♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■口も重く、舌も重い  / 板倉邦雄

2014年12月31日 | Weblog
2014/12/31放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は、「口も重く、舌も重い」という題でお話ししましょう。

 「口上手の商い下手」ということわざがあります。口では達者ですけれども商いとなるとどうしょうもない人を言います。ところで、モーセという人は口は重く舌も重い、いわゆることばの人ではありませんでした。しかし協力者を得てエジプト脱出という大事業を成し遂げたのです。

 さてモーセは主なる神に続けて訴えました。「ああ主よ。私はことばの人ではありません。私は口も重く舌も重いのです。」

 主なる神は答えました。「誰が人に口を授たのか。耳は、目は、誰が与えたのか。口べたや不自由な耳や目を与えたのも主なるわたしではないのか? それゆえ、行きなさい。わたしはあなたの口と共にあって、あなたの言うべきことを教えるであろう。」

 それでもモーセは言い返し、訴えました。 「ああ主よ。どうかは他の適当な人をお遣わしください。」
 
 とうとう主なる神様はモーセに向かって怒りました。「あなたの兄弟にはアロンという兄がいるではないか。私はアロンがことばに優れているのを知っている。見なさい。兄があなたに会うためにやってくる。あなたはアロンに語るのです。あなたのことばをアロンの口に授けなさい。わたしはあなたの口と共にあり、アロンの口と共にあって、あなたがたのなすべきことを教える。アロンはあなたに代わってわたしのために語るであろう。アロンはあなたの口となり、あなたはアロンのために神に代わるであろう。あなたはその杖を手に取り、杖をもってしるしを行いなさい。」

 さて、この世にはことばの人もいれば口下手の人もいます。足の人もいれば手の人もいます。目の人がいて耳の人もいるでしょう。この人間の社会はあたかも一人の人間のそれぞれの器官のようですねえ。口は口のためではなく他の体のためにあります。手や足も同じです。私たちは自分のために存在するのではなく、他者のために存在し生きるとき、本来の私が生かされていくのです。主なる神様はそのような存在と居場所を与えるために私たちお互いをこのように置いているのではないでしょうか。

 さて今年一年お聴きくださって、ありがとうございました。では来年もよろしく。

 (PBA制作「世の光」2014.12.31放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■お言葉どおりなりますように (5) / 大嶋重徳

2014年12月30日 | Weblog
 2014/12/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。新約聖書ルカによる福音書1章には、婚約期間中に御使いによって妊娠を告げられたマリヤが、「あなたのおことばどおりこの身になりますように。」(ルカ 1章38節)と御使いの受胎告知を受けとめます。婚約期間中の女性に起こったこの大スキャンダルを、どうしてマリヤは「おことばどおりに」と言うことができたのでしょうか。

 この理由の三つめのことは、御使いの言った「主があなたとともにおられます。」(ルカ 1章28節)ということばでしょう。婚約者がいる中で妊娠するという苦難に出会ったマリヤにとって、その心の内側には様々な思いが胸に去来し、大声で怒り叫びたくなるような思いがあったでしょう。一体なぜなんですか?、と神様に問い詰めたい思いがあったと思います。

 しかしこの出来事の中でマリアは「主があなたとともにおられます。」という声を聞きます。主がここに共にてくださるのだ、そう思う時、神様がそばにおられるという安心がマリヤの中に最初から最後まであったのではないかと思います。私は一人でこの大変な状況を生きているのではない。一緒にいてくださる神様の大きな御計画があるのだ、と。このことがすべてのマリヤの問いを、マリアの叫びを胸に仕まわせることばであったと思います。

 クリスマスの中心のメッセージは、神があなたと共におられる、ということです。クリスマスを終えて私たちは、今週一年を終える時を持とうとしています。私は一年を終える時に、いつも一人きりになる時間を持ちます。そして手帳を振り返りながら、この時のこの大変な所に神様がどのように私と共にいてくださったのだろうか、と考えるのです。そこで私たちは神様に叫んで良いのです。なぜなら、そこにはこの叫びを聞いてくださる神様が共におられるからです。私たちの苦しみは次の年もいくらでも起こって来るでしょう。しかしこの苦しみの真っ只中でも、私たちはクリスマスに、「主があなたとともにおられます。」という聖書のことばを聞きました。そうする時、私たちはこの神様の恵みによって新しい年も「おことばどおりこの身になりますように。」と神様に期待をして祈る祈りが生まれていくのです。

  ( PBA制作「世の光」2014.12.30放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■信仰に生きる / 関根弘興

2014年12月29日 | Weblog
2014/12/29放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 あなたは電車に乗るとき、片足を電車に、片足をホームに置いてじっとしていることなんてありませんよね。なぜならそのままでは発車と同時に転んでしまうからです。思い切って電車に乗り込めば目的の場所に行くことができますよね。実は信仰というのも同じように思うんですねえ、どっちつかずではなくて思い切ってイエス様に人生を委ね、おまかせして生きること、これが大切だと思うんです。なぜなら神様は必ずすべてを最善に導いてくださるからです。

 でも時々、信仰を持って生きるということは何か不自由になるのではないかと考える人もいるんですね。信仰を持ったらあれもだめ、これもだめ、窮屈な生活が待ってるのではないか、何かたくさんの戒め・戒律を守って生きていくことではないか、というに考えてる人もいるんです。

 しかしそうではありません。新約聖書のガラテヤ人への手紙5章1節にはこう書かれています。
 「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。

 こう書かれているんですね。イエス様にすべてを任せ信頼し生きていくことは、様々な束縛から解放されて自由に生きることに繋がるんだ、と聖書は約束しています。もちろん、イエス・キリストの弟子たちを見ても分かる通り、イエス・キリストを信じ従っていったからといって、その後の生活が完全なものになるわけでありません。時には失敗がありますし、挫折もあるし、試練もあります。

 例えば、あのイエス・キリストの弟子のペテロは、イエス・キリストが捕えられ審問を受けている時、何と三度も「イエスなど知らない!」と否定してしまいましたね。しかしペテロはその大失敗の経験を通して自分の弱さを知ることになったんです。そして、こんなイエス様を三度も否定してしまった自分を赦してくださり慈しんでくださるイエス・キリストの愛を体験していったんですねえ。彼は失敗しましたが、その後立ち直ってイエス・キリストの福音を大胆に宣べ伝えるものとされていきました。

 私はあなたにぜひ知って欲しいんです。私たちは完全なものなど一人もいません。失敗があるし、つまずきがあります。しかしそんなあなたの傍らにいつもイエス様の愛の眼差しが注がれていることを知って欲しいんです。信仰に生きることは戒めや戒律に生きることではなくイエス・キリストの愛の眼差しを受けながら与えられた毎日をそしてこれから迎える新しい年を精一杯生きていくことなんですね。

 (PBA制作「世の光」2014.12.29放送でのお話しより)

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■奴隷船船長だったジョン・ニュートン / 羽鳥頼和

2014年12月27日 | Weblog
2014/12/27放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 クリスマスはいかがお過ごしだったでしょうか。

 旧約聖書の詩篇68篇20節にこのようにあります。
 「神は私たちにとって救いの神。死を免れるのは、私の主、神による。

 今日はこの詩篇のみことばの通り、神様によって死を免れて素晴らしい人生を生きることができた人のことをお話しします。その人はジョン・ニュートンと言います。彼はアメイジング・グレースという有名な讃美歌を作った人です。彼は牧師でした。この讃美歌の1節には「驚くばかりの恵みなりき。この御の穢れを知れる我に。」と歌われています。驚くべき恵みだ、神様はひどい罪人であった私を救ってくださった、というのです。

 彼はどんなにひどい人だったのでしょう。彼は牧師になる前、船乗りでした。酒を飲んで喧嘩をしたり、女遊びをしたり、ギャンブルをするのが当たり前でした。その上彼は出世して奴隷船の船長となっていたのです。牧師になった時、彼は船乗りだった頃の自分が神を信じず、むしろキリスト教をバカにして自分勝手な生き方をしていたことを思い出して、「この身の穢れ」と言ったのです。

 彼はどのように救われたのでしょう。彼は船でひどい嵐に遭いました。その時、彼は神に裁かれると思い、恐怖に震えました。何とか嵐を切り抜けた彼は一心に聖書を読みました。そして、「たとえ悪い者であっても神は求める人に聖霊を与えてくださる。」というイエスのことばに慰めを受けました。彼はイエスを救い主と信じたのです。しかし彼は自分の罪についてよく分かっていませんでした。自分が奴隷船の船長であることを初めは気にも留めていませんでした。しかし聖霊によって彼は自分の罪を教えられていきます。そして船長をやめた彼は牧師となったのです。

 アメイジン・グレースの最後の歌詞で、「御国に着く朝、いよよ高く、恵みの御神をたたえまつらん。」と歌っています。永遠のいのちをいただいたジョン・ニュートンは天国で神を賛美することを驚くべき恵みであると感謝したのです。

 神は私たちにとって救いの神です。死を免れて永遠に神の恵みに生きることができるようにしてくださるのです。

 明日は今年最後の日曜日です。私たちの救いの神を礼拝しましょう。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2014.12.27放送でのお話より )
 
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■人生のどん底から ~好地由太郎(こうち・よしたろう)の変化~ / 岩井基雄

2014年12月26日 | Weblog
2014/12/26放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今年一年も多くの悲しみがありましたが、今日はどん底のような人生から真のいのちへと導かれた人、好地由太郎(こうち・よしたろう)についてお話ししたいと思います。

 由太郎(よしたろう)は慶応元年(1865)に今の千葉県君津市に生まれました。彼の一家は、数々の災難から田畑と家屋敷を失い、離散します。孤児となった由太郎はある農家に引き取られ、父親の残した借金返済のために4年もの間、奴隷のように働かされました。心に怒りを抱えたまま14歳の時に上京した彼は、店の金を持ち逃げし、18歳の時には強姦や放火、遂には殺人の罪をも犯して捕えられてしまい、牢獄の中にあっても牢名主となって囚人全体をしきるようになりました。

 しかし彼はその監獄の中で、手違いで重罪犯の監獄に送られてきたクリスチャンの青年と出会います。囚人たちから暴行を受けても「この方々の罪を赦してください。」と真剣に祈るこの青年の姿を見て、「どうすれば君のような心になれるのか」と由太郎は青年に聞いたのです。青年は由太郎に聖書を読むことを勧めました。

 文字の読めなかった由太郎でしたが、彼は文字の勉強をして聖書を読もうと決心します。彼をからかう囚人たちの迫害にもめげずに勉強を続けたのです。 明治25年にクリスチャンの留岡幸助が囚人たちを導く教誨師として就任してからは迫害は止まりますが、彼が去ってからは更に迫害が強まってしまいます。すると由太郎は、あえと独房入りを願い、その独房の中で新約聖書、旧約聖書の殆どを暗記してしまったのです。その中で彼は神様の前に心から自分の罪を認め、悔い改め、そしてイエス・キリストにある救いを受け取っていったのです。

 明治37年に釈放された彼は巣鴨にいる留岡幸助のもとで教師を務めた後、中田重治らのクリスチャンたちと共に各地を伝道して神の愛、キリストによる救いを伝え続けたのです。神様はどん底を歩む人と共に歩んでくださり、その愛は人を変えていくのですね。

 聖書のことば
   「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
        新約聖書 コリント人への手紙第二 8章9節

(PBA制作「世の光」2014.12.26放送でのお話しより)

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PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■心の貧しい者は幸いです  / 福井 誠

2014年12月25日 | Weblog
2014/12/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブルメッセージは「心の貧しい者は幸い」です。

 それではマタイの福音書5章3節から読んでみましょう。
 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

 先週はヤマト運輸の故小倉昌男社長のお話をいたしました。今年のクリスマスも皆さんはそのサービスを利用されているかもしれませんねえ。今回も、きっとクリスマスにはそのサービスに触れているかもしれない人、山崎パンの飯島延浩社長を取り上げましょう。

 飯島さんは、今から約40年前ですが、会社の経営で難しい所を通る中でキリスト教信仰に触れ、信仰を持つに至りました。洗礼を受けた十日後に山崎パンの社運をかけて建設した武蔵野工場が火災に遭い全焼してしまいました。飯島社長はこの試練の中で祈り、社主であるご両親と共に一つの結論に達したと言います。それは、この火災は山崎パンが余りにも事業本位に仕事を進めてきたことに対する神の戒めで、今こそ神の御心に適う会社に生まれ変わる時だということでした。まさに目に見えない新しい出発をしたのですね。もちろんその後も経営者としていろいろな試練を通ったようなのですが、聖書を繰り返し学ぶ中で、まさに主イエス・キリストの教えである山上の説教がそのまま命の道・神の祝福の道であることを悟らされ実践することを教えられたと言います。

 そういう意味で、今日取り上げた「心の貧しい者は幸いです」は飯島さんが大事にしておられるイエスの山上の説教とされる冒頭の1節です。 飯島社長は、「心の貧しい者」というのは心低くへりくだった人のこと、自己主張が強い人とは反対で、周囲の人を非難したり否定したりもせず会社全体に与えられている使命を優先させる人である、と言います。そう考えてみるとイエス様ご自身、2000年前になぜこの地上に神の子としてお生まれになったのかと言えば、神のご計画である全人類の救いのために十字架にご自身をお捧げするためでした。イエス様こそまさに心貧しく、心低く、そして全人類へのための必要を最優先させたお方ですねえ。

 今日はクリスマスです。教会の敷居が低く感じられるこの日、ぜひ教会へお尋ねくださり、イエス様の素晴らしさについて知っていただきたいと思います

(PBA制作「世の光」2014.12.25放送でのお話より )

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■「我、ここに立つ」 / 板倉邦雄

2014年12月24日 | Weblog

2014/12/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。クリスマスおめでとうございます。今日は「我ここに立つ」という題でお話ししましょう。

 キリストに出会って人生が変えられた人物を取り上げていますが、先週に続きマルチン・ルターを紹介します。

 私たちプロテスタント教会では毎年10月31日を宗教改革記念日として守っています。1517年10月31日、34歳だった修道士マルチン・ルターがヴィッテンベルグ城の教会の木の扉に95箇条からなる提題(※討論を呼びかけた命題)を打ち付けたからです。宗教改革の幕開けでした。この95箇条からなる提題は当時のローマ・カトリック教会の免罪符販売に関する提言でした。マルチン・ルターの95箇条の提題の一部を紹介しましょう。
 第1条 我々の主で師であるキリストを信じる者の全生涯が悔い改めであることを求めている。
 第4条 悔い改めは天国に入るまで続く
 第86条 今日でも豊かな財産を持っている教皇がなぜ貧しい信者の金でなく、自分の金で聖ペテロ大聖堂の一つを建てないのか
 第95条 キリスト者は偽りの平安の安心感に委ねるよりも多くの苦難によって天国に入ることを信じなければならない。

 ルターが提言で言いたいことは私たちにとって最も大切なことは神への悔い改めと主イエス・キリストへの信仰だということですね。そしてマルチン・ルター37歳の時、ローマ・カトリック教会から正式に破門され、国会での審問が始まりました。そこでルターははっきりと自分の意思を述べたのです。
 「私の良心は神と神のことばによって固く結ばれています。わたしはここに立っています。神よ、私を助けてください。アーメン。」

  我ここに立つ。私たちの信仰と生活の唯一の基準はただ聖書のみ、というルターの立場です。ただ信仰のみ、ただ神の恵みのみ、というプロテスタントの宗教改革三つの旗印となってゆくのです。

 ところで今日はクリスマスイブです。ぜひ近くの教会へお出かけになりませんか。

 (PBA制作「世の光」2014.12.24放送でのお話より )

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■お言葉どおりなりますように (4)  / 大嶋重徳

2014年12月23日 | Weblog
 2014/12/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。みなさんはイエス・キリストの母マリヤを御存知でしょうか。新約聖書ルカによる福音書1章には婚約期間中に御使いによって妊娠を告げられたマリヤが「おことばどおりこの身になりますように。」ルカ 1章38節)と御使いの受胎告知を受けとめます。婚約期間中に女性に起こったこの大スキャンダルをどうしてマリヤは「おことば通りに」と言うことができたのでしょうか。

 その理由に、「ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。・・・神にとって不可能なことは一つもありません。」 (ルカ 1章36、37節) 御使いはマリヤに、エリサベツことを聞いているでしょう、と言ったのです。マリヤは御使いが去って行った後、「立って、山地にあるユダの町に急いだ。」(ルカ 1章39節)とあります。この「急いだ」というのにマリヤの心が表れています。彼女は一人じゃいられなかったんです。自分に起こった出来事一緒に受けとめてくれるであろうエリザベツに会いに行こうとしました。マリヤは婚約者ヨセフに会いに行くことはできませんでした。自分の両親にも話せないことだったのです。マリヤは「おことばどおりこの身になりますように。」と言った瞬間から、おそらく後悔も生まれたことでしょう。心配で不安でこの先起こることが怖くて、ようやくたどり着いたエリサベツの家。すると彼女は大喜びでマリヤを迎えてくれました。「マリヤは三か月ほどエリサベツと暮らして、家に帰った。」(ルカ 1章56節)とあります。

 マリヤにとって自分の人生に突如起こったこの驚きの出来事を神の恵みの中のことなんだと受け取れたのは同じ信仰者の交わりでした。このエリザベツと過ごした交わりからマリアの唇には賛美が生まれます。ここで歌ったマリアの歌こそマリヤ賛歌かと呼ばれる全世界で歌われる讃美歌となったのです。多くの人の苦しみの中で絶望の中で不安の中で歌われる歌となりました。

 神様は今日も私たちに「おことば通りに」と聖書のことばを受け取った交わりを備えていてくれます。お近くの教会にはこの信仰者の交わりがあなたを迎えてくれるでしょう。ぜひお近くの教会にこのクリスマス、行っていただきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2014.12.23放送でのお話しより )

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■イエスキリストとの出会い  -三浦綾子-  / 関根弘興

2014年12月22日 | Weblog
2014/12/22放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 1963年、朝日新聞社が1000万円懸賞小説の公募を行いました。この公募に投稿し見事入選した作品が小説『氷点』です。この小説は後に大ベストセラーになりました。この『氷点』の著書は三浦綾子さんです。三浦さんは結核や脊椎カリエスなど度重なる病魔に苦しみながら77才で亡くなるまでクリスチャン作家として多くの著作を発表してきました。三浦綾子さんはクリスチャン作家としてイエス・キリストの十字架の圧倒的な愛に心動かされた一人でした。三浦さんは自分がクリスチャンになった時のことをこう語っています。
 「私は虚無的な日々を送っていた。だがそんな生き方をもし続けていたら一体私の一生はどんな一生になったことだろう。こんないい加減なその日暮らしの生活に何の実りがあったろう。かけがえのないいのちをいたずらに滅ぼしてしまったに違いない。この私自身の心のきたなさ、醜さのために、罪のために、イエスは十字架にかけられたと知った時、私の生活は変わったのだ。」

 三浦さんの生涯を変えた出会いはイエス・キリストとの出会いでした。そしてこのイエス様が自分の心の醜さや罪のために十字架についてくださるほどの大きな愛を注いでくださったということを知った時に人生が変わったのだと書いているんですね。人はこの愛によって変えられていくのです。三浦綾子さんを変えた愛はあなたを変える愛でもあるんですねえ。

 今はクリスマスの時です。クリスマスとは一体何でしょう。それはあなたのためにいのちを懸けあなたを愛してくださるイエス・キリストが来てくださったことを記念する一時です。

 聖書の中に最初のクリスマスのことが書かれています。それは羊飼いたちが野宿で夜番 をしながら羊たちを見守っている時でした。突然まぱゆいばかりの光が照り渡り、羊飼いたちはこう告げる声を聞いたのです。
 「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ 2章11節)

 羊飼いたちはその知らせを聞くと、急いでベツレヘムに行き、飼い葉桶に寝ておられる幼子イエス様を探しあて礼拝しました。クリスマスは救い主の誕生の知らせの時なんですね。そしてその知らせは今もあなたに語られているんです。ですからこのクリスマスの時、あなたもお近くの教会に行って本当のクリスマスのひと時を過ごしてみてはいかがでしょうか。

 (PBA制作「世の光」2014.12.22放送でのお話しより)

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■最初の日本語聖書翻訳を手伝った音吉 / 羽鳥頼和

2014年12月20日 | Weblog
2014/12/20放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 名古屋の南、知多半島の美浜町に聖書和訳頌徳碑という記念碑が建っています。これは聖書の最初の日本語訳であるギュッツラフ訳の翻訳を手伝った人たちがこの町の船乗りだったからです。その三人とは音吉(乙吉)・岩吉・久吉と言います。今日はこの3三人の内の一人、音吉のことを話したいと思います。

 音吉は14才の時、宝順丸という船に乗って江戸に向けて出港しました。ところが途中で嵐に遭い、難破し漂流してしまいます。14ヶ月間も太平洋を漂流した後、アメリカの西海岸に漂着した時には生存者は音吉たち三人だけでした。そんな彼らのことを知ったイギリスの貿易会社が彼らを日本に連れ帰ろうとします。アメリカからイギリスに渡りマカオへ。そして沖縄の那覇を経由して江戸の近海にやってきました。漂流してからおよそ7年が過ぎていました。もうすぐ国に帰れるというその時、音吉たちの乗っていた船(※モリソン号)は砲撃を受けます。音吉は日本の地を目の前にして引き返さなければなりませんでした。その後彼はシンガポールに移住してイギリス国籍を取り、ジョン・マシュー・オトソンと名乗ります。その後、音吉はシンガポールで病死します。49才でした。音吉が洗礼を受けたという記録はありませんが、彼はイエス・キリストのことをよく理解していたと私は思います。江戸に行く途中、マニラで音吉はギュッツラフを手伝って聖書の日本語訳を行いました。このことはイエスを理解する助けとなったに違いないのです。彼らは新約聖書のヨハネの福音書を翻訳しました。そのヨハネの1章1節は現代の訳では「初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。」となっています。この「ことば」とはイエス・キリストのことです。ギュッツラフはこのイエス・キリストを意味する「ことば」について丁寧に説明したのだと思います。そして音吉たちはこれを「賢い者」と訳しました。音吉はイエスを「賢い者」と理解したのです。それはイエスが人を救い、人にいのちを与え、人を生かす方だからです。

 もうすぐクリスマスです。明日、キリスト教会では救い主イエス・キリストを覚えてクリスマスの礼拝を行います。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください

 (PBA制作「世の光」 2014.12.20放送でのお話より )
 
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