永遠と一日 Blu-ray | |
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紀伊國屋書店 |
永遠と一日(1998)
MIA AIWNIOTHTA KAI MIA MERA
ギリシャ/フランス/イタリア
監督・脚本:テオ・アンゲロプロス
出演:ブルーノ・ガンツ、イザベル・ルノー、アキレアス・スケヴィス ほか
うーん、、と唸らざるを得ない。
20世紀の最重要映画作家の一人for meだよなあ。
老齢の男が最後の1日と決めた日。
しかしブルーノ・ガンツ演じる彼はとても終わりを迎える衰えは感じさせない。
少年との偶然の出会い。不法入国者である少年を警官から匿ったり、
人身売買の手から不器用に彼を救い出したり、国境に彼を連れて行ったり。いろいろと立ち回る。
子供との出会いで老人の心にもたらされる変化は、しかし彼の最後の1日という気持ちを変えることはない。
ここが渋い。
国境で子供が体験したであろう悲惨を象徴する幻(と思う)を共に見、
廃墟で老人が晩年に入れ込んだ詩人の幻を共に見、
知らない言葉にはお金を払っていたという詩人のひそみに習い、少年の故国の言葉を老人が学ぶとき、
彼らの心に去来するものの切ない深みは、もはや言葉にはし難い。
別れを惜しんで子供と共に港のバスにのる夜更けの美しさ。
バスが巡るにつれ車内を去来する人々の姿は、彼らの生涯の記憶を反映して美しく心を打つ。
ここ日本で年老いてゆくだろう自分はこんな美しい最後の日を送ることはないだろうが、
もしかしたらあり得た人生を映画とともに生きる。
自分は単一の可能な生を生きる他ないが、他人の生を知ることで単一性の乏しい心への罠を逃れることが出来る。
それが好んで映画を観る理由の一つなのだろう。
観るたびに、来るべき生の姿をリハーサルし、あるいはささやかな本番を迎える。
それが映画の楽しみの一つであり、人生の楽しみの一つなのである。
というようなことを毎回感じさせる映画を撮ったアンゲロプロスがあのように人生を終えてしまったのは
返す返すも残念なのである。
映画にとって残念だし、何よりワタシにとって残念なのだ。
@自宅BD
【追記】
肝心なことを忘れていたのだが、この映画はベルイマン『野いちご』で観られる手法が使われていて、
直接『野いちご』との関わりなり参照なりがあったかどうかはわからないけれど、
こうやって映画の血筋というのは伝わっていくのだなあと感慨深かったのでした。