♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■夜逃げ / 板倉邦雄

2013年07月31日 | Weblog
2013/7/31放送

 世の光の時間です。いかががお過ごしですか? 板倉邦雄です。借金取りに追われて夜逃げ同然のように引っ越しをするドキュメントを見たことがあります。今日は「夜逃げ」という題でお話ししましょう。創世記の31章に入ります。

 さてヤコブは大いに富み、多くの群れ、男女の召使いを持つようになりましたね。当然のようにラバンの息子たちは不平を言い出しました。「あいつの財産は元はと言うば親父のものじゃないか。親父だ犠牲になってあいつを金持ちにしたようなものだ。」 その内にラバンの態度も変によそよそしなってきたのです。神様がヤコブに「あなたの故郷(ふるさと)に帰るよう」に言われたのはそのような時でした。「あなたの先祖・親族の所へ帰りなさい。わたしがついているから心配しなくても良い。」 同様に神様は私たちが人生の岐路に立ったとき聖書を通しておことばをかけてくださいます。

 そこでヤコブは妻のラケルとレアに使いをやって自分が今群れを飼っている所まで来るように言いました。今後のことを相談するためです。「実はなあ、父上のロバンさんの様子が変なんだ。しかし心配することはない。今日、私たちの先祖の神からお告げがあったからな。お前たちも知ってるだろ? 私は長い間ラバンさんのために一生懸命働いてきた。しかしラバンさんのほうじゃ私のことよりも自分のことだけ考えていたねえ。給料のことは何度も約束を破ったしなあ。これまで無事にやっとこれたのも一重に神様が助けてくださったおかげだと思う。」 

 それを聞いた二人の妻ラケルとレアは答えました。「私たちのことなら心配しなくても良いのです。どうせここにいたって自分のものなんか無いの。お父様の財産だって分けてもらえないでしょう。言ってみればお父様は私たち二人を売ったのよ。神様のご命令通りにしてください。」

 そこである日突然ヤコブは妻と子どもたちをラクダに載せ、ラバンに黙って出発してしまいました。ラバンに相談したら必ず引き止められてしまうことをヤコブは何度も経験していたからです。

 私たちの人生には自分と家族を守るため、このような決断をしなければならないときがあるのです。

(PBA制作「世の光」2013.7.31放送でのお話より )
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■愛と信頼による成長 / 山中直義

2013年07月30日 | Weblog
2013/7/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。

 人は誰かに愛され期待され信頼される時に驚くほど成長することができるのではないでしょうか。新約聖書に登場するパウロという人物もそんな人でした。

 彼は神様に愛されて期待され信頼されることで豊かに成長して行きました。ですが、彼の人生の前半は神様の愛や信頼に値する生き方ではありませんでした。彼は神様の愛が全く分からず、愛というものが分からず人も自分も傷つけてばかりの歩みをしていたのでした。

 しかし神様はそんな彼を深く愛し、彼が神の愛を知り新しい生き方ができるようにと救い主イエス・キリストとの出会いを与えてくださったのでした。そればかりではなく、人を造り変え人を本当に豊かに生かすこの神の愛を、イエス・キリストを、多くの人に宣べ伝えるように、という素晴らしい務めを彼に与えてくださったのでした。

 彼が何かができたから、何かをしたから与えられた務めではなく、ただただ神様が彼を愛し期待し信頼して与えてくださった務めであったと言います。神を知らずまた人を憎み傷つけてばかりであった彼に注がれたこの信じられないほどの恵み、彼はこの神様の愛と信頼をありがたいものとして感謝をして受けとめて、この神様に応答しようと懸命に生きるようになりました。

 そんな彼に注がれていた神様の恵みはますます満ち溢れるようになっていった、と彼自身が告白をしています。そして神様の愛と信頼を知れば知るほど彼は豊かに成長していったのでした。

 人は誰かに愛され期待され信頼される時に驚くほど成長することができます。そして神様はあなたを愛しあなたに期待しあなたを信頼してくださるそんなお方だ、と聖書は教えています。たとえ他のすべての人があなたを見限ってあなたを見捨ててしまったとしても神様だけはどこまでもあなたを愛し、いつでもあなたに期待し信頼しあなたに寄り添ってくださる方です。

 どうぞお近くのキリスト教会にお越しください。あなたも神様の愛と神様から与えられる信頼を受け取って豊かな人生を、素晴らしい人生を歩んでください。

(PBA制作「世の光」2013.7.30放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■闇から光へ / 関根弘興

2013年07月29日 | Weblog
2013/7/29放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス・キリストがユダヤの大きな祭りである仮庵(かりいお)の祭りに行かれたときのことでした。この仮庵の祭りの期間は神殿の外庭に大きな燭台が立てられ、火がともされたのだそうです。まあ夜になるとその光は神殿全体を、エルサレムの街々を照らした訳ですね。その時にイエス・キリストはこう語られました。

  「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書 8章12節) 

 誰も光が必要です。光なくして生きていくことはできません。イエス・キリストはあなたを照らす光であり、あなたの暗闇を照らす方なのだと言われる訳ですねえ。

 しかし残念なことに、誰もが光が必要であるにもかかわらずその光を受け入れようとしない姿が人の姿の中にはある、と聖書は教えます。ま、なぜなら光によって今まで見えなかった汚いもの、自分が見たくないもの、人に見られたくないものが照らし出されてしまうからなんですね。

 冷蔵庫の裏側を懐中電灯で照らしてみてください。想像できますよねえ。タンスの暗い隙間を照らしてみてください。何が見えますか? 暗闇にはゴミが貯まるんですね。

 光に照らされるということは闇の部分に事実を突きつけられるということに繋がるわけです。つまり自分の姿をまざまざと見せつけられることになるわけですね。時にはそれはとても辛いことです。

 イエス・キリストは私の心を照らしてくださいます。すると何が見えますか? 自分の汚(きたな)い姿、高慢な罪ある自分が見えて来ると思いますね。本当の自分の姿を知ることになるんです。

 人はどうも暗闇が好きなんですねえ。暗闇なら汚(よご)れやほこりが目立たないからです。隠すことだってできるからです。けれどもイエス・キリストは光なる方です。あなたを照らすお方。人は自分の内側が照らされることを嫌います。罪人呼ばわりされるのが嫌なんですね。

 でも私たちは自分と正直に向き合うことなしに赦しの恵みを味わうことができません。光に照らされなければ本当の人生をある意味で歩んで行くことができないんです。

 今は豊かな時代になりました。しかしまたきちんと自分と向き合わない何かごまかしの時代でもあるように思いますね。問題があってもごまかし、人生を真面目に見ようとせず、楽しけりゃいいじゃないかという発想です。

 しかしイエス・キリストはあなたの心を照らすお方です。そして私たちの弱さを、私たちのきたなさを暴露するでしょう。しかし光に照らされたら闇はどうなるでしょう。必ず消えて行くのです。

(PBA制作「世の光」2013.7.29放送でのお話しより)

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■悪に報いる神 / 羽鳥頼和

2013年07月27日 | Weblog
2013/7/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 今日は旧約聖書士師記に出て来るアビメレクという人のことをお話ししたいと思います。

 アビメレクの父親はギデオンと言いました。ギデオンはイスラエルの民を外国人から救い出した英雄でした。ギデオンは大勢の妻を娶りました。それで彼には70人の息子がいました。その一人がアビメレクでした。父ギデオンが死ぬとアビメレクは自分が父親の後を継いで王になろうとしました。そしてとんでもないことしたのです。アビメレクは故郷(ふるさと)の人々からお金を貰い、それでならず者たちを雇って自分の兄弟たちを皆殺しにしてしまったのです。こうしてアビメレクは自分の思い通りに王となりました。

 ところが味方であった故郷の人々がこんなアビメレクに不信感を持つようになり、彼を殺す計画を立てました。その計画を知ったアビメレクは逆に故郷の町を襲って人々を殺してしまいました。生き残った人々は櫓に立てこもりました。アビメレクはその人々も焼き殺そうとして櫓に火をつけようとしました。アビメレクが火をつけようと櫓に近づいたその時、ひとりの女の人がアビメレクめがけて挽き臼を投げつけました。挽き臼はアビメレクの頭に当たり、彼は重傷を負います。瀕死の重傷を負ったアビメレクは若い家来に、「お前が剣で私を殺してくれ。私が女に殺されたと誰にも言うな。」と言ったので若者は剣でアビメレクを殺しました。

 聖書はこの出来事の最後に、「こうして神はアビメレクが彼の兄弟70人を殺した悪を彼に報いられた。」と教えています。悪に満ちているこの世を神様はちゃんと見ておられ、悪を必ずさばいてくださいます。

 でももし私たちが悪者だったらこのことは恐ろしい事です。私たちは大丈夫でしょうか。聖書は大丈夫ではないと教えています。すべての人は罪を犯しているので、このままでは死ななければならないのです。

 しかし聖書が教えていることはそれだけではありません。聖書は神様がそんな私たちに救いを与えてくださることを教えています。神の救いによって罪が赦され神の恵みに生きる者とされるのです。神様は旧約聖書イザヤ書でこう言っておられます。 「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」(イザヤ書 45章22節)と。

 あなたに救いを与えてくださる神様を知るためにお近くのキリスト教会にぜひいらしてください。

(PBA制作「世の光」2013.7.27放送でのお話より )
 
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■心の交わり、深みの交わり / 岩井基雄

2013年07月26日 | Weblog
2013/7/26放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 私たちはみな弱さや過ち、また愚かさがある人間で、一人では歩むことができませんね。また何かがあれば誰かと一緒にそのような弱さを分かち合いながら歩んでいきたいと願っているのではないでしょうか。

 しかし私たちの内側にはそうできない現実もあります。お互いを必要としているのに相手の弱さを裁いて不平不満をぶつけ、怒りをことばや態度に表して大切な人間関係を壊してしまうこともあるのです。あなたはいかがでしょうか。

 ではどうすればそんな私たちは良い方向に向かうことができるのでしょうか。聖書の中に次のようなことばがあります。

 「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」  新約聖書コロサイ人への手紙 3章13節 

 聖書は私たちに、互いに忍び合い忍耐し赦し合うように、と招きます。私たちは誰もが問題を持ち、赦し合わなければならない存在であることを認めなければなりません。それは私たちが神の前に出て自分が赦される必要があるということを認めることから始まります。

 私たちが誰かを指さして批判し裁くとき、人差し指はその人を向いていても中指と薬指と小指は自分に向かい親指は天にすなわち神様に向かっていると言われます。私たちは人を裁く前にその三倍自分自身を振り返る必要があり、また神様に対しても自分はどうなのかと考える必要があるのでしょうね。

 神様は私たちのすべての憤りや不平不満、自己中心的な罪を御存知で、それでもなお私たちを愛し、受け入れてくださっているのです。それを豊かに知るとき私は自分自身をもも自分で赦すことができ、そして他の人に対しても忍耐し、忍び合い、赦し合うことができる者へと変えられていくのです。イエス・キリストの十字架の愛と命はあなたの心を変え、赦しの恵みと癒しであなたを包みます。

 もう一度聖書のことばをお読みします。
 
 「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」 (コロサイ人への手紙 3章13節)

(PBA制作「世の光」2013.7.26放送でのお話しより)

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こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■剣や槍を使わずに救う / 福井 誠

2013年07月25日 | Weblog
2013/7/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「剣や槍を使わずに救う」です。それでは第1サムエル記17章47節から読んでみましょう。

 「この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はお前たちをわれわれの手に渡される。

 ダビデとゴリアテの一騎打ちの物語。いつ読んでも面白いですねえ。イスラエルの子どもたちはこういう物語を読み聞かせられて育つんですね。ちょうど日本で言えば金太郎や桃太郎のお話を聞かされるのと同じです。私も小さな頃は金太郎や桃太郎の絵本を良く読みました。そして何か肌身で勇気を与えられるものを感じましたね。ダビデとゴリアテの物語も同じように私たちの心に勇気を与えてくれます。しかしそればかりではない、神による勝利という大切なことを教えてくれますね。

 ダビデは言いました。
 「イスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」(サムエル記第一 17章45節)

 ダビデは戦陣の神、万軍の主に信頼しました。そしてたとえ勝ち目のない戦いのようであっても神が勝たせてくださることを教えてくれているのです。ダビデが立ち向かったゴリアテは巨人。身長は6キュビト半、つまり2.7M 以上あったと言います。おまけに青銅で5000シェケル、つまり10キロの米袋6つ背負うぐらいの鎧を着ていました。そんな怪力の大男に誰も立ち向かう勇気はなかったようですねえ。そこにダビデが立ち向かっていく訳です。しかもダビデは剣も槍も持たずに羊飼いとして普段獅子や熊を追い散らすために用いる石投げと石をもって立ち向かう訳です。実に奇想天外な戦いですね。そしてダビデは見事ゴリアテの額に石投げで石を命中させてやっつけてしまいます。

 全て物事は人間の計算通りになるとは限りません。最も力ある者がその力を発揮できないことがあります。どんなに完璧に勝利の計画を練っても水の泡と化すことがあります。勝利は神のお心次第なのです。剣や槍よりもすべてを支配しておられる神に期待して歩みたいものですね。

(PBA制作「世の光」2013.7.25放送でのお話より )

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■強いられた仕事 / 板倉邦雄

2013年07月24日 | Weblog
2013/7/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は「強いられた仕事」という題でお話ししましょう。私たちの人生には無理やり強いられてする仕事や責任感からする仕事というものがありますね。しかし、そういう状況の中でも信仰と忍耐の中で工夫や努力をして行きますと、天の神様が祝福してくださるのです。創世記の30章の最後になります。

 さてヤコブは独立して自分の家を持つという気持ちを諦め、おじさんのラバンさんの家で働く事にしました。山羊や羊の群れを飼う仕事でしたね。一つの条件がありました。ぶやまだら、黒の山羊や羊は報酬としてヤコブの所有になったのです。

 さてヤコブの工夫と努力はどのようなものだったのでしょうか。羊の発情期になりますとヤコブは三種類の生木の枝を用意しました。その枝の皮を剥いで白いところを現しその枝を羊の群れに向かわせておきました。羊の群れが来て水を飲む水槽(みずぶね)の中にたてかけたのでしょうか。そして発情期の羊たちは水を飲みに来たとき皮を剥いだ生木の前ではらんで縞のある子羊、ぶちとまだらの子羊を産んでゆくのです。ヤコブはその子羊を別に置き自分の所有とすることができました。また自分の群れの中で強く元気な羊が発情した際にも群れの前に生木の枝を置くと群れは枝の前ではらんだのでした。乳牛のために白黒のテレビを見せると乳の出が良くなるという話を聞いたことがあります。おそらく三種類の生木の皮を剥いだ枝は羊たちの出産に影響を与えたのでしょう。とにかく信仰と忍耐によるヤコブの努力と工夫は思わぬ祝福となって帰ってきました。

 聖書はこう書き記します。
 「この人は大いに富み、多くの群れと、男女の奴隷、およびらくだ、ろばを持つようになった。」 (創世記 30章43節)

 ですから強いられた仕事でありましても、どのような状況の中でありましても信仰と忍耐、希望をもって勤め工夫することの大切さを学ばされますね。

 聖書のことばです。
 「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
     ヘブル人への手紙11章の1節


(PBA制作「世の光」2013.7.24放送でのお話より )
 
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■愛は誰のために / 山中直義

2013年07月23日 | Weblog
2013/7/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。

 今日は「愛は誰のために」と題してのバイブル・メッセージをお届けいたします。

 新約聖書テモテへの手紙第1章9節以下には神様のことばそして神様の愛が誰のためにあるのかということが力強く記されています。まず聖書は律法・神の教えというものは正しい人のためにあるのではないと言います。自分は神の助けなど必要としない、神の愛など必要としない、そんな人々にとって神のことばはある意味無意味であるのかもしれません。しかし律法・神の教えは次のような人々のためにこそあると聖書は言います。その次のような人というのは驚くような罪人の姿、そのおことばが列挙されていきます。

 聖書のことばをお読みします。

 「律法(神の教え)は、・・・、律法を無視する不従順な者、不敬けんな罪人、汚らわしい俗物、父や母を殺す者、人を殺す者、不品行な者、男色をする者、人を誘拐する者、うそをつく者、偽証をする者などのため、またそのほか健全な教えにそむく事のためにあるのです。
 1テモテ 1章9節、10節

 聖書はそう言います。神様どころかどんな人にも愛される価値などない、そんな罪人のためにこそ神の愛は向けられており、そして神の教えは語られていると言います。

 では果たして神様の愛というのは本当にこのような罪人を作り変えることができるのでしょうか。実はこの手紙を書いたパウロ自身がここに列挙した罪人の頭であったと自ら告白しています。かつてイエス・キリストを憎みイエス・キリストを信じる人たちを捕え、そして処刑にまでしていたそんな彼でしたが、教会の人たちと出会い神の教えを本当に知るようになって変えられていった。どんな罪人も愛し救おうとする神様の愛に触れ、造り変えられていった。彼自身がそう告白しています。

 神様の愛は正しい人のためにあるのではなく、どうしようもない罪人、神の愛だけが最後の望みである、そんな人のためにあると聖書は教えています。どうでしょうか? あなたもこの神の愛を必要としては居ないでしょうか。

 どうぞ聖書のことばを読み、お近くのキリスト教会にお越しください。あなたにも神の愛が差し出されています。


(PBA制作「世の光」2013.7.23放送でのお話しより )

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■世の光なるイエス / 関根弘興

2013年07月22日 | Weblog
2013/7/22放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス・キリストがユダヤの大きな祭りである仮庵(かりいお)の祭りに行かれた時のことでした。ま、このお祭りは、人々は木の枝で作った仮小屋で生活をするんですねえ。それは昔イスラエルの人たちが奴隷生活を強いられていたエジプトから約束の地へと旅した荒野での生活を記念するためでした。またこの祭りは水を求める祭りでもあったんですね。そしてもう一つはこの祭りの間、神殿の外庭には大きな燭台が立てられ火がともされました。夜になるとその光は神殿全体だけではなくエルサレムの街々も照らし出したと言われるんです。しかしその燭台の光も祭りが終われば消えてしまうわけですね。そんな時にイエス・キリストはこう言われました。
 「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書 8章12節) それはつまり、「世」、この世界というのはイエス・キリストがいなければ暗闇のままだという大胆な宣言だった訳ですね。

 世の光と言われるこの「世」とは一体何でしょう。世とはこの世界のこと。世とは神様抜きの世界という意味もありますし、また世とは私たち一人ひとりのことでもあると言って良いと思うんですねえ。

 光とは一体何でしょうね。光がなけれ私たちは生きてことができません。昔小学生の集まりで、「もし太陽が無くなったらどうなると思いますか?」、そんな質問をした事がありました。「いやみんな凍えて死んでしまう。」とか、「何も見えなくなってしまう。」とか、中には、「洗濯物が乾かない。」という子どももいましたけれど、とにかく光が失われたら誰一人生きていくことができません。私たちは光なくしてこの人生を歩むことはできないんですね。

 私たちの人生の道を照らし、行くべき方向を示す光がどうしても必要です。聖書はこのように語っています。

 「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」(ヨハネの福音書 1章9節)

 イエス・キリストがこの地上に来てくださったということはすべての人を照らす光として来てくださったんだと聖書は教えます。夜あなたが車を走らせる時、もし灯りをつけていなければどうでしょう。先が見えませんから事故に遭ってしまいます。私たちの人生には何が必要ですか。私たちの道筋を照らす光が必要です。イエス・キリストは、あなたの、私の世の光であると宣言なさったんですね。この方の愛の光に照らされ恵みの光に照らされ人生を歩んで行くことは何と幸いでしょう。あなたを照らすまことの光として来てくださったイエス様を人生の光なる方として受け入れ歩んで行きましょう。

(PBA制作「世の光」2013.7.22放送でのお話しより)

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■デボラの勝利の歌 / 羽鳥頼和

2013年07月20日 | Weblog
2013/7/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 旧約聖書の士師記にイスラエルのリーダーとなった女預言者デボラのことが記されています。

 その頃イスラエルの地にはたくさんの外国人が住んでいて彼らとイスラエルの戦いが繰り返されていました。ある時デボラに敵である外国人「シセラと戦いなさい」という神様からの命令がありました。デボラはさっそく勇士バラクを呼んで戦いを命じました。

 敵は川の近くに当時の最強の戦車を配備していました(士師記4章13節)。バラクは夜の暗闇に紛れて敵に奇襲をかけました。その時、神様は天から大雨を降らしてくださいました。地はぬかるみ、川は氾濫して敵の戦車はみな役に立たなくなってしまいました(士師記5章21節)。神様の助けによってはバラクは戦いに勝利します。

 デボラはこの戦いの後で勝利の歌を作りました。その歌は、「私は主に向かって歌う。イスラエルの神、主にほめ歌を歌う。」(士師記5章3節)という神様への讃美から始まります。

 そしてデボラは「新しい神々が選ばれたとき、城門で戦いがあった。」(士師記5章8節)とイスラエルの民が以前に偶然崇拝の罪を犯してしまっていたことを告白します。実はこの罪のためにイスラエルは外国人たちに苦しめられていたのです。

 またデボラは自分自身に対して「目ざめよ、目ざめよ、デボラ。目ざめよ、目ざめよ、歌声をあげよ。」(士師記5章12節)と語っています。イスラエルの民の苦しみを思い、主の助けを祈り求めているデボラでさえ自分自身に対して四度も繰り返し「目覚めよ」と語っているのです。それはきっと戦乱の世にあってデボラは自分の信仰がしっかりと目覚めていなければいけないことを強く自覚していたのでしょう。しっかりと信仰を目覚めさせ、神様に信仰を向け、信仰によって神様の命令をしっかりと聞かなければならなかったのです。争いが絶えない世にあって、デボラは自分も悪の暗闇の中に入り込んで信仰が眠ってしまわないように細心の注意を払っていたのです。

 新約聖書のヘブル人への手紙11章33節(、34節)にはこの時代のリーダー達についてこのように語っています。
 「彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行ない、・・・弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。」と。

 人はまことの神様に対する正しい信仰によって行動しなければいけないのです。あなたも神様に対する信仰を持つためにお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」2013.7.20放送でのお話より )
 
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