♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■750年前のメシヤ預言 / 羽鳥頼和

2017年04月29日 | Weblog
2017/3/25放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は先週に引き続きゼカリヤ書からお話しします。ゼカリヤ書はゼカリヤに与えられた神のことばが記されている預言書です。今日はそのゼカリヤ書の11章からお話しします。
 ゼカリヤ書の前半では、ユダヤ人がバビロンによって破壊されたエルサレムの神殿の再建に取りかかるように励ます神のことばが語られていました。今日お話する11章を含むゼカリヤ書の後半では、神殿再建後の未来のことが預言されています。そこには今読むと分るのですが、アレクサンダー帝国のことやその帝国の後に出て来るセレウコス朝シリヤのことなどが語られています。その中でも特別なのがメシヤ預言と言われるイエス・キリストについての預言です。

 9章にはキリストがロバに乗ってエルサレムに来られることが預言されています。実際にキリストは十字架に架けられる一週間ほど前に、ロバに乗ってエルサレムに入られました。

 さて、11章で語られている預言は、神がご自分の民のために羊飼いを遣わされるが民は彼を拒否してしまう、ということが言われているのですが、これもメシヤ預言の一つです。新約聖書のマタイの福音書は、この予言が成就したのがキリストの十字架の出来事の時であると教えています。キリストは良い羊飼いとしてこの世に来られましたが、世の人々はキリストを受け入れず、拒否して十字架につけて殺してしまったのです。しかこのことは神の救いの計画でした。キリストは全ての人々の罪のための身代わりとなって十字架で死なれたのです。そして神は、死んだキリストをよみがえらされました。そして、このキリストを神の御子・救い主と信じる人を神は救って神の子とする、と約束されました。

 ゼカリヤ書の神の預言はキリストが誕生する750年以上も前に語られたことです。預言がその通りなったことは、聖書に書かれているキリストによる救いが神のご計画であり間違いのない確かなことであることを示しています。

 明日は日曜日です。本当の救いであるキリストによる救いを知るために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください

 (PBA制作「世の光」 2017.3.25放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■日本の最初の音楽伝道家 三谷種吉 / 岩井基雄

2017年04月28日 | Weblog
2017/3/24放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 月の第四金曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいます。

 キリスト教会で歌う讃美歌が好きだという方は少なくありませんね。神様を賛美する音楽は私の心や人生に力を与えますね。今日学ぶ三谷種吉は音楽を通して神様の愛を伝える日本で最初の音楽伝道家となった人物です。

 三谷種吉の父佐介は神戸でブリキ屋の元祖となった人でした。そしてクリスチャンであった白洲退蔵の勧めと導きでイエス・キリストを信じ、妻と7才の長男種吉また次男寅之助と共にデービス宣教師より洗礼を受けました。そのうち種吉は15歳で同志社英学校に入学。自覚的にイエス・キリストを信じます。そして16才の時に再びラーネッド宣教師から洗礼を受けるのです。卒業後は教員を経て神戸で英国商社に勤めながらイタリア人女教師リゼッティから音楽を学びます。そしてバイオリンやアコーディオンの演奏も深めていきました。26歳の時に商社をやめて、人生を神様のために捧げ教会を建て上げていきました。また岡山の孤児院で音楽を教えたり、バックストン宣教師のもとで修養を受け、神様によって信仰を育まれていったのです。そして音楽の賜物を生かし、北海道から沖縄までドイツ製のアコーディオンを片手に賛美をし、神様の愛と福音を宣べ伝えていきました。また彼は多くの讃美歌をも作成しました。「神は独り子を賜うほどに」(聖歌392番、新聖歌89番)という有名な讃美歌も彼が作詞し、全国に神様の愛を伝えていったのです。

 その讃美歌の原点となった聖書の箇所をお読みしましょう。
 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
      新約聖書 ヨハネ第一の手紙4章9節

 神様の愛に触れ、独り子イエス・キリストの十字架によって自分の罪が赦されたということを深く味わった種吉は自分の心に湧き上がる喜びを賛美と演奏を通して多くの人々に届けていったのです。

 あなたの人生も賛美と喜びに満ちる人生へと変えられていくことができます。あなたも神様に愛され、イエス・キリストの十字架によって罪赦される道が開かれているからです。

 PBA制作「世の光」2017.3.24放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■砂漠を主の園のようにする / 福井 誠

2017年04月27日 | Weblog
2017/3/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「砂漠を主の園のようにする」です。それではイザヤ章51章3節から読んでみましょう。
 「まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。」」

 イザヤは言いますねえ、「まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。

 この預言に飢え渇きをもって耳を傾けたのはちょっと後の時代の人、イスラエルの国の滅びを経験した後で囚われの身から解放されて廃墟となったイスラエルに戻ってきた人たちです。彼らが目の当たりにしたのは戦火の深い傷跡を残した廃墟のエルサレム。どこからどうやって再建してよいものか、当方に暮れるような場所でした。けれども彼らはそこでこのイザヤのことばに支えられて再建を成し遂げていく訳です。

 イザヤは、イスラエルの父と言われたアブラハムに神が何をしてくださったか覚えよ、と言っていますねえ。アブラハムは年を重ねた跡継ぎもない老人でした。しかし、75歳になった時に神は、自分に従うなら空の星のように多くの子孫を与えよう、と約束されました。アブラハムは老いた自分の身体で何を期待できようかと考えたと思います。けれども神は約束通り、アブラムに子ども授け、その子孫を増やし、今日のイスラエルの国をお作りになりました。神は無から有を生み出すお方です。実に神に不可能はありません。廃墟と化したシオン、エルサレムを建て直そうと捕囚の地から帰ってきたイスラエルの人たちもこのイザヤのことばに支えられながらその苦労を乗り越えたことは間違いありません。
 考えてみるとアブラハムが主の約束を確かに受けて平安の内に満ち足りた生涯を終えたのは175歳。ある意味で100年かけて彼は祝福に満たされていくのです。廃墟を建て直したイスラエル人も実は長い年月と苦闘の日々を乗り越えています。あなたの荒野も砂漠もエデンとなり主の園となる。あなたの労苦は決して無駄にはならない。そのように信じて時間がかかっても、すべき事を積み重ねて参りたいものですね。

(PBA制作「世の光」2017.3.23放送でのお話より )

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■十戒 - 自由への励まし7 / 大嶋重徳

2017年04月25日 | Weblog
2017/3/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
聖書には十戒と呼ばれる、神と人との間に結ばれた愛の約束があります。
 十戒第一戒は「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」(出エジプト記 20章3節)と続きます。

 この「わたしのほかに」ということばは「わたしの顔の前で」という意味があります。つまり、あなたは他の誰かの目の前で生きるのではなく、神の目の前に生きていきなさい、と語られているのです。このことばに応答していくとき、私たちは自分の生きている生活の全ての領域を神の眼差しの前において生きることを選ぶことになります。

 今年はドイツで始まった宗教改革500年の年なのですが、宗教改革者たちはこのような生き方を「コーラム デオ Coram Deo 「神のみ前で」 と表現しました。それは神の前で、隠された所のない生き方をする、ということです。

 私は結婚の誓約の時、妻だけを愛することを誓約しましたが、それは妻には言えないことはしない、ということを意味しています。妻の前には置くことのできない秘密の時間を自分は持たないし、妻に言えない所には自分は行かない、ということを意味しています。
 愛とは相手に隠すことのない生き方をすると言うことです。十戒第一戒は、この神の眼差しの前で全領域全部の時間を生かされていくことの祝福を語るのです。

 しかしこの「神の前に生きる」という生き方は神に見張られているという窮屈な思いになるかもしれません。しかし本当はそうではありません。

 私たちが普段さらされている他人の目はいつだって移り変わり安いものです。私たちの判断基準が、変わりゆく人間の評価、称賛や一部分しか見ることなく判断されてしまうときに、私たちはそこで深く傷つきますし、報われない思いに落ち込むこととなります。

 しかし、あなたはわたしのものだ、と言われる神様が今日も変わることなく愛の眼差しをもって私の生きているすべてをきちんと見ていてくださっているならば、どれだけの安心感が私たちを包んでくれるでしょうか。そして私たちはもはや移りゆく人の評価に縛りつけられた不自由さを感じることなく、あるいは流行に振り回されず、揺ぎ無い人生の価値判断を手にすることができるのです。

 今日もわたしたちは神様の目の前で大胆に力強く一日を始めていきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2017.3.21放送でのお話しより )

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■悪からお救いください / 関根弘興

2017年04月24日 | Weblog
2017/3/20放送

世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス・キリストはご自分と共に生活していた弟子たちに、どのように祈ったらいいのかを教えられました。教会では「主の祈り」として毎週礼拝で祈られているものです。この祈りの後半部分、こんな祈りが出てきます。
 「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」(マタイ 6章13節)
という祈りです。 

 「試み」とは試練ですねえ。試練は良い意味では「訓練」、悪い意味では「誘惑」とも訳せるんです。聖書は人生に起こる試練をいつも前向きに捉えるように勧めています。新約聖書のヤコブの手紙1章2節(、3節)にはこう書かれています。
 「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。」このように書かれているんです。

 試練は辛いです。私たちは時々、試練を前向きにとらえることができずに、その試練が悪しき方向に向かわせてしまう危険というものがあるんですね。だからイエス様は、私たちを悪しき方向に向かわせるような試練にあわせないでください、と祈りなさいと教えられたんです。私たちの人生には必ず試練が襲います。試練に遭うと失望し、落胆し、生きていくことが辛くなってしまうことがあります。人生なんて虚しい、聖書を読んでも教会に行っても意味が無い、神様の愛なんて信じられない、そんなふうに思ってしまうことはあるでしょう。ですから、様々な試練によって悪に向かうことが無いように、神様から離れるようなことが無いように、その試練によって自分を傷付けることにならないように、「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」と祈り続けることが大切なんです。

 聖書にはこう記されています。新約聖書第一コリントの手紙10章13節
 「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

 私たちは試練にあった時も、聖書の約束の一つ一つを信じ、神様が必ず守り救ってくださることを信頼し、「試みに会わせないで、悪からお救いください。」と祈り続けて行きましょう。

 (PBA制作「世の光」2017.3.20放送でのお話しより)

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■聖霊の働き/羽鳥頼和

2017年04月22日 | Weblog
2017/3/18放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日から二週に渡って旧約聖書ゼカリヤ書からお話しします。ゼカリヤ書が書かれたのはバビロンによって破壊されたエルサレムの神殿の再建工事が様々な妨害によって中断され、長い年月が経ってしまっていた頃でした。その頃、人々に神のことばを伝えたのがゼカリヤです。ゼカリヤ書はそのゼカリヤに与えられた神のことばが記されている預言書です。再建工事が全くストップしてしまっているときに、神は幻を示してユダヤ人に励ましを与えられました。

 幻の預言はまず三つの励ましを与えました。それはまず第一に、神がユだとその周辺に平和を保っておられること。第二に、神殿再建の邪魔をする人々を神が裁かれること。そして三つ目が、神が城壁が壊されてしまっているエルサレムの町を護ってくださるということでした。

 そしてゼカリヤ書の4章でゼカリヤが見せられた幻が、一つの金の燭台と二本のオリーブの木でした。その燭台には油を入れて火を灯す灯火皿が七つついています。そして二本のオリーブの木は金の燭台の両側に立っています。その二本の木から燭台の七つの灯火皿に油を供給するようになっています。この幻は祭司と王の二人が神によって力を与えられて神殿を完成させること、そしてその神殿再建が神の栄光を世に示すことになるということを預言しているのです。

 神はゼカリヤに「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。」(ゼカリヤ書 4章6節)と言われました。このことばは神殿の再建という大事業は、物質的な資源や人の力によってではなく、神の霊すなわち聖霊の働きによって完成されるということを教えています。

 神の聖霊は今でも大きな働きをしてくださっています。エルサレムに神殿を完成してくださった聖霊は、今はキリストの教会をより良いものとするために働いてくださっています。

 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2017.3.18放送でのお話より )
 
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■キリストとともに歩む/岩井基雄

2017年04月21日 | Weblog
2017/3/17放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 第三週の金曜日はマルコの福音書から学んでいます。

 先月は、安息日に手の不自由な人をキリストが癒され、真の解放と喜びを与えられたところから学びました。今日はイエス・キリストが12人の弟子たちを選ばれた、その箇所から一緒に学びたいと思います。

 もしあなたが自分の弟子を選ぶとしたら、どんな人を選ぶでしょうか。イエス・キリストが弟子として選んだ12人は、どちらかと言うと無学で欠けの多い人たちでした。しかしキリストは敢えて彼らを選び任命しました。その目的が聖書に三つ記されています。
聖書をお読みします。
 
 そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
   新約聖書 マルコの福音書 3章14節から15節

 キリストが12人の弟子を選び、任命した理由は、第一に彼らを身近に置くためでした。彼らと一緒にキリストはこの後3年ほど共に生活をします。彼らはキリストの言動をつぶさに見て学ぶために弟子として選ばれ招かれたのです。イエス・キリストと共にいてイエスがどのように考え人と接し、何を為し何を語られたのか、それを学び続けることが弟子の第一目的なのです。それは私たちにとっても大切なことです。目には見えなくてもイエス・キリストはどんな時にも私たちと共におられます。いつも心をキリストに向け、キリストがこの場におられたら何を語りどう行動するのかを思い巡らし、そして歩んで行くのです。

 弟子の選びの第二の目的は、福音を宣べ伝えるためでした。神様は人を用いてくださるお方です。どんなに弱く愚かな者をもキリストは整え続け、そして愛と恵みを届くていくために、その人を豊かに用いてくださるのです。

 そして第三の目的は、権威を持たせるためでした。罪深い者をもキリストは愛し赦し、その人を通して神の愛と義の権威が現わされていくというのです。何と不思議なそして豊かな憐れみと恵みでしょうか。その人を通して癒やしをも主は与えてくださるからです。イエス・キリストはあなたを愛し、あなたを選び、用いようとしていらっしゃいます。あなたも自分の愚かさとそして罪を認め、イエス・キリストを心に迎え、その愛と生き方を学び、愛と恵みを届ける人生へと歩み出しませんか?
 
 PBA制作「世の光」2017.3.17放送でのお話しより)

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こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■万物を造った主/福井 誠

2017年04月20日 | Weblog
2017/3/16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「砂漠を主の園のようにする」です。それではイザヤ章44章24節から読んでみましょう。
 「あなたを贖い、あなたを母の胎内にいる時から形造った方、主はこう仰せられる。『わたしは万物を造った主だ。わたしはひとりで天を張り延ばし、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。』」

 今日の箇所は聖書学者の間でもいろいろと議論のあるところですねえ。というのもイザヤ書は、その内容から大きくいくつかに区分されるのですが、この45章含む40章以降はどうもイザヤが生きていた時代よりもちょっと後のことを語っているようなのです。果たしてそんなに遠い将来のことを、しかも具体的にイザヤはどうして語り得たのだろうか、と疑問が投げかけられているのですねえ。

 私自身はこの箇所はイザヤが神に遠い未来の秘密を解き明かされた、つまり預言的な内容なのだと理解していて、大事にしたいのはここで語られているメッセージの内容です。「あなたを贖い、あなたを母の胎内にいる時から形造った方、主はこう仰せられる。『わたしは万物を造った主だ。わたしはひとりで天を張り延ばし、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。』」

 神は、明らかにご自身を天地の救い主として示していますね。つまり、造られる者ではなく造った者だと言うのです。

 確かに神という存在を考えたときに、神が人間を造られることがあっても、その逆、人間が神を造り出すことはできないものでしょう。イザヤが言うように、どんなにナタを使い、金槌を使い、カンナで削り美しい形に仕上げても、それが人間を救い人間の未来を動かす力を持つ神になることはありません。しかし人間は神を手でこしらえ、商売繁盛、無病息災、家内安全を期待しますね。もはや人はそういう原始的迷信的な信仰から解放されなくてはなりませんね。むしろ、神がおられるとしたら、その方は造られることのない方、むしろ私たちをお造りになった方として認めていきたいものです。

 私たちが神をどのような方として認識するのか、それは私たちの人生を左右します。まことの神を恐れ信じる者でありたいものです。

(PBA制作「世の光」2017.3.16放送でのお話より )

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■青銅の蛇 / 板倉邦雄

2017年04月19日 | Weblog
207/3/15放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「青銅の蛇」という題でお話ししましょう。

 「青銅のキリスト」という題の絵画を見たことがありますが、何のことかさっぱり分りませんでした。しかし民数記の21章を読んで理解できました。

 さて、イスラエルの人々はエドムの国の境界線をぐるりと回るように旅を続けました。遠回りだけでも辛いのに、道なき道を歩くのですから、人々は旅路に耐えがたくなってまいりました。再び人々は神様とモーセに向かってつぶやきました。「あなたはなぜ私たちをエジプトから導き上って荒野で死なせようとするのですか。ここには食物もなく水もありません。私たちはこの粗悪な食物が嫌になりました。」

 人々はイライラした不満の気持ちを、持っていた棒や杖で薮を突っついたりまた足で砂漠の砂を蹴ったりしたのではないでしょうか。

 そこで主なる神は毒蛇を人々に送られたのです。毒蛇は人々に噛みつきました。激痛の中で多くの人々が死んでいったのです。人々は神様と神の人モーセに不平不満をぶつけたことを後悔しました。人々はモーセのもとに行ってお願いしました。
 「私たちは神に向かいまたあなたに向かってつぶやいて罪を犯しました。どうぞ蛇を私たちから取り去られるように主なる神に祈ってください。」

 モーセは人々のために祈りました。すると主なる神はモーセに応えられたのです。
 「青銅の蛇を作ってそれを高い竿の上に懸けなさい。すべて蛇に噛まれた人が仰いで青銅の蛇を見るならば生きるであろう。」

 モーセは言われた通り青銅で一つの蛇を作り、それを竿の上に懸けて立てておいたのです。既に蛇に噛まれた者はその青銅の蛇を仰いで見て生きたのでした。

 イエス様は、この荒野での青銅の蛇事件を自分に当てはめて、こう言われました。
 「モーセが荒野で蛇を上げたように人の子であるわたしもまた十字架の木の上に上げられなければならない。それは信じて仰ぎ見る者がみな人の子 -イエス・キリスト- にあって永遠のいのちを持つためである。」
  ヨハネの福音書3章の14節から15節(参照)

  (PBA制作「世の光」2017.3.15放送でのお話より )

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■十戒 - 自由への励まし6 / 大嶋重徳

2017年04月18日 | Weblog
2017/3/14放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
聖書には十戒と呼ばれる、神様と人との間に結ばれた愛の約束があります。
 今朝も十戒の第一戒を見ていきたいと思います。
 これまでも十戒は愛の約束であって結婚式の誓約のようなものだと学んできました。このあとに続く第一戒の「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」(出エジプト記 20章3節)ということばが全く違って聞こえてくることとなるでしょう。

 十戒第一戒は「ほかの神々があってはならない」と非常に厳しい一神教の神を語っているとされて、他の宗教の神を認めない器が狭い神だと理解される原因となってきました。しかし十戒が結婚の誓約のような約束であるならば、この理解には問題が出てきます。例えばもし私の妻が私に対して「私が他の男性と関係を持っても良いでしょう? あなたは器が狭いね。」と言われたら「おおそうかあ。それを怒るのやっぱり寛容じゃないか・・・」と反省したりはしません。また「いいよ。じゃあ他の誰とでもいい関係を自由に持ったら。別になんでもいいよ。」と私が言うのであれば、それは愛の放棄です。私も妻から「あなたがどんな女性と時間を過ごそうと私は全然平気。」と言われると、本当に愛してくれてんのかなあ?、と不安に思ったりするでしょう。十戒の持つ性格が愛なのであれば、あなたはわたしのもの、と言われる神様にとっても、他の神々への心移りがあってはならない、というのは当然のことです。

 ここで「わたしのほかに」ということばをもともとの言語に正確に訳するならば、「わたしの前で」「私の顔の前で」という意味になります。あなたはわたしの顔の前で -神様の眼差しを受けながら- 生きて欲しい、と言うことを意味しています。今朝も神様は私たちに「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」と語られます。他のものを見ないで欲しい、わたしだけを見て欲しい、と語られるのです。十戒は、続く第二戒で「わたしはねたむ神」と言われます。あなたが他のものを見つめているとわたしは嫉妬する、とこんなにはっきりと情熱を表す神様だと御存知だったでしょうか。 十戒に示される神様は厳しい神様ではありません。むしろ激しい愛情の神です。この神様の愛を今朝も感じながら、皆さんも激しく神様への愛を燃えたさせていっていただきたいと思います
 
  ( PBA制作「世の光」2017.3.14放送でのお話しより )

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