♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■必要な助け /山中直義

2011年05月31日 | Weblog
2011/5/31放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 辛い時、苦しい時、私たちには助けが必要です。それでは私たちが何よりも必要としている助けとはどんな助けなのでしょうか。聖書はそれを、あなたの魂を救うことのできる助けだ、と教えています。

 十字架につけられたイエス・キリストは死の間際、大声で次のように叫ばれました。新約聖書マルコの福音書15章34節のことばです。

 「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。

 本当に必要な助けとは何か。イエス様のこの叫びは私たちにそのことを問いかけているのだと思います。

 しかしこのことばを聞いた当時の人々は、イエス様が何か奇跡的な助けを求めている、と誤解したようです。そして今すぐに何らかの奇跡が起こるということを期待して待っていたといいます。ですがイエス・キリストは最後にもう一度大声で叫ばれると、息を引き取られました。

 どうして奇跡的な助けが与えられなかったのでしょうか。どうしてこのお方が十字架について死ななければならなかったのでしょうか。

 それはイエス・キリストが私たちを救おうと願われたからだ、と聖書は言います。私たちが神に見捨てられるということが決してないようにイエス様は命をかけてそのことを願い、十字架について死んでくださったのです。

 何の助けも与えられない。わたしは見捨てられたのだ。そう思わざるを得ないことがあなたにもあるかもしれません。しかし、本当に必要な助けとは何なのか、ようく考えていただきたいと思うのです。イエス・キリストが十字架にかかって死んでくださったからこそ、あなたは神に見捨てられるということは絶対にないと聖書は言います。辛い時、苦しい時、神はあなたのすぐそばにおられ、あなたを愛しあなたを助けようとしておられます。イエス・キリストによるこの助け、これはあなたの魂を救うことができる助けです。

 本当に必要な助けとは何でしょうか。イエス・キリストによる救い、魂の救いをあなたもどうぞ受け取ってください。


      (PBA制作「世の光」2011.5.31放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■主により頼み生きる /関根弘興

2011年05月30日 | Weblog
2011/5/30放送

 世の光の時間です。お元気お過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日も一日さわやかに過ごしたいですね。

 旧約聖書の箴言のことばを今日は紹介します。3章5節、6節 
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

 私たちの人生にはいろいろな困難があり、こんなはずではなかったという出来事等、ま、いろいろなことが起こってきます。そんな中で私たち一人一人が主により頼む、神様を信頼して生きるということの大切さを聖書はいつも教えています。そして主により頼む、神様を信頼して生きるということはあなたの行くところどこにおいても神様を認めることでもあるんですよ、と教えているんですね。どこに於いてもです。順風万帆な時は神様を認めることは容易なことでしょう。しかし人生の最も困難な時に主を信頼すること、神様を認めることは難しいことかもしれません。

 あなたは聖書のヨブ記を読んだことがありますか? 正しい人ヨブが苦難の中に着き落とされてしまうという出来事が記されているんです。その苦難は壮絶なものでした。財産をすべて奪われ、息子娘達を失い、おまけに全身が悪性の腫れ物に覆われてしまうという、ひどい病に侵されてしまうんです。友人はその姿にことばを失う程でした。ヨブはそれでも神様を呪う事はしませんでしたが、自分の生まれた日を呪った、と書かれています。それはどんなに大きな大きな苦しみだったでしょう。人はどうして問題や不幸が起こるのか。その原因を探ろうとします。また余りにも大きな痛みや苦しみ悲しみの中にいると、神様はどこにもおられないではないかと絶望してしまうことがあるかもしれません。ヨプも葛藤しました。

 しかしヨブ記38章から変化が生じてきます。こう記されているんです。

 主は嵐の中からヨブに答えて仰せられた。
  知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。・・・わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。


 神様は嵐の中からヨブに答えてくださいました。とても象徴的です。嵐というその状況は、神様はここにはおられないと思ってしまうような状況だからです。でも私たちの神様はその嵐の中で語られる神様なんですね。あなたを励まし助けようとされる神様がいてくださること知ってください。

 (PBA制作「世の光」2011.5.30放送でのお話しより)

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■エルサレムに神殿が建てられた経緯 /羽鳥頼和

2011年05月28日 | Weblog
2011/5/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 エルサレムはイスラエルの首都です。今そこには「岩のドーム」と呼ばれるイスラム教の神殿が立っています。今から2970年程前、ここにはソロモンが建てた立派な神殿が立っていました。この神殿がエルサレムの最初の神殿でした。 今日はイスラエルの王ダビデがこのエルサレムの地に神殿を建てることを決めた経緯をお話します。その経緯は旧約聖書の歴代誌第一21章、22章に記されています。

 事の始まりはダビデ様が人口調査をしたことでした。ダビデは兵士となれる人の人数を数えて、自分の力を確認しようとしたのです。このことは神様の御心を損ない、神様は災を下されました。イスラエルの7万人の人々が疫病で死んでしまったのです。ダビデは神様に訴えました。「民を数えよと命じたのは私ではありませんか。罪を犯したのは、はなはだしい悪を行なったのは、この私です。・・・主よ。どうか、私と私の一家に災いを下してください。イスラエルの人々を殺さないでください。」と。

 神様はダビデの訴えを聞き、そしてダビデに命じました。「エルサレムにあるエブス人のオルナンと言う人の土地に祭壇を造り、いけにえを捧げなさい。」

 ダビデは神様に言われた通り、これらのところに行って、彼の土地を十分な代金を払って買い取り、そこで心からのいけにえを奉げました。

 すると神様はダビデのいけにえを受け入れ、何と彼を許してくださったのです。そしてダビデはここが神様のために神殿を建てる所であると確信したのでした。

 エルサレムはダビデが救われた所です。神様はこの場所でダビデに罪の恐ろしさを教え、悔い改めに導き、罪を赦してくださったのです。このエルサレムと同じようにキリスト教会も人が救われるところです。自分のようなものは教会に入ることができないと思っている方がおられるのではないでしょうか。しかしそうではありません。神様は人に救いを与えるところとして教会を定められたのです。ぜひあなたの教会に行き神様の与えてくださる救いの恵みと平安を受けてください。

  ( PBA制作「世の光」2011.5.28放送でのお話より )

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■アブラハムが生まれる前から /岩井基雄

2011年05月27日 | Weblog
2011/5/27放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 この第4金曜日は、イエス・キリストが「わたしは何々です」と語られた箇所を一緒に学んできました。ギリシャ語では「エゴー エイミ」という表現ですが、今日はいよいよ最後です。早速今日の聖書の箇所をお読みします。

 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」
          新約聖書ヨハネの福音書8章58節

 これはユダヤ人たちが。「あなたはまだ五十歳になっていないのにアブラハムを見たのですか。」(ヨハネ 8章57節)と質問した時のイエスの答えです。「アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」ということばは当時のユダヤ人だけではなく、今の私たちにも驚きの内容でしょうね。旧約聖書だけではなく紀元前19世紀のアッカド文書にも登場するアブラハムが生まれる前から「わたしはいる。」とイエス・キリストが語られたからです。数千年の時を超えてイエスはご自分がすでに存在していたことを語りました。

 それだけではなくこの「わたしはいる。」という表現は、ユダヤ人なら誰でも思い出す旧約聖書の表現でした。

 旧約聖書の出エジプト記3章14節に、神はモーセに「わたしは、『わたしはある。』という者である。」と言われたということが記されています。これは聖書が語る神がすべてのものを創造されたことを示しています。

 そして「わたしはいる。」というイエスのことばはこの「『わたしはある。』という者だ」と語られた神を示す表現だったのです。キリストは、ご自分が神であり、アブラハムが生まれる前から、いやすべてのものが存在する前から自分は存在し、すべてのものを愛を持って創造したのだと語っているのです。

 ですから「わたしはいる。」と語られるイエス・キリストはあなたを無力さや失望から救い出してくださいます。なぜなら、すべての存在の根源であるキリストがあなたの人生に目的と意味を与えてくださるからです。

 この方を信じるとき、あなたはあらゆる虚しさや絶望から解放され、本当の生きがいを見いだすことができます。あなたを創造しどんな時にもあなたと共におられるキリストこそあなたに愛と希望と真の幸いを与えることのできる方です。

 それではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2011.5.27放送でのお話しより)

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■御国は来ている /福井 誠

2011年05月26日 | Weblog
2011/5/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうかです。今日のバイブル・メッセージは「御国は来ている」です。それではマタイの福音書6章10節から読んでみましょう。

 「御国が来ますように。

 前回も少しお話ししましたが、ナチス・ヒトラーの恐怖政治の時代にティーリケという神学者がいました。彼は、御国というのはヒトラーの恐怖政治の最中に実現するのだ、というようなことを語っています。ティーリケは戦前を思い浮かべならば、その時代は確かに平和だった。そして平和だった時代に「御国を来たらせたまえ」と祈り、確かに神の御国が近づいていると確信することは容易だったに違いない。けれども主の御国は不正と残忍が激しく蔓延し、絶望ということばのみがふさわしいこの時代においても実感されることなのだ、とはっきり語っています。

 確かにイエスもローマ帝国の圧制の中にあるユダヤ人に対して、「いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ 17章21節)と言われました。

 時代こそは違いますが、緊張の連続、心を裂くような問題に直面するということがあります。私たちも失意の中に放置されっ放しということはあるでしょう。けれどもイエスはそのような私たちに向かって、神の恵み深い支配はあなたがたのただ中にあるのです、と語るのです。

 確かにイエス様は、「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。」(ヨハネ 16章33節)と勧め、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ 28章20節)と約束してくださっていますね。

 ですから私たちは「御国が来ますように。」(マタイ 6章10節)と祈るわけですが、それはまだ来ていないものが来るようにと言うそういう祈りではありません。イエス様が私たちを守り導くという神の支配はもう既に来ている。けれどもまだ目に見える形でそれは完成されてはいない。だからそれがいよいよ完成に近づきますようにという、そういう祈りなんですね。

 すでに神の力は現されています。ですから今日も神様があなたを苦しみの中で助け出され、支え、必要な力を与えられるというのは確かなことです。いよいよその神様のすばらしさが現されるように信じて祈って参りましょう。

  ( PBA制作「世の光」2011.5.26放送でのお話より )

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■神は男女を祝福された /板倉邦雄

2011年05月25日 | Weblog
2011/5/25放送


世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。

 今日は「神は男女を祝福された」という題で話しましょう。まず始めに哲学者ソクラテスのことばを紹介しましょう。「君は結婚するのが良いか、或いは結婚しない方が良いか。いずれにせよ君は後悔するだろう。」

 では創世記1章28節のことばから、男と女の結婚についてお話しします。次のようなことばです。
 神は彼ら(男と女)を祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。 (口語訳聖書)

 まず第一に、男女の結婚は神様が定めて祝福してくださった制度です。人間が作った制度でも、まして社会や国家が定めた制度でもありません。創造の神、摂理の神様がたてた制度で、神様が二人の男女を祝福してくださったのです。

 次に結婚の目的が書かれていました。一つは出産と子育てですね。「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」 出産は苦しいし、子供を育てるのはもっと大変です。ですから結婚しても子供は産まない、自分たちの互いの人生を楽しもうというカップルもいますね。しかし、40代頃になってやっぱり子供が欲しいと願っても授からないで悩む夫婦もおられます。神様が男女を合わせて結婚させる目的は出産と子育てなのです。

 結婚のもう一つの目的は、男と女が協力してこの地を治め管理するという労働です。「地を従わせよ。地の動植物を治めよ。」とありました。男と女に神様は言われています。ですから結婚はお互いの幸せのためにあるのではありません。私たちは神様に代わってこの地球全体を治め管理する労働者なのです。すべての生物と共に生きてゆく。そして管理してゆく。そのことが結果として結婚の幸せになるのです。子を産み育てることも男女の労働です。労働ですから苦しいし疲れます。牧畜や漁業そして農業も労働です。多種多様な働きも現代は労働です。

 世界は神のもの。私たちの結婚は神の秩序に従って営んでいきたいものです。

  ( PBA制作「世の光」2011.5.25放送でのお話より )

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■選択 /山中直義

2011年05月24日 | Weblog
 2011/5/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 何を選び取るか本当に大切な選択、思いを込めた選択にはその人の生き方そのものが現れるのではないでしょうか。

 イエス・キリリストは一つの大切な選択をなさいました。十字架につけられた時、このお方は敢えてそこにとどまることを選び取られたのです。新約聖書マルコの福音書15章31節のことばです。

 (人々は)イエスをあざけって言った。「他人は救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王さま。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」

 人はイエス様に十字架から降りることを要求しました。痛み苦しみ悩み悲しみからの解放、もしその力を持っていることを証明できるならお前を救い主として信じてやる。嘲りを含んだこの要求に私たち人間の思い、その目指す生き方が示されてるように思います。

 しかし、苦しみや悲しみがなければそれで良いのでしょうか。私たちの罪の問題、死とその先の事柄に関する問題から目を背けたまま何となくごまかして何となくごまかした状態のままで死ねばそれで良いのでしょうか。

 イエス・キリストは十字架から降りませんでした。このお方は神の御子でしたから降りようと思えば降りることがお出来になりました。ですが敢えてそこにとどまられたのです。人を愛し人を救うためにその苦しみを正面から背負うことを彼は願われました。

 十字架から降りない。イエス・キリストのこの選択には私たちに対するどこまでも深い神の愛が示されているのです。

 あなたは今日どんな選択をなさるでしょうか。イエス・キリストを信じるならあなたの罪は赦され、あなたは神と共に生きることができます。本当に幸いな選択、イエス・キリストを信じこのイエス・キリストと共に生きるという選択をあなたもどうか選び取ってください。

     (PBA制作「世の光」2011.5.24放送でのお話しより )

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■かけがえのないあなた /関根弘興

2011年05月23日 | Weblog
2011/5/23放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 「かけがえのない」という表現、あなたはどのように思いますか? 聖書はあなたの存在はかけがえのないものですよと教えています。このことばは非常に大切なすなわち他のものでは代用が効かないという意味なんですね。欠けてしまったら他のものでは代用が効かない唯一の価値あるもの、それがかけがえのないという意味です。私が私であることの理由、あなたがあなたでなければならない理由は、それは一人一人がかけがえのな他のものでは代用が効かない大切な存在だということなんです。

 時々私たちは失敗や挫折、失望が襲うと、自分なんかいてもいなくても意味がないんじゃないか? 他のものといくらでも代用が効くのではないかと考えてしまうことがあるかもしれません。でも聖書はあなたという存在をかけがえのないあなたのですと繰り返し教えています。イエス・キリストはこう語られました。マルコの福音書8章36節に、「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。」 こう話されました。あなたのいのちは決して他のものと代用できない比べることのできない価値あるものだと言うわけですね。

 それはどうしてあなたはかけがえのない大切な存在なのでしょう。それは神様があなたを造られたからです。神様はまるで土を用いて器を作る陶器師のようです。私たち一人一人は弱い土くれかもしれません。土くれの中には価値を見いだすことがなかなかできないかもしれませんね。しかし一人一人は天地を創造された神様の手によって形造られた素晴らしい作品なんです。

 陶器の価値は何によって決まるでしょう。それは誰が作ったかによって決まるのです。あなたは世界でたった一人しかいない最も希少価値のある存在だという事をご存知ですか? だから代用がきかないんです。傷付けられても傷付けてもいけない大切な存在なんです。そしてそんなあなたのために命さえも惜しまない大きな大きな愛が注がれているということをあなたはご存知ですか?

 物の価値は支払われたものによって決まります。1万円を支払って買ったのならあなたにとってそれは1万円の価値があるでしょう。100万円で何かを買うならそれはあなたにとってそれだけの価値があるからこそ支払ったということですよね。聖書はイエス・キリストがあなたのために10万や100万どころではない、ご自分のいのちを惜しまずに差し出してくださったと教えています。イエス・キリストがあなたのために命を差し出す程、あなたはかけがえのない存在なんです。このことを知ってください。

 (PBA制作「世の光」2011.5.23放送でのお話しより)

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■アメイジング・グレイス / 羽鳥頼和

2011年05月21日 | Weblog
2011/5/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 アメイジング・グレースという曲を聴きなことがあると思います。本田美奈子さんが歌ってとても有名になったあの曲です。この曲は教会の讃美歌です。ジョン・ニュートンという人が歌詞を書きました。この曲が最初に掲載されたオルニー讃美歌集には曲ごとにその曲のテーマとなる聖書の箇所が記されています。このアメイジング・グレースには歴代誌第一17章16節、17節と記されています。この個所を読んでみましょう。

 ダビデ王は行って、主の前に座し、そして言った。「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。
 神よ。この私はあなたの御目には取るに足りない者でしたのに、あなたは、このしもべの家について、はるか先のことまで告げてくださいました。神、主よ。あなたは私を、高い者として見ておられます。


 ダビデが神のために神殿を立てようとした時、神様はダビデの申し出を断り、却ってダビデに、「わたしがあなたのために一つの家を建てる。」と言われたのでした。それは神様がダビデの王国を確立し、ダビデの家系がずうっとその王座に着くという約束だったのです。神様からの身に余る栄誉にダビデは驚き恐れつつも感謝したのです。

 アメイジング・グレースとは「驚くばかりの恵み」という意味です。ダビデが神様の与えてくださった身に余る栄誉を驚いたのと同じように、ジョン・ニュートンも自分に与えられた神様の救いの恵みを驚きつつ感謝したのです。

 ジョン・ニュートンは奴隷船で働いた人です。彼は水夫であった頃様々な悪いことをしていました。しかし激しい嵐に遭った時、昔読んだ聖書のことばを思い出したのです。彼は自分の罪を知り、恐怖に震え、神様に救いを真剣に求めたのです。イエス・キリストを信じて救われた彼は牧師となりました。そして救われた時の感動を表したのがアメイジング・グレース「驚くばかりの恵みなりき」なのです。

 教会ではクリスチャンたちが自分に与えられた神様の救いの恵みを驚き感謝しながら神様を賛美しています。

 あなたも教会へ入らしてください。御一緒に神様を賛美しましょう。

  ( PBA制作「世の光」2011.5.21放送でのお話より )

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■イエス・キリストは神なのか? (3) / 岩井基雄

2011年05月20日 | Weblog
2011/5/20放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 毎月第3金曜日は様々な視点から聖書を学んでいますが、「イエス・キリストは神なのか?」の3回目です。今日は、イエスを神とする考え方は神話や伝承なのであって事実とは異なるのではないか、と言う疑問について一緒に考えていましょう。

 確かにイエスの行ったことや語ったことは熱心なキリスト教徒たちが後になって作り上げたのだという説には多くの人が興味を持っているようです。

 しかし新約聖書の中でイエスの歩みを証しし、イエスが神の御子であることを記している四つの福音書は、遅くとも1世紀の後半には成立していましたから、そこに記されている内容を、多くの目撃者たちや生存していた人々によってチェックすることができたはずです。

 また実際に起きた出来事に取って代わり噂が噂を呼んで神話や伝承が生まれる程の時間も十分にはありませんでした。

 しかもマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという4人の人がイエス・キリストのことを福音書として記していますが、それぞれの目線でキリストの歩みが描かれ、少しずつ異なった表現などもあります。しかしそれは逆に、無理につじつまを合わせようとしているのでもなく、彼らが見たものを正直に伝えていることを示しているのです。福音書だけではなく聖書全体は実際の歴史に忠実に記述されたのです。

 イエスの弟子であったヨハネは福音書の最後にこう記しています。

 「これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。
 イエスが行なわれたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。

              新約聖書ヨハネの福音書21章24節、25節

 弟子のヨハネをはじめ福音書の記者たちは、書ききれない程のイエスの証しを吟味しながら記し、事実を伝えていったのです。

 イエス・キリストが神であり救い主あるという命がけの証しをあなたはどう受けとめられますか? あなたにもこのイエス・キリストは神であるというメッセージは届けられているのです。

 それではまた聴いてください。

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