♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ルカの福音書 138 / 大嶋重徳

2024年03月01日 | Weblog

2023/10/13放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 今週、私たちはルカ福音書から、イエス様の「あなたの敵を愛しなさい」ということばを学んできました。

 「愛する」ということを始めていくとき、愛は私たちのいつも見えているものと違うものを見させてくれます。愛はあなたの大嫌いな人にも「この人なりの良いところがあるのではないか」という想像力をもたらしてくれます。

 聖書に愛がこのように説明されています。
  「愛は寛容であり、愛は親切です。また人を妬みません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、いらだたず、人がした悪を心にとめず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。」(新約聖書 コリント人への手紙第一 13章4節から7節)

 「愛する」ことを決めたとき、愛は愛せないその人に、「寛容になる」ことへと導こうとします。すると、敵だと思っていた人のそうならざるを得なかった人生の理由を想像しようと思っていくことへ導かれていきます。
 親の愛もそうです。子どもの頃は、「親のくせに」「親なのに」と親を裁き、親をののしりました。しかし、自分の親には自分の親から愛されなかった人生があり、愛することの下手になってしまった人生があることを知っていきます。その親の悲しみに寄り添い、自分に何が出来るのだろうかということを想像することも家族を「愛する」ことの決断です。
 神様の眼差しでその人を見たときに、その人なりの別の理由、別の物語が見えてくるのです。その人がそうせざるを得なかった人生がある。その人も孤独であった。病気があり不安だった。悲しい人生が見えてくるのです。もちろんそれらの事情があるからと言って自分を憎んで良い理由にはなりません。
 しかし、「愛する」と決めたときに、自分を憎んでくる者の弱さ、悲しみ、罪深さに同情しておられる神の眼差しも見えてくるのです。
 さらに、自分の側にこそ問題があったのではないか、自分の高慢さをも顧みることが出来るようになります。

 神の愛は忍耐の愛です。我慢の愛です。その愛で私たちが愛せない人を見ていくとき、私たちに愛せるようになる想像力を神様は私たちにくださるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.10.13のお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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