♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■いのちの書 / 関根弘興

2014年06月30日 | Weblog
2014/6/30放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 番組にですね、こんな質問が寄せられました。

 黙示録の中に、「いのちの書に自分の名が記されている」、これはどういうことでしょうか。そしてどのようにしたら名前が記されてことが分るんですか? 

 こんな質問をいただきました。「いのちの書」ということですから、これはまずいのちに関係するものだということが分かりますよね。そしてこの書物に名前が記されているということですから、名前が記されているかそうでないかはいのちを決定づけることでもあるということが言えるわけです。

 ヨハネの黙示録を読んでいくと、このいのちの書が永遠にわたるいのちに関わるものだという事が分かって来るんです。

 ヨハネの黙示録は、世の終わりの出来事が当時のローマの圧制とダブらせて書かれているんです。ローマの時代もそうでしたが、世の終わりにおいてもイエス様に敵対する者たちが出て来るんだ、と記されてるんですねえ。でもこの敵対する人たちはイエス様に反逆する者たちですから、もともと神様のいのちの書に名前が記される余地などない、まるで獣のようなものとして出て来る訳です。

 そこでヨハネの黙示録では、世の終わりにおいてイエス様を苦難の中でも信じ生きる一人ひとりこそいのちの書に名前が記されている者たちであり、永遠のいのちが約束されている一人ひとりなんですよ、ということを教えているんですね。

 でもこの書物は私たちの肉眼で見えるわけではありません。いのちの書とは、永遠のいのちが一人ひとりに確かに与えられていますよと神様が持っているまるで登録名簿のようなものなのですねえ。

 それではどのようにしたらいのちの書に名が記されていることを私たちは知ることができるんでしょう。それは私たちが持っている聖書から知ることができるんです。ある意味で聖書は私にとってのいのちの書といっても過言ではありません。そしてイエス・キリストのことは「いのちのことば」とも呼ばれているんです。つまり私たちの救い、永遠のいのちを得るために、聖書を通してイエス・キリストによって私達はそれを得ることができるんだと教えているんですね。

 イエス・キリストはこのように言われました。ヨハネの福音書3章16節

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を ---イエス・キリストを--- 信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 私たちがいのちの書に名前が記されていることはどのように知ることができるのでしょう。それはイエス様が言われたように単純にイエス様を人生の救い主として信じ生きて行くことこそ、いのちの書にあなたの名が記されてることを保証することなんですね。

 (PBA制作「世の光」2014.6.30放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■パンの奇跡 / 羽鳥頼和

2014年06月28日 | Weblog
2014/6/28放送


 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。今日はイエス様のなさった奇跡についてお話しします。

 イエス様の所にお腹をすかせた男の人だけで4000人もの人々がいました。イエス様はそこにあった七つのパンと小さな魚少しでこれら4000以上の全ての人々をお腹いっぱいにされたのです。その上、余ったパンを集めると七つのかごいっぱいになったのです。そこにいたのは病人や障碍のある人々とその人たちをイエス様の所に連れてきた人たちでした。彼らの多くはユダヤ人ではない外国の人々でした。

 イエス様は彼らを癒された後、弟子たちを呼び寄せて言いました。「かわいそうに。彼らはもう3日間もわたしと一緒にいて、食べるもの持っていないのです。彼らを空腹のままで帰らせたくありません。途中で動けなくなるといけないから。」 そうして弟子たちが見つけてきた七つのパンと少しの魚を取り、祈りをささげたあと、それらを人々に分け与えられたのです。イエス様は外国の人々もユダヤ人と同じように愛しておられたのです。そして彼らに必要な食べ物を十分に与えられました。

 この出来事から、イエス様はどんな人をも愛してくださり、あらゆる病や障碍を癒し、そして人の肉的な必要を満たすことのできるお方であることが分ります。そんなイエス様は人の心も満たしてくださるお方です。パンで人のお腹を満たされたイエス様は、人々に神様のみことばを語って人々の心を満たされました。神様のことばは霊的な食べ物であり、心の糧ということができます。

 イザヤ書55章3節に、神様のこのようなことばあります。
 「耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。

 神様のみことばによって人は正しく生きることができるのです。イエス様は私たちのお腹だけでなく心もいっぱいにしてくださるお方です。イエス様は人の心と体の必要を満たしてくださるお方です。人の人生をより良く素晴らしいものにしてくださるのです。

 詩篇23篇1節から3節には、このようにあります。
 「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
  主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
  主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。


 明日は日曜日です。神様のみことばを聞くために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2014.6.28放送でのお話より )
 
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■真の希望を見いだして / 岩井基雄

2014年06月27日 | Weblog
2014/6/27放送



 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 今日は、先月学んだ高山右近にも影響を与えた盲目の琵琶法師ロレンソ了斎の信仰について学んでみましょう。

 肥前白石、今の長崎県の平戸市出身で琵琶法師として生計を立てていた了斎は、25歳の時、山口の街角でたどたどしい日本語で語るフランシスコ・ザビエルの話を聞きます。彼が語る、天地を造られたまことの神すなわちデウスとはいかなる存在なのか、と彼は真理を尋ね求めるようになったというのです。

 了斎はザビエルたち宣教師が困難や飢饉や労苦を厭わずに、また現世的な利益も求めずに幾千里もの遠くから日本に渡ってきたこと、その大いなる犠牲の姿に心動かされ、また、彼らが命がけで伝えようとしたキリストの教えに彼は自分の未来があるのではないか、とそこに希望を見出していったのです。そしてこのザビエルの手によって洗礼を授けられ、ロレンソ了斎と呼ばれることになりました。

 その後このロレンソはイエズス会の宣教師たちを助けて活動を続け、その彼の豊かな見識と知恵にとんだ理路整然として説教を通して多くの人たちがキリストのもとへと導かれていきます。ある時は、お坊さんたちからの様々な疑問もことごとく論破していったというです。その事に感心した高山右近の父・友照は自らの城にこのロレンソを招いて更に教えを受けて、息子右近や家臣と共に宣教師ヴィレラから洗礼を受けたということは先月学びましたね。

 1563年、正式にイエズス会に入会し修道士(イルマン)となったロレンソは、琵琶法師ゆえの日本の伝統文化や仏教神道にも造詣が深く、布教にもその知識を生かして、そして様々な悲しみを通る戦乱の世の中にあって、キリストが語る希望の教えそして救いの教えを人々に豊かに伝えていったのです。不自由な目のため、時には屈辱的な扱いを受けたことのある了斎でした。しかし聖書が語るイエス・キリストによる救いと十字架における罪の赦しと復活の中に本物の希望を見い出し、それを彼は人々に心から伝えていったのです。

 聖書のことば

  「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」 ( ローマ人への手紙 5章5節 )

 (PBA制作「世の光」2014.6.27放送でのお話しより)

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■心に留める人々は幸いである / 福井 誠

2014年06月26日 | Weblog
2014/6/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「心に留める人々は幸いである」です。それでは黙示録1章3節から読んでみましょう。
 「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。

 今日からヨハネの黙示録を読んでいきます。皆さんはヨハネの黙示録にどんなイメージをもっていますか? 黙示録は難解な書、あるいは奇怪な書と思っている方は多いのではないでしょうか。なにやら世界の終末のことが書いてあって怖い、と思っている人もいるかもしれませんね。

 私が御茶ノ水聖書学院でヨハネの黙示録の授業をしました時に、どうしてこの講義を受けたいかという質問に、先の聖所箇所でもあったように、この書を読むと幸いだ、と書いてあるから幸せになりたいと思って受講した、という人がいました。

 黙示録には読み方があります。そして当時のユダヤ人の文化的な背景を理解していれば、それほど難しい書物ではありません。というのも、最初にこの書を手にしたはずのユダヤ人に親しみのある書き方、ユダヤ人にはよく分る象徴表現が用いて書かれているからです。ですから、ユダヤ人が親しんだ文化や旧約聖書をよく理解していれば奇怪だと思われる象徴表現が、結構謎解きのように読んでいけるので楽しい書物なのです。

 ともあれヨハネは開口一番にこう言います。

 「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。

 「朗読する者」は一人で単数です。これを聞く人々は複数になっていますね。当時の教会の状況を思い浮かばせます。つまり黙示録は公の教会の集会で読まれるべきものとして書かれました。また聞くだけではなく心に留めるために書かれたのです。「心に留める」と訳されたギリシャ語は「テーレオー」で、「守る」を意味します。従う積極的な姿勢で心に留めることですね。聞いて従う心で黙示録を読み学ぶなら、あなたは幸いですよと言います。これから22回に分けて黙示録を読み、主の幸いを探っていきますが、ぜひ続けて聴いてください。また分りにくいところはぜひお近くの教会を訪ね、牧師に聞いていただきたいと思います。番組にもお便りくださいね。待っています。

(PBA制作「世の光」2014.6.26放送でのお話より )

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■恐れるな / 板倉邦雄

2014年06月25日 | Weblog
2014/6/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。新しい人生の旅立ちというものは期待と共に不安や恐れが先立つものです。年老いたヤコブ・イスラエルもそうでした。

 さて、死んだと思っていた息子のヨセフがエジプトで生きている。しかも総理大臣となっている、と聞いたヤコブは全財産を持って出発しました。そしてベエル・シェバという場所まで来ると、祖父アブラハム・父親イサクの信じた神様に礼拝を捧げて祈りました。おそらくエジプトへ行くことへの不安と心配があったからでしょう。夜になると神様からの語りかける声が聞こえてきました。「ヤコブ、ヤコブ。」 「はい。」 「わたしは神。お前の父の信じた神だ。エジプトへ行くのを恐れてはならない。わたしはエジプトであなたを大きな国民にしてあげよう。わたしも一緒にエジプトへ下ってお前を守ってやろう。時が来たらお前の子孫を再びこのカナンの地へ連れ帰る。」(創世記46章1~4節参照)

 ヤコブという人は若い時から何かと問題のある人物でした。しかし、彼は嬉しい時も悲しい時も辛い時も、神様を礼拝し、祈りを捧げたということです。そして神様のお心を尋ねしました。その時々、神様はヤコブに語りかけ、慰めや励ましをお与えになりました。そして神様の壮大な計画をも示してくださったのです。

 いよいよエジプトへの旅立ちです。息子たちは父ヤコブをエジプト王から送られた馬車に乗せました。女性や子どもも一緒です。家畜とカナンの地で手に入れた財産も持って行きました。ヤコブをはじめ、息子たち、娘、孫と一族そろってエジプトへ移ったのです。総勢70名の移住でした。
 「エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで大いなる国民とする。わたしはあなたと一緒にエジプトに下る。」 (創世記 46章3節、4節参照)

 新しい人生への旅立ちをしようとしている人がいましたら、率直に自分の気持ちを天の神様に申し上げてみましょう。必ず神様はあなたに答えてくださいます。
「恐れるな。わたしがあなたと共にいてあなたを導く。」と。

 イエス様も言われました。「わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。マタイの福音書28章20節

(PBA制作「世の光」2014.6.25放送でのお話より )

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■エマオの途上で 12 / 大嶋重徳

2014年06月24日 | Weblog
2014/6/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 ルカ福音書24章には、エマオという村に行く道中で、イエス・キリストの復活を信じられない二人の弟子にイエス様が現れ、聖書のことばが語られ、パンとぶどう酒が配られ、イエス様だと分かった、という出来事が記されています。彼らはこの後33節、「すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみた。」とあります。彼らはエルサレムに戻らずにはいられなかったのです。エルサレムには仲間たちが待っていました。イエス様が復活されたことを喜び合う兄弟姉妹が、イエスの弟子たちが、つまり教会の交わりがそこにあったのです。燃やされた彼らは教会の交わりに戻って行きました。

 キリスト教会が歴史の中で決して失わなかったことが二つあります。一つは聖書からの説教。そしてもう一つが聖餐式と洗礼式です。

 聖餐式とは、礼拝の中でパンとぶどう酒が配られ、十字架の赦しを受け取り、十字架を思い起こす時を持ちます。エマオの途上でイエス様のなされた二つのことが教会のいのちとなりました。そして教会に戻った彼らは、35節、「道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。」 彼らはエルサレムを離れ、エマオに向かう途上では、「熱心な女たちが復活したと言ってるけどね、でもさあ、・・・」 そう他人事のように復活のことを言っていました。しかし彼らはイエス様だと分かった時、復活はもう伝え聞いた話ではなく、「私もイエス様と出会ったんだ」、と自分のことばでイエス様を証ししたのです。

 私たちは日曜日の度、教会に行き、神のことばを聞きます。その時、自分がどれほどこの一週間イエス様から離れていたかを知らされます。しかし、聖書のことばを聞くと、諦めずに愛してくださって、今も隣を歩いてくださっているイエス様の愛に出会うのです。

  更に聖餐式でパンとぶどう酒を受け取り、罪赦された喜びが生まれてきます。そしてこの喜びを兄弟姉妹の交わりで分かちち合うんです。それが教会という場所でなすことです。

 ですから私たちもどれほどイエス様が分からなくなったとしても、日曜日には教会に行きましょう。そうする時、私たちは確かに聖書のことばからイエス様と出会い、イエス様だと分ることができるのです。

  ( PBA制作「世の光」2014.6.24放送でのお話しより )

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■聖霊を受けなさい / 関根弘興

2014年06月23日 | Weblog
2014/6/23放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス・キリストは十字架につけられ死なれ、そして三日目に、つまり週の初めの日である日曜日に復活されたことが聖書にははっきりと記されています。その日曜日の夕方のときのことでした。

 イエス・キリストの弟子たちは戸を固く閉ざして食卓に着いていました。すると何とイエス様がその部屋に入って来られたのです。弟子たちは復活のイエス様にお目にかかるまで戸を固く閉め隠れ、ああもう自分たちの人生はおしまいだあ、もう意味が無い、何を目標に生きていったら分からない、というような状態でした。

 でも復活されたイエス様は、彼らに「締め切った扉を開けて大胆に出て行くように。わたしがあなたがたを遣わす。生きる使命があるのだ。」と語られたんです。でもイエス様は、「あなたがたを遣わす。」と言われた時、「でもねえ、わたしは一緒に行かないから、あなただけで言ってきなさい。いってらっしゃい。」と手を振って見送りるような方ではありません。イエス様は、「わたしはあなたがたを遣わすが、あなたがたを決して独りぼっちにはしないよ。そうならないように聖霊を受けなさい。聖霊がいつもあなたと共におられるから安心しなさい。」と約束してくださったのです。

 イエス様はこのようにお語りになりました。ヨハネの福音書の20章の21節から。
 「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」

 イエス様は弟子たちに「息を吹きかけた」とありますねえ。この息を吹きかけるという表現はとても大切な意味のあることばです。旧約聖書の創世記の2章の7節という所にはこう書いてあります。

 「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」

 人は神様の息が吹き込まれて初めて人として生きる者となったというわけですねえ。それは私たちが単なる肉体だけの存在ではなく、神様を思い、永遠を思う思いが、心が与えられた存在として生かされているということでもあるんです。

 復活されたイエス様は、人々を恐れ戸を閉めて失望の中にいた弟子たちに姿を表わされ、彼らに息を吹きかけて、「聖霊を受けよ。」 と言われました。それは決してあなたを独りぼっちにはしない、わたしはあなたを生かすんだよ、とイエス様は約束してくださったのです。そしてその約束は、あなたにも語られてるんですねえ。イエス・キリストは決してあなたを独りぼっちにはしないお方なのです。

 (PBA制作「世の光」2014.6.23放送でのお話しより)

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■おまえのものは、オレのもの / 羽鳥頼和

2014年06月21日 | Weblog
2014/6/21放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 今日は、自分が手に入れたものを惜しみなく分け与えたダビデのことを
お話しします。

 ある時、ダビデが戦いから戻ってみると、町はアマレク人に襲われ、ダビデたちの家族たちと財産は奪われてしまっていました。その時ダビデは、神様に信頼して神様にどうしたらよいか尋ねました。神様はダビデに答えて、「追いかけなさい。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」と言われました。

 ダビデは600人の部下と共に追跡を始めました。追跡の途中、疲れてついていくことのできなくなった200人をそこに残して、残りの400人でなお追跡を続けました。とうとうアマレク人たちに追いつくと、ダビデたちは彼らをやっつけて、神様の約束通り、家族も財産もすべて無事に取り戻すことができました。その上更に多くの分取り物を手に入れたのです。ダビデは分取り物を一緒に戦った400人だけでなく、途中で疲れてついていくことのできなかった者たちにも同じように平等に分け与えました。それだけでなく近隣の町にも分取り物を分け与えたのです。

 この時、最後まで戦った400人の人々は、分取り物は俺たちの物だ、と主張しました。

 彼らのことばで、ジャイアンのことばを思いました。アニメのドラえもんに出て来るジャイアンは、「俺の物は俺のもの。おまえの物も俺のもの。」と言います。これは何でも自分のものだという利己的なことばです。しかしこのことばが別の意味でジャイアンが語ったことがあるのです。

 ジャイアンがのび太の失くなったランドセルを一生懸命探し出してのび太に返します。のび太が泥だらけになりながらランドセルを探してくれたジャイアンに、「どうして僕のランドセルを探してくれたの?」と聞くのです。するとジャイアンは「お前の物は俺のものだろ?。だから探してきてやったんだ。」と言うのです。この時ジャイアンは物に執着していません。友達思いのジャイアンがそこにいます。

 ダビデも物に執着していません。そして人々のことを大切にしています。ダビデは分取り物は神様からのものだ、神様からいただいた物はたくさんの人に分け与える事がふさわしい、と考えたのでそうしたのです。物よりも人が大切です。そして人に必要な物は神様が与えてくださいます。このことを信じるなら、私たちは物に執着しなくてもよくなるのです。

 (PBA制作「世の光」 2014.6.21放送でのお話より )
 
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■「ねたむ神」とは? / 岩井基雄

2014年06月20日 | Weblog
2014/6/20放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日もちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。

 聖書の中の神様を形容する表現の中でも特に分りにくいのは今日取り上げる「ねたむ神」ということばでは無いでしょうか。私たちの感覚だと「ねたむ」という行為は余り良いイメージがありませんねえ。ですから「ねたむ神」という表現には違和感を覚える事があるでしょう。しかし聖書には次のように、「あなたのうちにおられるあなたの神、主は、ねたむ神であるから、」(申命記 6章15節)と言うような表現が何度か出てきます。

 神のねたみ、ねたむ神、とはどういうことなのでしょうか。

 私たち人間のねたみは、他の人が自分より優れている状態をうらやましく思う、ねたましく思う、という意味で用いられることが多いのですが、他には焼きもちを焼くという意味で用いられています。これは愛が不誠実によって踏みにじられたり、裏切られたりする時に抱く感情ですねえ。実は、この神のねたみという表現には、この後者、焼きもちを焼くという意味合いが強いと言えます。聖書の中では偶像礼拝への警告の後にこのねたむ神という表現が用いられていることが多いのです。ねたむ神を「熱情の神」と訳している聖書もあります。神のねたみとは、神の愛の豊かさや情熱の深さを表しているのです。

 別の聖書の個所には次のように記されています。
 「主はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民をあわれまれた。」 旧約聖書 ヨエル書2章18節

 また

 万軍の主はこう仰せられる。『わたしは、エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した。』 旧約聖書 ゼカリヤ書 1章14節

 親が子どもを愛するのにも勝る豊かな熱情を持って、神はあなたを限りなく永遠の愛で愛しておられます。そしてあなたが自ら自分でその愛に応答してくれるように、とその期待をもって待っていらっしゃるのです。それゆえ、その愛が、神様の愛が踏みにじられたり裏切られたりする時、そのとき感じるる神様の痛みや悲しみもまた、決して小さくないのですね。あなたも「ねたむ」とまで表現される豊かで大きな神様の愛を受け取って、その愛に生かされ、そしてその愛を通して他の存在をも豊かに愛する者へと変えられて行きませんか? 

 (PBA制作「世の光」2014.6.20放送でのお話しより)

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■愛は死のように強く / 福井 誠

2014年06月19日 | Weblog
2014/6/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは、「愛は死のように強く」です。それでは雅歌8章6節7節から読んでみましょう。

  愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。
 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。


 これまでの流れを振り返ると、雅歌は前半で愛に引き寄せられた二人がゴールインするまで。そして後半は夫婦となった二人の不和から始まり、今日のこの8章で再び二人の愛が盛り上がってめでたしめでたしという形で終わっているようですね。そして再度、愛がどのようなものかを確認する内容となっていますね。

 ではどういう愛を求めているのか、女性はこう言います。
愛は死のように強く 」 

 イエス様は教会について、死はハデスの門も打ち勝つことができない、と語ったことがあります。ハデスの門は平たく言えば地獄の門の意味ですねえ。つまり死というのは一旦人を地獄に飲み込んだら決してこれを手放さない、人は死んであの世に渡ってしまえばもう二度とこの世に戻って来ることはありません。死の門はそれほど固く閉じられ、一度起こった変化を取り戻すことはできないのですね。

 女性が求める愛も同様で、一度生まれたら取り消されることのない愛が求められています。

 続けて女性は言います。「 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。 」と。絶対的で逆戻りせず、不滅の愛、そんな愛で愛されたいとあなたも思うものでしょう。ユダヤ人がまたキリスト教徒がこのような激しい恋愛詩を聖典として保ち続けてきたのは、このような愛は神の愛をおいて他にない、と理解していたからです。

 確かにイエスが十字架で示してくださった愛はそのような絶対的な愛ですねえ。それは私たちの罪の赦しのために自らのいのちを捧げ、私たちに神の祝福を約束する愛です。大水も洪水もその約束を取り消すことはありません。この祝福を素直に受けて歩みたいものですね。

(PBA制作「世の光」2014.6.19放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

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