Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「永遠と一日」テオ・アンゲロプロス

2013-08-30 00:22:06 | cinema
永遠と一日 Blu-ray
クリエーター情報なし
紀伊國屋書店


永遠と一日(1998)
MIA AIWNIOTHTA KAI MIA MERA
ギリシャ/フランス/イタリア
監督・脚本:テオ・アンゲロプロス
出演:ブルーノ・ガンツ、イザベル・ルノー、アキレアス・スケヴィス ほか


うーん、、と唸らざるを得ない。
20世紀の最重要映画作家の一人for meだよなあ。


老齢の男が最後の1日と決めた日。
しかしブルーノ・ガンツ演じる彼はとても終わりを迎える衰えは感じさせない。
少年との偶然の出会い。不法入国者である少年を警官から匿ったり、
人身売買の手から不器用に彼を救い出したり、国境に彼を連れて行ったり。いろいろと立ち回る。

子供との出会いで老人の心にもたらされる変化は、しかし彼の最後の1日という気持ちを変えることはない。
ここが渋い。

国境で子供が体験したであろう悲惨を象徴する幻(と思う)を共に見、
廃墟で老人が晩年に入れ込んだ詩人の幻を共に見、
知らない言葉にはお金を払っていたという詩人のひそみに習い、少年の故国の言葉を老人が学ぶとき、
彼らの心に去来するものの切ない深みは、もはや言葉にはし難い。

別れを惜しんで子供と共に港のバスにのる夜更けの美しさ。
バスが巡るにつれ車内を去来する人々の姿は、彼らの生涯の記憶を反映して美しく心を打つ。




ここ日本で年老いてゆくだろう自分はこんな美しい最後の日を送ることはないだろうが、
もしかしたらあり得た人生を映画とともに生きる。
自分は単一の可能な生を生きる他ないが、他人の生を知ることで単一性の乏しい心への罠を逃れることが出来る。
それが好んで映画を観る理由の一つなのだろう。

観るたびに、来るべき生の姿をリハーサルし、あるいはささやかな本番を迎える。
それが映画の楽しみの一つであり、人生の楽しみの一つなのである。

というようなことを毎回感じさせる映画を撮ったアンゲロプロスがあのように人生を終えてしまったのは
返す返すも残念なのである。
映画にとって残念だし、何よりワタシにとって残念なのだ。


@自宅BD


【追記】
肝心なことを忘れていたのだが、この映画はベルイマン『野いちご』で観られる手法が使われていて、
直接『野いちご』との関わりなり参照なりがあったかどうかはわからないけれど、
こうやって映画の血筋というのは伝わっていくのだなあと感慨深かったのでした。
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「ニューヨーク 恋人たちの2日間」ジュリー・デルピー

2013-08-29 00:11:03 | cinema
ニューヨーク、恋人たちの2日間2 DAYS IN NEW YORK
2012フランス/ドイツ/ベルギー
監督:ジュリー・デルピー
脚本:ジュリー・デルピー、アレクシア・ランドー
原案:ジュリー・デルピー、アレクシア・ランドー、アレックス・ナオン
音楽:ジュリー・デルピー
出演:ジュリー・デルピー、クリス・ロック、アルベール・デルピー、アレクシア・ランドー、アレックス・ナオン ほか


ジュリー・デルピー好きなんだよね。
「スカイラブ」も良かったし。
ちょっとウディ・アレンぽい気もするけど。

ほとんどレギュラー化しているお父さん(ジュリーの本当のお父さんだ)の爆発的キャラが、
ここでもいかんなく炸裂していて最高なのだが、マリオンの妹というのも相当にいかれたキャラで、
夫のミンガスにも言われてしまうが、児童精神科医としてはあまりにも「異常」でたまらんw

ミンガスが自分のラジオ番組でとうとうと述べる通り、フランス人というと、
ゴダール、アランドロン、エリック・ロメールなのだが(すいません適当に挙げました)、
ここに出てくるフランス人は相当にクレイジーで下品で常識知らず。
ブロンクスの比較的やわな地域で育ったというニューヨーカーのミンガスのほうがよっぽど温和で常識人で
まっとうな考えの持ち主。
その対比が面白い。

マリオンは一応写真家で、ちょうど彼女が個展をやるところに、パリから父親、妹、妹の彼氏が転がり込むのだが、
妹の彼氏もろくでもない奴で、自称アーティストだけど、芸術の都から来た風情は片鱗もなく。
その辺でマリオンの若干コンセプト先走りなアートが相対化されて皮肉っぽくなってるのが可笑しい。

魂を売るという話は、それを買ったヴィンセント・ギャロ演じるヴィンセント・ギャロ(本人役だ)とも絡んで、
この映画の真面目な部分ではあるのだが、それも、魂の収納場所を巡って妙な誤解を生み大真面目なギャグとなってしまって笑える。

そういう真面目なところも気を抜いておちゃらけるところもひっくるめて、
本人たちは大真面目なのにどうにもすっぽり形に収まらない愛すべき日常が持つ、
御し難く突然暴れ出す力と泣き笑いを、ジュリーはたくさんの細部を丁寧に隙間なく積み上げる。
そういう密度で他愛ないストーリーをノンストップで見せるのが彼女の今のスタイルなのだな。

前作『パリ~』も『スカイラブ』もそういう作品だった。『ニューヨーク』はそれらにくらべると広がりはないかもしれないけれども、凝縮度ははるかに高い。
次はどう出てくるか楽しみです。

****

玄関のブザーがとんでもない音を立てるネタとかはすごい好きだな。ちょっとジャック・タチっぽいセンスかもしれない。

セントラルパークの草を売る話とか、ソーセージ密輸とか、脳腫瘍とか、ねww

本作もオリジナル音楽はジュリー・デルピーなんだよね。結構へんてこな音楽。多才。

【追記】
劇場では公開を記念して「ジュリー・デルピーチティー」「マリオンのきもち」というドリンクを販売していたことを特筆せねばなるまいw



@ヒューマントラストシネマ有楽町
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「ワールド・ウォー Z」マーク・フォースター

2013-08-24 23:47:24 | cinema
ワールド・ウォー Z
WORLD WAR Z
2013アメリカ
監督:マーク・フォースター
原作:マックス・ブルックス
脚本:マシュー・マイケル・カーナハン、ドリュー・ゴダード、デイモン・リンデロフ
出演: ブラッド・ピット、ミレイユ・イーノス、ジェームズ・バッジ・デール 他


宣伝の内容に関わらず、「あれってゾンビ映画なんだぜー」ていう情報は特に調べるでもなく勝手にどんどこ耳に(目に)入ってくるのがSNS時代だなーというところです。

感染者がああなるので死者がああなるのとは違うので、定義上はゾンビではないのかもしれない。
そうすると彼らは危険ではあるけれど「患者」なわけで、患者さんをバシバシと殺していくすごい映画であるわけです。
まああれに直面したらそれはもう頭をぶち抜いていくしかないのはわかりますが。

いかにもゾンビ映画だなというのは、「彼ら」が一様に一定のルールに基づいた特徴を持つという点ですよね。
「音に反応して攻撃してくる」「獲物がいなくなると動きが沈静化する」「頭をぶち抜かないと死なない」みたいな。感染した途端に個性がなくなるというか、個体差があまりない感じになる。
そういうところが正統的なのですね。

面白かったのは、主人公はパンデミックの発生地を求めて行動していたのが、結局はひょんなことから一応の解決策をひねり出して終了~。あれ?感染源はどうなったの?という、ストーリー的な肩すかしですかね。

友人にそれを言ったら、ここで発生地を見つけてしまったら続編が作れないじゃない、と大人の意見をいただいて、すごいなこいつはと思ったりもしたのだが。

そもそも最初にあのもったいつけた「希望の星」君があっさりああなったところで、彼らの計画が頓挫するのははなから明らかだったわけだし、計画がどんどん現実によって覆される中でどう困難を乗り切っていくかという「現実解」の映画だったと思うと、なかなかに面白いのかもしれない。

全編ユーモラスな要素がまるでなく、そこの徹底ぶりは良かったな。


それにしてもすごい人数がゾンビをやっているのだけど、あれはどうやって撮ってるんだろう。ロケ?ロケですか?イスラエルロケ?いやー無理でしょう?


ネタとしてはクローネンバーグ「ラビッド」ですかね。あれは逆に感染の出処が明らかなんだけれど。



@TOHOシネマズ渋谷・3D
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「ホワイトハウス・ダウン」ローランド・エメリッヒ

2013-08-23 01:18:22 | cinema
ホワイトハウス・ダウンWHITE HOUSE DOWN
2013アメリカ
監督:ローランド・エメリッヒ
脚本:ジェームズ・ヴァンダービルト
出演:チャニング・テイタム、ジェイミー・フォックス、ジェームズ・ウッズ 他


なかなか面白かったのだ。
『2012』に比べるとスケール感はだいぶこじんまりとしてどうかなと思ったが、周到な伏線や建物内を縦横に使った逃走劇の流れの良さで、前作とは違った面白さが発揮されていた。

必要のない航空機爆破やらエアフォースのヘリや戦闘機などの空からのアクションは派手で良いが、そこまでやるかなあとふとリアリズム的疑問がわかなくもない自分はまだ修行が足りないだろうかw

個人的なハイライトはあの逃走フルコースの一つ、リムジンでのお庭逃走劇のくだりに集約されていた!
戦闘に慣れない大統領を連れて立ち回る際にありそうな笑い(本人たちは笑えないが)がぎっしり詰まってて、手を叩いて笑ってしまった。
特に、フロントガラスが土塊で埋まって前が見えなくなった時にですね、(ネタバレ自粛)


エミリーの活躍もかっこよかったし、70年代に撮ってたらそれはそれは陰鬱なものになってただろう題材を、全く暗いところのない作劇でぶっ通した21世紀の娯楽大作でした。


自由と平和の大統領が中東和平を推進するのに対し、軍需産業をバックにした不良政治家が事件を起こすが最後は悪巧みは打ち砕かれ、自由と平和の勝利となる。
これは結構なメッセージだが、結構すぎて逆に薄気味悪い。
軍需産業などが黙ってこれを許すのは逆に変な余裕を感じさせてやな感じ~

何百万人の犠牲を食い止めるために目前の少女を見捨てるという大統領的決断のシーンとか、それをまた受け入れる少女のあり方とかにもなにか胡散臭い臭いがするぞおお。

あとウォーカーの奥さんてのがヤバイwああいう利己主義は気持ち悪いぞってことかな。


@TOHOシネマズ

とーほーしねまずは予告編とかシステム案内とかが長すぎて辛いのが難点よね。ピクミンのとことか削ってくれればいいのに。と思いました。


【追記】
大統領リムジンのあのディスプレイに映し出されたものとのつながりで、同時期公開の『ワールドウォーZ』との類縁を言うと、「音」による状況の遷移であろうか。
携帯電話の音、エレベーターピット内で足を滑らす音などで、何度も彼らは敵をおびき寄せてしまう。これは一種のゾンビ映画なのである。?

そして悪役君ジェームズ・ウッドはあのヴィデオドロームの彼ではないですか。
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「処女の泉」イングマール・ベルイマン

2013-08-18 03:39:42 | cinema
処女の泉JUNGFRUKALLAN
1960スウェーデン
監督:イングマール・ベルイマン
脚本:ウッラ・イーサクソン
撮影:スヴェン・ニクヴィスト
出演:マックス・フォン・シドー、ビルギッタ・ペテルソン、グンネル・リンドブロム、ビルギッタ・ヴァルベルイ ほか



『野いちご』とは違って物語はいたってシンプル。
しかし主題は信仰という形而上学的なもの。
北欧におけるキリスト教という独特な事情を背景に、農村の家族に起こった悲しい出来事を軸に、信仰の力や虚しさを叙事的な筆致で描く。

そこでの主題は旧約聖書ヨブ記を思い起こさせるものがある。信仰に篤い家族の中で、無垢な魂を象徴するような娘が、悲惨な仕打ちを受ける。なぜのこ家族に試練がもたらされるのか。
どんなに信仰があっても神は試練を与えるのか。

しかし映画はヨブ記とは違い、試練が与えられる理由などには一切触れることはない。娘を手にかけた連中を知ると、父親は水垢離をした後、彼らを手にかける。神の教えに反し、仇をとり人を殺める。
父親は娘を失ったこととともに、この殺人についても苦悩する。(父親が殺した3人には子供も含まれている)

この二つの苦悩に対する神の答えはただ一つの現象である。
そこには明確な意味付けもない。ただ神が答えたということだけが明らかである。

信仰やそれに対する不実の結果は、決して俗世の利益や損失としてわかりやすく打ち返しがあるようなものではないのだ。
神は不可知であり、不可知の領域との関わりにおいては、人はただ現前するものに対して対処したり受け入れたりする他はなく、理由や論理とは違うところで理解するしかないのだ。
というような、すこしレム的な主題を宗教に絡めたもののように思えた。

***

特に娘が襲われるシーンでの演技は迫真で、多分当時にしてはすごく大胆で暴力的な描写だったのではないかな。
襲われた直後に娘が呆然と数歩歩く足取りと表情がよかった。
(襲われるシーンは日本公開時はカットしてあったそうだ)


北欧の神話との絡みもあるところがまた深みを与えている。
処女に対する者として登場する妊婦は、未開・異教の象徴である。
彼女が北欧の神オーデンに厄を祈る冒頭と、そのことを後悔する後半、そして彼女か成敗されることなく許されるところなど、この映画のもう一つの流れを作っているように思える。


@ユーロスペース
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「野いちご」イングマール・ベルイマン

2013-08-14 01:05:22 | cinema
野いちごSmultronstället
1957スウェーデン
監督・脚本:イングマール・ベルイマン
出演:ヴィクトル・シューストレム、グンナー・ビョーンストランド、イングリッド・チューリン ほか



面白かった!
ベルイマンのロードムービー。
老年の心の機微を、現実と追憶が混じり合う不思議な出来事の連なりで物語る。

って感じではあるが、ぜんぜんウェットなものではなく、
どんな夢でもちょっとした悪夢の要素があるように、
老人の夢や回想にはちゃんとひやっとする毒がある。

幼少期を過ごした家を訪ねるとき、老人は回想のなかに自分自身も登場し、
いや、自分自身のいるところにいにしえの幻が現れたのか、まあどちらでもいいのだが、
そこで幼い頃に惹かれた娘と話し、変な告白まで聞いたりする。

その夢?から覚めたときには、その娘そっくりな現代風の娘がボーイフレンドたちと現れて、
車の旅の道連れになったりする。

どこまでが夢なのか?どこからが現実なのか?
それほど境界があいまいになるわけではないが、もしかしたら??という含みもなくはない。
この幻視の旅が老年のものならば、わりと幸せな旅ではなかろうか?
老年て面白いのかもしれないな?



最近そういう老年ていいかも?と思わせるモノを観たような気がするのだが、
例によって思い出せない。

若くしてこういう年寄りに思いを寄せるような映画を撮るベルイマン。
主人公はいかにも頑固で偏屈そうだが、実際にこの役者さんは頑固で偏屈だったという話でw
ベルイマンも苦労したということなのだが、
そういう苦労もいとわずに起用して完成させる意志の出所はどこにあったんだろう。

あまり関連はないのだが、想田和弘監督『Peace』を思い出す。
福祉事業をやっている親戚の動向を観察するなかで、当然訪問先の老人たちの姿も「観察」される。
ここには人間への尽きない興味の視線がある。
『野いちご』にも老人への興味関心が感じられる。
ベルイマンは後年にも『サラバンド』のような映画を撮っているし、
若者に対するのと同じように老人に対しての興味を若い頃から抱き続けたんではないかなと
想像する。



老人老人と書いたが、この映画には老人のさらに母親というのが登場する。
これもインパクトある。
決して暖かく柔らかい人物ではない。
むしろ偏屈が加齢により不活性になって固まっているという印象の人だ。
彼女の存在によって、息子の嫁であるマリアンが心を動かすのも印象的。



冒頭近くの、ハイコントラストに撮られた夢のシーンは、
ドライヤー『吸血鬼』のやはり夢のシーンに共通するものがあるだろう。
棺に自分の姿を見るということは、両作品においてなにかの啓示として受け取られている。
(夢としてはドライヤーの方がさらに突っ込んだところまでいくのだが・・)



@ユーロスペース
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「ザ・ブルード/怒りのメタファー」デヴィッド・クローネンバーグ

2013-08-12 01:54:46 | cinema
ザ・ブルード/怒りのメタファー リストア版 [Blu-ray]
クリエーター情報なし
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン


ザ・ブルード/怒りのメタファーTHE BROOD
1979カナダ
監督:デヴィッド・クローネンバーグ
脚本:デヴィッド・クローネンバーグ
出演:オリヴァー・リード、サマンサ・エッガー、アート・ヒンドル、シンディ・ハインズ 他


スチールなどで観ていたかぎりではひどく禍々しく恐ろしい映画に違いないと思っていたが、
わりと普通の?クローネンバーグ映画だった。

とはいえ、あの化身?たちは、子供がもつ不気味な側面、何を考えているのかわからずしかしどこかで思いもよらない異界とつながっていて心の底では何を考えているかわからない、あるいは本人すら判然としない思考を抱えているかもしれない、そういう深層心理的なイメージというものを、定番であるかも知れないがしっかり利用しており、要するに十分気味悪い。

あんなのといっしょに撮影したシンディちゃんは大丈夫だったんかねえ??
今では危うく児ポと糾弾されそうなシーンもあるし、
なんだか心配である。

が、彼女はなかなかの名演技なのである。
母親に(というか母親の怒りに)文字通り傷つけられ
それを表には出さないほどになにかが壊れてしまっている
その近寄りがたさとキズの深さを
無表情をベースにしたかすかな表情の揺らぎで表現しちゃっている。
悪意に満ちた化身たちが迫ってくるときの叫びは本物の迫力があるし
ラストの放心した彼女の腕にこの映画の救いのなさが見いだされるときの表情は絶品である。
彼女によってこの映画は成功しているような気がする。




例によってカナダの寒冷な気候をうまく映画の肌触りとして細部にとりこんでいる。
それは、父親が激情しながらドアをあけ外に飛び出すたびに、いちいち分厚いジャケットを手にしてから走り出すというふうに徹底されてもいるのだが、それはなによりもあの「化身」たちの正体を隠し包み込むものとしての防寒着が背景に不気味にとけ込むために必要な徹底であっただろう。
カナダの気候は、ついには雪道を「化身」に手を引かれ歩いてゆくシンディちゃんのあのシーンで決定的に映画の骨肉であることが明らかになるのだし。

ということで、シンディと気候が主役の映画でした。とあえて言ってみたりする。


冬を舞台にした映画というと『デッドゾーン』もそうだったね。
『ラビッド』はどうだったっけ?あれは違うか?

****

「化身」の身体的な特徴を細かく設定しているところもなにやら不気味です。
瘤に栄養素があってそこからの供給がおわるとおしまい、とか
骨の形のこととか、臍がないとかね。

あと、あの病院の患者くんや元患者のひととかが必要以上に気味が悪い感じで、すみずみまでいろいろ徹底してる映画です。

階段の白い手摺にぱっと血の手形が残るのって、どこかで観たことがあるようなきがするんだけど、なんだったかね?
(ここですぐに思い出すと面白いのが書けるんだけどね)
【追記】とりあえず思い出したのは『尼僧ヨアンナ』で「魔女」が教会からさっと外に出るとき壁に手形が残るシーン。


化身の中の人はどんな人なんだろう。。子供?


@自宅BD
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「孤独な場所で」ニコラス・レイ

2013-08-06 01:17:04 | cinema
孤独な場所で [DVD]
クリエーター情報なし
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント


孤独な場所で(1950)
IN A LONELY PLACE
監督:ニコラス・レイ
原作:ドロシー・B・ヒューズ
脚本:アンドリュー・ソルト
出演:グロリア・グレアム、ハンフリー・ボガート 他


ニックス・ムービーの流れでニコラス・レイ作品を観てみる。

フィルム・ノワールの傑作とうたい文句にはあるが、
そういうことはあまり考えずに、ひとつの映画として魅了されました。

どちらかというと心理サスペンス的な部分が主体で、
常人とは違うアーティストの持つエキセントリックな性格というイメージが
直接ではなくある種の疑惑としてどんどん膨らんで行き
ひとつの破局を迎える。
その疑惑を深めるエピソードの積み重ねがスリリングでとても面白い。

ボギーはワタシの眼には決して二枚目には見えないのだが、やたらとかっこつけているのが面白い。
あの時代の男っていうのはあんなに強圧的なかっこつけしいなんだろうか。
あれがある種の男の理想像だったのだろうかね。

そのボギーがしかし結構情けないことに、時制を失い暴力に走ったり
女に対してあけすけにオマエが必要なんだよおぉ的なことも言ったりする
あまりスター然としない領域にだんだん入っていく。
そこにも、この男やばいのかも??という疑惑を深める要素がある。

つまり演技力。


とても愛し合っているのに疑惑が深まってうまくいかなくなっちゃった二人の物語として
最後は破局をそれぞれ受け止めて悲しく別れて行くのだが、
このラストにはもう一案あったということで、
そっちのほうでは、この男やっぱりヤバかったんだ!という一種の帰着があった内容で、
それはそれでわかりやすくはあるけれど、全体としては平板な印象になったと思うな。

正規版のラストでは男の持つ潜在的な暴力性を男自身ももてあましつつ反省ももちつつしかし今後はどうなるかはなおわからないという、不定性がただよって、映画の「先」があるような印象だ。
好みとしてはこちらの方がよい。



撮影技術的なことははっきりとわからないが、
たとえばあの友人宅でボギーが犯罪シーンを疑似演出してみせるところなどは
ボギーが絞殺の手口を病的に指導して感情がエスカレートしていくにつれ、
画面もボギーの顔に照明が当てられ周囲はなんとなく薄暗くなっていって、
いかにもやばいぞ~って感じに撮られているなど、随所で工夫がこらされているだろう。

夜の道を猛スピードで走るところもこわい。同乗しているローレルが恐怖で思わず足で存在しないブレーキを踏むところがひょいとアップで写る。

90分あまりの凝縮された映画で、いろいろな制約や習慣のなかでこういうまとまったモノを作る技はやはり職人的な見事さがあるね。


**

この作品のソフト化にあたってはソニーエンターテインメント?の技術が投じられたということで、オリジナルネガや世界各地に残っている状態の悪いプリントから素材を集めるとともに、キズや音声の欠落などをデジタル技術で修復しているということだ。おかげでとてもコンディションの良い美しい画面と音声をみることができる。

ニュープリント版を劇場で観てみたいものである。



グロリアはニコラス・レイと結婚していたんだね。
グロリアの顔がどこかで観たような顔だな~~~~~~~~~~とずっと思っていたんだけど、
中盤で、あ、これはぺ・ドゥナと同じ種類の顔なんだ!!と思い至る。
全然似ていないのだけど、表情の動きとかがそっくりだと思う。



@自宅DVD
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「隣の女」フランソワ・トリュフォー

2013-08-05 00:34:36 | cinema
フランソワ・トリュフォーDVD-BOX「14の恋の物語」[II]
クリエーター情報なし
角川エンタテインメント


隣の女La Femme d'à côté
1981フランス
監督:フランソワ・トリュフォー
脚本:フランソワ・トリュフォー、シュザンヌ・シフマン、ジャン・オーレル
撮影:ウィリアム・ルプシャンスキー
音楽:ジョルジュ・ドリリュー
出演:ファニー・アルダン、ジェラール・ドパルデュー 他

これも見応えのある作品。
トリュフォーの中でもかなりシリアスな部類だよねえ。

ある家族の家の隣の家に夫婦が引っ越してくるのだが、家族の夫と夫婦の妻は昔恋人同士だった。
二人はまた惹かれ合うことになるのだけれど、当然今の立場もあり、くっつきたくなったり離れたくなったり逡巡する。

そういう心のヒダを描くのかと思いきや、映画はさらに突っ込んでいって、二人ともそれぞれに壊れ始めて、並大抵でない修羅場を演じることになる。ここがすごい。
ドパルデュー演じるベルナールは衆目の中マチルド(アルダン)を激しく追い回すし、マチルドは自作本の出版記念パーティーのさなか所在なく歩き出したかと思うと泣き崩れ精神のバランスを失ってしまう。
アルダンのいかにも危うそうな陰りのあるキャラクターと、ドパルデューの朴訥な雰囲気をよく使い分けている。
(しかしアルダンは『日曜日が待ちきれない!』では全然危うくなく勝気で暖かい感じであるのも面白い)

ラストへのシークエンスは神秘的とも言える緊迫感があり見事。
夜の闇に浮かび上がる家の戸口が印象的。二人の運命を大きく変えた家を最後の舞台としたのが秀逸。
ここや中盤でアルダンが拳銃を持つところを観て、トリュフォーは彼女による『日曜日~』の着想を得たということだ。

***

マチルドがぷっつりきれてしまう前に、テニスコートのオーナーが料理中に火を出してしまうのをマチルドが消し止める場面があり、なぜか心に残っている。
あれは何なんだろう。
色々な要因が積み重なって彼女は変調をきたすのだが、直接的にはそういう要因に関連のなさそうな事柄が最後の引き金を引くのだというのも、なかなかにリアルなことのように思える。そう思うようにしている。
そう考えると、なにやら、ニーチェが虐待されている馬を見てぷっつん切れちゃったという逸話も思い出してしまう。
あの逸話は本当かどうか?という話も聞いた事があるが。。


ベルナールの職業がなかなか面白いよね。
本当にああいう仕事ってあるのかな。
あったんだろうな。



@自宅DVD
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ポランスキー初期作品他がソフト化!

2013-08-03 23:47:34 | cinema
大変だ~
ポランスキーのいくつかの作品が発売のようですにゃ
初期作品3作は最近劇場公開されたもの。
そして『テス』は2012年にカンヌクラシックで上映された「4k復元版」のブルーレイ化ってことです。

いずれも所有欲くすぐりまくり!!


<blu-ray>

水の中のナイフ [Blu-ray]
クリエーター情報なし
角川書店


反撥 [Blu-ray]
クリエーター情報なし
角川書店


袋小路 [Blu-ray]
クリエーター情報なし
角川書店


テス Blu-ray スペシャルエディション
クリエーター情報なし
角川書店


<DVD>

ロマン・ポランスキー 初めての告白 [DVD]
クリエーター情報なし
角川書店


水の中のナイフ [DVD]
クリエーター情報なし
角川書店


反撥 [DVD]
クリエーター情報なし
角川書店


袋小路 [DVD]
クリエーター情報なし
角川書店


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「袋小路」ロマン・ポランスキー

2013-08-03 23:33:28 | cinema
袋小路 [Blu-ray]
クリエーター情報なし
角川書店


袋小路 [DVD]
クリエーター情報なし
角川書店


袋小路CLU-DE-SAC
1966イギリス
監督:ロマン・ポランスキー
脚本:ロマン・ポランスキー、ジェラール・ブラッシュ
音楽:クシシュトフ・コメダ
出演:ドナルド・プレザンス、フランソワーズ・ドルレアック、ライオネル・スタンダー、ジャック・マッゴーラン ほか


非常に面白かった。
大変に面白かった。
ポランスキーのユーモアのセンスがここから始まっている。
ポランスキーの作品はシリアスでもどこかしらユーモラスなところがあるのが好きだが、これや『吸血鬼』での全開ぶりも素晴らしい。

登場人物の一人として着目すべきでない人はいないのだけれど、特にフランソワーズのはち切れぶりは見ていて笑顔を禁じ得ない。(禁じる必要などなにもないのだが)

暴漢リチャードとそれに牛耳られた夫婦との関係が、突然の(能天気極まりない)一群の来客を機にガラリと変わるあの吹き出すべきシーンは、テレサ(フランソワーズ)の瞬間的な機転と表情によりもたらされる。最高の見せ場。

また、監禁状態から抜け出した彼女が、酒とグラスを持って暴漢のところに行くのも可笑しい。あの気丈さと常軌を逸した人懐こさが、始終この映画を活気のあるものにしている。フランソワーズ最高である。

彼女の夫ジョージのキャラクターも実に面白い。テレサの前では策略を持った行動のふりで強がって見せるが、暴君の前ではもうヘロヘロである。実に共感すべき人物だ。彼がスキンヘッドなところも妙にツボだ。
彼があの城を買ったことについて口にはできない後悔をしつつあることが酒が入るにつれにじみ出てくるのも、この災難が起きたことや鼻持ちならない知人の来訪(あのクソガキw)などをあわせて考えるとじわじわと笑えるし。

暴君もまた教養のなさ丸出しの演技がよく、それが来客後の彼の神妙な態度を一層可笑しいものにしているし、彼が本性を隠してとりあえずつじつまを合わせてしまう不器用な判断をしてることも笑える。

彼が電話線を切ったことがまた絶妙にその後の展開に絡んでいるのもよい。
最初は機転をきかせて切ったのを誇っていたが、そのせいで予期せぬ来客を招いてしまったし、肝心のボス・カトルバックからの連絡が受けられないではないかw

というわけで、結構凄惨なラストを迎えるにもかかわらず、随所に仕掛けられている技のおかげで変にスッキリとした気持ちで観終えてしまうのでありました。

他にも、あの重症を負った暴君の相棒(『吸血鬼』の教授さんですな)が、ふと気づくと満潮で水没する城への道に取り残されて大変なことになってるだとか、その彼の埋葬の折に城の主が(故人を象徴する)メガネを踏んづけてしまって一悶着あるとか、鳥小屋を壊すとことか、あのステンドグラスを自慢していたがあんなことになってしまうとか、もう面白いったらないのよー奥様。

これと『反撥』はぜひソフト再発してもらいたし。と思ったら、出るらしい!!
(ついでに『短編集』の再発もしてもらえんかな)


***

パンフレットに書いてあることだが、当初はこの映画は「カトルバックがやって来るとき」などと題されていたということで、最後まで姿を現すことのないカトルバッックなる人物の不在と、彼がくるまで、という時間空間の限定されたなかでの一種の密室劇という状況にあることが、この映画のどんどん展開するへんてこな事態をドライブするエンジンとなっているのだ。

この設定をベケットとの類縁とみることも十分に可能ということだが、ベケットは全然押さえてないので、言及するにとどめる。

男2女1という構造も密室という状況も『水の中のナイフ』的な特徴を引き継いでいるとも言えるだろう。
処女長編の発展パロディ版とも言えるかもしれないね。



@イメージフォーラム
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