♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■復活を信じた女性たち/羽鳥頼和

2015年10月31日 | Weblog
2015/10/31放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。今日はイエス・キリストの復活を信じた女性たちのことをお話しします。

 それは週の初めの日の明け方早くのことでした。イエスはその三日前に十字架で死んで墓に埋葬されていました。女性たちはイエスの遺体に塗るための香料をもって墓に着きました。
 
 見ると、墓の入口をふさいでいた石が脇に転がしてあるではありませんか。女性たちは墓に入って中を見ました。そこにイエスの遺体はありませんでした。女性たちは途方に暮れてしまいました。すると、まばゆいばかりの衣を着た二人の人が女性たちに近寄ってきました。女性たちは恐ろしくなって地面に顔を伏せてしまいました。

 すると二人の人は言いました。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。以前、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」(参照ルカ 24章5~7節)

 女性たちはイエスのことばを思い出しました。確かにイエスはそう言われていました。イエスに言われた時は分りませんでしたが、今イエスのことばを思い出してイエスが復活されたことを信じました。女性たちはイエスのことばを聞いていたのでイエスの復活を信じることができました。

 私たちもイエスの復活を信じることができます。私たちは今、聖書を読むことによってイエス・キリスト信じることができるのです。

 新約聖書ヨハネの福音書20章31節に聖書のことをこのように語っています。
 「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。

 そしてイエスを信じることについて新約聖書ローマ人への手紙10章9節はこのように語っています。
 「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われる

 明日は日曜日です。キリスト教会では礼拝で聖書からあなたへのメッセージがあります。イエス・キリストを信じ救われるためにぜひキリスト教会にいらして聖書のメッセージを聞いてください。

 (PBA制作「世の光」 2015.10.31放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■愛と使命に溢れた宣教師 ジェームス・バラ/岩井基雄

2015年10月30日 | Weblog
2015/10/30放送


 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。最後の金曜日はクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は初期のプロテスタント宣教師の一人ジェームス・バラについて学んでみましょう。

 1832年にアメリカ・ニューヨーク州に生まれたジェームスは、神学校時代に、先週学んだS.R.ブラウンから日本宣教へのチャレンジを受け、日本への宣教を決意します。1861年にマーガレットと結婚した彼は結婚直後に宣教師として日本に来たのです。彼は使命に溢れる宣教師でした。彼らは横浜に住み、矢野元隆から日本語を学びます。後にこの矢野元隆は死ぬ1ヶ月前の1864年にジェームス・バラから洗礼を病床で受けるのです。これが日本人最初のプロテスタント教会の洗礼だと言われています。ジェームス・バラは1872年に日本キリスト公会の仮牧師に就任します。そして神奈川、東京、また伊豆から信州までの伝道活動を行い、多くのキリスト教会を建てあげ、それらが後の日本の教会の土台となっていきます。彼は後に教会のリーダーとなる植村正久らを指導し、「横浜バンド」と言われる宣教グループの骨格を作っていきました。ジェームスもまた人を育てる愛とスピリットに溢れる宣教師だったのです。

 明治期の日本が西欧から多くの文化や学問を吸収します。しかしその中で愛と使命に生きる宣教師の姿は日本のリーダー達に大きな影響を与えました。宣教師たちの持つ世界感、使命感、愛の姿によって日本は変えられていくのです。この宣教師たちの愛と犠牲の背後には、人類の救いのために人となり、十字架で命がけの愛を示してくださったキリストの愛がありました。その愛に生かされるとき、人は愛の器、いのちと希望を与える器として変えられていくのです。あなたも愛と使命に溢れた人生を歩み始めませんか?

 聖書のことば
 「 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。・・・愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。」 新約聖書 ヨハネ第一の手紙 4章9節、11節 

 あなたも愛の器となりませんか?

 (PBA制作「世の光」2015.10.30放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■わたしのほかに神はない/福井 誠

2015年10月29日 | Weblog
2015/10/29放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「わたしのほかに神はない」です。それではイザヤ書44章6節からお読みしましょう。
 「 イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう仰せられる。
  『わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。』

 聖書の神は祝福される神です。イザヤは神様のことばをそのまま伝えていますね。「恐れるな、あなたを祝福する。」と(参照イザヤ書 44章2、3節)。
 これは直接的には戦争に負けてバビロンに捕虜となって連れ去られたイスラエルに対する回復の預言ですねえ。ちょうど国破れ自分たちには何の希望もない、と心しぼんでしまった者に対する力強い慰めのことばです。

 神様は続けて言います。
 「 潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、・・・ 流れのほとりの柳の木のように、青草の間に芽ばえる。 」(イザヤ書 44章3、4節)と。

 戦争で焼け野原となってしまった土地が再生するイメージを語っています。何ら希望を感じ得ぬ状況に新たな神の御わざがなされる、という約束です。

 なぜ神様はそこまでしてくださるのでしょう。
 イザヤは言います。
 「それは神があなたをお造りになったからだ」(参照イザヤ書 44章2、21、24節)と。

 神はイスラエルの民一人ひとりを生まれさせ、イザヤの時代に生きるようにされたお方です。ですから、神様は責任をもって一人ひとりを祝福してくださる、回復してくださる、と言うのです。

 そしてイザヤは目には見えませんが回復と祝福を語りかける神と対比して偶像の神の虚しさを語っていますねえ。
 「 偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。 」(イザヤ書 44:9節) 石であれ木であれ、人間の手により作られた偶像は「 見ることもできず、知ることもできない。 」(イザヤ書 44:9節)  神が人間を作られることがあっても、その逆に人間が神を作り出すことなどできない相談だ、と言うわけです。
どんなにナタをふるい、金槌を使い、かんなで削り、美しい形に仕上げても、それは天地創造の神が生み出した杉の木あるいは樫の木であることを超えて、人間の魂を救う力を持つ神になることはありません(参照イザヤ書 44:12節から20節)。

 神はただお一人です。目には見えない唯一まことの神が語りかけている祝福のことばにこそ信頼したいものですね。

(PBA制作「世の光」2015.10.29放送でのお話より )

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■苦い水/板倉邦雄

2015年10月28日 | Weblog
2015/10/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。 今日は「苦い水」という題でお話ししましょう。

 「苦い水」とは飲料水として飲むことができない水のことでしょう。塩分が多いとか、飲むと下痢を起こす細菌の多いきたない水のことです。

 さて、指導者モーセはイスラエルの人々を紅海から旅立たせました。いつまでも紅海を渡る奇跡に酔いしれている訳にはいかないのです。先祖の故郷の地へ帰らなくてはなりません。モーセは親が子どもたちをせかすように紅海から旅立たせたのです。モーセと人々は荒野に入り、三日の間、荒野を歩きました。しかし水を得ることができなかったのです。三日の間、食べなくても何とかなりますが、水分が取れないとは砂漠のような旅でしたから辛かったでしょう。熱中症になってしまいますねえ。やっとのことでメラに着きましたが、そこの水は苦くて飲むことができなかったのです。人々はモーセに向かってブツブツとつぶやきました。「私たちは何を飲んだらいいのですか?」 モーセは主なる神様に向かって叫ぶように祈りました。すると主なる神様はモーセに一本の木を示し、「その木の枝を水に投げ入れなさい」と言われたのです。モーセは木の枝を切って苦い水に投げ入れますと、何と水は甘くなって飲めるようになったのです。ある植物が酸性をアルカリ性に変化させたりすることは今日証明されています。また薬草として植物が与えられていることも私たちは知っています。モーセがエジプト王子として40歳まで学問を学んだことは今生かされたのかもしれません。あるいは逃亡先のミデヤンでの40年の羊飼いの生活を通して経験していったのかもしれません。

 さて、私たちの人生への旅において、にがくて苦しいことは多くあります。生きる苦しみがあり、老いる苦しみがあり、病む苦しみ、そして死の苦しみがあります。しかしその苦しみの中に主なる神様は一本の十字架の木を投げ込んでくださるのではないでしょうか。すると苦味が甘味に、苦難を越えて歓喜へと変えてくださるのです。

 聖書のことばです。
 「---キリスト---は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。」 イザヤ書53章3節 (口語訳聖書)

 (PBA制作「世の光」2015.10.28放送でのお話より )

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■主の祈り-39/大嶋重徳

2015年10月27日 | Weblog
2015/10/27放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった主の祈りという祈りがあります。主の祈りには、「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく我らの罪をも赦したまえ」という祈りのことばがあります。

 ここで祈りが突然、人間関係に入ってきます。ある人は、「ここに入って急に生々しく祈りが変わる」、と表現した人がいます。私たちは一日を終えて夜祈ろうとすると、その日の一日のことが思い出されてきます。それは確かに自分以外の誰かと過ごした時間、職場の誰か、家族の誰か、あるいはバイト先の店長との関係が頭に思い浮かんできます。誰かと一緒に生きると言うことはもちろん喜びにもなりますが、悲しみにもなるのが私たちの現実です。多くの人と生きていればいるほど自分が傷つき、あるいは誰かを傷付けることとなります。そして一日を終えるとき、私たちは赦すことのできない苦々しい感情を引きずったままの人間関係が頭の中を巡り続けるということが起こります。誰かのことを許すことのできない人間関係は私たちの生活を実際的に苦しいものとします。幼い頃から親に傷つけられて親のことがずっと赦せない人がいます。そしてその赦せない思いが親にされたと同じように自分の子どもにしてしまうということも起こり得る訳です。赦すことのできない罪の連鎖が生まれ、その罪の鎖を自分の周りの関係にも広げていてしまうことになります。

 しかしこの主の祈りは語ります。「私たちも私たちに罪を犯してきた人を赦しますから私たちの罪をお許しください。」 これはどういう意味でしょうか。

 何かの取引のように見えますが、そうではありません。私たちが主の祈りをもって誰かを赦そうとしたとき、私たちは必ずそう簡単に赦せない自分に出会います。そのとき、私たちは本当の赦しが神様からの赦し以外ないことを知るのです。主の祈りを教えてくださったイエス様は、私たちは許せない人間関係に苦しむことが無いように、赦せない自分の罪に苦しむことが無いように、十字架にかかり私たちの罪をまず赦してくださったのです。

 ここで私たちは、まず赦せない自分の罪から赦されるて生きることができるようにと変えられていくのです。そして神様から、赦された所から再び、赦せない誰かを見つめる眼差しをいただいていくこととなるのです。

  ( PBA制作「世の光」2015.10.27放送でのお話しより )

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■贖われて生きる/関根弘興

2015年10月26日 | Weblog
2015/10/26放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日も新約聖書の中のパウロが記しているエペソ人への手紙の中のことばを紹介いたしましょう。エペソ人への手紙1章7節
 「この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。

 この方とはイエス・キリストのことです。私たちはイエス・キリストの血によって贖われ、罪が赦されているというんですねえ。

 私たちは普段の生活ではこの「贖い」ということばは殆ど使えませんね。なじみの薄いことばです。でもこの「贖い」ということばは聖書の中でとっても大切な用語なんです。「贖い」とはもともと、奴隷や捕虜を賠償金や身代金を払って釈放することを表すことばでした。ですから「私は贖われた」と言えば何かの束縛から解雇されて自由になったという意味があるんです。ただし贖われて自由になるためには必ず何かの代価が払われなければならないということなんですね。

 パウロは「私たちはイエス・キリストの血によって贖われた」と言いました。つまり、イエス・キリストのあの十字架の代価によってあなたは束縛から解放されるんですよと記しているんです。

 では私たちを縛っている束縛と一体何でしょうか。何から解放されるのでしょう。

 一つは、罪という束縛です。罪とは的外れという意味です。神様との関係がずれているということからくる束縛です。ま、ずれというものがあると、その人を不自由にさせますよねえ、身体のことを考えればすぐに分ります。身体のいろいろな値が正常値からずれていたら、もうすぐに健康を崩していきますね。それと同じように罪というのは本来あるべきはずの神様との関係がずれてしまっている状態を指しています。神様との関係にずれが生じているので神様に敵対したり無視したりいいしれぬ不安や虚しさが覆ってくるんです。そして「罪からくる報酬は死である」(参照ローマ 6章23節)と書かれています。

 ですから二番目に死という束縛、そういうものを人は持っているんです。死んだ先に何が待ってるか分からない、そこには不安や恐怖という束縛ももたらされるでしょう。

 聖書はあなたに何を約束するのでしょう。それは人間を束縛する罪を赦し、そして解放し、死を乗り越えた命をあなたに与えると約束するのです。イエス・キリストを信じる信仰によってあなたは解放されていくのです。

 (PBA制作「世の光」2015.10.26放送でのお話しより)

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■今も祈っておられるイエス/羽鳥頼和

2015年10月24日 | Weblog
2015/10/24放送


 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 イエスが十字架につけられて殺される前の日のことです。イエスは自分が十字架につけられることを知っていて死ぬ覚悟をしておられました。イエスはそんな時にも弟子たちに愛をもって語られました。イエスは弟子のペテロに言いました。
 「サタンが弟子であるあなたがたに試練を与えます。しかし私はあなたの信仰がなくならないようにあなたのために祈りました。それであなたは信仰をなくすことはありません。必ず立ち直ることができます。ですから立ち直ったら仲間たちを励ましなさい。」(参照ルカ 22章31-32節)

 ペテロはイエスに応えました。
 「あなたと一緒なら牢屋であろうと死であろうと覚悟はできています。」(参照ルカ 22章33節)
 
 しかし、イエスは言いました。
 「ペテロ、あなたは明日の朝、三度、わたしを知らないと言います。」(参照ルカ 22章34節)
 
 このすぐ後に、イエスは捕まえられ、ユダヤ人の議会で裁判にかけられます。それは、深夜に行われる異例の裁判でした。その裁判は明け方まで続きました。「覚悟はあります。」と言ったペテロはイエスについていきます。そして裁判所の外で待っていると、ペテロは三人の人に「あなたは今裁判を受けているあのイエスの弟子ですね?」と聞かれます。するとペテロは、三人それぞれに「私はイエスなど知らない。」 と言ってしまうのです(参照ルカ 22章57-59節)。イエスの言われた通りでした。その事に気付いたペテロは大泣きして落ち込んでしまうのです。しかしペテロはイエスへの信仰をなくすことはありませんでした。なぜでしょう。そうです、イエスがペテロのために祈ったからです。イエスは既に、ペテロが信仰をなくさないように祈っていました。イエスの祈りによってペテロは守られたのです。イエスの祈りは本当に素晴らしいものです。

 新約聖書ヘブル人への手紙7章25節にはこのようにあります。
 「キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。

 とりなしとは人のために祈ることです。十字架にかかって死なれたイエスは三日目によみがえられ、そして今も生きておられ、天で私たちのために祈っておられるのです。今日もイエスはあなたのために祈っておられます。ですから落ち込んだりしてもイエスの祈りによって必ず立ち直ることができるのです。今も生きて祈ってくださっているイエス・キリストを信じましょう。

 明日は日曜日です。イエスを信じてキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2015.10.24放送でのお話より )
 
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■苦難の中で人を育てた宣教師 S.R.ブラウン/岩井基雄

2015年10月23日 | Weblog
2015/10/23放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。 第四週の金曜日にはクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は初期のプロテスタント宣教師の一人、S.R.ブラウンについて学んでみましょう。

 1810年にアメリカ、コネチカット州で機械工の父と賛美歌作者の母との間に生まれたブラウンは、小さい頃から母と一緒に教会に出席していました。イェール大学を卒業後、ニューヨークにある聾唖学校で教鞭を取ります。しかし体調を崩して退職した後はコロンビア神学校などで音楽を教えることになります。母親に育てられた音楽の賜物が生かされ、人々に神様への賛美を届けたのですねえ。その後、1838年にユニオン神学校を卒業し、エリザベスと結婚したブラウンは次の年にマカオに到着し、モリソン記念学校の校長として6人の生徒たちを教えます。1841年にはシンガポールてヘボン夫妻に出会い、その後の不思議な神の導きへと繋がっていきます。香港に居を移した後、1847年には奥さんの病のためにアメリカに帰国しますが、そこでまた複数の学校、米国発の女子大学の設立にも尽力し、1858年に再び海外伝道に導かれ、翌年に彼らはフルベッキたちと共に日本の宣教師に選ばれ、神奈川に上陸します。先に来日していたヘボンと共に日本語を学び、聖書の日本語翻訳を始めるのです。ブラウンは英語通訳養成で日本人青年のクラスを担当し、1862年に横浜英学所が(横浜奉行所により)開校します。5年後、火災で自宅を焼失し、一時アメリカ帰国を余儀なくされますが、2年後には女性宣教師メアリー・キダーを伴って再来日し、新潟英学校教師に就任するのです。彼らはその後も多くの苦難を通っていきますが、元会津藩士井深梶ノ助たちの要請や助けを受けブラウン塾を開講、それも後の明治学院に繋がっていきます。幾度も幾度も悲しみを通ったブラウンでした。しかし神様はすべての苦難をも益に変え、彼を人を育てる器、愛の教師として用いてくださったのです。

 聖書のことば
 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 」 ローマ 8章28節

 (PBA制作「世の光」2015.10.23放送でのお話しより)

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■あなたは高価で尊い/福井 誠

2015年10月22日 | Weblog
2015/10/22放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「あなたは高価で尊い」です。それではイザヤ書の43章4節からお読みしましょう。
 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

 イスラエルの民に対する神様のおことばですねえ。とても素晴らしい愛のささやきです。しかし多くの読者はこのように神様がイスラエルに愛をささやかれた背景については余りよく分かっていません。というのも実はこのことばを語り伝えられたイスラエルは、神様を心から愛する神様に従順な人たちという訳ではありませんでした。むしろ彼らは神様に積極的に反逆し、神を神として敬うこともなく退けてきていたのでは。ですからそんなイスラエルに対して神が愛を語りかけるなど信じがたいこと、ありえないことですねえ。けれどもそのありえないことばを神は発せられたのです。そこには神がどんな時もイスラエルの民を見捨てることなく約束を変えられない神の真実さが語られています。イスラエルが神様に従順な時もそうでない時も、つまりイスラエルが手の平を返して神様に背を向けたとしても、神は態度を変えることはない、神の愛は真実であるということですね。

 考えてみればイエスの十字架も同じです。イザヤはこの後でイエスの十字架の意味についても預言していますが、イエスの十字架の死は全人類の罪の赦しのために神の怒りを身代わりとなって受けてくださったものです。それはイエスのことばに耳を傾け従う立派な人たちのためにだけなされたことではなく、むしろイエスに従いきれない弱い者、イエスに背を向けている者、いや敵対している者のためにもなされたことですねえ。イエスをはすべての人のために罪の赦しを与える身代わりとして死んでくださったのです。

 このように、どんな時にも 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」と語りかけ、共に居続けてくださる神様がおられることを覚えたいものですね。そしてその神様に心を開いて神様の守りの中に安らぎながら人生を歩んでいきたいものですね。

 「



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■タンバリンと踊りで/板倉邦雄

2015年10月21日 | Weblog
2015/10/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。 今日は「タンバリンと踊りで」という題でお話ししましょう。タンバリンを手に持った女性たちの踊りが神のしもべモーセの歌の後で続いたようですね。

 さて弟モーセの歓喜の歌と人々の合唱は姉のミリヤムの心を奮い立たせたようです。

 イギリスの国王が、合唱曲ヘンデルのメサイヤを聴き、最後のハレルヤコーラスになった時、思わず立ち上がったそうですね。それ以来、ハレルヤコーラスになると会衆は立ち上がって聞くのが慣例になりました。

 モーセとアロンの姉・女預言者となっていたミリヤムも思わずタンバリンを手にとり、踊り、合唱の輪に加わりました。他の女性たちも皆タンバリンを手に取って踊りながら女預言者ミリヤムに従ったのです。そしてミリヤムはモーセや合唱隊に合わせて歌いました。
 「主にむかって歌え、主は輝かしくも勝ちを得られた、主は馬と乗り手を海に投げ込まれた」。(参照 出エジプト記 15章21節)

 タンバリンを打ちながら、しかも踊りながら他の人々と合わせながら歌うということは大変なことでしょうね。でも女性ならば得意技かもしれませんね。男性は一つのことしか集中できないようですが、女性は多くのことを同時にすることができるようです。そのため逆に多くのことに心を配り、思い煩ってしまうということがあります。男性のように決断することがなかなか難しいようですね。

 ところで、主なる神様に向かって歌う賛美は昔も今も様々な方法でなされたということです。何よりも私たち自身が身体と心を通して一つの楽器となって主に向かって歌うことができます。ソプラノやアルト、テノール、バスをもって合唱できますねえ。次にタンバリンのような楽器を手に取って主に向かって歌うことができます。現代では礼拝でピアノやオルガン、バイオリンやフルート、ドラム等をもって神を誉め讃えることができます。更に踊りをもって主に向かって歌うことができるのではないでしょうか。
 私が広島へ巡回伝道へ行った時でした。賛美フラダンスの女性たちが賛美を歌いながら曲に合わせ踊っていたことを忘れることができません。

 (PBA制作「世の光」2015.10.21放送でのお話より )

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