♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■その汗も無駄ではない

2010年05月31日 | Weblog
2010/5/31放送

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 えー、ある人がですね、一流の人というのは三流の人だ、っていう言い方をした人がいるんですよ。 で、聞くとおかしいなと思われるかもわかりませんが、三流というのは三つのことを流すという。 それは一つは血を流す、そして涙を流す、そして汗を流す、というそういう意味で三つのものを流すという意味で三流、とこう言ってですね、そういう人が一流の人なんだというふうなまあ言い方な訳なんですね。

 で、これにあてはまる人ってのはもうイエス様だなあ、というふうに思うんですけれども、イエス様は本当に私たちの罪のために十字架の上で血を流してくださいましたよね。 そのことにゆえに罪が赦されて私たちは救いに与ることができる、というそういう道が開かれた訳です。

 それから「イエス様は涙を流された」(ヨハネ福音書11章35節)ということが聖書の中に書かれています。 それは本当に親しい者を失って悲しみの中にいる者に対する同情の涙であり、またゲッセマネの園で涙を流して祈られた、それは人々の救いのために、その滅びから逃れることのためにという痛みをもって流された涙ということがありますね(ルカ福音書19章41節、22章44節参照)。 

 で、イエス様は子どもの頃からいわゆる大工さんの家に育った訳ですから、お父さんの手伝いをして汗を流して労働されたであろう、というふうに思われる訳で。

 イエス様はそのような意味で汗も流し、涙をも流し、そして血も流された人なんだという意味で正にイエス様こそは一流の人というふうに言うことができる訳ですね。 

 で、汗っていうことですと、これからまあ汗の多い時期になるかなあというあうに思うんですけども。 聖書の中でですね、創世記の所に「汗」ってことばが最初に出てくるんですが。 アダムとエバが最初に罪を犯しました時に、「あなたたちはそのことのために苦しんで一生食を得るようになる」(創世記 3章17節参照)ということ。 そのあとに「あなたは顔に汗を流して糧を得るようになる」(創世記 3章19節参照)という。 その「汗を流す」ということと「苦しんで」という「労苦して」ということとが同義語的に使われている訳なんですね。 私たちの人生には本当に額に汗して働かなければならない。 当然な訳ですけれども。
  
 しかし私たちはイエス様を知ることによって私たちの労する労苦というのは、汗っていうのは決して無駄ではないんだ、ということばが聖書にある訳ですね。 「あなたがたの労する労苦はキリストにあって、主にあって、決して無駄ではない。」(1コリント 15章58節参照) そういう意味で私たちの汗は決して無駄ではない、神様のためにすることならば、ということですよね。 

 ( PBA制作「世の光」2010.5.31放送でのお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■尽きることのない憐れみ

2010年05月29日 | Weblog
2010/5/29放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。

 人は誰でも取り返しのつかないような過ちを犯すことがあります。 旧約聖書創世記に登場するアブラムも、そんな過ちを犯したことがありました。

 彼はその妻サライの女奴隷ハガルとの間に子どもを設けてしまいました。 妻のサライも女奴隷ハガルも同意した上でのことではありましたが、アブラムはその時、神様の約束 ---子どもは必ず与えられるという約束--- を待つことができませんでした。 そして妻以外の者によって子どもを設けるという大きな過ちを犯してしまったのです。

 さて、自分が身ごもったことを知った女奴隷ハガルは女主人サライを見下げるようになりました。 そしてサライとハガルの間に深い確執が生まれ、サライからひどい仕打ちを受けるようになった身重のハガルはとうとうサライのもとから逃げ出した、と聖書は言います。 

 当然と言えば当然のこの結果をアブラムはどうすることもできなかった、と言います。 アブラムが神様(の約束)を信じて歩むようになって(ハガルが身ごもるまで)10年。 彼は今なお神様を信じきれない、そんな自分の姿を思い知らされることになりました。 そして自分の不信仰が招いたこの取り返しのつかない過ちに悩み苦しむことになりました。

 しかし、そんなアブラムを神様はなおも憐れみ、救いの手を伸ばしてくださった、と聖書は言います。 荒野にいた女奴隷ハガルに主の使いが現れ、彼女を慰め励まし、アブラムのもとに帰るように導いてくださったのです。 またハガルから生まれてくるその子どもにも神様の豊かな祝福が与えられる、ということが約束されました。 

 人は誰でも取り返しのつかないような過ちを犯すことがあります。 しかし、だからと言ってそれですべてが終わりという訳ではありません。 人の思いを遥かに越えた神様の憐れみがあり、悔い改める者には赦しと再出発という奇跡がある。 アブラムに対する神様の憐れみは私たちにもそのことを教えています。 

 聖書のことば
 「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。」 旧約聖書 哀歌 3章22節

       (PBA制作「世の光」2010.5.29放送でのお話しより )

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■私たちを支える神の御手

2010年05月28日 | Weblog
2010/5/28放送

 世の光の時間です。 お変わりありませんか? 岩井基雄です。 今日も旧約聖書の詩篇を御一緒に味わいたいと思います。 今日も詩篇37篇です。

 「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。」 詩篇 37篇23節、24節

 先週学んだのは神様にすべてを委ねて歩む人生、自らのなすべきことをした後はその結果をすべて神様に委ね、明け渡し、神様に信頼して歩むように、とのチャレンジでした。 

 今日はその流れの中で、更にどのような中にあっても私たちを神様の愛の御手が支えていてくださるのだ、というメッセージです。 私たち人間の歩みを確かにされる方は神様です。 人の評価や価値観、また人の社会・時代そのものは移り変わっていくからです。 しかし聖書が語る神、創造主であり、すべての存在の基である唯一の神様はどんな時代でもどんな社会の中にあっても決して、決して変わることのないお方です。 ですからこの神様によって確かにされ喜ばれる人生こそ本当の意味で変わることのない価値と祝福に満ちた人生だというのです。 もう一度お読みします。 

 「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。

 私たちは落ち込むことがあり、失敗を繰り返すことがあり、神様に見捨てられたように感じることがあります。 それは私たちが見捨てられてもしかたがないような罪の現実を抱えているからです。 しかしあなたもこの神様の愛に支えられて歩むことができます。 聖書が語る神様は人を決して見捨てることがないからです。 愛の御手、恵みの御手、赦しの御手をもって私たちを、いやあなたをこの神様は愛し、支えていてくださるのです。 あなたもこの神様の愛の御手に自分の悩みを、また苦しみも寂しさも全部委ねてみませんか? 神様があなたを守り、豊かな祝福、豊かな平安へと導いてくださるからです。 

 それではまた聞いてください。

   (PBA制作「世の光」2010.5.28放送でのお話しより)


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あんこや大塚さん 天に逝く

2010年05月27日 | Weblog
あんこやミニストリーズ主宰、愛のキリスト教会牧師
大塚浩人牧師が 2010.10.27未明 主のみもとに移されました。

今日5/27前夜式で
明日28日金曜日12時半から葬儀
いずれも 北方キリスト教会にて
      岐阜県本巣郡 北方町加茂 73−4
       058-324-5660


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■指導者たちに聞く

2010年05月27日 | Weblog
2010/5/27放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブルメッセージは「指導者たちに聞く」です。 それでは聖書の中のヘブル人への手紙13章17節から読んでみましょう。
 
 「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。

 指導者というのは教会の牧師と理解して良いでしょう。 神様は、神様を信じる一人ひとりの霊的な導きや成長のためにそれぞれの教会に牧師を立ててくださっています。 牧師は聖書を通して私たちの信仰を導く役割を担っています。 ですから牧師は聖書を通して私たちの信仰を導く役割を担っています。 ですから信仰のこと、聖書のことは何でも尋ねて聞き、祈ってもらうことが大切ですねえ。 ヘブルの著者も、牧師の言うことに聞き従うように、と勧めます。

 それは第一に、牧師は「あなたがたのたましいのために見張りをしている」からだ、と言います。 学校の教師は数学や英語などの教科が身につくように私たちに関わってくれますねえ。 医者は私たちの病に関わり、健康増進のために尽くしてくれます。 一方、牧師は私たちたのたましいの健康に関わる働きをするのです。 心の健康、魂の健康に常に関心を持って関わってくれます。 そのような人たちの指導には素直に従いましょう、ということですね。

 第二に、牧師は神に弁明しているからだ、と言います。 教会の牧師の一番大きな働きは祈ること、信徒のために執り成し祈ることです。 夜明け前にまだ信徒さんが布団から起き上がる前に祈りの座に着き執り成しの祈りをしている牧師さんはたくさんいると思います。 そのように毎日私たちのために心から祈る牧師の勧めであれば、よく聞きましょう、ということになりますね。

 そして第三に、そのような牧師が喜んでその働きが出来るように進んで耳を傾けましょう、従いましょう、と言います。 

 あなたはどんな信仰を目指していますか? 信仰において成長するために神が立ててくださった牧師に聞き従いましょう。 神はあなたのそんな信仰の歩みに、たくさんの益をもたらしてくださいます。 

  ( PBA制作「世の光」2010.5.27放送でのお話より )

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■柔和な者は幸いだ

2010年05月26日 | Weblog
2010/5/26放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 板倉邦雄です。

 「人に道を譲っても一生で百歩にも達しない」ということばがあります。 これはいかに私たちが謙譲の心がなくて高慢な者であるか、という点を表わしていることばではないでしょうか。

 しかしいつの時代、いつの世でありましても、高慢で空威張りする人よりは謙譲で柔和な人の方が幸福です。 今日は、八福のその第三です。 

 イエスのことばです。 
 「柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。」 マタイの福音書5章5節(口語訳聖書)

 リビングバイブルはこのように訳しています。
 「柔和で高ぶらない人は幸福です。 全世界はそういう人のものになるからです。

 今日は聖書の中で一番謙遜で柔和な人と言われた人を紹介しましょう。 その人の名はモーセです。

 モーセは紀元前約1500年前、エジプトで生まれましたユダヤ人です。 当時奴隷だったユダヤ人で生まれた男の子はナイル川へ捨てられる運命にありました。 モーセの両親は祈りを込めてモーセを籠に入れてナイル川に流します。 それをエジプトの王妃が拾い、わが子として育てました。

 40歳になり、自分がユダヤ人であることを知ります。 同胞が奴隷の苦役の中にあるのを見ました。 ある日、同胞を助けようと、カッとなったモーセはエジプト人を殺害してしまいます。 柔和でない人は短気なのでしょうか。

 モーセは40年、ミデヤンの地での逃亡生活をしました。 羊飼いをしながらシナイ半島を遊牧します。 モーセが聖書の中で「柔和な人」(民数記 12章3節参照)と言われていますのは、このミデヤンの地での逃亡生活における苦悩で培われたのではなかったでしょうか。 ヒルティはその『幸福論』の中でこう言いました。 「悩みのみが正しい意味で人を謙遜にする。」

 モーセは40年のあと、主なる神様から招きを受け、ユダヤ人エジプト脱出の指導者になります。 モーセ80歳になっていました。 荒野の40年の始まりです。 その時モーセは律法の書を表わします。 創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、そして申命記というモーセ五書を後世の人々に遺しました。 モーセ五書は今日まで、そしてこれからも、世界中で読み続けられ、人々の心と生活を支配していくでしょう。 

 「柔和な人たちは、さいわいだ。彼らは地を受けつぐ。」

  ( PBA制作「世の光」2010.5.26放送でのお話より )

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■死から命に

2010年05月25日 | Weblog
2010/5/25放送

 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日爽やかに過ごしていきたいですね。 

 新約聖書 第一ヨハネの手紙3章14節
 「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。

 ま、聖書にはたくさんの命令が出てきますね。 例えば「互いに愛し合いなさい。」(ヨハネの福音書13章34節) まあそう言われてもなかなかね、と感じる方もいるかもしれません。 赤ちゃんを買い物に行かせる親はいませんよね。 それは無理だからです。 無理なことは命令しません。 聖書も私たちに出来ないことは命じません。 「互いに愛し合いなさい。」と命じられていますけれども、実はその背後で神様が私たちにそのような生き方が出来るような内側に造り変えてくださるという約束があるからなんです。 だから神様は「互いに愛し合いなさい。」と命令されるんですねえ。 ですからそういう事実を知らないで、神様の約束を無視して気負いや頑張りだけで行おうとすると失敗したり、挫折してしまったりするんです。

 そして聖書はイエス・キリストを信頼する人生は、死からいのちに移されている人生でもある、と教えています。
 
 私たちは死ということを考えると、何だか横たわり何の応答もなく冷たくなっている、そんな姿を思い浮かべるかもしれません。 聖書が「死からいのちに移った」と記している場合の「死」とはもちろん単に肉体の死について言っているのではないんですねえ。 「死からいのちに移った」ということは、応答しない世界から応答する世界に移ったということなんです。 今まで神様がおられることも信じることをせず神様に祈ることもしなかった人生が応答する世界に変えられていく。 神様が聖書のことばを通してあなたに呼びかけているのに、なあーにも応答しないで生きてきた人生が、神様に祈り、聖書のことばを受け入れようとする生き方に変わっていくということなんです。

 そして「死からいのちに移った」ということは、いのちがもたらす実りを実らせる生涯になっていくということでもあるんですね。 どんなに冬枯れの木でもいのちがその中にあれば実りを生み出します。 そして花を咲かせ、実りをもたらすのです。 それと同じでイエス・キリストを信じ生きることは、神様との応答のない世界から応答する世界に変わっていくことなんですね。 そしてその人生に愛の実が、喜びの実が少しずつ実っていく人生でもあるんです。 

 ヨハネは、死からいのちに移っているので兄弟を愛する品性が生まれているのだ、と記しています。 私たちはただ命令されるだけでは何もできません。 ただ「愛しなさい。」と言われても自分の愛のなさに気づくだけかもしれません。 でも神様は、そんなあなたの人生にいのちを与え、聖書のことばを通してあなたを励まし、慰め、あなたの心を変えてくださる方なのです。
 
 (PBA制作「世の光」2010.5.25放送でのお話しより)

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■死んだいのちで生かされて

2010年05月24日 | Weblog
2010/5/24放送

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 えー、いつか話題になったようなんですけども、小学校で給食の時にですね、「いただきまーす」ってこう、まあ言う訳ですね。 と、ある父兄の方が「あんなのいただきますなんて言わせないでください。 給食費を出しているのはこっちなんですから。」ってなことを言ったという話が話題になっていましたけども。

 まあ給食費は確かに親が出してるかもしれませんけども、私がこう頂けるという、食べるという(のは)、食物というのはですよねえ沢山作ってくださった方とか料理してくださった方とか、そういうふうな方々に対する感謝の気持ちもそうですし、実際にはみんなその命を犠牲にして頂いているという、 ----お魚にしてもお肉にしても、そして野菜であっても、またパンであってもうどんとかラーメンであってもですねえ、あるいは麦が粉にされて。----  で、その命が犠牲にされて私たちは生きているというふうに言える訳ですからねえ、そういうことも含めて本当にありがとうという意味で「いただきます」と言うのは自然なんだろうとまあ思うんですけれどもね。 ともかく私たちが生きているということの陰に、生きている者の命が犠牲にされているということ、そのことを思わされますねえ。 

 で、イエス様がこういうふうにおっしゃったことばがあるんですけれども、「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(ヨハネの福音書 12章24節)っていうふうに言われたんですね。 

 で、これはその背景的にはですね、イエス様が十字架につけられるかもしれない、というふうなそういう切羽詰まった時でしたけどもギリシャの人たちがやって来て「ぜひお話を聞きたい」と。 むしろそっちの方に魅力を感じない訳でもなかった訳ですけれども、「いやわたしはどうしても死ななければならないのだ。一粒の麦がもし死なないでいるならば、いつまでも一粒のまま。もし死ねば、多くの実を結ぶ。わたしが十字架で死ぬことによって罪の赦しがそこでなされて、そしてわたしが死からよみがえることによって永遠の命を人々が受けることができる。どうしてもわたしは死なねばならない。」という。

 まさに私たちが滅びないで済むのは、永遠に生きることができるのは、イエス・キリストの十字架の死と復活のゆえであるという。 そのような犠牲の中で私たちは生かされているということを決して忘れてはならない。 そのように思わされますね。

  ( PBA制作「世の光」2010.5.24放送でのお話しより)


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■さあ、天を見上げなさい

2010年05月22日 | Weblog
2010/5/22放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。

 私は時に言いようもない不安を感じ、恐れに心が囚われそうになることがあります。 内側にあったはずの喜びと力は失われ弱っていく。 そんな時、どうすれば不安や恐れから解放されるのでしょうか。 一体どうすれば生きる希望や喜びを取り戻すことができるのでしょうか。 

 旧約聖書創世記に登場するアブラムもある時、不安と恐れに悩まされていました。 神様からの約束、多くの子孫が与えられるという祝福がなかなか実現しないことから希望を失いかけていたのです。 薄暗い天幕の中、アブラムは言いようもないあせりと不平不満に心を支配されていました。 神様を信じて歩んではいました。 しかし、年老いて子どもを設けられそうにもない自分と妻に目をとめるとき、どうしようもない不安や恐れに囚われるのでした。 

 そんな時、神様からの語りかけが彼にあった、と聖書は言います。 創世記15章5節のことばです。 

 (主は)彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」・・・「あなたの子孫はこのようになる。

 アブラムの失望の原因、それは彼が自分の天幕に閉じこもり、自分の能力や力だけに目を留めていた所にありました。 一方でアブラムの回復の希望は、その天幕から出て天を見上げるところにありました。 天地万物を造られた偉大な神様に目をとめ、希望と力に満ちた神様の語りかけに耳を傾ける。 それこそが不安と恐れから解放され、生きる希望と喜びを取り戻す秘訣である、と聖書は教えています。 不安や恐れに囚われる時、あなたも天を見上げ、偉大な神様に目を留めてみてはいかがでしょうか。 あなたを恐れと不安から解放し、あなたに希望と喜びを与えてくださる神様は、今も聖書を通してあなたに語りかけておられます。

 聖書のことば
 「主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。」  旧約聖書詩篇 19篇7節のことばです。

       (PBA制作「世の光」2010.5.22放送でのお話しより )

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■人生を委ねる

2010年05月21日 | Weblog
2010/5/21放送

 世の光の時間です。 お変わりありませんか? 岩井基雄です。 今日も御一緒に旧約聖書の詩篇を味わいたいと思います。 今日の詩篇は37篇です。 お読みします。 

 「 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
   主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。
   主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。 
」  詩篇37篇5節から7節

 先週学んだのは悪人が栄えているように見えようとも、神は侮られる方ではなく、すべてを御存知である。 だからあなたは今ある生活の中で歩みの中で、誠実を養い、心を込めた歩みをするように、とのチャレンジでした。 今日はそこから更に進んで、自分の道・人生を神に委ねるように、とのチャレンジです。 「あなたの道を・・・ゆだねよ。」とは、自分の人生のすべてを委ねる、という意味です。

 少し考えてみてください。 あなたは自分の人生を何に委ねているでしょうか。 あなたはどんなものに価値を置き、何を目指して人生を歩んでいるのでしょうか。 

 ある先生が、私たちはエル(L)・エム(M)・エヌ(N)を求めやすい、と言いました。 ラブ (Love) 愛、マネー (Money) お金、ネーム (Name) 名声 だと言うんですねえ。 人の愛にお金に名声に自分の人生を委ね、懸命にいわゆる勝ち組を目指して負け組にならないようにと突っ張って生きている方も多いかもしれません。 しかし本当に信頼できるものは何でしょうか。 いや、どなたなのでしょうか。 

 もう一度今日の詩篇をお読みします。 
 「 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
   主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。
   主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。
 」 

 この「主」とは聖書が語る神様、世界のすべてを創造し、あなたをも愛をもって造り、愛し、赦し、導いてくださる神様です。 自分の力と努力で人を負かし勝利をおさめようとする人生もありますが、自らの最善を行い、結果はすべて神様に委ね、神様の時とわざを待ち望む、平安の中を生きる歩みがあるのです。 あなたも心を静めて神に信頼すること、忍耐をもって神の時を待ち、自分の道、自分の人生をこの神様に委ねてみませんか?

 それではまた聴いてください。

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