♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■ 新年へのはじまり

2004年12月31日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみやすお)です。

 暮れも押し迫り、最後の日になってしまいました。新聞やテレビ、ラジオでは今年一年起こった大きな出来事や心の中に残っていること、報道しています。また商売している人は年末の損益計算、まあ忙しい時ですね。

 私たち個人個人にとっても一年の区切りって意味がありますよね。今年一年、どんな良いことがあったか、そんなことを思い出していく、心に留めていくこと、大切な新しい年への備えとなるのではないでしょうか。

 聖書の中には、心の中にとどめていく大切なものについて言っています。新約聖書ピリピ人への手紙4章8節9節です。
 「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」というのです。

 でも現実に毎日、耳に入ったり、目につくことってのは、ニュースで報道されてるような不正やスキャンダルとか犯罪とか不真実なこと嫌なこと戦争のことまで、良いもの多くないですよね。だからこそ良いことに心を留めよ、って言ってるんでしょうね。

 心に留めるってことは、英語の訳の聖書では「考えよ」と訳しています。ですから自分から意図的に自覚して、考えていく、心の中にとどめていくってことの大切さを言っているんでしょうね。

 この一年いかがだったでしょうか。周りの人の中に、出来事の中に、意識して良いものを見る、心に留めていく、それ、大切なことですね。

 そして何よりも聖書には、創造者なる神が、真実な方、尊敬すべき方、正しくきよく愛の源である方と説明されています。それを具体的に見せるようなその生涯と人格、教え、それがイエス・キリストだというのです。ですかからこの神様にキリストに、心を留める、考える、信ずる、そういう所にその人自身がこのような良きものを身につけていく、行うことができるようになっていくというのです。そんな希望を持って新しい年に向かっていけたら幸いですね。

 ( PBA制作「世の光」12/31 放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。新年の計として「日曜日に教会に行ってみる」というのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■神への感謝と期待

2004年12月30日 | Weblog

 お元気でいらっしゃいますか? 世の光の榊原 寛(ひろし)です。
いよいよ2004年も、もう終わろうとしていますね。お忙しくしていらっしゃるでしょうか。この一年間も一所懸命お互いに頑張ってきたと思います。ほんとにお疲れ様、御苦労様でした。心から申し上げることができるような思いが致します。

 さて、この年が終わろうとする時に、あなたにお贈りしたい聖書のことば、新約聖書のテサロニケ人への第一の手紙の5章の16節からです。お読みいたします。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 私の恩師がいつも色紙に書かれることばがこれなんですねえ。「常時喜悦、不断祈祷、万事感謝」こんなふうにして色紙に書いていらっしゃった事を懐かしく思い起こします。

 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」これはまあ、お互いの目標でもありますけれども、過ぎ去った日々、いつも喜んでいるっていう訳にはいかなかったぞ。絶えず祈りなさいという訳にもいかなかった。結構つぶやきや文句もあったぞ。すべての事について感謝、冗談じゃない、すべてのことについてどうも文句が多すぎた。そんなようなお互いだったかもしれませんね。

 私の教会に以前来ておりました三歳になる、かおりちゃんという女の子がですね、ここの聖書の個所を教会学校の先生に教わってきたんですね。「いつも喜んでいなさい。」という短いフレーズでした。で、お父さんお母さんに、「私、聖書のことばを覚えてきたの。」「言ってごらん。」って彼女が言ったのは、「いつも喜んでいなさい。」と言ったつもりなんですが「いちゅもころんでいなさい。」そんなふうに言って、大笑いをしたんですが、いちいちいちいち今日も頑張るぞと言いながら、今年も頑張るぞと言いながら、何か今年も転んでいなさいじゃありませんけど、転んじゃったよなあ、捻挫をしたよう、骨折だようなんていうような一年であったかもしれません。

 けれども、この一年間、そんなことがあったからこそ、来年は神様の祝福をいつもいただくことができるぞ、そんなような年を迎えたいなあと思っています。ですから今あなたがそこにあると言いましょうか、そこにあなたがいらっしゃるということ、いらっしゃるそのことを喜ぶことができたら感謝ですねえ、素晴らしいですねえ。そして今どんな問題に取り囲まれましても、それを神様に向かって祈ることができたら素晴らしいじゃありませんか。そして、この神様が私のことについて、神様の御名のためにすべてを最善にされる、だから神様に感謝しよう!、そんな生き方ができたら素晴らしいと思います。 来年は、そんなふうにして御一緒に頑張っていきたいなあと思います。祝福を祈ります。

 (PBA制作「世の光」12/30放送でのお話しより )

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■ほしいだけ分けられた

2004年12月29日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。
 さ、今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。京都府にお住まいの鮫島ふく子さんからいただきました。

 毎朝4時半にお話しを聞いて、自分を反省しつつ生活しております。私の一日は世の光の教えを聞いてから出発です。

 まことに早くて申し訳ないと思いますが、こんな朝早くも毎朝聞いていてくださることを感謝をいたします。

 さ、今日の約束のことばです。今日はヨハネの福音書6章の11節、「彼らに欲しいだけ分けられた。」です。

 この短いことばだけでは分らないと思いますので、背景を説明します。イエス・キリストの後を慕って五千人以上の人々が寂しい所までついてきました。あたりには店も一軒もない寂しい所です。一同が熱心にイエス・キリストのお話しを聞いておりました。しかしついに人々のお腹が空いてペコペコです。イエスは弟子たちに、「あなたがたが食べさせてやりなさい。」 とんでもない。たといパンを買う店があっても五千人分どうしてお金が足りましょう。すると一人の子どもが五つのパンと二匹の魚のお弁当を差し出しました。それを受け取ってイエス様に渡しまして、「こんなちっぽけでは何にもならないでしょう。」と言いました。すると、イエスはその五つのパンと二匹の魚を天に差し上げて父なる神に感謝のお祈りを捧げます。それから、たった五つのパンと二匹の魚を五千人の人たちに分けはじめました。次から次へとパンと魚が途切れないで増えて、全部の人がたらふく食べて、余ったものを集めたら、十二のかごにいっぱいだったというイエス・キリストの奇跡の話なのですね。

 イエス・キリストは人々の必要を知っておられます。人は食べ物や着物や家やお金や地位や名誉を欲しがります。が、人間の一番必要なものは何か、良く知っていらっしゃるイエス様は、私たちの求めに応じて溢れるように与えてくださる、備えてくださるのです。

 今日の約束のことば 「彼らにほしいだけ分けられた。
 ヨハネの福音書6章11節のことばです。

ではまた聞いてください。
 (PBA制作「世の光」12/29放送でのお話しより )

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■今年もありがとう

2004年12月28日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(ひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 あなたにとってこの一年はどんな一年でしたか? 聖書の中には「わが魂よ、主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」って書いてあるんです。どうも私たちは人に借りた千円はすぐに忘れ、人に貸した十円はいつまでも覚えているんですよね。してもらったことはすぐに忘れてしまい、してあげたことはいつまでも恩きせがましく忘れないんですよ。聖書は、神様があなたに良くしてくださったことを何一つ忘れるな、って言っているんですねえ。

 でもある人はこう思うでしょう。(冗談じゃないよ。この一年何にもいいことなんかなかったよ。悪いことばかりで感謝することなんか何一つないさ。)って。でも考えてください。少なくてもあなたは今このラジオを聞くことができている人なんですよね。人生に不満を数え始めたらキリがありません。人はある一定の生活水準を超えると、それ以上にお金が増えても、例えば新しい車を買っても家が出来ても、それは短い期間は嬉しさもあり喜びも出てきますけれども、決して長続きはしないのだそうです。要するに人は、どんなにお金があっても成功しても健康でも、いつのまにか不満が頭をもたげ、満足することがなかなかできないんだという訳です。

 でも、感謝することをはじめるとこれはまったく違ってくるんですねえ。今まで当たり前だと思っていた事に感謝し始めるんです。生かされていることの感謝、今こうしていられることへの感謝、こうしてある意味何の不自由もなく私たちは空気を吸っていますよね。どれだけ感謝できるでしょう。

 私の尊敬している牧師の方で、肺結核を患い、肺の機能が通常よりも半分以下にまでなってしまった方がいます。今はどこに行っても酸素ボンベを離すことができない状態なんです。その先生が私にこう言いました。「関根先生、ただでたくさんの空気を吸うことができるって感謝なんですよ。これを金額で換算したらどれだけ大変か想像できますか。今私はそれをつくづく実感しているんですよ。」こう言われたんです。当たり前のことの中にどれほど感謝すべきことがあるか。この先生は私に教えてくださいました。

 あなたを支え、愛していてくださる神様があなたを生かし、恵みの数々を数えてみなさい、と言われるんです。どうぞ、空の鳥を御覧ください。野の花を見てください。外に出て大空を御覧ください。「わたしの目にはあなたは高価で尊い」と言われる神様が、あなたを支えてくださる事を心に留めながら、これから迎える新しい一年をスタートしていただきたいと思うんですねえ。

 (PBA制作「世の光」12/28放送でのお話しより )

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■ふりかえれば恵み

2004年12月27日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 村上宣道です。

 今年もほんとにあとわずかとなりましたですねえ。一つの有名な詩を御紹介したいと思うんですけれども、フットプリンツと言って、『足跡』っていうふうに言われている有名な詩なんですねえ。で、音楽もついていますけれども、これはある人が夢を見て、人生を振り返った時に、砂浜に二つの足跡があって、一つは自分のもの、もう一つは神様のもの、っていうんですよね。でも人生の一番苦しかった所には一人の足跡しかついていない。で、神様に、「あなたを一番必要とした時にどうして私と一緒におらなかったんですか。足跡は一つしかないじゃないですか。」っていうふうに聞いたんですね。その時に、「足跡が一つだった時、わたしはあなたを背負って歩いていたんだよ。」っていう、そういう詩なんですね。

 えー、大切なこの一年を振り返ってみますと、ああいろんな事があったなあ、辛い事もあったなあって、あの辛かった時に本当に神様は一緒にいてくださったんだろうかというふうに思えるようなこともあったかもしれません。けれど、この詩によれば、一番辛い時こそ、わたしはあなたを背負って歩いていたんだよ、っていうその神様を私たちは覚えたいと思うんですねえ。

 詩篇の103篇という所にですねえ、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」ということばがあるんですねえ。

 で、私たちにとっていつでも都合のいいようなことばかりがあったという、神様を信じていれば何でも自分の願ったとおりのことがそこで実現するとか、そういうことでは必ずしもないですねえ。ここで「良くしてくださった」ということばはベネフィットというんですけれども、あなたにとって一番益と思えること、それをしてくださるのが神様だという意味で、私たちも振り返ってみるならば、あの方が良かったかなあ、この方が良かったかなあというふうに人間的に思えることがあっても、しかし神様が私たちにしてくださることはいつでもベネフィット、最も良くしてくださったことなんだというふうに受けとめることができたら幸いだなあというふうに思うんですねえ。

 振り返ってみると、やっぱりあそこにも神様がいてくださったからここにこの日を迎えることができたんだなあというふうに感謝をしたい、そう思いますねえ。
 それでは、また聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」12/27 放送でのお話しより )

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■おりにかなう助け

2004年12月25日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。
 今日の世の光、クリスマス・スペシャル。最後の回です。いよいよクリスマス。心より、メリークリスマスと申し上げましょぅ。
 さて、イエス・キリストの誕生、クリスマスについていろいろの角度から申し上げてきましたが、生まれたもうたイエス・キリストの今についてお話しをいたしましょう。

 伝統的な、教会の信仰告白、使徒信条の中に簡単にイエス・キリストの一代記はこう記されております。「主は聖霊によりて宿り、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、三日めに死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。」
 これが生まれたまいし神の独り子、私たちの救い主の、誕生から死とよみがえり、昇天、そして現在の姿です。主イエスは天にのぼり、全能の父なる神の右の座に着き、私たちのために完全な救い主になっておられます。
 聖書は言います。「キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」

 もう一つの面から御紹介しましょう。聖書のヘブル書4章の14節から16節にこう書いてあります。
 「さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」

 この行き届いた神のことばによって今年のクリスマス・スペシャルを締めくくらせていただきます。

 それでは、また聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」12/25 放送でのお話しより )

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■羊飼いたちの礼拝

2004年12月24日 | Weblog
 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみやすお)です。
 今日はクリスマス・イブです。あなたもクリスマス・パーティーの予定がおありでしょうか。あるいは病床で寂しく「きよしこの夜」をお聞きの方もおられるでしょう。今、世界中で賑やかにクリスマスが祝われていますが、最初のクリスマスを祝った人たちはどんな人で、どんなふうに祝ったんでしょうか。ま、クリスマスの原点を考えてみましょう。
 
 新約聖書によりますと、約二千年前キリストがダビデの町とも呼ばれたヘツレヘムの家畜小屋で寂しく生まれました。そこに来てその誕生を祝った人たちは、国の平和を考える政治家でもなく、人の生きる道や神の国を思索する哲学者や宗教家ではありませんでした。雇われて、野原で夜空のもと、羊の番をしていた羊飼いたちでした。

 彼らは十分な教育を受ける機会にも恵まれず、みんなが暖かい部屋で休む時間に、野原で羊たちが狼や熊に襲われないように一晩中見張っている素朴な人たちでした。

 寒い、静かな寂しい夜、主の使い、天使が現われて、こう言うのを聞いたのです。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」そして続いて天使たちの歌声を聞きます。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」彼らはこれを聞いて、すぐベツレヘムのヨセフとマリヤと共にいたキリストの所へ出かけ、それを見て喜んで自分たちも神を賛美し礼拝したのです。

 キリストは後に言いました。 「心の貧しい人は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」心の貧しいというのは、自分の中に本当の平安や充足がないということを正直に認め、謙遜に神を求める人のことです。

 今もキリストに出会う場所、心、それは賑やかなパーティーの場所でも忙しい仕事でもなく、 孤独を感じ、寂しく、しかし静かに謙遜な思いで神を求めるそんな心の中に、キリストに出会い、そしてキリストの誕生を心から祝う礼拝が始まるのです。あなたもそんな経験をなさってごらんになりませんか。
 ( PBA制作「世の光」12/24 放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。クリスマスのこの時期、日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■人となられた神の子

2004年12月23日 | Weblog

 お元気でいらっしゃいますか? 世の光の榊原 寛(ひろし)です。
 明日はいよいよクリスマス・イブ。そして25日、クリスマスを迎える訳ですね。お元気でお過ごしでしょうか。

 さて今日は、新約聖書のピリビ人への手紙の2章の6節、7節を通して、クリスマスはこれだと聖書が言っているところを御紹介申し上げてみたいと思います。
 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。

 実はキリスト御自身は神の御姿、神御自身であられた方なのに、その神のあり方を捨てることができないとは考えないで神のあり方をお捨てになって、そして御自分を仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたというのです。つまり、あの家畜小屋の家畜小屋の中にオギャーと生まれたイエス・キリスト御自身、少年時代をナザレという村に過ごし、そして30歳になりましてから3年間というわずかな年月、公の生涯をもってあの人々からの裏切りや憎しみを受けながら十字架に追いやられていく生涯。それは実は神御自身が私という人間そのものになってくださった。つまり、私の身代わりになってくださったのだと聖書は言うのです。その、そもそもの初めがクリスマスなんだ。

 ですからですねえ、私たちはイエス・キリストを、このクリスマスのキリストの誕生日をこんなに世界的にお祝いする理由はここにあるのです。つまりキリストは、神御自身であられたのに、そのお姿を捨ててまで私という姿をとって、私の身代わりになってくださった。

 本来、私たちは神の前に罪人として裁かれるべき、神の怒りを受けて永遠の滅びに向かうべき罪人ではなかっただろうか。

 ヨセフに神の御使いが語ったことばの中に、こんなことばがあります。
マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。

 神様はあなたのことを、私のことを、御自分の民と呼んでくださいます。そして私を神の怒りや裁き、そして永遠の滅びから救ってくださるためにイエス・キリストをこの世にお遣わしになったのだ。キリスト自身が神でいらっしゃるのに、人間そのものになり、私そのものになって私の身代わりになってくださったんだ。実は、その方の誕生日。だから祝うべきなんだということなんですねえ。

 罪からの救い、こんなイエス・キリストとの出会いを経験していただきたいと思います。

 (PBA制作「世の光」12/23放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。また、近くの教会も紹介してくれますので、気軽に問い合わせるといいでしょう。この時期はクリスマスの時期でもあり、教会を覗くいいチャンスですよ。お友だちと一緒にというのもいいですよね。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。 

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■救い主の誕生

2004年12月22日 | Weblog
 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。
 さあ今日の世の光、クリスマス・スペシャル。いよいよ、救い主の誕生のお話しです。
 聖書をそのままお読みするのが一番でしょう。

 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」


 いつ、どこで、どんな状態でイエス・キリストが生まれたか、よく分りますね。世の人々の救い主の誕生。しかも、小便臭い家畜小屋の片隅で起こった万人の救い主イエス・キリストの誕生の出来事でした。
 天使たちが羊飼いたちに知らせた喜ばしい福音の宣告です。
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
 ルカの福音書2章11節のことばです。

それではまた聞いてください。
 (PBA制作「世の光」12/22放送でのお話しより )

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■博士たちの捧げもの

2004年12月21日 | Weblog
  
 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(ひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 今はクリスマス。イエス・キリストの誕生にまつわる出来事を毎回聖書からお話ししています。

 今から約二千年前にイエス・キリストはお生まれになりました。その最初に訪れたのは一体誰だったでしょう。それは野宿で夜番をしていた羊飼いたちだったんですねえ。そして聖書を読むと、その後しばらくして東の方から博士たちがやって来たことが記されています。彼らは星の運行を研究している人たちだったようです。

 ある時彼らは、不思議に輝く星を見つけました。それは今まで見たことのない星の輝きだったんですねえ。これはきっと王の王である救い主がお生まれになったしるしに違いない、と考えました。そして何と彼らは、遥か遠い道のりを何ケ月もかけてやってきたんです。もちろん王の王として、救い主としてお生まれになった方を伏し拝みに来たのですから、当然エルサレムの王宮に出かけました。

 すると驚いたのは当時の王様のヘロデでした。彼は大いに憤慨しました。なぜなら自分の知らない所で王の王が生まれるなんて聞いたからです。彼はさっそく学者を集め、旧約聖書から救い主が生まれるのはどこかを調べさせました。すると、ベツレヘムであるということが分かったのです。ヘロデはこの博士たちをベツレヘムに送り、あとでちゃんと報告しろよとちゃんと伝えてですね、送り出したんですね。

 さあ、博士たちはベツレヘムに向かって行きました。すると東方で見たあの輝く星が、前方に輝いているではありませんか。彼らはついにベツレヘムにおられる幼子イエス様に会うことができました。

 しかしその場所は王宮とはかけ離れた場所です。それは粗末な、決して綺麗とは言いがたい場所でした。何ケ月もかけて来たのに、彼らが見たものは一体何でしょう。小さな家に寝かされている幼子イエス様と母マリヤ、そしてヨセフの姿だけでした。そこには何の劇的なパフォーマンスもありません。奇跡もありません。荘厳な讃美歌も流れていませせん。心に響く説教もありません。しかし彼らは、目の前にいる幼子こそ救い主だと確信し、自分たちが持ってきた高価な乳香、没薬、黄金を捧げ、礼拝をしたんです。

 クリスマスとは、二つのことばからの合成語なんですねえ。キリストということばと、マスということば、これは礼拝するという意味なんです。本当のクリスマスは、何かを受け取るという事ではなく、心からイエス・キリストを喜び礼拝する事こそ、本当のクリスマスなんですねえ。

 (PBA制作「世の光」12/21放送でのお話しより )

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