Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「ヒューゴの不思議な発明」マーティン・スコセッシ

2012-03-28 23:06:28 | cinema
ヒューゴの不思議な発明HUGO
2011アメリカ
監督:マーティン・スコセッシ
原作:ブライアン・セルズニック
脚本:ジョン・ローガン
出演:ベン・キングズレー、ジュード・ロウ、エイサ・バターフィールド、クロエ・グレース・モレッツ 他


映倫G指定ってあるので、え?Gってなんだっけ?と思ったらなんだ、どなたでもご覧になれます、だった。。。自分はどんな指定でも突破できるので、指定制度について普段まったく気にしていないので、非常に疎い。

ということでどなたでもご覧になれるこの3D作品だが、実は映画好き、しかも映画の歴史に興味が向くような好き者にしかピンと来ないのではないのか??これ?

と思わなくも無いのだが、どうなんだろう。

物語の核心となるメリエスはもちろん、リュミエールの作品にも触れたりキートンの引用があったり、きっとワタシの知らない引用だっていっぱいあるだろう。映画黎明期の温室みたいなスタジオが再現されていたり映写機の細部に迫ったり。そんな風にいろいろ複線を積み重ねて終盤にばっと映画好きの心を花咲かせて見せるこの映画、そこまで映画自体に関心のない人にはどのように見えるのだろう??

と疑問に思うほどに、これはスコセッシ(と原作者)の映画愛吐露映画だった。というのが感想である。

ヒューゴ(というかフランスが舞台だからユゴー君だよね)の行動や発見にまつわる謎も、最初のうちはちょっとワクワクするが中盤でわりとあっさりわかってしまい、後半は感極まった風の回想や演説になってしまうのもちょっと残念だ。

それでもその秘密の開示にはちょっと嬉しかったし、おじいちゃんの生き甲斐の回復と集成が実現したのはやはり嬉しかった。ちょっと泣けた。大風呂敷を広げた(映画史という)小さな物語なのかなとは思うが、小さな物語にも十分に語るべきものはあるわけで、そういう点ではワタシは十分に楽しんだ。

******

3Dにした意味というのはあまりよくわからなかったがいろいろ考えさせられたところはあった。奥行きのあるたとえば駅舎の時計台の裏舞台などでは3Dの効果が顕著で楽しくはあるのだが、ほかのなんでもないショットも焦点距離とのかんけいだかなんだか知らないがそれなりに大きな奥行き感があり、全体として印象がむしろ平板に感じてしまうように思える。
3Dの映像ってワタシの(近視+遠視+乱視+老眼wの)目のせいかもしれないが、画面がいくつかのレイヤーになってそれぞれ平板なレイヤー画像の間に距離感がある、というように見えてしまう。だからかえって被写体の平板さが気になってしまうのだけれど、そんなことはないですか?

むしろ、うわ~3Dだ~!と思ったのは終盤のおじいちゃんの顔のアップだった(笑)。顔が立体感をもってまさにそこにある、と感じたのだ。だから3D映像の面白さは、奥行きが派手なスペクタクル映像だけでなくてこういう近接物をとるときにもあるのかなと。普通の映像の3D化の面白さみたいなものをこの映画は先取りしたのかもしれない?

*******

鉄道公安官みたいな彼はどこかで見た顔だよな~~~と思っていたら、あれなのね、『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』の彼なのね^^;なかなかいい味出してたね。

駅の群像が背景として描かれるけど、それの方がメインストーリーよりも魅力的?といか、フランス人だったらそっちで1本撮るんじゃないかな(笑)


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Quand la femme tient la barre de sa vie N°6猫沢エミライブ行ってきました。

2012-03-26 22:31:54 | 猫沢エミ
Quand la femme tient la barre de sa vie N°6
 -猫沢エミライブ&トーク@TRAUMARIS
2012年3月2日(金)雨


以前は猫沢エミのライブについてはライブから帰ってきたその日にうが~っと書いてUPしていたものだが、最近は1ヶ月とか経ってからようやく書くという、ファンにはあるまじき体たらくなのですが、何事にも慣れや停滞はあるものだなあと一般論にしてごまかす。

彼女の音楽への愛情はなんら変わらないつもりなのだが。

今回のライブは、ご自身で「Emi NECOZAWA & Sphinxの3ピースユニット」と仰るとおり、ギター、ベース、パーカッションでSphinxのスケール感とグルーヴに挑むという趣のものだった。
以前からこのスリーピースでのライブは何度も観ているし、編成が小さいからと言ってダイナミズムが損なわれる心配などなにもないとワタシは知っている。はたして、ガットギター+ウッドべ+パーカッションというアコースティックユニットは、ぎらぎらにかっとんで場をぐんぐんかき回した。



今回はベース・グル岩見さんのそばに座ったせいかもしれないが、どの曲もぼよんぼよんに跳ね飛んでいた。ガットギター円山氏も、ガットとはいえいつもながらにピックアップを通して出る音に様々にエフェクトを加え、宇宙を多層化する。それぞれのプレイヤーがちょっとずつテリトリーをはみ出して場を作る感じがする。これがこのスリーピースの魅力だな。

グル岩見


今回の新兵器は猫沢さんのセットに追加されたスネアドラム。これは目からウロコ的な感じでなぜ今までなかったのか?的新鮮さだった。主にブラシによるジャジーなロールで使われたのだが、ウッドベースの存在とあいまって一気に気分はニューヨークみたいなw
アイテムが一つ増えると運搬もセッティングも大変になる打楽器だけどこれはいいですねー。

ニューヨークの雰囲気を思いながらという旨のことを口上に、そのスネアを使った新曲が披露され、これがまた不思議ないい曲だった!間違いなく猫沢エミのメロディだがどこか新しい境地。挑戦し続ける体制にここ1~2年の猫沢エミは入ったのだと明確に印象付ける曲でした。もう一回聴きたい。



セットリストを眺めると、もはや完全にSphinx時代に入ったという選曲であることがわかる。メジャー時代のポップな曲からはほぼ選曲無し。攻めに入ったな!!
以前の曲もまだ十分破壊力を持っていると思うので、それらの名作も新しく生まれ変わってまためぐり合うのを楽しみにしています。

円山天使さんon Guitar



***

セットリスト(新曲でタイトル分からんのは適当にタイトルつけましたw☆)

TABACの森
赤い星
ニューヨーク☆
I am a Kitten
アデュー☆
Syncopation
Madrigal
Zobi la mouche
Zo-wa-z'oiseaux
C'est vous sur le pont

私の世界
セプタゴン





**

会場となったトラウマリス、インスタレーション中でありその中での不思議な空間のライブだった。
天井からつるされたビニール紐のカーテンに、プロジェクタで投影される光が明滅する中、ワタシはそのプロジェクタからの光るを受ける場所に陣取ったため、ライブ終盤には軽いピカチュウ病になってしまいwいい具合にトリップしておりました。
目をつぶっても光が明滅するのをさえぎることができず、視覚への刺激というのはなかなかあなどれないことなんだと深く実感した。

おともだちKさんはいよいよ本格的に猫沢エミスタッフになったらしく、ご本人がとうとう「シトロンプリュスのスタッフになりましたー」と宣言した。ワタシも若かったらそうしていたかもしれない(歓迎されるかどうかは別だが)。人生の舵を切ったKさんに幸多かれー☆




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改名しました。

2012-03-20 22:38:50 | movelog
みなさまこんばんは。

ながらく「Mani_Mani」タイトルで
manimani名義で当ブログをやっておりましたが、
ちょっとした気分転換のため
タイトルを「Credo, quia absurdum.
HNを「すた☆ばねこ
と改めてみました。

内容は引き続き似たようなことをだらだらとやって行きます。

しばらくは「だれだこりゃ?」となってしまうかもしれませんが
ひきつづきよろしくお願いいたしまする。

「すた☆ばねこ」は長いし入力もめんどいので
すた」か「ばねこ」で攻めるかもしれませんw
またそのように呼んでやってください。

では
にゃお
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「Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」ヴィム・ヴェンダース

2012-03-20 00:43:37 | cinema
Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち
2011ドイツ/フランス/イギリス
監督・脚本:ヴィム・ヴェンダース


ピナ・バウシュとヴェンダースは、ピナの振付けによるヴッパタール舞踊団のダンスを
映像作品につくりあげようとずいぶん長い間検討を重ねていたそうだ。
舞台のスケールや生命感を表すのにヴィデオの映像では限界があると
ヴェンダースは考えていたようで、最近になってようやく3Dによる表現が
彼らの構想をよく形に出来ると踏み、撮影に入った、とその矢先に
ピナの急逝。

映画製作を一時断念したヴェンダースだが
舞踊団のメンバーらの意志で再度製作にとりかかり
完成したのが本作。

という背景を知りながら観た。

この作品はダンスの躍動感の記録ということ以上に、
ピナの残したものとしての団員たちによるダンスを
彼らなりに再現して、こんなものをあなたは残して行きました、どうでしょう?と
師匠に問いかけるような映画になっていたと思う。

ダンスのシーンの臨場感はもちろん見所なのだけど、
間に挟まれる団員へのインタビューは
実際に彼らが話す映像ではなく
彼ら一人一人のポートレイト的な映像に声がかぶさる形となっており、
それがドキュメンタリーらしさを良い意味で感じさせないようになっているのもよい。
そこにはピナと彼らとのあいだにあった親密で個人的な空気が感じられる。
それは我々が知るべきものというよりは、団員からピナへのメッセ-ジなのだ。
語りかけであり思い出話であり天に届けと語られた言葉を我々は観る。
そこには冷徹な視線ではなく、暖かい慈しみがある。
そういう映画である。

*****

ダンスは舞台でのものと、
ヴッパタールの屋外で撮られたものがある。
舞台の映像は客席からの視点ではなく、
こちらも舞台の上にいてダンスを観ているかのような距離感である。
なかなか面白い。

単に固定したアングルからではなく、綿密に計画されているらしく
切り返しや引きがダンスの構成にあわせて仕組まれているのは見事で。
「春の祭典」ではダンサーたちの表情や息づかいまで感じられて
動作や表情によるコミュニケーションや物語の紡がれ方をみることができて感動的である。

ピナのダンスは技術的なことがら以上に
ダンサーが踊りに際してどのようなことを思い感じ表出するかという
精神的なあり方を重視したということだが、
それは「春の祭典」でのダンサーの迷いのない動きや
演技を通り越した自由で真剣な表情からも十分うかがえる。

そのような演技指導のありかたとその結果としてのこの充実したダンスが
ピナの残した物であり、それをしっかり形にして我々に伝えることのできる映画に仕上がっていると思った。



******

ダンスを観るのは好きなのだけど
あまり熱心に公演に通ったりはしていない。
今回の3Dによるダンスでいわば舞台上に乗ってみてあらためて
生で見ることの面白さや違いを考えさせられた。
大きな劇場での公演でもダンサーの肉体が動く時の存在感は感じられるし、
小さな劇場で目の当たりにするのもまた特別な感じである。

機会があったらなるべく公演に行くようにがんばってみよう。

****

パンフというかプログラムは写真集みたいになっていて
お値段も1600円とお高め。
書籍というほうが正しい。
内容は結構充実している。
ピナと交流のあった日本人へのインタビューや
監督インタビューなどなど。


あと場所がヴッパタールということもあって
ヴェンダースファンには思わず顔がほころぶサービス映像も。


@バルト9

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「陽炎座」鈴木清順

2012-03-18 01:12:20 | cinema
鈴木清順監督 浪漫三部作 DVD-BOX
クリエーター情報なし
ポニーキャニオン


鈴木清順監督 浪漫三部作 ブルーレイBOX(Blu-ray Disc)
クリエーター情報なし
ポニーキャニオン





ということで「陽炎座」を観た。

この3部作リマスターを機にワタシはとうとうブルーレイレコーダーなるものを安価で購入し
人生初ブルーレイのソフトを購入したのです。
レーザーディスクにはいっさい手を出さなかったため結果的には
なんとなく負の資産を抱えこまずに済んでいるワタシですが
このブルーレイ、将来どうころぶでしょうか・・・・

ということで高画質な「陽炎座」を観た。
が、もともと24コマ/秒で撮っているフィルムですから
画質が上がるということはないわけですよね?
色がキレイになるということだけですね。


で『陽炎座』
かなり昔にみたきりだったのですが
セリフのはしばし、所作の端々を体がよく覚えていて
思わずセリフを一緒に口にしてみたりしちゃった。
後になってどんなセリフだったかというとけっこう思い出せないんだけど^^;
前後の文脈やリズムで言葉が思い出されてくる。
演劇のセリフの覚え方と同じだね。

ということで、陽炎座はそのタイトルや
終盤の舞台が舞台wになるところなどから
3部作の中でも特に芝居っけが濃厚。
すべては陽炎のうちの三文芝居なんだよということなんでしょうね。

その現実感から一枚浮いた感じを
松田優作のぎこちない演技がよくあらわしている
松田優作自体はほかの映画での彼とあまり変わらない気もするのだが
その彼を芝居の書き割りにうまくはめこむことができたということですかね。


女に呼ばれて金沢に男が行くとか
二人の女(分身、転生)とか
『ツィゴイネルワイゼン』『夢二』との共通したモチーフが多いこともあらためて気づく。
そういうところは田中陽造の世界なのか。
原作となる泉鏡花を読んでいないのでどこまで原作にあるものなのかわからないが。

分身ネタの担い手になる女はいずれも傍若無人な男の妻であり
横恋慕的に若い男と惹かれあいもするがそれはなにやら魔性の気配
その辺の扱われ方はフェミニズム的にはおおいに叩かれそうなところだが
徹底して女のことは男にはまるきりわからないまま最後には翻弄されるのは男の方だという
ありきたりといえばありきたりな男映画なのだった。。



うまくまとまらんな。。


@自宅で鑑賞

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「戦火の馬」スティーヴン・スピルバーグ

2012-03-15 01:03:38 | cinema
戦火の馬WAR HORSE
2011アメリカ
監督:スティーヴン・スピルバーグ
原作:マイケル・モーパーゴ
脚本:リー・ホール、リチャード・カーティス
撮影:ヤヌス・カミンスキー
出演:ジェレミー・アーヴァイン、エミリー・ワトソン、デヴィッド・シューリス、ピーター・ミュラン 他


すごくよく出来た映画で
いちいち作り込みがツボにはまるようにできていて
もうまんまとドツボにはまりこんでうるうるうるうると一人映画館の暗闇で泣いてしまったのだが、
それ、その出来過ぎのなかの出来過ぎをそうと知りつつがっつりはまり込んでは心揺さぶられうるうる、
というのがワタシにおけるスピルバーグの正しい観方なので
その点でまさに正真正銘のスピルバーグ映画だったのです。

そして今回はスピルバーグ映画であるとともに
なんと動物使い映画でもあるという。
別に動物がでてくると泣くわけではなくて
動物をちゃんと役者として動かせる監督は
名監督である
という勝手な命題がワタシの中にはあって
この映画はまさに動物が動物のままに動物を演じる名監督の映画なわけです。

ということで、涙を拭かねばならないわ動物使いの手腕に感心するわで
なかなか忙しかった。
主演のジョーイ(馬)はもちろんのこと
中盤ジョーイと併走する黒馬くんや
ガチョウのなんとかくんですら
細かくワザを効かせて一瞬たりとも映画の外にはみださない。

意地の悪い(でも意外と物わかりが良い)地主さんが
家を出るときにすかさずけたたましく追い立てるガチョウ君
あのシーンに実はこの映画の密度は要約されているのではないだろうか。
(そんなことはない)

そのように、あらゆる人馬小動物が
小競り合いから大戦闘まで見事に脚本どおりに動き回る様は
画面上のつつましさの裏にあるスペクタクルを感じさせずにはいられない。
戦争の虚しさやら貧困の悲しさを表に出しつつ実はスペクタクル
スピルバーグうまいよなーあざといよなー

****

第1次世界大戦でのドイツ軍とイギリス軍の衝突が後半の舞台になるのだけれど、
そしてそれはそれは悲しい残酷な戦いで人もわんさか死んで行くのだけれど。
『プライヴェート・ライアン』であれだけ悲惨を可視化してみせて、
あるいは『シンドラーのリスト』でむき出しの殺戮を見せていたスピルバーグが
『戦火の馬』ではむしろ執拗に死の瞬間を隠していたのが気になる。

戦争の悲惨さはアルバートとジョーイの別れと
ジョーイの道程によって示されるのであり
それ以上の悲惨は焦点をぼかすものとしたのだろうか
ドイツ兵兄弟のくだりなどはたしかにあれで十分胸に迫る。
『プライヴェート・ライアン』冒頭に苦言を呈していた淀川長治さんがこれを観たらきっと気に入ってくれるのではないだろうか。

****

それにしても、荒野で針1本を探すようなおとぎ話である。
おとぎ話なのだな。
そうかおとぎ話なのだ。
悲惨を踏まえつつ
奇跡も希望もある
世界をそのようにとらえること
こういう映画も時には必要だな。



*****

エミリー・ワトソンを久しぶりにみてなぜか安心した。
いい役者さんだと思うのだがあまり作品に恵まれていないような気がする。
前に観たのはたしか『脳内ニューヨーク』
『奇跡の海』の印象が悪さしているのだろうか??(笑)

音楽はジョン・ウィリアムズだが、イギリス舞台なためか
音楽はエルガーみたいだった。
職人芸だよねー。



それと、同時期に観た馬映画『ニーチェの馬』との驚くべき違いときたらw
どちらもそれぞれに説得力があるけれども
ひどい世の中だけれどあくまでも馬に希望を託して見せるスピルバーグの若さと
ひどい世の中がしかも終わりつつあることに冷徹な未来を見る(いや見ることも禁じる)タル・ベーラの絶望と
どちらかを取れと言われたら???
どうしよう??


@丸の内ピカデリー
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「ドラゴン・タトゥーの女」デヴィッド・フィンチャー

2012-03-06 00:10:21 | cinema
ドラゴン・タトゥーの女THE GIRL WITH THE DRAGON TATTOO
2011アメリカ
監督:デヴィッド・フィンチャー
原作:スティーグ・ラーソン
脚本:スティーヴン・ザイリアン
出演:ダニエル・クレイグ、ルーニー・マーラ 他


もうリメイクされちゃうんだなーと思っていたら、
あっというまに撮られてあっというまに公開された。

まあワタシがぼんやりしているだけのことなのだけれど。

フィンチャーには格段の思い入れはないのだけれど
エイリアン3の監督さんだというだけで
根拠のない好感を持っている。
今作もフィンチャーでなかったら観なかっただろう。

***

などと消極的な導入でナニですが。

サスペンスなのだが例えばイーストウッドとか
ポランスキーのように
場所とか人物とかにぞっとするような瘴気をはらませたりはしない
あくまで即物的なロケーションと光で撮るのが
フィンチャー流なのだろうか

特にあのいまわしいはずの
終盤の舞台となる地下室などは
あっけらかんとした普通の空間で、
先に挙げた監督たちならここでそれぞれのやり方で場所の魂のようなものを
映し出すはずなのだが
この映画にはそれがない。

ないから悪いとはいささかも言うつもりはない。
むしろこの即物性、ナニモノかの欠如という表し方で
本作は一貫している。

場所魂だけでなく
ダニエル・クレイグはどうも007のイメージがあるので
いまにも超人的マンチェイスに走りそうに見えるのだが実際は
地道な取材をする人でぜんぜんヒロイックなところがない。

ルーニーのリスベットも見た目はハードボイルドだが
実際はあっさりやられちゃったり
ほのかな恋心にゆれたりする。

この徹底した欠如感は
この主人公たちが追い求めた企業一族の
あきれるような虚しい歴史と呼応している。
そのやりきれない空疎さに迫ることの徒労感
そのようなものをこの映画は全身であらわしちゃっている。

人を疲弊させるやりきれなさのコワさみたいなものが
この作品のテーマなのだとすると
この映画はどのくらい企んだものかはしらないけれど
結構成功しちゃっているのだと思う。


どんな映画でも観てみるもんだな(?)



****

ヘンリックがクリストファー・プラマーだとはまったく気づかなかった。
まあほとんど出てこないのだけどね。

あとオープニングの曲があれなのは何故なのかw




@TOHOシネマズ日劇
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