Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「いま見てはいけない」ダフネ・デュ・モーリア

2018-07-27 00:19:56 | book
いま見てはいけない (デュ・モーリア傑作集) (創元推理文庫)
クリエーター情報なし
東京創元社


ながらく積ん読でありましたデュ・モーリアの短編集ですが、
予想の5倍くらい面白かったです。

表題作はニコラス・ローグ「赤い影」の原作でありまして、
そのことによってワタシはデュ・モーリアの名を意識し始めたわけですが、
同時に「レベッカ」や「鳥」の原作者であるということも知りまして、
その筋の人を惹きつけそうな感はありますな。

と言ってもググった限りにおいてはそれほど映画化が多いというわけでもないようで、
ピンポイントで迫ってきたなあというところでしょうか(笑)

表題作「いま見てはいけない」ですが、映画の雰囲気に結構近い、
主観の揺らぎなのか事実なのかというリアリティの移り変わりを巧みに用いた、
なんというか、素晴らしいノリです。

赤い服とか二人の老婆とか、キャッチーというか
一瞬でイメージを強く刺激するような要素を使うところなど、非常に映画的な印象です。

良い方向へと必死に努力するけど結局は全てはそこに通じていた的なオチは、
名前が付いていそうな構成ですが、まあ好きですな。

タイトルの由来というか持ってき方も痺れます。


2つ目「真夜中になる前に」もなかなか変なものです。
やや偏屈な芸術家肌の教師がバカンス先でさらに変な怪しい人々と関わり、
オレは絶対こいつらとは関わらんと強く思いながら自分から深みにはまるノリが、
人間のヤバさを汲み取っていて最高(最悪w)

その闇から滲み出るような細部、古代遺物の意匠とか、
夜の闇の海からやってくる「奥方」の気配とか、怪しい飲み物とかが豊かに全編を彩っている。


3つ目「ボーダーライン」の主題はこれまた危険。
両親と自分の出自の秘密の暴露に、近親相姦的な要素とアイルランドの問題が絡まっている。
秘密が最後に劇的に明らかになる経緯に、主人公が女優であることが密接に関わるのも上手い。

原題の「A borderline- case」は「境界例」のことだろうか。
ほかに単に「どっちつかずのケース」という意味でも用いるらしいが、どちらも内容とははっきりと呼応はしない感じ。


4つ目「十字架の道」は、毛色の異なる群像劇。
ミステリアスな要素はあまりないが、さまざまな要素が絶妙に絡まり合って、
それぞれに偏屈な人々の関係がダイナミックに動いていく。
事実は小説よりも奇なりというが、その「奇」を汲み取ってきたようなエピソード群。
群像劇って好きなんだよね。アルトマンとかで映画化したいわー。


5つ目「第六の力」
SF風味のオカルトorオカルト風味のSF。
とんでもないブレイクスルーが起きたと思われるが、その結果や証拠は5分もしないうちに失われる。
大変な秘密が秘密のまま残される。
この感覚。

主人公がここから立ち去ろうと強く決意した刹那に、抗いがたい魅力、興味、職業的習慣?によって
むしろ身も心も「それ」にコミットし始めてしまうあたりが、ほかの作品にも通じる要素。

意思や理性を深層のオブセッションがやすやすと乗り越えてしまう人の業みたいなものを好んでテーマに据える。




というわけで、予想の5倍は面白かったので、ほかの邦訳本も一気買いした次第であります。

ところで本書のカバー絵は、現代日本を代表する(と勝手に思っている)幻想画家浅野信二氏のもので、
大変に相応しい感あり。

個人的に関わりのある人でもあるとともに、
チェンバーロックバンドZYPRESSENの唯一のアルバムのジャケ絵も彼の作。(手前味噌)


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コンドラシン+アムステルダムコンセルトヘボウ「シェエラザード」に関連して調べ物をしたがとりあえず挫折している件

2018-07-23 00:54:36 | music
先日某所で、コンドラシン+アムステルダムコンセルトヘボウによる
リムスキー=コルサコフ「シェエラザード」の録音が大好きなんですってことを書いて、
(まあしょっちゅう書いてるんですが)

で、このジャケ絵は誰の絵だろう?と40年目くらいにして初めて本気で思いまして。。

で、某所で「誰だろう?調査中」って書きましたところ、
3人の濃いめの友人から、間髪を入れず

「それはカイ・ニールセンだよ」

といきなり正解が飛び込みまして、やはり持つべきものは友。

なおかつひとりはニールセンの画集および、
ニールセンが他の挿絵画家らとともに掲載されている本を貸してくれました。


ということで、開始前に調査は打ち切り一件落着(笑)な訳ですが、
せっかくなので、関連した疑問?について、少し調べてみることにしました。
まあググるだけですけどね。。

。。。なんですが。。。目的は達成されず、力尽きたところです(笑)
中間報告ということで。

**

お題
【画家の名はレコードのライナーノーツ等に掲載されていたのか?】

合わせて教えてもらったdiscogsというサイトによると、
オリジナル発売時のLPは、オランダ、ブラジル、フランス、日本のバージョンがあるとのことです。
ここ

ちなみにこのサイトにあるクレジットには、artwork:Kay Nielsenの記載があります。
こいつ



さて、まず日本盤。レコード棚をガサゴソとみましたら、
ちゃんと持ち歩いてきたらしく現物が手元にありましたので観察。

ジャケ裏にライナーがある構成で、ライナー、クレジットともにニールセンへの言及はありませんでした。




併せてオビを改めて見てみると、まず「ポスターつき」と。
ポスター?
そういえばポスターあったような気がします!
ジャケ内にはもはやなかったので、実家の奥底に眠っているか、もはやこの世にはないのかもしれません。。
散逸というやつですな。



あとオビ裏の「時計プレゼント」。時計欲しいかも!w
応募しておけばよかったわー(しかし締め切りは昭和55年w)
しかもクロスワードパズルがところどころ難しいかもw


さて、

オランダ、フランス、ブラジル盤ですが、
オランダ盤がこれのようですね。

ジャケ裏の写真もあるんですが、解像度が悪く文字が読めません。。。


タイトルその他上段はおそらく英語/独語/仏語で書き分けられていると思いますが、
ライナーノーツ本文はどうなっているのかわかりませんね〜

執筆者はJoan Ashleyということなので、原文がどこかにアップされているかも?
と思いましたが、ざっくりネットには見当たらず。。。。


ならばCDのライナーは?
ということで、
CD版のライナーの一部がネットに上がってはいるのですが、
その範囲内ではおそらく言及はないように思えます。
独仏語なんで明確に理解はしてませんが。。。

こんな感じ



そういえばCDももってたなこれ。。
と思い、家探しをしましたが、暑いので挫折。


。。これはオリジナル盤を中古屋で買うか??
その方が早い気もしてきましたが、、、、
そこまでしなくても良いか。



ということで、挫折記でした。

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「告白小説、その結末」ロマン・ポランスキー

2018-07-01 02:47:40 | cinema
気づいたら公開していたので観に行きました。
公開日翌日の日曜日の午後。

予約しないでも大丈夫だろうと思いましたが
本当に大丈夫でした(苦笑)
まあ最近はワタシの見るような映画で満席体験はまずないのですから、
これも例外ではないですね。




ポランスキーは巧みなストーリーテリングとともに
映像や音の端々で謎めいた、何かに繋がっているような印を
たくさんたくさん仕込んでくるのが特徴で。

というかそれがとにかくワタシは好きなんですのよ。

あと、繰り返しのモチーフ。
昔から変わらない特徴。

現実のストーリーを紡いでいるのにだんだん夢か幻かとなってきて
虚実の境界が揺らぐ。
この揺らぎをポランスキーは慣れた手つきで操る。

好きだわー


◎ブーツが同じ
◎殺鼠剤をガーンと派手に投げ落とす。
◎雨、水気、湿気
◎窓から手を振るだけでもう不穏。
◎無理やり食事をさせることの繰り返し
◎引越しにやたら荷物が多い
◎カフェに行くと同じ席で同じように待っている(繰り返し)
◎不吉な車移動


真相は明らかにならん上に、
彼女たちにそれぞれ何があったのか、何かあったようだということは散々におわせるのに
何一つ明らかにならん。

ついには本当に彼女はいたのか?というアレ。
わかっちゃいるがやめられないこの魅力(笑)

手法は古くは「ローズマリー〜」や「テナント」とも通じるもので、
近年の「ゴーストライター」などでも存分に発揮されるんだが、
全然古びないよね。
(というかワタシが古びているので古く感じないだけかもしれんが)

原作がありながらももう完全にポランスキーワールド。

**********

原作といえば、なかなかよくできたお話だと思ったので、
原作本欲しかったんです。

原作本は劇場でも販売していたんですが、
本は本屋で買いたいワタシとしては、劇場の最寄駅のビルのある本屋さんに寄ってみたわけですが、、、
まあ予想通り置いてませんでした。。

品薄なのか置いてないだけなのかわかりません。

****

エヴァ・グリーンが最近の諸々の出演作の役柄のおかげで、
もうどう見ても最初からエキセントリック妖女にしか見えないのが
難点と言えば難点かも(笑)

エマニュエル・セニエが若いころであれば、エルの役をエマニュエルがやっていたかもしれない。
そこにエヴァが入ってくるという構図は、
この映画のテーマと響き合っているとも言えるのではないかしら。
と妄想する。


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