Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「カラマーゾフの兄弟」ドストエフスキー亀山訳

2016-04-20 21:58:23 | book
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)
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光文社

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)
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カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)
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カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)
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カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)
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農奴制が廃止になり地主が徐々に凋落していく
社会主義者が台頭し始める
ロシア国教はヨーロッパのカトリックやプロテスタントの影響を受けながらも傍流の怪しげな宗派を擁しつつロシア的な情緒を孕み続ける
民衆はやはり貧しく貴族階級や役人といえど先細る
科学の成果が人々の生活や信念にじわじわと影響を及ぼし始める
合理主義と神秘主義が混交しせめぎ合う

そんな時代の小説であるが、そんな時代のすべてが人物の言動に溢れかえり渦巻いている。
世の中のすべて、人生のすべてを描いしてしまう「全体小説」が時折出現するが
これは19世紀末に現れた全体小説である。

カラマーゾフ家の父と3人の息子たちの愛憎を軸に、当時の民衆や支配層、あるいは先進的な、もしくは過激な層の思想が、様々な人物の口を借り語られるのは圧巻である。

冒頭近くゾシマ長老が語る素朴で伝統的な宗教思想、次兄イワンによる叙事詩「大審問官」に表れる超越的な人間像、長兄ミーチャが折に触れ語る感情と理性が相反し渦巻く特異な倫理観、少年コーリャによる社会主義・科学主義的な宗教否定、そしてゾシマ長老に深く影響を受けながらもそれらの生々流転を受け止めた末の個の原点に回帰するような(我らが)アリョーシャの呼びかけ。
どれもが激動の20世紀を揺るがし、現代もなお我々の存在の有り様に向かって問いかける力を持った問題軸であることに感動せずにはいられない。

ことに、ゾシマ長老が語り、終盤アリョーシャが追認することになる思想は、個人の体験に根ざした愛や善の発露と、それを源泉とする宗教の成り立ちを考えさせる。宗教とは非科学的なことを蒙昧に信じることではない。誰もが宗教の源泉と無関係に愛と善に生きることはない。そのことを最後にアリョーシャは神という言葉をまったく用いずに語りかけるところは圧巻である。

亀山郁夫訳による本書は、全体の章立てに合わせて4巻+エピローグ別巻という構成になっており、エピローグ別巻は、短いエピローグで幕を閉じた後、たっぷり1冊分ドストエフスキーの生涯とカラマーゾフの兄弟解題が仕込まれている。
また、各巻の終わりにも短めの解説があり、全巻により、小説とそれを理解する手がかりをふんだんに読むことができて、大変なお得感である。

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誤訳問題とかで刊行後色々と苦しい思いをされたそうだが、そのことで本書の魅力はいささかも損なわれていないとワタシは思う。

本当は子供たちに読ませようと思って買ってきたのだが、ヤツらは根気がないので早々に投げ出してしまった。
仕方ないのでワタシの遺産にして、機が熟したら読んでくれることを願おう。
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