Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」押井守

2014-02-15 02:22:22 | cinema
スカイ・クロラ [DVD]
クリエーター情報なし
VAP,INC(VAP)(D)


スカイ・クロラ The Sky Crawlers
2008日本
監督:押井守
原作:森博嗣
脚本:伊藤ちひろ
声の出演:菊地凛子、加瀬亮 他


戦闘シーンもそれなりにあってある種のサービスは満たしていると思うが、
それ以上に主人公カンナミを中心としたキルドレたちの静謐な関わりの物語であるために
全体の印象はどこまでも静かで内省的だ。

キルドレとはなにか
誰と誰が戦っているのか
ほとんど説明がないまま事態は進行するので
例によって好みな雰囲気になるのだが
まあ実はそこそこ随所で少しずつさりげなく説明されているわけで
決してわかりにくいということは無い。


キルドレは子供のまま成長しない存在で
戦闘要員として戦闘機に乗ったりしている。
自分の出自に関する記憶は曖昧なものでしかなく、
それで苦悩したりもするのだが
どちらかというと自分はどこから来たのかよくわからず
いずれ戦闘で死ぬし、死んだら代わりのクローンに取って代わられるだけ
ということで、希望も絶望もなく淡々としている。

これが、根拠に乏しい「現実」のなかでそれなりに戦いを強いられつつも
希望もそれほどないが極端に幻滅することもない終わりなき日常を生きる中で
悟りきったような覚めたような心性をもつ今の人々の戯画であるということは
もちろん間違いないのだろう。

戦いに赴いたり同僚と飲みにいったり
適度に恋愛のようなものもあり
あるいは不在の父親(=オリジナル=出自)に関わる謎もほのかに示されたりするなかで
主人公カンナミはこの終わりなき浮遊する世界に意味はないけれども
それでもそこに自分の存在を賭けることで意味を作り出せるのだと思い至る。
そしてエディプスの潜みに習かのようにおそらくは自らのルーツたるティーチャーに戦闘を挑んだりする。
父を殺すことで子供である存在から大人へと成長するということだろうか、
そのようにして無気力のループを断ち切るのだろうか

しかしカンナミはティーチャーに負ける。
カンナミはいなくなり、「かわり」がやってくるところで映画は終わるのだが。
それはループを破れなかった失敗の物語だったのだろうか?

おそらくは、失敗であって失敗ではない。

再び巡る無感動のループを受け止めろ
ループを徹底して生きろ
置換可能な生を引き受けろ
そこにこそ本当の変化の萌芽がある。
そういうメッセージをカンナミは残したと思う。

ループを断ち切って外側へという物語は
もはや絵に描いた希望のようなものなのではないか
そのことを知った上でいかに生き抜くか
そういう時代の映画になっているんだと思う。




ということで、
結構好き。
人物がみんな下膨れな顔立ちというのも面白いし。

『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』でもおわりなき日常と時間のループを扱っているのだけど、
あちらの方はおそらくはループを断ち切って本当の日常に戻るのだけど、
それはループを抜けてもまたおわりなき日常だよということを思わずにはいられない。
(そもそもが高橋留美子的なエンドレスワールドをベースとしているのだし)
という点では、『スカイクロラ』と共通した意識をもって作られていたのかもしれない。

声優のなかにひし美ゆり子さんがいるのがなにやらうれしい。


@自宅DVD
コメント
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「エレニの帰郷」テオ・アンゲロプロス

2014-02-04 21:47:16 | cinema
「エレニの帰郷」テオ・アンゲロプロス
2008ギリシャ/イタリア/ドイツ/ロシア
監督・脚本:テオ・アンゲロプロス
脚本:トニーノ・グエッラ、ペトロス・マルカリス
音楽:エレニ・カラインドルー
出演:ウィレム・デフォー、ブルーノ・ガンツ、ミシェル・ピッコリ、イレーヌ・ジャコブ、クリスティアーネ・パウル 他


前売券を購入して鑑賞に備え、
劇場に行ってみたらその時間帯は割引で観れますよといわれ、
しばし考えた後、その日は現金で割引料金を払い鑑賞。
後日わざわざその時間帯を外して前売券で再度観に行きました。

得したのか損したのかよくわからんが、
まあアンゲロプロス2回観たので幸せである。


残念なことにテオの遺作であるだろう『エレニの帰郷』は
めずらしくギリシャを舞台とはしていないのだけれど、
内戦や軍事政府成立や共産主義勢力台頭などのなかで辛い過去を持つエレニを初めとする老年3人が
心に思いをそれぞれに抱きながら20世紀の終わりを迎えるとともに
次の世代へ、決して思いや経験を共有はできない若い世代へ
それでも愛情を繋いでいける、
決して明るくはないけれどもつかの間のミレニアムの喧噪のなかで
かすかな期待にすべてを懸けるような終わりを持つ
素敵な映画でありました。

テオの他の作品に(特に前作の『エレニの旅』に)観られるような様式美は
今回の作品にはあまり多くは感じませんが、
そのかわり?例がないくらい時制をばしばし飛ばしてきます。
最初は理解するのが大変。
二度観たので二度目はよくわかったですけど。

主に1953年から74年頃のエレニやヤコブやスピロスの物語と
1999年のベルリン、エレニの息子である映画監督の物語とを画面は頻繁に行き来する。
両者の物語は1999年末のベルリンで長い旅を終え出会うのだが
それは長い旅の末の帰郷であるとともに
老人たちの人生の終わりであり
苦しかった世紀の終わりでもあり、
映画監督(シナリオ上はAと呼ばれる)の娘エレニへのバトンタッチでもある。
多層的な瞬間なのだ。
そのことにいたく感動してしまった。

「第三の翼」というモチーフが幾度か出てくるが
まさに第三の翼の存在であったヤコブが
最後に翼を広げるようにゆっくりと白い空を背景に手を広げる無音のシーンや、
困憊したエレニの手から(超自然的なことに)河の水が滴り落ちるところとか、
もちろん最後にスピロスがエレニに語りかけると孫のエレニの小さい手が答えるところとか、
列挙していくと大変なんだけども。

いいよねえ。

一番???となったのは
シベリアを逃れたエレニが働いているというトロントにあるバーのシーン。
スピロスが入っていくと、なぜか1999年のエレニとヤコブも一緒にいる、
しかもそこはベルリンであることが電話の会話でわかる。
でもスピロスがバーの奥に入っていくとそこはどうやら1970年代のトロントらしいのだ。
この間ずっとワンカットなので、??????
となった。

こういう手法は『旅芸人の記録』でもあったけど、あっちでも????となったし。
こういう自由さがいいよね。
それにそもそもAが撮っている映画というのが
どうもわれわれが観ているこの『エレニの帰郷』ぽいんだよね。
????


あとは、、
Aはエレニの息子だけど、Aを演じるウィレム・デフォーは、エレニのイレーヌ・ジャコブより10歳くらい年上なんだよね。
そもそもエレニの若い時から老齢までイレーヌが演じるので、年齢はエレニの頭髪で表現されている。
こういうなんというかお芝居的な設定も面白い。
時制がよじれていくところや、水が滴るとか、リアリズムを基調としながらも演出的非リアリズムを構造として組み入れる感じは、映画のやり方としてワタシは結構好みなのですね。大真面目なんだけど虚構も丸出しみたいなのが好きです。

リアリズム追求すると、どうもうさんくさくなるという気がする。
観る方もこれはあり得ないだろうとかこんなことはなかったとか
そういことばかり気になってくるし、
なによりそこで描かれる物語がほんとうらしくなるほどに、そうでなかった物語を隠しているような気がしてならなくなっちゃうのよね。

まあいいか。

ということで、これでテオの映画はおしまいなのか、
事故のときに撮影していた『もう一つの海』が形になってでてくるのか、
まだ今後には期待を繋いでいこう。

*****

路面電車についてはパンフではすみんが触れている通り、ムルナウ、、とつぶやきたくなる。
もっともソクーロフほどにはムルナウ的ではなかったけど。すばらしいシーン。

音楽がとてもよい。エモーショナル。

配給は東映、配給協力にフランス映画社。フランス映画社がんばれ。。

パンフはシナリオ採録しているので買いよ。



@バルト9
コメント (2)
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