Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

iPhone4sにしましたの

2011-10-22 02:30:28 | diary

右が4S、左が3GS



最初はその気はなかったんだけれども
スティーヴ・ジョブズ逝去によって
iPhone4sはジョブズの遺作ということになり
それなら換えようかなという
センチメンタリズム移行なのです。

ワタシがmacユーザーになったのは
ジョブズがアップルを追い出されていた頃なのですが、
彼が居ない期間に
他メーカーにライセンス供与して互換機が出たり
AV仕様があるやつとないヤツを出したり
ニュートンというPDAのようなものを出してみたり
ふりかえると今ひとつぱっとしない路線のアップルだった。

ジョブズが復帰して最初に目立ったのは
やっぱりiMac(ボンダイカラーってやつですね)
あの発売時の新聞広告を見て衝撃的
デザインもだけど、フロッピーのドライブがない!とか
バスがUSBしかない!とか
いまや普通のことが当時は無謀とさえ思えるような出来事だったのですねー

それからの快進撃は奇跡のようで
iPod+iTunes+storeで音楽の流通と鑑賞のスタイルを揺るがしてみたり
OSXで安定軽量かつ容易な操作環境を確立しちゃったり
それでとうとiPhoneとiPad登場で
それらの環境を統合的に使って人々の生活スタイルを変えるツールを
体現しちゃったわけですね。
それはiCloudの充実によってますます強力になるでしょう。

まあ、囲い込まれちゃってるとも言えますが、
囲い込まれることで窮屈には感じないところが
アップルのセンスなわけですよ。

で、そのセンスの部分
そこが考えてみるとアップルの価値のすべてなのですね
圧倒的な差異化の力はどこからくるのかというと
技術力はもちろん、それをなにか特別なものにみせる能力がいるわけで
アップルはその「特別」を提供し続けた。

そしてそのセンスはマニュアルにはならない
直感と熟考なわけで
それは一所懸命仕事をして覚えるかというと保証は出来ない部分ですよね

だから、もしかすると
ジョブズ亡き後のアップルはそのセンスを大きく失うことになるかもしれない
きっと失うだろう
後継者にたまさかジョブズのような「センスの人」がいればいいかもしれないが、
そうそう世界を変えるセンスの持ち主がころがってはいないと考えるべきだろう。

iPhone4Sはそのセンスによって作られた最後の製品であり
iOS5によって実現されるiCloudによる環境統合が
最後の環境なのですね。



ということで、ジョブズ追悼のセンチメンタリズムに
アップルの頂点の技術を買っておこうという思いを加え
今回の機種変に至ったわけですね。

いやーmacの将来、これからが不安です。

***

そういや愛用している音楽製作アプリLOGICは
アップルに買収されて現在はアップルの製品として出ているわけですが
あれもこれからどうなるんでしょうねーーー
すごく不安だな。。。。



コメント (2)
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「ブラック・スワン」ダーレン・アロノフスキー

2011-10-17 21:25:25 | cinema
ブラック・スワンBLACK SWAN
2010アメリカ
監督:ダーレン・アロノフスキー
脚本:マーク・ヘイマン、アンドレス・ハインツ、ジョン・マクラフリン
出演:ナタリー・ポートマン、ミラ・クニス、ウィノナ・ライダー 他

劇場でみているのだが今頃書いてみる。
記憶が例によって薄れているので記録のみ。

パウエル+プレスバーガー『赤い靴』を思わせる・・とあちこちで書かれていたようだが、『赤い靴』との共通点はヒロインがバレエ道を歩んでいることくらいで、内容はかなり違うと思う。

『赤い靴』のほうは、芸術を極めるか世俗の幸せを選ぶかの二択でヒロインが引き裂かれて壊れちゃう話だが、『ブラック・スワン』は芸術を極める上で当事者はどう変容するかという話なのだ。

このテーマの選び方がなんとなく時代を感じさせるかも。40年代の芸術家の苦悩は夫を選ぶかバレエを選ぶかが劇的なドラマとなったのだが、2010年では芸術家はもっと内的なもの、芸術を阻むあるいは無力化する自分自身を発見し乗り越えることがドラマなのだから。

自分の発見だから、バレリーナとして行っている意識的なこと(勤勉で熱心な練習など)から始まって、それではブラックスワンは踊れないよという内部外部の声に導かれて、自分が隠し持っている恐怖心や逃避の心が表れたり、表面では良好なステージママ的な母親との確執(相互の依存と愛憎)に直面したり、性的な側面(異性との関係やら同性愛的な志向やら)に出会ってみたりと、映画は精神世界の冥界巡りの様相を呈してくる。

内なる他者との出会いをお化け屋敷的サスペンスに仕上げた本作の作りはとてもアメリカ映画的な感じはするが、基本的に精神分析以降を踏まえたモダンな欧米的な観点での芸術論として面白く観たですよ。
実際世界なりアメリカのトップレベルで通用するアーティスト(特に伝統芸術の)の場合はそういう険しい冥界巡りを味わわないわけにはいかないのだろうし、アーティストの内実をのぞき見たい我々の欲望を満たすということが大衆娯楽として成り立つのが現代なんでしょうね。

***

『赤い靴』との対比にこだわると、『赤い靴』ではハイライトのバレエ作品が劇団オリジナルのものであるところがまた大時代的だよね。ディアギレフなどの新作を楽しむ同時代的な芸術としてのバレエが生きていたということだろうね。
一方『ブラック・スワン』は古典中の古典を踊るので、作品の本質を捉える作業も歴史が積み重なっている分ハードな世界とも言え、当事者のプレッシャーも新作とはまた違った重みがある。
この違いが双方の映画としての違いに深く関わっているように思うな。

バレエのシーンはよく練習しているなと思ったがまあ素人の見方です。本職の方がみるとどうなのか。
ナタリーもミラもダンスシーンでがっかりしたりはしないのでたいしたモノですよね。
ウィノナが踊るシーンてあったっけ??

ウィノナといえば、あの捨てられる女王様がウィノナだとはエンドクレジットを見るまでわかりませんでしたー^^;
まあワタシのなかのウィノナは『ビートル・ジュース』『ナイト・オン・ザ・プラネット』『エイリアン4』(番外編『スキャナー・ダークリー』)のウィノナだからなー。

作品としての類縁性はむしろワイズマン『パリ・オペラ座のすべて』を思い出した。あちらは淡々としたドキュメンタリーなのだけど、作品に自分を追い込んで練習を重ねるソリストの姿が延々撮られていたりして内なるプレッシャーを観客に感じさせてあまりあるという点で。



コメント (6)
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Quand la femme tient la barre de sa vie N°5 -猫沢エミライブ&トーク@TRAUMARIS

2011-10-13 00:54:57 | 猫沢エミ
Quand la femme tient la barre de sa vie N°5 -猫沢エミライブ&トーク@TRAUMARIS

2011.9.3
猫沢エミ(vo.per)+円山天使(g)+坂和也(kye)+渡邊勇人(flu)



不覚にも猫沢エミのライブについて書くのをほったらかしてしまった。
決して忘れていたわけではないのだが、以前のようにライブのあと帰宅してカメラをUSBポートに挿し写真を落とし、がーっと記事を書きどーんとアップロードするというような、勢いのある愛情をライブに感じなくなったのか?と言われると、完全には否定できない。

とうとう飽きたのか?
と自問するけれども、確かに熱愛の段階は過ぎたのかもしれないが、やはり答えはライブの体験の中にあって、これだけライブに通っていながら毎回新鮮に「ああ、猫沢エミのファンをやっていてよかった^^」としみじみ思う瞬間が間違いなくあるのだ。音楽の中に。音の中に。
もっというと、音楽の構造の中に。あるいは音響の中に。

その体験がある限りはワタシは自分の愛情を疑わない。ちょっとした倦怠期にはこうしてブログの更新がおろそかになることはあるだろう。でも、根本の愛は変わらないのだ。


と、怠惰を愛の告白にすりかえてみたりする。

なんとなく書いたが↑、音楽の構造の中に愛の源泉があるというのは、これはなかなか根深いものがあるかも。
音響の体験は刹那的というか揮発性のものだけど、構造の体験はもうすこし強固なものだ。くりかえし曲を聴いているのでその構造を知っていて、それを愛しているのだから、多少音響が揺らいでも大丈夫だ。
音楽の体験としていいのか?と音響派の人々は思うかもしれないが、いいのだ(断言)。
愛に正解もなにもあるものか。

***


しまった、ライブレポのはずなのに告白タイムになっている。

今回はベースがいなくて、ギター+キーボード+パーカッションに、初参加のフルート&サックスという編成。

猫沢バンドの面白いところは、楽器が多少足りなくても欠如感がまるでないところですかね。みんなで補い合ってその編成なりの完成したサウンドを作れるのはいいね。

主にギターの円山さんの臨機応変なプレイによるところが大きいと思うけど、もちろん他のプレイヤーも同じくらい配慮しているのもわかる。

円さんのギターといえば、今回もガットギターを使いつつピックアップで拾った音に自在にエフェクトをかけてエレクトリック世界からアコースティック世界を縦横にかけまわる活躍ぶりで、改めて感心する。かっこえーなー。



そのギターをベースに、ウワもの的に鳴るキーボードやフルートも猫沢世界を一気に広々とさせて嬉しいにゃ。
フルートはちょっと譜面を吹いてる感があってあれ?と思わなくも無かったが、サックスに持ち替えたとたんに急に生き生きとしたフレーズが出てきてびっくり。

lists

The Return of Alan Bean
夏の模様
C'est vous sur le pont
Scooter
私の世界
TABACの森
I am a kitten
Attends
ミルクの冠
Röntgen
K
Zo-wa-zo Oiseaux

T'en va pas
Mandarin world



「ミルクの冠」はやはり代表作ですね~
今回はサックスが入りまた違った印象に。

scooterもうれしいです。
青空の下赤いスクーターで疾走する音楽。

今回アンコールには
T'en va pasとMandarin worldをやるな?
と中盤になんとなくひらめいたのだがそのとおりに^^;

なんなんでしょうかこの動物的なひらめきは??


めずらしく坂さんが写っているw



会場にはインスタレーション




次回ライブは10/24,25@サラヴァ東京
レコーディングライブだそうですよ!
猫沢エミ
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「アンダーグラウンド」エミール・クストリッツァ

2011-10-02 03:31:14 | cinema
アンダーグラウンドUNDERGROUND
1995フランス/ドイツ/ハンガリー

監督:エミール・クストリッツァ
製作総指揮:ピエール・スペングラー
原作:ドゥシャン・コヴァチェヴィチ
脚本:ドゥシャン・コヴァチェヴィチ、エミール・クストリッツァ
撮影:ヴィルコ・フィラチュ
美術:ミリェン・クレカ・クリァコヴィチ
音楽:ゴラン・ブレゴヴィチ
出演:ミキ・マノイロヴィチ(マルコ)ミリャナ・ヨコヴィチ(ナタリア)ラザル・リストヴスキ(クロ)スラヴコ・シュティマッツ(イヴァン)


再観

クストリッツァの魅力は
苦境や悲しみにあってもなお尽きない人間の生命力を
気負いなく猥雑で底抜けに明るいものとして描くところだけれど、
その舞台となる過酷な現実への口惜しさや悲しみを
それはそれとして正直に嘆いても見せる
喜怒哀楽と思慮謀略すべてさらけ出さずには映画を撮れない
そんな感じがするところである。

と思う。

そのクストリッツァの全力投球集大成がこの映画なのだ。
と今回はしみじみと思う。
よくぞ完成した。
その幸福を祝いつつ、15年目のデジタルリマスター版を観る。


以前鑑賞時にはあまり感じなかったが、
全力投球の度合いは実に画面の隅々まで及んでいて
だいたいが人物のアップを中心に進んでいくという印象だったがさにあらず、
カット割に実に多くのアイディア、視点がつぎ込まれ、
背景もときおり絵画的な凝りをみせるのに
なにやら感動だ。。

舞台もベオグラードの夜の街、動物園、廃墟となった白昼の街、地下空間、ドイツ侵攻後のベオグラード、劇場、朝霧の川辺、地下水道、収容所、映画撮影現場、チトー台頭の街、地下道、精神病院、夜明けの川、水中、そして架空の半島のうえでの青空の宴会へと、盛りだくさんに移行するのだが、それぞれに美術や色彩や光や音に性格があり過剰なまでに作り込まれている。

映画はこの過剰に支えられている。
ストーリーのそこしれない物悲しさにも関わらず
それでも生きちゃうんだぜ俺たちは的な匂い立つ生命力は
この映画にぎゅうぎゅうに押し込められた過剰なモノから
臭っているのだと思う。


そう考えると唯一その過剰から一線を画す感のあるイヴァンが、
最後にただ一人あのような形で退場するのには
なにか途轍もない思いの深さを感じてしまう。
一度目は戯画としての失敗を演じるわけだが
二度目には成功する。
その舞台となったのは、彼がクロの息子の結婚祝いに贈った
マッチでできた教会そっくりの教会の廃墟で
結婚式のときに鳴らされた小さな鐘さながらに
廃墟に鐘が鳴り響くとき
こんな悲しいことがあるか、と
ほんの15年ほど前の惨禍への怒りを新たにするだろう。
この哀切もまたクストリッツァである。


ううう( ; ; )


「アンダーグラウンド」の次には
「ライフイズミラクル」が素晴らしいと思う。
後者では、アンダーグラウンドのイヴァンが、今度は父となって
息子の成長と運命を見定める。


@シアターN


【追記】
クストリッツァもちょい役で出演。
前に観た時は彼の顔を知らなかったのでわからなかったが、今回はむしろわかりすぎるw

そして勢いでアンダーグラウンドTシャツ3000円を購入w


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