Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「5時から7時までのクレオ」アニエス・ヴァルダ

2020-09-29 20:35:25 | cinema

 

やっと観た伝説作ですが、大変面白かったです。

 

映画のコンテンツとははなれたところでなんですが、

とにかく低予算でという条件(普遍的な条件だ・・)で、

ならばこういうのは?と思いつく力が素晴らしいとまず思いました。

ヴァルダはどうも(他の同時代の映画作家と比べ)映画どっぷりな出自ではないようですが、

そういうところから自然に発想されるものが、

このような実にヌーヴェルヴァーグ的な要素であるということは、

やはりあのような潮流は、時代の精神として共有された感覚から

このように生まれたものなんだろうと思えるのでした。

 

さて、と、

 

この作品に限らずであるけれども、映画というのは(映画に限らず)

一つのテーマがあって、それを「表現」するために様々なディテールを、

脚本を、演技を、構図を、素材を、音を、

合目的的に設計し実現するもの、

とは限らないのであって、

この作品においては、クレオの不安とか揺れ動く気持ちとか

そういうことがテーマというか

表現できるあらすじとしてはそういうことになるとは思うけど、

そういう説話論的というかバーバルなというか線形的な要素はこの映画の一部であって、

そのほかはそういうテーマに容易に回収されない自由な

というか野放図な、リアルに些末な細部で重層的多面的に作られていて、

そういうあらゆる面でひろ〜い世界を描きうるのが

また映画のとてつもない楽しみなんであって、

もっというならば、その目的収束的でない成り立ちが可能であるということこそ

映画の最大最高の価値であると(言い過ぎか?)

 

てなことをじっくり感じさせる小品なんだと思うんです。

 

気持ちのうつろいというのも、いろいろな側面を描いているんだけど、

一方ではパリ市内ロードムーヴィー(あるいは観光?)であり、

景色の移ろい、出会う人々の移ろい、そういうものが詰まって

互いに互いを乱反射して

とにかくさまざまな視点で「移ろう映画」になっているわけです。

そういう作品は

どこか作為を超えてというか無関係なところで

次々と互いに成り立っていくような、そういう総体的な運動みたいなものになるのです。

 

そこでは、なんというか、物や人の存在自体が

それそのままでよしみたいな感覚になるんじゃないかしら。

たとえばパリの街並み、建物や道路や木立に

テーマにそった「演技」をしているとかしていないとか

そういう(些末な)評価はしないのと同様に、

演じる人々についても、演じているけれども上手いとか下手とか

なにを表現しているとかしていないとか

そういうことから遠く離れてそこにある感じに、成り立っていくのです。

 

という感じに(どんな感じだ)出来上がったとてもよい映画と思います。

 

心の描写的な深遠な?テーマがあるとしても、

ミシェル・ルグランと即席ミュージカル(orリサイタル)的な展開になったり

無声映画的コメディ(今となっては奇跡のようなメンバーでw)を挟んでみたり、

まあヌーヴェルヴァーグ的な突き放した遊び感がつねに含まれている、

そういうある種メタフィクション的なことも含めてこの映画の楽しみがあるんだろうと思ったり。

 

で、そういう感覚は、この作品だけでなく

後のヴァルダの作品や、あるいはドゥミの映画とか

あるいはゴダールなり

みんな持っている感覚なような気がするです。

 

****

 

と、ぐだぐだ書いたところで、

ワタシ的にはやはりパリ市内散歩的な絵面がとてもうれしいわ〜

 

会話に出てくる「コントレスカルプ広場」とか

ワシが滞在したところじゃ〜ん的な。

 

パリの街並みは60年代と今とで大枠変わらない感じではあるけれど、

やっぱりお店の雰囲気とか道ゆく人々の感じはだいぶ変わったんだなと。

 

映画のなかで人々は雑然として活気に満ちているような気がする。

過激で圧倒的に怪しい大道芸の人とか今は見ない。

(フェリーニ「道」のあれそのもの的なヤツ)

 

タクシー乗ってポン・ヌフを渡ったりして、

あ〜ぽんぬっふ〜と変わらない風景に悶絶したりするが、一方で、

モンパルナス駅の駅舎の前の道路を車で走るシーンがあるんだけど、

今の建物や風景はもはや全然違う。

再開発されて一体が変わったようである。

きっとモンパルナスタワーもその時に建ったんだろう。

 

そういえば車の流れも昔の映画でよく見るあれ、

車線とかあるんか?ないんか?こんな自由なのか?

というやつ。

 

観光客みたいな視線で映画観ていいんかしら?と思ったりするが、

まあ楽しいんでw

 

ロケ地というか足どりについて熱心にまとめているブログがありましたので、

無断リンクさせていただきます。

すばらしい。これ読んでいるだけでめっちゃ楽しい。

 

*****

 

で、ルグランの伴奏で突如歌うあの歌の素敵なこと。

キャリアの初期からルグランはめっちゃルグランでした。

それも本人出演による演奏だし。

Cleo from 5 to 7 / Cléo de 5 à 7 (1962) - Trailer

 

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「アンナ」ピエール・コラルニック

2020-09-07 22:44:00 | cinema
 
(某所に書いたものを若干修正のうえ掲載)
 
少し前ですがようやく「アンナ」を観たのです。
デジタルリマスター公開時に観損ねていたのですが、
写真美術館で「"恋する男"映画祭」のラインナップに入っていたので、
いそいそと出かけました。
 
映画としては、
初期ゴダールなアンナ・カリーナ満載感と、
ゲンスブールの太々しいキッチュと、
少しアントニオーニ風なアヴァンギャルドが混ざって
しかもどちらかというとお気楽なストーリーに収まるという、
ワシ的にはとても不思議な世界でした。
 
この3要素が同居することは
ほとんどないのではないかしらw
 
うっかりするととてもどうでも良くなるような
イメージビデオみたいな存在感に陥りそうなのだが、
そこにゲンスブール曲のすごい説得力が
ドーンと主張してセーフみたいな。
 
太陽の真下の歌のシークエンスは、
他愛もない感じではあるのに、
非常に非常に神聖なシーンになっていると
ワタシは思う。
 
キャストも不思議な取り合わせ
アンナとブリアリは良いとして、
そこに洒落者ゲンスブールが現れ、
マリアンヌもいる。
 
なんか不思議。
 
 
街中を歩く時に、
常にすごい圧迫感で自動車が常に往来するのがとても良い。
平和だけど静寂や安寧のない感じが、
郊外からパリにやってきてまた去っていく
アンナの気持ちを、
全く明示することなく伝えてくる感じがする。
 
どうでもいいところでは、
あの動く歩道。
日本では多分1970大阪万博で
「動く歩道」がお目見え!最先端!
みたいに盛り上がったように記憶しているが、
ここには普通に出てくる。
 
これが当時の観客にとって普通だったのか新しいものだったのかはわからないけれど。
 
いや、わざわざお洒落ないいシーン的に作っているので、
新しい感覚はあったのではなかろうか。
 
 
 
 
サントラ盤は基本として


ジェーン・バーキンバージョン「太陽の真下で」もとてもよい。


さらにジェーンは91年?のライブ盤でのこの曲も非常によい。
が、とりあえずあまぞんにでてこないのでアルバムタイトルのみ↓
Intégral Casino Paris(来日記念盤 Je suis venu te dire que je m'en vais)
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「さすらいのカウボーイ」ピーター・フォンダ 再観

2020-09-03 00:25:27 | cinema

 

 

1971年の傑作を再度鑑賞。

前回観た時の記事を、読み返したら

今回もほぼ同じような感想なので、

自分は大して変わっていないのだということをしみじみと感じる(笑)

 

(以下若干のネタバレ!)

 

付け加えるとするならば、

オープニングがとっても不思議。

何が起きているのかよくわからないスローモーションに

フィルターがバリバリにかかっていて、

ミニマルアンビエントカントリーみたいな音が続く。

と思ったら、ウォーレン・オーツのものすごく不機嫌そうな顔がアップで登場し、

「ヘイ!ハリー!朝飯にするぞ!」と不自然なまでに怒鳴る。

このイントロはなんだろう。

気分としては60年代東欧の奇妙な映画かってくらいの不気味さ。

 

イントロでさんざん無骨だけど純真で希望に満ちたいいやつ的に印象付けられた若者も

早い段階であっさりやられちまう。

これはちょっとニューシネマぽいノリではあると思うが、

やはり広く庶民が楽しむように作ってはいないだろう。

 

終盤の展開は個人的にはどうしても

クリント(イーストウッド)がさっそうと登場しそうで落ち着かない。

が、奴はこの世界にはいないのだ。

それがリアリズムだ。

 

ラングホーンによるサウンドトラックはCDやアナログ盤で再発されているが

現時点ではいずれも廃盤and高値

アナログで欲しい感じではある。

このアナログを出したScissor Tailからは、トリビュート盤が出ている。

ラングホーンは亡くなってしまったが、収益の一部が彼と彼の家族にいくと記載があるようである。

 

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