今は真摯な態度だと思う。

一方で、ミニマムな日常はおそらく大きく変わるのだろうという予感もある。
食卓で世界の窓となっていたTVがとうとう故障して、
やれやれと、ついにあの二人は向かい合って、
会話を始めるだろう。
世界から目を逸らし、
自分たちのことを話し合うだろう。

そういうほのかな予感で終わるのが
よかった。


しかしなんとなく
平穏な社会の中という雰囲気があり、
倒れればちゃんと入院できるし
個人経営の酪農も普通に成り立つようだし
都会にはハイレベルな教育もあるし

例えば日本でこれを撮るなら、
もう少し不安気な作品になっただろうと
思ったり。






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「パリのどこかで、あなたと」セドリック・クラピッシュ

2021-02-15 23:28:51 | cinema
 
(本記事は以前某所に書いたメモをもとに再構成したものです)
 
 
昨年末(2020末)に観に行きました
恵比寿ガーデンシネマ。
 
クラピッシュの新作は
前作「おかえり、ブルゴーニュへ」のキャストを今度はパリの孤独な若者に。
 
ひとりひとりの思いや苦悩や喜びや成長こそが人のメインテーマであって、
妄執を捨て人と会おう的な率直な生のありようを、
全編にさりげなくスッと通してある感じで、このご時世にとても安定した物語。
 
それでいて、発端も解決もその後の展開も全ては途中経過的でエンタメとして提示しない。
想像と可能性の中に開いていくような作り方で、
変な言い方であるが、映画としての「たしなみ」があるのがたいへん好み。
 
タバコの煙をきっかけにとか、猫をきっかけにとか、
バスルームをきっかけにとか、火事をきっかけにとか、
普通の作劇が安易に通りそうな入口をどんどん素通りしていくのは、
物語の帰着がロマンスの花ではなくて、それぞれの問題の解決の糸口を掴むことにあるからだ。
 
その帰着をちゃんと迎えてからの出会いは清々しく、期待に満ち溢れ、
しかもこの後どうなるのかはいっさいわからない。この脚本の根本的な構成が「たしなみ」の最たる現れだろう。
(なんつって)
 
******
 
レミー(フランソワ)が里帰りするくだりは大変印象的。
人はただ若くて苦悩するのではなく、
それぞれに様々な背景が様々な重みをもって否応なしにあり、
そのことこそが人の物語なのだと実感させられる。
 
あのベテランなんだか大丈夫なんだかよくわからないカウンセラーも
レミー(というか患者)が、それぞれが否応なく持つものを
それぞれの言葉によって形にするのをただ待っている。
 
あの姿勢は、この映画の語るものの本質を示しているように思える。
 
故郷の大自然を歩く中で、ふと見遣る小さい教会(だと思った)
あの仕草だけでそこになにかがあるんだろうということを思わせるのが
映画としての信頼を高める。
 
そういえば関係ないけど、フランス映画(と言っていいのかわからんが)には
ああいう里帰りモノが時々あるような気がするんだけどどうかしら。
グザヴィエ・ドランの「たかが世界の終わり」とか。
カトリーヌ・ドヌーヴの出ている「ハッピー・バースデー 家族のいる時間」もそれっぽい。
ジュリー・デルピーの大傑作(と勝手に思っている)「スカイラブ」もまあ里帰りなかんじはする。
 
いやそもそも「おかえり、ブルゴーニュへ」がそうじゃん。
 
「里帰り」は人の何かを覚醒させるのかもしれん。
 
******
 
あとロケーション的には
「パリところどころ」のジャン・ルーシュ「北駅」を思い出す。
すっごく思い出す。
 
*****
 
セドリック・クラピッシュの作品は、まあ普通といえばそうかもしれないが、
結構好きなんです。
 
「スパニッシュ・アパートメント」などの三部作のオドレイ・トトゥは
「アメリ」よりも素敵だし(と思っている)。
 
そんで本作のこの邦題はどうにも誤解モノですが
(どう見たってこの2人の恋愛ものじゃないですかw)、
パリものには「パリ〜」とつけると一定の集客(ワシがその代表)を望めるのであれば、
それはもう許容するしかあるまい。。。
 
2019フランス
監督:セドリック・クラピッシュ
出演:フランソワ・シヴィル、アナ・ジラルド 他
脚本:サンティアゴ・アミゴレーナ、セドリック・クラピッシュ
 
映画『パリのどこかで、あなたと』予告編
 
 
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「三体」劉 慈欣

2021-02-01 00:58:10 | book

 

話題の「三体」をようやく読みました。

イーガンなどを読んでいるせいか、
それほど大スケール・奇想天外とは思いませんでしたが、
科学的・論理的な発想を、現実の出来事に具体的に反映して
ありありと描写する手腕がお見事という印象でした。

そもそも「三体問題」を
3つの太陽がある星系だったらどういうことになるか?というのが大元で、
生命にとって過酷すぎる世界と、そこに発展する文明の精神のあり方をよく描写して面白い。

またVRゲーム風に描写するのも優れたアイディアと思いました。
超ロングスケールを手際良く見せるとこができるとともに。
そもそもこのVR世界はなに?という謎を仕込めるし。

活劇的に一番の見せ所と思われるあのナノテクノロジーの恐るべき「応用」も
よく考えられた現実への適用ですね。

 

文革の時代の人の心のありようが、冒頭から通奏低音として人物の行動に現れて、
彼らが、終盤三体世界との衝突をもたらすことになるその原因というか動機として効いてくるのもよいし、
一方で資本主義的価値観の荒廃に苛まれた存在であるエヴァンスとの出会いにより
現実的な展開になっていくのもよい。

 

で、カウントダウンや背景放射の件はどうやってるの?とか、
カウントダウンまで出して予見しているのになんで阻止できないの?というような未回収の謎が残るんで、
おや?と思うんですが、
「三体」は3部作で本書はその第1部ということで、
今第2部を少し読み進めたところですが、ああなるほどということになってきます。

おそらく3部通して読むとすごいことが待っているのではないかしら。

*****

おや?ということでは
おなじみの大森望氏が訳者としてクレジットされていて、
さすがに中国語翻訳は無理なのではと思いますが、
これについても後書きでなるほど〜となります。

第2部は2分冊で邦訳。
第3部の邦訳も待ち遠しいですね。

 

 

 

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2020年を振り返る~極私的映画ランキング~

2021-01-02 02:27:37 | cinema

2020はコロナイヤーで大変でしたが、
ここでは何事もなかったかのように
恒例の振り返りをやるのです。

例年のことですが、劇場に足繁く通うタイプではないので、
ほぼWOWWOWまたは盤による鑑賞で、しかも旧作多めです。

ランキングもごく私的なお楽しみに過ぎません。
というかタイトルにはランキングとありますが、
ちと面倒になってきたのでw今回もやめて(おい)
昨年同様に適当な所感を乱発して終わる見込みです。。

☆☆☆

さて例によってまずは観た映画を列挙(順不動)

「ドリーマーズ」ベルナルド・ベルトルッチ
「名探偵登場」ロバート・ムーア
「名探偵再登場」ロバート・ムーア
「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」テリー・ギリアム
「ロスト・イン・ラ・マンチャ」
「ブラザーズ・グリム」テリー・ギリアム
「Dr.パルナサスの鏡」テリー・ギリアム
「男と女」クロード・ルルーシュ
「男と女 人生最良の日々」クロード・ルルーシュ
「のだめカンタービレ 最終楽章 前編」武内英樹
「のだめカンタービレ 最終楽章 後編」川村泰祐
「おかえり、ブルゴーニュへ」セドリック・クラピッシュ
STILL LIFE OF MEMORIES(スティル・ライフ・オブ・メモリーズ)」矢崎仁司
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」クエンティン・タランティーノ
「5時から7時までのクレオ」アニエス・ヴァルダ
「天使の入江」ジャック・ドゥミ
「パリはわれらのもの」ジャック・リヴェット
「ぼくの伯父さん」ジャック・タチ
アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい」デニス・ベリー
「女は女である」ジャン=リュック・ゴダール
「パリところどころ」ジャン=リュック・ゴダールほか
「アンナ」ピエール・コラルニック
「復活の日」深作欣二
「ベニスに死す」ルキノ・ヴィスコンティ
「アラビアのロレンス」デヴィッド・リーン
「サクリファイス」アンドレイ・タルコフスキー
「ミッドナイト・イン・パリ」ウディ・アレン
「スパイの妻」黒沢清
「異端の鳥」ヴァーツラフ・マルホウル
「シュルツ 二度目の幼年期」野中剛
「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」ダニエル・ローヘル
「タンゴ ガルデルの亡命」フェルナンド・E・ソラナス
「リアル 完全なる首長竜の日」黒沢清
「攻殻機動隊 新劇場版」黄瀬和哉、野村和也
「パリのどこかで、あなたと」セドリック・クラピッシュ

少なめ〜
しかも劇場に行ったのは多分9本だけ。。。。

****

劇場に行ったものは、やはりこれは駆けつけなければ系のものがほとんどで、
特に今回の特筆モノとすると、
「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」でしょうか。

とうとう出来たんだこれ。。。と
夢が叶った的な喜びとともに、
ずっと続くと思っていた未完の夢がふっと終わったような変な寂寥感が(笑)

しかし映画の出来具合はやはり素晴らしく好みで、
長い歳月での変遷が最終的に最良のところに落ち着いたように感じました。
ジョニーとヴァネッサよりも今回のキャストの方がしっくりくる気がする。。。

******

クロード・ルルーシュ「男と女 人生最良の日々」は、
「男と女」にそんなに思い入れはないんですが、
トランティニャンはじめキャストも監督も当時のメンツがそろってということで
なにやら観ておくべきモノのような予感がしたのです。

やはり素敵な内容になっていましたが、
特にあの海辺のデッキなどが、そのままの風情であることが妙に感動的。
(セットの可能性もないことはないが、
さすがにルルーシュであれをセットで組まないだろうとは思う。
カラックスならともかく。。。)

*****

アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい」も駆けつけ。
日本での劇場公開は権利関係で難しく、
一年限り?の上映とのことで。

アンナに寄り添いアンナのキャリアを辿った
良質の記録となっていて感涙。

その流れで「アンナ」も写真美術館での上映に駆けつけ〜
「アンナ」デジタルリマスター版なので、いつか盤が出るのではと待ち望むのでした。
アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい」とカップリングで出たりしないかしら。

******

フェルナンド・E・ソラナスが亡くなったとのことで
数十年ぶりに「タンゴ ガルデルの亡命」をDVDにて鑑賞。
亡命という事態を底辺に、
パリ社会とアルゼンチン的資質がコンフリクトする
実に刺激的な内容でした。

同時にサントラ盤を引っ張り出してピアソラ関連個人祭を密かに開催。。

*****

新しいモノで話題のものは「スパイの妻」「異端の鳥」
「ザ・バンド〜」くらいかしら。
地味なれどクラピッシュの新作パリのどこかで、あなたと」
もっとよかったです。(邦題はともかく・・)
もうちっと話題になってほしいす。。

***

感想文書いてないものがいっぱいなので、
頑張って書こう(かな・・)

 

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「小さな恋のメロディ」ワリス・フセイン

2020-12-28 01:14:56 | cinema

監督:ワリス・フセイン
出演:マーク・レスター |、ジャック・ワイルド、トレイシー・ハイド ほか
製作:デヴィッド・パットナム、デヴィッド・ヘミングス
原作・脚本:アラン・パーカー
音楽:ビー・ジーズ、CSN&Y


某所に「つまらない映画だがすごい好き」的なことを書いたら
一斉に「つまらなくなんかないぞ!」のお叱りを受けたこの映画。

もちろんつまらないとは思っていなくて、
「題材としては一般的には他愛のない少年少女学園恋愛モノであるので
つまらないと言うこともできるかもしれないがワタシにとってはとても好きな映画なんです」
みたいなことの、言葉が足りなかっただけなのですううう。

という言い訳から始まりまして、

映画を観るようになってすぐの少年の頃に、
小遣いで買うのはもちろん「ぴあ」でありました。
たしかまだあの偉大な表紙絵が始まる少し前に買い始めたと思います。
75年ころからあの及川氏表紙とのことなので、そのころ。

で、ぴあには「ぴあテン」「もあテン」という企画がありまして、
(あれはいつ始まったのだろう?)
当時の「もあテン」に上がっていたもののうち印象に残っているのが

 「2001年宇宙の旅」
 「明日に向って撃て!」
そして
 「小さな恋のメロディ」

でした。

当時はとにかくどこかの映画館で上映してくれるか、
TVでやってくれるか、
しか観る機会はないので、
「もあテン」を見て、みんな(少し大人の人たち)がこんなにまた観たいと思う映画ってどんなんだろう??
と憧れを増幅させていったわけです。

なので、ここに挙がった映画は、そういう個人的な増幅した憧れが
必要以上な思い入れとなって宿っているのだろうと思われ、
冷静に観ることができません(笑)


ということで、必要以上に思い入れのある本作。
リバイバル上映!という日がとうとうやって来て、勇んで映画館に行った、と記憶している。


それがいつだったのか。。
調べてみると1974年、1976年、1978年と、結構リバイバル上映してたんですね。
たぶん76年か78年に観たんだろう。
映画館は全く覚えていないが、銀座・有楽町エリアであることは間違いない。
リバイバルものなのでおそらくニュー東宝シネマ1あたりではないかしら。(懐かしい)

で、ググってみてついでに判明したのが、
76年にTV日曜洋画劇場で放映しているとのこと。
これを観ている可能性も非常に非常に高い(見逃すはずはないw)
(wikipediaに初回放送77年とあるが、当時の新聞切り抜きに基づき76年であると論証しているブログがありました。すごい。)

ということで、例によって、調べるほど記憶のいい加減さが際立つのでありました。

****

映画館で観た前後に、小説版書籍が刊行されておりまする。
もちろんこれも買ったわけですが、
主にこれのおかげで「アラン・パーカー」の名は脳に刻まれたのです。

また映画のパンフも買ったので、メイン出演者3人のほか
パーカーを始めワリス・フセイン、デヴィッド・パットナムの名前も記憶しました。

持っている小説本は、
早川書房から1974年に刊行のものですが、
映画を観る前に買っていたかもしれません。(十分あり得る)
 
1972年に近代映画社から出たのが邦訳として最初のようです。
普通にノヴェライズ本かと思っていましたが、
原作本は70年刊行のようで、パットナムの個人的体験をベースにしているとのことで、
かつ脚本(というか映画の内容)はビー・ジーズのいくつかの既成曲を前提に
その歌詞などからの着想もふんだんに盛り込まれているということなので、
映画脚本と同時に小説も進められたものではないかと推測。。
 
****
 
そしてなんといってもビー・ジーズ。
私はこの映画で初めて聴くわけです。
ビー・ジーズ
 
で、盛り上がっていると、
友人が「ご家族が持っているビー・ジーズのレコード」を貸してくれるのです。
なんて素晴らしい。。
 
それはベスト盤だったと記憶している。
「ニューヨーク炭鉱の悲劇」(だったか?)とか「ホリディ」とか「マサチューセッツ」とか。
 
そして、ご多聞に漏れず忘れた頃にサタデーナイトフィーバーが登場し
仰天することになるわけですが。。。
 
ついでというわけではないがCSN&Y
1曲だけ使われているのが彼らの代表作「ティーチユアチルドレン」
ビージーズほどはピンと来なかったのだが、
今はあの良さがわかる。
 
 
。。全然映画の話にならん。
 
抑圧的な教育とか、権威主義的な暴力とか、格差社会とか、貧困とか、富裕層の欺瞞とか、
色々なテーマを盛り込んであって、
またそのカウンターとしての爆弾テロ(?)とか、音楽(サブカルチャー?)とか、サボタージュ(?)とか、
盛りだくさんの要素があるんだけど、
いずれも戯画的というか、
お伽話的なオブラートにくるまれている。
 
先鋭的というかほんとうにヒッピー革命的なことを求めていた人には
ぬるすぎる子供向けのものに見えるだろうし、
逆にそういう先鋭的な世の変化を甘い表層にくるんで、
甘いもの好き層に届けようとしたように見える。
 
過激な真剣さはなんとなく馴染めないが、
鬱屈した社会をさらっと変えてゆくことにどこか別世界的な憧れがある感じがする日本でこの映画が受けたのは、
そういう微妙なところを突いた感じがあるためではないかしら。
とふと思う。
 
『小さな恋のメロディ』 予告編 Melody(S.W.A.L.K) Trailer 1971年
 

サントラCDが今も普通に買えるのがすごい。。

で本

 

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「移動祝祭日」ヘミングウェイ

2020-11-20 00:33:41 | book

 

 

ヘミングウェイは全然読んでないんですが、
先日ウディ・アレン「ミッドナイト・イン・パリ」を再び観る機会があり、
少しパリ気分で盛り上がり、そういえばヘミングウェイのパリ本があったよね、と思い、
ついに読んでみました。新潮文庫版。

ガートルード・スタインとの交友と確執や
シルヴィア・ビーチの広く深い心意気とか
エズラ・パウンドとの友情とか
フィッツジェラルドとの奇妙に濃密な関わりとか
当時のパリの空気と作家たちの心情とか
なによりも当時の夫人ハドリーの素晴らしい人柄とか
臨場感あふれる筆致でありありと浮かんでくるようです。

もちろん「当時の空気」はワタシ自身には想像するほかないので
ありありと言ってもそう感じられるというだけではありますが、
そういう点でも文学として成功というか、さすがと思いました。
(と世界の大作家に対して思うことかね(笑))

前書きに作家自身が書いているように、書いてないこともいっぱいあるとのことで、
また作家の死後、刊行に際して編集者がかなりカットした部分があり、
パリでの生活がここに立ち上ってくることだけでは済まない、
いろいろなエッセンスに満ちていただろう。
そういうことにも想像を向けながら楽しむ感じでもありました。

書いてあることを額面通り受け取って良いかどうか?
ということについては、訳者の高見浩氏の解説に詳しくあり、
これもとても面白い。

******

という内容はさておいて(おいとくのか!)、
ごく個人的には、
本文冒頭2行目にいきなり「コントルスカルプ広場」と出てきてノックアウト。
2015年にパリに行った時の宿泊先がこの広場に面したアパルトマンだったので、
風景がいきなりありありとなまなましく!

その後も次々と
「カルディナル・ルモワール通り」とか
「通りを下ってアンリ四世校と古いサン・テティエンヌ・デュ・モン教会の前を過ぎ、風の吹き渡るパンテオン広場を通り抜け」・・などなどの描写が現れ、
いやこれ地理わかる〜!と(笑)

どうもパリに関しては完全におのぼりさん体質で、
「パリの〜〜」とかタイトルがつく映画はつい観ちゃうし
エッフェル塔が写っているジャケットのCDはつい手にとってしまうw

というわけで、冒頭から妙にわかる〜のミーハーエネルギーで
一気に読み進めた感じです。

もちろん当時の雰囲気と今は違うんだろうけどね〜

 

カルディナル・ルモワール近辺は低所得者が住むところということが書かれているが、
今はそんな感じでもないような気もした。
高級な地域とはもちろん雰囲気は全然違って庶民が住んでる感じはしたけれど。

古い通りで庶民的な雰囲気のあるムフタール通りを抜けたところに
コントルスカルプ広場はあって、
噴水のある広場を囲んでカフェなどがある。
夕方になるとみなカフェでそれぞれくつろいでいる
活気があるけれどもやかましくはない小さな広場でした。

 

ヘミングウェイがいたところはここよね。
銘板があるし、「ヘミングウェイの下の旅行代理店」w看板も出てるので。
コントルスカルプ広場からカルディナル・ルモワール通りに入って割とすぐのところ。

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「スパイの妻 劇場版」黒沢清

2020-11-06 02:03:58 | cinema

黒沢清の新作はなるべく劇場にて!
を近年のモットーにしているのでいってきましたシネ・スイッチ銀座。

近年の作品と共通するのは、
特に女性が変容する映画だということでしょう。

人が変化していくというのはなんというか
力場を生み出すようなことであって
たくさんのエネルギーが伝わってくる感じ、
生き生きとするとともにどこか禍々しく
なまめかしいことであるように思える。

それを表現するのに、黒沢清的なもの
ホラー的な、非日常的な、ミステリアスな、
そういう感覚はとても適していると思うのよね。

「散歩する侵略者」でも、長澤まさみは彼女らしい「普通の人感」を極限まで保ち続けるんだけど、
あるタイミングで一気にみるからに変容する。
その「見た目」が魅力的かつ恐ろしい。

「スパイの妻」でも同様の禍々しい感じを持っている。

また「この感じ」は常に映画全体を貫いてもいる。
それがとても重要なのだと思う。

人物はつねに普通のリアルな人として演じるんだけど、
同時にどこかこの世の人でないような、
ほんとうに君が今しゃべっているのか?みたいな非現実感がある。

そこでは役者の演技が上手いとか必然性があるとかリアルとか
「迫真の演技」とか
そういうこととは違う、
好むと好まざるとに関わらずそこにただ在った存在が写って残ってしまった
というような恐ろしさが演出されている。

その不安定な、現実感があるようなないような感じが、
常に映画に変容へ向かう力というか可能性を与えているのだと思う。

 

ということであるので、
常連となっている東出くんなどは
もういるだけで超怪しいし現実的でない点で実にふさわしいし、
毎度ひょいと出てきては全てをさらっていく感がある笹野高史などはもう
まってました的ななにかであるわよもお〜

『スパイの妻<劇場版>』90秒予告編

 

**********
さて、ここからはネタバレ満載です!
**********

●個人映画

冒頭あれっ?てなる映画内映画の撮影風景(入り組んでいていいねえ)
の扱いが脚本的にも素敵よね。

この体験がある意味彼女の変容の鍵となったということが、
まず中盤で鮮やかに効いてくるのがよいし。
さらには、この個人映画が作中で数度繰り返されることを通じて、
我々は最後にあの映像の「入れ替わり」を見るだけで
瞬時にすべての種明かしを、説明なしに理解できるわけだから。

でしかも、その鮮やかに理解できた瞬間に我々が心の中で呟いてしまうセリフを、
ほぼ同時に劇中の蒼井優が心の底から吐き出すのであって、
もうこうなると二重三重に「お見事!」ですのお。

で、蒼井優さんが映画内で仮面を外すところで
観てるひとが「おお〜〜」てため息をつくのを2回もやるのが
とても好き。
きっと制作チームみんなもおお〜って思ったんだろうとか想像する(笑)

 

●裏

よくわからないけど、「裏の部屋」とか裏側にはなにやら別の世界、
別の時間、別の事柄があるというような感じがあると思う。

「クリーピー」では顕著に裏側の世界が描かれていたが、
あれと同じ感じであの会社の倉庫だか書庫だかがある。
表の活気ある造作と打って変わって、倉庫の中はなんか青灰色なかんじ
寒いし、変。

あそこは暗い世界との接点。
誰もいない会社で夫妻が秘め事をやらかしたと思しきときにさえ
倉庫への風景は闇、もうホラーだったし。。

 

●車

変容のメタファーというか変容に伴って常に描かれるのが
車での移動と車外の風景の異様。
なんだが、今回は車もあるけど、路面電車での移動に変奏されているのだろうか。
車外はもう真っ白で、光にみちているのかなんなのか、
存在が白い闇に浸食されそう。

以前は非常に禍々しく撮られていた車移動も
だんだん派手さを秘めるようななってきてないかしら(笑)

で、なーんかジブリ「千と千尋〜」ぽい感じ。
あれも変容というか世界の移動みたいな移動に電車(電かな?)

 

●たしなみ

というか、「問題の映像」を最初に聡子さんがみるところは、
個人的にはマイケル・パウエル「血を吸うカメラ」を
あるいはポランスキー「ローズマリーの赤ちゃん」を瞬時に思い出したんだけど、
決定的な場面、目撃した内容を、観客には直接見せないという
近年はあまりみない気がするたしなみ。

映画におけるスリルとは何かということ。

 

●タルコフスキー

とっても個人的な考えだけれども・・・

タルコフスキー「ストーカー」に、
少女が座っているテーブルの上の食器などが振動するシーンがあり、
しばしば「超能力少女」という見方をされているのだが、
タルコフスキーが実際どう思っていたかはさておき、
個人的には超能力としてしまうのはどうもつまらない。
だったらなに?という感じがする。

のちに「サクリファイス」でもミルク壺の振動のシーンがあるが、
あれはミサイルだか戦闘機だかなんだかの飛来に伴う振動であることが比較的明示されている。

これは、個人の力、知覚を大きく超える作用によって変化が訪れるときには、
その予兆は神秘的な出来事と同じようなことになるだろう
という、この世の現実についての洞察というか実感を表現しているものなんだろうと
個人的には考えて、面白がっている。

そのほうが、タルコフスキー的、映画体験的に素敵なテーマだと思う。

で、「スパイの妻」で終盤現れる振動シーンは、
まさにそのようなシーンとして(「サクリファイス」的に)描かれていて、
個人的にとても盛り上がったところでした。

「予兆」でも振動シーンがあり、こちらは超能力的な感じかもしれんけど。
医療系の器具をみると揺らしたくなるのかも(笑)

 

こんな感じかしら。

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「異端の鳥」ヴァーツラフ・マルホウル

2020-10-31 01:24:47 | cinema

暴力的な描写や残虐なシーンなどがあることが匂わされているので、
観るのを躊躇する方も多いようでした。

確かにそういう表現は多いので間違った宣伝ではないですが、
過去にはいくらでも暴力や残虐を扱った映画があって、それらと比べて
この映画が殊更群を抜いて残虐ということは全然ないし、
実際には本当に避けるべきシーンとそうでないシーンを
十分意識して意図を持って設計されており、
人間の暴力性や残虐性を、真摯に取り扱うべきテーマとして意図していることがよくわかると思いました。

また、現実に、実際に、ヨーロッパで行われた暴力の類型の表現なのであって
好むと好まざるとにかかわらず直視すべき題材であるとも言えると思います。

まあ予期せず暴力を目の当たりにしてしまうという事態を避けることは
この映画の意図することと通じる配慮とも思います。

そういうことを踏まえて、席を立ったりせず受け止めることを求められていると思います。
ただ悲惨です残酷です嫌です苦しいですねーという映画では決してありません。

 

ひとりの少年の悲痛な運命の中での遍歴であるけれども、
エピソードごとに章立てされていて、どこか戯画的というか、
「カンタベリー物語」のような、グダグダな諸々あれこれを
枠・形式の中にすぽっと押し込めてどことなく整然としてしまうような印象もありました。

そのせいか、画面で起きていく少年の個人史を観ながら、
ヨーロッパの長い歴史の変遷を辿りなおしているニュアンスも感じられ、
また人が様々に抱いてきた憎悪・嫌悪の感情や意識のショウケースを見ているようでもありました。

最初のほうのあれはもう中世的な呪術と迷信の時代という感じだし
(中世がそういう時代だったかどうかはおいといて)
ウド・キアーの章なんかはいかにも「カンタベリー物語」とか
「デカメロン」とかそういうのに収まっていそうな話だし
あそこから馬賊だのなんだのの時代を経て近代戦になってみたいな。。。

 

で、このような(時代と意識の)変遷の末、
我々は(というかヨーロッパはということかもしれんけど)
ごく最近になって、ようやく個人の「名前」を得るに至ったのだ、と
あのラストは語っているような気がしました。

もしかしたらこれから言葉をもっと豊かに得ていくかもしれない。
という予感と共に、
しかしようやく得た「名前」を持ってこれから我々はどうしていくのだ?という
不安を伴った希望を観るものに託して終わるようなラストでした。

 

しかし、表現としては全編非常に抑制的で、
いかなる思いやメッセージがあるにしてもとりあえず全部無効になる他ない
暴力と残虐のもたらす沈鬱な「静寂」をよく表していたと思う。

ラストにほのかに浮かび上がる少年の心・感情・意志が、
その沈鬱な静寂から微小な波動として辛うじて伝わるかもしれない、
そういうレベルのラストだったと思う。

 

えーと、あと、随所でキリスト教とはなんなのかという
素朴な問いのようなものが織り込んであるようにも思えた。
憎悪や残虐と宗教との関わりを問わずしてこの世界を考えることはできるのか?的な。

映画『異端の鳥』日本版予告/10月9日(金)TOHOシネマズシャンテほか全国公開

 

****

ということで言うと、
最後近く、少年が「怒り」をあらわにするところは
すこし作為的な感じもしたな。
意思や感情の回復あるいは獲得ということではわかるけれども。

 

モノクロの映像はとてもよい感じ。
フィルムで撮ったということのようだが、
撮影もベテランの人のようだし、やはり長い間に培われた技術というのはすごいのかなあと
(いうただの感想)

で、あの映像がもたらすものは、多分この映画のもう一つの層
自然の中で生きることの過酷さと美しさみたいなのを
あからさまでなくしかしずっしりと表現する力なんじゃないかと思ったり。

 

キャストもそうそうたると言っていいと思うが
どういう経緯でこんなになったのかを知りたい感じもする。

ウド・キアーは出てきた瞬間にウド!となったが、
ハーヴェイはワタシの脳内ハーヴェイと違いすぎてすぐにわからなかった。
ジュリアンはあの人格の二面性というのにはもう適役すぎて困る。
(というどうでもよい感想)

で、彼らと普通にというか互角に関わってまったく違和感がない主演の少年は、
全然俳優でもなんでもない普通の子供だっていうのでまたすごいよねえ。。。

***

公式サイトからちょっと抜粋メモ
・イェジー・コシンスキが1965年に発表した代表作「ペインティッド・バード(初版邦題:異端の鳥)」が原作
・チェコ出身のヴァーツラフ・マルホウル監督が撮影に2年を費やし、最終的に計11年もの歳月をかけて映像化した。
・舞台となる国や場所を特定されないように使用される言語は、人工言語「スラヴィック・エスペラント語」を採用。
・配給はトランスフォーマー

 

あとお友達が教えてくれたSiouxsie And The Bansheesのこの歌。
懐かしい音だ。この盤は持っていなかった。
すじばん。

Painted Bird

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「5時から7時までのクレオ」アニエス・ヴァルダ

2020-09-29 20:35:25 | cinema

 

やっと観た伝説作ですが、大変面白かったです。

 

映画のコンテンツとははなれたところでなんですが、

とにかく低予算でという条件(普遍的な条件だ・・)で、

ならばこういうのは?と思いつく力が素晴らしいとまず思いました。

ヴァルダはどうも(他の同時代の映画作家と比べ)映画どっぷりな出自ではないようですが、

そういうところから自然に発想されるものが、

このような実にヌーヴェルヴァーグ的な要素であるということは、

やはりあのような潮流は、時代の精神として共有された感覚から

このように生まれたものなんだろうと思えるのでした。

 

さて、と、

 

この作品に限らずであるけれども、映画というのは(映画に限らず)

一つのテーマがあって、それを「表現」するために様々なディテールを、

脚本を、演技を、構図を、素材を、音を、

合目的的に設計し実現するもの、

とは限らないのであって、

この作品においては、クレオの不安とか揺れ動く気持ちとか

そういうことがテーマというか

表現できるあらすじとしてはそういうことになるとは思うけど、

そういう説話論的というかバーバルなというか線形的な要素はこの映画の一部であって、

そのほかはそういうテーマに容易に回収されない自由な

というか野放図な、リアルに些末な細部で重層的多面的に作られていて、

そういうあらゆる面でひろ〜い世界を描きうるのが

また映画のとてつもない楽しみなんであって、

もっというならば、その目的収束的でない成り立ちが可能であるということこそ

映画の最大最高の価値であると(言い過ぎか?)

 

てなことをじっくり感じさせる小品なんだと思うんです。

 

気持ちのうつろいというのも、いろいろな側面を描いているんだけど、

一方ではパリ市内ロードムーヴィー(あるいは観光?)であり、

景色の移ろい、出会う人々の移ろい、そういうものが詰まって

互いに互いを乱反射して

とにかくさまざまな視点で「移ろう映画」になっているわけです。

そういう作品は

どこか作為を超えてというか無関係なところで

次々と互いに成り立っていくような、そういう総体的な運動みたいなものになるのです。

 

そこでは、なんというか、物や人の存在自体が

それそのままでよしみたいな感覚になるんじゃないかしら。

たとえばパリの街並み、建物や道路や木立に

テーマにそった「演技」をしているとかしていないとか

そういう(些末な)評価はしないのと同様に、

演じる人々についても、演じているけれども上手いとか下手とか

なにを表現しているとかしていないとか

そういうことから遠く離れてそこにある感じに、成り立っていくのです。

 

という感じに(どんな感じだ)出来上がったとてもよい映画と思います。

 

心の描写的な深遠な?テーマがあるとしても、

ミシェル・ルグランと即席ミュージカル(orリサイタル)的な展開になったり

無声映画的コメディ(今となっては奇跡のようなメンバーでw)を挟んでみたり、

まあヌーヴェルヴァーグ的な突き放した遊び感がつねに含まれている、

そういうある種メタフィクション的なことも含めてこの映画の楽しみがあるんだろうと思ったり。

 

で、そういう感覚は、この作品だけでなく

後のヴァルダの作品や、あるいはドゥミの映画とか

あるいはゴダールなり

みんな持っている感覚なような気がするです。

 

****

 

と、ぐだぐだ書いたところで、

ワタシ的にはやはりパリ市内散歩的な絵面がとてもうれしいわ〜

 

会話に出てくる「コントレスカルプ広場」とか

ワシが滞在したところじゃ〜ん的な。

 

パリの街並みは60年代と今とで大枠変わらない感じではあるけれど、

やっぱりお店の雰囲気とか道ゆく人々の感じはだいぶ変わったんだなと。

 

映画のなかで人々は雑然として活気に満ちているような気がする。

過激で圧倒的に怪しい大道芸の人とか今は見ない。

(フェリーニ「道」のあれそのもの的なヤツ)

 

タクシー乗ってポン・ヌフを渡ったりして、

あ〜ぽんぬっふ〜と変わらない風景に悶絶したりするが、一方で、

モンパルナス駅の駅舎の前の道路を車で走るシーンがあるんだけど、

今の建物や風景はもはや全然違う。

再開発されて一体が変わったようである。

きっとモンパルナスタワーもその時に建ったんだろう。

 

そういえば車の流れも昔の映画でよく見るあれ、

車線とかあるんか?ないんか?こんな自由なのか?

というやつ。

 

観光客みたいな視線で映画観ていいんかしら?と思ったりするが、

まあ楽しいんでw

 

ロケ地というか足どりについて熱心にまとめているブログがありましたので、

無断リンクさせていただきます。

すばらしい。これ読んでいるだけでめっちゃ楽しい。

 

*****

 

で、ルグランの伴奏で突如歌うあの歌の素敵なこと。

キャリアの初期からルグランはめっちゃルグランでした。

それも本人出演による演奏だし。

Cleo from 5 to 7 / Cléo de 5 à 7 (1962) - Trailer

 

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「アンナ」ピエール・コラルニック

2020-09-07 22:44:00 | cinema
 
(某所に書いたものを若干修正のうえ掲載)
 
少し前ですがようやく「アンナ」を観たのです。
デジタルリマスター公開時に観損ねていたのですが、
写真美術館で「"恋する男"映画祭」のラインナップに入っていたので、
いそいそと出かけました。
 
映画としては、
初期ゴダールなアンナ・カリーナ満載感と、
ゲンスブールの太々しいキッチュと、
少しアントニオーニ風なアヴァンギャルドが混ざって
しかもどちらかというとお気楽なストーリーに収まるという、
ワシ的にはとても不思議な世界でした。
 
この3要素が同居することは
ほとんどないのではないかしらw
 
うっかりするととてもどうでも良くなるような
イメージビデオみたいな存在感に陥りそうなのだが、
そこにゲンスブール曲のすごい説得力が
ドーンと主張してセーフみたいな。
 
太陽の真下の歌のシークエンスは、
他愛もない感じではあるのに、
非常に非常に神聖なシーンになっていると
ワタシは思う。
 
キャストも不思議な取り合わせ
アンナとブリアリは良いとして、
そこに洒落者ゲンスブールが現れ、
マリアンヌもいる。
 
なんか不思議。
 
 
街中を歩く時に、
常にすごい圧迫感で自動車が常に往来するのがとても良い。
平和だけど静寂や安寧のない感じが、
郊外からパリにやってきてまた去っていく
アンナの気持ちを、
全く明示することなく伝えてくる感じがする。
 
どうでもいいところでは、
あの動く歩道。
日本では多分1970大阪万博で
「動く歩道」がお目見え!最先端!
みたいに盛り上がったように記憶しているが、
ここには普通に出てくる。
 
これが当時の観客にとって普通だったのか新しいものだったのかはわからないけれど。
 
いや、わざわざお洒落ないいシーン的に作っているので、
新しい感覚はあったのではなかろうか。
 
 
 
 
サントラ盤は基本として


ジェーン・バーキンバージョン「太陽の真下で」もとてもよい。


さらにジェーンは91年?のライブ盤でのこの曲も非常によい。
が、とりあえずあまぞんにでてこないのでアルバムタイトルのみ↓
Intégral Casino Paris(来日記念盤 Je suis venu te dire que je m'en vais)
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