Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

レムやディックの新刊でちょっとした祭り

2015-05-26 03:03:24 | book
短篇ベスト10 (スタニスワフ・レム・コレクション)
スタニスワフ・レム
国書刊行会


長らく動きがなかった国書刊行会のレム・コレクションですが、
突如として?「短編ベスト10」が!
ポーランドの読者人気投票で選ばれたものから、未邦訳のものを集めたということで、
期待大。

レム・コレクションからは「天の声・枯草熱」が重版という話も聞こえてきているので、
こちらも大変おすすめです。

過去記事:天の声 枯草熱


泰平ヨンの未来学会議〔改訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)
スタニスワフ・レム
早川書房


こちらは、映画アリ・フォルマン『コングレス未来学会議』の公開にあわせて、
「改訳」で登場した原作。
映画とはだいぶ違う内容になっているという話は聞いてますが
さて。
本書あとがきでは、確かに違うが立派に本作の映画化となっているとい主旨のことが書かれていますが、
これはレム作品の映画化ではまれにみる印象ではないでしょうか(笑)

がちがちのハード作風の一方でレムはブラックなユーモアを湛えた作品も多く残していて
この「泰平ヨン」シリーズや「ピルクス」ものなどがあり、
晩年までシリーズの作品を残しています。
未訳も多いので今後に期待です。
映画を気にシリーズ一挙邦訳にならないかしら?



ヴァルカンの鉄鎚 (創元SF文庫)
P・K・ディック
東京創元社


さて最後はP・K・ディックの初訳長編!
まだ未訳のものがあったのかとお思いと思いますがw

1960年刊行のディストピア長編ということで、
長らく未訳の長編の代名詞的な存在でありました。

ここまで残った長編てやっぱりアレかしら?と思う向きもありましょうが、
いわゆる駄作というか、破綻長編(笑)にもしっかりディックの持つ悲哀のようなものは
しっかりと刻まれているので、
プロットにとらわれず人物の気持ちに寄り添えばおそらくは十分に楽しめるのではないかとw
思います。。





ということで、
個人的な祭りです。
特にレムはさきごろ「ソラリス」文庫化ということもありましたし
映画もあるわで
ちょっとしたレムイヤーですね^^

よいことです。
コメント
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「フルスタリョフ、車を!」アレクセイ・ゲルマン

2015-05-05 02:18:27 | cinema
フルスタリョフ、車を! [DVD]
クリエーター情報なし
IVC,Ltd.(VC)(D)


フルスタリョフ、車を!
1998フランス/ロシア

アレクセイ・ゲルマンの代表作を観ました。
結構長尺なのにテンポとパワーがとぎれることなく持続しているので
最後まであっという間に観られる、
というか圧倒される感じです。

まったくもってなにがなんだかわからないのですが、
そこまでなにがなんだかわからないというものでもない、
なんかわかるものが、壮大にわけわからん状態で描かれているという類の映画です。

そういう映画は、なにか言いようのない巨大な、あるいは底知れぬものを
どーんと表現(というか裏のほうで)しちゃうことができるので
恐ろしいです。
こういう恐ろしさはとくにロシアなひとたちの作品によくありますよねえ。
そんなにいっぱい観ているわけでもないんですけど。

ドストエフスキーもそういう小説なような気がするし、
えーと、カネフスキーもパワーのつぎ込み方はだいぶ違うけど似たところがある。
タルコフスキーはそれをものすごく上品にやろうとしているのかもしれないし、目指すところがだいぶ違うのかもしれないけど資質は似ているかも。




医者である少将の奇行を軸に、その立場の遍歴が思いきり戯画的に表れていて
それも日常の少将の行動範囲のなかでもうぐじゃぐじゃに家庭でのありかたや
病院でのありかたなどが圧倒的に提示されるのが前半といえば前半。
絶えずお茶を飲み咳き込みつばをはき、扉をどんどん開いていく。

でなんでかわからないけど突如少将は失踪する。
失踪してからがまたわけがわからない。
へんてこなソビエトシャンパンと描きたてられたトラックの荷台に監禁されて
そこに送り込まれた囚人みたいな連中にそれはもうひどい目に合わされるんだけど
なんかそこに助けがきてまたもとの家にもどってきたりする。

暴君の父親の帰還でまた大騒ぎなのだが、
そのさなかに怪しげな患者の死を看取る。
「父親か?」と聞かれた介添え人が、いや違うといった後に
いや「父親」だよ」と言い直す。
そこでここに横たわっているのはスターリンだろうとわかる。


映画の中で唯一「私」を託されるのは少将の家の年少の少年なのだが、
スターリンらしき患者の没後に、「父」=少将とはそれきりであると独白があり、
父=少将=スターリンといいうつながりがそこはかとなく匂う

劇中で「この国はなんでもありだ」という言葉が脇役から発せられるが
何でもありをぎゅうぎゅうに押し込んでみたこの映画で、
何でもありぎゅうぎゅう国家の恐ろしさとか閉塞感とか意にそぐわずすすんでいく恐怖みたいなものが、
具体例でありながら単純でなく塊として画面に押し込まれてこちらに漏れ流れてくる。
スターリンの死まではこうだったんだといわれ、
額面通りまるごと怒涛の日常性の噴出を見続ける体験でした。


この時代のロシア。ソ連に生まれたらワタシのような腰抜けは生きる場所がなかっただろうなあ。



ほかの作品もみるよ~


@自宅DVD鑑賞
コメント (2)
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