♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■お・も・て・な・し / 羽鳥頼和

2014年11月29日 | Weblog
2014/11/29放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 新約聖書のヘブル人への手紙13章の1節に、「兄弟愛をいつも持っていなさい。」と語られています。そしてその後に、兄弟愛によって行うべき具体的な行動として旅人をもてなすことが勧められています。そこで今日は旅人をもてなすことについてお話ししたいと思います。

 日本では「お・も・て・な・し」ということばが2013年の流行語大賞をとりました。滝川クリステルさんがオリンピック招致活動の最終プレゼンで日本社会に根づく歓待の精神を日本語で紹介して彼女が印象深い動作と口調で「おもてなし」と言いました。日本社会に根づいているおもてなしの精神は実は聖書の時代にも尊重されていました。おもてなしは兄弟愛からの行為なのです。兄妹愛とは聖書においては、クリスチャンどうしを兄弟姉妹として愛することであり、世界のすべての人々を兄弟姉妹と見て愛することをも意味していました。旅人も自分の兄弟姉妹と見て愛して、もてなしたのです。

 聖書には「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。」(ヘブル 13章2節)とあります。

 この「ある人々」とは旧約聖書の創世記17章に記されているアブラハム夫妻のことです。

 アブラハムの所に三人の神の使いがやってきました。アブラハムが、彼らが神の使いとは知らずに心からのおもてなしをしたのです。彼らはアブラハムに子どもが与えられることを告げ、アブラハムに大きな祝福を与えました。

 今日私はラジオを聞いてくださっているあなたに、ある方をもてなしていただきたいと思います。その方とはイエス・キリストのことです。あなたの心にイエス・キリストを受け入れていただきたいのです。

 イエスは言われています。
 「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3章20節) 

 あなたの心の扉を開き、イエスを迎え入れてください。イエスを自分の救い主と信じることがイエスを心に迎え入れることです。イエスを信じてください。

 明日は日曜日です。イエスの声を聞くために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2014.11.29放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■愛と決断の人 ~細川ガラシャ~  / 岩井基雄

2014年11月28日 | Weblog
2014/11/28放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今日は「愛と決断の人 細川ガラシャ」と題してお話をします。

 細川ガラシャは名前を珠(玉)(たま)と言い、永禄6年(1563年)、明智光秀の娘として生まれ、16才の時、織田信長の薦めで細川忠興(ただおき)に嫁ぎます。そして一時期、二年間ではありましたが幸福な新婚時代を過ごしました。

 しかし天正10年(1582年)の本能寺の変で父、明智光秀が謀反を起こし織田信長を倒した後、山崎の合戦で羽柴秀吉に破れてしまいました。逆心の娘となったガラシャも生まれたばかりのわが子から引き離され、丹後の山里に約2年間幽閉されてしまいます。しかしその苦難の生活の中にあっても、彼女は身分の分け隔てを超えた優しさと労わりの心を常に持ち続けていたそうです。

 その後、幽閉を解かれて大阪城下、玉造の細川家屋敷に住むようになってからは彼女は心の平安をキリスト教に求め、キリシタンの侍女、清原イトから洗礼を受け、細川ガラシャ、日本語では「恵み」という意味を持つガラシャと呼ばれるようになります。宣教師ルイス・フロイスが彼女のことを「日本で今だかつてこれほど理解ある婦人に、またこれほどキリスト教について深い知識を持っている人に会ったことはない。」と表現してるように、ガラシャは神の恵みに生かされ続け、学びを深めていったのです。

 しかし秀吉の死後、徳川家康と石田光成の対立が激化し、細川忠興をはじめとする大阪城下に住む家康方の大名から人質を取ることを企てた光成は、まずガラシャに人質になるよう強要しました。しかし、神の前のきよさを求める彼女はこれを毅然と軽視し、屋敷に火をかけて最後を遂げたと言われています。慶長5年(1600年)7月17日、38歳の生涯でした。

 細川ガラシャは日本の歴史に名を残す数少ない女性の一人で苦難の生活を送りながらも自己の尊厳と女性としての誇りを守り、神の前の誠実さと清さを貫く生涯を送ったのです。

 聖書のことば

 あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」と書いてあるからです。
 ペテロ第一の手紙 1章15節から16節

(PBA制作「世の光」2014.11.28放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■時が近づいている / 福井 誠

2014年11月27日 | Weblog
2014/11/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「時が近づいている」です。それではヨハネの黙示録1章3節から読んでみましょう。

 「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。

 22回にわたってヨハネの黙示録を読んできました。黙示録はこうやって読んでみると、それほど難しい書物ではありませんね。ただ旧約聖書の知識やイメージで物事を語る黙示文学という表現技法があることは知っておく必要がありますね。そして当時この黙示録を手にした読者は厳しい迫害の最中にあったということも理解しておく必要があります。当時のクリスチャンたちは迫害を受け、悲しみと苦しみの最中に置かれていました。そんな状況にあった人々に、まず慰めと励ましを与えるためにこの書は書かれた訳です。

 しかしそればかりではありませんね。時代を読み解いて多くの人が悟りを得て人間として大事にすべきもの、人間の本来の幸せに気づかせるために書かれているんですねえ。事実ヨハネの黙示録は中盤、様々な災いが描かれていました。奇怪な生き物が登場し、何か恐ろしい状況が描かれていましたね。しかしそれは象徴的に地上の疫病、飢饉、戦争といった終末的な状況を物語っているものでした。

 そういう発想で昨今の世界の出来事を考えるなら、確かに終末的なものを感じるところがあります。しかし、この世はそれでは終わらないのです。この歴史は神様によって造られたものであり、神様がこの歴史をご自分の主権をもって終わらせます。

 そして歴史の幕を閉じる時には神様はご自分を信じ従う者のために素晴らしい天の都を用意しておいてくださると言うのです。地上の恐ろしい出来事の間にサブリミナル効果のように何度も何度も、神を信じ忠実に生きた者が天の大宴会に迎えられ礼拝している様子が描かれていましたね。

 真面目に生きたって何になると思うことが私たちの人生にはあるものです。しかし本当にそうでしょうか。聖書は「時は近づいている」と言っていますね。神様が正しいさばきをなさるときは近づいているのです。あなたの労が報われる時が近づいています。教会に行ってこの素晴らしい神のことばを更に学んていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2014.11.27放送でのお話より )

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■ヤコブの神である主 / 板倉邦雄

2014年11月26日 | Weblog
2014/11/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は「ヤコブの神である主」という題でお話ししましょう。

 今、主なる神様のお召しに与り、『わたしがいつも、モーセよ、あなたと共にいるから心配したり恐れたりする必要はない』と神様が言ってくれているのに、なおもぐずるモーセがいるのです。

 さてモーセは、神である主に言いました。「私がイスラエルの人々の所に行って、彼らに『あなたがたの先祖の神が私をあなたがたの所に遣わされました。』というとき、彼らが『その神の名は何と言うのか?』と私に聞くならば何と答えたらいいでしょうか?」

 神様はモーセに言われました。「わたしは『在って在る者』。『わたしは在る』というお方が私をあなたがたの所で遣わされました。」(と言えと。)

 「在って在る者」 英語で訳しますと、アイアム ザット アイアム I am that I am. アイアム ビーイング I am being. 「わたしは存在している。」という意味です。

 続けて主なる神はこう言いました。「あなたがたの先祖の神アブラハムが信じ、イサクも信じ、ヤコブも信じて彼らは今も存在しています。生きています。なぜなら私は「主」という名を持っている神である。

 この「主」と訳されたヘブル語は、エホバとかヤーウェと読むことのできることばなのです。これを日本語で「主」と訳しただけです。このエホバとかヤーウェという神様の名前は、永遠の存在者を表すことばです。永遠の存在者である神様が有限者であるモーセを遣わしたということなのです。そしてやがてモーセの神となっていきます。

 そしてヤコブの神である主はモーセに具体的な戦略をも与えました。「あなたは行ってイスラエルの長老たちを集めて語るように。長老たちはあなたの声に聞き従うだろう。そしてあなた一人ではなく、長老たちと一緒にエジプトの王様の所へ行くように。」と指示しました。

 昔も今も、ヤコブの神である主は神の民たちを導き、保護し、世話するとき、一人の指導者だけではなく複数の長老たちによって、すなわち多くの助け人によって導き、保護し、世話をしてゆくのです。

 (PBA制作「世の光」2014.11.26放送でのお話より )

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■お便り紹介 / 大嶋重徳

2014年11月25日 | Weblog
2014/11/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。今日は、いただきましたお便りの中から二通ご紹介させていただきたいと思います。奈良市のTさんからです。

 いつも尊いメッセージをありがとうございます。この頃、聖霊様が宿ってくださったのか、メッセージを我がこととして聞くことができ、幸いな毎日を送らせていただいています。聖書に聞く、みことばに聞く、ということがやっと分かりかけ、恵みを感じています。与えられた自分の道をまっすぐに、いよいよい主を恐れて生きていきたく思わされているこの頃です。

 続いて、兵庫県芦屋市のHさんからも、いただきました。

 聖書のことは難しいけれど心が落ち着くことが多いですね。クリスチャンではないけれど、月曜から金曜の先生がたのお話やおことばは心に留めて聞いています。これからもいろいろなことばを教えてください。

 嬉しい二通のお便りでした。Tさんのお便りには、「聖霊様が宿ってくださったのか、みことばに聞くという事がやっと分かりかけてきました。」ということばがありました。とても大切なことです。聖霊なる神と呼ばれる神様が助けてくださる、と聖書に記されています。聖霊なる神様はヨハネの福音書15章26節でイエス様がこのように紹介されています。 「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来る時、その御霊がわたしについて証しします。

 ここに出て来る御霊が聖霊なる神様のことです。聖霊なる神様は私たちの内に働きかけ、イエス・キリストのことばが分るように証ししてくださるのです。私たちは、聖書のことばが分かった!、 ああこういうことだったのか、という経験をすることがあるかと思います。それは聖霊なる神様のお働きなのですね。
 
 Hさんのお便りの中にあったように、私も聖書が難しいなあと思う時があります。そのようなときに、「聖霊なる神様。どうか聖書のことばが分かるように助けてください。」とお祈りをします。そうするとき、聖霊なる神様は、人間関係者や歩いている時やまたお祈りの中で、聖書のことばが深く分かった、という経験をさせてくださるのです。その時に、Hさんと同じように私の心も不思議と落ち着いていきます。ラジオの前の皆さんも、聖書のことばが分るようにと聖霊なる神の助けを求めてお祈りをしていだきたいと思います。お便りをくださってありがとうございました。

  ( PBA制作「世の光」2014.11.25放送でのお話しより )

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■罪の解決とは? / 関根弘興

2014年11月24日 | Weblog
2014/11/24放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日も聖書が教える「罪」ということについて前回に引き続きお話ししましょう。聖書が教えている罪とは「的外れ」という意味があるんです。

 私たちの身体でもずれが生じたら病気になりますねえ。それと同じように神様とあなたとの正しい関係がずれてしまっているとき、人は神様から愛されていることや、本来の人としての目的や道を見失って、その結果として様々な問題が生じて来るんです。

 この罪の状態、ずれてしまっている状態とは、別のことばで言えば断線してるような状態なんですね。どんなに高級なテレビでも電源が入っていなければ決して映像を映し出すことはできませんね。同様に人がどんな立派でもどんな功績を上げたとしても神様との関係が断線してならば、本来あるべき姿が失われているんです、と聖書は教えるんです。

 ですから大切なのは、神様とのずれてしまった関係を正直に告白し、向きを変えていくことなんです。神様なしの生き方から神様ありの生き方へとと方向を変えていくこと、これを聖書では「悔い改め」って言うんですねえ。
 そしてとても大切なことなのですが、聖書は「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6章23節)と書かれています。私たちの罪は死をもってしか償うことができない、と聖書は教えるんです。正しい神様の前で私たちはみんな罪人です。でも神様は愛なる神様です。私たちが罪の罰を受けるのではなく、ご自分の独り子なるイエス・キリストをこの地上に送ってくださいました。そしてイエス・キリストが私たちのすべての罪の罰を、呪いを身代わりに背負ってくださって十字架についてくださったんです。

 イエス・キリストの十字架、その出来事によって罪の赦しの道が開かれていきました。ですから、まず神様に背を向けているなら向きを変えて、「これから生きていきます。あなたを見上げて生きていきます。」と告白することが第一です。そして自分の中にあるすべての罪をイエス・キリストが身代わりとなって、背負って、十字架についてくださったことを受け入れ、イエス・キリストによって私のすべての罪が赦されているということを信じ、歩んで行くのです。

 でも私たちは生きていく中で、赦されてるといっても罪を犯してしまう弱い人間です。ですからその都度その都度、罪だと分かった事に対してその事を告白し、イエス様の赦しを確信し、歩んで行くのです。

 イエス・キリストは言われます。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」(ルカ福音書5章31節、32節)


 (PBA制作「世の光」2014.11.24放送でのお話しより)

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■救いが来る / 羽鳥頼和

2014年11月22日 | Weblog
2014/11/22放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。今日は最初に、旧約聖書イザヤ書56章1節をお読みします。これは神が語られたことばです。

 「公正を守り、正義を行なえ。わたしの救いが来るのは近く、わたしの義が現われるのも近いからだ。」

 このことばについてお話しします。神はこのことばを預言者イザヤに語らせました。預言イザヤが活動した時代はどんな時代だったでしょうか。彼は南ユダ王国の預言者でした。その頃、アッシリヤ帝国が北イスラエル王国を滅ぼし、南ユダにも侵略してきていました。ユダの国は存亡の危機にあったのです。そしてユダの国内では指導者達が自分の利益のために不正を行い、人々は指導者たちによって苦しめられていました。貧富の格差がどんどん大きくなり、富める人はますます豊かになり、貧しい人々は持っている者まで奪い取られてしまったのです。正義が全く行われていなかったのです。

 そんなユダの国に神様は、「わたしの救いが来る。公正を守り、正義を行え。」と言われたのです。

 イザヤがこの神のことばを預言してからおよそ700年後に、このことばがその通りになりました。神の救いがユダの国に来たのです。それがイエス・キリストの伝道の働きです。

 イエスは言われました。
 「時が満ちて神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」( マルコ 1章15節 参照)

 このキリストのことばとイザヤ書のことばは同じ意味であると言って良いでしょう。神の国とは神の救いがもたらされた場所です。悔い改めるとは罪を悔いて神様に立ち返って正義を行うことだからです。

 この「悔い改めて福音を信じなさい」と言われたイエス様のことばは、今もわたしたちに語りかけられています。そしてこのことばを聞いてイエス・キリストを信じる者は神の救いを得ることができるのです。

 コリント人への手紙第二 6章2節に、このように言われています。
 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」 確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

 今日、あなたもイエスを信じましょう。そして神の救いにあずかりましょう。

 明日は日曜日です。救いの神を礼拝するために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2014.11.22放送でのお話より )
 
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■創造主ってどういうこと? / 岩井基雄

2014年11月21日 | Weblog
2014/11/21放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日もちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。今日はストレートに「神について」、特に創造主なる神について考えましょう。

 この大宇宙はビッグバンによって約138億年前に誕生し、今も膨張し続けていると言われていますね。しかし、どのようにそのような爆発が起こったのか、また更にその以前に、時間と空間がどのように始まったのかはまだ明確な答えはないようです。全く何も無い無からどのようにしてあらゆる存在が生まれたのか、これは多くの学者を今なお悩ませている問題だそうです。

 更に、すべてのいのちがそれぞれに所有している遺伝子の中の情報量の大さから、それらが偶然の産物とは到底思えないと考える学者も少なくありません。何も無い所からすべての存在を愛と権威によって生み出された方こそ聖書が語る神、創造主なる神なのです。

 しかも私たちが住むこの美しい地球は、大気中の成分、気温、太陽や月との絶妙な距離、どれをとっても完璧で計算し尽くされた奇跡的な星と言われています。その中に私たちは生かされ、永遠なる神様によって愛され、見守られ支えられているのですね。

 聖書はこう語っています。

 天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上げた方、すなわちこれを堅く立てた方、これを茫漠としたものに創造せず、人の住みかにこれを形造った方、まことに、この主がこう仰せられる。「わたしが主である。ほかにはいない。」 旧約聖書 イザヤ書45章18節

 神はこの大宇宙を創造される前から私たちを既に御存知で、私たちを愛し、神の恵みと英知によって生きるようにと励ましと力を与えられているのです。あなたの存在そのものが愛され、どのような中で生かされようとも、神のご計画に沿った意味と目的を豊かに持っているのです。あなたも創造主なる神を認め、かけがいのない人生を力強く歩み始めませんか?

 聖書のことば

 わたしが、あなたの神、主、・・・わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。・・・恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。・・・わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。
 旧約聖書 イザヤ書43章3節、4節、5節、7節


(PBA制作「世の光」2014.11.21放送でのお話しより)

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■信ずべきもの / 福井 誠

2014年11月20日 | Weblog
2014/11/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「信ずべきもの」です。それではヨハネの黙示録22章6節から読んでみましょう。

 御使いはまた私に、「これらのことばは、信ずべきものであり、真実なのです。」と言った。

 黙示録最後の章ですね。天の都の様子が描かれています。1節から少しお読みしましょう。

 「御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。」 (黙示録 22章1~4節)

 水晶のように光るいのちの水の川。天の都はいのちで溢れている所ですね。もはや呪われるものは何もない。もはや夜はない。そこは全くの別世界です。ヨハネは、これらのことばは信ずべきものであり真実です、と語ります。皆さんは自分の死後を漠然と考えているのではないでしょうか。しかし聖書は死後の世界のイメージをはっきりと示し、これらは信ずべきものであり真実ですと語ります。

 キリスト教の大きな特徴の一つは死後のことは今自分で決めるということですね。仏教の土壌に育った私達はせいぜい自分の墓地をどうするか、自分の墓石をどうするか、そんなことを決めるのが生前の自分にできることではないかと考えているのですね。死後のことは分からない、行ってみたら分るかもしれない、と考えているのではないでしょうか。

 しかし聖書が、死後私たちを迎え入れてくださる方がいる、その方は十字架上で私たちの罪のために苦しみ私たちの罪の赦しを得させ私たちを愛してくださったイエス・キリストなのだ、私たちには生命溢れ呪いもない死もない悲しみ叫び苦しみのない天の都が待っている、それは信ずべきものであり真実だ、と言うのですね。

 死後の運命は今ここで決める。これが聖書の素晴らしいところですね。ぜひお近くの教会へ行って、聖書のこの素晴らしいメッセージを確かめていただきたいと思います。

 
(PBA制作「世の光」2014.11.20放送でのお話より )

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■モーセの召命 / 板倉邦雄

2014年11月19日 | Weblog
2014/11/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「モーセの召命」という題でお話ししましょう。

 召命とは天の神様からのお召し、すなわちお招きですから、天の神様からお召しを受けた人は命を懸けてそのお召しに応えてゆくのです。

 羊飼いだったモーセは神様からの召命を受けました。まずモーセを召命した主なる神様はどのようなお方だったでしょうか。

 「わたしはエジプトにいるわたしの民の悩みを見た。またこき使う者の虐げに叫ぶ声を聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。」(出エジプト記 3章7節参照)

 モーセを召命した主なる神様は、私たちの悩みをつぶさに見て、私たちの叫びを聞いて、私たちの苦悩のすべてを知っていてくださるお方なのです。

 次に、私たちの神は、わたしは天からくだって行ってわたしの民をエジプト人の手の中から救出し、わたしの民を導き上らせて、わたしの約束の地に至らせたい、と実行に移してくださる神様なのです。

 このことば通り、今から2000年前、主なる神様は人となってこの世に下ってきてくださいました。「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、・・・おのれをむなしうして・・・人間の姿になられた。」(ピリピ 2:6節、7節 口語訳聖書)と聖書に書いてありますね。

 さて、この人となられた救い主イエス・キリストの影としてモーセが神のお召しを受けたのです。「さあ、わたしはあなたをエジプトの王様パロに遣わして、わたしの民イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう。」(出エジプト記 3章10参照)

 私たちはなぜモーセが40年間エジプトの王宮で王子として過ごしたのか、その目的を知ることができます。モーセだからこそ、エジプト王宮に自由に出入りすることができ、パロ王様と面談できたということです。ですから私たちの人生の歩みの中で、その歴史の中で、一切無駄はない、ということですね。

 しかしモーセは神様からの召命を固辞しました。「私には無理です。」 (出エジプト記 3章11参照)

 主なる神様はそれでも言われました。「わたしは必ずあなたと共にいる。あなたがするのではなく、あなたと共にいるこのわたしが実行する。」(出エジプト記 3章12参照) 全知全能の神様がついているのです。この神様からの招きに私たち応えて参りましょう。

(PBA制作「世の光」2014.11.19放送でのお話より )

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