Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「デッド・ドント・ダイ」ジム・ジャームッシュ

2021-06-26 21:24:00 | cinema
ワタシはジャームッシュ好きなんで、
ジャームッシュ好きというのは、
ゆるゆるで、だからなに?とか
ここで終わる??
とか
そういうのが好きだということなんです。

とり・みきが好きとか
吾妻ひでおが好きとか
そういうのに似ているかもしれない。

そういうしょうもなさが基本で、
そこに観る方の感じ方考え方が反射して、
妙な深みが見えたりすることもあるという、
そういうものなんじゃないかしら。

なので、
犬がラムズフェルドだとか
墓がサミュエル・M・フラーだとか
この車はロメロのアレと同じらしいとか
ティルダの姿見て、えと、タランティーノだったっけこれ?とか迷ったり
ダイナーでコーヒーとドーナツってクーパー捜査官かよとか
みんながみんな「野生動物かな、何頭もで」とか笑とか
ケイレブはフロドかよwとか
最初から「ゾンビだ」とか言うなwとか
ああシナリオ読んでんなら最初から「ゾンビだ」って言うわなーとか
Wi-FiとかBluetoothとか(笑)

まあいちいち笑えばいいんだと思う。

伏線が回収されない!とか思うだろうが、
ジャームッシュで伏線がきっちり回収されたことがあるだろうか?

ジャンルの約束事がとか、
元祖への敬意とか、
まあ映画の質とか未来とか、
そういうことを考えることもいいけれど
たまには考えなくてもいいのだ。

そういうことになると、
なんか墓がサミュエル・フラーで
そこから最初のヤツが出てくるってのは
なんとなく面白いでねーか。

***

いちいち引用とか参照とかを調べてみるのも面白かも。
気が向いたらやろうかしら。

WOWOWで観ました。
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「残像」アンジェイ・ワイダ

2021-06-21 23:09:00 | cinema
イデオロギーが優先される社会の罪を、
その真髄をシンプルに指し示した。
ワイダの遺作。

イデオロギーが優先される社会とは、
イデオロギーに寄って立つものが、
他者を断罪し迫害することを許される。

理屈はどうであれ、
自ずと他者を傷つけることで生き生きとするような心性の者が社会を支配することになる。

その罪の形とは
無数の小さな人々に訪れる、
無数の謂れのない不幸だ。

***

主人公の不遇には、
さまざまな人がさまざまな関わりを持つが、
それが善意であれ悪意であれ、
あるいは保身や権力への媚びであれ、
彼の不遇にはほとんど何の影響も及ぼさないのが、鈍い衝撃だ。

彼はほんの少しの操作によって
いとも容易くシステムの外に弾かれた。
そのことによって、彼の考えや認識が真っ当であろうが、社会権力のあり方が間違っていようが関係なく、彼は真っ逆さまに滅びる。

人間の社会というもののこのようなあり様を描くことが、多分重要なテーマなのだと思う。

***

冒頭の屋外の浮世離れした空気感や、アトリエの窓の外に垂れ幕が降りてくるところなど、
とても象徴的というか寓意的な描写を、
視覚的に鮮烈に表現するあたりに、
ワイダの映画としての力量があると思う。

ワイダの映画は、常に現実的な厳しさを扱うが、どこかはるか超越的な視点があるように感じるのは、多分こういう資質があるからではないかとふと思う。
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「我輩はカモである」レオ・マッケリー

2021-06-17 23:44:00 | cinema
こういう映画で監督名タイトルで記事にするのも変な気もするが、まあいいや。

1933年にファシズムを徹底的におちょくる映画をやるのもすごいといえばすごいのだけど、
主義主張を臆せず勇ましく出していくことは何らおかしなことではない時代だから、むしろ普通かも。
批判も軋轢も上等でい。

チャップリン「独裁者」もあるし。

「我輩は〜」は「独裁者」と異なり、仮にファシズムをおちょくる「目的」があったとしても、
出てくるギャグがその目的を知ってか知らずか、とんでもなく明後日の方へ飛んでいくのがすごいのよね。

もはやナンセンスを通り越して、邪悪なレベル。

特にチコとハーポが執拗に畳み掛ける悪戯は、大笑いの末仕掛けられる方が気の毒になる。

Wikipediaによると、グルーチョは「狂気が過ぎている」と言って失敗作としたらしい。原案も脚本もある作品なので、そのとち狂っちゃった部分とはすなわちご兄弟がやらかした部分だよなあと(笑)

チャップリンと対比するのも何だけど、エンディングに至るあたりの両者の違いもこれまたそれぞれの特徴をよく反映しているよなあ。
チャップリンの「演説」に対して、こちらのズブズブなドタバタ。

***

グルーチョは常にくだらないことをマシンガントークする芸風だが、決めゼリフ決めた時の挙動は、ジョン・レノンのそれによく似ている。

ジョンもおそらくこういうのは大好きだろうし、ちょっとモンティ・パイソンな感じもあり、英米の社会でギャグ言う時はこういう風にする文化なのかもしれないし。

とか思っていたところ、友人がジョンはピーターセラーズファンだったみたいよ?と言っていたので、あーそうだピーター・セラーズかあ。

ピーターだって多分間違いなくマルクスブラザーズ好きだろうしね。

***

「我輩はカモである」かなり昔に観たきりなんだが、初めて観たのは多分文芸坐(旧)だったと思うんだがどうだったかな。

大入り満席で、通路に座って観た(のどかな)

で、劇場でこんな笑ったことないってくらい笑ったw
特にチコとハーポの屋台のシーンとか、グルーチョの鏡のアレとか。

ちょっと笑ったところに、これでもかと更なる笑いを積み重ねて来られるので、もう酸欠。
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「ハリーの災難」アルフレッド・ヒッチコック

2021-06-13 17:44:00 | cinema
遠い昔に観たが、
例によってほとんど覚えていなかった。
シャーリー・マクレーンだったのかこの人〜みたいな。

原作は小説とのことだが、隅々までひねりをきかせた感じがいかにも往年のエンタテイメントという趣で、なにやら懐かしい。

一つの死体をめぐって村人がそれぞれの立場や思惑によって右往左往する、地味ながら実はそれぞれの人生の全てを動員して渦巻く人間の力学ドラマって感じ。

人生だからコミカルなんだよな。

こういうドラマ他にもあるよなーと思いながら、パッと思いつかない。

ポランスキーの「おとなのけんか」なんか近いかも。あれも原作モノで、映画中にはほぼ不在の子供達をめぐって立場と思惑で大人たちが(関係性の面で)すごく右往左往する。

もっと適切な例があるような気がするが、、

で、そういう脚本的面白さの上に、ヒッチコックらしい映画的なギミックが積まれている。

ハリーの「登場」のアングルとか、雑貨屋での3人の会話の奇妙な間合いとか、立て付けの悪い扉とか笑、スコップ担いで4人で歩くピクニック帰りみたいなしかし夜だし楽しいんだか悍ましいんだか分からん雰囲気とか。

コメディタッチなのでヒッチコックとしては少し箸休め的な作品かもしれないが、とても面白いし、なんか社会の余裕が背景にある感じがして懐かしい(?)

***

あの「スケッチ」がプリミティヴアート調なのがよい。
あの画家を通して、アーティストというもののあり方がこれも悲喜交々で扱われているのがまた面白いと思ったり。

シャーリー・マクレーンといえば、ワシ世代としてはやはりオカルトというか今風に言うとスピリチュアルの人!という印象ですよな。
これが映画デビューということらしい。

頭が良くて感情豊かだけどどこかあっけらかんとしていて現実をどんどん片付けるような人物を良く体現してると思う。

バーナード・ハーマンが初参加とのこと。

あと恒例カメオ出演、最初全然わからなかったが、ネットで調べたらあああれかーと笑。確かに完全部外者が出るのはあそこしかないねえ、と。
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「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」セルジュ・ゲンズブール

2021-06-05 01:23:01 | cinema

4K完全無修正版公開ということで、
行かざるを得ず。

過去のリバイバル時も観る機会を逸していたので、
全くのお初でした。

4K版になるにあたって、どの程度の修復があったのか、
もしくは無かったのか?
など、プログラムにも公式サイトにもその辺りの情報があまり無い感じ。

せっかくこの機会にプログラムつくるのであれば、
そのへんの事情も載っていると面白いのであるがちと残念。

*****

もしかしたら4Kになったことにもよるのかもしれないが、
撮影と編集がとてもしっかりしていて、
予想以上に骨太な印象。

ゴミ処分場の辺境感というかスティクス感が、絵として立ち上っていたと思うし、
そこに出来た池の、美しくも汚くもあり
幸福なようなどん底のような、天国のようの地獄のような
てな感じが、色彩や質感としてあらわれていると思ったり。

その辺境にポツンとある酒場なんだかの見た目もとても良い感じだし、
その内部から掠れた文字の書かれたガラス窓越しに外を写していると
そこに彼らの汚れたトラックが迫ってくるアングルとか

良い感じ。
ちょっとハリウッドか、あるいは
アメリカンニューシネマに大資本も手を出したみたいな
本格的な質感がある。

あの気色悪い不吉なポリ袋を彼がずっと持っているのは、
こういうことのサブリミナル的な前振りだったのかーとか

なかなか考えられている。

一方で、というか、
いろいろ考えられているにも関わらず(?)
そこにつぎ込まれるのは直感的なというか本能的というか
宿痾みたいな生のあり方で、
これぞゲンズブール。

ということで、つまりポリコレにこだわる方には辛いかもしれません、と。

****

エンドクレジットでジリアン・ジル?とかアレン・デイヴィッド?とか
そういう感じの名前が続けて出てきたので、
なんかGONG臭い感じがする(笑)まさか変名で出てるとか?
と思ったので少し調べてみたところ、
全然そんなことはない模様(笑)

アレン〜と思ったのは、Alain Davidさんで、
本名(かどうかはわからん)はDavid Gabisonというらしく、
ポランスキー「テナント」にも出ているそうです。


あとあのちょっと怪しい感じのするワル一味の若者は
すごいどこかで見た感じ〜と思ったら、
パトリス・ルコント「仕立て屋の恋」のあの人だそうですよ。

ただ彼のような不気味な端役というのは、
アメリカ映画とかマカロニウェスタンとかにはしばしば出てくるような気がする。
あるいはブアマン「脱出」みたいな。
そういう色々な印象を背景にした「みたことある〜」だったような気もする。


不気味と言えば、ジェラール・ドパルデューが不気味
なんだけど、馬連れてたりしてどこか虚構の安心感みたいなのもある。
とりあえずは今は奴は気にしなくて大丈夫みたいな笑

***

サントラCDを持っている気がするのだが、発見できません。。
サントラは歌のないインストのみで構成されているのだが、
あのサウンドとメロディだけで完全に連れて行かれてしまうのがゲンズブールだよなあ。

「アンナ」のときも思ったけど、あの力はいったいなんなんだ・・・

******

「ゲンズブール」か「ゲンスブール」か、はたまた「ゲーンズブール」か?
のようなカタカナ表記どうする?というのがありますが、
映画プログラムの監督名クレジットが「ゲンズブール」なので、
ここではそれにしました。

プログラム内でも執筆者によって表記が違っているし、
フランス語の発音としては〜とか、曲中での彼自身の発音では〜とか
いろいろあって正解はあるようなないような。

 

@k's cinema

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