♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■神のものは神に /山中直義

2010年10月30日 | Weblog
2010/10/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。

 ことばと思い、ことばと行いがいつも一致していることは大切なことですが、なかなか難しいことではないでしょうか。

 ある時イエス・キリストのもとに幾人かの宗教家がやってきました。表面的には丁寧で礼儀正しかった彼らですが、本当の目的はイエス様を罠に掛け、捕えて殺すことであった、と聖書は言います。マルコの福音書12章14節のことばです。

  彼らはイエスのところに来て、言った。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、カイザルに税金を納めることは律法にかなっていることでしょうか、かなっていないことでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないのでしょうか。」

 非常に危険な質問でした。もしイエス様が、ローマ皇帝カイザルに税金を納めなさい、とおっしゃれば、イエス様はローマの支配に苦しむユダヤ人たちの反感を買い、殺されることになります。しかしだからといって、納めるべきではない、と答えてもローマの役人に捕えられ、やはり殺されることになります。さて、この危険な問いに対してイエス様はどのようにお答えになったのか。続く17節にはこうあります。

 「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」

 お金よりもさらに大切なことがある。イエス様はそう言われました。カイザルが求めるもの・銀貨はカイザルに返してやればよい。しかし神様が求めておられるものは神様に返すように。

 神様が求ておられるもの、それは私たちの真実な生き方。ことばと思い、ことばと行いとがいつも一致した生き方である、と聖書は教えています。口先だけでイエス・キリストを「先生」「神様」と呼んでいたとしても、その教えに本当に教えられようとしているのか、真剣に聞き従おうとしているのか、そのことが私たちにも問われているように思います。神のものは神に返しなさい。神様が喜んでくださる真実な生き方、ことばと思い、ことばと行いがいつも一致した生き方を神様に捧げていきたいと思わされます。

       (PBA制作「世の光」2010.10.30放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■失望のベートーヴェンを支えた聖書 /岩井基雄

2010年10月29日 | Weblog
2010/10/29 放送

 世の光の時間です。お元気ですか。岩井基雄です。

 18世紀後半にドイツで活躍した作曲家ベートーベンは、横暴でアルコール依存症の父親に3歳から無理矢理ピアノを習わされ、子どもらしい時期は殆どなかったのだそうです。11歳から作曲をし有名になり、ハイドンの弟子にも抜擢されたりしますが、様々な悲しみを抱えていました。母親や父親の死を経験し、深い失恋を幾度も経験したベートーベンは生涯独身で暮らします。更に20代後半から持病の難聴がどんどん悪化し、遂に音楽家としては命とも言える耳が聴こえなくなってしまいました。しかしベートーベンはその試練の中でも希望を見失わず、素晴しい作品を書き続けました。

 この時期に彼はこんな文章を書き残しています。
全能の主よ。あなたは私の胸の奥にある私の魂を覗かれ、私の心を見抜いておられます。私の心の内に人類への愛と善をなしたいという要求とが満たされているのを主よ、あなたは御存知です。
 また、40歳の時記した手紙の中で彼は子どものような信仰心を次のように書き記しています。「僕には友がいない。独りぼっちで生きていかなければならない。だが分っている。創造主は誰よりも僕の近くにおられるのだ。どんな時でもこのお方が僕と共におられることが分る。そして僕は主がどのようなお方かということも知っている。」

 苦難に満ちたベートーベンの生涯に真の希望を与えたのは、聖書が語る神様でした。

 新約聖書ローマ人への手紙10章11節、13節にはこう書いてあります。

 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」・・・「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。

 私たちは苦しみに遭うことがあっても、失望しても希望を捨ててはならないこと、あきらめてはならないことを聖書は語っています。ぁなたがどのょぅな苦しみや悲しみ、また失望や孤独を抱えていらっしゃったとしても、その悲しみの中から聖書が語る神様に目を向け、主を信頼し、その御名を呼び求めてみませんか? その時、あなたも救われ、真の希望へと向かうのです。 

 それではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2010.10.29放送でのお話しより)

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こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。
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予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
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■神は正義である /福井 誠

2010年10月28日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。
 今日のバイブル・メッセージは「神は正義である」です。それでは、伝道者の書4章4節から読んでみましょう。

 ひとりぼっちで、仲間もなく、子も兄弟もない人がいる。それでも・・・、彼の目は富を求めて飽き足りることがない。そして、「私はだれのために労苦し、楽しみもなくて自分を犠牲にしているのか。」とも言わない。これもまた、むなしく、つらい仕事だ。

 人間と言うのはたとえひとりぼっちで仲間を失っても成功と富を求めてあくせくすることがあります。なぜでしょうか。それはお金を持っている限り人を楽しませ裏切らないからなのかもしれん。実際人間は裏切りやすいものですねえ。そんな関係だったら最初からなかった方がましだと人間に諦めをつけて、ますますお金だけを頼りにして生きていくことがあるのかもしれません。

 新約聖書の中に出てくる税金取りのザアカイという人も同じでした。不正を働いて人々からお金を巻き上げ、ザアカイはどんどん豊かになりましたが、友を失い、孤独な人生を送っていたのです。そんなザアカイにイエス様は声をかけられて、その孤独さの中から出てくるように、そして神が友となってくださることの素晴らしさを知るようにと招いてくださいました。ザアカイは決して裏切ることのない救い主イエス様を自分の友として迎えたのですね。

 富と地位を保証されて生きても、そこには現実何の楽しみも喜びもないということがあります。むしろ何一つなくても真に助け合い、支え合う友や伴侶を持つことの方が人間にとって幸せなことがあることでしょう。そして目には見えませんが、私たちを愛してくださる神様の配慮の中に生きることも真に心を満たすものです。ですからあなたにも神様が共におられることを知っていただきたいと思います。そうすればあなたの人生が空しくなることもないのです。

  ( PBA制作「世の光」2010.10.28放送でのお話より )

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■かみさま、いいうちにすんでるね /羽鳥頼和

2010年10月27日 | Weblog
2010/10/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか、羽鳥頼和です。

 ある子が神様にこんな手紙を書きました。

 かみさま、このまえのしゅう、ニューヨークに いったとき、
 セントパトリックきょうかいを みました。
 あなたは いいうちに すんでますねえ。

 神様はこの手紙に何と答えられるでしょう。

 まず神様はエレミヤ書23章24節にあるように、「天にも地にも、わたしは満ちているではないか。」とこの子に言うでしょう。神様は教会にしかいないお方ではありません。どこにでもいることができるのです。

 そして神様はこの子にマルコの福音書11章17節にあるように「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」と言われるでしょう。

 教会は神様がずっと住んでいるところではありません。神様はどこにでもおられるお方ですし、人に住むところを作ってもらう必要もないのです。 神殿を立てたソロモン王は「実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。」(列王記第一 8章27節、歴代誌第二 6章18節)と言っています。

 教会は「すべての民の祈りの家」と呼ばれるのです。世界中の人が集まることができるところであり、そこで皆が祈りを捧げるところなのです。祈りとは単に願い事のことではありません。祈りとは神様に願うだけでなく、神様に感謝をし、時には自分のした悪いことを神様に謝り、そして神様を誉めたたえて賛美をすることです。

 このように考えると、祈りの家とは「神様を礼拝するところ」という意味があることがわかります。

 そして神様は最後に、この手紙の子にマタイの福音書11章28節にあるように「わたしのところに来なさい」と語りかけるに違いありません。あなたにも神様は「わたしのところに来なさい」と語りかけ、すべての民の祈りの家である教会へあなたを招いておられます。

 あなたのお近くに教会はありますか? 教会には神様と神様を礼拝する人々がいます。あなたもぜひ祈りの家である教会にいらしてください。

  ( PBA制作「世の光」2010.10.27放送でのお話より )

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■永遠の命を得るために /関根弘興

2010年10月26日 | Weblog
2010/10/26放送

世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 あるとき一人の青年がイエス・キリストのもとに走り寄ってきて、「先生、何をしたら永遠のいのちを得ることができるでしょう。」(参照 マタイ19章16節、マルコ10章17節、ルカ18章18節)と、こんな質問してきました。まあ自分の人生の永遠の救いはどのようにしたら手に入れることができますか、という真面目な質問ですね。

 でもこの青年はちょっと人より自信があったようでした。道徳的にも真面目で、自分は宗教的な戒めを守っているし、まあ自分のような優秀な人間が永遠の命を受けずして誰が受けることができよう、そんなふうに思っていたようなんですねえ。

 また彼は大変裕福でした。当時のユダヤの社会では繁栄は神様の祝福の印と見られていたので、この青年は自分には神様の祝福がたっぷり注がれているという思いもあったでしょう。ですからこの青年ほど天国に近い存在はない、と自分もまた周りの人たちも考えていたようです。

 しかしイエス・キリストはそういう青年の姿を見て、慈しんでこう言われました。「あなたは神様に祝福されている証拠と考えているそれらの富をすべて貧しい人に施しなさい。」こう言われたんですねえ。「あなたの財産を全部貧しい人に与えなさい。---あなたが自分の行いによって救いを得ようとするなら、行いによって永遠の命を得ようと考えなら、それを実際に示してみなさい」と言われたのです。

 すると予想外のイエス・キリストのことばに、彼の顔は暗くなり、悲しみながらイエス・キリストの元から去って行ってしまいました。

 私たちは誰も永遠の救いを求めています。死を乗り越えた永遠のいのちを得たいと願っています。だからある人は一生懸命努力をし、そして修行するかもしれません。しかしそれは自分の行いによって達成しようとするとき、そこには必ず失望と悲しみが襲ってくるんだということをこの青年とイエス様との会話は教えているようです。

 聖書は繰り返し、行いによっては救われない、行いによっては永遠のいのちを持つことができないのだと教えています。

 新約聖書の後半の沢山の手紙を書いたパウロはこう語っています。
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
     エペソ人への手紙2章8、9節

 私たちはイエス様の一方的な恵みであり賜物である永遠のいのちを、永遠の救いを、ただ単純に感謝し受け取る信仰だけが必要なんです。修行でも努力でもなく、功績でもなく、ただイエス・キリストを信じ受け入れる単純な信仰によって永遠のいのちは与えられるんです。何と感謝なことでしょう。

 (PBA制作「世の光」2010.10.26放送でのお話しより)

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■創造者を忘れないで /村上宣道

2010年10月25日 | Weblog
2010/10/25放送

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

えー、秋は食欲の秋とも言われたりして、うっかりするとお腹周りが気になったりしますけれども、まあそれにしてもその食欲を満たしてくれる度にですねえ、収穫の秋と言われますが、本当にいろんなものがこの収穫される時ですねえ。柿、栗、ミカン、りんご、ピーナツ、山芋、里芋、サツマイモ、しいたけ、松茸、鰯(いわし)に鯖(さば)、サンマとか、---今年はサンマは高いようですけども---、ともかくですねえ、まあ本当にバラエティに富んだ様々なものが店頭に並ぶこの時期なわけですけれどもね。

 で、そういう収穫を得ることのために沢山の方々が労してこられたわけで、その労のおかげでこのように沢山のものを頂くことができるということなわけなんですけども。

 聖書の中にこういうことばがありましてですねえ、「植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。」(コリント人への手紙第一3章7節 口語訳聖書)ということばがあるんですね。

で、もちろんそういう労がどちらでもいいという訳ではなくって尊いことは言うまでもないのですけども、しかしながら根本的にこれだけの豊かなものを与えてくださったお方がおられるということを忘れてはいけないと思うんですね。

で、鶏が先が卵が先か、というふうな言い方がありますけれども、卵が先でも鶏が先でもなくって、神様が先ですよね。「はじめに神は天と地とを創造された。」(創世記1章1節 口語訳聖書)っていうふうに書いてあって、そこにはですね、

 神は仰せられた。「地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ。」 そのようになった。地は植物、すなわち種を生じる草を、種類にしたがって、またその中に種がある実を結ぶ木を、種類にしたがって生じさせた。」(創世記1章11-12節 新改訳聖書3版)

 というふうに書いてあるんですけれども、最初の種は一体誰が作ったのか、---というこの労するためのそのもともとの種ですね--- 、それはやっぱり神様が作られたからこのような豊かな収穫を私たちは楽しむことができているのだということ、これを忘れてはどうなんだろうっていうふうに思わされますね。

収穫の秋、私たちは本当に楽しませてもらいながら、神様を賛美をすることを忘れないで欲しい。そう思いますねえ。

  ( PBA制作「世の光」2010.10.25放送でのお話しより)


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■ひとり子をさえおしまないで /山中直義

2010年10月23日 | Weblog
2010/10/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。

「鰯(いわし)の頭も信心から」ということわざがあります。しかし聖書が教えている本当の信仰は少し違うのです。神様のことばをようく聞いて本当にそれに聞き従うこと、それこそが本当の信仰、豊かな祝福を受け幸せになることができる本当の信仰だといいます。

 旧約聖書創世記に登場するアブラハムは神様のことばに実際に聞き従った人物でした。ある時アブラハムに次のような神様のことばがありました。

「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを全焼のいけにえとしてわたしに捧げなさい。」(創世記22章2節参照)

 自分にとってのすべてのすべて・最愛の息子を捧げるということは、神様を信じているからといって簡単に聞き従えるものではなかったと思います。

 しかしアブラハムはその時、神様のことばに聞き従うことを決心しました。ただ信じると口先だけで言うのではなく、神様のことばに聞き従うその決心をした、というのです。

 そうしてアブラハムがイサクに手をかけようとしたまさにその時、神様からのことばが再びありました。「あなたの手を、その子に下してはならない。今、わたしはあなたが自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしに捧げることを知った。」(創世記22章12節参照)

 目には見えない信仰だからこそ口先だけで終わってしまうこともあると思います。しかしアブラハムは口先だけではなく本当に信じた。信じて神様のことばに聞き従った、と聖書は言います。

 私たちも神様を信じるという時、それが口先で終わらないように、本当に行いにしたいと思うのです。神様のことばは私たちに、聖書を読むように、神様に祈るように、教会に行くように、と教えています。神様を信じる、という時、どうか神様のことばに実際に聞き従っていただきたいと思うのです。そんな信仰こそが本当の祝福を受ける幸せになる信仰だと聖書は教えています。

 聖書のことば
 
 「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。
     新約聖書 ヨハネの手紙第1 3章18節





       (PBA制作「世の光」2011.1.15放送でのお話しより )

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■私は世の光です /岩井基雄

2010年10月22日 | Weblog
2010/10/22放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか。岩井基雄です。
 この第四金曜日はイエス様が語られた例え話を少しずつ学んでいきましょう。

 イエス・キリストはよく様々な例えを話されました。最初はイエス御自身が、わたしは何々です、と御自分を何かに例えられた箇所をいくつか御一緒に見てみましょう。

 今日は新約聖書ヨハネの福書8章12節です。お読みします。

 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

 このラジオ放送も世の光と言いますが、光というのは不思議な働きをしますね。主に四つの働きがあります。

 一つは、物を照らす働きです。光は何よりも周りを照らし、そこに隠されている物をも明るみに出します。

 第二に、光は物を温めることができます。太陽の光に照らされると温められ、ちょっと眠くなりますよね。

 第三に、導く働きです。海岸に立つ灯台が船を導くように、光は正しい方向を指し示すことができるのです。

 そして最後に、育てる働きです。植物等が光による光合成によって健全に育つように光は様々なものを育ててるのです。

 同じように、まことの光であるイエス・キリストは、人の心を照らします。そして隠されていた罪を明るみに出し、その罪からの救い、永遠の命を与えるです。

 またイエス・キリストは人の心を温めます。心から人を愛し、その人の心に潤いと励ましを与えます。

 さらにイエス・キリストは人を導きます。「わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく」と語られる通り私たちを闇の中から光へと導くのです。

 そして最後に、イエス・キリストは人を育てます。「いのちの光を持つのです。」と言われてる通りまことの光であるキリストを信じ従う人々に命を与え、その人の心を育て命を光を与えるです。

 あなたの心を照らし、改め、導き、育てる、まことの光であるイエス・キリストにあなたたにもぜひ出会っていただきたいと思っています。

   (PBA制作「世の光」2010.10.22放送でのお話しより)

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■時がある /福井 誠

2010年10月21日 | Weblog
2010/10/21放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。

 今日のバイブル・メッセージは「時がある」です。それでは伝道者の書3章11節から読んでみましょう。

 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
  神はまた、人の心に永遠を与えられた。
  しかし人は、神が行われるみわざを、
  初めから終わりまで見きわめることができない。


 物事にはすでに定められた時があります。ある種、運命論者のような言い方ですが、伝道者の書の著者は、神がすべてを定めておられて、時にかなって美しいことをなさる、と語ります。

 神は愛であって、神は私たちに良いものを拒まれない。これはキリスト教信仰の確信です。その神が定めた時があるのです。

 しかもその時は変化のある時です。人は不幸な時には物事の一側面しか見ることができないものですね。物事を悪く考えて、自分はこの暗闇から一生抜け出せないかのように思ってしまうことがあります。

 しかし、「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。」(伝道者の書3章2節)というように人間には喜びの時もあれば悲しみの時もあるのです。いつも悲しみに沈んでいる訳でもなく、いつも喜びに満ちている訳でもありません。喜びと悲しみの織りなす変化の中を生き抜いていくのが私たちの人生ですね。

 今自分はどんな時に生きているのかを理解していくことが大切で、自分の人生には抜け道がない、そんな考えで凝り固まってはいけないのでしょう。

 ただ、私たちはそういうことをよく理解していても、なかなかそれを自分の信仰的な発想として身につけていくのには時間がかかるものです。神は私たちに時を定めておられる。良い時も悪い時も。しかし神は私たちにいつも最善を尽くしておられる。いつでもそのように信じて歩ませていただきたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2010.10.21送でのお話より )

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■ぼくも仲間にいれてよ /羽鳥頼和

2010年10月20日 | Weblog
2010/10/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。羽鳥頼和です。

 ある子が神様にこんな手紙を書きました。

 「しんあいなる かみさまへ。 ぼくも なかまにいれてよ。」

 さて神様はこの手紙にどんな返事をしてくれるでしょう。

 この手紙はもともと英語で書かれていました。「仲間に入れてよ」ということばにはカウントcount ということばが使われています。直訳すれば「僕のことを数に入れてよ」となります。

 このカウント「数える」ということばで私は一つの聖書のことばを思い出しました。それはルカの福音書12章7節の「あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。」(マタイの福音書10章30節も同様)ということばです。神様は人の髪の毛の数さえも知っているのです。

 ですから、神様はこの子に「君は私の友達だよ。私は君のことを何でも知っているよ。心配することはないよ。」と答えるでしょう。そして神様は続けて「君と仲良くなるために君も私のことをよく知ってもらいたいなあ。」と答えると思います。

 人は独りぼっちでは生きていけません。人にとって一番の不幸は孤独ではないでしょうか。人が沢山いる都会で孤独な人が増えています。家族や友人や知り合いがいない人、話し相手がいない人、そして心の通い合う人がいない人、そんな孤独な人が増えています。

 神様は「あなたは独りではない。わたしはあなたのことを心にかけているよ。あなたのことをよく知っている。知り合いになろう。」と愛をもって語りかけています。神様は人との関わりを持つことを心から願っているのです。

 そして人が孤独から解放されるために、神様と知り合い、人と人とが知り合い、愛し会うために、神様は教会を与えられました。教会は神様を信じる人々の集まりです。そこで人は神様を中心にして人と互いに助け合い、信頼しあい、より良い関係を築いていくことができるようになるのです。人が教会に来るならば、もう孤独に悩み、孤独を悲しむことはなくなるのです。

 あなたの神様を知り、人との良い関係を築くことのできる教会にぜひいらしてください。

  ( PBA制作「世の光」2010.10.20放送でのお話より )

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