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1959フランス
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
監修:クロード・シャブロル
製作:ジョルジュ・ドゥ・ボールガール
原案:フランソワ・トリュフォー
撮影:ラウール・クタール
音楽:マルシャル・ソラル
出演:ジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ、ダニエル・ブーランジェ、ジャン=ピエール・メルヴィル、ジャン=リュック・ゴダール
年末駆け込み更新~!
さてさて、20年ぶりくらいに再観の『勝手にしやがれ』。
あれ?こんなんだったっけ?(笑f^^;)
あんなに印象的だったラストシーンでさえ
記憶していたものとは違っていた。
こうも記憶と違っていると、また新鮮である(苦笑)
新鮮に、初めて観るように、『勝手にしやがれ』を発見した。
蓮實大先生が著書で仰っておりますが、ビデオもDVDもない時代、映画を見る者が鍛えたのは「動体視力」だと。「映像的記憶」ということだと思うんですけど、要は、1回限り、一瞬で過ぎ去ってしまう映像と音をいかに記憶するかが映画評論や研究では勝負であったということで、そりゃそうだが、あらためて考えるとそれは大変に厳しい道である。
その点ワタシは、もはや張り合うまでもなく「映像的記憶力」は毛の先ほどしか備わっておらず勝負以前の状態であることを、今回あらためて実感する次第でありました。
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いかにもヤサオトコなミシェル・ポワカール。けっこうワルである。盗んだクルマに乗り、ぶつぶつ独り言いながら調子こいてぶっとばしてたら、白バイ警官にとがめられる。ミシェルはダッシュボードにあった拳銃でおまわりをbang!
ひょうひょうと逃げ去るミシェル。仲間や女友達を訪ねてひょうひょうと暮らす。女から金をくすねたり、「ヤツには貸しがある」とかいってやたら電話かけたり、落ち着かないヤツ^^;
女友達のひとりパトリシアをなんとか口説き落とそうとして「イタリアへ行くぞ」とか言ってるが、パトリシアはなかなかなびかない。
そうこうしているうちに二人で路上にいるところをオヤジ(ゴダール(笑))に密告され捜査網は狭まる。
とりあえず友人のところに転がり込む二人だが・・・
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ゴダールの長編第1作目、クロード・シャブロル監修、フランソワ・トリュフォー原案という豪華スタッフによる作品。
やたら文学的な独り言とか、希薄なドラマ性とか、あっけない終幕とか、オールロケ・同時録音とか、当時の商業映画の枠を破る衝撃作だったようですが、今観ると割とストレートなやけっぱち青春像
強盗は強盗し、人殺しは人を殺し、密告者は密告する
(だったかな~違うよな~)
そんなような、大変ゴダール的なセリフが登場するのがこの長編デビュー作
このセリフを本当に地でいってしまったのがこの映画である。
エンディングがミシェルの最期かと思いきや、おそらく唯一のパトリシアのカメラ目線アップであることに驚く。へ~。やるなあ。
ミシェルが帽子をぽっとパトリシアにかぶせるシーンが唯一ミシェルの柔らかい心を表していて美しい、とはハスミ師の伝
たしかに美しい。
この帽子の委譲というモチーフは最近観たイーストウッド『硫黄島からの手紙』でもさりげなく心温まる技として使われていた。
パトリシアが徹底的にストライプ柄の服を着ることも無性に気にかかる。
あのシマシマはミシェルを跳ね返す結界か?
最近会っていないが、ジーン・セバーグ似の友人がいる。
今も似ているだろうか・・
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今回鑑賞したのはデジタルニューマスター版であるが、上映時間は86分。
あれ?たしかゴダール長編第1作はBムービーの理想的長さである90分ちょうどという話ではなかったっけ?
と思ったら、いろいろ調べるとデジタルニューマスター版はマスターとしたプリントの都合かなにかで、微妙に「早回し」になっているらしい。
こういう問題が生じるのかあ
ゴダールが「1秒間に24回の死」といったその時間軸ももしかすると、映写装置の個体差とかでずれがあるのか?
とすると、世界中で同じ映画を観ているといっても、全く同じ映画を観ている人はすごく限られていたということなのか?それはビデオやDVDでも同じことが言えるのか?
かつてカセットテープ時代の音楽がそうであったように?
90分と86分の違いが画面上どのように顕現するかは見比べてないのでわからない。映像的記憶のやばいワタシなぞには違いがわからないことだろう・・
近いうちにもう一回観たい。
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