ヒューゴの不思議な発明HUGO
2011アメリカ
監督:マーティン・スコセッシ
原作:ブライアン・セルズニック
脚本:ジョン・ローガン
出演:ベン・キングズレー、ジュード・ロウ、エイサ・バターフィールド、クロエ・グレース・モレッツ 他
映倫G指定ってあるので、え?Gってなんだっけ?と思ったらなんだ、どなたでもご覧になれます、だった。。。自分はどんな指定でも突破できるので、指定制度について普段まったく気にしていないので、非常に疎い。
ということでどなたでもご覧になれるこの3D作品だが、実は映画好き、しかも映画の歴史に興味が向くような好き者にしかピンと来ないのではないのか??これ?
と思わなくも無いのだが、どうなんだろう。
物語の核心となるメリエスはもちろん、リュミエールの作品にも触れたりキートンの引用があったり、きっとワタシの知らない引用だっていっぱいあるだろう。映画黎明期の温室みたいなスタジオが再現されていたり映写機の細部に迫ったり。そんな風にいろいろ複線を積み重ねて終盤にばっと映画好きの心を花咲かせて見せるこの映画、そこまで映画自体に関心のない人にはどのように見えるのだろう??
と疑問に思うほどに、これはスコセッシ(と原作者)の映画愛吐露映画だった。というのが感想である。
ヒューゴ(というかフランスが舞台だからユゴー君だよね)の行動や発見にまつわる謎も、最初のうちはちょっとワクワクするが中盤でわりとあっさりわかってしまい、後半は感極まった風の回想や演説になってしまうのもちょっと残念だ。
それでもその秘密の開示にはちょっと嬉しかったし、おじいちゃんの生き甲斐の回復と集成が実現したのはやはり嬉しかった。ちょっと泣けた。大風呂敷を広げた(映画史という)小さな物語なのかなとは思うが、小さな物語にも十分に語るべきものはあるわけで、そういう点ではワタシは十分に楽しんだ。
******
3Dにした意味というのはあまりよくわからなかったがいろいろ考えさせられたところはあった。奥行きのあるたとえば駅舎の時計台の裏舞台などでは3Dの効果が顕著で楽しくはあるのだが、ほかのなんでもないショットも焦点距離とのかんけいだかなんだか知らないがそれなりに大きな奥行き感があり、全体として印象がむしろ平板に感じてしまうように思える。
3Dの映像ってワタシの(近視+遠視+乱視+老眼wの)目のせいかもしれないが、画面がいくつかのレイヤーになってそれぞれ平板なレイヤー画像の間に距離感がある、というように見えてしまう。だからかえって被写体の平板さが気になってしまうのだけれど、そんなことはないですか?
むしろ、うわ~3Dだ~!と思ったのは終盤のおじいちゃんの顔のアップだった(笑)。顔が立体感をもってまさにそこにある、と感じたのだ。だから3D映像の面白さは、奥行きが派手なスペクタクル映像だけでなくてこういう近接物をとるときにもあるのかなと。普通の映像の3D化の面白さみたいなものをこの映画は先取りしたのかもしれない?
*******
鉄道公安官みたいな彼はどこかで見た顔だよな~~~と思っていたら、あれなのね、『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』の彼なのね^^;なかなかいい味出してたね。
駅の群像が背景として描かれるけど、それの方がメインストーリーよりも魅力的?といか、フランス人だったらそっちで1本撮るんじゃないかな(笑)
2011アメリカ
監督:マーティン・スコセッシ
原作:ブライアン・セルズニック
脚本:ジョン・ローガン
出演:ベン・キングズレー、ジュード・ロウ、エイサ・バターフィールド、クロエ・グレース・モレッツ 他
映倫G指定ってあるので、え?Gってなんだっけ?と思ったらなんだ、どなたでもご覧になれます、だった。。。自分はどんな指定でも突破できるので、指定制度について普段まったく気にしていないので、非常に疎い。
ということでどなたでもご覧になれるこの3D作品だが、実は映画好き、しかも映画の歴史に興味が向くような好き者にしかピンと来ないのではないのか??これ?
と思わなくも無いのだが、どうなんだろう。
物語の核心となるメリエスはもちろん、リュミエールの作品にも触れたりキートンの引用があったり、きっとワタシの知らない引用だっていっぱいあるだろう。映画黎明期の温室みたいなスタジオが再現されていたり映写機の細部に迫ったり。そんな風にいろいろ複線を積み重ねて終盤にばっと映画好きの心を花咲かせて見せるこの映画、そこまで映画自体に関心のない人にはどのように見えるのだろう??
と疑問に思うほどに、これはスコセッシ(と原作者)の映画愛吐露映画だった。というのが感想である。
ヒューゴ(というかフランスが舞台だからユゴー君だよね)の行動や発見にまつわる謎も、最初のうちはちょっとワクワクするが中盤でわりとあっさりわかってしまい、後半は感極まった風の回想や演説になってしまうのもちょっと残念だ。
それでもその秘密の開示にはちょっと嬉しかったし、おじいちゃんの生き甲斐の回復と集成が実現したのはやはり嬉しかった。ちょっと泣けた。大風呂敷を広げた(映画史という)小さな物語なのかなとは思うが、小さな物語にも十分に語るべきものはあるわけで、そういう点ではワタシは十分に楽しんだ。
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3Dにした意味というのはあまりよくわからなかったがいろいろ考えさせられたところはあった。奥行きのあるたとえば駅舎の時計台の裏舞台などでは3Dの効果が顕著で楽しくはあるのだが、ほかのなんでもないショットも焦点距離とのかんけいだかなんだか知らないがそれなりに大きな奥行き感があり、全体として印象がむしろ平板に感じてしまうように思える。
3Dの映像ってワタシの(近視+遠視+乱視+老眼wの)目のせいかもしれないが、画面がいくつかのレイヤーになってそれぞれ平板なレイヤー画像の間に距離感がある、というように見えてしまう。だからかえって被写体の平板さが気になってしまうのだけれど、そんなことはないですか?
むしろ、うわ~3Dだ~!と思ったのは終盤のおじいちゃんの顔のアップだった(笑)。顔が立体感をもってまさにそこにある、と感じたのだ。だから3D映像の面白さは、奥行きが派手なスペクタクル映像だけでなくてこういう近接物をとるときにもあるのかなと。普通の映像の3D化の面白さみたいなものをこの映画は先取りしたのかもしれない?
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鉄道公安官みたいな彼はどこかで見た顔だよな~~~と思っていたら、あれなのね、『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』の彼なのね^^;なかなかいい味出してたね。
駅の群像が背景として描かれるけど、それの方がメインストーリーよりも魅力的?といか、フランス人だったらそっちで1本撮るんじゃないかな(笑)