Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「戦場のメリークリスマス 4K修復版」大島渚

2021-05-13 23:38:06 | cinema

公開時(1983年だと)に劇場で観て
それ以来多分一度も観ていないと思われる。

当時は新宿のコマ劇場付近の映画館で観たと記憶しているのだが、
新宿プラザ劇場だったと思うんだけど定かではない。
天気の良い日だった(どうでもよいが)

ということでいそいそと観に行きました。
まあCovid19下なのでウキウキという感じでもないけど。

今回はヒューマントラストシネマ有楽町

******

妙に青っぽい画面の印象であったが、
今回の修復版でも同様であったので、そういう風に撮ったのだろう。

とても不思議な映画。
なにが不思議なんだろうか。
どこにもはっきりとした主張を通さないという感じか。

ヨノイの(主に坂本教授の存在感による)とても現実のものとは思えない存在感とか
どこまでも島の地べたの上で右往左往するばかりの人々
(まあ当然男ばっかし)
唐突に挟まれた上にすごく膨張するセリアズの回想
異世界から突然やってくる音楽(そのサウンド)
ヨノイがその思想の核心をローレンスに語る際の
奇妙に日本風な(と言いたくなる)儀式的なセットや構図や
セリアズが埋められるあたりの地面が何故か白いとことか

とか

そういうどこか夢幻的なものがずっと漂っていて
そのなかでの日本人や英国人の双方のリアルが
どこか遠いところにある真実のように重なっていく。

中盤にローレンスが地味に絞り出す言葉
「多分私たちは皆間違っている」という主旨の(正確には忘れた。。)
あれがおそらくこの映画の示すものをよく言い表しているのではないかしら。

全編ほとんど垂直の視線が無い閉塞感のなかで
3次元の世界をひたすら平面を生きようとしている我々は
皆間違っているのだ。

*****

最初の登場した際の「バタビアへ行くっ」てあたりの台詞回しに
最初に観た時はけっこう盛大にずっこけた記憶があり、
今回も身構えたにも関わらず意外なほどずっこけたのであるが、
しかしながら今観ると、ああいう感じのへんてこなあり方も
十分にあってよいものだなと思ったり。

内田裕也にしてもたけしにしても
日本人の存在感がなんとも不思議なように感じられるのは
ワタシが高度成長期以降の人間だからかしら。
一方でセリアズやローレンスのあり方には普通のリアリズムを感じる。
この辺りのギクシャクした印象には
この映画のあり方の重大な秘密が隠されているような気がするが、
まあよくわからない。

坂本龍一によるサウンドトラックは、
公開当時は結構斬新な感じがした。
伝統的な劇的な音楽を指向しながら同時にこんなに電子音的である音楽が映画で鳴るのは
とても新しいことな気がした。

それ以前に、あのテーマ曲で鳴る鉄琴っぽいのとか竹っぽい響きとか
そういうパーカッシブな音がシンセで鳴るということが
あの頃は大変に新しかったのだけど。。。

コメント
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