♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■主の祈り - 50 / 大嶋重徳

2016年05月31日 | Weblog
2016/5/31放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった「主の祈り」という祈りがあります。主の祈りは、「国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり」ということばで祈ります。この祈りのことばは賛美のことば、頌栄のことばです。

 聖書の他の箇所でも、「主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。」(歴代誌第一 29章11節 )
 という祈りのことばがあります。つまり、主の祈りを祈り終えようとするとき、私たちは天にあるもの地にあるもの、世界中のすべてのものを眺めながら、神様、これらはあなたのものです、と神様の創られた世界の美しさを見て神様をほめたたえるのです。

 既に主の祈りを祈り始めた時に、冒頭で、天の父の御名があがめられますように、と言うことばで神様への賛美の祈りをなしてきました。この祈りを終えるのに当たって、今一度、祈り手たちに神様への賛美のことばが湧き上がって来るのです。

 神様の造られた神の国、神の力、神の栄光を私たちは世界にある自然を通しても味わいます。夜が明ける時の太陽の上る光を見るときに自然と一日を生きて行こうと元気が湧いてきますし、夕日の沈む光景に一日を終える感謝の思いが湧いてきます。悲しいことがあった一日も、月や星のはかない光に慰めを受けますし、鳥の姿や花の色を見ても、鳥を養い花を色づかせる神様の繊細な関わりを思い、自分にも同じ神様の御手が伸びていることに心強さを覚えます。音楽や美術、芸術はそれら神様の素晴らしさを表現しているのです。更に家族や友人や教会の交わりを通して、私たちは神様の温かな交わりを経験します。
 主の祈りはすべてのものは主からいただいたものなのだと神様に栄光をお返しし、この世界を造られた神様への感謝の祈りで祈りを終えようとします。そして惜しみなく注ぎ続けてくださる神様の恵みによって、これから先も限りなく、「大丈夫だ。何も恐れることはない。」と、神様だけを愛し、神様だけを見つめ、神様に頼り切って生きていくことが私たちにはできるです。

  ( PBA制作「世の光」2016.5.31放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■祈りについて / 関根弘興

2016年05月30日 | Weblog
2016/5/30放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 番組に祈りについての質問で、「どう祈っていいか分りません」というお便りをいただきました。

 祈りについて考えとき、祈りの対象が誰なのか誰に向かっているのか、というものはとても大切なんですね。聖書は、天地の創造者である神様に向かって祈るのですよ、と教えるんです。子どもがお父さんに向かって話しをするとき、美辞麗句を並べて話をしていたらとても違和感を持ちますよね。正直に思いのままほ話しますね。同じように祈りも上手い下手などありません。巧みなことばで祈る必要もありません。ただ正直に心をこめて祈る祈りを神様は喜んで聞いてくださるのです。

 そして祈りとは単なるお願いだけではありません。祈りの中には神様への感謝があります。「神様ありがとうございます。」と祈るわけですねえ。そして聖書に書かれている約束を思い起こし、信仰を告白するんです。祈りの中で「神様、あなたの約束を信じます!」 そんな告白ですね。もちろん願いを素直に神様に言い表していくのも祈りです。

 そして自分のことだけではなく、他の人、他の人の最善や祝福のために祈るという祈り、これも大切なことなんですねえ。そして、いつでも、どんな時でも、どんな場所でも祈ることができるんです。一人でも、また仲間と一緒にいるときにも、共に祈ることができます。

 そしてこの祈りの冒頭、始めはですね、「天のお父さん」「天のお父様」と親しく呼びかけて祈り出してください。 そして祈りの最後に、「イエス様のお名前によってお祈りします。」と付け加えるです。

 なぜ「イエス様のお名前によってお祈りします。」と最後に付け加えるかといいますと、次のような聖書の約束があるからなんです。
 「あなたがたがわたしの名によって---つまりイエス・キリストの名によって---父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」(ヨハネ 15章16節)

 このように書いてあるからなんですね。名前には力があります。イエス様の名前には、天においても地においても一切の権威が与えられているのです。ですからイエス様の名前によって祈る祈りこそ、大きな力となるんですね。

 そして祈りの最後に「アーメン」と言います。アーメンとは「本当です。その通りです。」という意味のことばです。

 あなたもぜひ祈ってみてください。

  (PBA制作「世の光」2016.5.30放送でのお話しより)

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■神殿を建てる場所 / 羽鳥頼和

2016年05月28日 | Weblog
2016/5/28放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 私の行っている名古屋の教会は地下鉄の駅のすぐ近くにあります。とても便利なところですが、初めからそうだったのではありません。アメリカから来られた宣教師が58年ほど前に今の土地を購入し、教会堂を建てました。その時は地下鉄は通っておらず、車がないと不便なところでした。しかし宣教師は様々な考慮と共に神への祈りの内にこの場所を購入することを決断しました。この場所は神が与えてくださった所です。神は素晴らしく良い所に教会を建ててくださいました。

 さて今日は、エルサレムの神殿の場所がどのように決まったのかをお話しします。ことはイスラエルの王ダビデの失敗から始まります。既に年老いていたダビデはサタンに誘惑されて人口調査をしてしまいました。人口調査そのものが悪いのではありません。その事が神に頼らず軍事力に頼ろうとする行為となってしまったのです。この時、人口調査をすることはダビデの不信仰を表すものとなってしまったのです。神はイスラエルに疫病をくだされました。ダビデは心から神に悔い改めて、民を疫病で殺さないように祈りました。神は預言者を通してダビデにエブス人のオルナンという人の土地に祭壇を築き、いけにえをささげるように命じました。ダビデはオルナンからその土地を買い取り、神に命じられた通りにそこに祭壇を築き、神にいけにえを捧げて祈りました。

 すると神は天から火を降していけにえを焼き尽くされました。神はダビデのいけにえを受け入れてくださったのです。こうして疫病はなくなりました。ダビデは神が示されたこの場所が神を礼拝する所としてふさわしいと確信しました。自分の罪が赦され、イスラエルが救われた場所こそ、神殿にふさわしいと思ったのです。これこそ神の導きだとダビデは思ったことでしょう。

 私の行っている名古屋の教会も同じです。神の導きによって神が与え神が建ててくださったのです。他のキリスト教会も皆そうだと思います。そしてキリスト教会は神が人の罪を赦し人を救うために建てられたものなのです。

 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2016.5.28放送でのお話より )
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■キリストの教会を建て上げた植村正久 / 岩井基雄

2016年05月27日 | Weblog
2016/5/27放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。月の最後の金曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は植村正久について学んでみましょう。

 植村正久は安政4年、1858年に徳川家の1500石の旗本の家に生まれました。大政奉還によって徳川家が没落していく中で、彼は自分の生きるべき道を模索し、英語を学ぶことを心に決めます。そして彼はS・R・ブラウン宣教師やジェームズ・バラ宣教師に師事し、英語を習得すると共に、彼らの信仰を通してイエス・キリストにある救いと喜びを受け取ったのです。多感な16歳の時に自分の罪を認め、その罪のために十字架にかかられたキリストを救い主として信じて洗礼を受けた植村正久は、自分の生涯を捧げて牧師となる決意をし、東京一致神学校へと進学したのです。そして卒業後に開拓伝道を通して富士見町教会を設立し、人々に愛を届ける教会の牧師としての働きを忠実に行っていったのです。

 植村は教会のあり方についてこだわりを持っていました。後に無教会派と呼ばれるグループを導く内村鑑三とは対照的に、健全なキリスト教会を導くことに彼は使命をもっていたのです。

 植村が43歳の時、当時、日本組合キリスト教会の指導者であった海老名弾正との論争が起こりました。聖書を神のことばとして信じる植村にとって、それはどうしても譲ることのできない論争でした。彼は聖書の真理に立つ教会を建て上げることを求めたのです。今から考えると、彼の聖書の理解にも限界はありました。しかし教会が聖書に堅く立ち、健全に成長し、愛によって主体的な歩みを進めることを大切にし、教会の真実さを守っていったのです。彼の三女、植村環(うえむら たまき)は日本で二人目の女性牧師としても働き、父の使命を継承しました。教会は神の愛と真理によって建て上げられるのです。

 聖書のことば
  「神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。
   新約聖書 テモテ第一の手紙3章15節

 (PBA制作「世の光」2016.5.27放送でのお話しより)

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こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■主の契約の箱 / 福井 誠

2016年05月26日 | Weblog
2016/5/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主の契約の箱」です。それでは第一サムエル記4章3節から読んでみましょう。
 「なぜ主は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真中に来て、われわれを敵の手から救おう。

 サムエルの時代、イスラエルはペリシテという国と戦争していました。どちらかと言えばペリシテが優勢でした。この時もイスラエルは戦争に負けて、長老たちが作戦会議をしています。「なぜ主は今日、ペリシテ人の前で我々を打ったのだろう。負けるわけが無い。」という感じですねえ。そして彼らは一つのことに気づくのです。「そうだ。シロから主の契約の箱を我々の所に持ってこよう。そうすればそれが我々の真ん中に来て我々を敵の手から救おう。」

 当時はシロという場所て礼拝がなされていて、そこに主の契約の箱も置かれていたのです。主の契約の箱は遥か昔モーセの時代に造られたもので、神が共におられることを象徴するものとして大切にされていました。「その主の契約の箱がそばにないから戦争に負けてしまうのだ。」 まるで神様を遠くに置いてきてしまったから戦争に負けた、という考えですね。

 それでどうなったのか。イスラエルは主の契約の箱を運び入れて、もう一度戦争に打って出ました。「今度はもう大丈夫。戦争に勝ったようなものだ。」とみんなで大歓声を上げています。ペリシテ人たちは、地がどよめくようなその大歓声を聞いて大いに戸惑っていますね。けれども彼らは気を取り直して奮い立って戦うわけです。戦争の結果はペリシテ人の勝ちでした。イスラエルは主の契約の箱がなかったからだと主の契約の箱を取り寄せたのに負けてしまったのです。

 彼らの本当の問題は迷信的な信仰です。主の契約の箱に何か魔術的な力があるかのように信じていたことです。大事なのは主の契約の箱ではなく、箱に象徴される目に見えない神の存在です。物に神は宿りません。神は霊です。目に見えない存在です。いつでもどこにでもおられる方です。その神の存在をこそしっかり認めていく信仰を持ちたいものですね。

(PBA制作「世の光」2016.5.26放送でのお話より )

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■言いわけ / 板倉邦雄

2016年05月25日 | Weblog
2016/5/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「言いわけ」という題でお話ししましょう。

 私たちは罪を犯したとき、言い訳をしますねえ。それだけではなく、自分の罪を人のせいにしてしまいます。

 さてモーセは祭司アロンに怒って文句を言いました。
 「あなたはなぜ人々に大きな罪を犯させたのですか。どうして人々が欲望のままに振る舞うことを許したのですか。周囲の人々の物笑いになっているとはありませんか。」

 するとアロンは言い訳して言いました。
 「そんなに激しく怒らないでください。この国民がどんなに悪いか、あなたも知ってるでしょう? 彼らは私にこう言って詰め寄ったのです。『私たちに先立っていく神を私たちのために作ってください。私たちをエジプトの国から導き登ったあのモーセはどうなったか分からないからです。』 そこで私は、『誰でも金をもっている者はそれを取り外しなさい。』と彼らに言いました。彼らが金を私に渡したので、私がこれを火に投げ入れ、溶かして子牛を造ったのですよ。」

 昔も今も、「私が悪うございました。ごめんなさい。」と謝る人は少ないようですね。悪いことをしても言い訳をしたり、悪いのは自分ではなく、秘書が、妻が、勝手にやったと罪を他の人に転化するのです。自分が悪いことをするのは親や兄弟のせいだ。先生や社会のせいだ、と言い訳するのです。

 私たちの人間の先祖アダムもそうでした。罪を犯して神様に責められた時、アダムは答えました。「“あなた”が私の側に置かれた“この女”があの木から取って私にくれたので私は食べたのです。」 アダムは自分が罪を犯したのは妻のせいにしてしまいました。もっと突っ込んで言いますと、神様のせいにしていることが分りますね。“あなた”が私の側に置かれた“この女”、と憎たらしく言い訳をしています。「神様。あなたがこの女を私の側に置かなかったら、私はこんな罪を犯さなかったんです。」 私たちはアダムの血を引くものです。言い訳したり人に罪をなすりつけるだけでは本当の解決にはなりません。「ごめんなさい」と言う心から、救いの光が見えて来るのではないでしょうか。

 (PBA制作「世の光」2016.5.25放送でのお話より )

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■主の祈り - 50 / 大嶋重徳

2016年05月24日 | Weblog
2016/5/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった「主の祈り」という祈りがあります。主の祈りは、「国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり」ということばで祈ります。では、この祈りは何を祈っているのでしょうか。

 この祈りは、「国と力と栄えが、神様、あなたのものです」と祈るとき、それが限りなく続くのだと祈ります。この「限りなく」とは英語では ナウ アンド フォーエバー と祈ります。この今も、そしてこれからも、という意味です。この主の祈りで祈ってきたことを神様が聞いてくださるのは、遥か遠い先の話ではなく、今ここでこの時も限りなく神様はこの祈りを聞き遂げてくださり、神の国の実現をしてくださっているのです。

 私たちは、「我ら」と祈る祈りの成就を既に教会の礼拝で神の家族を経験していますし、聖餐で受け取るパンとぶどう酒によって日ごとの糧も受け取っています。しかしそれでもなお、この祈りが完全に聞き遂げられた訳ではありません。イエス様によってもたらされた神の国は今なお完成してはいないのです。

 私たちの目の前には今日も神様に叫ばずにはおれない悲しみの光景が広がっています。家庭の中にある痛み、いつ癒されるか分からない病の不安、仕事で抱える大きなトラブル、自分自身の中にある無力さや情けなさ、もう祈ることをやめようと思う失望に包まれているかもしれません。しかし主の祈りは「限りなく」と祈ります。今もこれからも、と祈るのです。やがて完全にこの祈りを聞き遂げられ、神の国の完成を待ちわびるキリスト者の希望の告白の祈りをなすのです。なぜなら今まで私たちが祈ってきた主の祈りのすべてがやがて完全に聞き遂げられる時が来るからです。

 それはイエス様が再びこの地上に来てくださる日があると聖書は語ります。昔からキリスト者はその日が来ることを花婿を待つ花嫁のように待ちわびてきました。マラナタ、「主よ来ませ」と祈ってきたのです。イエス様が再び来てくださる時、その祈りの完成の瞬間が訪れます。そして私たちは祈ってきた者全員で大喜びでその日を迎えることとなるのです。そして私たちの祈りは決して空しく空を打つようなものではなかったことを知るのです。

 ですからこの祈りを止めてはなりません。私たちは限りなく主の祈りを祈り続けたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2016.5.24放送でのお話しより )

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■イエス様のお姿 / 関根弘興

2016年05月23日 | Weblog
2016/5/23放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 ある本の中に、人は上に上にと登りたがる癖をもっている、と記されていました。「あの人よりは私のほうが上。あの人より私の方がまし。」そんな思いをもってしまうことがありますよね。ですから、人から低く見られたりするとすぐにプライドが傷ついてしまうわけです。

 あなたはイエス・キリストの姿を考えたことがありますか? 新約聖書のピリピ人への手紙2章6節(から9節)、このように書かれています。
 「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
 こう書かれています。何とイエス・キリストは神の栄光を捨てて私たちと同じ人となって私たちと同じ立場にまで下ってきてくださったというんですねえ。私たちは一人よりは上に上にと登りたがるくせをもっているのに、イエス・キリストは何と栄光をお捨てになって私たちと同じ人として来てくださったと聖書は教えるんです。

 何のためにイエス様は来てくださったのでしょう。それは私たちに神様の愛と恵みの素晴らしさを直接教えるためでした。また私たちに人としての本来の生き方をご自分の身をもって示すために来てくださったのです。しかしそれだけではありませんでした。罪のないこのイエス・キリストは、私たちの罪をその身に背負って罪の罰を身代わりとなってあの十字架で死んでくださったのです。そして十字架の死から三日目によみがえり、人がどうしても打ち破ることができなかった死さえも打ち破られたのですね。

 聖書はイエス・キリストこそすべてのものの勝利者なのだと教えます。ですから圧倒的な勝利者が共にてくださったら勇気がわいてきます。そして勝利者がともにいてくださるので決して神様の愛からあなたを引き離すものなどないのです。この勝利者なるイエス・キリストをあなたの人生の主としてお迎えして歩んでいきませんか? 

  (PBA制作「世の光」2016.5.23放送でのお話しより)

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■ダビデの聖歌隊 / 羽鳥頼和

2016年05月21日 | Weblog
2016/5/21放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 昔、映画で『レイダース/失われたアーク(聖櫃)』という冒険活劇がありました。このアークというのは聖書に出て来る契約の箱のことです。映画の中では契約の箱を手に入れた者は世界を支配する力を持つことができるとされていて、悪者が箱の蓋を開けると亡霊が飛び出してきて、それを見た者はみな死んでしまいました。これは映画のフィクションです。

 でも聖書の本当の契約の箱は十戒という神のことばが刻まれた石の板が入れられていました。この十戒は神とイスラエルの契約を十のことばで表したものでした。契約の箱によってイスラエルは自分たちが神との契約を結んで神の民とされていることを確認することができたのです。
 そして契約の箱は神の存在を表すものでした。契約の箱がいつもイスラエルにあるということは、神がいつもイスラエルと共におられることのしるしでした。イスラエルにとってこの契約の箱はとても重要なものだったのです。

 今日はこの契約の箱がイスラエルの都エルサレムに運び入れられた時のことをお話しします。ダビデがイスラエルの王になって間もない頃、契約の箱がエルサレムに運ばれ、ダビデはあらかじめ準備していた天幕にそれを安置しました。この時、神殿はまだ建てられていなかったのです。ダビデは喜びながらも厳粛に事を行いました。

 彼はまず、神の教えに従っていけにえを捧げました。次にダビデはイスラエルの一人ひとりそれぞれに丸型のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を分け与えて、人々と喜びを分かち合いました。そしてダビデは箱の前で、つまり神の御前で聖歌隊に神を賛美させました。彼らは十弦の琴や竪琴、シンバルなどの楽器も奏でながら賛美をしました。この日のためにダビデは聖歌隊を作ったと言って良いでしょう。この賛美はイスラエルになされた神の素晴らしい救いと、神が永遠に変わることのない契約を結んでくださることを感謝して神に捧げられました。私たちもこのように神を賛美したいと思います。

 明日は日曜日です。キリスト教会では礼拝を行い、神を賛美します。お近くのキリスト教会にぜひいらしてください。

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■キリストの権威ある教えマルコ ⑧ / 岩井基雄

2016年05月20日 | Weblog
2016/5/20放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。月の第二週の金曜日は旧約聖書に登場するヤコブの人生について学んでいます。

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。第三週の金曜日はマルコの福音書から学んでいます。

 私たちに罪の赦しと解放を与えるためにこの地上に来られたイエス・キリストは40日間の断食の後、荒野においてサタンからの誘惑を受けられましたが、そのすべてを聖書のことば・神のことばによって退けられ、私たちへの模範を示されました。そして弱く無学な12人の弟子たちを敢えて選び、彼らと共に神様の愛と福音を語り始められたのです。

 聖書にはこう記されています。
 「それから、一行はカペナウムにはいった。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂にはいって教えられた。人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。」 
    新約聖書 マルコの福音書1章21節、22節

 当時パリサイ人、律法学者たちは、先人の知恵や知識を権威とし、旧約聖書から引用して自分の語ることに権威づけをしていたようです。しかし主イエスのことばはそれとはまるで違っていました。主イエスのことばそのものに権威と力があったからです。それを聞く人々は主イエス・キリストを通して神ご自身のことば、真の権威あることばを聞くような驚きがあったのです。しかもその権威は、悪しき霊でさえも従う権威でした。この直後に長い間、悪しき霊に憑りつかれていた男性がイエス・キリストの権威あることばによって悪しき霊から解放され、本当に自由にされたということが証しされているのです。

 聖書はこう語っています。
 「人々はみな驚いて、互いに論じ合って言った。
 『これはどうだ。権威のある、新しい教えではないか。汚れた霊をさえ戒められる。すると従うのだ。』
」」
     新約聖書 マルコの福音書1章27節

  神ご自身であり神の御子であるキリストは、人々に本当の自由を与える権威をもっていらっしゃいます。それゆえ、あなたが今どのような問題で悩んでいらっしゃったとしても、まことの権威を持つキリストはあなたを内側から変え、あなたに本当の平安と喜びを与えてくださるのです。あなたも教会に来て、人生を変える神のことば、キリストのいのちのことば、権威あることばを心に受け取りませんか? あなたの人生はこのキリストの愛あることばによって変えられていくのです。

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