Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「コロンブス 永遠の海」マノエル・ド・オリヴェイラ

2010-06-23 23:30:08 | cinema
コロンブス 永遠の海(2007)
CRISTOVAO COLOMBO O ENIGMA
2007ポルトガル/フランス
監督:マノエル・デ・オリヴェイラ
原案:マヌエル・ルシアーノ・ダ・シルヴァ、シルヴィア・ジョルジュ・ダ・シルヴァ
脚本:マノエル・デ・オリヴェイラ
出演:リカルド・トレパ、レオノール・バルダック、マノエル・デ・オリヴェイラ、マリア・イザベル・デ・オリヴェイラ



ちょっと前になるが、岩波ホールで鑑賞。いままで書かなかったのは、例によって寝たから^^;
ワタシが寝てしまうのは、作品がつまらないからとかそういうことではなくて、睡眠障害のケがあるからであって、そこのところはご理解いただきたい。

*********

冒頭はコロンブスの署名についての解説から、若き日の歴史研究家マヌエル・ルシアーノが兄(弟?)とともに船で大西洋を横断するところ。1946年ころ。陽光降り注ぐ港での母親との別れのシーンと対照的に、薄暗い船内での秘密めいた年長者との会話や、到着したアメリカ東海岸の霧の立ち込める港はなんとも気の重くなる画面だ。

ルシアーノ兄弟は入国手続きでちょっともめる。荷物の楽譜(だったかなあ?)が一時留め置きになっていることへの講義。つたない英語。

その後、どうやら学成ったマヌエルがどこかで講義をしている。。。

そして、はっと気づくと、ふたたび陽光あふれるおそらくはポルトガルの港町。おそらくは老齢と成ったルシアーノ夫妻が、コロンブスの生家と伝えられる小さく質素な(といっても日本なら豪邸だ)家を訪ねる。茶色い木組み、白壁。ところどころ夫妻を先回りするように精霊めいた少女がいにしえの装束で立っている。
マヌエルの言葉。コロン(コロンブス)の出自について明らかにし、あの時代(大航海時代)の精神に還らなければならない。情熱を取り戻さなければ成らない。
窓から青い海を望み、エンドロール。。

あら?終わりか^^;

・・・という体験でしたw
なので何を書くでもないんですけど。

冒頭の渡米はなかなか渋い光使いの画で劇映画的な印象を持たせるのだが、一方でドキュメンタリー的な面も強く、終盤のポルトガル訪問では監督自身がマヌエルを演じていることもあって、新しい学説を跡付けようとする現在のルポのような感覚がある。オリヴェイラ監督によるコロン生家訪問。。(NHKドキュメントとかにありそうな感じ)

そのようにして過去から現在を地続きにしていこうという映画なんだろう。
冒頭のマヌエル渡米はもちろんコロンブスの渡航の再現であり、マヌエルはコロンブスが定説のイタリア出身ではなくポルトガル人だという学説を唱え、そこに祖国の精神のよりどころを象徴的に見出したマヌエル(=オリヴェイラ)が今度はアメリカからポルトガルへと精神回復の凱旋を現在進行形で行ってみせる。
そういう、めぐり巡るエネルギーの移動の試みなのだろう。

と、75分ほどの短い上映時間の大半を寝たワタシは、寝ぼけながら思ったのでしたが、まあ、説得力はないわね。

***

初オリヴェイラだったので体調も整えて行ったつもりだったがこのていたらく。悔しいのでパンフを買いシナリオ採録を読み画面を想像するのだった。

国なり民族の精神のよりどころというか構成というか源泉を考えてみるとき、ポルトガルだとコロンブスの時代になるのか~とあらためて思う。ヨーロッパ世界の大国だった13世紀。強い王政と強い商業。そこから現在の自分自身との連続性を意識するのは、その根深さにおいてやはりヨーロッパ的な感じ。

昔世界史の授業では「地理上の発見」とか習ったな。あれはヨーロッパの繁栄とともに帝国主義拡大によるワールドワイドな秩序撹乱という暗黒史でもあるわけで、あの時代に還ろうとか無邪気に考えてるのではないだろうけど。

日本ではどうなんだろうな。


それはこっそり考えることにしようw



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久々に採取

2010-06-21 23:44:16 | ひこうき雲
なかなかにワイルドなひこうき雲を採取。
出来てからちょっと時間の経ったもの。


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「ラ・ジュテ」クリス・マルケル

2010-06-15 00:59:04 | cinema
ラ・ジュテ -HDニューマスター版- [DVD]

コロムビアミュージックエンタテインメント

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ラ・ジュテLA JETEE
1962フランス
監督:クリス・マルケル
脚本:クリス・マルケル
撮影:ジャン・チアボー
音楽:トレヴァー・ダンカン
出演:エレーヌ・シャトラン、ジャック・ルドー

この映画は、いろいろな要素の微妙なバランスの上にかろうじて立っている、その稀有なあり方によって、こころに残り続けるものだ、というのが印象。

その微妙さを言葉で整理するような面倒なことはやりたくないなあ、作品の記憶にひたっていればそれでいいのに、と思いつつも、せっかく観たのだしそのうち記憶も薄れてしまうし、まあメモっておくか。

****

題材的なことでは、タイムパラドクス的なプロット、終焉が始まりの契機だったということの面白さを下敷きに(上掛けかも知れんけど)、人間の原風景的記憶の性質とそれにとらわれた人間のありようを、時間の超越に結び付けているところがいいと思うんだな。
起源も確かでない記憶=イメージに深くとらわれそのなかをさまようことを知る人間が、時間を越えたところで生き生還する術を知っている、という設定には、記憶と人間のかかわりに関するちょっとした洞察のようなものを感じさせる。

で、原風景的記憶が想起されるときというのは、ある種の写真を見て特別な感覚が引き起こされるときによく似ている、とワタシは思うのだが、ここでその題材と手法が結びついているところが、またいいところ。

ロラン・バルトの写真論によってその感覚は(いささか記号論的な衣をまといつつ)よく説明されているのだが、ある個人にとって、ある種の写真は、その写真が持つ被写体などが背負う記号的意味とは別のところで、いわく言いがたい特別な意味を担うことがある。それをバルトは、えーと、あれ、なんだったっけ?^^;なんつったかな??あー?・・・(思考停止)・・・・

・・・あそうそう、ストゥディウムとプンクトゥス!で、この映画は写真のもつプンクトゥス的作用と、主人公の原初的記憶~時間超越を生きる感覚とを結び付けようとしているのではないかと。静止画を採用することによって運動性を剥ぎ取られ現前性を奪うこと。これによってむしろ主人公の持つ記憶の情景の深い結びつき、プンクトゥス性を訴えることに、どうやら成功しているように思える。

もちろんそこまでを考えてのことではないようにも思うが。

運動性は剥奪されているけれども、一方で写真はスライドショー的な連続性を与えられ、外部の?運動性を与えられている。この運動性は言葉=キャプションの連続と連動して物語性の付与に関わるのだけれど、写真の側がプンクトゥス性に寄せてある分、言葉は過度に説明的になっている気がする。この映画の説話的側面はもっぱら外部の運動性によって作られている。

外部運動性=説話性=共示的意味に写真をつなぎとめるこの力は、強いのだが一方で非常にシンプルでもある点にも注目したい。使われる言葉は感情を排したナレーションである。このことは、なんとなく逆説的な感じもするが、写真を採用することでその内的運動性を剥ぎ取られているがゆえに、かえって情景に与えるべきリアリズム表現を回避できているということによるだろう。要するに、運動性を伴ういわゆる映画的リアリズムにおいてはパリ壊滅とかいうシーンに黒雲に煙るエッフェル塔をぽっと一瞬映しただけでは耐えられないということだ。写真であるからこそ、シンプルにいっぱつ「パリは壊滅した」と言い添えるだけで成り立つのだ。

ステキな作品であるが、極上の映画と褒め称えるにはどこか後ろ暗いところがある。極めて微妙なバランスの上にかろうじて成立した作品であり、その危うさが人を惹きつけるのだろう。ナレーションが感情豊かに物語っていたら見れたモンじゃないものになっていたかもしれん。動画で「普通の」映画として撮っていたらまったく別の表現となっていただろう。
微妙な試みをしてそれは奇跡的に成功した。と同時に、これは映画というフォーマットを用いつつも結果的に映画的表現と想像力とは違う次元で勝負をかけた作品でもある。ここらへんもまた後ろ暗さの源泉だろうか。冒頭でフォトロマンと銘打っているだけに作った側もきっとそれは自覚していたのではないだろうか。

****

静止画が物語るという点でアントニオーニ「欲望」を思い出したりもするが、まあまったく別のアプローチであるな。

むしろ「ロゴパグ」中のゴダール小品が近い感触を持っているかもしれない。そういうことでもゴダールの傍若無人な力量に思い至ったりするのだが。


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「憂鬱と官能を教えた学校」菊地 成孔,大谷 能生

2010-06-11 01:35:14 | book
憂鬱と官能を教えた学校 上---【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史 調律、調性および旋律・和声 (河出文庫 き 3-1)
菊地 成孔,大谷 能生
河出書房新社

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憂鬱と官能を教えた学校 下---【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史 旋律・和声および律動 (河出文庫 き 3-2)
大谷 能生,菊地 成孔
河出書房新社

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憂鬱と官能を教えた学校---【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史

ワタシにとっては「Tipographicaの」菊池成孔氏と、この人についてはよく知らない大谷能生氏による、映画美学校での連続講義録。
バークリー音楽学校を中心に20世紀の商業音楽の基本的な方法論となった「バークリーメソッド」について、その成立と役割を歴史的に俯瞰し位置づける観点と、理論の概要に踏み込む実学的観点の二面で攻める書。

巷に出回っているポップス音楽理論書に書かれていることは、ワタシもそれなりにかじってはいるのだが、それがバークリーのメソッドを源泉としていて、20世紀中盤以降に急速に世界を席巻した理論なのだという意識はなかったので、そういう歴史的なことを考える点では面白い本である。
慣れ親しんでいるいわゆるコードネームもバークリーメソッド以前にはなかったんだなあと感慨ひとしお。

歴史ももちろん、ただナディア・ブーランジェが体系付けた理論をもとに誰々が学校を作って~とかいう年表的なことだけではなく、その動きを支えた音楽や受容する耳に変化とはなんだったかをざっくり考えるので、歴史を知ると同時に音楽の構造ってなに?とかいうことを考える契機にもなるし。

音には音響と音韻という二面があり、平均律の成立以降音韻面での体系化=音楽の記号化が飛躍的に進み、その帰結である等価交換性の完成(この言葉はワタシがいま考えた)形としてバークリーメソッドをとらえること。
そして20世紀終盤に、
●録音・サンプリング技術などを反映しふたたび音響的な音楽(と聴き方)が起こっていること
●バークリーメソッドで規定している例えば古典的な協和/不協和の感覚(ディソナンスレベル)の変動
●カウンターカルチャーとしてのブルーズの台頭
●リディアンスケールを中心とした非バークリーメソッド的理論の登場
などなど状況が変動していることを踏まえ、バークリーメソッドが未来永劫万能なものではなく、終焉を迎えつつあるのかもととらえること。
こうした批評性を持って歴史を考察するのがこの本の面白いところで、理論に埋没してしまうのでなくその外側と未来に開かれた音楽観を持てというのが第一の内容だろう。

なので、ある程度商業音楽理論に精通したぜ、とか、これから理論を学ばないとダメだなと思っているような人には、その立場を相対化する意味で一読をおススメするという感じですかね。

実際にスケールや和声の扱いを解説するところは、既にある程度理論を知っている人には復習的に思えるかもしれない。逆にまったく更で望む人にはわかりにくいかもしれない。でもこの実学的部分を省いてしまうとただの教養書になってしまう。我々が前世紀でどっぷり親しんだ音楽にいかにバークリーメソッドが染み渡っていたかということを実感する手がかりとして、具体的な理論が、あ、あの曲のあの部分はそういうことか!と思い至る実感とともに立ち上るのを楽しむのがいいと思う。

******

西洋音楽史的な部分はちょっと強引かつ性急かなあと思わなくもない。
平均律の成立からナディア・ブーランジェまでまっしぐらに古典的音韻の記号化が進んだようにも思えるが、実際平均律という調律が普及してたとえば教会のオルガンの調律に平均律が採用されるのはずっとあとのことだし。
平均律の完成をバッハの例の曲集に求めるのだが、実際バッハは平均律で調律をしてはおらず、むしろ変な調を弾いたときの「音響的」効果を計算に入れていたと思う点で、まだ音響派だったとも言えるだろう。
平均律的な調性の民主化?も、ある意味鍵盤楽器の世界の話で、調律の構造上いまだ純正の響きを奏でることを避けられない(避けなくたっていいんだけど)管弦楽器を使った音楽も大きな広がりを見せて、そこでは現代に至るまで調性ごとに異なる響きを踏まえた曲作りが行われてもきただろう。

まあおそらく著者はそういうことは承知の上で、限られた時間内でグレゴリオ聖歌からエレクトロニカまでの進展をまとめて見せたのだろうし、そのなかである程度の単純化は恐れずにつかむべき思想を抽出して見せたということだろう。

そういう点ではその抽出の業は見事で、その思想は学ぶ価値があるし、その一方で音楽史とはそういうモノだったのだと一面的に理解したつもりにはならないほうがいいということだろう。


あと、読んでいるとタイトルの意味が何となく分かってくる。
よく考えるよな。


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粒オケリハ#2に参加しました! #2289oke

2010-06-08 04:52:05 | 粒オケ
粒谷区立管弦楽団サジタリウス
リアル演奏会リハ2回目
2010.6.6sun 18:00-21:30


あんまし時間がないので記録と反省だけー

前回1回目は初顔合わせということもあり
すごい緊張感だったと思うのだが、
今回はそんなに張りつめた感じがしなかった。

ほぐれたというのもあるでしょうし
ワタシ自身勝手にほぐれていたのかもしれないし
前回はVn1トップ裏だったせいもあるかもしれない

でも演奏もちょっとほぐれ気味だった印象
前回うまくいったところも今回はほつれ気味な感じがして
ちょっと不安になっているmanimaniです


今回は録画+中継も入っていて
リハ後にustreamでブラームスのリハ録画をみたのですが、
さらに不安度上昇!
何回も悶死絶命してしまいました。。。

なにしろどうも、
「粒オケ問題とは、Vn1問題である!」
という命題が成立していそうにゃのですよ!

つまりVn1がしっかり聞こえればあとはなんとかなるんじゃない?
てこと^^;

粒オケVn1の最底辺にいてまちがいなく足を引っ張っているワタシは、
深く反省し、今後2ヶ月(しかないっ!)の間どうすれば
自分をレベルアップできるかを、考えてみた。(仕事中にw)

ここをご覧になった粒オケ諸氏、バイオリン・オケ経験者の皆様
ここから先は、素人+オケ経験ちょびっとのバイオリン弾きが
乏しい経験から考えた怪しげな話です。
なにか助言やよい知恵があったら
ぜひばしばしコメントしてやってくだせえ!


***

問題点(ブラームスを聴いたかぎりで)

ustで聴いたかぎり、Vn1の大きな問題点は以下のとおり?
●音程が悪いww(特にハイポジのとき)
●粒がそろわない=流れにのっていない=タメや待ちに対応しきれていない
●音が細かくなると速度がばらばらになる^^;(どちらかというと走る)
●簡単なところになるとまた走る^^;;;
●ダイナミクスの差が小さい


対応

これらに対応するためにどうやって訓練しよう??


第1段階(ここ1ヶ月くらい)

音程の件
●ハイポジションのスケールを毎日やって慣れる(タカーイCまで)
●GesとかCesとかそういうイヤな音を含むスケールもやる
●困難箇所をフィンガリングを決めて繰り返し練習する
●音がいきなり飛ぶところは、ポジション移動の基本を考えつつ
 感覚(間隔)をおぼえて一発で高飛びできるように。
 (4指で音とるときに1指のポジションを基本にするなどなど考えつつ)
 これは、オケ中で自分の音が聞こえにくくても音程が崩壊しない訓練
 聴覚で確認しつつも聴覚以外のメカニカルな部分も鍛えるということ。


テンポを感じ流れに乗る件
う~~ん??
●スコアを見つつ既成音源を聴き込む
●自分のパート以外の音を要所で覚えてしまう
 他のパートと関連したフレーズを弾いているので(あたりまえだ)
●自分が演奏しているような態度で、他のパートや音楽全体のながれを「感じながら」聴く。これをやると音源のタメなどが染み付いちゃう罠を逃れられるような気がする。本番でもその場の流れを感じとって対応できるような気がする。
●4楽章の最後のほうの例のstring.のとことかは、Vn2、Vaと対応して弾く場所を覚えてしまう。(急に具体的にw)


ムズカしいところが走る件
●困難箇所をリピート練習して気持ちに余裕を与える
●メトロノームと一緒に弾いてみる(そして唖然とするw)
●他のパートの動きに同期をとった形で覚えてしまう

簡単なところが走る件^^;
●他のパートを聴くことを意識する。
 簡単なところは大概ほかのパートでカッコいいことをしているので
 それを把握する。
 2楽章のオーボエ~クラのすてきなソロのとこのバッキングなんか。
 (当日は吹きにくそうで申し訳なかった)

ダイナミクスが悲しい件
●自分が思うのの5割増くらいで強弱をつけるとよいのかも
 ppは小さ~~く、ffはでかく、cresc.は後半に派手にdecresc.は逆で。
 個人的には楽器ってダイナミクスをコントロールしてなんぼという気が。
 2楽章をデリケートに感情豊かに弾きたいですよねーー!


第二段階

7月に入ってからいよいよ弾けないところがあると思ったら??
●もう弾かない場所を決めて、弾くフリの練習をする^^;
 (誰も弾いてない!!とか?!)
●禁断の音程取りセロテープを貼る
 ハイAとかCあたりでしょうかね~?
●他のパートの音を聴く練習はひたすら続ける
 音程が悪いのはしょうがないとしても、気持ちがバラバラなのは見ていてつらいですよね。

弾かない練習も意外とたいへんなんですよねww
セロテープ作戦も実は慣れないとダメ


あとは、リハや本番中は
●常にマエストロ、パートトップの挙動を視界の隅に感じて
●耳はダンボで他のパートを聴く
●テンポは体で感じ取って
●フレースの入りなどでは息を吸って周りと呼吸を合わせる
これやってると音程まで気が回らなくなってメチャメチャになったりするんですがww
まあ音程は個人練習で向上できますからね



こんなとこかなあ。

これを自分に課せられるかなあ・・・ふあんふあん
怠惰な自分がいちばんやらないような気もしますが^^;
ちょっとこれでがんばってみようかと思います。

粒オケのみんなを~思えば~~がんがれるはず~さ~~^^;



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ウツ記*近況

2010-06-04 02:02:47 | ウツ記
ウツ記 近況
最近書いてなかったので久々にウツ記を。
(写真は全然関係ないっすがパリ)

2004年2月に華々しく発症して以来早6年、いいかげんに治れよという話でありますが、昨年度末は相変わらず調子が悪く、調子が悪いといっても落ち込むとか死にたい~とかいうことではなくて、ストレスからくる睡眠障害のような感じで。

睡眠障害といってもこれまたよくある夜眠れなくて昼間は死んだようになるというアレではなくて、過眠。夜はよく眠れるうえに、朝も昼もよく眠れる(笑)。睡魔は我慢とかいう意志の力をはるかに凌駕するもので、意志もむしろその欲望にあっさり権力を放棄してしまう。
なにしろ日曜日にメタボ対策運動教室に通っているのですが、そこでだらだら汗流すような運動をしてる最中でも、眠気で意識が飛んでいるくらいで。バーベル持ち上げながら眠りこけそうで危ないッたら。

てことで遅刻・欠勤が続き、年度末に恒例の病気休暇に。
やれやれ。

ストレスで眠くなるってのはまあ昔からあって。
これって難しい本を読むと眠くなるとか、ややこしい話を説明されると眠くなる、って感覚の延長にあるような気がするな。



なにがストレスかというと。。

ここ2年くらい取り組んでいる仕事は
●ややこしい現状分析をする。
●分析にもとづいて入り組んだ対応策と手順を検討する。
●現状と問題点と対応策について関係部署に説明し協力を求める。
てな感じのことなんだけれど、とにかく現状がややこしいことになっているので、対応策も綿密に見通しを立てて考えなくてはいけないのと、結局作業量は膨大だけれど短期的なメリットがほとんどないような内容なので、関係部署に展開した結果文句たらたら誰も喜ばないってことになるのがもう見えている。

そういう仕事についてそろそろ結果出しましょうとかプレッシャーをいただいたのが年度末ってことで、わかりやすくもそのストレスにより具合が悪くなっちゃったんですね~

それに加えて人事問題も。
ワタシは昔ある人事のレールに乗せられて、「おまへはこの道でプロになりなさい」と言われたために、それなりにがんばって自称プロにはなったのですが、ここへきて、そんなレールのことなど知らんよ、と人事体制が変節したために、自称プロの職務内容とはまったく関係ない部署に飛ばされる可能性が浮上してきてですね、これもストレスの素なわけですね。

禁断の病欠のまま年度をまたぐという事態となったので、結果として異動問題は先送りになったのですが・・・


いずれも普通の人からすれば、そんなもん社会ではいくらだってあるよということでしょうし、自分自身そんなことにいちいちめげていてはやっていけんよと思っちゃいるのですよ。でもなんというか、自分で意識している以上に「ストレス耐性」が落ちているのですね。

この「ストレス耐性」が落ちるって感覚は、どうにも実際なってみないとわからないのではないかなあ。このくらいはがんばれるとか、ここで耐えればこのくらいで抜けられるとかいう見通しで戦い始めるのだが、体のほうが意志より先にへなへなと撤退してしまう感じ。自分を裏切るのは自分自身ってやつで。

***

そこで、新年度になり、見かねた上司がここで一気に回復を図ろうと、仕事上のストレスを極限まで減少するよう配慮してくれたのです。ストレスを排除すればいいのかというとよくわかりませんが、まあ主治医も負担軽減てことは言っていたのでいいのでしょう。

で、ワタシも例の嫌な仕事について、考え方を変えることにしました。とりあえず分析と対応策をまとめるとこまでやる。その先はそれから考える。あとはしらん。

ついでに?チームリーダーからもはずさせてもらっちゃったし。新たなチームリーダーを補佐する、というはた迷惑な院政的な状態に。

というわけで、今年度になってからはいまのところ睡眠も人並みで足取りも軽く順調に生きています。
躍進的なのは朝の二度寝をしなくても大丈夫になってきたことで。これまでは二度寝してしまって気がつくとヤバイ時刻ってパターンでしたからねー。

大躍進。


この調子で今年度は年休を温存していけるといいんですが、問題は秋から冬ですよねー。冬になるとやっぱり低調になるので。冬をゆったり乗り越えて完治へといきたいもんですわ。

ウツ記おしまい。


【追記】
写真はたしかに関係ないですが、
結局昨年パリに行った後1ヶ月くらいしてから調子が悪くなったんで、
きっと周りは「パリなんかいくから悪いんだ」と思ってるんだろうな~(笑)

パリにいる間が実は一番平穏でマイペースだったのだけど
まあ、つかのまのことだからそういられたんでしょうけどね。



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