Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

バンドバトン

2005-12-31 18:04:04 | music
なんとか年内にやっつけておこうとバンドバトン。
kenさんから回ってきました。

しかし結構難題だなあ・・・

■好きなバンド

いろいろあるのです。ビートルズだってバンドといわれるとこれの右に出る者なしってかんじだし・・・

でもバンドとして「愛している」という観点でえいっと選ぶと、なんと
『The Band』
ですね。

あんな実力派なのに、栄光と悲哀に満ちて・・

■好きなメンバー2人

ふたりは無理ですね~
でもリチャード・マニュエルとリック・ダンコとしておきましょう。
故人に敬意を表して。

■好きなメンバーにひとこと

あなた達の歌はほんとうにすばらしかったです。

■思い入れのある曲3つほど

"Tears of Rage"1stアルバムの1曲目です。
"The Weight"派手ですが
"Out of the Blue"地味ですが

ほかにもいろいろありますが…

■ちょっと浮気

ビートルズは・・バンドとしても好きだけれどなんだか音楽制作集団として好きという感じですね。

バンドとしては・・・
ああ、『YES』いいですね。『危機』あたりのバンドらしいYES。
あとは・・・そうそう『スピッツ』(笑)好きですね~

■バトンを回す人

う~ん次の人かあっ
ええと鬱病からの脱出 -Go for Broke-のjafoさん。
もし見てたらお願いします。

**

今年はこれでおしまいです。
来年もよろしくお願いしますm(_ _)m
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帰ってきました

2005-12-29 16:41:30 | diary
昨日、無事ニセコから帰ってきました。
ほとんど吹雪の日々でしたが、なんとか全日滑ることが出来ました。

今日はいきなり大掃除をしています。

コメントいただいた方、ありがとうございます。
バトンもいただきました。
掃除がちょっと落ち着いたら返事をしたいと思います。

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ニセコ山頂です

2005-12-27 10:48:11 | movelog

寒い
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しばらくお休み

2005-12-25 02:49:04 | diary
25日はクリスマスですね。
スタバのおねえさんもサンタ帽をかぶっていました。

今日からしばらく北海道に行ってきます。
ニセコでスキーです。

なのでしばらくブログもお休みします。
ときどきケータイから更新するかもしれませんが。

では行ってきます。
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猫沢エミLIVE051223

2005-12-24 01:00:10 | 猫沢エミ
2005.12.23 at下北沢mona records

猫沢エミライブに行って来ました。
HP予約したんだけれど、開場前に整理券を渡すようなことがどこかに書いてあったと思い、早めに会場に行く・・・も、早すぎて30分くらい時間を潰して、ようやく入場、整理番号7番でかぶりつき席を占拠してしまいました。

今回の編成は、ギター(円山天使さん)、フルート(岩下聡子さん)そしてボーカルとパーカッション(猫沢エミさん)の3人編成。
小編成ながら少しも頼りない感じのない、充実した音を出してました。

曲目の方は、「夏の模様」「イエスコリの橋(正確なタイトルはフランス語なのでパス)」「フィリティカンカン」「モン・プティ・シャ」「マンダリン・ワールド」などなど新しめの曲を中心に、かつ「青い虫」「The End Of The World(!)」など古い曲も取り混ぜて、いい感じの選曲でした。

このところ毎回スティーナのカヴァーがあるのも聞き所。
今回は「デビー・バック・フロム・テキサス」(ってタイトルだったかな?)セカンドアルバムの1曲目ですね。

あと、猫沢さんは「アンコールがかかってまた出てきて曲をやる」というシチュエーションが苦手、ということで、もうアンコールかかる前から、「ここからはアンコールです」って宣言して演奏してました(笑)
アンコールには、昔からのファンの方へのクリスマスプレゼントということで、古めの曲を2曲やりました。

<まとめ>
音が薄い分、逆にグルーヴが乱れなくて、静かながらもちゃんと音楽のうねりがあって、歌の言葉もよく聞こえて、ゆっくり歌を堪能できました。
毎回味わいが違うので、次のライブも楽しみです。
(次回は1/27)

**

今回マイミクのともももさんに会えました。これでリアル友達です。

そうそう、野望だったson*imaのCD渡し、
猫沢さんに贈呈してきました。
でも猫沢さんを前にちょっと舞い上がってしまって、かなり説明不足だったかも・・・^^;

あれは私が作詞作曲と音作りをして、歌はkomamuさんに歌ってもらったモノです。私はmanimaniじゃなくてtakafu名義でやってます。

↑もし万が一猫沢さん(と、ともももさん)がこのページを見たとき用の説明

**

なんだか内容のないレポートで・・・

猫沢エミHP"Ou est mon Chat?"
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今日は猫沢エミライブ!

2005-12-23 16:26:24 | diary
今日の夜は、猫沢エミさんのライブ^^
楽しみである。
いつもは曲目予測をしていくんだけれど今日はちょっと違う気分。
たぶん今夜はレポートは書けないだろうから、行く前にエントリ。

本日の野望は、son*imaのCDを猫沢さんに渡すこと。
買ってくれるかな。やっぱり贈呈になるかな^^;

猫沢さんは1月27日にもライブがあるので楽しみ。

**

今日、お友達が出産予定。
新聞によると、05年の日本は死亡者数を出生数が下回ったそうな。
でもそういう大きな視点とは関係なく、新しい命、いいなあと思う。
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アンドレイ・タルコフスキー「ノスタルジア」

2005-12-22 18:20:15 | cinema
ノスタルジア

ジェネオン エンタテインメント

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1983イタリア・ソビエト
監督:アンドレイ・タルコフスキー
製作:レンツォ・ロッセリーニ、マノロ・ボロニーニ
脚本:アンドレイ・タルコフスキー、トニーノ・グエッラ
撮影:ジュゼッペ・ランチ
出演: オレグ・ヤンコフスキー、エルランド・ヨセフソン、ドミツィアーナ・ジョルダーノ

劇場で2度観た。TVでも放映して、それを録画したビデオを持っていた。
でDVDも所有。観るのは何度目かよくわからない。
その都度寝たりして、全体が上手く繋がらないのだが、今回は通して観ることができた。やれやれ。

**

作家ゴルチャコフは、イタリアに亡命したが危険を冒してロシアに帰国した音楽家サスノフスキーの足跡をたどり、イタリアを旅している。サスノフスキーをとらえた望郷の念にゴルチャコフ自身もとらわれている。
ある寒村の湯治場でドメニコに出会う。ドメニコはかつて、世界の終わりを怖れて7年間家族を一歩も外に出さなかった。ゴルチャコフはドメニコに興味を覚え近づく。ドメニコは語る。「エゴイスティックだからいけなかったのだ。家族だけを救おうとした。すべての人を救うべきだったのだ。」ドメニコはゴルチャコフにある儀式の遂行を託す。温泉の中を、ロウソクをともして渡りきること。自分ではいつも皆に追い出されてしまうから・・・

ロシア的ノスタルジアを追い求めているうちに、そこに人類の未来に対する絶望と希望を重ね合わせているのがこの映画だ。

随所で挟まれる過去の記憶。セピアの画面に描かれる母、家、土、水、犬、姉?、森。ゴルチャコフの記憶や夢を挟むことによって、『鏡』でみたような、私的な精神性へのアプローチを見せる。

しかしドメニコは違う。自分のエゴからはい出して、主張する。その主張はゴルチャコフのとらわれているノスタルジアのもう一つの面だといってもいいだろう。「水を汚すことなく、根元的な生活に戻ろう」ドメニコは、住処を離れ、ローマの広場で演説をする日々を送る。そして唐突な最期・・・音が飛び、断片のみ流れるベートーヴェン第9。

同じ頃、イタリアを去ろうとするゴルチャコフは、出立の直前、ドメニコに託された「義務」を思い出し、湯治場へ向かう。湯の引いた湯治場を、ロウソクを片手に歩くゴルチャコフ。風のため、火は途中で何度も消えてしまう。そのたびに最初から歩き直す。それは苦行の相をなしてくる。
そしてついに湯治場の端にたどり着く。これも唐突な最期。

二つの結末によって、なにが起こったのか。希望を未来につなぐための二つの儀式。そこにはもちろん現世的意味はない。無意味のなかに始終する儀式に込められた果てしない思い。ここが『鏡』とこの作品との違いだ。
ノスタルジアを大きな絶望と希望のメッセージにつなげたのだ。

ということで言うと、ある意味、『鏡』の方が主題が整理されていると私は思う。徹底して私的な回路を通じてノスタルジアの核に触れようとしたのは、むしろ『鏡』のほうだ。『ノスタルジア』では主題が外に、未来に向いている。
受け取る側から見ると、作品の多義性によって深く心に染みいるという点では『鏡』の方が成功している。『ノスタルジア』の方は、メッセージが明確になった分、映画全体の多義性は乏しくなり、ともすると説話的流れに依存したコミュニケーションにとどまってしまうのではないだろうか。

とすると、『ノスタルジア』の映画としての救いは、あの「儀式」の無意味性にある・・・と今は直感的に思うのだ。

**

タルコフスキーが初めてソ連の外にでてイタリアで撮った作品。
彼はそのまま亡命。スウェーデンで『サクリファイス』を撮ったあと、パリで客死。

共同脚本のトニーノ・グエッラは、アントニオーニ「欲望」やフェリーニ、ベルイマン、アンゲロプロスなどの映画で活躍するイタリアの脚本家。

製作のレンツォ・ロッセリーニは、ロベルト・ロッセリーニの作品などでの音楽家。
どうして本作の製作になったのか、不明。
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ジャック・タチ「ぼくの伯父さんの休暇」

2005-12-21 15:03:30 | cinema
ぼくの伯父さんの休暇 デジタル・ニューマスター版

角川エンタテインメント

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1952フランス
監督:ジャック・タチ
脚本:ジャック・タチ、アンリ・マルケ
撮影:ジャン・ムーセル、ジャック・メルカントン
出演:ジャック・タチ、ナタリー・パスコー
   アンドレ・デュボワ、ヴァランティーヌ・カマクス

療養生活終了記念映画祭第2弾はコレ。
もう何度目になるかわからないけれど、ニューマスター版を購入したので再観。

にも関わらず、いや笑わせてもらいました。ギャグっぽくない笑いが隙間なく連なっている。笑いを押しつけない微妙な温度感がとても肌に合うのだ。
ジャック・タチいいなあ。

【以下・ネタバレ注意!!】
**

とある海辺のリゾート。シーズンになりあちこちからバカンス客がやって来る。つかの間のにぎわいの始まりだ。おのおのくつろぐ客達。我等が伯父さんムッシュ・ユロもバカンス客のひとりだ。海水浴に、テニスに、乗馬に、ピクニックにいそしむお客たち。イギリスから来た婦人に、軍人らしき老人、バカンスでも忙しい証券マン、美しい令嬢・・そのなかで、我等がユロ、全く悪気も悪戯気もないのに、どういうわけかしょっちゅう騒動の種をまきちらしてしまうのだ。ユロの行くところ、なにかしら調子がくるって、吹き出さずにはいられないことが起きる・・・・・・

**

いちいち面白いところをあげていくとそれこそ際限ないのだ。

まずあの車wおかしいな~あれ、ポンコツで。ここぞというときに幌が降りちゃって前が見えなくなったりする。

あと、アイスクリーム売りのアイス。とろ~っと落ちそうになるのが妙にユロには気になるらしい。しょっちゅうおっとっと~と救いに行こうとするし。

乗馬のシーンもおかしいな。令嬢はすっと馬にまたがってるんだけど、ユロはどうやら苦戦。馬をなんとか納屋に閉じこめたと思いきや、反対側からお尻を出して、オープンカーの後ろの張り出しをぽこ~んと蹴飛ばしちゃって、張り出しが閉まって、そこに座っていた人がはさまっちゃうしwwwいや、馬、名演技!

それから、テニスの場面。あの異様なフォームでがんがん点を取りにいっちゃって、すっかりイギリスのご婦人に気に入られちゃったりする。

そうそう、ボート事件w さっそうとボートでこぎ出したはいいけれど、なぜかボートが真ん中でまっぷたつになってはさまっちゃうんだよな~w、でボートが鮫の口みたいにパクパク動くもんだから浜辺は怪物が来たーってパニックになっちゃう。そんなばかな~と思ってもばかばかしくて笑えるし、なんだかジョーズを時代さかのぼってパロディしてるような妙な感覚になる。(誤読?w)

って書いてってもわかんないだろな~~~~^^;



しかし、ユロ、逃げる逃げる。失敗をやらかすたびにデカイ図体して、そそくさ~と逃げ回る

馬事件の時も逃げてそおっと当たりを伺ってるし。

ボート事件のあと、ずぶぬれになってホテルに戻るんだけど、そこでもこそこそ逃げ隠れして、濡れた足跡だけがドタバタ~という音とともに入口から階上へ繋がっているw

痴漢とまちがって強面おじさんのお尻を思いっきり蹴飛ばしたときも逃げてるし。

そういえば最後のほう、犬に追いかけられてまた逃げてたなww
それで夜になって、ユロがいないぞ?ってなって、どうしたのかと思えば、まだ犬に追いかけられてるの(爆)

・・・いやこの調子で、まったく書き尽くすことはできませんね・・・



ラスト、シーズンの終わり、バカンス客が潮が引くように帰ってゆく。みんな別れを惜しんでいるのに、ユロだけはひんしゅくをかってるせいか、誰にも相手にされない。例外は、退屈な一人旅を飾ってくれたと思っているイギリスのご婦人。英語でぐっど・ばいってユロに言ってくれた。
あと、老夫婦のうちのダンナのほう。奥方の目を盗んでユロと握手してた。
いいなあこの微妙な疎外と連帯のバランス。


えーと、また監督(かつ脚本・主演)の言葉を引くと、
「私はギャグを好みません。なぜならギャグとは、現実の誇張にすぎないからです。そして実生活は、どんなギャグより面白味のあるものです。」
この映画でも、ユロは騒動の「種」にすぎず、笑いはその種にかき回された他の人がそれと知らず演じてしまうのです。そこがこの笑いの温度感の秘訣なのでしょう。

実生活に潜む笑いの追求は、この映画のあと、「ぼくの伯父さん」「プレイタイム」へと引き継がれ、徹底されてゆくのです・・・・
おそらくタチの作品の好き嫌いは、この温度感を心地よいと思うかどうかで別れてしまうんだと思います。

私はこれが好きです。
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アンドレイ・タルコフスキー「鏡」

2005-12-21 10:36:06 | cinema
鏡【デジタル完全復元版】

アイ・ヴィー・シー

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1974ソビエト
監督:アンドレイ・タルコフスキー
脚本:アレクサンドル・ミシャーリン、アンドレイ・タルコフスキー
撮影:ゲオルギー・レルベルグ
音楽:エドゥアルド・アルテミエフ 
出演:マルガリータ・テレホワ、オレグ・ヤンコフスキー
   アナトーリ・ソロニーツィン

優雅な闘病生活もあとわずかとなってきたので、ひとりでじっくり観ておきたいものを観ようということで、このセレクト。

タルコフスキーのなかでもストーリー性が希薄で、わかりにくい、というか「寝る!」とよく言われる作品なのだけれど、私には退屈しない、心にしみこむ好きな映画なのです。

**

冒頭、ひどいどもりの青年を暗示により治療する場面がある。暗示により青年の両手は硬直して動かなくなる。そして治療師はこう言う
「この緊張が解ければ、あなたは話せるようになる。これから一生。」
1・2・3!
カウントとともに青年の手は動くようになり、そして、流暢に話し出す・・・
そしてタイトル「鏡」・・・(ホントはロシア語です)

この作品のテーマはこのイントロに象徴されているだろう。人をとらえて放さない緊張と解放。タルコフスキーはこのテーマを極めて私的な体験や記憶をモチーフに紡ぎ出す。

人をとらえて放さないものとはなにか。たとえば喪失感、辛い体験、望郷の念、幼少のころの名付けがたい断片の記憶。そうしたものを描くとき、突き詰めればそのモチーフはとことん私的なものになるだろう。そしてその表現を受け取る側でもその「絶対の私性」を感じ取ることによってなにがしかを共有することになるだろう。この映画は多分そういう映画だ。

**

切り口はたくさんある。

父の不在/喪失が一つの軸だ。はっきりとは示されないが、二世代にわたっての父の不在または喪失が描かれる。ひとりは、幼少のころ父が去り、今は成人して、妻と別れまさに自分の息子から「父」を喪失させようとしている存在。もうひとりは、いままさに父を失おうとしている少年イグナート。追憶の父は、母の髪を洗う姿のような、断片的でモノクロの映像で現れる。一方「現在」の父は画面には姿を現さず、声だけの存在だ。父の喪失を悲しみながらも、父との生活を拒否するイグナートの姿に、アンビバレンツな感情が見て取れる。

母への愛憎ももう一つの軸だ。二世代の男は結局それぞれの母と暮らし、育つことになる。愛情と確執。この表現は父のように単純ではない。追憶は母とともにあった日々のことにとどまらず母自身の苦い記憶や、母に対する幻想とない交ぜになって描かれる。印刷所での緊迫したエピソードや、母と暮らした家の隣家の火事、そして寝姿のまま浮遊する母の姿・・・映像は母によりそい、母となり、母を見つめる視線や幻想となる。祖母となった母や、イグナートの母もからんで、多義的な「母」が描かれる。

そして戦争体験。軍事教練を受ける少年の寄る辺ない心持ちが、雪の降る教練場で精一杯の反抗的な態度をとる少年の姿で描かれる。銃を携え、涙を流し、頭に止まった鳥を捕まえる少年。随所に差し挟まれる戦禍の記録映像。そこに添えられる音と詩の朗読。

あるいは幼年期への憧憬。記憶の断片。幼い頃の家と敷布、本との出会い、少女へのあこがれ。

そして、自然とのつながり芸術との出会いロシア的精神性への考察・・・・

こうした私的な断片が、独自の映像言語で多重に折り込まれる。
ほとんど気づかれないほどの微妙なスローモーション(印刷所のシーン)、恣意的に選ばれた音(随所で聴かれる水の流れしたたる音)、詩の朗読、風・水・火・光・影の横溢。画面に写るあらゆるモノに魂の響きを感じさせる。

**

これは映画であり、なのだ。
様々な軸も、読みの試みでしかない。理解するよりも感じることによって個々の魂に触れる。そういうことの出来る映画なのだ。

最後に監督の言葉を引く。
「詩の論理こそ、芸術のなかでもっとも正当で詩的なものである映画の可能性に答えるものだ」
「映画という方法によって、個人的な魂の精神的実存に触れることが出来る」


みんなに観てもらいたいけれども、誰にでも奨められる映画ではないのかもしれない。
これはもはや私の私的/詩的領域に属している作品なのだ。


<追記>
調べたところ、この作品、DVDバージョンはフィルム版と若干の違いがあるようだ。一部画面の明度やサウンドトラックを操作しているという。
DVD化の時代、こうした問題は表に出にくいものだ。どのようにかしてオリジナル性の確保については声をあげてゆくべきなのかも知れない。
もちろんなにがオリジナルかという大きな問題はあるにしても・・

佐藤公俊のホームページ
Nostalghia.com
タルコフスキー映画祭




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↑なにとぞぼちっとオネガイします。
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知熊?

2005-12-21 03:50:06 | movelog


北野勇作「どーなつ」を参照のこと・・・
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ウツ記:クスリ

2005-12-19 13:53:56 | ウツ記
ウツ歴はもうすぐ丸二年になるんですが、そのうちの前半およそ10ヶ月は、某大病院に通っていました。
そこでお世話になった先生は、効果がないとみるとすぐクスリを変えてみるという人で、10ヶ月の間に20回はクスリを変える、もしくは量や飲む時間を変えるということをしました。

で今回は、その過程でであったクスリ達のことなど・・

デパス+レスリン
初めて処方されたクスリでした。飲んでみて良くも悪くもならないという感じでしたが、しばらくすると不整脈がでるようになり。
そんな症例はないんですけどねぇ・・と先生は首を傾げながらも違うクスリに変えてくれました。

デプロメール+レキソタン
これは眠気以外には副作用がなくいい薬でした。
でも肝心な抗ウツという点ではそんなに効き目なく・・・
・・しかしこの「効き目なし」という判断がここから先のクスリ遍歴の始まりでした・・・

トリプタノール
三環系抗うつ薬ですね。私には、飲んだらイチコロ、超ダウナー系でした。まったく気力というモノがなくなり、布団に直行。一度寝たら16時間は寝続ける。起きている間もほぼ廃人、吐き気はするしぼおっとするしでもう大変。
服用中にあるライブに出かけたんですが、ライブ中ずっと硬直状態でした・・・

アナフラニール
廃人は困るので、次に出たのがこのクスリ。これも三環系。
これは廃人にはならなかったけれど、飲んで即日、極度の排尿困難になってしまいました;;
これはなんというか苦しいというか情けないというかどうがんばっても出ないので、二日くらいで服用停止!

アモキサン
これも三環系。これは眠気が服用後6時間くらいしてからやって来るという不思議な副作用があり。でもその他は特に変な作用はなく、ちょっと気分的にも向上
現在も服用中。問題はその眠気が来るタイミングだけ。夜就寝前に飲めという処方だったために、眠気が翌日の午前中にきてしまうのです。困った。

デパケンR
せっかくアモキサンの抗うつ効果が上がっていたのに、なぜがそれを中止して登場したのがデパケン。ウツのクスリではなく、てんかんのクスリなんだそうで、抗うつ効果もあるとのこと。
アモキサン中止したので眠気がなくなりスッキリ。でも抗うつ効果はどうもなかったみたいで、うつ症状復活!!ダメじゃん!

トレドミン
いよいよ真打ちSNRI登場。これで巻き返しか?と思いきや、確かに副作用はないものの、復活したうつ気分には適わず。
この時点で、もう昼夜逆転+浅い眠り+悪夢+起きている間はぼんやりの、ボロボロ生活でした。

ノリトレン
とりあえず変えてみましょうと出てきたのがこれ。また三環系。しかしこっちはもうボロボロなので、何が効果で何が副作用なのかもよくわからず

ここで先生も匙を投げ、もっと細かい気配りのできるクリニックに行きなさい、とやっかい払い
紹介してもらった小さいクリニックへ転院。

パキシル+アモキサン
そして処方されたのがSSRIのパキシルと、復活アモキサン。
新しい先生のワザは、アモキサンを昼に飲め、という処方でした。
これにより、極度の眠気がちょうど夜に来るようになり、昼夜逆転生活が一気に解決されてしまったのです。
おお、この先生すごい!

というわけで、以来、若干の量の調整はしたものの、今はパキシル+アモキサン+レキソタン+ドグマチール+アモバンという組み合わせで、わりと調子よく落ち着いています。
パキシルとアモキサンは相乗効果が認められるとのことで、それで調子がよいのかも知れません。
副作用は若干の排尿困難があるのと、午前中ちょっと眠いくらい。
あと、昼にアモキサンを飲むと夜7時くらいに寝ちゃうので、今は昼というより夕方に飲んでいます。

**

思うに、どんなに抗うつ効果があっても、副作用の強いクスリはダメですね~
特にダウナー系に当たった時はつらかったです。
あと、同じクスリでも、服用時刻などのちょっとしたさじ加減でえらく効果が違うのには驚きでした。

もし今ダウナー系抗うつ剤で苦しんでいる方、ちょっとしたことで事態は好転するかもしれません!
よくお医者さんや自分の状態と相談して最適なクスリと服用方法を探してみてください。


う~~ん、真面目な締めだ。
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スタニスワフ・レム「高い城・文学エッセイ」

2005-12-16 11:52:49 | book
高い城・文学エッセイ

国書刊行会

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ポーランドの作家スタニスワフ・レムが、その若き日々をつづった自伝的小説が「高い城」である。

内なる他者である「記憶」を一つの説話装置としてとらえ、極力大人としての注解や価値判断を避け、記憶にこそ証言をさせようとした、その発想は、いかにも絶対的他者との邂逅を追求したレムらしい。

しかも冒頭序文において、記憶のメカニズムを、記憶によって証言させる試みは、しかし随所で「失敗している」、と著者自身が語っている。
なんとも人を食った話だ。

内容は古都ルヴフでの幼年期の記憶に残っていることの細部、耳鼻科医だった父の所蔵する解剖学の書のこと、父の服装や所持品のこと、などがひたすら列挙される。
長じてギムナジウムの生徒となったころの「身分証明書」作成への情熱、数々の怪しげな機械の発明、学校の教師のことなど、と述回は続く。

で退屈かというと、結構面白いのだ。場所すら知らない未知の都市の30年代の細部を読み連ねていくと、まるで自分の記憶でもあるかのように懐かしい手触りがよみがえってくる。小説を読むということの快楽のひとつはこの疑似体験的感情移入だとすると、小説の説話装置としてのレム記憶は、結構うまくはたらいたのではないだろうか。

ただ途中で展開する「芸術論」は、どうしても黙っていられなかった「大人のレム」が顔を出して、それはそれは雄弁に語る。
ここで語られる持論は、繰り返し他のエッセイでも散見されるもので、レムにとっては、自ら課した禁じ手を破ってまで語りたい重要事なんだろう。
その内容はちょっとむずかしいけれど・・・

読んでひとつわかったこと:レムはとにかく頭がいいということ^^
知能指数テストで南ポーランドで一番IQが高かったんだとか・・・
・・・まあ小説読めば頭イイことはわかりますけどね~

あと、描かれる時代は、激動の40年代の一歩手前まで。
ナチスのポーランド侵攻以降の凄惨はなぜかこの小説では描かれない。
同時所収のエッセイ「偶然と秩序の間で-自伝」では、かなり慎重に触れられているこの激動の時代は、やはりレムといえど簡単には取り扱えない深い影を落としているのだろうと推測される。
ちなみにこの自伝のタイトル「偶然と秩序」、結構レム作品を読みとくキーワードなんじゃないかと思う。

**

「高い城」のほか、10編のエッセイが収録されている。
そのなかには、フィリップ・K・ディック、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、ストルガツキーなど私の好きな作家に関するエッセイも含まれており、興味津々。

でもこのエッセイ、かなりの難物。ほとんど学術論文のノリ。
ディックのエッセイは、ディックの作品をほめているのか困惑しているのかよくわからなかったし・・・「メタファンタジア」に至っては、私、全然着いていけませ~ん。降参!
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そういえばライブやります

2005-12-15 17:26:11 | LIVE告知
えー、スチールドラムがメインの超絶コミックバンド「白くまアリス」のライブがあります。
わたしはベースを弾きます
お正月、暇でどうしようもないと言う方で、吉祥寺が活動圏内の方、
是非お越しください。

日時:2006年1月3日 17:30~
場所:吉祥寺マンダラ2
出演:パンタジア(スティールドラムバンド)
   田部井雅世(フルート)
   白くまアリス


詳細は白くまアリスHPまで
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ジャン=ピエール・ジュネ「アメリ」

2005-12-14 13:13:57 | cinema
アメリ

ビデオメーカー

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2001フランス
監督:ジャン=ピエール・ジュネ
撮影:ブリュノ・デルボネル
出演:オドレイ・トトゥ、マチュー・カソヴィッツ

二度目です。
難しいこといわないでいればこの映画やっぱり好きだわ。

結構古典的主題っていうんですか、ええと、ファンタジーの世界で策を弄するのに長けたアメリが現実と関係を結んでゆく成長の物語が軸?

でもその軸はそんなにしっかりとは追求されない。
どちらかというと成長前の、まだファンタジーの住人であるアメリの企てるいろいろな仕掛けを楽しんでいる。
だからリアリズムじゃない。
証明写真の人物が明け方に話し出したり、壁の絵が動いて、人形が電気を消したりする。
心臓が透けて見えたり、ポケットの鍵が透けて見えたりする。(このシーンはちょっと説明が過ぎたな)

で、アメリが最初の恋に出会って、奇跡の傍観者でいることをやめ、無防備で生身の、心臓がどきどきする世界に飛び込んだところでこの映画は終わる。

なんだか事のとば口で終わってしまったような感じを受ける。

その意味ではなんというか・・『デリカテッセン』の持つ意外な素直さとあまりかわるところのない作品なんじゃないか。
そんな気がした。

現実との出会いはこれからだよ、アメリ・・・・


恋をしていると共鳴するところは多いかも。
がっかりしたアメリが水になって床にこぼれちゃうとこなんか、
ああそうだよな~って思うな。

続編があるとしたら、もっと波瀾万丈なモノになるだろう(根拠無)
『ロング・エンゲージメント』がそれ?(未見)

<追記>
書き忘れたけど、随所で映画的お約束を逸脱するのが面白い。
たとえば頻繁にカメラ目線で観客に訴えかけるとか、
ぶっと口から吹き出した液体がカメラのレンズに当たって流れるとか・・・
目新しいというわけじゃないけど、この映画の場合、妙にはまっていて成功しているかも。
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まいった

2005-12-12 05:42:21 | diary
午前3時。
ろくでもない夢を見て起きる。

「その件は当初設計のどこに入っているんですか?
 どこにもそんな話はないじゃないですか!
 なんで当初提案しなくて、今頃になってそんな話になるんですかぁ!?」


うえ~
仕事でよくこんな台詞吐いてたけど、夢でまで叫ぶなんて・・・
激怒感を残したまま目が覚める。
まったく無意識というやつは油断ならない
ここぞというときに変なものを押し上げてくる。

う~このまま暗闇で起きていると、頭の中が仕事モードでぐるぐるしはじめる~
ので、起き上がり、寒い部屋でCDを聴き心を休める。
↓名作

エアリアル
ケイト・ブッシュ
東芝EMI



今夜は都心で初雪が観測されたそうだ。寒いなあ。
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