Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「マップ・トゥ・ザ・スターズ」デヴィッド・クローネンバーグ

2015-01-26 23:15:14 | cinema
マップ・トゥ・ザ・スターズ
MAPS TO THE STARS
2014カナダ/アメリカ/ドイツ/フランス
監督:デヴィッド・クローネンバーグ
脚本:ブルース・ワグナー
出演:ジュリアン・ムーア、ミア・ワシコウスカ、オリヴィア・ウィリアムズ、サラ・ガドン、エヴァン・バード 、ジョン・キューザック、ロバート・パティンソン ほか



クローネンバーグは最高だよ
とためいきをつく。

監督のちからも感じるけど
脚本もキャスティングもすばらしいよね。

ジュリアンを押しのけてメインヴィジュアルに選ばれている
ミア・ワシコウスカのアガサのいかにも含みのありそうな顔はもうもちろんのこと、
朴訥としつつもどこか胡散臭く奇妙であるジョン・キューザックといい
最初に登場したときにおやっいかにも屈折したなまいきなやつだなっと思わせるエヴァン・バード君とか
この母の役をジュリアン・ムーアがやるのはそうとうに困難だろうと納得させるサラ・ガドンの美しさとか
(というかあの登場シーン!)

いちいちが素晴らしく何かをものがたる顔なので
役にあった人を選ぶという単純なことが
こうまでシンプルにすばらしいことなんだなと
あらためて思う次第です。

****

ハリウッド内幕ものという宣伝だったので
前作『コズモポリス』的な成功者の内面の屈折物語かと思ったが
微妙にさにあらず。

過去・記憶・因縁にとらわれ導かれる人々が
不思議なつながりをもってそれぞれの破滅を生きる
トラウマストーリーともいうべきものでした。

近親相姦や母親の呪縛といった過去の消しがたい記憶は
どんなに克服したり忘れたりしたと思っても
内面の奥深くにしっかりひそんでいて
表層の人格の模様を形作っている。

その呪縛は関係なかった人々の間で共鳴するように呼び合い
人々を不吉に結びつける。
そして最後にはそれらの呪縛から誰一人逃れ得ず、
元の鞘に収まるように破滅の道に収斂する。

そういう内面の魔が主題なのである。
それを本作では関係性としての近親相姦や親子の呪縛という事柄に
火や水による死というなんとなくユング的なモチーフも絡めて撚り合わせていて
なかなかに深みのあるものとして表していて
さすがである。

手触りとしては
『コズモポリス』の俗物感+『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』の幻想
という印象でした。
特にラストのなんだかなつかしいような気分になるカタルシスの印象でそう思いました。


******

といいつつも全編ハリウッドゴシップ的なネタが満載で
それも面白いのでした。
実名でスターの噂話とかも出るし、
往年の人気女優が落ち目になって必死になる姿とか
子役が天狗になっていい気になってるのもつかのま、次の子役にお株を奪われそうになって嫉妬
とか、
いろいろ。


あと
名前を忘れたがハバナの友人の女優さんが子供をつれていて
こどもがとてもシャイで陰のある雰囲気なのが
とてもクローネンバーグぽい感じがした。
子供の運命は『デッドゾーン』を思い出す感じ。

その子供はたしかマイカという名だったが
マイカが不思議なところで再登場するんだよね。
あれ?と思う。」
ああいう関係性の交差が随所に現れるのが面白いところなんだよね。



とまあいろいろと。



@新宿武蔵野館
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「勝手にしやがれ」ジャン=リュック・ゴダール?回目

2015-01-20 00:59:38 | cinema
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お友達に誘われて、ゴダールの新作宣伝イベントらしきものに行ってきまして、
内容は『勝手にしやがれ』のデジタル上映+映画ライターさんと雑誌編集者さんのトークというもの。

『勝手にしやがれ』は何回観たか覚えてはいないですけど、
毎回印象が違って面白い。
今回は随所で、というか特にミシェル・ポワカール君とパトリシアの会話のところで多用される
横暴なまでのジャンプカットというか編集の乱打を強烈に意識しました。
面白い。
ときどき小刻みに時間が戻っちゃてるところもあるよね?

てことで、ジーン・セバーグのおしゃれなストライプとかそういうことも堪能しつつ
ゴダールの持ってたインパクトというのがどういうものだったのか
だんだんわかってきた感じです。




トークショーのほうは実は全く期待はしていなかったんだけれど、
予想をはるかに上回るすかすかなもので、
むしろおなかの底から笑いがこみあげて気持ちがよかったです。。

ヌーヴェルヴァーグはおしゃれなんです。
ブランドがタイアップする最近の映画と違って手作りなのにおしゃれなのがいいんです。
フランス映画は難解なところがあるけど、我々がそれを観るのは
フォトジェニックなところを求めてなのです。
『さらば、愛の言葉よ』もビデオインスタレーションを見るように感覚でみるのがいいんです。

というような感じだったと思います。

特に「フランス映画は難解な~」ていうところでは思わず「えええ?」と声を出してしまったけれど、
あとは、まあ人前でゴダールについて語るというのは、
このくらい力を抜かないとすごい重荷になっちゃうわけで、
ゴダールみたことない若い世代をカジュアルに取り込んでいくというのも
ある面では必要かもしれないし、
こういう仕事でも経済がそれなりに回っていくというのはいいことかもしれないし、
まあいいのかなと思っておりますよ。

それでもどう考えても
初期ゴダール作品を上映して
ゴダールはおしゃれなんです、だから『さらば、愛の言葉よ』を
おしゃれに観に行きましょうね♡
というのは、
かなり無理があるよね(笑)

それまあ悪く言うと詐欺だよね^^;


****

ジャン=ポール・ベルモンド演じるミシェル君は
粋がっているけどダメ男くんで、
それにあこがれるのはダメでしょうと壇上で笑っていましたけど、
むしろあのダメな感じがいいのよねw
ダメ人間こそおもしろいじゃん。


そういや途中でゴダール本人が出てきて毎回新鮮に笑っちゃうんだけど
今回は客席で笑いが起きなかったのもなんか新鮮だったな。
いやいいことなのかもしれないけど。


密告者は密告する、強盗は強盗する、
恋人は愛し合う、
ここまで覚えたけどあとなんだっけ?


*****

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@シネスイッチ
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ユリイカ 2015年1月号 特集=ゴダール2015

2015-01-18 01:26:34 | cinema
ユリイカ 2015年1月号 特集=ゴダール2015
クリエーター情報なし
青土社


「重力の虹」をちょっとさぼって
こちらを読んでいます。

ハスミーアベ対談は冒頭にフランス映画社のことに付いて触れていて
目頭が熱くなり、内容もそれ相応に面白く、
ゴダールはつねに、映画ってなんなのか誰も知らないでしょ?という観点を
ズバッと突きつけてくるんだよ、今回だって
3Dってどういうものなのか知らんでしょ?という根本をゆるがせてくるんだよ
的な解題はいつものことながらそうだよなあとうなずくわけでありまして、
ここにハスミ師的な「あなたに映画が好きといわせない!」気迫もつたわってきて
掴みは十分というデダシであるわけだけれども、、

そしてどの論文もそれぞれに興味深い観点を提示してくれて
読み応えがあるのだけれど。。

ワタシがいちばんいいなと思ったのは、
美学/表象文化論という肩書きの今村純子さんの論考
「触発する映画 ヴェイユからゴダールへ」というもの。
あまり見ない気がするのだが、ゴダールの諸作をヴェイユの文脈を絡めて
まさしく美学的/表象文化論的に読み解いていくもので
映像と音のコンフリクトだとかズレだとかそういう話ではないところが
なんだか新鮮だった。

まあワタシが勉強が足りてないのでそう思うのかもしれないが

『女と男のいる舗道』から『さらば、愛の言葉よ』までのゴダールの
ポジションの変遷を見事に述べているように思った。
こういうアプローチでゴダールを「理解」するということが
実は結構重要なんじゃないのかなと思ったりするわけです。
ゴダールのしてきたことをあえて言葉で考えてみる
そういうことはもちろんゴダール自身はわらうかもしれないけど
われわれにとってはなにか大切なものを見つけることができるかも知れないこと。

また何回か繰り返し読んでみようと思います。


そして肝心の映画『さらば~』はもうすぐ公開ですね!


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トマス・ピンチョン「重力の虹」中間地点

2015-01-04 21:55:06 | book
トマス・ピンチョン全小説 重力の虹[上] (Thomas Pynchon Complete Collection)
クリエーター情報なし
新潮社


トマス・ピンチョン全小説 重力の虹[下] (Thomas Pynchon Complete Collection)
クリエーター情報なし
新潮社


いや正確にはまだ中間地点ではなく
上巻の半分まで読んだのです。
1/4

これは相当に奇妙な小説ですよ。
これに似たものって思いつく?

人物や場所や時間が常に移り変わる感じで
軸とか構造というものを感じさせない。
流体の文章。

V2ロケット(音速超えの)着弾地点の統計的な推論、パブロフの理論とその人間への援用、
サイ科学のいかがわしい実験、ロケットが投下される戦時下のイギリス風俗、
ドイツでのロケット部隊の不可思議な世界、交霊術、、
などなど
がぐちゃぐちゃに入り乱れて、どれもこれも正体が明らかでなく、
めまぐるしく変わる背景色のように現れては過ぎてゆく。

人物も次から次へ登場しては唐突な言葉を山のように吐露してはまた背景に退いて行く。

これは、なんなんだ?
下巻に至ると何か大きな像を結ぶのだろうか。
全然そんな気がしない。


こんな小説だが、研究者によればけっこう事実・史実に基づいた事柄が随所に織り込まれているらしく、
そういう解題が本になって出ているようである。
(A Gravity's Rainbow Companion(2006)スティーヴン・ワイゼンバーガー)
ある意味史実からの膨大な引用から成り立っているとも言え、
その感じは身近なところではゴダールのひところの作風に似ているかもしれない。

**

ピンチョンの名を初めて知ったのは、夜想だったかWAVEだったか、
ペヨトル工房の本の「メタフィクション」という特集でのこと。
85年くらいのことかな。

これは面白そうだと思ったが、当時ピンチョンは国書刊行会から(学生としては)バカ高い
「V」2巻が出ていたくらいで、あとは「競売ナンバー49の叫び」が
かろうじて文庫本で出ていたかな。
その文庫本を買って読んだはず。

が、迷宮度合いは「重力の虹」のほうがはるかに深く険しいかも。
深いというよりどこまで行っても霧みたいな感じか。
長い長いなが~~~い詩を読んでいるみたい。

おそらく丹念に読むと構造があるのかも知れないが、よほどの余暇がないとちょっと無理。


ということで、日々迷宮に耽溺するように少しずつ読んでます。
読み終えたときに何が起こるのか楽しみです。



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「勝手に逃げろ/人生」ジャン=リュック・ゴダール

2015-01-01 00:57:52 | cinema
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勝手に逃げろ/人生(1979)
SAUVE QUI PEUT
LA VIE
1979フランス/スイス
監督:ジャン=リュック・ゴダール
製作:アラン・サルド、ジャン=リュック・ゴダール
脚本:アンヌ=マリー・ミエヴィル、ジャン=クロード・カリエール
撮影:レナート・ベルタ、ウィリアム・ルプシャンスキー
音楽:ガブリエル・ヤレド
出演:ジャック・デュトロン、ナタリー・バイ、イザベル・ユペール、アンナ・バルダッチーニ


年越しで観ましたが、
いや痛烈に面白いねえ。

無意味なスローモーションやストップモーションに
脈絡なくからむ音楽や音声
ソニマージュっぽい。

どうもTV局かなにかに勤めているっぽい男(ポール・妻子あり)と
わかれてるんだかそうでないんだかわからないやっぱり同業者っぽい女(ドゥニーズ)が
くっついたり殴り合ったりするのが前半で
(乱暴なまとめ)

中盤に「商売」という章からイザベル・ユペールが突然現れ
なんだなんだとなるのだが
ゴダールではだいたいのところ労働=娼婦なんだけど
ああなるほどな展開をする。
娼婦のお仕事をいろいろ見せたあとに、
おかしな社長と部下と二人の娼婦が
おかしな連係プレイをするのだが、そこに
「映像はできた、あとは音声だ」とかいって映画との類縁?をこじつけたりするのが可笑しい。

そして娼婦イザベルが部屋を探しているのと
ドゥニーズが部屋を貸したがっているのとが
バッタリ出会うのが「音楽」という章で、
ああしっかり脚本があるのだなとここで気づいたりする。

ラストにポールがああなっちゃうのはなんとなく『勝手にしやがれ』のラストを思い出す。
そして娘がいい間合いで現場から去っていく背景に
突然楽団がいて音楽を奏でているところと
その後の長回しで娘とポールの元妻?が去っていくところは
これまたちゃんと映画が撮れるゴダールを感じさせて良し。



ヴィデオの出現とそれがもたらす映画的な変化を
象徴しているストップモーション+スローモーションが
なんだか無意味に感動的になっていて
その感動ってなによ?という問いが観る側に残るというところは
全然古ぼけない破壊力をもっている。
(英国での公開タイトルは『Slow Motion』ていう話だ)

音声も
編集がすべてに先立ってあるかのような演出
(後付けの音楽がなるシーンで何度か「この音楽はなに?」と人物が誰にともなく訊ねる)
があったり、シーンが変わるところで不整合なところがあったり
変な音声(叫びとか)が紛れ込んだり。

こういうのはいかにも80年代以降のゴダール的なもので
何度か、何本か観ていくとすっかり慣れてしまうのだが
こうして久しぶりにあらためて観てみると
やはりその秩序撹乱ぶりというのは今もって有効というか
実はだれもゴダールのことなんかまともに受け止めていないんじゃないか
という気がしてくる。

***

ガブリエル・ヤレドの音楽が妙に魅力的です。
サントラ持ってたかしら?
(買って聴いてないコンピ盤がどこかにあるような気がする)

マルグリット・デュラスが声だけの出演?をする(と思う)
ポール(彼の姓はゴダールw)が連れてきてTVに出そうとして失敗し帰ってしまう役として
姿は表さない。
声だけと思う。それも何かの朗読のアーカイブではないかしら?
(推測)

イザベルの妹役のアンナの顔立ちは
ミリアム・ルーセルに似ていて、ゴダールの好みなのでは?w
ハピネットから出てたDVDでは、端役の彼女のほんの一瞬だけのバストショットを
ジャケットに使っているほど印象的。。


@自宅DVD
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