♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神の恵み / 羽鳥頼和

2013年08月31日 | Weblog
2013/8/31放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。今日は「神様の恵み」についてお話ししたいと思います。旧約聖書詩篇36篇5節から7節をお読みします。

 「主よ。あなたの恵みは天にあり、あなたの真実は雲にまで及びます。あなたの義は高くそびえる山のようで、あなたのさばきは深い海のようです。あなたは人や獣を栄えさせてくださいます。神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。人の子らは御翼の陰に身を避けます。

 神の恵み、神の真実、神の義、そして神のさばきをそれぞれ、天、雲、高くそびえる山、そして深い海に喩えています。天、雲、高くそびえる山、そして深い海とはすべて人が行けない所です。聖書は神の恵み、神の真実、神の義、神のさばきはすべて人間の及びもつかないものであると語っているのです。神様のなさることは人間がとやかく言えることではなく、神様自身、人の及びもつかない存在なのです。しかしそのような人を超越して偉大な神様は、人を栄えさせてくださるのです。ですから大きな驚きをもって聖書は、「神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。」と語っています。そして「人の子らは御翼の陰に身を避けます。」と、ひなどりが親鳥の翼に守られるように神様の守りに身を委ねるというのです。

 神様の恵みとは与えられる資格や価値のない者に与えられる驚きのプレゼントです。そんなことはありえないことなのです。ですから、神様の恵みは驚くべき恵み、アメイジング・グレースなのです。神様の一番の恵みがイエス・キリストの十字架です。人はその罪によって裁かれなければならないのに神様はそんな罪人である私たちを愛して救おうとされました。そしてイエス・キリストを私たちに与えられたのです。それがイエス・キリストの十字架です。新約聖書ヨハネの福音書3章16節にこのようにあります。

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 あなたも神様の一番の恵みであるイエス・キリストを受けるためにキリスト教会にぜひいらしてください。

(PBA制作「世の光」2013.8.31放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■人生という冒険 / 岩井基雄

2013年08月30日 | Weblog
2013/8/30放送

 世の光の時間です。おかわりありませんか? 岩井基雄です。今年前半のニュースの中であなたが印象に残っているものは何でしょうか。私は、様々な意見はありますが80歳の三浦雄一郎さんがチョモランマ登頂を成功したことがとても印象深かったんですねえ。また今日この8月30日は植村直己さんが1970年に日本人初の五大陸最高峰の登頂を果たした日でもあり、堀江 謙一さんが1989年に超小型ヨットで太平洋横断に成功した日でもあります。アメリカの90歳の人に「人生で唯一後悔してることは何ですか?」と質問したとき、9割の方が「もっと冒険しとけば良かった。」と答えたそうです。歳を重ねてもなお私たちは人生の冒険に進むことができるのでしょうね。

 イスラエルの民がペリシテ人と戦っていた時、ペリシテの陣営から巨人で強靭な戦士のゴリアテという人がイスラエルの陣営に一騎打ちの勝負を挑んできました。イスラエルの民にはそれに応える勇猛果敢な戦士は一人もおらず、ゴリアテは40日間もイスラエルに挑戦をし続けたのです。そうときにちょうどそこに来合わせた若者が後のイスラエルの王となるダビデでした。

 彼はゴリアテに挑戦することを決意し、神と共にその戦場に立ち、ダビデの若さをあざ笑うゴリアテにこう語ったのです。

 「ダビデはペリシテ人に言った。『おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。』」 旧約聖書 第一サムエル記 17章45節

 そしてダビデは一つの石だけでゴリアテの眉間を射抜き、勝利を収めることができたのです。彼は自分の未熟さや未経験さに臆することなく万軍の主に信頼し、神と共に戦い、勝利を収めました。聖書の中には次のようなことばもあります。

 「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」 (イザヤ書 41章10節)

 あなたもこの神様と共に人生の冒険を続けていくことができます。どんな困難の時も神様があなたと共にいて、あなたを力強い御手で守ってくださるからです。

 (PBA制作「世の光」2013.8.30放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■主に望みを置く群れ / 福井 誠

2013年08月29日 | Weblog
2013/8/29放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主に望みを置く群れ」です。それでは第一サムエル記22章2節から読んでみましょう。

 「困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。こうして、約四百人の者が彼とともにいるようになった。

 ダビデはひたすら逃亡するだけの人生を送っていました。ダビデに味方する人は殆どなく、孤独な戦いを強いられていたのです。ところが、そんなダビデの人生に転機が訪れました。彼を頼る者たちが集まってきたのです。困窮している者、抑圧されている者、負債のある者、不満のある者、つまり変革を求める者たちが集まり始めました。そしてダビデは彼らを一つにまとめていくのです。

 しかし皆さんの中には「何だ。ごろつきどもをまとめたのか。」 そう思う方もいるかもしれませんね。この時ダビデは詩篇142篇を歌ったとされています。それにはこうあります。

私を顧みる者もなく、私の逃げる所もなくなり、私のたましいに気を配る者もいません。主よ。私はあなたに叫んで、言いました。『あなたは私の避け所、生ける者の地で、私の分の土地です。』」詩篇 142篇 4節、5節
 
 ダビデはただ一人であるときに、ただひたすら神に自分の望みをおいたのです。そして困窮している者というのはサウル王の統治下にあって、これではやっていけないという者たちでしたが、考えてみればダビデ自身も困窮していたのです。ダビデ自身も抑圧されていました。ですから彼らはお金を求めてダビデのもとに集まってきた訳ではありません。ダビデに解放する力があると思って集まってきた訳でもないのでしょう。むしろ彼らは同じように困窮する中で神に依り頼んでいるダビデの姿勢に共感したのではないでしょうか。困窮や負債から逃れるにはダビデと同じように神様に依り頼むことが一番だと納得して集まってきたということでしょう。ダビデは信仰を持って神様の解決を求める人々を受け入れ、まとめたという訳です。教会も同じです。一人で問題を抱えずに、神に解決があるという信仰を持つ人々と共に集まり合って祈ってみませんか? 

(PBA制作「世の光」2013.8.29放送でのお話より )

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■兄エサウとの再会 / 板倉邦雄

2013年08月28日 | Weblog
2013/8/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「兄エサウとの再会」という題でお話ししましょう。

 20年前、弟ヤコブは手に一本の杖だけを持って故郷(ふるさと)の家をあとにしましたねえ。そして遠い母の実家へ逃げたのです。なぜでしたか? それは兄エサウを騙して長子の権利と祝福を奪い取ったからです。兄エサウは心の中でヤコブを憎み、叫んで言いました。「父が死んだら、その時ヤコブを殺してやる。」 故郷へ帰ることは兄のエサウに会うことを意味していました。蒔いた種は刈り取らなければなりません。決着をつけなければなりませんでした。

 まずヤコブはエドムの野に住む兄エサウの元に先立って使者を遣わしました。そして使者にこう言わせたのです。「兄さん。お久しぶりです。ヤコブです。長いこと御無沙汰していました。私は最近までラバンおじさんのもとに身を寄せていました。ようやく牛や羊や使用人を持てるようになったので故郷へ帰ることにしたのです。誰よりもまず兄さんにこのことを知らせします。どうか快く迎えてくださいますように。」

 さて、使いが戻りました。エサウが400人の手勢を引き連れて出迎えに来る途中だと言うことです。恐れていた通りです。何とか策はないかと考えた挙げ句、窮余の一策を思いつきました。一行を二つに分けることです。家畜の群れやラクダも全部です。そして言いました。もしエサウが一方に攻撃を仕掛けても、もう一方は何とか助かるだろう。」 やるだけのことはやりました。

 しかしまだ心配であり、不安でした。後は神様に祈るだけです。「祖父アブラハムも信じ父イサクもお従いした神様。故郷へ帰れと私に命じ、必ず祝福すると約束してくださった神様。あなたはいつもお約束通り私によくしてくださいました。家を出た時は私は杖しか持っていませんでした。しかし今は違います。神様どうか助けてください。兄はどんな手荒なことをするか分りません。私たち一家を皆殺しにするかもしれないのです。お約束では、私を祝福し、子孫を海辺の砂のように多くしてくださるということでした。今その約束を思い出してください。」

(PBA制作「世の光」2013.8.28放送でのお話より )
 
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■あなたを見守る人 / 山中直義

2013年08月27日 | Weblog
2013/8/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。

 人は誰かに愛され見守られることで安心して成長することができるのではないでしょうか。今日は「あなたを見守る人」と題してのバイブル・メッセージです。

 教会にはあなたを愛しあなたの成長を心を込めて見守ってくれる人がいる。聖書はそう教えています。そんな大切な使命を担う人々のことを聖書は時に監督と呼んでいます。そしてこのことばには「見守る」という意味があります。牧師や宣教師をはじめとする教会で責任を担う人達の最も大切な務めは、心をこめて人を愛し、その人の歩みを見守ることだ、聖書はそう教えているのです。

 さて、この人を見守る者に対して聖書は非常に高い基準を要求しています。新約聖書テモテへの手紙第一の3章には、品位があること、教える能力があること、温和であること、金銭に無欲であること、自分の家庭をよく治めていることなど、多くの基準が記されています。

 教会に集う人を愛して見守る務めを担うその人に対して聖書はどうしてこんなにも高い基準を要求しているのでしょうか。それは神様が人を本当に愛し心から大切に思っておられるからだと言えます。具体的に言えば、あなたが教会に来てくださった時にあなたを愛して見守り、あなたの成長を助け導く人が本当に素晴らしい人でなければならない、その勤めをしっかりと全うする人でなければならない、神様は本当にそう思っておられるということです。

 私自身のこれまでの信仰の歩みを振り返ってみるときに、確かにそんな人たちがたくさんいてくださった、ほんとにたくさん愛され信じていただいて今がある、そう思うのです。目に見ることのできない神様の愛を、実際のことばと行いであらわそうとするそんな務めを喜んで担おうとする人が教会にはいます。

 そしていかがでしょうか、あなたにもあなたを愛しあなたを見守ってくれる人が必要なのではないでしょうか。教会にはそんな人が必ずいます。いや何よりも神様があなたを愛し見守ってくださいます。どうぞお近くのキリスト教会へお越しください。

 (PBA制作「世の光」2013.8.27放送でのお話しより )

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■真理はあなたを自由にする(2) / 関根弘興

2013年08月26日 | Weblog
2013/8/26放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 新約聖書ヨハネの福音書8章31節から32節のことばを今日、ご紹介します。

 「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。

 ま、このようにイエス・キリストは言われました。自由にします、とイエス・キリストが言われましたけれど、この話を聞いた当時のユダヤ人たちは「いやー、私たちはアブラハムの子孫であって、決して誰の奴隷になったことなんてありませんよ。」と反論したんですね。でも実際はどうかというと、そうでなかった事はすぐに分ります。なぜなら彼らは昔エジプトで奴隷生活を強いられていましたし、またバビロニア帝国の時代には国が滅ぼされ、捕虜となって連れて行かれてしまったこともありました。イエス様が語られたこの時代にはローマ政府の属国にもなっていた訳ですよねえ。ですから正直に過去を見つめるならば自分たちが奴隷のように束縛されてきた姿を認めることができるはずです。しかし彼らは決して誰の奴隷になったこともありません、と言ってですね、実際の姿を素直に認めようとしなかったんです。

 そこでイエス・キリストはそうしたことの本質、事の本質をズバリこう語られたんです。「罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。」(ヨハネ 8章34節) つまりあなたがたは、自分たちはアブラハムの子孫だって言ってるけど、自分をよく振り返ってみなさい、実際には罪を行なっているではないか、それは罪の奴隷になっている状態なのだ、と指摘なさったんです。ですから、イエス・キリストがいわれる自由とは罪からの自由、罪からの解放ということを意味しているんですね。

 それでは罪とは一体なんでしょう。それは「的外れ」という意味があります。本来のあるべき姿からずれてしまっているという状態ですね。

 私は先月咳がなかなか止まらなくて説教するのが大変でした。体のバランスがずれてしまうとどうなるか、こっちが痛いあっちが痛いと言ってですね体は不自由になりますね。ずれというものは不自由さを生じさせるものです。それと同じで罪とは神様と私たちの関係がずれてしまってる状態のことを指しているんです。神様との関係がずれると神様のことが分からなくなる、神様の豊かな愛や恵みが分からなくなってしまい正しい道を見失ってしまう。自分の生きる目的が分からなくなってしまう。罪は私たちを不自由にするんです。

 しかしイエス・キリストは私たちを束縛している罪の問題を解決するために来てくださいました。イエス・キリストによって私たちの罪が赦され、神様との関係が回復し、神様の愛と恵みの中に自由になることができるのです。本来の生き方を回復する道がここにあるんです。

  (PBA制作「世の光」2013.8.26放送でのお話しより)

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  電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内)  東海福音放送協力会 へ
 

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■罪人を救うイエス / 羽鳥頼和

2013年08月24日 | Weblog
2013/8/24放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。今日は新約聖書のマルコの福音書14章53節から72節に語られていることをお話ししたいと思います。

 聖書はここで、イエス様が神様から遣わされた救い主キリストであることを語ると共にそのキリストを殺そうとする指導者たち、そしてキリストの弟子でありながらそれを否定してしまうペテロのことを語っています。

 イエス様は捕えられて裁判を受けました。権力者たちはイエスを死刑にするためにイエスを訴える証拠をつかもうとしましたが何も見つかりませんでした。イエスに対する立証をした者も多くいましたがその証言は一致しませんでした。そこで最高の権力者である大祭司が立ち上がり、イエス様に「あなたはキリストか?」と尋ねました。するとイエス様は「わたしはそれです。」と答えたのです。イエス様自身が、自分が神から遣わされたキリストすなわち救い主であると証言したのです。

 ここから分ることはイエス様は救い主であり何の罪も認められないということです。しかしそれを聞いた大祭司を初めとした権力者たちは、神を冒涜したかどでイエス様に死刑を言い渡します。このことは無実の者を死刑にする冤罪であり、神に逆らい神の愛する独り子を殺すという大きな罪でした。

 そしてもう一人の罪人のことを聖書は語っています。その人はペテロです。

 ペテロは逮捕されたイエス様の後をつけて大祭司の家の庭の中まで入って行きました。大祭司の家でイエス様の裁判が行なっていたのです。その庭でペテロが人々からイエスの弟子ではないかと疑われます。ペテロはごまかそうとしましたが、3度目にとうとう神様の名前で誓いながら、「私はそんな人を知りません。」と言ってしまうのです。ペテロは自分の身を守るために嘘をつきイエス様を裏切ってしまったのです。これも罪です。ペテロは絶対にしたくないと思っていたこと、してはいけないとよく分かっているのにそれをしてしまったのです。罪とは恐ろしいものです。

 このように聖書は、イエス様以外の人は神の前にみな罪人であることを教えています。そしてイエス様は全く罪が無いお方であり、人を罪から救うことができるお方であることを教えています。イエス・キリストだけが罪人を救うことができるのです。あなたもイエス・キリストによる救いを得るために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」2013.8.24放送でのお話より )
 
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■いのちがけの愛で生かされて / 岩井基雄

2013年08月23日 | Weblog
2013/8/23放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 今日8月23日は白虎隊の日と呼ばれ、慶応4年、1868年旧暦の8月23日、会津藩の白虎隊・士中二番隊20名が飯盛山で自刃した日だそうです。 NHK の大河ドラマ『八重の桜』でもこの白虎隊の篭城や自害の様子が描かれていましたね。会津戦争の時には数えで15才だったためこの白虎隊には加われなかったのですか、白虎隊年少組に井深梶之助という人がいました。井深は篭城戦にも参加をし、会津最後の藩主・松平容保(かたもり)の小姓を務めました。

 若かった梶之助は戦死者3000人余りを出した凄惨な会津戦争のすべてを見、明治を生き抜いていきます。その彼が生涯の終わりにはキリスト教会の牧師となり、日本基督教会の指導者や明治学院の二代目総理をも務めるです。命を懸けて会津藩主に仕え戦った彼の人生にどのような転機があったのでしょうか。明治4年1871年横浜の修文館でアメリカ人宣教師ブラウンから英語を学んだ梶之助は彼の紹介でヘボンの診療所でのバイブル・クラスに出席するようになりました。そして明治6年1873年1月5日に19才の時にキリスト教の洗礼を受けたという記録が残っています。

 聖書の中には次のようなことばがあります。
 「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」 新約聖書 ヨハネ第一の手紙 3章16節

 聖書を通してキリストの命がけの愛を知ったとき、梶之助の人生はこの愛に生き、愛を伝える者へと変えられていきました。

 「人生は出会いで決まる」とマルチン・ブーバーという哲学者は語りましたが、本当にその人の人生を大きく変える出会いというものがあります。かつて松平容保のためにいのちを懸けた梶之助が自分の人生の本当の主(あるじ)が誰であるかを発見した時、彼の人生は大きく変わったのです。人生をかけることのできる真実の愛、命がけの真理がイエス・キリストによってあなたにも示されています。イエス・キリストはあなたを愛し、あなたに本当のいのちを与えるために十字架にかかり、よみがえってくださったからです。

(PBA制作「世の光」2013.8.23放送でのお話しより)

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■スマートに過ごす / 福井 誠

2013年08月22日 | Weblog
2013/8/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「スマートに過ごす」です。それでは第一サムエル記21章13節から読んでみましょう。

 「それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい、捕らえられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。

 ダビデはサウルの元を逃れ、途中祭司アヒメレクの所に立ち寄りました。何の準備もないダビデはそこで食料と万が一のための武器を調達しようとしたのでしょう。するとそこにドエグというエドム人が主の前に引き留められていたと言います。ドエグはサウルに恩義のあるつわ者でした。そんな人物がそこにたまたま居合わせたというのではなく、「主の前に引き止められていた。」(サムエル記第一 21章7節)と聖書は言うのです。わざわざ主が後にダビデを悩ますことになる人物を引き止めておいたというのは理解しにくいことですねえ。神はもっとダビデに優しくして見逃されるようにしてくださってもよさそうなものを、なぜ見つけられるようなことをするのか。しかしここで聖書が言っていることはどれもこれも主の許しの中で起こっているということなのです。ともあれダビデは食料と護身用の剣を手に入れると、敵方の国ガテのアキシュの元へと逃れました。

 しかしダビデは余りにも知られすぎていました。アキシュの家来たちはダビデ王をあの国の王と呼ぶ始末。あわやダビデは自分の身を守るために気が狂ったふりをしなくてはなりませんでした。実に惨めですねえ。どん底のどん底です。なぜここまで追い詰められなくてはいけないか、後にダビデはこの時の心境を詩篇34篇にこう綴っています。

  「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。」(詩篇34篇18節、19節)

 ダビデの心は打ち砕かれてボロボロであったというのです。しかしその中でダビデは神が共におられることを学びました。叫ぶとき聞いてくださる主がおられることを悟っていくのです。

 であればどんな時にも焦って早まった行動を取ったりせずに、取り乱したりもせず、ただ神の最善を待ち望みつつ苦難の時をスマートに過ごしたいものですね。

(PBA制作「世の光」2013.8.22放送でのお話より )

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■和平条約 / 板倉邦雄

2013年08月21日 | Weblog
2013/8/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「和平条約」という題でお話ししましょう。

 旧約聖書の詩篇133篇1節にはこのようなことばがあります。

 「見よ、兄弟が和合して共におるのは いかに麗しく楽しいことであろう。」(口語訳聖書)

 今日の創世記31章はまさにそのような姿を見ることができますねえ。さてラバンはヤコブに答えて言いました。

「ここにいるのはわしの娘だし、子どもたちはみな孫だ。家畜の群れにお前の持ち物一切合切私の物と言っても良いぐらいだ。自分の娘や孫のためにならないようなことなどどうしてできよう。さあ和平条約を結ぼう。これからはお互いその条約をしっかり守っていこうじゃないか。」

 ヤコブは承知しました。そのためのしるしが必要です。ヤコブは石を一つ建て、記念碑にしました。また召使いに石を集めさせ石塚を築きました。そのそばでヤコブとラバンは一緒に食事をしたのです。そして互いに約束しました。

 ラバンは言いました。「これからはどちらかが境界線を越えたら、この石塚が証拠となるだろう。お互い遠く離れていてもこの約束を守れるように神様が見張ってくださる。もしわしの娘達に辛くあたったり、他の女と結婚したりするなら神様はお見逃しになるまい。お互いこの線を越えて攻撃を仕掛けたりしないよう誓いを立てよう。この石塚は誓いの証人だ。もしどちらかが誓いを破ったらご先祖の信じた神様に訴えよう。その者は滅ぼされる。」

 そこでヤコブは父親イサクの信じる偉大な神様の前で、境界線を尊重する、と固く約束しました。そして一同と一緒に食事をしてからそのまま夜を過ごしたのです。そして翌朝ラバンは早々と起きて娘達と孫たちに別れをし祝福すると、家へ帰って行きました。

 私も孫を4人与えられていますのでラバンの気持ちは良く分かります。それにしましても神様の仲介した和平条約は何と幸いでしょうか。私たちも平和を作り出す人になりたいものですね。

 キリストのことばです。
 「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
  マタイの福音書5章9節(口語訳聖書)


(PBA制作「世の光」2013.8.21放送でのお話より )
 
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