Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

メンタルが弱い

2009-06-29 00:54:30 | diary
・・などと改まって言うまでもなく
弱いのは分かり切っているんだけれど・・

今日はヴァイオリンのレッスンでしたが、
これまでのアンサンブルのレッスンに加えて
もうちょっと基礎的なことをやるグループレッスンも
はじめていたのです

で、その教室の1クールが終了する日だったんだけど
恒例の・・ってワタシは初参加なんで知らんよ~きいてないよ~状態だったんですが、レッスンの成果を発表するということで、一人ずつ人前で弾く日なんだと!

うひょ~

ワタシ、ある程度ヴァイオリンは弾けるのです。
そこそこ音楽的な表現も出来るのです
もちろんまだまだですけど、それなりに楽しめる程度には。

でも、考えてみると、人前で一人で弾く、という機会に、
普段のような演奏が全然出来ない、ということにあらためて気づくのです。
今日もダメでした。
緊張してしまっていい音が出ないし弓が揺れちゃう
ダメだなあ~
で、ああ、そうだ、自分はメンタルが弱かったんだ(笑)

そりゃそうだ。メンタル弱いってそりゃあ通院加療中ですからね^^;


ああ、なにやら論理的な帰結でつまらんなあ
メンタルが弱いから、いざというときに実力がでないんです・・

ここで変にメンタルがなぜ弱いか、とか、鍛えないと、とか思うと
また妙な方向にいってしまいそうなので、やめる。
あっさりやめとこう。


というわけで、弱い~っていう弱音でした。


あ、でもねえ、アンサンブルの中ではわりと大丈夫なんだよね
アンサンブルの方が向いてるよなあ
なにも無理してソロ弾くこともないじゃん?



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マイケルとファラ

2009-06-27 23:12:23 | diary
(CNN) 米ロサンゼルス郡検視局によると、「キング・オブ・ポップ」と称された世界的な人気歌手マイケル・ジャクソンさんが25日、ロサンゼルス市内の自宅で倒れ、死去した。50歳だった。前夜から体調不良を訴えていたとの情報もある。

兄の歌手ジャーメイン・ジャクソンさんによると、マイケルさんは同市西部ベルエアの自宅で心停止状態となった。通報を受けて救急隊が駆けつけ、カリフォルニア州立大ロサンゼルス校(UCLA)医療センターに搬送。医師団が1時間以上にわたって心肺蘇生措置を試みたが、午後2時26分(日本時間26日午前6時26分)に死亡が確認された。


マイケル・ジャクソンにはたいした思い入れはない。
アルバムも1枚も持っていない。
もちろんビデオだってDVDだって持っていない。
カセットテープにすらない。

曲はそんなに好きではなかった
スリラーのPVは好きだった
横目で見て、ふっ、と鼻で笑っていた。
それでもやっぱり80年代の表の面、ポップで軽薄で大量消費な感じ、のイメージをがっつりと背負ってしまった。
彼の当時の曲を耳にすると、よくもわるくもそのイメージがなつかしく思い出される。

同時に思い出すのがアル・ヤンコビックだったりもする。
彼はマイケルの後ろからやってきて日本でも有名になった。
Eat It!
いや、
R.I.P.

*******

(CNN) 70年代の米人気テレビドラマシリーズ「チャーリーズ・エンジェル」などで知られる女優ファラ・フォーセットさんが25日、米カリフォルニア州サンタモニカの病院で死去した。62歳だった。フォーセットさんは06年に肛門がんと診断され、今年4月初めから入院していた。


ファラはファラ・フォーセット・メジャースの方がワタシにはなじみがある。
これまたそれほどの思い入れはない。
「チャーリーズ・エンジェル」をときどき見て、「シャレード'79」はTVで見たような気がする。が、いずれも内容はほぼ記憶にない。
彼女がもう62歳だったということに軽く驚いた。もちろん計算上はそのくらいになることは明らかだけれど。

どこかで永遠の70年代が続いていて、ファラはそこで相変わらず豊かな髪でばりばり活躍しているのだと思っていた。その世界では相変わらずコロンボはがたがたのプジョーに乗り、ハルクは深夜控えめにその後ろ姿を人目にさらし、フォスター大佐は宇宙人に改造されかかっている。

その世界も本当はもう終わっているのかもしれない。
R.I.P.








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意欲と過去とこれから

2009-06-24 04:19:35 | ウツ記
最近は全然映画ブログではありませんな、ここ。
今回も違いますねえ。
ひさびさに「ウツ記」執筆です。

*********

昔の栄光を懐かしむような人間ではなかったし、そういう人間でないことが自分にとっての普通だったし、今後もそういう人間になるつもりはなかったのだし、そういう人間にならない努力すら無縁のことだと思っていたのだが、どうもこのところ、以前の自分について思いを致すことがあり、そのことについて書いておこうとなんとなく思うのだ。

というのも、ここ数年間、物事に対する「意欲」が著しく低下してしまい、特に自分がやりたいとも思わないこと(=仕事)に対しては、面白いように意欲が湧かない。これはやる気がないとかそういう水準ではないような気がする。課題や課題の解決に対して意義が感じられない、過程が億劫である、気力が湧かない、体がだるい、論理的思考が働かない、視力が低下したような気がする、ワープロで誤字ばかり打つ、すぐにタバコをすいたくなる、コーヒーが飲みたい、話したことをすぐに忘れる・・etc. と、体中が総動員されて意欲の方向に行かないようにしている、そんな水準だ。

以前は、正確には平成9年1月から平成16年2月までの7年と1ヶ月間には、ワタシは意欲的だった。それはもう意欲的だった。意欲の権化と言ってよいかもしれない。自分の割当だけで飽き足らず、他人の仕事を奪っていた。今思えばかなり嫌なヤツかもしれないが、奪った。くやしかったら奪い返してみろと思っていた。新しい仕事もどんどん自分でしゃしゃり出て引き受けた。事務分担に関わらず引き受けた。悔しかったら自分でしゃしゃり出ろと思っていた。嫌なヤツだ。
先を見越して課題を捉え、分析し、影響範囲を見定め、変更や準備をしなければならないことを明確にし、実施する項目とスケジュールを定め、人のアサインをし、やることが明確になったら一気に押し進めた。結果が将来に及ぼすインパクトも予想し、しかるべき手を打った。
熱に浮かされていたようだった。課題はいくらでも出てきたし、情勢はいくらでも変化した。業界的にも政治的にも。次から次に休む間もあらばこそ。

ついでに子育てもしていた。もちろん母親のほうがはるかにがんばっていたけれど、控えめに言ってもそこそこ父親としてがんばってもいたはずだ。なにしろ近所の人がウチは父子家庭かも?と思っていたくらいで(笑)
仕事が終わらないときはあまり残業はせず家に持ち帰り、子供の相手をした後に深夜にやった。風呂に入っているときに解決策がひらめき「ユリイカ!」と叫ぶようなアルキメデスまがいのこともおきた。(さすがに裸で外は走らない。)

そんなこんなで、当然?上司のウケもよく、度重なる異動時期の到来にも関わらず、異例なほど同一部署に留め置かれ、そして来るべき大プロジェクトに請われて参加することになる。

このプロジェクトではまたよく働いたと思う。最盛期にプロジェクトにとりこまれるはずだったライン係の面子の質が悪かったこともあって、その係がやるはずだった仕事をひとりでやった。ひとりで8人分くらいの仕事をしたように思う。そしてそれは当然のことながら自分で思うほどうまくいくものではなかった。仕事は粗くなるし、期限は滞りがちになるし、あちこちほころんでいるガタガタの自転車操業だったと思う。そういうほころびがまた自分の尺度からして許しがたいものだったのだろう。とうとうワタシは壊れてしまう。請われて残った仕事で壊れてしまったのだ。やれやれ。

あの意欲はどこからきていたのかなあ?

********

復帰した今はこうだ。
月曜日は出勤するだけで一日のパワーを使ってしまうので、とてもじゃないが仕事をやる気が起こらない。仕事をしなくてはと思うと体の芯がきゅっと縮む。仕事をするなという体のサインが出る。今日は仕事をするふりをしてサボろう、と思うと、体が少し楽になる。午前中はちょっと我慢しているとなんとか時間をやり過ごせるが、午後は長い。13時半ごろに、ああ、まだ5時間もあるよ~と途方にくれる。いかに自分を失いつつ仕事をしないで済むかを考え、こういう文章を書いてみたりする。まだ14時だ・・まだ14時半だ・・・と思いながら長いときをなんとかやりすごす。15時を過ぎるとちょっと楽になってくる。終わりが見えてくる。16時を過ぎると、本当に終わってしまう。気力も集中力も続かないので、傍目にも脱力していることがわかるだろう。時間はまだあるが、今日の仕事は終わってしまったのだ。自分の中で。時には口にして周りに言ったりする。「今日はワタシ終わってしまったよ」
火曜日は、月曜日の疲れ(笑)で寝坊することが多い。いや、寝坊ではなく二度寝だな。遅刻していく日は体は休まっているし、仕事時間もその分短いので割りと楽である。ちょっと仕事をしてみたりもする。
水曜日になると、また気分はまったりしてくる。このまったり感は金曜日の感じに似ている。もう金曜かと思ったらまだ水曜だよ~というまた違った疲労感に襲われてサボる^^;サボってばかりだ。
木曜日は、週末が目前なのであせって仕事しても仕方ないよな、気分は金曜日だし、とかいってまただらだらする。
金曜日になると、もう今週は終わりだと思い、ちょっと元気になる。また仕事をしてみたりする。
週のうち2日分も働いていないと思う。このご時勢、いつクビになってもおかしくない。上司も処遇に困っているはずだ。このコストパフォーマンスの悪い人間の扱いに。

10年一昔。人間変われば変わるもんである。過去のあの意欲はどこから来ていたのだろう。思うに、意欲が意欲を生んでいたのではないかと思う。力の出し方も思考回路のでき方に似て、同じやり方を何度か繰り返すと、その方向でどんどんパワーが出るように育つ。脳のシナプスのとおりがよくなった経路をどんどん再活用することでさらにとおりがよくなる。意欲を発揮したことが次のパワーにつながり、そのパワーを元手にまた意欲を発揮する。と、そのパワーを元手にさらに・・・パワー発揮のスパイラルだ。

で、今はこのスパイラルがぷっつりと途絶えてしまったのだ。仕事をしないことにすっかり慣れ、そのまったり度がまた次のまったりを呼ぶ。逆スパイラルだ。去年の今頃と比べても去年のほうがまだ意欲的だったような気がする。ぐるぐるとまったりが拡大再生産されて落ちていく。
もちろん意欲的な仕事などできるわけもなく、頭では「これはこうしてこうするべき」とわかりながらも、実際は「まあいいか」と、手抜き、先送り、後ろ倒しの日々である。

今がいいとも思わないが、前の状態がよかったのかというとまたそうでもない。パワーの拡大再生産体制は、短期的にはいい結果を生むが、長い目で見ると持続性がない。あるときぷっつりとその回路は途絶える。その途絶え方が人によっては打撃となってやってくる。単に加齢により能力や体力が衰えるということもあるだろうし、パワー発揮体制が徐々にストレスを蓄積しているということもあるだろう。
今思えば、若いうちはこの回路切断を意識しながらパワーを発揮するのがよいだろう。できればその期間に生産したもので残りの人生を食っていくくらいのつもりでいるとよいのだろう。パワー期はある程度必要であるが、そこに全存在をつぎ込んではいけない。一過性の天の恵みと考え、いつか終わることに備えておく冷静さが必要だ。

******

さてと、もはや意欲を取り戻そうなどというのは非常に高次の欲求になってしまったワタシが望むのは、休まずに出勤できる基礎体力と睡眠コントロールなのだ。朝ちゃんと仕事に行き定時にカードを通すこと。これだけだ。
そう再三お医者さんに相談した結果出てきたのが、「安息香酸ナトリウムカフェイン」略して「アンナカ」(笑)。
クスリ全般について劇的に効くということがないワタシなので、あまり期待していなかったのだが、これが意外といいかもしれない。朝置きぬけにアンナカ粉末を飲む。と、これまで朝食後に強烈に眠くて二度寝をしないとダメだったのが、結構起きていられるではないですか!これまでのところ5日連続で無遅刻無欠席である。。。(笑うでない。これがワタシの進歩なのである~)
・・まだ5日かあ・・・これが1ヶ月2ヶ月~と続いていくといいけどね。

意欲がどうたらはそれからでいいや。

しかし、夜は眠剤でドガッと寝て、朝はカフェイン大量摂取でガツッと起きる。
なんか極端だなあ・・・まあ、こういう極端は好きな正確なのでよし。


ああ、長かった~


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欲しかったり買っちゃったりしたもの

2009-06-22 22:53:10 | diary
世界のすべての七月 (文春文庫)
ティム オブライエン
文藝春秋

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こいつはずっとハードカバーしかなかったんだけど
苦節5年、ようやく文庫版が出たですね。
今日気がついたけど、新刊だったからでたばっかしね
ティム・オブライエン




西遊妖猿伝 西域篇 1 (モーニングKC)
諸星 大二郎
講談社

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で、最大の注目新刊はこれですよ
西遊妖猿伝西域編!明日発売です!!




ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー DVD-BOX 4 (四季を売る男/不安は魂を食いつくす/不安が不安)

紀伊國屋書店

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それと、ファスビンダーのDVDBOX4がもう出るそうですね。
このラインナップだとまだまだ5、6・・・と続きそうです。
財布が・・・・




高度専門ITサービスマネジメント (情報処理技術者試験対策書)
谷 誠之,木村 祐
アイテック

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これはお勉強本
買わねば。



ということで、散財人生は続くのです~




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「闇の鶯」諸星大二郎

2009-06-20 17:05:59 | book
闇の鶯 (KCデラックス)
諸星 大二郎
講談社

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諸星大二郎の最新の単行本です。
(と言ってしまうと、そのうちに最新ではなくなってしまうのでよろしくないのですが)
単行本未収録の作品を集めたもので、初出年は1989年から2007まで広めです。表題作のみが89年発表のもので、あとの作品はみな21世紀の作ですね。

作風も1作毎に違った味わいがあり、諸星ワールドの意外な懐の深さを楽しめます。

***

「それは時には少女となりて」2004初出
これは妖怪ハンターの稗田礼二郎が登場するシリーズの1作ですが、稗田は手紙として登場するだけで、主人公は高校生の潮(うしお)と渚の二人になっています。名前のとおり海辺の漁村(いや、村かどうかはわからん)が舞台の、古事顕現もので、浜辺に残る「蒙古の石塁」と、化け物を表す古来の語彙「モッコ」をかけた謎めいた気分を上手く織り込んで、海辺の禍々しい面をよく描いています。
そう、とても海辺の雰囲気がよく出ているのです。潮の匂い、べと付いた風と砂、気色悪い小さな生き物、霧、そういう実際の海辺のきたならしいところの感覚が読んでいてよみがえってきます。実際にある海辺の禍々しさに形を与えたのがこの作品でしょう。ワタシがこの作品が(というか、潮と渚シリーズが)好きなのは、自分が以前海辺の住人だったせいもあるでしょう。また、作者の禍々しさへの嗅覚が確かであることもよく実感できるのです。

そのうえ、妙に軽妙な感じが漂うのも好きです。海の魔はやや軽薄な少女になって現れますが、そのノリは普通の10代の少女のそれであり、すこしも妖艶であったり謎めいていたりしません。それに対する潮と渚のカップルも、ちょっと掛け合い漫才的な微笑ましさを振りまいていい感じです。諸星作品の女性らしく、気丈で行動力もあり頭の良い渚に対して、危うく魔に引かれそうになる潮の情けない感じがよいですね^^


「人魚の記憶」2007初出
これも海辺ものです。ネタとしては単純なものですが、その導入がステキにすばらしいですね。冒頭の見開きで、主人公の謎めいた記憶とそれに結びつくトラウマ的なサイレン拒否症を示しているところがカッコイイですね。
ことあるごとに故事伝承にものごとを結びつける諸星らしく、サイレンの語源の説明なんかで箔をつけていますが、実際はそれはストーリーとは関係ないところも笑えます。
しかし、彼の記憶にある断崖の下、海岸の洞窟の風景は、なんとワタシの記憶にある江ノ島の外海側の景色と似ていることか。。もちろん昭和40年代くらいの、整備される前の江ノ島外海側ですね。引き潮になると断崖の下を伝って歩けるようになるところなんかも似ています。そういうことで、これも気に入った作品です。
おぼろげながらも強く心を動かす記憶が導入になっているところは、たまたま今読んでいる村上春樹「1Q84」と似ています。


「描き損じのある妖怪絵巻」2007初出
京極夏彦トリビュート本に寄稿したものだそうです。冒頭のいきなりの絵巻がなかなか京極堂臭くていいですね。これもネタ一発ものですが、登場人物と一緒に由緒ある古家の過去について探っているうちに、途中でオチがありありと分かってしまうところが(笑)いい感じです。おお?それはあれじゃないか?と一緒に気づき、ラストでは、ああ!やっぱり!!というふうに味わえるネタです。
初出にあった前後数ページはカットされたということですが、そこも読みたかったな。
途中ででてくる「松井家」との確執でもうちょっとハナシが膨らむかなあと思っていましたが、そうではなかったです。
でてくる学者さんは明らかに稗田礼二郎そのひとですし。


「闇の鶯」1989初出
これだけが80年代の作品です。
パソコン少年対山姥、という趣にしたかったとあとがきにありまして(笑)それでもパソコンウォーズはいちおうでてくるけど全然本筋に関係なく(笑)
でもそのパソコンと山姥という取り合わせが、何とも居心地の悪い奇形性を作品にもたらしていると思います。
そのパソコンやワープロの意匠がまた今みると古くさいのも笑えますし、古いだけでなくあきらかに作者はパソコンについてよく知らないと思われるところもいいですねww(衛星通信ってなんだよ?)

それと、明らかに環境問題へのメッセージが込められていますね。山姥=山の神という設定で自然との共生をラストに持ってくるという全体的な構図もそうですし、森林伐採や植林の弊害、原発について、工場による環境破壊について、と直接的な言及があります。89年ころは最初の環境問題ブームのころで、その議論は未熟ながらも一部の意識ある人々が訴えるという感じだったと思います。そのブームはバブルの崩壊で環境より成長を・・という機運でいったんリセットされてしまいましたが、今は不景気を逆にてこに環境はビジネスになるという形になってきましたね。そんなことを思いながら89年の素朴なメッセージを見るとまた考えるところがあります。


「涸れ川」2001初出
これはまた諸星らしい、この世ではないけれどもどこかに存在する世界、を描く作品ですな。この隔絶された空間も時間もさだかでない世界の感覚はとても好きです。「私家版鳥類図譜」にもそういう隔絶世界がありました。いいですな~
諸星の「どこかほかの世界」にはいつも「輝く中心」のようなものがある気がします。ここではそれは半月型の湖です。水もまた光と通じる感じがしました。
その世界にありながら、異質で結局そこに帰属しきれない人物もまた、定番のように登場します。これも諸星的です。
前半の海辺系の作品も好きですが、「涸れ川」もかなり好きですね。

*****

下の子Mちゃんがこの本をパラパラとめくり
パパはなんでこんな怖いの読んでんの?とか言っておりました。
いや、別に怖くないですよ。。あんたも読みなさい


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「So In Love」 from Porter's Kiss Me Kate

2009-06-14 21:44:22 | music



ひょんなことから
この曲の名前と作者がわかった。
日曜洋画劇場のエンディングテーマだった
映画の余韻と夜遅くなった感覚とに非常にマッチした
愁いを帯びた曲ですな。
好きですよ。

コール・ポーターだったんですね
kiss me Kateからの曲ということです

日曜洋画劇場のはインストで
ピアノコンチェルト風
というかもっというとラフマニノフ風で
2バージョンありましたね。
アレンジはかなり似ているのですが、
ワタシはサイショのバージョンのほうが好きでした。
冒頭ホルンによるテーマのモチーフが鳴ると
次にピアノの大仰なアルペジオが響き渡る
このアルペジオがサイショのバージョンのほうがよかったんですよね~
その後ピアノのアルペジオをバックに弦が
重々しくテーマを歌い上げる。

いいなあ

もう日曜洋画劇場でもあの曲は使われていませんね
残念だ。


子供の頃実家で母親がよくTVの映画を観ていて
そのころから親しんでいた曲だというのも
好きな理由ですね。
思い出と直結している。

ながらく曲名と作者を知りたかったんですが、
知りたかったことも忘れてのほほんと暮らしておりましたが、
今日分かりました^^


これもいいな







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スタバでしあわせ

2009-06-14 02:01:38 | diary
このあいだいつものように
ラテをたのみ
受け取ってソファ席にどっしり
で、3口目くらいでやっと気付き。

わ~おお!
とか小さい声で叫んでしまった
(小さい声では叫ぶとは言わないか?)

ささいなことですが
とてもうれしいですな
なんにせよ
好意で人がちょっと繋がったり触れ合ったりするのは
幸せなことだ。

ちょっと電車とかでカバンが足とかにぶつかったりとかで、
ちっ!
とかついムカムカオーラを漂わせたりしがちな毎日ですけど
そういう気持ちではなく、
いつもありがとうという気持ちを持ちたい

とか思わず素朴な心持ちになったスタバでの出来事でした
ありがとうスタバのバリスタさん^^
「ありがとう」が「ありがう」になっているところも
なんだかうれしいです(笑)


****

さて、今日は病院の帰り
どういうわけか小さな料理屋の店先に
「ご自由にお持ちください」との札とともに古本が何冊かあり
ちょっとみたらカフカ『城』(ブロート版ですが)があり。

なんか得した気分^^

そのあと某音楽ショップの全フロアをつぶさにチェックし、
さらに本屋をなめるようにチェックする。
すごい長い時間が経ったのだが、いっさい何も買わずに帰ってきた。
成長した。のかもしれない。

城 (新潮文庫)
フランツ カフカ
新潮社

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*****

家に帰って夕ご飯を食い
ぼおっとしていたら、突如霊感が舞い降り!
3ヶ月くらい放置していた「WinPCがネットに繋がらない」現象を
なんと治してしまったのです。
ネットワークカードがいかれていると思っていたのですが、

そうだ、電源ケーブルを抜いてみればいいんではないのか???

そうするとLANボードもリセットされるよね?
なんでこのことに気がつかなかったのか??
再三リブートとかはしてみてたのにケーブルは抜いてなかった!

で、やってみたら・・・
・・・成功!
このところ埃をかぶっていたPCの画面に
しっかりブラウザのホームのページが出たではないですか!


おお~なにやらすごくすっきりした!


その後、久々に音楽制作モードになり
3時間かけてドラムのデータを細かくチューニングした。
完成までにはもの凄い時間がかかりそうだけど、
なんとか次のアルバムを作りたい。

そうでないと死んでも死にきれんからね。
今日から頑張ろう。
いろいろなことに。。






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「夢小説・闇への逃走 他一篇」シュニッツラー

2009-06-11 22:06:26 | book
夢小説・闇への逃走 他一篇 (岩波文庫)
シュニッツラー
岩波書店

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ntmymさんが読まれて崩壊なさっていたので^^;
とても興味を持ち読んでみました。

シュニッツラーはワタシが生まれたちょうど100年前に
ウイーンで生まれた人で、前々世紀末から活躍し1931年まで生きたということです。
この本に収められた3編はいずれも1900年代の初頭に成立したものということで、爛熟のウイーン文化のさなかを生きた人間の心の内をのぞかせるような短編です。恋愛、破局、ゆきずりの情事、不倫、秘密、病、名誉、決闘、疑念、死。そんな感じでしょうか。

****

といっても、絢爛豪華なメロドラマではなく、人物の内面のうつろいや闇をじわじわと影絵にして映し出すような、静謐でありながら内に秘める力、鬱屈した力を感じさせる作風です。

最初の短編「死んだガブリエル」は、友人を自殺でなくした男と、その友人を愛していた女性が、ふとしたきっかけでちょっとした交流をもつ話なのですが、その二人と、自殺した友人が生前に虜になっていた女優との3人がちょっとした曲折の末に、暗い室内で出会うのです。
で、そのとき、ほとんど挨拶程度の会話しかしないのに、それぞれの内面的には気付きや確信、勝利や敗北といったドラマが渦巻くのです。そのウズマキをほとんど言葉にすることなく感じさせる小説の底力を感じました。

二番目は「夢小説」
タイトルではなにやら安っぽい昼メロを連想してしまうワタシでしたが、なるほど、これは夢によって人が我知らず本性を現してしまう時の物語でありました。
愛を感じながらも心の底では憎しみすら抱いている、それでもその愛は嘘ではない。愛ゆえの憎しみ、憎しみゆえの愛。そういう相反や葛藤を一身に抱いている人間存在をなまめかしく描いています。

でもやはり一番印象的なのは三番目の「闇への逃走」でしょう。
ntmymさんがやられちゃったやつですね(笑)
笑い事ではないのかもしれませんが、これは実に不気味です。
精神を病んで療養に出ていた弟が帰郷して仕事に戻ろうとするのです。で、兄は精神科医。弟は心中に去来するいろいろな考えや妄想をとりはらい、ある女性と出会って幸せな婚約をするに至る。で、どうも自分の病が治ってきたら兄の様子がおかしいことに気付く。仕事に耽り過ぎだし、どうやら弟が狂っていると疑いだしているようだ・・兄に狂人の烙印を押される前に弟は逃げ出すことを考えるのだが・・・
この弟に生まれる思考と、その思考からの自己解放、そのスパイラルが延々繰り返され、読んでいる方もなにが正気でなにが狂気なのか、本当にわからなくなってくる。どんな物証もどんな兆候も、弟の妄想になにも結論づけてくれるものはない。どこまでいっても、何度解放されても、妄想は次から次へ以前の結論を裏切りやってくる。この迷路は恐ろしい。
自分の内にこういう迷路は誰もがもっていると思うのだが、ほんとうに迷路の中で迷っている人にはちょっとお勧めできない強力作品だ。迷路的悩みを真実自分のものとして受け止めている人にはインパクト大だ。
ntmymさんが仰っていたように、そういう点が「健康な」人だけが他人の物語としてこれを楽しむだろう。
ワタシはこれを読んで崩壊はしなかったけれど、負の共感のようなものにずるずると引き込まれ、最後まで闇への逃走をともにした。つらいけれどワタシにはいい刺激になったような気がする。暗い、深い、静かなものに惹かれるからね(笑)

しかし、ああ、暗い一週間だった^^;



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「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」トラン・アン・ユン

2009-06-08 22:15:00 | cinema
アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン 豪華版 (木村拓哉ジャケット仕様) [DVD]

エイベックス・マーケティング

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アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン 豪華版 (イ・ビョンホンジャケット仕様) [DVD]

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アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン 通常版 [DVD]

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アイ・カム・ウィズ・ザ・レインI COME WITH THE RAIN
2009フランス
監督:トラン・アン・ユン
脚本:トラン・アン・ユン
撮影:ファン・ルイス・アンチア
出演:ジョシュ・ハートネット(クライン)木村拓哉(シタオ)イ・ビョンホン(ス・ドンポ)トラン・ヌー・イェン・ケー(リリ)ショーン・ユー(メン・ジー)イライアス・コティーズ(ハスフォード)


トラン・アン・ユンの新作を観て参りました。
初トラン・アン・ユンでございます。

キムタクとかイ・ビョンホンとかという名前で
なにやら内容を危惧していたのですが、それは全くの先入観でありまして、
見てみるとなんのことはない、非常にワタシ好みの映画でありました。

グロくて血がドバドバ出てやたらと汚い^^;
時制もエピソードもぶつ切りであちこちに飛び回る。
そんでもってキリストネタも仕込んであるという
ワタシ向きな映画でした。

全国のキムタクファンにはぜひこぞって足を運んでいただきたい。
そしてウジ虫やフランシス・ベーコンばりのスカルプチャーにのけぞってもらいたい。スマップを追いかけている間には体験できないものがここにはあるよ。

*****

元刑事のクラインと、彼が数年前に追った連続殺人犯の逸話が非常に好み。
犯人のやったことのおぞましさは、キリストの苦難と結びついてなにやら崇高な人間観に結びついてしまい、芸術の行き着く先への寒々しさを思わずにはいられない。
苦痛のうちにこそ人間存在は完成する・・と言うようなことを言っていた犯人。

そして犯人に同化することで逮捕を狙ったクラインもその深淵に精神が飲み込まれてしまうあたりが、なんともワタシ好み。
クラインに何が起こったかは明示されずイメージの断片でのみ示されるのもワタシ好み。
で、犯人の「作品」も。ベーコンからデヴィッド・リンチに受け継がれた禍々しさをココにも受け継いだ監督がいた。


そのように苦痛に肉迫する人間がいた一方で、アジアに人々の苦痛を自身に転移させることで人を救う男がいる。彼の生き様はやはりあの聖人に似ている。教えを説いたりはしないけれども、彼を求める者と恐れる者に世は二分される。
数少ないキムタクのセリフの大部分が「あの方」のセリフであったことも驚くばかりだ。彼のセリフによって伏線が張られていた最後のクラインの言葉もなかなかユーモアと毒がありシリアスでもある。
それも苦痛に対する人類のあり方の一考察だ。
そして地獄を見たものが彼をおとしめ、または救いの使いとなるのだ。


ふう
わけわからんでしょ。

かようにワタシ好みだったわけですよ(?)

第一級の映画だというつもりはまるでないし、
おそらくはそんなに優れた作品ではないと思うのだが、
こういう映画が撮られることに、
この世は捨てたもんじゃないという妙な安堵をおぼえるのであります。
安堵とともに戦慄もするのですが。

***

音楽にRADIO HEADが参加している。

リリ役のトラン・ヌー・イェン・ケーは監督の奥さんですな。



【追記】
なんかmixiに書いた文章の方がいい感じなので
コピペしちゃいます↓

今日はトラン・アン・ユンの新作を観ました
キムタクとかイビョンホンとか出てるんで、内容をちょっと危惧していたんですが、
何のことはない、結構好みの内容でした。

グロくて流血で汚くてなにやら哲学臭い(笑)
キリストネタまで仕込んであればそれはもうワタシ風味

如実にフランシスベーコンの影響を隠さない造形は
またベーコンの内包していた禍々しい思想の行き先をも継承していたと思います。
デヴィッド・リンチに続いてココにも映画界でのベーコン承継者がいたわけです。

その造形を施した殺人犯の思想と、それを追う刑事のトラウマが、人間の苦痛に関する一つの物語となっています。

一方のキムタクも、ファンの期待を裏切るようにキムタク的演技を封印し、
異形の存在であろうとします。
その生き様は、やはり苦痛を背負うことに関しての一つの存在論的な象徴である「あの方」に似てきます。ここでも苦痛をテーマにした物語があります。

その二つが出会うときに、キムタクのセリフとして憑依した「あのセリフ」のエコーである言葉が発せられ、全体がぐるんぐるんとつながっていくところは、う~むと唸らされました。

第一級の映画だとは思いませんが、ワタシは好きですな。
全国のキムタクファン、イビョンホンファンにはぜひ劇場に足を運んでいただいて、
のけぞるもよし、ウジ虫で奇声を上げるもよし、ポップコーンを食べる気をなくすもよし、途中退席するもよし、また眠るのもよし。そういう体験も時にはいいものですよ。。。



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「宇宙飛行士ピルクス物語」(上)スタニスワフ・レム

2009-06-07 01:49:10 | book
宇宙飛行士ピルクス物語(上) (ハヤカワ文庫SF)
スタニスワフ レム
早川書房

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宇宙飛行士ピルクス物語(下) (ハヤカワ文庫SF)
スタニスワフ レム
早川書房

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スタニスワフ・レムの連作短編集?でしょうか。
文庫版で上下巻の上巻を読みました。

渋いですね~
宇宙飛行士ピルクスがまだ訓練生のころのドタバタ騒動「テスト」から
一等航宙士として月面で事件を解決?する活躍「狩り」までの6編
レム作品にしては異例の早さで読めました。

***

レムのすごいところは、科学的な知識と考察でとことん月面やロケット内での生活の細部を描写してしまうところで、例えば月面では人が歩行するときに立つ砂埃は、すぐにおさまってしまうはずだと思われていたが、実際(?)は月に大気がないために石は粒子の放射にさらされ、その電荷で帯電し、そのため埃に包まれていて、舞い上がった埃は同電荷で帯電しているので、一度舞い上がると反発しあい丸1時間もおさまらないことがある・・・とか言って、月面では人が歩いた道筋にもうもうとほこりが舞い上がり、後ろを歩けなくなるので、人は一列横隊で歩くのだ・・とか。

あ~もう細かい!(笑)

そういう細部の説明がぎっしりつまった文章なのだが、そのくせちゃんとピルクスの冒険物語は進行し、けっこうスリリングだったり、妙なオチがついている。そのあたり、他のレム作品(長編とかね)の恐るべき取っ付きにくさとはちょっと違う感じがする。

前に、小説の言葉も詩のようであるなあということを書いたことがあるけれど、一方で詩的でない言葉、説明的文章を徹底して小説にぶち込んだのがレムだと言えるかもしれない。説明が作品の本質であるような小説という冒険。

***

レムの憎めない欠点は、その科学的な正しさを追求するあまり、現在の科学技術の範囲内で説明できることはみんな説明してしまう点にあるかもしれない。だから月に観光客が訪れる時代になっても、あくまでも写真は「現像」して印画紙に「焼き付け」たものであるし、データは「磁気テープ」だし、画面は「ブラウン管」でコンピュータは「緑色の」文字を返してくる。(笑)

まあ、未来のブレイクスルーを予見するってのはレム的ではないのかもしれませんね。あくまで現実の理論/論理の先に未来はあるという。

*****

現実の延長に未来はある、ということなので、当然ピカピカの宇宙船なんかは描かないわけです。人がやることなので、雑然としていて、故障もすれば老朽化もする。というわけで、特に「テルミヌス」での年代物ロケットの内部の描写が印象的。シミだらけの廊下、開閉装置が壊れて取っ手が付けられた扉、補修だらけの核反応炉。こういう未来像はもしやリドリー・スコットの映画に影響を与えていたりはしまいか?

あとはこんな感じかな。

「テスト」
ちょっとオチが途中で見えてしまったが、それなりに笑える。笑いが取れるレムなのだ。

「パトロール」
これは謎解きものである。舞台は壮大な虚無空間で、従って何も起こらないはずの空間パトロールだが、そこにわき起こった事件の真相は?・・・って、真相が妙に細かいところがまたしびれるね^^

「アルバトロス号」
これはちょっとオチが分かりませんでした。なんとなく想像はするんだけど、ホントかなあ??誰か解説してください。piaaさんとか。。

「条件反射」
これも謎めいた事件の解決にピルクスが一役買うハナシ。冒頭の異様な試験がおそろしい。で、謎解きは結局SFというより心理学的なのもレムらしい。
月面の描写に異常なまでに紙面を割くのも読み応えあり。

「狩り」
このオチをつけるためにえらい長い話しをよくも思いつくもんだ。
人間のすることがことごとく情けないことになるのも面白い。




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「LOVE LETTER」大塚愛

2009-06-03 00:34:49 | music
LOVE LETTER(DVD付)

エイベックス・エンタテインメント

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子供にせがまれて借りてきたんですけど、
お父さんの方がよく聴いているかもしれない大塚愛。

エ●ベックスのディスクが我が家のプレイヤーにかかろうとは
よもや想像もしなかったが、
よおく考えると家には浜崎あゆみのCDもあった^^;

で、大塚愛さんですが、なかなかよい曲を作るねえ。
13曲あるけれど、飽きさせない作りはたいしたモンですよ。

冒頭LOVE LETTERでは定番の派手なオープニングを避けて
しっとり系なのも好感が持てるし
そのあと2曲目ロケットスニーカーの始まり、元気のいいピアノだけのバッキングがとてもすがすがしく聴こえる。
構成勝ちだ。

気に入っているのは、360°
かんらんしゃ、めりーごらうんど~
歌詞のはまり具合がいいし、サウンドもくるくる回っている

それから君フェチ
サビがおしゃれでよいし、中間のCメロ的なところのサウンド処理も
ボーカルがちょっと遠目のリバーブで左右に別れてカッコいい。
フェチってほんとは非生物への性愛なので、君フェチって変じゃね?ってことは置いといて・・

One×Timeもいいですね。後半の気持ちよさをこの曲が担っています。
歌詞が「上に、上に」っていうとメロディも上にいくし、「下に、下に」のところは下がっている(笑)そういう遊びが出来るのはたいしたモンです。

そのあとはポケット、とアルバムの終わりに向けてステキな曲で盛り上げていきますね~
終わり3曲がいいとアルバムとして成功だと日頃思っているので、このアルバムは成功です。
(ちなみに「2曲目がいい」というのもよいアルバムの条件として必須です。)


残念なのは、前のアルバムにもあったけど、ちょっと元気よくておふざけ色のある曲をいれないといけないと思っているようなところですかね。
それは彼女の意思なのか事務所かレコード会社かプロデューサーか知りませんが、ワタシにはちょっと余計な事のように思えますね~
シャチハタ、とかド☆ポジティヴとかですけど。前のアルバムの蚊のうたよりは大分マシですけどね。シャチハタのジャズ歌謡はやっぱり歌い方が着いていってない感じでムリがあるしね~


でもまあ、
サクランボとかはちょっと聴かないけれど、大塚愛、このアルバムはおじサンでも聴くに耐える出来だと思いマス。
カワイイしね^^;



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『逃げ去る恋』フランソワ・トリュフォー

2009-06-02 09:30:04 | cinema
フランソワ・トリュフォーDVD-BOX「14の恋の物語」[I]

角川エンタテインメント

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「逃げ去る恋」L' AMOUR EN FUITE
1978フランス
監督:フランソワ・トリュフォー
製作:フランソワ・トリュフォー
脚本:フランソワ・トリュフォー、マリー=フランス・ピジェ、ジャン・オーレル、シュザンヌ・シフマン
撮影:ネストール・アルメンドロス
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
出演:ジャン=ピエール・レオ、マリー=フランス・ピジェ、クロード・ジャド


アントワーヌ・ドワネルものの最終作である本作は、過去の作品からの引用映像が多数さしはさまれる回想部分が多くを占め、映像のリズムとしてはちょっと特異な感じのする作品である。むしろ過去のシリーズを観ていない状態で鑑賞すると、回想シーンと現在のシーンが明確に区分されず入れ替わり立ち代る、冒険的作品に見えるかもしれない。

****

【ネタバレ含みます】

『家庭』で先行きがとっても心配だった若きドワネル夫妻も、あ~あ、やっぱりこういうことに・・予測はできましたけどね~

新しく撮られたところのスクリプトは結構秀逸で見ごたえがある。あの切ない思い出のコレットとの再会は、しかしコミカルに色づけされていて、感動の再会とは程遠いのがいいね。コレットは弁護士になっていて、ますますアントワーヌとは不釣合いな感じになっているのも可笑しいし、コレットがアントワーヌを見つけるのが協議離婚の場だというのもそうだし、そこでまた例によってばたばたするアントワーヌを見て、「また走ってるわ」とか言って笑うのもよい(笑)
次にコレットにまた駅で再会するアントワーヌの行動も、後先考えず直情型で大笑い。いきなり発車した列車にむかってダッシュするアントワーヌが、実際に列車に乗るカットはなくただフレームアウトするだけ、という演出もすばらしい。

コレットは、また列車に乗る前に、恋人の営む書店でアントワーヌの著作「恋のサラダ」(笑)を求める。それはアントワーヌの自伝的小説で、この本を読むと脳裏に浮かぶ情景という位置づけで、やはり過去の作品からの引用が行われる。だが、アントワーヌはこの小説で自分に都合のいいように細部を脚色しているもんだから、その引用にかぶさるキャプションは、実際に引用元で使われていた背景とは異なる説明になっており、これがまた腹かかえて笑っちゃうんだな~
「突然彼女の家族がぼくの部屋の向かいに引っ越してきた」
いや、向かいに引っ越したのはお前だろう!(笑)
この笑いはやっぱりシリーズを観ていないと味わえないね。

新しい恋人のサビーヌについてのエピソードもしゃれている。コレットとの会話で新しい小説のプロットとして語られるのがそれで、創作かと思いきや本当の話だったというひとひねりが小気味いい。その出会いでのアントワーヌの純情さに好感を持つけれども、しかし、アントワーヌ、結婚してるじゃないかよ^^;恋多き尻軽男め!

でも結末はなにやらハッピーな感じ。コレットは書店のお兄ちゃんとうまくやれそうだし、ちょっとこじれちゃったアントワーヌとサビーヌも最後にその出会いの秘密が明らかになると、また優しい気持ちに戻っていく二人。
長かったドワネル君の人生の旅はきっとまだ続いているだろう。トリュフォー亡きいまもきっとどこかで続いているに違いない。誰かがふと続編を撮ってもいいかもしれない。あるいは俳優になり『アメリカの夜』や『ドリーマーズ』にふと顔を見せたりしているかもしれない。パラレルワールドで(笑)。
続編の監督は誰がいいかな?

*****

母親の元恋人との邂逅は、印刷所の騒音の中、元恋人の怪しげな身振りでの訪問と、それへの切替しとしての、また怪しげなアントワーヌの身振りによる無言劇として実現される。この無言の身振りは実に見事に作られている。アントワーヌのいるガラスに囲われた作業部屋を、元恋人は「どれがアントワーヌだ?」という顔つきで何度も除きこむ。立ち去りつつも何度も振り返り、アントワーヌを目を合せる。アントワーヌのほうも、初めは「なんだろう?」と気を止めるだけだが、次第に怪しい男に目を向け、そっと立ち上がる。
お互いの認知は作業部屋の外、騒音の中観客には届かない声で行われる。手振り身振りと口の動きで我々は何事かをようやく悟る。

同様の無言の開示は、前作『家庭』でのクリスティーヌ懐妊にアントワーヌが気づくシーンでも見られる。

それほど似ているわけでもないのにこの二つのシーンにジャック・タチ的なものを感じるのは不思議である。タチはそのパントマイム的舞台芸に立脚した無言劇が得意、というか基本であったので、その映画的素養のトリュフォー流継承なのだろうと思う。
と同時に、思えば映画はサイレント期における充実を経験したジャンルではなかったか?ということをよく教えてくれる名シーンである。
すっかり老いて今は貸衣装屋を営む元恋人と、彼が今も慕うアントワーヌの母親の墓の前で結ばれる友情もまた切なく感動的であるけれども。


トリュフォーはよほどバルテュスが好きなのか、ここでも『家庭』でのバルテュスシーンを引用している。



おおっと、肝心の主題歌に触れなければ!
アラン・スーションの作詞・歌による主題歌は、コレットやクリスティーヌたちの名が織り込まれた贅沢な一品ですね。もちろんコード進行も実にフレンチしていてよいです。
スーションと作曲のヴールズィのコンビは86年にフランスのヴィクトワール賞(歌謡大賞みたいなもの?)で最優秀歌曲賞を取っているそうです。
スーションは90年代にもそのような賞を取っているらしいので、この『逃げ去る恋』はそのキャリアの初期のものということになるでしょうか。



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