ポーランドの作家ブルーノ・シュルツの作品から喚起されたダンスということで、『春、一夜にして』に続くもののようですが、そちらは見逃しています。
ちょうど今、勅使川原三郎のスタジオであるKARASAPPARATUSで旧作の公演記録映像を公開しているのでそちらも行けたらいいなあ。
【追記】st/STさんの指摘ですが、もう1作ありました。→コメント欄参照
ということで『第2の秋』、シュルツの持っている強い郷愁と孤独感を伴う幻想的な肌触りをよく表した感動的な作品でありました。
共演者である佐東利穂子が長くしなやかな肢体を活かして柔らかく繊細な部分を受け持つかのようであるのに対し、勅使川原三郎は往年の、激しく痙攣し不如意に折れ曲がる関節の動きから、非情な現実とそれに喚起される幻想を体現しているようで、二人のソロ、ソロからデュエットへの移行、デュエット、そしてまたソロへという交錯の中で、か弱さと激しさ、軟と硬がそれぞれの振幅で空間を揺らし共鳴しあるいはうなりを生じるというダイナミックな舞台でした。
音楽(と音響)も、控えめながらギクシャクしたノイズと、静謐かつ流れのあるピアノによるバッハとを中心に交錯的に構成され、二人の対比とはまた別の層で軟と硬との交流を作っていたと思います。
また、舞台の前方に張られた薄いスクリーン(場面により巻き上げられる)には、森や雲の映像が投影され、スクリーンの奥で踊る二人が映像の向こう側に透けて見えるという演出が、非常に効果的で素晴らしかった。
郷愁や幻想を具体的に形にするとはこういうことだなと感心。
久しぶりに本格的な舞台を観て、勅使川原三郎の魅力と実力を堪能した。
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個人的には勅使川原三郎の病的な痙攣ダンスを堪能できてウレシス。
80年代に初めて観て度肝を抜かれたあの動きは健在で、まあ変わらないってことかもしれないが、あの動きが醸し出す世界の独特なことは他にはないものだなあ。
シュルツのこれまた独特で病的な人形へのオブセッションとも呼応してこの公演には大変相応しいものだった。
バッハはワタシは曲を知りすぎていて、ちょっとシュルツ的世界とは違うものを感じてしまうのだった。
平均律第1巻からは変ホ短調フーガ、同じくプレリュード、ロ短調プレリュード、第2巻からは変ロ短調フーガと、短調(それも変な調)からの選曲で、その点では好みなんだけど。
あとはバルトークと思われる激しい激しいバイオリンとピアノの演奏(あれはなんの曲なのか?調べよう)、ノイズに乗せてヴァージン・プリューンズの声のコラージュなど。
ヴァージン・プリューンズなどは耳にするのは30年ぶりくらいなので、ノイズなのにものすごい既視感があって最初はどうしたことかと困惑したぜ。
照明や舞台もよく。床に光の輪を作ったり縦横に光の道を作ったりと、凝っていた。
公演は9/6.7.8東京芸術劇場プレイハウスにて。
@東京芸術劇場プレイハウス9/6