♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■人生の冒険 ~アドベント~ / 岩井基雄

2012年11月30日 | Weblog
2012/11/30放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今年もいよいよ明日から12月を迎え、あさってから4週間、教会ではイエス・キリストの降誕に備えて心を整えるアドベントという週に入ります。

 ドイツではアドベントの日曜日ごとにシュトーレというお菓子を薄く切り、食べて祝います。また子どもたちはイラストやお菓子が現れるアドベントカレンダーの窓を開きクリスマスを待ち望むのです。このアドベントは神様を、救い主を待ち望む時ですね。すぐ結果を得たる私たちに待つことは希望と忍耐を教えます。

 さらにあのアドベントは冒険を表すアドベンチャーにつながります。待ち望むこと、忍耐して備えることは私たちの人生において大きな冒険ともなるのですね。

 イスラエルの人々はイエス・キリストが生まれる数百年前に預言された救い主の到来を待っていました。彼らは当時の支配者のローマ帝国を打ち破ってくれるダビデやソロモンのような力強い王の再来を待っていたのです。

 しかし神様が送られた真の救い主は家畜小屋でひっそりと生まれたイエス・キリストでした。しかもこのキリストは貧しく弱い人々と共に歩む心優しい愛に溢れた方でした。多くの人々はそんなイエスを受け入れなかったのですが、彼こそ十字架と復活によってこの世の支配者のサタンを完全に打ち破り、死への勝利と救いの道を開かれたまことのメシヤでした。

 人間は自分の期待する答えではなく、神の方法と時を待ち望む必要があります。それこそ人生の冒険であり、真の待ち望みアドベントです。

 こう語っています。「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。 なぜ、私の前で思い乱れているのか。 神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。 私の顔の救い、私の神を。」 旧約聖書 詩篇43篇5節

 うなだれ、思い乱れるような現実の中で神の救いを待ち望む時、私たちは自分の思いをはるかに超えた真の救いと勝利を受け、神をほめたたえることができるのです。

 このクリスマス・アドベントの時、あなたも神の前に心を整え、心から救い主を待ち、そこから心の勝利、真の冒険の人生が始まるです。

(PBA制作「世の光」2012.11.30放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■墓のようなもの / 福井 誠

2012年11月29日 | Weblog
2012/11/29放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「墓のようなもの」です。それではマタイの福音書の23章27節から読んでみましょう。

 「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。

 その昔イスラエルでは自然にできた洞穴を利用して墓を造ることが多かったとされます。しかも毎年アダルの月の15日にはつまり今の暦では2月から3月になるのですが、そうした墓を白く塗りなおしていました。美観や装飾のためではありません。過ぎ越しの祭りの備えをするためだったのです。つまりユダヤ人は死体に触れたものは穢れると考えていましたから、大切な年中行事の過ぎ越しの祭りの前に間違って墓に触れて死体の汚れが移ってしまうことが無いように、と墓を見分け易くしたのです。こうして毎年白く塗り直される墓はパレスチナの燦々と照り輝く日に美しく輝いたとすら言われます。

 ところでイエスはこの綺麗に塗り直された墓を見ながらそれが当時の宗教家の姿を象徴していると指摘しています。つまり外側は美しく見えても内側には骨と死体が同じように当時の宗教家も外見こそ立派で正しい人に見えても心の内にはいろいろと意地悪な思い、浅ましい妬み、憎しみが渦巻いているというわけです。実際にヨハネの福音書を読むと、パリサイ人の代表的な指導者であったニコデモもそういう矛盾で悩んでいたことが分ります。

 ニコデモはある夜イエスのもとに来て教えを請うています。そんなニコデモに対してイエスは「誰でも新しく生まれなければ神の国に入ることはできない」(ヨハネ 3章3節参照)と率直におっしゃいました。

 私たちはみな自分たちがそれほど立派な人間ではないことは分かっています。善人の仮面の裏にどうしようもない罪人の現実があることは知っています。そういう矛盾した現実をどうしたら良いものでしょう。救ってくださるのがイエス様であることを覚えたいものですね。イエス様の十字架に罪の赦しがあり、心の癒しときよめがあるということを覚えてイエス様を信じていきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2012.11.29放送でのお話より )

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■これらのことの後 / 板倉邦雄

2012年11月28日 | Weblog
2012/11/28放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「これらのことの後」という題でお話ししましょう。

 「これらのことの後」とは今まで3回に渡って話して参りましたアブラハムの試練のあとでということです。創世記22章の最後になります。

 さて、これらのことの後ある人がアブラハムに報告にやってきました。「ミルカさんもあなたの兄弟ナホルさんに子どもを生みましたよ。」 ミルカという女性はアブラハムの甥ロトのお姉さんでしたね。ロトとミルカの父親ハランはすでに亡くなっていました。ですから長男アブラハムがロトの面倒を見ていました。姉のミルカはアブラハムの兄弟ナホルと結婚していました。そして8人の子どもたちを産んだという報告をアブラハムは受けたのです。

 次にその中の二人を紹介したいのです。3番目に生まれたアラムの父ケムエルです。アラムはこれから後の歴史に登場してきますそして現代まで続いています。アラムとは現代のシリアのことです。シリアのダマスカスの首都は有名ですね。シリアは今内戦で多くの市民が亡くなっています。シリアの先祖はアブラハムの兄弟ナホルの孫から始まったということです。人に歴史があるように民族にも歴史があります。そして私たちは歴史という束縛の中でしばしば悲劇を繰り返すということです。歴史の暴力を受けていくのです。しかし、そのような中でも歴史を支配し導き処理する摂理の神様と結びついていきたいですね。

 さて、もう一人の人物は8番目に生まれましたベトエルという名の人です。ベトエルは創世記24章に出てきますから覚えておいてください。そしてベトエルからリベカという名の娘が生まれます。このリベカは後にアブラハムの一人息子イサクのお嫁さんになる人ですね。

 さて今日のメッセージは神様は人の歴史の中に働いておられるということです。しかも長い長い人の歴史の営みを通してご自分の計画を実行しておられるということです。このアブラハムの子イサクから約2000年後、アブラハムの子孫マリアから救い主イエス・キリストが生まれてきます。そしてアブラハムはすべての国民を祝福する信仰の人となるのです。私たちも家族や子孫たちを祝福する人となりたいものですね。

( PBA制作「世の光」2012.11.28放送でのお話より )

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■積極的に聞きましょう / 山中直義

2012年11月27日 | Weblog
2012/11/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 神様のことばは消極的にではなく積極的に聞きなさい。聖書はそう教えています。新約聖書ルカの福音書13章に余りにも消極的な信仰を持っていた一人の人が登場します。

 その日は安息日でした。安息日というのは神様との交わりに集中するために特別に取り分けられた一週間の中の特別な一日でした。その安息日にイエス様が一人の女性の病を癒したと言います。この女性は18年もの間病に苦しんで神様をほめたたえることができない女性でした。この女性が喜んで神様を礼拝することができるようにイエス様はこの女性の病を癒してくださったと言います(ルカ13章10~13節参照)。

 ところが一人の人がこのことに反発しました。安息日なので、とにかく神様のことばに耳を傾けるべきであって何もすべきではない、彼はそう言うのです。

 それに対してイエス様はそうではないと教えてくださいました。確かに安息日というのは神様との交わりに集中する日です。そして一生懸命神様のことばに耳を傾ける日です。しかしそれはただ聞くということではないのだ、そのことをイエス様は教えてくださいました。

 イエス様はこの直後に神様のことばをからし種またパン種に喩えておられます。からし種もパン種もただそのままに置いておいては意味がありません。それをしっかりと地面に埋めるあるいは小麦粉に混ぜ合わせる、そうして初めてそれは生きるのだと言います。

 私たちもただ神のことばを聞くということだけでは意味が無いのではないか、聖書はそう問いかけます。神様のことばを消極的にただきくのではなくて積極的に自分の心に受け取ること、そしてしっかりとそのみことばを自分のものにするということ、そのことが大切だと聖書は教えています。

 聖書のことばに耳を傾け神様のメッセージに耳を傾ける。そのことは決して退屈で意味のないことではありません。もしあなたが積極的に神様のことばを聞きそれを丁寧に心に受けとめるなら、その神様のことばがあなたの人生を本当に豊かに作り変えてくれます。

 どうぞあなたも次の日曜日キリスト教会にお越しください。そして積極的に神様のメッセージに耳を傾けてみてください。

(PBA制作「世の光」2012.11.27放送でのお話しより )

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■神の小羊 / 関根弘興

2012年11月26日 | Weblog
2012/11/26放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 私たちは新約聖書のヨハネの福音書を通してイエス・キリストがどのようなお方なのかをご一緒に考えています。福音書を読みますとイエス・キリストが公の生涯を開始される前に、人々に「神様に立ち帰りなさい」と叫びヨルダン川で洗礼を授ていたヨハネという人が登場します。ま、このヨハネという人は「荒野に住み、ラクダの毛の着物を着て、腰には革の帯を締め、イナゴと野蜜を食べていた」(マルコの福音書1章6節参照)と書かれていますから、ま、相当ワイルドな感じの人ですよねえ。

 そのヨハネがイエス・キリストが自分の方にこられるの見た時に彼はこう叫びました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネの福音書1章29節)

 まあ私たちにとって何でイエス・キリストのことをヨハネは「罪を取り除く神の小羊」と言ったんだろうと思いますよねえ。別に小羊じゃなくても小ヤギでも小犬でもいいじゃないかと思ってしまうわけです。しかしこのヨハネの叫んだことばこそイエス・キリストというお方がどのような方かということを明確に示すことばなんです。

 なぜ小羊なんでしょうねえ。実は当時、神殿がありました。そして神殿でですねえ、たくさんの小羊がほふられたんです。何故かというと、人間の罪の身代わりにほふられたんです。人々の罪のために沢山の子羊が捧げられていきました。ですから小羊というのは人の罪を背負うというイメージがあった訳です。

 バプテスマのヨハネはですねえ何と、イエス・キリストこそ世の罪を取り除く神の小羊だ、と叫んだんです。このイエス・キリストこそ人々を死と滅びから解放し罪の赦しを与えてくださる神の小羊なるお方なんですよ、と叫んだんですねえ。

 福音書を読んでいきますとイエス・キリストは十字架につけられますね。しかしその十字架の意味は何でしょうか。イエス・キリストは罪を取り除く小羊だ。イエス・キリストが私たちの罪を全部背負ってくださってその身代わりとなって死んでくださったんだ、ということなんです。

 そしてこのイエス・キリストは十字架につけられ殺されましたけれども、何と三日目に復活されました。「よみがえられた」と聖書は記しているんです。そして今ラジオを聴いているあなたの叫びにも耳を傾けてくださる方です。

 今日あなたに伝えたいことは、イエス・キリストはあなたの罪を赦し人生の様々な束縛から解放し、あなたを自由にあなたをあなたらしく歩んでことができるように聖書のことばを通して今も語りかけているんですねえ。

(PBA制作「世の光」2012.11.26放送でのお話しより)

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■少しの力があれば / 羽鳥頼和

2012年11月24日 | Weblog
2012/11/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 アメリカにフィラデルフィアという都市があります。ペンシルバニア州の都市でアメリカの独立にゆかりの地であり、独立記念館や自由の鐘があります。実はこの地名は新約聖書の黙示録3章に出て来るのです。聖書にはフィラデルフィアの教会に対する神様の賞賛のことばが記されているのです。

 その賞賛のことばとはどんなものでしょう。それは「わたしは、あなたの行ないを知っている。・・・あなたには少しばかりの力があって、わたし(イエス/神)のことばを守り、わたし(イエス/神)の名を否まなかった・・・。」(黙示録 3章8節)ということばです。

 「少しばかりの力があって」と聞くとそんなに大したことじゃないように感じてしまいますね。しかしそうではないのです。黙示録が書かれた当時の社会のことを忘れてはなりません。黙示録が書かれた時代はローマ皇帝がキリスト教を迫害していた時代であると考えられます。そんな時代に神の名を否まなかったということは、神様だけを礼拝し皇帝を崇拝しないということです。そうすることは死刑を意味していたのです。フィラデルフィアの教会が「神のことばを守り神の名を否まなかった」ということは本当に命がけのことだったのです。

 それでは何でそんなすごいことなのに「少しばかりの力があって」と語られているのでしょう。私はこう考えます。フィラデルフィアの人々の力とは彼らの心、彼らの決心だったのではないでしょうか。それは彼らの信仰とも言えるでしょう。フィラデルフィアの人々は、私たちは神様を信じようと決心し、「神様以外のものを拝んではならない」という神様の教えを守ろう、という決心をしたのでしょう。そして神様は彼らの決心、彼らのそのような信仰を知って彼らを守ってくださったのです。彼らの決心はその決心を実現するには小さな力でした。しかしその決心を彼らの信仰と見られた神様が彼らの決心を成し遂げさせてくださったのです。

 ペテロの手紙第一1章5節には「あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現わされるように用意されている救いをいただくのです。」とあります。あなたもまことの神様を信じて神様に従う決心をしませんか? そのような決心をするならば、神様はあなたを救ってくださいます。

(PBA制作「世の光」2012.11.24放送でのお話より )

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■働く恵み ~勤労の感謝~ / 岩井基雄

2012年11月23日 | Weblog
2012/11/23放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 今日は勤労感謝の日ですね。勤労を尊び、生産を祝い、国民互いに感謝しあう、そういうことを趣旨としているそうです。働きたくても働けない人が少なくない時代です。働けるって素晴らしいことですね。

 体が動くことも生産ができることも決して当たり前ではありません。「働く」とは自分のためではなくて周りの人々のためのこと、傍(はた)を楽(らく)にすることだ、と言う人がいます。意味深い説明だと思いますねえ。自分のためにではなく、他の人のために体や心を使うことは何と健全な生き方でしょうか。

 新約聖書にこんなことばがあります。
 「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物(たまもの)を用いて、互いに仕え合いなさい。」新約聖書ペテロ第一の手紙4章10節

 私たちが働ける背景には神様からそれぞれに与えられている賜物があります。確かに健康も時間も生きるための空気も水もこの大自然も、すべて神様が私たちに与え、委ねてくださっていますし、私たちの能力や持ち味もそれぞれの賜物として神様が私たち一人ひとりに委ねてくださっているものです。

 しかもそれは神様からの一方的な豊かな恵みであり、私たちはその管理者に過ぎません。神様は私たちに、その恵みの賜物を他の人のために用いて互いに仕え合い、心から仕え合っていくように、と言います。自分の賜物や能力や財を自慢せず与え合い、互いに仕え合う。もし私たちみんなが互いにそんな気持ちで働くことができたらこの社会は何と感謝に満ちた素晴らしいものとなるでしょうか。

 私たちが神様の存在を正しく知り、神様に向かう歩みをする人が増えていくとき、社会は恵みに満ちたものへと向かい始めていくのです。

 今日のこの勤労感謝の日、私たちのために様々な働きをしてくださっている方に感謝をしましょう。そして働けることを感謝して神様の恵みの賜物を数え、自らを他の人に喜んで与え、互いに仕え合うものとさせていただきましょう。社会や世界を変える感謝を溢れさせる歩み、ご一緒に歩み始めませんか?

(PBA制作「世の光」2012.11.23放送でのお話しより)

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■天をさして誓う / 福井 誠

2012年11月22日 | Weblog
2012/11/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「天をさして誓う」です。それではマタイの福音書23章21節22節から読んでみましょう。
 「神殿をさして誓う者は、神殿をも、その中に住まわれる方をもさして誓っているのです。天をさして誓う者は、神の御座とそこに座しておられる方をさして誓うのです。

 天を指して誓うというのは天に賭けて誓うというふうな言い方をしても良いと思いますが、当時の宗教家は誓いには二つのものがあるとしました。必ず果たすべき誓いと果たさなくても良い誓いです。

 例えば神殿や祭壇をさす誓いは都合によって変えることがあっても良いけれども神殿の黄金や祭壇の上の供え物をさして誓ったらその誓いは必ず果たさなくてはいけないと教えたのです。誓いにこんな区別を設けるとはどういうことかなと私は思いますが、皆様はどう思われますか? 神殿を指して誓うことと神殿の黄金を指して誓うことがどう違うものか、また祭壇を指して誓うことと祭壇の上の供物を指して誓うことがどう違うのか。

 誓うという行為はそれ自体重要なことで本当は何を指したとしても必ず果たされるべきもののように思いますねえ。しかし彼らはこうして区別を設けたのは実は彼らの私利私欲・貪欲さのためでした。つまり神殿の黄金というのは神殿に捧げる黄金のことです。いけにえも神殿に捧げるいけにえのことです。つまりユダヤの宗教家たちは巡礼者の誓いよりも彼らが持ってきた黄金やいけにえに関心があったのです。巡礼者がささげ物を持ってきて誓ったなら、もうそれは絶対変えてはいけない。必ず置いていきなさい。捧げ物が無いなら特にこだわらなくてもよい、という何かとてもひどいお話ですねえ。ユダヤの宗教家は捧げ物欲しさに誓いに差があるような言い方をしてしまいました。

 イエスはそのように神様の教えが彼らの欲によってゆがめられている問題点をはっきりと指摘したのです。そして誓いについての正しい考え方を示しました。誓いは捧げ物のあるなしにかかわらずどれも重要で必ず果たさなくてはならない。もっと簡単に言えば、約束というのは守るためにあるものですね。

 小さな約束、大きな約束はありません。聖書に正しく教えられて人間として良識のある歩みをさせて頂きたいものですね。

(PBA制作「世の光」2012.11.22放送でのお話より )

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■神の誓約 / 板倉邦雄

2012年11月21日 | Weblog
2012/11/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「神の誓約」という題でお話ししましょう。始めに聖書のことばをお読みします。旧約聖書のエレミヤ書29章11節です。

 「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」 (口語訳)

 私が大好きなことばの一つです。ここには神様を畏れ敬う人への神様の誓いと約束が語られています。神様の命令に従ったアブラハムに待っていたのは神様自らの誓約でした。創世記の22章の続きです。

 さてモリヤの山の祭壇の前で膝まづき、父と息子が祈る姿が見えますか? 赤あかと燃え上がる祭壇の前で頭を垂れて感謝する父と息子の姿です。

 主なる神様は再びアブラハムに天から呼びかけて言われました。「わたしは自分をさして誓う。あなたがわたしのことばに従いあなたの息子を惜しまなかったので三つのことを約束しよう。まずわたしは多いにあなたを祝福し、あなたの子孫を増やそう。天の星のように浜辺の砂のようにする。」(参照16、17節)

神様のことばを信じて従う人生は祝福の人生が待っています。あなただけではなく、あなたの子どもたち孫たちに及ぶ祝福と繁栄なのです。

 次の約束は「あなたの子孫は敵の門を打ち取る。」(参照17節)という約束です。味方や仲間だけではなくこの世界には敵が存在し、私たちだけではなく子孫を狙っています。私たちはこの世で敵に勝利しなければなりません。勝利の秘訣は何でしょう。それは神への信仰です。

 「神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。」と第一ヨハネの手紙の5章4節は語っています。

 第三の約束は、「地上の諸国民はあなたの子孫によって祝福を得る。」(参照18節)ということでした。アブラハムの子孫とは主イエス・キリストのことです。私たち日本民族もアブラハムの信仰と従順によってイエス・キリストを通して祝福を受けるのですね。聖書のことばです。

 「このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。」 ガラテヤ人への手紙3章9節 (口語訳)

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■私は大丈夫? / 山中直義

2012年11月20日 | Weblog
2012/11/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 「私は大丈夫。」 新約聖書ルカの福音書13章にそう思い込んでいた人々が登場します。「そんなに悪いこともせず、それなりの生き方をしてきたのだから、私は突然の悲劇や突然の死に襲われることはない。ましてや死後に神様からさばきを言い渡されることはない。」 そう考えていた人々がいました。そんな彼らにイエス様は一つの例え話をお話しなさいました。


 「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。
 そこで、ぶどう園の番人に言った。
 『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』
 番人は答えて言った。
 『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』
」(13章6~9節)

 この例え話の中のいちじくの木ですが、普通は適切な所に植えられて二年もすれば実を結ぶはずでした。ところがぶどう園で三年経っても実を結ばなかったと言います。このままの生き方を続けてしまえば切り倒されてしまう。その姿に私たちの姿が重ねられています。大切なのは特に悪いことをしないという消極的な生き方ではなく神様の前にしっかりと実を結んでいるかどうかだ。イエス様はそのことを教えてくださいました。

 あのいちじくの木に与えられた希望は特別に与えられた肥やし、特別に与えられた恵みにありました。私たちも同じです。神様が特別に与えていてくださる恵み、イエス・キリストのことば、そしてイエス・キリストの十字架をしっかりと受け取るように、そしてそこからゆっくりとしっかりと栄養を受け取るようにと聖書は励ましています。

 私は大丈夫、そう言い切ることのできる生き方があると聖書は言います。神様があなたを愛し、あなたに特別に与えていてくださる神のことば、聖書のことば、そしてイエス・キリストの十字架があります。 あせらなくても構いません。ゆっくりとそしてしっかりと聖書のことばに耳を傾け、イエス・キリストの十字架を心に生きてください。

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