Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「夜と霧」アラン・レネ

2007-07-31 02:59:26 | cinema
夜と霧 [DVD]

アイ・ヴィ・シー

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NUIT ET BROUILLARD
1955フランス
監督:アラン・レネ
脚本:ジャン・ケイヨール
撮影:ギスラン・クロケ、サッシャ・ヴィエルニ
音楽:ハンス・アイスラー

第二次大戦中のナチスによる強制収容所に関するドキュメント。
制作時点の収容所跡地の映像と、戦時中の実際の映像をコラージュしたもの。

ぽっかりと空疎な跡地の廃墟の映像と、凄惨を極める収容者の映像との間の果てしない距離感に背筋が寒くなる。
この場所でまさにあの惨劇が起きたのに、いまは跡形もない、という不思議。

映画中でも、この跡地でなにを撮るべきなのか、と自問する。

戦後10年ほどしか経っていない制作時にすでにこの距離感が生まれていることに驚く。
日々おしよせる風化、忘却、リアリティの変質。この感覚は、後にレネとデュラスが広島においてとりあげたテーマでもあるだろう。惨劇とともに恐ろしいのがこの距離感であることをこの作品は訴える。


もうひとつこの作品が訴えるのは、惨劇に通じる道は決して特殊な道ではなかったこと。むしろ惨劇と日常性が結合していたことである。

映画は冒頭、収容所監視塔のデザインについて触れる。いかにも思いつきで設計された、様々な様式の塔がある。収容所建設は産業における特需であったわけで、急速に多くの企業が建設に群がったことを示している。人類史上類い稀な惨劇に加担するという意識などなかったに違いない。

あるいは収容所における「生産性への努力」。
企業活動における日常的な原理がそのまま適用される。効率的な焼却炉。遺品の利用方法。遺体から石けんを作ること。髪の毛から絨毯をつくること。頭髪の山が果てしなく上に延びてゆく映像は背筋が凍る。

それから、収容者内にもやはり階級があったこと。所長を頂点とする監視体制の下層には、ドイツ人の刑事犯がいて、ユダヤ人収容者をいいように牛耳っていたこと。

あと、大企業による「私設」収容所があったこと。激安労働力を当て込んで作られたもので、SSでさえそこには入れなかったという話。

・・と列挙するとキリがないほど濃密なドキュメントなのだ。

***

収容所の映像がないことにより映画は自ら死んだと嘆くのはゴダールだが、その欠落を不器用にでも埋めていこうとする本作のようなセミドキュメンタリーを彼はどうみるだろうか。
「映画史」でも「アワーミュージック」でも「夜と霧」からの映像が引かれていた。嘆くよりも、愚鈍ながらもその埋め合わせを形にしていくこと、のほうが大切なのかもしれないな。


***

ハンス・アイスラーによるスコアは新古典的な響きでそれ自体は好きではあるけれど、この作品においてはまさにニュース映画の音楽のノリで用いられる。このへんは映画にはひっきりなしに音楽が背景となるという時代の要請なのか。それともレネの資質なのか。
5年後に撮る「ヒロシマ・モナムール」でも音楽はひっきりなしだったが・・



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ベルイマン死去

2007-07-31 02:34:54 | cinema
20世紀を代表する映画監督で演出家のイングマール・ベルイマンさんが30日、同国フォール島の自宅で死去した。89歳だった。

ということです。

ベルイマンはほとんど観ていなくて、観たいリストには常に入っているのですがなぜか手を出しにくい。
黒澤明に手を出さない感覚に近いかもしれません。

遺作となった「サラバンド」を劇場で観たことでとりあえずリアルタイムに追い付いたのかもしれませんね。

岩波ホールで「鏡の中の女」を観たことも思いだされます。
あのころは若かったな・・・



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「ヒストリー・オブ・バイオレンス」デヴィッド・クローネンバーグ

2007-07-30 00:43:25 | cinema
ヒストリー・オブ・バイオレンス [DVD]

日活

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A HISTORY OF VIOLENCE
2005アメリカ/カナダ
監督:デヴィッド・クローネンバーグ
原作:ジョン・ワグナー、ヴィンス・ロック
脚本:ジョシュ・オルソン
音楽:ハワード・ショア
出演:ヴィゴ・モーテンセン、マリア・ベロ、エド・ハリス、ウィリアム・ハート


クローネンバーグはあまり本数観てませんが、好き嫌いということでいうとまちがいなく「好き」で、でもあの世界に自分がいたらと思うとものすごくゾッとする、なぜかそういうふうに引き寄せて考えてしまうのですな。

「イグジステンス」のような異物の饗宴とか、「裸のランチ」の「ベンウェイ!」って叫ぶあのおそろしばかばかしの世界とかには、できれば立ち会いたくないです。なのにその場に自分がいることをなぜか想像してしまう。

あ~やだやだ

**

で、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」
これもまったくもっていや~な世界でした。
冒頭もったいぶって長回しで登場したあのいやな二人組、あれですら実は暴力の世界が開く単なるきっかけにすぎないなんて。
あの事件をきっかけに、もっと輪をかけていや~~な奴らが乗り込んでくる、あのカフェのシーンのイヤさはもう脳裏に焼き付いて離れないですわ。
いやいや、それ以前に、しょっぱなのモーテルのドアと窓とイスのショット、あれだけで「うわっ!イヤだ!!」と心の中で叫んでしまったのでした。

こうなるともう、いや~なカットを撮る天才といえましょう。居心地悪い、などということばはまだ生温く、やはりここは「嫌悪」の二文字を捧げたいですね。
そしてこの徹底した嫌悪感こそが、またクローネンバーグを観ようと思う時のワタシの動機なのです。そこにはなにか私を惹き付けてやまない力があるのですぅ~~

助けて!!

***

ちょっとした事件でヒーローになっちゃったカフェのオーナーは、それがきっかけで隠していた過去が明かになっていく。と同時に封印した「暴力装置としての自分」が目覚めていく。

この目覚めが、息子のやはり暴力の獲得の過程とシンクロしているところも空恐ろしい。

「事件」は究極の暴力によって一応けりが付くけれども、家族はこの後この目覚めた暴力とともに生きていくことになる。この不可逆の変化をどうやって受け止めたらいいのか、自分たちにもわからない。黙って皿を並べる娘、食べ物を勧める息子、そして夫婦は悲痛な思いで見つめ合う。よいラストだと思う。


結局なにも解決していない。謎も解き明かされないし、次のステップに進むための糸口も示されない。あるのは暴力描写だけ。ともいえるだろう。
なのでまったく受け入れられない人もいるだろうけれど、ワタシ的には、やはりあの「嫌悪」とともに、すっぽりと私のなかのクローネンバーグのツボにはまりこんできた一本なのでありました。

***

主人公の顔はまたクローネンバーグ的面構えといえましょう。

原題はA History of violenceなので、この"A"っていうのがまたいや~な感じします。"The"じゃないんだもんな。

好き度:微妙・・



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「二十四時間の情事」アラン・レネ

2007-07-27 22:16:47 | cinema
二十四時間の情事

ハピネット

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Hiroshima, mon amour
1959フランス/日本
監督:アラン・レネ
原作・脚本:マルグリット・デュラス
撮影:サッシャ・ヴィエルニ、高橋通夫
音楽:ジョヴァンニ・フスコ、ジョルジュ・ドルリュー
出演: エマニュエル・リヴァ、岡田英次


よかった。名作。
脚本の勝ち。
だけれど、映像もだいぶがんばっていた。
でも音楽はちょっと過剰だったかも。

***

広島に映画ロケのためやってきたフランス人の女と、日本人で建築家の男の一夜の物語。
女は原爆資料館の展示や写真を見て、広島を見た、知ったというが、男はそれを否定する。君は見ていなかった。君は何も知らない。
女は故郷のドイツ占領~解放のなかで辛い恋と別れを体験していた。
夜の広島をさまよい、男に語りかけながら記憶を呼び戻す女。それは悲しい物語。禁断の恋とその終わり。ナチに媚びた女として蔑まれる日々。その悲しみとあきらめ。
遠い惨劇の地で想起され語られるもう一つの惨劇。



原題はHiroshima, mon amour
戦後の広島(って今でも戦後なのか)を舞台に、
広島の惨事と、遠いフランスでのやはり戦争がもたらした個人の境遇を出会わせる。
大文字の歴史と小文字の歴史。
戦争のもたらした大きな傷と小さな傷。
その中を生きる人間の苦渋、そしてその想起と忘却がもたらす更なる苦渋がテーマ。
それを二つの惨劇の地にそっと浮かび上がらせる。
洗練されたセリフや独白と、それに呼応して慎重に繋ぎ合わされるカットがこの試みを成功させている。

特に女の故郷ヌヴェール(だったっけ?)の自然や家並みの映像は、広島の焼け野原の映像との対比もあって心に残る。川沿いの林、土の道、自転車、納屋、廃墟。寒そうな地下室。すべては悲しい記憶。

***

さすがに邦題では内容が伝わりにくすぎるためか、最近は「ヒロシマ・モナムール」で通るようである。フランス人は「イロシマ」になっちまうけどね。

モノクロを意識してか、常に白い服に身を包む女が魅力的である。彼女の魅力なくしてこの映画は成り立たない。

構造的にゴダールの「アワーミュージック」前半と似ているかもしれない。冒頭は地獄篇に相当する地獄絵。そして中盤以降は惨劇の地で語り、さまよい、逡巡する煉獄篇。

夜の駅で果敢に演技するおばあちゃんに感激する。

忘却の苦しみについて、特に日本の若者に見せたい映画。


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「インランド・エンパイア」デヴィッド・リンチ

2007-07-25 14:01:37 | cinema
インランド・エンパイア

INLAND EMPIRE
2006アメリカ/ポーランド/フランス
監督:デヴィッド・リンチ
製作:デヴィッド・リンチ、メアリー・スウィーニー
脚本:デヴィッド・リンチ
出演:ローラ・ダーン、ジェレミー・アイアンズ、ハリー・ディーン・スタントン 、ジャスティン・セロー、カロリーナ・グルシュカ、スコット・コフィ、グレイス・ザブリスキー、ローラ・ハリング
声の出演: ナオミ・ワッツ


いや、観ましたよ~~!!
今年最大の期待作。「わたしも、世界も、乱れていく。」
いいですね~乱れましょう。

これはなんというか、今までのリンチの作品にあった緊張の極端な起伏のようなものはちょっと鳴りをひそめて、終わりのない霧の中の回廊をひたすら延々とまよいさまよい歩くような、そんなどこまでも不安で宙づりなリンチでありました。

なので、ブルー・ヴェルヴェット以降のリンチが好きな人にはちょっと物足りないかもしれません。パンチがないのです。「イレイザーヘッド」からベイビーを抜いたものを、パラレル世界に展開したような感じ?

でも私はこの霧の中のはてしない時空間スリップが大好きです。



この感覚、どこかで似たものを体験している!!という記憶のうずきがあるんですが、それがなんだったのかどうしても思い出せないでいます。
う~~ん、、う~~~~ん、、、、なんだろうこの感じは???

なんというか、バッハにおける「フーガの技法」?、ディックにおける「ヴァリス」?、YESにおける「錯乱の扉」?、グリーナウェイにおける「プロスペローの本」?
・・・なにか違うけれど、そんなような位置づけに思えました。・・・


ワタシ、「インランド・エンパイア」を支持します!
でもって、もう一度観にいきます!!

どうやらあの3人はナオミとコフィとローラだな!とか細かい所が山ほどきになるけれども、
今はひたすら浸るです!!


****

ところでYOU TUBEで話題になっていた牛とはこれのことかなあ??





好き度:そりゃもう


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「街のあかり」アキ・カウリスマキ

2007-07-25 03:58:27 | cinema
街のあかり [DVD]

アミューズソフトエンタテインメント

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街のあかり

LAITAKAUPUNGIN VALOT
2006フィンランド/ドイツ/フランス
監督・制作・脚本・編集:アキ・カウリスマキ
出演:ヤンネ・フーティアイネン、マリア・ヤンヴェンヘルミ、マリア・ヘイスカネン、イルッカ・コイヴラ、カティ・オウティネン


おもしろかった。

「浮き雲」「過去のない男」に続く敗者三部作のラストということです。
「浮き雲」は見ていないのですが、「過去のない男」に比べると、主人公の生きる力の発露という点でかなり違う人間像を描いていたと思います。

これは「街のあかり」のテーマが「孤独」であるということに由来する違いで、生きる力を孤独がどのように苛んでいくのかということが、かなり控えめな通低音になっているからだと思います。苛まれちゃってるので生命力が衰えてる。


コイスティネンはデパートの警備員ですが、もともと社交的な性格ではなく、上司からも同僚からもなんとなく疎まれている。それが孤独であるが故にそうなったのか、そういう性格だから孤独になっていったのか。その両方のような気がしますが。

その孤立感を鋭く見抜く悪い奴がいて、コイスティネンはさんざんな目にあうのですが、このプロットはなんとなくファスビンダーの「自由の代償」などに通じるものがあります。ただコイスティネンはファスビンダーの主人公とは違って、自分の境遇や自分を陥れたものの正体を理解しています。その理解がこの作品のひそかな希望の細い糸となって全編をかろうじてつらぬいていて、とうとう絶望の淵に至る最後にこそ孤独からの解放の糸口をつかむという、感動的薄明につながっています。

主人公にあからさまな感情移入を拒むような作りは、この生命力の低下と、希望の糸の細さを表現する方法だったのだと思いました。
号泣ではなく、心の奥の方でくくっと涙する、そんな作品。
そういう感じは私は結構好きです。

****

ヘルシンキの街を、決して風光明媚に撮ることがない。徹底して魅力のない景色・・工事現場とか港のハズレの荒れ地とか夜のデパートの周りとか・・。
よくみると結構色に溢れていて、おそらくは入念な色彩設計がなされているにもかかわらず非常にくすんだ空気をだしています。いい感じです。
「かもめ食堂」であれだけ透明な空気感を持っていた街とは思えませんね。

カウリスマキはほとんど見たことがありませんが、美男美女が出てこないところが好きです。

それから、この作品にも魅力的なロックバンドが出てきます。MELROSEというバンドなのでしょうか。実にかっこいいです。ちょっとダサめなところがかっこいいです。

音楽と言えば、オープニングの曲はカルロス・ガルデル「ヴォルヴェール」。泣けますね~

後は・・・カウティネンと悪女ミルヤの会話なんか、目線が小津的でありましたね~
それからその悪女のミルヤが、悪者たちの部屋でなぜか掃除機をかけているところとか、妙にわびしくて笑えましたね。

そうそう、ワンコ。カウリスマキ映画ではかなり由緒正しき血統のワンコのようで、逆に犬の寿命の短さというのを感じてしまいましたね~ドッグイヤー。

原題は「街のはずれのあかり」という意味があるようで、ああ、なるほどな~

最近ちょっと外し気味の映画鑑賞だったので、口直しによいものが観れました。
8月にまたカウリスマキ回顧上映があるようなので、出来たら行きたいな。



好き度:


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「魔笛」ケネス・ブラナー

2007-07-24 03:46:12 | cinema
魔笛

THE MAGIC FLUTE
2006イギリス
監督:ケネス・ブラナー
脚本:ケネス・ブラナー、スティーヴン・フライ
音楽:ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト
演奏:ヨーロッパ室内管弦楽団
指揮:ジェームズ・コンロン
出演:ジョセフ・カイザー(タミーノ)エイミー・カーソン(パミーナ)ルネ・パーペ(ザラストロ)リューボフ・ペトロヴァ(夜の女王)ベンジャミン・ジェイ・デイヴィス(パパゲーノ)シルヴィア・モイ(パパゲーナ)


結論から言うといまひとつ面白くなかったので、言葉少なにしとこうと思います。

モーツアルトのオペラ「魔笛」全曲をそのまんま映画化しようということですが、舞台を第一次大戦のヨーロッパ(でも全員英語で喋ってるわけですが)に設定してのチャレンジ作。

原曲をよく知っているわけではないのでいいかげんなことを書きますが、多分、原曲では次の点が面白い所なのかな~と思っています。
●善と悪(ザラストロと夜の女王)双方の影響を一身に受けていて、そのはざまで引き裂かれそうな、陰陽あわせ持つヒロインという存在。
●冥界の試練を魔笛の力によって乗り越えることで、ヒロインを救うということ。

で、オペラではそのあたりは実はあまり具体的には描かないのですね。悪の女王といっても、独唱では非常に明るい3和音アルペジオなんかが見せ場にあるように、音楽的には悪者的強調をしないので、おのずと両義的な存在に思えてくる。
ザラストロだっていい人なんだか悪い人なんだかわからん。

あと、試練の描き方ですけど、冥界の試練、っていっても、オペラでは「水の試練~」とかいうだけで、じっさいどんな試練なのかは、演劇的に抽象的に描くわけですから、見る者の想像力の世界での出来事になるわけですな。だから面白いし観るに耐える。


んで、この映画ですけど、なんだかちょっと具体的すぎて、観るものの想像力に訴えるということがないんですよね。そうするとかえって表現の幅が狭くなっちゃう。

一例ですけど、まあ「水の試練!」とかいって出てくるシーンなんか、なんちゅうか単に水泳大会ですよあれは(笑)。試練でもなんでもない。あれでは冥界の神秘性なぞありゃしませんよ。

って、言いたかったのは↑ここだけなんですけどね。

ああ、あと女王の大口のアップは堪え難かったでございます。

*****

劇場は年配の方でほぼ満席。
皆様楽しそうに御覧になっておりました。

シャンテのシートはオシリが痛くなるんだよね~


好き度:モーツアルトに敬意


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「それでも生きる子供たちへ」

2007-07-23 03:01:50 | cinema
それでも生きる子供たちへ


ALL THE INVISIBLE CHILDREN
2005イタリア/フランス


世界の子供たち、と聞くとすぐに、貧困、病気、飢餓、戦争、災害、とネガティヴワードばかりが連想されてしまうご時世だよなあ。
なので、この作品もそういう切り口で迫るドキュメンタリータッチのものかなあとなんとなく先入観をもって観にいった。(クストリッツァは例外でいつもの調子だろうとは思っていたが(笑))

で、観たら、確かにそういうキーワードであふれる作品群だったけれど、内容はあくまで子供目線のフィクション。フィクションの力、物語の力によって子供を取り巻く状況とその中を生きる子供たちの力を伝えようという立場のものだと感じた。

批評的ドキュメンタリーとするならば、たとえば貧困の問題はそもそもなぜ発生しているのかという、マクロな分析の視点も不可欠だろう。でもここにある作品たちはあくまで子供たちの身の周りに密着して語られる物語。
これは現代の民話だ。理性や知性でのアプローチとは違って、接する者の感性に訴え、心に沈みこみ、行動や考えの源泉となるような、そんな民話を準備したのだ。

なんて思ったよ。

***********************

『タンザ』 TANZA
監督/脚本:メディ・カレフ
撮影:フィリップ・ブレロー
出演:ビラ・アダマ / ハノウラ・カボレ

明示されないけれどゲリラ戦で山中を移動する小さなグループ。構成員は皆子供だ。身近な戦闘。身近な武器。身近な死。
ある小さな村に行き当たり、この村を襲うことになるが・・・

戦闘シーンなどが芝居的でまったくリアルでないところなど、独特の距離感で逆に子供の目線を感じさせる。なにがリアルかという選択には常にステレオタイプの再生産となる可能性が含まれているわけでね。そのへん、これは独創的な映画だと思うです。


『ブルー・ジプシー』 BLUE GYPSY
監督/製作:エミール・クストリッツァ
脚本:ストリボール・クストリッツァ
出演:ウロス・ミロヴァノヴィッチ

刑務所で模範囚な子供。出所するけれども出迎えるのは子供に盗みを働かせて稼ぐろくでもない親父。看守に守られ食事と仕事とベッドがある刑務所と、自由だけれど守る者のない外とどちらがいいか?

てなストーリーに全然回収されない細部の騒然としたポリフォニーがここでも炸裂するクストリッツァ。重苦しいテーマだけれど小気味よいコメディになっている。ああ、民話だなあ・・親父の盗賊ファミリーだってブラスバンドを率いてすごく楽しそうだし(笑)


『アメリカのイエスの子ら』 JESUS CHILDREN OF AMERICA
監督:スパイク・リー
脚本:サンキ・リー/ジョーイ・リー
製作:スパイク・リー/マイク・エリス
製作総指揮:サンキ・リー/ジョーイ・リー
出演:ロージー・ペレス/ハンナ・ホドソン/アンドレ・ロヨ

HIV感染者+麻薬常習者の両親を持つブランカ。自分もHIVに感染していたがそのことは両親からは知らされずに育った。あるとき親しいはずの友だちにエイズベイビーといじめられ、自分が感染者と知る。悩むブランカは・・・

ブランカの家庭は荒んだものでもなく、むしろ周囲の無理解と偏見(子供も大人も)のほうが熾烈である。でもそのような状況のなかで自分は生きなければならない、そのためにはどうすればいいかを、ブランカは無言で考え、歩き出す。思わず居住まいを正すような凛とした意志。


『ビルーとジョアン』 BILU E JOAO
監督/脚本:カティア・ルンド
出演:フランシスコ・アナウェイク・デ・フレルタス / ベラ・フェルナンデス

ブラジルのスラムで暮らす兄妹。空き缶や段ボールを拾い集めては換金する生活。高層ビルやハイウェイのスキマをぬって埃の中を淡々と生きる彼等の、こまごまとした出来事。

淡々としているがゆえに永遠に続いていきそうな生活。でも実際は成長してますます閉塞していくんだろう、という予感。スラムですらいつまであり続けるのかわからない、そういう予感へ導かれる。


『ジョナサン』 JONATHAN
監督:ジョーダン・スコット/リドリー・スコット
脚本:ジョーダン・スコット
出演:デヴィッド・シューリス / ケリー・マクドナルド / ジョーダン・クラーク / ジャック・トンプソン / ジョシュア・ライト

戦争カメラマン。自分はなにを成し遂げたのか。誰も救えない。無意味だ。悩み、フラッシュバックに苦しむ。外に出ると森の奥へ走る子供の姿が・・後を追ってみると・・・・・・・

リドリー印のポエジー溢れる小品。戦下の子供たちの生きる姿を見てかろうじて使命をとりもどす様は、今を生きる大人たちの責任の取り方を突き付けられているようです。


『チロ』 CIRO
監督:ステファノ・ヴィネルッソ
脚本:ディエゴ・デ・シルヴァ / ステファノ・ヴィネルッソ
撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
出演:ダニエリ・ヴィコリト / エマヌエーレ・ヴィコリト / マリア・グラッツィア・クチノッタ

街頭で盗みを働いては盗品を売りさばく少年たち。ナポリでは年々治安が悪くなっていると嘆く大人たち。少年チロが盗品の時計を売って、おまけに要求したものは・・・・

ロッセリーニの、パゾリーニの国の映画、という感じでした。アッカトーネはいまでは低年齢化して、先行きも一層怪しくなってきたようです。撮影はあのストラーロ。ラストを夜景にしたところなんかはフェリーニ的?


『桑桑(ソンソン)と小猫(シャオマオ)』 Song Song & Little Cat
監督:ジョン・ウー
脚本:リー・チアン
出演:ザオ・ツークン / チー・ルーイー / ジャン・ウェンリー / ワン・ビン / ヨウ・ヨン

桑桑は裕福だけれど諍いの耐えない家庭の子供。小猫は捨て子で貧乏なじいさんにひろわれたが愛情を注がれて育った子供。それぞれの思い、信念、威厳が、そっとすれ違い触れあう。

なんかこれが一番面白かったな。ジョン・ウーだし、間違いなく確信犯的な超童話タッチ。あざとさもわざとらしさも計算のうえ。大人たちよ、童話に学べ。子供たちこそ信念と威厳を教えてくれる存在なのだ~~


好き度:


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「パラダイス・ナウ」ハニ・アブ・アサド

2007-07-22 00:23:45 | cinema
パラダイス・ナウ

2005フランス/ドイツ/オランダ/パレスチナ
監督:ハニ・アブ・アサド
脚本:ハニ・アブ・アサド、ベロ・ベイアー
出演:カイス・ネシフ(サイード)アリ・スリマン(ハーレド)ルブナ・アザバル(スーハ)アメル・レヘル(ジャマール)ヒアム・アッバス(サイードの母)


うまく言えないが、人には人それぞれの事情がある、というのが世の真理で、一人として同じ事情をもった人間というのが存在しないであろうことは、ちょっと考えるだけでわかろうというもの。
そのうえ、ひとりの事情だって大義名分から個人的なものまで、いろいろなものの集積なのだ。

だから人の世は無数の異なる事情からなる巨大4次元モザイク構造体なわけだ。

でも世の中をとらえようとする時、モザイクをモザイクのままとらえるというのは大変難しく、面倒なことなので、ついついモザイクが織り成す大きな模様とか色の偏りなんかを見つけては、全体をとらえたかのように思って自分を納得させてしまう。

でもそれはモザイクそのものではなくて、モザイクについての像なのだ。

もちろん、モザイクを全部まとめてモザイクのまま受けとめることなんてことは人間にはほぼ不可能に思える。世の中を知るにはなんらかの像によるしかないのだろう。
ならば、どうせならその像は4次元構造をしっかり感じさせてくれるものであって欲しいし、多様なものならその多様性をしっかり伝えてくれる像であって欲しいのだ。

*****

で、と、「パレスチナ・ナウ」は2005年のパレスチナ人というモザイクを、その構造も欠片のひとつひとつもいっしょくたに伝えることのできる像を作ろうという試みである。

パレスチナをめぐる像というのは、日本では(というと大きく構え過ぎなら自分自身のこれまで持っていたイメージでは)しばしば大くくりな、大雑把な、悪く言うならステレオタイプな、無批判な、像だっただろう。
アラブ、イスラム、西欧に対する他者、信仰心、過激派・・

典型的なのはいわゆる「自爆テロ」に対する反応で、狂信的/非人道的な犯罪ととらえるのが日本のマスコミが主導する像である。
(「自爆テロ」という言葉自体、事情を安易に解釈した結果の用法である)

しかしこの映画は、自爆攻撃の当事者の行動には、まさにそれぞれの生きた事情があり、事情に捕われて生きてゆくと言う点で、なんらその他の人と変わる所のない、普通の人間であることを、生々しく描いている。
モザイクを感じさせる像なのだ。

****

【ここからはネタバレです。】

社交的なハーレドは、自爆攻撃の実行者に選ばれた時も積極的に犠牲となることを選ぶが、後にヨーロッパ育ちの女性スーハに、占領の終結には他の手段を模索すべきだと説得されて実行を取り止める。

しかしハーレドの友人で同じく実行者に選ばれたサイードの事情はより複雑である。彼の父は密告者であり、処刑された。家族はそのことについて社会的に負い目を負わされていて、サイードは無意識的にその汚名を晴らしたいという欲求を抱えている。占領下で出口のない抑圧と闘うという大きな動機に加えて、そうした個人的な内圧を秘めている彼は、実行を取り止める機会がありながらも最終的には自爆の道を選ぶ。

【ネタバレ解除】

このように実行者の動機は決して狂信的で凶悪な人間の性格に由来するものではない。
占領下という抑圧環境での閉塞感、宗教的背景から個人的な性格や家族関係、外部からの視点(主にスーハがもたらす)が様々に折り合わされた「事情」が動機となっているのだ。

撮影にあたり、現地の抵抗勢力が脚本をチェックしたそうだが、抵抗組織のメンバーは、登場人物が実際にいる仲間のように感じられたと言ったということである。
この映画を、テロリストを正当化するものだととらえることは容易いだろう。しかしそうした現地での反応をも併せて考えるならば、この映画はある面でのリアルなパレスチナの姿を伝えていると言ってもよいだろう。

中東の問題に関心のある人は必見と思われる。
(無関心の人もぜひ見るといいとは思うが。)

************

話法も表現形態もかなりちがうのだが、スピルバーグ「ミュンヘン」(同じく2005作品)とは合わせ鏡のようになっていると感じた。
両方見てバランスがとれるような感覚だ。

特に触れなかったけれど、自爆攻撃に送り出す側の事情についても、やはりステレオタイプとは離れた描き方をしている。宣誓シーンでの出来事などはコミカルですらあるのだが、あれも実は日常的な感覚なのだとか。

上映パンフレットがとても良い出来です。こんなブログよりよっぽどいいことが書いてあります。世の映画パンフはこの水準を目指してもらいたい。

平日のモーニングショーだったので観客は二人だけ。
贅沢な見方をしてしまった。
東京では8月上旬まで、あとは各地でも上映があるようなので、見るとよかです。


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「ミュンヘン」スティーヴン・スピルバーグ

2007-07-20 01:04:59 | cinema
ミュンヘン スペシャル・エディション

角川エンタテインメント

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Munich
2005アメリカ
監督:スティーヴン・スピルバーグ
原作:ジョージ・ジョナス
脚本:トニー・クシュナー、エリック・ロス
撮影:ヤヌス・カミンスキー
出演:エリック・バナ(アヴナー)ダニエル・クレイグ(スティーヴ)
キアラン・ハインズ(カール)マチュー・カソヴィッツ(ロバート)ハンス・ツィシュラー(ハンス)

面白かった。
というとデリケートな問題なだけに不謹慎なのかもしれないけれど、でも私的には映画として面白かったんです。

***

72年のミュンヘンオリンピック事件。
その報復としてイスラエルは事件に直接間接に関わったパレスチナ人11人の暗殺を計画する。
この映画は、その計画の実行者による暗殺の経過を独特のリアリズムと想像力で追跡するとともに、実行者たちの運命と心理的な葛藤を描くもの。

スタンスとしては完全に実行者によりそう描き方で、モサドの工作員という硬派なイメージではなく、それぞれ信念をもち、しかし強さも弱さもあり、家庭があり、という個人像を描こうとしている。主人公であるアヴナーの料理の腕前や、爆弾屋のミニマルなオブジェ作りのクセなどに、その辺の工夫が見られる。

暗殺には果敢に躊躇なく取り組む彼等だが、中盤から、得体の知れない勢力が逆に彼等を襲いはじめることにより、急速に信念を相対化してゆき、かつさまざまな疑念にまどわされてゆく。最後には自分たちを派遣した国家組織の思惑にも漠然とした疑念を抱きはじめ、自分たちは正しいことをしたという証拠を求める。
この逆転劇が骨子だろう。この逆転を気にアヴナーは悪夢を見はじめる。

結局アヴナーは自分の行動が正しかったという確信は得られず、このような手段で世界が前進するはずがないという実感を持つに至る。組織の論理を信頼できず、これからも悪夢と漠然とした身の危険への恐怖を抱きながら生きてゆくことになることが暗示されて映画は終わる。

一見平和主義的な結論に至るようにみえるが、状況はあくまで混沌としており、解決への道は見いだされない。なんら結論には至っていないのがこの映画だ。


そもそも状況の複雑さや根深さに対して、この映画の視点は単純、というかモノフォニックなアプローチに徹したものと理解すべきだろう。
ポリフォニックな観点からすれば、例えばパレスチナゲリラたちの人格やパレスチナの側の論理にも焦点を向けないといけないだろうし、イスラエル内部でも、あるいはパレスチナにもさまざまな異なった考えがあることにもふれないといけないだろう。
ここではそうした輻湊感は一切排除されている。あくまで、ある視点、でのドラマであってそれ以上ではないと受け止めるべきだろう。

***

というのとは別に、死のシーンにおける独特なリアリズム感は特筆すべきだろう。頬を横から打ち抜かれて呆然とする選手や、「オランダ女」への報復で武器の取り扱いにやたらてまどるところとか、「オランダ女」の死の異様な間合いとか。

これは古くは「ジョーズ」が持っていたインパクトに通じるものがあるかも。残虐をどうリアルに扱うか、という課題をここでまたひとつステップアップしているのだ。

***

実行チームのひとりは「さすらい」「新ドイツ零年」の(というか私はそこでしか見たことがない)ハンス・ツィシュラー。役名もハンス。渋い役所。

ダニエル・クレイグも「007カジノロワイヤル」とはうってかわって地味な役。

****

同時期に「パラダイス・ナウ」を観た。これは「あちら側」の心理に踏み込んでいる点で、この作品と合わせ鏡のようである。極力音楽を控えた作りといい、よく似ている。もちろんスタンスも資本規模もまるで違う二作品だが。
併せて観るとよいと思う。



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「ルネッサンス」クリスチャン・ヴォルクマン

2007-07-18 04:54:10 | cinema
ルネッサンス

RENAISSANCE
2006フランス/イギリス/ルクセンブルク
監督:クリスチャン・ヴォルクマン
脚本:アレクサンドル・ド・ラ・パトリエール、マチュー・デラポルト
声の出演:ダニエル・クレイグ、ロモーラ・ガライ、キャサリン・マコーマック、イアン・ホルム


度肝を抜くどおでもよさ!
そのどおでもよさは突き抜けた痛快ですらなく。
珍しく金返せ!と叫びたくなるワタシ。

もともと期待していなかったんだけど、かつ予告もみて期待できないな~とも思っていたんだけど、じゃあなぜ観る?>ワタシ

だってフランス/イギリス/ルクセンブルクの映画で、目新しいフォーマットだし、未来アニメだし、もしかしたら予告編以上のノワールな、ヨオロピアンなヒネリがあるかもしれないじゃない?

でも結局、なにでした。新しいフォーマットに既視感のあるコンテンツ。フォーマットだけ自慢したかったのかな??
ブレードランナーmeets007?、かつアニメというより要は実写モドキ。コントラストがきついだけという・・・
どうせならブレードランナーとカジノ・ロワイヤルを別々に二本分のお金を払ってみた方がはるかに面白いデスヨ

せっかくのゴシック臭い超立体未来都市も、ちょっと全体をなめるだけであとは近景でのアクションばっかでダイナミクス不足だし。
でてくる人間はまったくもって普通のというより20世紀臭い奴らばかりだし。
超大企業の権力と陰謀+未来都市ってまったくブレードランナーのまんまだし。
しかもそこの副社長(なんで副なんだ?)は「私が悪役です」と顔に書いてあるようなキャラクターだよ。いまどき善悪の二項対立・・・


まあ、強いていえば、終盤のアンダーグラウンドの迷路?に迷いこむ所は、パリの下水道網のノワールな伝統の継承という点で面白いかもしれない。


でもですね・・でも・・あのチンケなラストはなんじゃ??
&そもそもタイトルの意味がよく分からない・・・
フォーマットは古くていいから新しい(というか独創的な)コンテンツを下さいよ。


やっぱり金返せ~~~~~~~~~~~~!!
と叫ぶワタシでした。
(これに制作費23億円(だっけ?)?・・・人類は金の使い方をもうちょっと考えた方がいい・・・)



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「ブリッジ」エリック・スティール

2007-07-17 03:49:28 | cinema
ブリッジ
THE BRIDGE
2006アメリカ
監督・製作:エリック・スティール

誤解を恐れずにいうなら、これは世界的に有名な橋に関する良質なルポルタージュである。
橋にまつわるどのような映像がありうるかという問いに対する無数の答えのひとつには、自殺者の姿を映す、という回答が厳然たる事実として含まれる。

撮影すること自体が不謹慎であるというのは、事実に対する不敬であるだろう。

撮影するくらいなら救援しろというのは、橋を車で渡るくらいなら救援しろ、映画を観るくらいなら救援しろ、と橋にかかわるすべての人々が悪であるというのに等しいし、たとえばすべての戦地ルポを禁じる論理である。

厳然たる事実をフィルムに収めるという点で、この映像は橋に対して誠実であり、イデオロギーによる偏りがない。と思う。

フィルムは自殺者だけでなく、雲にかすむ橋、朝焼け、夕暮れに映える橋の姿を悠然と映し出し、音楽までつけている。これは橋のプロモフィルムなのだ。

***

では、このフィルムのもうひとつの面である「自殺者」のルポという側面ではどうか?
この側面はもっぱら遺族や親しい人々へのインタビューによって構成される。この方法も間違っていないと思う。それ以外の方法は思いつかない。
インタビューでうかびあがるのは、自殺者がどういう人となりであったか、死に至るまでの心の動きが周りの人々にはどう見えていたか、である。追悼も教訓もない。基本的に正しいと思う。

ただ、思ったほど自殺者の、あるいは遺族らの「人生」は見えなかったように思う。これは話される内容が自殺者の死に関わることに絞られていたせいではないか。あくまで「本人」が不在のインタビューであるのだから、むしろ遺族自身の出自や家族構成や、本人しかわからない心や思いを自由に語らせるべきだったのではないだろうか。そのことによってはじめて人の人生というものがみえたのではないか。直接故人にかかわらないことでも、見えた人生には必ず得るものがあるはずだ。

という意味では、唯一含まれていた「生存者」のインタビューが一番肉薄的だっただろう。「本人」の生々しい告白が、家族の思いと対置されることによって、生存者である息子と、その厳格な父親との間の、直には言及されない無言の確執がにじみ出るように伝わってきて、息子の生きる空気というものがありありと感じられた。全編この空気感がほしかったと思う。

***

しかし、ほとんどの死者は、生前精神の病を患っていたのもちょっと意外だった。うつ病、統合失調症。
自殺にはさまざまな原因があるだろう。その原因が病の引き金になったのか、病が死の原因であるのか、そのあたりも掘り下げてほしかった。この映画の扱い方では、やっぱり自殺する人はそういう病気なのよね~という感想で終わってしまいそうである。これはまずかろう。

それから、インタビューの構成を故意にシャッフルしていたが、その意味は図りかねた。いちばん「華麗に」飛んだロックンローラーの彼を、期待を持たせつつラストに配置したのか?という、スペクタクル志向の存在を邪推する。それは正しくないだろう。

あとはなあ・・・音楽の使い方がちょっと・・必要だったのかなあ?
橋のプロモとしては機能していたけど自殺者のルポとしては不要だったなあ。


結論的には、人生の掘り下げ不足で、珍しいもの観たさの人や短絡思考のひとにあらぬ誤解を与えてしまいそうな仕上がりになっている点で、万人には薦めることができない映画だと思った。

でも劇場は意外と混んでいたけどね。



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「アリゾナ・ドリーム」エミール・クストリッツァ

2007-07-15 01:44:09 | cinema
アリゾナ・ドリーム

ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン

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1992フランス
監督:エミール・クストリッツァ
製作:クローディー・オサール
脚本:デヴィッド・アトキンス、エミール・クストリッツァ
出演:ジョニー・デップ、ジェリー・ルイス、フェイ・ダナウェイ、リリ・テイラー、ヴィンセント・ギャロ


これを観ると、クストリッツァが決してリアリズムの作家なのではなくて、現実とファンタジーの境界を巧妙に曖昧にさせることでなにがしかのものを感じ取らせることを目論む作家なのだということがよく分かる。
それはフィクションの力を信じることであって、作品がすべて現実の投影であったり寓話であったり解釈であったりとする立場とは違うのだと思う。
ティムバートンを薄めたようなソフトなタッチで展開するのでほんわかと観てしまえるが、思い返してみると多くのモチーフがポリフォニックに忍ばせてあって、でもそのモチーフがうまく溶け合うのは、これが虚実の境目を絶妙に歩むナイスブレンドな味わいだからなのだ。解決も謎解きも一切ないのに呑み込んだ後味が切なくハッピーですらあるのは、まさにフィクションの力にこちらが呑み込まれていることの証左なんだな。

・・・と訳の分からない韜晦ではじめてしまうスタイルが多くなってきたなあ・・

******

ジョニー・デップの透明感でかなりすっきりした仕上がりのこの作品は、後のクストリッツァの祝祭的混沌から語り起こすスタイルはあまり感じさせません。スマート。ほんとにクストリッツァ?でもこれが一皮剥いた彼の本音なのかもしれません。

【夢】
冒頭に、人を知るにはその人の夢を聞け、という(ような)言葉がでるように、全編通低するのはである。いつかたどり着くであろうユートピア、というものが主人公の人生観にはあって、その行き着く先が夢で観た世界なのだ。

【共同体=家族】
主人公=少年は、疑似家族に参入する。それは少年時代にふさわしい暖かい疑似ユートピアであるが、少年は成長し、本当に力のある者、本当の愛の対象を知る。つまり成長することで、疑似家族はバランスを失うことになる。

【浮遊~飛行】
成長の暗喩が飛行の実現だ。
初めはベンチの浮遊だったが、すぐさま飛行を求める積極的行動にでる。一応成功するが、本当の飛行があるとき成就する。この成就をきっかけに愛の構造が変転し、共同体はバランスを崩しはじめる。

一方でつねに真のユートピアへ誘うのが夢の魚である。魚は現実とファンタジー(もしくは異世界)を自由に行き来し、空中を舞う存在である。

あとは、リリ・テイラーの一度目の自殺シーンも浮遊のモチーフである。彼女は亀なので結局は浮遊しないのだが。

【成長譚とアメリカンドリームの終焉】
というわけで、共同体の崩壊と叔父の死をきっかけにジョニーが成長して、いよいよ現実に足を踏み出そうという映画なのですが、踏み出そうにも叔父が体現したアメリカンドリームはもはや現実のモノではなく、ジョニーは地味な仕事と夢の世界に帰属することになるのです。ここらへんがクストリッツァ的というか、厳しい現実もあるけどユートピアを生きようよという結末なわけで、ここらでクストリッツァの賛否が分かれそう・・・

【映画の参照】
ヒッチコックをめぐりなかなか面白い仕掛けがしてあって、この映画中でもっとも笑いを取る場面となっている。ヴィンセント・ギャロががんばっている。
他にも複数の映画からの引用あり。
あとホームムービーへの懐古的目配せも見逃せない。これは後の「SUPER8」でもみられる目線。




まあこんな感じの映画で。
わたしはわりと気に入りました。ヴィンセントが結構普通の俳優やってるし、しかも笑いを取るし。
リリもけっこう魅力的で。
なんたってフェイはあの「俺たちに・・・」のフェイですもん。

リアリズム命!のひとや、なんでこうなるの?ということにこだわる方には薦めませんけどね。

****

この映画撮影中にクストリッツァの故国でボスニア紛争ぼっ発。
映画冒頭に紛争についてのラジオニュースがちらっと流れる。

フランス資本でユーゴの監督によるアメリカ(についての)映画。

音楽はオリエンタルなクストリッツァ味だったりメキシカンだったりで、アメリカ映画と一線を画す要素。

そうそう、すでに動物使いとしての腕前を発揮している。とくに食卓の亀サン。あれは奇跡では??



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「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」青山真治

2007-07-14 02:35:46 | cinema
エリ・エリ・レマ・サバクタニ 豪華版 2枚組

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エリ・エリ・レマ・サバクタニ 通常版

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2005日本
監督・脚本:青山真治
プロデューサー:仙頭武則
出演:浅野忠信、宮崎あおい、中原昌也、筒井康隆、戸田昌宏、鶴見辰吾、エリカ 、川津祐介、岡田茉莉子、内田春菊 他

まあ面白いとは思ったけれど、あまり乗れませんでしたね。

「AA」での間章といい「路地へ」の中上健次といい、青山真治は自分の出自に関わるものとの距離感がうまくないような気がする。
この映画でも、時に誇らしげなまでに差し挟まれる登場人物によるノイズパフォーマンスは、あれはまさに80年代におけるカウンターカルチャーのテイストであって、いまとなってはノスタルジックに想起すべき音像なのだが、どうもこの映画においてはそのパフォーマンスに全幅の信頼を置いているかのように思えてならない。青山真治が青春を過ごしたであろう80年代のあの文化のゆらぎは、そのダイナミズムが急速に失われあるいはメインストリームの文脈のなかにとりこまれていった後である今においてこそ、はっきりと回想されまた検証されるべきモノであるとは思うが、その検証においては我々はもはやその内部の者ではいられないという自覚すなわち批評的距離感が必要だと思う。その意味で、この映画はもしかしたらすぐれた80年代カルチャーの検証たり得たかもしれないのに、すんでの所でその可能性を放棄し当時の音像の中を生きてしまったのである。平たく言えば「古くさい」のである。

おかげで、それほど重要ではないかもしれないプロット(これは80年代というより60年代ポップカルチャー的プロットだ。近未来、謎のウイルスに侵される人類、それを救うのはあるバンドの音楽だった!バンドは曲折の末演奏し、美女を救う・・・モンキーズあたりが主演しそうではないか)が換骨奪胎されて過去への目配せやキッチュなオマージュになりそうなところを、なんだか本気なものに思わせてしまい、本気だとすると、やっぱり「古くさい」ということになってしまう。

ここらへんは、80年代のオルタナティヴな音楽シーンが、60年代のフルクサスなどのハプニングやジョン・ケージなどの発想を参照しつつ生まれていたことを思うと、60年代的プロットを80年代的音像とぶつけるという点で面白い発想であると思うんだけれども、いかんせん、それが本気モードになってしまったが故についに00年代の映画にはならなかったのだ。

というわけで、簡単にいっちゃうと音が古くさくてダメ~
古い音はそれなりの文脈なり批評性をもって使うべし!

****

フラッシュバック的に出てくる演奏シーン、あそこスターパインズカフェじゃん。
あそこではあんなバンドはやらせてもらえません(笑)

宮崎あおいは非常にカワユイので許す。
しかしあまり喋らない方がよかったな。
あとなんで一番いいシーンで目隠しをしちゃうんだろうなあ・・せっかくの表情がわからんよ。ゴダールに見習って撮るべきモノは撮って欲しい(意味不明)

よかったのは、メシ食うシーンが多めだったこと。食うシーンはなんだか好きなんですよ。食べっぷりは筒井康隆がいちばんよかった。

そう、筒井氏の異形的なたたずまいが実はいちばん映画を震わせていたのかも。
普通にいるだけで異形。それがクライマックスで野原を走ってゆく姿がよかった。

映像的には、どうかなあ。無駄なカット割りも長回しもなく。ほどほどに淡々とした絵だったな。
冒頭海というのは「帰ってきたヨッパライ」かと思っちゃったよ。


というわけで残念賞。
好き度:


あ、そうそう、タイトルはイエスの十字架上での最後のことば。ヘブライ語らしい。
で、このことば、バッハのマタイ受難曲のテキストではEli,Eli,lama asabthani!となっている。この違いはなにか?というのが気になるが調べきれていません。
バッハ(のテキスト作者ピカンダー)はおそらくラテン語訳聖書から引っ張ってきているので、ヘブライ語とラテン語の違いかな?

でも考えてみるとイエスはアラム語を喋ったという話だし、聖書はギリシャ語で書かれたと思ったし、ここでヘブライ語を使う意味はどこにあるのかなぁ?

何かこのへん思いっきり突っ込んでみたい気もするなあ・・



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「ライフ・イズ・ミラクル」エミール・クストリッツァ

2007-07-11 21:50:17 | cinema
ライフ・イズ・ミラクル [DVD]

アミューズソフトエンタテインメント

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LIFE IS A MIRACLE
2004セルビア=モンテネグロ/フランス
監督:エミール・クストリッツァ
脚本:エミール・クストリッツァ、ランコ・ボジッチ
音楽:エミール・クストリッツァ、デヤン・スパラヴァロ
出演:スラヴコ・スティマチ(ルカ)ナターシャ・ソラック(サバーハ)ヴク・コスティッチ(ミロシュ)ヴェスナ・トリヴァリッチ(ヤドランカ)

笑いながら泣きました~
戦争のさなかにだって、いや、さなかだからこそいろいろな出会いや別れがあって、その感情の振幅はどうしたって大きい。死は簡単だ。生きることはつらい。そんな言葉を噛みしめながらその都度その都度その振幅を一所懸命に生きていくんです。時には人生も戦争も笑い飛ばさなければやっていけません。常軌を逸した混沌のなかにこそ締念と活路があるのです。私、この映画を精一杯生きました。足りない所があるかもしれないけれど、もうそれで胸がいっぱいです。

***

まずこの映画は、基本的にコスモポリタン的ヒューマニズムの立場にあって、それは後半のボスニア人とムスリムとの恋というテーマはもちろん、セルビアとボスニアの国境を跨いで走る線路の復旧という設定や、その鉄道が走る山間の模型(=理想郷)を作り続ける主人公ルカの姿にも滲み出ている。こういう立場には私はイエスと言う他はない。民族主義的な分離独立よりも、異民族が共存する道を選ぶ方がなんといっても世界の未来としては明るいと思うのだ。

だから戦争とか式典とかそういうものを、軍の中隊長?(クストリッツァ・ジュニアだ)がいうように「我々のもの」ではなく「誰かのもの」として徹底的にワルノリして描き倒して見せる。特に前半の混沌はイッテいる。機関車がやってくる時の式典のあのばかばかしさはほとんどモンティパイソンだし、サッカーの試合なんかモヤっていて観戦どころじゃないのに、いきなりベルカントヴォイスでがなり出すお母さんはいるわ、ゴールでは乱闘が始まるわもうごちゃごちゃ。戦火が迫ってきてもビビりながらもシチューを煮てチェスをしたりしている。これは人間のしたたかさというよりは、命をかけてばかばかしさを訴えているというような感じなのだ。

でもそういう政治的立場に基づく評価はさておいて、それ以上にいくらでもぐっと来るものがこの映画には含まれている。

後半の恋物語はむしろ地に足が着いている。次第に心開いていく様をういういしく描いて、はかない運命にある恋をそっと咲かせる。サバーハを助けるために軍に身柄を引き渡さなければいけなくなったときのルカの気持ち、いっしょにオーストラリアにいこうと夢を語る二人の気持ち。最後にサバーハにコートを渡すことすら出来なかった別れ。人生はなんてせつなくて不思議なんでしょ。

でラスト。これもいいんですよね~。死を選ぼうとするルカを救うのは?それはたぶん辛い現実のなかにしっかり息づいている暖かい気持ち、記憶や夢のようなもの。生きて夢を追うこと。それが生きる糧になるんでしょうね。。

全体パワフルで猥雑ななかで、そういう豊かなものへの目線を大事にしている、そんな映画だと思います。

***

動物たちが生き生きと華麗な演技を次から次に披露するのも見どころ。
物語の鍵を握っているとすらいえるロバ君を初めとして、ワン君にネコさん、猫ににらまれて失神するハトとか、チェスをしに家の中に入ってくるウマとかね。

なかでも猫が犬相手に高速連続両手グーパンチ!をしていたのには目が釘付けに!思わず巻き戻してリプレイ!


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