ROSEMARY'S BABY(1968アメリカ)
監督:ロマン・ポランスキー
原作:アイラ・レヴィン
脚本:ロマン・ポランスキー
音楽:クリストファー・コメダ
出演:ミア・ファロー、ジョン・カサヴェテス 他
前回観たのはそんなに前ではないんだけど、もののみごとに内容を忘れていた。
恐るべき記憶力。
最初はグラビンスキ的に、家に何かが憑いている系かしらと思ったが、
違った。
怪しい隣人系ということでは、『テナント』と驚くほど似ていた。
『テナント』との違いは、最後までそれ妄想だよね、ということになるか、
妄想だと思ってたら現実なんじゃね?となるか。
ポランスキーのこの手の作品の面白いところは、
画面の端々に不安の要素をどんどん投入していくところで、
冒頭からあのマンションを見に来た若夫婦の軽やかな足取りとともに
廊下の床のタイルが剥がれているところをアップにして見せたり、
エレベータボーイがなんとも不穏な目つきでふと振り返るところとか、
室内で案内する管理人が、ふと口を閉ざし廊下の奥の家具を見るとか、
地下の洗濯場で出会う少女が見せる首飾りのアップ(うわっ不吉だとすぐわかる)とか、
列挙していくと何日もかかる。
それから、やはり『テナント』でも見られた手法だけど、
モチーフを執拗に何度も繰り返して提示する技がカッコ良い。
何度もなんども隣人が怪しげなドリンクを持ってきて飲ませるとか
怪しいものを食わせるとか、怪しい薬を飲ませるとか。
この繰り返しが、ローズマリーの感じるストレスを実感持って観客に伝えている。
こういう手腕をポランスキーはどこで身につけたんだろう。
『水の中のナイフ』1962からわずか6年しか経っていない。
『反撥』は幻想サスペンス的要素があったと思うが、
『袋小路』や『吸血鬼』はだいぶタッチが違う。
驚く他なし。
そういうサスペンス的な細部の設計は、『テナント』や『チャイナタウン』
あるいは『フランティック』へと響いていく一つのポランスキー的な脈だね。
『袋小路』や『吸血鬼』みたいなコメディタッチも得意な感じだし、
『テス』や『戦場のピアニスト』のような大河ドラマもできるし、
最近は『毛皮のヴィーナス』『おとなのけんか』のような室内劇も好きみたいだし、
多彩だよね。
***
今回の謎は、ローズマリーはなぜ中盤で髪をベリーショートにするのか?
ということなんだけど。。。
例の夢を見て、その後に妊娠がわかり、
でもそれが隣人に知れて無理やり医者を変えさせられる。
その後。
それまでの若妻とは違う存在になったんだということなのか
衰弱をよりはっきり印象付けるための演出なのか
確かにそれまではいかにも美しい魅力的な女性という立ち位置だったのが、
不安と猜疑心に取り憑かれ思わぬ行動力を発揮する女性に変貌していく、
それを効果的に印象付けるものと思う。
それ以上の意味づけがあるならば是非教えてください。
***
ラストというか、ローズマリーの赤ちゃんの実像は出てこないんだけど、
もちろんそれが素晴らしいセンスというものであって、
ミア・ファローの、作品内で最大レベルの驚愕顔をもって何事かを表現しているわけです。
このセンスこそ、映画の素晴らしさだと思うのよね。
それがどう素晴らしいかは、後によりはっきりとしたやり方で
『ゴーストライター』のエンディングで示されている。
なんでも見せちゃう映画がもしかしたら流行りなのかもしれないが、
ワタシにとっては断然こういうのが好みね。
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ところで、ミア・ファローといえば、わしらには
ビートルズと一緒にインドに行った、あのミア・ファローですよね(笑)
そしてもちろんプルーデンスの姉!
ミアは後のウディアレン作品での姿はほとんど観ていないので、
ちょっと色々観てみたくなりました。
ビートルズからみでは、この映画の舞台となるマンションは
ダコタハウスでのロケということです。
ジョンが住んでいたところで、この前で射殺された。。
夫役のジョン・カサヴェテスは、言うまでもないですが
映画監督としてもすごいですよね。
あと、音楽はクリストファー・コメダとクレジットされている
クシシュトフ・コメダ
冒頭の女声スキャットは、全くアメリカ映画らしからぬヨーロピアン調
(しかも東欧チック)
実に素晴らしい。
劇伴もこれはヒッチコックを意識したかなという作風あり
奇妙な音響作品あり、で素晴らしい。
コメダはこの作品の後事故にあってしまい、
ポランスキーとの最後の作品になってしまった。
とても残念。