Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

son*ima「小さな惑星」(笑)

2009-04-26 22:53:45 | music
ブログ友達で同人誌をやってらっしゃるntmymさんが
ワタクシめのson*imaのアルバムについて
感想
を書いてくださったのですが、
なかなかいいことを書かれているので(笑)
こちらからもリンクしてしまおうという
手前味噌な記事でございます~

ntmymさんありがとう。
ツルバミの感想も続きを書きため中ですからね~


あ、そうそう、ntmymさんがいつもは
メタル寄り男性ボーカルばかり聴いている
と書かれていて、へえ~すごく意外~~(笑)



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「あこがれ」フランソワ・トリュフォー再観

2009-04-26 01:28:11 | cinema
フランソワ・トリュフォー DVD-BOX 「14の恋の物語」[I]

ポニーキャニオン

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あこがれLES MISTONS
1958フランス
監督:フランソワ・トリュフォー
原作:モーリス・ボン
脚本:フランソワ・トリュフォー
撮影:ジャン・マリージュ
音楽:モーリス・ルルー
出演:ベルナデット・ラフォン、ジェラール・ブラン

再観。
25分くらいの小品で、トリュフォーの事実上のデビュー作。

相変わらず(って映画だからあたりまえですが)冒頭タイトルからの、少女(といっても十分大人っぽい)ベルナデットが、白い服をはためかせて自転車でず~っと走る移動撮影がすばらしい。映画は運動であると今発見したといわんばかりのみずみずしさ。
街路から郊外へと自転車は進む、進む。。少女の残り香をなびかせるように。
そしてそれを追う悪ガキども。彼らは本当にまだ子供で、ベルナデッドに淡い、いや濃厚な思いを寄せるが、もちろんベルナデッドは別世界の生き物だ。

最初見たときはベルナデッドの魅力に目が行ったが、今回は、それはこの悪ガキたちの視線であったのだと気づく。ああ、そういえばタイトルはLES MISTONS=悪ガキたちだ。
劇中ではやし立てられたジェラールがみすとん!と叫ぶのが印象的。
冒頭の自転車の効果とか、コロシアムでの遠景と近景の関係、アリーナに無数に並ぶ椅子の整然さと乱れ。長く落ちる影、そういうところ、結構理詰めで作られているのだなあ。
理詰めで、でも少年の抱く暖かいような残酷なような幼い恋心という情念を描く。そのタッチは文学に近いのかもしれない。
この映画は文学的である、と言ってしまおう。

このあとに撮られる名作『大人は判ってくれない』の充実を予感させる、しかしその次回作で破るべき殻を持った作品だった。そんな感想でございます~。

****

音楽は「赤い風船」のモーリス・ルルー。
冒頭の50年代的な清潔感を華やかにもり立てている。


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ツルバミ~YUKIDOKE Vol.2

2009-04-24 23:01:30 | book
お友達の(と勝手に交遊を結んでしまう^^;)ntmymさん責任編集の同人誌をいただきました。「ツルバミ」というタイトルのそれは、鮮やかで深い紅の表紙の小粋な小冊子でした。どうもありがとう。

二度三度通して読んでみたので、ぽつぽつと感想を書いてみます。
あくまでも個人的な思いを連ねるだけですので、それによって同人の方々の作品の価値がどうこうとかいうハナシではありません。このように作品を持ち寄ることが出来たことを心より祝福申し上げます、とあらかじめ申し添えておきましょう。

****

まずは、最初にこれについて語りたい。
「夢の中で」=YUKIDOKE主宰者ntmymさんのエッセイ+マンガです。

エッセイのほうは、主に夢についてと創作の原泉について書かれたものだとワタシは解釈しましたが、この文章はなんともワタシの心をがっしりと鷲づかみにしてしまったのですよ。

自分が深く魅了される心象風景を改めて思い起こしてみて、それを、自分の源泉のような世界を、自分は創作の世界に表したことが実はなかったことへの気づき。そして、よし、私は自分の原風景を表現してみようではないか、という、創作地点の意識化。
ひとりの人間の中に起こった意識の動きを簡明に表現したエッセイは、同時に創作についてのひとつの考察になっていて、ワタシはその表すところにいたく共感してしまった。
原風景に創作の足場をすえること、表現するならば自分自身にとって深い意味のあるものにしたい、この思いはまるまるワタシの思うことでもあって、このことをはっきり言葉にしてしまったntmymさんの力に、ワタシはもううっとりしてしまいましたです。

同時に、これは自意識過剰すぎるだろうか?というntmymさんの問いもまた、ワタシの共有するものです。単に自家中毒的センチメンタリズムに陥っているのではないのか?そのような動機で表現されたものに価値はあるのか?

手前味噌になるが、son*imaのアルバムを作ったときの事を書こう。
アルバムを作ろうと思い立ったとき、それまで作り溜めていた曲を収録曲として並べてみたのだが、いざそれを「外に出す」という視点で眺めてみたら、もっと違う形のものがあっていいんじゃないか?という思いにとらわれ、と同時に、それまでとは違う種類の創作意欲(というか衝動)が自然と生まれ、結局一気に新しい曲を5曲次々と作ってしまい、収録したのはアルバム製作を思い立ってから新たに書き起こした曲ばかりという展開になったのだ。
新しい曲たちは、創作の原点として自分の原風景を形にしたものにしたいという動機においては従来の作品となんら変わることはなかったのだが、それに更に「外から」見てもちゃんと伝えたいことが形になっているかという観点が加わって、ようやく本当に納得のいくものとして成立したのだといえる。

回答になっているかどうかはわからないが、創作の初期揺動に「内と外」の視点を与えることで、ひとりよがりでない、自分にも他者にも届く創作の地点というものをきっと見出せるのだと信じたい。

****

ワタシは幼少の頃海辺に住んでいた関係で、記憶に残り大切にしている風景は圧倒的に海辺のものが多い。この点でもえらくntmymさんと共通するのですが、特に「浜辺に打ち上げられた巨大な電球」の風景は、まさに海辺に長くいたものにのみ許される記憶でしょう。電球もありましたし、大きなブイのようなガラス球を見つけたこともありました。薄く青緑色に透き通るガラス玉は長らく我が家のベランダに鎮座することとなりました。海の記憶はson*imaの「クレヨン」という曲に織り込みました。(もう一つ「砂の下遠い昔の絵」という歌もあるのですが歌曲としては未発表のままです。)

***

ntmymさんのエッセイのあとには、ステキなマンガが続いています。ワタシはntmymさんのマンガのファンなのですが。原風景とほぼ同程度に人の心象を形作る「夢」というものの、「心に残り方」をよく表現した秀作だと思います。これは先のエッセイにおける「創作と原風景」というテーマの一つの実践なのでしょう。「いい夢」というだけでは言い尽くせない(自分にとって)「深い」夢を見たときの心持はまさにこんな風だと思います。というか、はいはい、ワタシも見たことあります~こういう夢~という共感ですね。ほら、ちゃんと「内と外」がつながりましたよ^^

しかし!
こんないい文章とマンガが書ける/描けるなんて、ntmymさん、なんてすてきなひとなんでしょう!これはぜひご本人にお会いしたい!ご本人に会って握手したい!両手を握ってぶんぶんしたい!という気分ですよ!!
(できればハグもしてみたい。その先はまだいいです。)
(何書いてるんだ??)



^^;




うむむ、ntmymさんのことだけでこんなに長くなってしまった・・^^;
他の作品たちについては別の機会に書きますね~

~つづく~


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「1Q84」村上 春樹出ますね~

2009-04-22 23:36:07 | movelog
1Q84(1)
村上春樹
新潮社

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1Q84(2)
村上春樹
新潮社

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5月29日に村上春樹の久方ぶりの長編が出るようです。
賛否の激しく別れる作家ですが、ワタシは「賛」ではなく「好」であります。

長編、どうなることやら。

新潮社の大仰な特設ページ(笑)



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「アイム・ノット・ゼア」トッド・ヘインズ再観

2009-04-22 23:30:55 | cinema
アイム・ノット・ゼア [DVD]

Happinet(SB)(D)

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アイム・ノット・ゼア

某マイミクさんが観たという記事を読んでいたら無性にこちらも観かえしたくなり、再観。
やっぱりこれは面白いと思う。娯楽作ではないし、頭使うし、疲れるけれど。

やっぱりディランについてある程度知っていたほうが面白いのだろうか。
冒頭画面をぶ~っと横切るバイクにのる人物、そこからしてニヤリとさせられる。
そういう仕掛けを楽しむのはこの映画の見方として本道ではないのだろうけど、やっぱりいちいち気にかかる。

・ウディ・ガスリーと名乗る少年が旅上で出会う家族とその母親
・奇想天外な散文「タランチュラ」とシンクロするであろう巨大なクモのシルエット
・リックはじめザ・バンドの面々のそっくりさん
・白塗りで歌う保安官補佐
・ビートルズらしき4人組がこっそり背後でファンに追われている
・グロスマンのそっくりさん
・ギンズバーグのそっくりさん
・ディランのお友達ボブ・ニューワースらしきヤツ
・ココ(妖精)と出会うときの「カサノヴァ」の音楽
・ゴスペルシンガーとなったディランのバックにいるコーラス3人娘
・おそらくサラであろうシャルロット演じる妻の二人の子供(アルバム「欲望」収録の「SARA」で感動的に歌われる子供たちだ)
・ラストにひっくりこけるバイク(苦笑)
etc.etc.......


本人はどう思うか知らないが、ディランの生活はこのように複数を生きるということだったろう。
ディランに限らず誰もが複数の生を生きている。映画というものは、思えばどんな形であれ複数の生を描くものなのではないのか?それが違う役者で違う時代で違う世界で描かれたとしても、それは複数の生であると同時に、一つの「人間」の生としてみることだってできなくはないとすると?複数に映し出される光と影から我々は大きなひとりの「人間」の人生を俯瞰しているのかもしれない。

などとわけのわからん思考に溺れて眠るmanimaniなのでありました。




エンドロールでアンソニーさんが歌う「Knockin' on Heaven's door」は、
確かに気色悪いですな>里美さん(笑)



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「ノーカントリー」コーエン兄弟

2009-04-21 20:43:12 | cinema
ノーカントリー スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン

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ノーカントリー
NO COUNTRY FOR OLD MEN
2007アメリカ
監督・脚本・制作:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
出演:トミー・リー・ジョーンズ、ハビエル・バルデム、ジョシュ・ブローリン、ウディ・ハレルソン、ケリー・マクドナルド

コーエン兄弟のオスカー受賞作を観る。
なんとも不思議な映画でした。起承転結をあっさり無視し、ストーリーは中心性をよそおいながら実は観客がたどるのは「ちょっと拡大された傍流」に過ぎないのではないか。そんな感想です。

銃撃戦があったらしい現場を訪れたモスも、置き去りにされた現ナマを見つけると、無言で当然のようにそれを持ち去り、一気にやばい立場におかれるわけだが、彼はそれを当然のことのように受け止めて逃げ体制にはいるし誰の助けも求めようとしない。
いっぽうそれを追う怪人シガーもまた、金にもヤクにも揺れ動かない「未知の」行動原理を持つもので、雇い主だろうが道すがらの人間だろうが一定の閾値を超えたものはためらいなく殺害する。
モスはなぜなにから逃げるのか。なぜシガーはモスを追うのか。モスをしとめた後彼はどうなるのか。そういう筋道や解決とは無縁なところで、シガーとモスは画面を占拠し続ける。
彼らは不可解なる者である。

一方で不可解でない行動をとる者は、老いた保安官たちである。その行動とは、「昔はよかったが、今の世の中は俺たちにはなすすべがない」とつぶやき立ち尽くすことである。このドラマは、つぶやき立ち尽くすことをじっくり描いた映画なのだ。

後半に至り、もはや観客ですら殺人の現場には立ち合わせてもらえない。死体があればそれはもうシガーの圧搾空気とガトリング銃の仕業だと十分にわかるから。複雑骨折をものともせず去ってゆくシガーを見て、もはや観客も、こいつにはなす術がないと思うほかない。絶望というより、それを過ぎてもっと先へ。時代が変わってしまったのだ。おそらく。

***

ある意味期待を一身に背負って登場した、これまた危なげな刺客ウエルズが、これまた期待をすかっと裏切りあっけなく退場するのが、笑える。これも人生なのか。

シガーとモスの銃撃戦のしょっぱなに巻き込まれて死ぬ通りすがりのドライバーもしかり。ビールでモスを誘惑するプールサイドの女性もしかり。生きているより死体でいるほうが登場時間が長い。
それもまた人生か。


疲れた





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時代は冷蔵庫?

2009-04-18 04:49:59 | movelog
ntmymさんから同人誌「ツルバミ」YUKIDOKE vol.2をいただきました。
どうもありがとう。
感想はそのうちUPいたしますが、そのなかで、梶谷さん(だったよね?)が小品「冷蔵庫」というのを上梓していて、おや?と思ったので、今日はそのことを。

最近どうも「冷蔵庫」に創作意欲を刺激される人が多い?いやそんなに多くはないけれど、ときおり見られるなあということで。



最近の例だと、いきものがかりの曲にありますね。「月と私と冷蔵庫」。
2008年にリリースされたアルバム『ライフアルバム』に入っています。月と私と冷蔵庫の組み合わせで夜に一人思う心の風景を描くところは、梶谷さんの作品とも通底しますね。
この曲はボーカルの吉岡さんも作詞に加わっているところも注目です。
ライフ アルバム
いきものがかり,山下穂尊,水野良樹,吉岡聖恵,西川進,中村太知,島田昌典,江口亮,渡辺善太郎,mugen
エピックレコードジャパン

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そのちょっと前には、aikoの「深海冷蔵庫」がありますね。
これは2006年の『彼女』収録の、コード進行が凝った、aikoのなかでは内省的な歌詞を持つ曲です。
深夜に冷蔵庫と食べ物とひとり自分、という姿は、ある意味経済的に恵まれた国の日常の詩情なのかもしれません。
いきものがかりのほうがいつ作られた曲かはわかりませんが、aikoへのリファレンスがあるのかもしれません。まったく関係なく両者が曲をつくっていたらそれはそれで面白いのですが。
彼女

ポニーキャニオン

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調べてみるとKinki Kidsにもあるようですね「Broken冷蔵庫」という曲が。これはもちろん未聴なので(笑)、なんともいえませんが・・・
2001年のアルバムに入っているようです。タイトルから想像するに、あまり詩情という感じではないでしょう。。?
E album
松岡充,相田毅,浅田信一,Satomi,戸沢暢美,松本隆,牧穂エミ,堂本剛,篠崎隆一,オオヤギヒロオ
ジャニーズ・エンタテイメント

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で、さらにさかのぼると、あのThe Stalinがファーストアルバムで「冷蔵庫」という曲をやっています。1980年ころです。パンクなどとカテゴライズされる前の、インディーズの強烈な初期衝動を体現したバンドです。
なんつってワタシはライブも音源もまったく触れたことがないのです。これも珍しいことですが。当時惹かれながらも怖くてね(笑)アンタッチャブルだったのです。




スターリンがストレートに「冷蔵庫」とタイトルをつけたのは、それが歌のタイトルとしてインパクトがあったからだと思うのです。冷蔵庫の歌なんか作るやつはいない。その隙間をアナーキーに生きたのだと思います。

そう思うと、冷蔵庫は詩情世界ではそれ自体異質なものであった地位から、いまや女の子アーティストが触発されるような、日常的・詩的な存在になったのかなあ、と妙な感慨をもってしまいます。

それだけ日常や表現は、アナーキーなものの付け入る隙をなくし、馴致されてしまったともいえるかもしれません。
80年代半ばにはインディーズの洗礼を受け、黒服にズダぼろコートを着て都市の夜を当てなく徘徊したワタシにも、いまやaikoやいきものがかりに癒される時代が来たのです。

メタボにもなったし
めでたしめでたし(?)




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つ・つかれて更新が出来ん・・

2009-04-16 10:22:58 | diary
疲れて更新ができません。。
というか仕事に行っても、疲れて5割くらいしか働けません。
働いているふりをしていますが実は疲労に耐えながら椅子に座っています

ときおり職場内を「散歩」に行き、体を動かしてみるんですが
席に戻るとまた疲労に耐え・・・

今日はとうとう寝坊をして出勤時刻ギリギリ前に職場に連絡して
午前休みます~と休暇申請。

ここで寝てしまうと次ぎ起きるのがいつになるのかわからんので
ネットいじりでなんとか眠気を吹き飛ばそうと思うのだが・・・
・・・椅子に座ってパソコンいじりでは、職場にいるのとあまり変わらない^^;

結局眠い~~~まま、おでかけの時間になりました
ので、
いってきます

ふうぅぅうぅぅ~~~




とりあえずえっちゃんの写真でナゴム




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「夜の果てへの旅」ルイ=フェルディナン・セリーヌ

2009-04-09 22:47:34 | book
夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)
セリーヌ
中央公論新社

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夜の果てへの旅〈下〉 (中公文庫)
セリーヌ
中央公論新社

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夜の果てへの旅 ルイ・フェルディナン・セリーヌ

『なしくずしの死』に続いてセリーヌの出世作を読みました。
『なしくずし~』に劣らぬどっぷりと内容の濃~~~い小説でございます。

********

やはりフェルディナンという名のヤサオトコ、最初の遍歴はドイツ兵相手の従軍記である。
友人とのちょっとした見え張り合戦からひょいと軍隊に志願した彼だが、いざ戦場では、びゅんびゅん弾丸が飛び交う中、無慈悲でご無体な命令で兵卒を出し、あるいは物資を横領して贅沢をする上官たちに苦しめられ、人間がぼろくそに扱われる現実の恐ろしさを通り越したばかばかしさにすっかり弱りこむ。
従軍したときの気持ちを表現したもので、ここまでさもありなんと思うものはなかなかないのではないかというくらい、その描写は個人的で真に迫っている。まわりの勇ましい連中をながめつつ、臆病者はもしかしたら世界でオレひとりだけなんじゃないのか?いったいどうしたことだ?と悩む。
ワタシも戦場にいったらそう思うだろう。弾丸や人影におびえ、時には味方の軍からの砲撃を受けて人が死んだり、恐ろしくばかばかしく、しりの穴がすぼみあがってめそめそ泣いちゃうだろう。フェルディナンの姿はワタシなのだ。

どうやら負傷して帰還したらしいフェルディナンはその後なんとかパリで暮らし戦場に送り返されないように思案する。アメリカ女性と恋に落ち一緒に暮らしたりするが、戦場とはまた別の「銃後」の士気の高揚になんとか身の丈を合せているうちに、体に染み付いた戦場の恐ろしさとのあいだで精神に変調をきたし、誰かれかまわず「逃げろ!」と叫びはじめ、憲兵に連行される。

第二の遍歴は、怪しげな精神病院での暮らし。そこは人界離れた安息の地では決してなく、やはり異様な悪意に満ちた正義の医師や看護婦、いかれきった病人たちに囲まれた世界である。詐病したものは日々その露見を恐れるあまりプレッシャーで自ら告白に至る。
そういう者や回復の兆し有とみられるものはふたたび戦場に送られ、ダメだと判断されればさらに人生の墓場たる怪しげな療養所に送られ、いずれも二度とその者に会うことはないという悲惨さ。ダメ人間と化したフェルディナンは女性にも愛想をつかされ、戦場にも銃後にも生きる場所がない。
辛くも彼は数人の仲間とともに特別診療所送りとなる。そこは最新治療のモデルケースのようなところで、フェルディナンは、あまりの自分の臆病さを告白するに至るがそれは士気の回復の兆しとみなされる。あぶないあぶない。

終戦を迎えたあとフェルディナンが向かうのは、よせばいいのにアフリカの植民地。向かう船上でさっそく彼はまた世の不条理をいやというほど味わうことになる・・・つかのまの閉鎖的社会で彼は同船の軍人崩れたちからスケープゴートとして扱われ、海に叩き込まれる寸前!
なんとか窮地を逃れた彼を待つ植民地での生活もまた灼熱と泥と虫と病にまみれた世界。
「戦場よりはましさ、弾丸は飛んでこないしいくらでも眠れる」

******

セリーヌの小説(というか2作しか読んでいませんが)に満ち満ちているのは、人生はいかに困難で御しがたいかということだ。それを悲嘆するでなく乗り越えるでなくあきらめるでなく、ただひたすらにあるように描く。そのディテールからいやでも滲み出る苦汁の洪水に読者はまみれ、なす術もなくもがくばかり。この感覚はゴンブロヴィッチ『フェルディドゥルケ』にも通じる、なにやらヨーロッパ的底なしの閉塞感なのではないでしょか。

ヨーロッパって、いうまでもないのかもしれないけれど、つくづく歴史的にみて鬱屈しているよなあ。。その鬱屈のまま世界中に、中東に、アジアに、アフリカに、南米に、ロシアに苦汁を染み渡らせたって感じじゃない?

セリーヌ自身、反ユダヤ的言動で、二次大戦後に戦犯として追及されもした鬱屈した人間であるし。
そういえばそれでもこの小説のなかでは、コンゴの奥地でであったフランス人が、遠いフランスにいる自分の姪が修道院で学ぶのを支援するため苦境のなかで身銭を削っているのに触れ、ただならぬ崇高なものを感じる場面があり、そういうセンシティヴな部分をセリーヌが持ち合わせているのも、外に伝えられる彼の人となりからは意外な面である。

この小説はヨーロッパやセリーヌ自身の鬱屈や清純を清濁まるごと抱え込み、しかしぐつぐつ煮えたぎり、セリーヌ伝説とともに、あるいは別に、なお21世紀を生き抜くのだろう。




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「バーン・アフター・リーディング」コーエン兄弟

2009-04-07 22:15:54 | cinema
バーンアフターリーディング公式サイト

BURN AFTER READING
2008アメリカ
監督・脚本:イーサン・コーエン、ジョエル・コーエン
出演:ブラッド・ピット、ジョージ・クルーニー、ジョン・マルコヴィッチ、フランシス・マクドーマンド、ティルダ・スウィントン、エリザベス・マーヴェル


試写会にあたったので行ってきました。
普段は行けない時間帯ですが、たまたま子供の入学式で仕事を休む日と重なったのでラッキー^^

宣伝文句は、おばか系キャラがCIAに頭脳戦を挑む!5大キャスト共犯クライムエンタテインメント、とかなので、スリル満点大どんでん返しストーリーを想像してしまうけど、実際は、ホントにおばかな展開で状況とっちらかりカオス増大系の当人たちシリアスなコメディで、脚本は凝っていてしゃれているんだけど、どうだい?しゃれてるだろう?的なあざとさがなく、あくまでも状況をややこしくするためだけに頭使っているような本で、要するに結構好みでありました。

欲を言えばもっともっととっちらかってほしかったな。二人の奥さんは終盤ちょっと影が薄くなっちゃったから、あの辺りをもうちょっとからめて、もうひとひねりするとよかったな。

ジョージ・クルーニーはちょっと苦手な俳優なんだけど、その苦手さが今回はよく作用して面白く見えた。
ブラピはいつになく表情が情けないというか、作り顔でない曖昧な顔ってのがうまかった。最期の瞬間の顔がまたよかった。
マルコビッチはやっぱりこういう変人が似合う。
リンダを演じたフランシス・マクドーマンドがなかなか熱演でよかったが、地味に彼女の属するスポーツクラブのスタッフたちが味わい深くてよかった。

欲を言えば、ここにスティーヴ・ブシェミなどが出てくるといっそう奥深いものになっただろう。

CIAのお偉方とかロシア大使館の連中とかも、なかなかの名演技でこまごまと笑えるのだが、ここで書いてしまうわけにはいかないので、観る方はお楽しみに~


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「赤い風船/白い馬」アルベール・ラモリス再観

2009-04-05 22:10:38 | cinema
赤い風船/白い馬【デジタルニューマスター】2枚組スペシャル・エディション

角川エンタテインメント

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『赤い風船』LE BALLON ROUGE
1956フランス
監督:アルベール・ラモリス
脚本:アルベール・ラモリス
撮影:エドモン・セシャン
音楽:モーリス・ルルー
出演:パスカル・ラモリス、シュザンヌ・クルーティエ

『白い馬』CRIN BLANC
1952フランス
監督:アルベール・ラモリス
脚本:アルベール・ラモリス
撮影:エドモン・セシャン
音楽:モーリス・ルルー
出演:アラン・エムリイ、パスカル・ラモリス



劇場鑑賞時にはちと寝てしまったので、DVDでリベンジ。
結果的には、寝た部分はほんのすこしであったことがわかり安堵(?)


しかしステキな映画ですよね~これは。
最近の映画(=リアリズム至上主義(と仮定する))ではまずやらないような単純素朴なファンタジーに鼻白む向きもきっとあるでしょうが、そういう方々ははなからこの映画を観ない気もするし・・

この二作は、とにかくワタシにとっての「映画とは何か」に答えを用意してくれる、そんな作品なのですな。

『赤い風船』では、風船をもつことで学校のガキどもvsパスカルという対立が生じ、孤独を生きる少年が、最後には風船の仲間たちに連れられ飛び去って行く。
少年とその他大勢との間の隔たりは、風船以前にも実は存在していたのだろう。パスカルの立ち振る舞いの優雅さに対して、大勢はがさつで乱暴で悪意に満ちている。それが多数派のありかただとすると、パスカルはそのなかで耐える弱き存在である。

『白い馬』では、自由や友情という自然な感情に対して、馬飼いという大人の世界が拘束を加える。そのことに対して馬と少年が身をもってノンと言う。しかしそれは立ち向かう抗議ではなく、はかなく消え行くことによって示される声無き声だ。

どちらも弱い心をもった少年期のおしつぶされそうな心持ちと、一方で芯にそなえる超越する心との両方を、切なく描き出す点で共通している。
ワタシが長い間映画に求めているのは、このような、多数派の大声ではない、弱きものの心を映し出す鏡のような力なのであるのだなあと、あらためて思う。
そういう力を50年代にそっとパッケージしたラモリスのこの二作品を観ることが出来て、本当に幸せである。

****

『白い馬』を観ると、それはもう明らかに馬と少年の心寄せあう関係を象徴するのが、少年の上下真っ白な服であることがわかる。海辺で海産物を漁ることでくらしているらしい一家にはふさわしくないほどの清潔な白い服は、少年の無垢と無力さを象徴し、登場した瞬間に少年を特権的存在に見せる。このわかりやすい手法は、わかりやすさ故にまたまた鼻白むのかもしれないが、ワタシ的には涙腺ユルム系な手法だ。

『赤い風船』も、よくみると、学校の門をくぐる学友たちがみなあたたかそうなコートを着込んでいるのに少年だけが妙に薄着であるシーンがある。悪ガキたちは大概が半ズボンだが少年は長ズボンである。パスカル君はなにやら薄幸な風情がある。それは冒頭、そのまま観光写真になりそうなパリの丘の上で猫ののどをなでる彼の遠景によってすでに描かれている薄幸であるだろう。

と、ちょっと服装に注目してみました。


あとは、「優れた映画監督はすぐれた動物使いである」という仮説もありまして、これらの映画でも動物は実に美味しく活躍するのですね。
『赤い風船』の冒頭画面を歩く猫は、少年が近づいても逃げず、観客の期待に応え愛撫に身を任せます。
『白い馬』はいうまでもなく馬たちの絶妙なたたずまいが見事です。海辺の馬という見慣れない役回りを、浅瀬を群れで走る華麗な姿で演じ切っています。(あの移動撮影はどうやっているのだろう??)
ジャック・タチやエミール・クストリッツァのように、ラモリスもまたりっぱな動物使いなのでしょう。


ということで、冒頭から泣かせてくれるモーリス・ル・ルーの音楽とともに、うるうると楽しむのでありました。





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「西遊妖猿伝 大唐編」諸星大二郎

2009-04-05 04:44:54 | book
西遊妖猿伝 大唐篇 1 (1) (モーニングKCDX)
諸星 大二郎
講談社

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西遊妖猿伝 大唐篇 2 (2) (モーニングKCDX)
諸星 大二郎
講談社

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西遊妖猿伝 大唐篇 3 (3) (モーニングKCDX)
諸星 大二郎
講談社

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西遊妖猿伝 大唐篇 4 (4) (モーニングKCDX)
諸星 大二郎
講談社

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西遊妖猿伝 大唐篇 5 (5) (モーニングKCDX)
諸星 大二郎
講談社

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西遊妖猿伝 大唐篇 6 (6) (モーニングKCDX)
諸星 大二郎
講談社

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西遊妖猿伝 大唐編

新装版が出たのを機に購入。

で、すごい面白いんですけど!これを今まで読まなかったのは失敗だった~(どんな失敗だ?)
以前「巨人伝」について書いたときに、諸星氏の作風を「洗練を拒否した円熟」と評したけれど、ちょっと撤回。明らかに諸星氏の筆力は向上しており、表情豊かな人物、ダイナミックな活劇、スリリングなコマ運び、すっとぼけたユーモアなどなど、以前からの持ち味をさらにグレードアップしていて、いまやヘタウマをやや超えている。第4回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞だけのことはあるね~

大唐編、西域編、天竺編の3部構成の構想のようだけど、大唐編だけで83年~97年にかけて各誌に連載、その後ようやく08年から西域編の連載が開始されたというから、これは完結までにいったいどれだけかかるのだろう・・是非生きているうちに最後まで読みたいものだが。。というか諸星さんももういい歳だし、完結するのか??

*****

西遊記の物語に着想を得つつ、隋から唐への政変など中国の史実を織り交ぜ、西遊記とはまったく別の物語となっている。この妄想力は『孔子暗黒伝』などでも発揮される諸星得意の世界だけれど、まったくすごいもんである。日々こんな物語を妄想しているのかと思うと、また不思議な人生だよね~

隋の圧政下に、野人と人間の間の子として生まれた孫悟空は、虐げられた民衆の怨念をパワーにする巨大妖怪無支奇と出会い、民衆の怨みのために世の秩序を乱し戦う運命にあることを告げられる。無支奇から「斉天大聖」の称号を与えられた孫悟空は唐による群雄征伐に巻き込まれ、唐の将を仇と都で大暴れをするなど、各地で騒乱を引き起こす。普段は悪しきを挫く正義感だが、追い込まれたりすると斉天大聖のアナーキーな本性に支配され、人間離れした力で見境なく殺人・破壊をくりかえす。
孫悟空自身は斉天大聖としての定めを拒絶し自由を求めている。その気持ちに呼応するように、純真な気持ちで法の真理を探るため天竺へ向かう僧玄奘と度々出会い、天竺への旅に同行するようになる。

というのが大まかな筋なのだが、これに付随する逸話が面白い。唐の都の地下に広がる隋煬帝が残した地下宮殿にひそむ私生児が自分を真の皇帝と信じている話とか、その地下宮殿の壊滅、唐の政変である古事「玄武門の変」に悟空たちをからませて李世民の宮殿をめちゃくちゃに破壊するところとかが最初のクライマックスかもしれない。

それから、人が面白いようにばたばたと死んでゆく。昔の中国(に限らず)では人の命が今よりはるかに軽かったということもまた事実で、そういうところもなんかどこか超越的な雰囲気に一役買う。


毎晩寝る前に読むことにしているが、うっかりすると夜更かししてしまうので、眠剤を飲んで強制就眠するようにしている。そうするとあまり読み進まないので、長く楽しめるというわけさ。


講談社の新装版は全10巻の予定。



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「アドルフに告ぐ」新装版 手塚治虫

2009-04-02 22:23:21 | book
アドルフに告ぐ 1 新装版 (1) (文春文庫 て 9-1)
手塚 治虫
文藝春秋

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アドルフに告ぐ 2 新装版 (2) (文春文庫 て 9-2)
手塚 治虫
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アドルフに告ぐ 3 新装版 (3) (文春文庫 て 9-3)
手塚 治虫
文藝春秋

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アドルフに告ぐ 4 新装版 (4) (文春文庫 て 9-4)
手塚 治虫
文藝春秋

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「アドルフに告ぐ」手塚治虫

新装版全4巻を読んだ。以前読んでいるのだがきれいさっぱり忘れ去っており、新鮮に楽しむことができた。記憶力がないのも結構楽しいことかもしれない。

手塚治虫の最晩年の作品に属するものだけれど、絵柄が昔とは大分違うとはいえ、それなりに絵運びもストーリーテリングもさすがとしか言いようがない。コマ割りがときにものすごく大胆になるところなどは、よく親しんだおなじみ手塚タッチである。

プロットが非常によくできていて、峠草平の手に渡ったナチス秘密文書をめぐる攻防と、日本生まれの二人のアドルフの変遷とが二つの流れを作り、次第にそれが絡み合うのと、歴史の大波とがシンクロして、とても盛り上がる。
そしてクライマックスに現代のパレスチナ問題まで物語は流れ込み、そこで初めて「アドルフに告ぐ」というワードが使われる。その重みはそれまでの波乱万丈を知っている読者にはずしりと響く。
まったくよくできている。

***

手塚はヒューマニズムの作家だなあというのがワタシの漠然とした思いなのだが、その作風は実はヒューマニズム的ではない。ヒューマニズムの記号の作家ではないということか。むしろ人間の邪悪なところ、グロテスクなところ、劣情を徹底的に描く。あれだけの暗部をどうやって手塚は自分のものにしていたのだろうか。
この作品でも、人は相当にグロテスクだ。その筆頭はアドルフ・カウフマンだろう。
日本での外国人という生まれながらのアンビバレンツを持ちながら、父親の影響もありドイツ人として優等であろうと努力する。時のドイツはナチス台頭期であり、自ずとヒトラーを尊敬しユダヤ人を蔑視する少年となり、ユダヤ人への非道を尽くし親衛隊幹部に上り詰める。しかし彼には幼少の頃に親友だったユダヤ人アドルフ・カミルに抱いた友愛の気持ちを心のそこで忘れずにいて、人種や思想で人を差別することへの疑念を心の底で持っており、それゆえユダヤ人を虐待する表の行動との自己矛盾のなかで引き裂かれ、それが一層彼の残虐性を高めている。
対するアドルフ・カミルもまた、カウフマンとの友情を信じたが裏切られ、ドイツ人への憎しみを深化させ、後年イスラエルでの暴虐に加担することになる。
彼らは時代の空気に深く影響を受けるなかで、自分の持つ感情や思想に自らが裏切られ引き裂かれる複雑な人間像を生きる。村上春樹のいうシステムに深く翻弄される個人であって、この複雑さ、脆弱であり強靭でもある姿に人間の生き様を見るのが手塚流だと思う。

一方で日本勢の峠や小城先生などの存在は、まっすぐ人の道を歩む人間像として提示される。彼らは、システムのきなくささを本能的に感じ取り、王道にも少数にも組せず、自分の中の人間としての良心に従いまっすぐに行動する。これもまたこの作品の大きな希望である。

他にもランプや赤羽のようにシステムに存在意義以上のものを見出し偏執的になる者、本多大佐のようにシステムの中で美学を貫くもの、システムに扇動されて表面的な生を生きる庶民など、さまざまに人は生きる。要するに人物がみなキャラが立っている。これほどの人生絵巻を、作品群のほんの一部のようにして生み出してしまう手塚の筆力にはただおどろくほかないのである。

****

読後に思いを馳せるのはもちろんパレスチナのことである。すでにイデオロギーにおける善悪が相対的であること、人間としての真実は別にあることが本編でじっくり示された後であれば、自ずとその解決はアラブとイスラエルどちらかの勝利でもたらされるものでないことは明らかだ。そういう視点をもたらすという点でなおこの作品は現代的であり、かつ今日のなおも混迷する情勢を予言してもいるだろう。



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モーリス・ジャール氏死去

2009-04-01 22:53:01 | cinema
映画音楽家モーリス・ジャール氏死去

ということです。

やはり『アラビアのロレンス』が強烈に印象的ですが
あとは『地獄に堕ちた勇者ども』とか
『ブリキの太鼓』とかですかね
古いところでは『パリは燃えているか』の音楽も記憶にあります(うっすらと)

だいたい50年に渡り活躍した人です
ジャン=ミシェル・ジャールのお父さんですね。

R.I.P


引用↓
(CNN) 約150本の映画音楽を手がけたフランス人作曲家モーリス・ジャール氏が29日、がんのため米ロサンゼルスで死去した。84歳だった。

デビッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」(1962)、「ドクトル・ジバゴ」(65)で米アカデミー作曲賞を受賞。その後も同賞に6回ノミネートされ、リーン監督の「インドへの道」(84)で3度目のオスカーを獲得した。

「刑事ジョン・ブック/目撃者」(85)、「危険な情事」(87)、「いまを生きる」(89)、「ゴースト/ニューヨークの幻」(90)の音楽では、率先して電子機材を取り入れた。映画音楽最後の作品は「永遠のアフリカ」(2000)。交響楽やバレエ音楽、劇場作品も手がけた。

先月開かれたベルリン国際映画祭では、功労賞にあたる名誉金熊賞を受賞した。息子は大型野外コンサートで有名なシンセサイザー奏者のジャン・ミッシェル・ジャール氏。
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ファスビンダーBOX3が発売だ!

2009-04-01 21:08:29 | cinema
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー DVD-BOX 3 (出稼ぎ野郎/悪の神々/聖なるパン助に注意)

紀伊國屋書店

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いやー忘れた頃にいきなり出るので焦ってしまふ
ファスビンダーDVD-BOXの第3集が発売のようです。

以前に回顧上映があったときに、DVD化されていないものでデジタル上映というのが何作かあって、これはもしや発売の前触れか?と思ってはいたのですが・・・
ふたを開けてみると、第3集はそれらの作品とはちょっと違ったラインナップでした。

というかファスビンダーのなかでも地味目な3作でちょっと意外
「ローラ」とか「シナのルーレット」とかが入るかと思っていたのですが。。

今回のは
『出稼ぎ野郎』『悪の神々』『聖なるパン助に注意』
いずれも初期の作品です。

これは買いでしょう>ワタシ



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