♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■暗闇に光、ここに主あり / 羽鳥頼和

2016年12月31日 | Weblog
2016/12/24放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
先週からクリスマス・スペシャルをお送りしています。
 まず聖書のみことばをお読みします。
 「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
     新約聖書 ヨハネの福音書1章4節、5節

 「この方」とはイエス・キリストのことです。イエス・キリストは闇に輝く光としてこの世に来られました。

 更に続けて、ヨハネの福音書はキリストについてこのように語っています。
 「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。・・・この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。

 キリストはすばらしい光としてこの世に来られたのに、人々はこの方を受け入れませんでした。

 このキリストの誕生のことを歌っている讃美歌があります。聖歌137番「入れまつる家あらず」はキリストの誕生の様子についてこのように歌っています。
 「入れまつる家あらず 休めまつる宿もあらず
  ただむさき馬小屋を仮の宿となしたもう。
  恐れ多し天地(あめつち)の主におわすイエス君
  人のごと罪の世に生まれたまいぬ」

 神であるキリストが人となってくださったことを恐れ多いことと覚えています。クリスマスは私たちを救うために神が人となって来てくださった日なのです。それは恐れ多いことなのです。

 更に讃美歌(聖歌137番)は歌います。
 「内の戸を今開き 真心より汝(なれ)を迎えん
  入りたまえ 住みたまえ 救い主よ我が主よ」

 神であり救い主であるキリストを自分の心に主として迎えよう、と歌っているのです。

 キリストを心に迎えるとは神の御子キリストを信じることです。光であるキリストがあなたの心に入ってくださるなら、あなたの心は明るくなるのです。あなたも心を開いて、救い主キリストを自分の主として心にお迎えしませんか?

 明日はクリスマスです。キリスト教会ではキリストの誕生を記念してクリスマス礼拝を行います。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2016.12.24放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■喜びと輝きに招かれる祝福 / 岩井基雄

2016年12月30日 | Weblog
2016/12/23放送

 世の光の時間です。クリスマスおめでとうございます。 岩井基雄です。
 前回は、すべてを創造された神の御子、まことの光であるキリストこそ私たちの心を照らし、愛によって温め、正しい道へと導き、弱い私たちをも育ててくださることを学びました。今日は、喜びと輝きに招かれる祝福を共に考えてみましょう。

 イエスの弟子の一人ヨハネは救い主の誕生を次のように記しました。
 「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」           新約聖書 ヨハネの福音書 1章9節から12節

 救い主の誕生はイスラエルの小さな町ベツレヘムの家畜小屋の汚れた飼葉桶でした。救い主は人々の拒絶を受け入れ、小さな貧しい存在として生まれてくださったのです。最初に救い主の誕生を祝ったのは人として数えられなかった貧しい羊飼いたちでした。それはすべての人がこの喜びに招かれるためでした。もしキリストが王宮や病院や宿屋で生まれたら羊飼いたちは決して近づけなかったでしょう。その後、神を知らなかった東方の異邦人博士たちもその誕生の喜びに招かれ、輝きを受け取りました。貧しい人も高貴な人も近くの人も遠い人も、すべての人がこの救い主誕生の喜びと輝きに招かれているのです。

 しかし皆が自分の心の貧しさや心の闇を認める必要があります。それはこの方がすべての人を照らすまことの光だからです。あなたのすべての罪の裁きを身代わりに受け、闇をいのちの光に輝かせるために救い主イエス・キリストはこの地上に来てくださったのです。この救い主をあなたも受け入れ、まことの光の輝きと赦しのいのちを受け取りませんか? あなたも内側から輝く者、神の子どもへと変えられていくのです。

 「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権を」神はあなたに「お与えに」なるのです(ヨハネ 1章12節参照)。

  (PBA制作「世の光」2016.12.23放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■ことばは住まわれた / 福井 誠

2016年12月29日 | Weblog
2016/12/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「ことばは住まわれたた」です。それではヨハネの福音書1章14節から読んでみましょう。
 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

 イエスが降誕されたクリスマスの日を祝う時となりましたね。今年のクリスマスは教会でぜひ過ごしたいところですが、皆さんの予定はどのようでしょうか。日本中の教会でこの時期は、どんな人でも尋ねやすいようなクリスマシン集会が企画されていることと思います。礼拝はクリスチャンが行くものと思わずに、ぜひ気軽に尋ねてくださればと思いますね。

 さてイエス様の弟子ヨハネは、イエス様のことを「ことば」と表現し、その「ことばが人となって私たちの間に住まわれた」と言います。つまりクリスマスにイエス様が降誕された、誕生されたと語っていますね。

 先週はイエス様にいのちがあることを話しました。そのいのちは長い永遠のいのちであり、また人の人生に神の力をもたらし、闇を打ち破りすべてを新しくする良いいのちでもあるとお伝えしました。

 今日の聖書のことばは、そのいのちを宿した神であるお方が、神であるあり方を捨てて実際にこの地上に私たちのそばに来てくださって、私たちと共に住んでくださったというのです。これは驚くべきことを語っていますね。

 確かにイエス様はイスラエルのナザレという貧困の村にマリヤとヨセフの子どもとしてお生まれになりました。そして隣近所の子どもたちと時を過ごして人間関係を学びながら、一緒に成長しました。更に早くして亡くなったとされる父親に代わって家族を支えられました。そして30歳となって公の場に出て、神の栄光の福音を語り始められたのです。

 ヨハネは言いますね。
いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」(ヨハネ 1章18節)
 イエスがこの地上に降りて来られたのは、神ご自身の栄光とその祝福を告げ知らせるためです。

 ぜひこのクリスマス、教会でイエスがどんな方であったのかに耳を傾けていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2016.12.22放送でのお話より )

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■光は闇の中に輝いている / 板倉邦雄

2016年12月28日 | Weblog
2016/12/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「光は闇の中に輝いている」という題でお話ししましょう。

 「この世は何から何まで真っ暗闇だ」と言った人がいます。なぜなら、正義が通らず悪がまかり通っているからです。すなわちこの世は暗闇の世界だからと言うのです。停電になって真っ暗闇になりますと小さな子どもたちは泣き出します。大人である私たちも不安になったり怖くなったりしますね。昔は停電になりますと蝋燭を灯します。家族はホッとして蝋燭の周りに集まりました。ですから暗闇が怖いのではなくて光が無いために怖くなると言うことが分りますね。

 ヨハネの福音書1章4節から5節にはこう書いてあります。
 「この方 --イエス・キリスト-- にいのちがあった。このいのちは人の光であった。 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

 イエス・キリストは私たちにとっていのちの光と言われています。しかもこの暗闇の世に輝く光と言われているのです。イエス様ご自身、人々に向かってこう言われました。
 「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう。」(ヨハネ福音書8章12節 口語訳聖書)

 光と闇でどっちが強いでしょうか。もちろん光ですね。光によって暗闇は消えてゆくのです。イエス・キリストは私たちの光としてこの世に誕生してくださいました。私たちがこの光としてこの世に来てくださったイエス・キリストを心に受け入れ信じるとき、私たちは光の子どもとなって、決して闇の中を歩むことが無いのです。そして光の子らしく歩くことができるのです。

 時々こんな相談を受けます。「心が不安で心配で一杯です。どうしたらいいでしょうか。」 私は逆に質問します。「暗い部屋を明るくするためにはどうしたらいいですか? 電灯を点けたりカーテンをあけたりします。」 そうですねえ、暗闇をほうきで掃き出す人はいませんね。心が暗くなったり沈んだりする時には光を取り入れればいいのです。苦しみや困難というこの世の闇が私たちを覆い尽くしても、私たちの光としてこの世に来てくださったイエス・キリストとこの年のクリスマスにあなたが出会っていただきたいのです。生きる力となるでしょう。

  (PBA制作「世の光」2016.12.21放送でのお話より )

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■星に導かれて -3 / 大嶋重徳

2016年12月27日 | Weblog
2016/12/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
聖書には、イエス・キリストの誕生の際に、東の方からやって来た博士たちの物語が記されています。

すると博士たちがエルサレムに来て目にしたのは残虐なヘロデ王と恐れ惑うエルサレムの人たちだったのです。実は聖書の舞台のイスラエルでは、旧約聖書の預言に従って時代に不満を持つ人々がメシア待望論の声を上げることがたびたびありました。しかしメシアを待ち望むとは、王よりも上の存在を持ち望むということを意味します。このメシア待望説が国中で起こって来るとき、残虐なヘロデ王は敏感に反応し、すぐさま恐怖政治を行うだろうと予想されたのです。きっとまた誰か死ぬことになる。それが人々が恐れ惑った心境だったのです。

 更に人々だけでなく神殿に仕える祭司たちもヘロデの顔色を窺っていました。だからこそ彼らはベツレヘムでキリストが生まれることを突き止めていてにもかかわらず、誰もベツレヘムに向かおうとしなかったです。それは下手に自分がキリストの誕生を確認したりすると、ヘロデは私を殺すかもしれない、と恐れたのでしょう。そしてヘロデ王が「行って幼子のことを調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」と言うのを聞いて、ヘロデ王と同じ態度に出る方が得策、そう空気を呼んだら祭司・学者たちは誰一人ベツレヘムに行こうとはしなかったのです。つまり、聖書のことばよりも、王の気持ちに彼らの心は向いていたのです。

 イエス・キリストはイエス・キリスト生まれるコトを待ち望んだ人達に迎えられたのではなく聖書の預言のことばよりも大野気持ちを優先する人達がたくさんいる時代の中でキリスト大盛りなったです。むしろイエス・キリストに就くよ待ち望んでいた博士たちの方がこのエルサレムにあって空気の読めていない生き方だったのです。2人でクリスマスに友達を効率を過ごすことよりも教会の礼年に行くことも空気の読めていない生き方なのかもしれません。しかしイエス・キリストは時代の空気を読むことよりも青春のことばに従って生きる私たちを喜んで迎えてくださいます。にイエス・キリスト生きるとはむしろ日との産めを畏れて生きる生き方からあなた開放されてイエス・キリスト生きる人生と歩いていくこととなるのです。

  ( PBA制作「世の光」2016.12.20放送でのお話しより )

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■暗闇を照らす光 / 関根弘興

2016年12月26日 | Weblog
2016/12/19放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今週もクリスマス・スペシャルとしてお届けいたします。

 新約聖書ヨハネの福音書1章4節と5節に、
 「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
 このように記されています。

 「この方」とはイエス・キリストのことです。イエス・キリストは闇を照らすまことの光として来てくださったのだと聖書は伝えています。そしてこのことは私たちに三つのことを教えてくれます。

 第一は、光というものはありのままの姿を照らし出すということです。埃だらけの部屋を真っ暗にしていれば埃があることすら分りません。しかしそこに明かりが灯されたらその汚れた部屋はそのまま明るみに出される訳です。イエス・キリストは光なる方ですので、あなたの汚い部分も照らし出して行くのです。それはあなたにとって辛い現実となるかもしれません。自分の弱さや穢れというものは隠したいものです。しかし光なるキリストはあなたの心の中を照らしていくのです。しかしこれこそ新しい人生の第一歩となるんです。

 そして第二は、光はあなたの汚(よご)れを綺麗にするということです。光なる方として来てくださったイエス・キリストは、あなたの汚い罪を取り除き、清め、赦してくださる方なんです。

 イエス・キリストが来られた目的は何でしょう。それは私たちの罪を背負って身代わりとなって十字架についてくださることでした。あなたの罪を身代わりに背負い、あなたに罪の赦しの道を届けるために来てくださったんですね。

 そして第三は、光はあなたの道を照らす光となるということです。イエス・キリストは十字架につけられましたが、三日目に復活され今も生きておられる、と聖書は教えています。イエス・キリストによって自分が照らされ罪が赦されたならば、この復活の主と共に歩んで行くのです。

 イエス・キリストは、「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ 8章12節)と言われました。そしてイエス・キリストは、「わたしはあなたを捨てて決して一人ぼっちにはしない」(ヘブル 13章5節参照)と約束してくださっているのです。イエス・キリストはあなたの道を照らすまことの光です。そしてあなたと共に歩んでくださるのです。

 このキリストと共に新しい出発をこのクリスマスからスタートしませんか?

(PBA制作「世の光」2016.12.19放送でのお話しより)

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■私を贖う方キリスト / 羽鳥頼和

2016年12月24日 | Weblog
2016/12/17放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は旧約聖書のヨブ記にあるキリストの預言についてお話しします。

 ヨブ記の主人公であるヨブは大きな苦難に遭いました。そんなヨブの所に3人の友人がやってきました。ところが友人たちとの語らいは議論になってしまいました。そして解決のないまま、とうとうヨブと友人の議論は終わってしまいました。するとやっと神がヨブに語りかけられたのです。

 ヨブ記の41章で、神は恐ろしい怪獣のことを話されました。
 「そのくしゃみはいなずまを放ち、その目は暁のまぶたのようだ。その口からは、たいまつが燃え出し、火花を散らす。その鼻からは煙が出て、煮え立つかまや、燃える葦のようだ。」(18節~20節)
 まるでゴジラのようですね。

 神はヨブに、このゴジラのような怪獣を自分の力で御することができるか、と詰問します。
 「ヨブよ。おまえは自分が正しいと言って、それなのにこんな苦しみに遭うのはおかしい、と言う。そして神が間違っていると言っている。それは自分を神と同じ偉大なものとしているようなものだ。それなら神が作ったこの怪獣を御してみなさい。」

 そのことを聞いたヨブは恐れて神に言いました。
 「私が間違っていました。わたしは傲慢になっていました。私は塵と灰の中で悔い改めます。」(ヨブ記 42章6節参照)
 自分自身の愚かさを知ったヨブは悔い改めました。

 そんなヨブは以前から神の救いを待ち望んでいました。そして神と自分との間に仲介者としての救い主が与えられることを確信していました。ヨブは言っています。
 「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。」(ヨブ記 19章25節)

 この「私を贖う方」こそイエス・キリストです。ヨブは苦しみの暗闇の中で一筋の光である救い主を見たのです。そして救い主を通して与えられる神の救いを期待しながら苦しみを耐え忍んだのです。それだけではありません。苦しみの中でもヨブは救いを与えてくださる神を誉めたたえたのです。

 明日は日曜日です。救いを与えてくださる神を誉めたたえるために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2016.12.17放送でのお話より )
 
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■ひかりは闇の中に輝いている / 岩井基雄

2016年12月23日 | Weblog
2016/12/16放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 町にクリスマス・ソングが溢れ、クリスマス・デコレーションの美しい季節になりましたね。キリストの誕生を祝うクリスマス。なぜ全世界で祝うのでしょうか。聖書はキリストが神の御子であり、全世界を創造された方だと語っています。そして私たちの心の闇また世界の闇に光といのちを与えるためにキリストはこの地上に来てくださったのだと語っています。

 私たちの理解の範囲を超えるような表現ですが、キリストの弟子の一人ヨハネがその事を明確に表現しています。その箇所をお読みします。「ことば」と表現されている方こそキリストのことです。
 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
       新約聖書 ヨハネの福音書 1章1節から5節

 ヨハネは注意深く、キリストが神であり世界の創造主であり、人に真のいのちを与える方であり、その光は闇の中に輝く、と語りました。人間の心には確かに闇があります。人を憎み妬む自己中心の罪の闇が私たちの心にはあるのです。しかしその闇を照らし、その心を輝かせるために、まことの光であるキリストは来てくださったのです。

 光には主に四つの働きがあります。照らし、温め、導き、育てることです。キリストの光は私の心を照らし、心の闇や罪の姿を明らかにします。しかしキリストは私の罪の裁きを身代わりに受け、死を経験するために肉体をとってこの地上に来てくださったのです。ここには無条件の愛があります。それゆえこの光は私の心を愛で温め、正しい道へと導き、弱い私たちの心を育て成長を与えてくださるのです。あなたのためにキリストはこの地上に来られました。あなたも自分の心の闇・罪を認め、愛と命を与える救い主キリストを心に迎え、その愛によって輝く人生を歩み出しませんか?

  (PBA制作「世の光」2016.12.16放送でのお話しより)

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■いのちがあった / 福井 誠

2016年12月22日 | Weblog
2016/12/15放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「いのちがあった」です。それではヨハネの福音書1章4節、5節を読んでみましょう。

 「 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

 聖書は、イエスにいのちがあった、と語りますねえ。聖書でいのちという場合には、少なくとも二つの意味があります。

 第一にそれは、逆説的な言い方ですが終わりのないいのちです。イエスのいのちは長く続くいのち、永遠のいのちですね。イエスは昨日も今日もいつまでも変わることがありません。尽きることも色褪せることもなく、枯れることもなく、永遠に続くいのちを持っておられます。イエス様はそのいのちを私たちと分かち合うことができます。どうでしょうか、そのような永遠に続くいのちを自分も持ちたいと思う人は多いことかもしれませんね。

 しかし一方でただ長いだけのいのちなんてもらってもしょうがないなと思う人もいるでしょうねえ。このままの余りぱっとしない退屈な人生が長く続くのもなあ、と。それに弱さを抱えて愚かな自分の現実を覚えるときに、このままでずっと生きていくなんて、それも大変だなあと思う人もいるでしょう。

 そこで第二に、イエスにいのちがあったというときに覚え欲しいことは、そのイエスのいのちはただ長いというだけではないってことです。それは私たちの人生に新しさをもたらす力あるいのちです。私たちの弱さを補い、愚かさを賢さに変え、人生の方向性を実りあるものに変えていくいのちですねえ。

 そのようないのちを持つお方であるからこそ、イエスは人類の希望であり光なのです。そしてそのいのちは力強いので、どんな闇もこれを覆い尽くすことはできません。闇を打ち破る力ある命をイエスは私たちと分かちあってくださる、とヨハネは聖書を通して語っているのです。

 イエスの降誕を祝うクリスマスの日が近づいておりますが、ぜひこの機会に教会を訪ねて、イエスにあるいのちがどのようなものなのか、更に詳しいメッセージを聞いてみませんか? 一度限りの人生、素晴らしい人生の可能性に心を留めていただきたいと思います。

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■星に導かれて -2 / 大嶋重徳

2016年12月20日 | Weblog
2016/12/13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
聖書には、イエス・キリストの誕生の際に、東の方からやって来た博士たちの物語が記されています。
東から来た博士たちは長い時間をかけてエルサレムにたどり着きました。そして町の人に聞いたのです。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか? 私たちは東の方でその方の星を見たので拝みに参りました。」 彼らはここに来れば既に聖書のことばに従ってユダヤ人の王の誕生を喜んでいる人たちがたくさんいるだろうと考えていたことでしょう。しかしエルサレムには誰一人、メシヤの誕生を祝っている人はいなかったです。エルサレムにいたのはギラギラとした目で「行って幼子のことをさ詳しく調べ、分かったら知らせてもらいたい。」というヘロデだけだったのです。

 実はこのヘロデという王は政治的に非常に有能な人物で、この国で農業と商業を発展させ、ユダヤ人のためにものすごく豪華な神殿を建てます。それと同時にヘロデは自分の王位を脅かす者には容赦せず、十人いた妻の半数以上、更に二人の自分の子どもも殺害するほどの残虐性がありました。ヘロデにとってメシヤ誕生の知らせは自分の王位を脅かす存在として映っていたのです。

 やがてメシヤ誕生の知らせを告げずに自分の国に戻った博士たちに怒ったヘロデは、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の子どもたちを皆殺しにします。そういうことを平気で行う恐怖政治をヘロデはこの時代に行なっていたのです。実はイエス・キリストが生まれた時代は恐怖に満ちた王のいる時代だったのです。

 なぜキリストは平和な時代に安全に生まれて来なかったのでしょうか。それはイエス・キリストが暴力と争い・混乱に満ちた時代に、平和をもたらす救い主だったからです。暗い時代の中でキリストは「平和の君」と呼ばれます。平和を生み出すためにイエス・キリストはこの地上に来られたのです。

 そして今も戦争が絶え間なく起こるこの時代の中で、私利私欲に満ちた権力者の横暴さが溢れていたとしても、神は真っ只中にご自身の独り子をこの世に送り出される神です。争いのない時代に生まれて来る救い主ではなく、争いのあるところに平和をもたらす救い主として、私たちも争いのただ中であったとしても、キリストを待ち望むクリスマスを過ごしたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2016.12.13放送でのお話しより )

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