♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■喜び祈り感謝し

2006年12月30日 | Weblog

 
 世の光の時間です。年が押し詰まりましたのでお忙しいことでしょう。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。年末の世の光は、やはり皆様からお寄せ戴く「心に残る聖書のことば」の紹介です。

 徳島県美馬郡の佐竹さんからは、新約聖書テサロニケ人への手紙第一5章16、17、18節のことばをお寄せ戴きました。お読みしましょう。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 私はロゴス腹話術に出会ってクリスチャンになりました。腹話術を習い始めるとあちらこちらの教会学校から声が掛かるようになり、イエス様を信じる純粋な子どもたちの前でノンクリスチャンの私が聖書の話しをするのが何か心苦しい思いがしておりました。しかしこうした心の葛藤を覚えながらも教会に足を運ぶうちに、神様の存在が少しづつ分るようになりました。でも洗礼となると夫婦仲まで悪くなるような気がしてなかなか決心がつきません。腹話術の師匠・春風イチロー先生からも、「あせらなくてもいい、神様が時を与えてくださる」と言っていただいたり、教会の岩井先生御夫妻や教会の皆さんも祈り続けてくださったおかげでクリスマスに洗礼を受けることができました。思えば私がイエス様の話しを初めて聞いたのは、高校三年の時、体調を崩して大島病院で診察を受ける時に、今は亡き医院長の大島きみあき先生から「教会へ行ってみませんか?」と言われた時でした。それまで聖書のことばを聞いてもピンと来ませんでしたのに、この頃は聖書のみことばの一つ一つがビンビンと心に響くのです。

 佐竹さんの心に残る聖書のことば。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
   テサロニケ人への手紙第一5章16から18節までのことばです。

 それではまた聞いてください。


 ( PBA制作「世の光」06.12.30放送のお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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この文字版「世の光」ブログは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
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■神がおられる家に住む

2006年12月29日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 今、心の病が増えていますが、いろいろな良い施設も出来ているんですね。精神的障害を持っている方々の生活支援施設・べてるの家(社会福祉法人「浦河べてるの家」)の活動を見て大変感動し、いろいろなことを考えさせられました。北海道の南の端に近い浦河という町にある向谷地さんを中心に20数年前に始まった施設です。

 ま、最初、浦河キリスト教会の古い小さな教会堂で精神障害回復者倶楽部としてスタートしました。多くの困難を乗り越えて今驚くような成果を挙げておられます。統合失調症のような難しい病で閉じこもりやすい人たちが自分の症状や悩みを打ち明け合って明るく話し合いながら、共に共同治療をしています。これは画期的なことだそうです。そして克服した方々が同じ症状で苦しみ閉じこもりがちな方たちの援助活動もしているんですねえ。しかも他人や社会から誤解や差別されやすいそんな人たちが外に働きかけて地域の人たちと良い関係を打ち立て、また地域の発展に貢献しているって言うんです。ま、多くの人が全国から、海外からも視察に来る、また移り住んでグループ治療・共同治療に加わる方々も増えている。ま、そんなことで過疎の町に人口増加にもなっているって言うんですね。

 この施設の名前「べてるの家」、ベテルとは「神の家」という意味なんです。この施設にふさわしい名前だと思いました。神が共におられる、そんな所には、閉じこもってしまいやすいような、そんな困難な中にある人たちも共に住んで、そんな素晴らしい交わりや治療やその影響が外にまで及んでいってしまう、多くの人々を呼び寄せる力を持ってるって言うんです。

 私たちはみんな健康に見える人でも心の病は紙一重だと言われます。誰もが心の寂しさや孤独・ストレス・不安を感じます。時には閉じこもりたくなることもあります。でも心の中にベテル・神の家、神がおられる場所、そんな信仰を持っている時に、私たち自身の中にまた周りの人との関係の中に明るい活き活きとした希望を持って生きることができる、そんな生き方が神の家の中にあるっていうことです。
  (PBA制作「世の光」2006.12.29放送でのお話しより )


 「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
  ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」と言った。 彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」
 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。そして、その場所の名をベテルと呼んだ。しかし、その町の名は、以前はルズであった。 それからヤコブは誓願を立てて言った。神が私とともにおられ、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る着物を賜り、無事に父の家に帰らせてくださり、こうして主が私の神となられるなら、 石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます。」

     旧約聖書 創世記28章15~22節
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■主を望みとする

2006年12月28日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日は聖書の中の詩篇から読んでみましょう。
 
君主たちにたよってはならない。救いのない人間の子に。その息が絶えると、その者はおのれの土に帰り、その日のうちに彼のもろもろの計画は滅びうせる。幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。主は天と地と海とその中のいっさいを造った方。とこしえまでも真実を守り、しいたげられる者のためにさばきを行ない、飢えた者にパンを与える方。主は捕われ人を解放される。」詩篇146篇3節から7節。

 詩篇の記者は言います。「君主たちに頼ってはならない」つまり人間に頼ってはならないということでしょう。どんなに権力がある人であっても、どんなに立派に見える人であっても、頼りにしてはならない。というのも、人間の命も計画も脆いものだからだと言います。

 実際、頼りと思っていたものが頼りにならないという事はよくあるものですねえ。また私たち自身も私たちの置かれた状況も崩れやすい所があります。思いがけず健康を損ねたり、仕事で失敗したり、破産したりすることがあります。誰にも助けてもらえない、本当に見捨てられた思いで苦しむことがあるものですね。

 そこで詩篇の記者は、私たちと私たちのあらゆる状況を支配しておられる聖書の神にこそ望みを置くようにと語ります。聖書の神は天地をお造りになった神。正しいさばきを行い真実を遂げられるお方です。飢えた者にはパンを、捕われ人には解放を与えられるお方です。飢えた者も捕われ人も見捨てられた者・望みなき者ですが、神はそのような者のために正しいさばきを行い、とこしえまでも真実を遂げられると言います。

 望みなき時にこそ望み得る聖書の神がいるのです。
主は、とこしえまでも真実を守り、私たちの歩みを引き挙げられるお方、このお方に望みを抱いて来る新しい年を迎えることとしましょう。

 (PBA制作「世の光」2006.12.28放送でのお話しより)

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■福音の四季 : 白菊のように

2006年12月27日 | Weblog
 
 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さ、今日はまず皆様のお寄せいただくお便りの紹介です。大阪府高槻市にお住まいの あさはら(?)さんから戴きました。

 「一言も聞き漏らさないように集中して世の光を聴いております。」 あさはら(?)さん嬉しいお便りありがとうございます。

 今日の福音の四季のメッセージ、お届けいたします。

 「婦人の友」という雑誌を見ていましたら、その中に羽仁(はに) もと子女史の書いたものに目がとまりました。 「『小さな白菊 群れ咲く 雪よりも白い きよらかさ』 なぜ長い間、じっと立っているのにほこりもごみも溜らず、いつも雪よりも白いきよらかさ。どうしてか。白菊の花の絶えざる命、白菊の中に絶えず流れるいのちの力だと思いました。」

 羽仁もと子女史のこの新鮮な見方にちょっとびっくりしました。そこで思い出したのが旧約聖書イザヤ書1章18節のことばです。

 「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。

 雪のように白くなる(とは)、よく分ります。しかし羊の毛のように白くなるとはどうしたとことかと思いました。えー、これが良く分かったのは実はニュージーランドへ行った時の事でした。その辺の草を食(は)みながら歩きまわっているのは薄墨色に汚れている羊たち。しかしその毛の中に手を入れて見せていただいた時に、まさにこのイザヤ書のことばの意味を実感したのです。どうして白菊がほこりを被って汚れてしまわないのか。白菊の花の命の不思議、羽仁(はに) もと子氏が伝えたいと思ったことこそイエス・キリストの血によって洗われ、赦され、造り変えられた新しい命の力ですね。 イエス・キリストの十字架の上で流された血潮は、私たちの魂をあらゆる穢れからきよめ、雪よりも羊の毛よりも白くする新生命の力があるのですね。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2006.12.27放送でのお話しより )


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■あなたは愛されています

2006年12月26日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日も一日さわやかに過ごしていきたいですね。

 今日は聖書のことばをまず紹介いたしましょう。新約聖書ヨハネの福音書3章16節。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 まあこのことばは「聖書中の聖書」「万人の聖句」と呼ばれている有名なことばです。マルチン・ルターという人はこのことばを世界中の人が見えるように大空に掲げたいと言いました。なぜなら、聖書全体がここに凝縮されているからなんです。聖書を理解する近道はこの聖書の箇所から学んでいくことなんですねえ。

 今日私はあなたにぜひ知って戴きたいことをお話ししたいと思います。それは、神は世を愛されたということなんです。

 世とは一体、誰のことでしょう。実はそれは私たち一人一人のことなんですねえ。ですから世ということばをあなたの名前に置き換えて言ってみたらどうでしょうか。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、関根弘興をそしてラジオを聴いているあなたを愛された。」って言うんです。

 あなたは愛されているっていうことを聞いて怒り出すことはないでしょう? 「かってに神様は、あなたを愛しているなんて言いやがって、頭にきちゃうよ」そんな(ことを言って怒る)人は一人もいませんよね。

 神様の愛って一体どんな愛なんでしょう。聖書は、神はそのひとり子をお与えになるほどにあなたを愛されている、と記しているんです。神様の愛は、そのひとり子を与えるほどの愛だと言うんですねえ。それはどういうことかと言えば、最も大切なものをあなたに差し出すほどに私はあなたを愛しているのだよと言うんですよ。

 そして愛というのは、必ず具体的な行為が伴うものです。口先だけでは愛ではありません。例えば川で溺れている人がいたらどうしますか。川岸に立って「今からクロールの泳ぎ方を教えるから」と講釈することが愛ですか? 違いますよね。救命具を投げ、どうにかしてその人を助けるために自らの犠牲を惜しまない姿こそ愛の姿です。神様はあなたを愛しているということは、あなたの人生の最善を願い、あなたのために犠牲を払うことさえも惜しまないというそういう愛だと言うんです。神のひとり子なるイエス・キリストはあなたのために、それもあなたの罪のために、あのむごたらしい十字架で身代わりになって命を捨てるために来てくださいました。命を捨てるほどの大きな愛がここにあるのです。

 あなたは愛されています。イエス・キリストの命がけの愛によって愛されているんです。
  
 ( PBA制作「世の光」2006.12.26放送でのお話しより )


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■メリークリスマス

2006年12月25日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、今日は12月25日、クリスマス当日ですね。えー、24日のクリスマス・イブでもうクリスマスは終わっちゃったみたいに思っていらっしゃる方々があるかもしれませんけれども、今日は本当はその当日にあたる訳ですね。ですからこの日こそメリー・クリスマス、みんなで一緒に、メリー・クリスマス、メリー・クリスマスというふうにお互にクリスマスを祝う日な訳です。

 私は教会の中で育ちましたので、一年のうちでこのクリスマスが一番楽しみにしていた、一番嬉しい日ですねえ。というのは、やっぱりクリスマスには降誕劇をしたり、いろいろお祝いをしたりしますし、そして何と言ってもプレゼントをたくさん貰える日でしたねえ。で、お正月よりもこのクリスマスプレゼントは親からもそうですけれども友達とかそれから知っている方たちからプレゼントを沢山貰う日だったので嬉しい日だったなあっていうふうに思っています。

 どうしてこんなクリスマスにはプレゼントがト贈られるようになったのかというと、言うまでもなく、これは神様が私たちに御自分の独り子イエス・キリストをプレゼントとしてお与えくださった日、それがクリスマスだからということなんですね。

 どうして神様は御自分の独り子をプレゼントとして私たちに下さったのか、何のためにくださったのか、それはプレゼントというのは確かに誰かが作ったりまたお金を払ったりして犠牲を払ってということですけれども、イエス様を神様がこの地上にお遣わしになったというのはこれは大変な事なんですね。というのは自分の独り子をイエス・キリストに私たちの罪の解決をさせるためであった訳ですね。で、イエス・キリストがお生まれになったのはやがて十字架において私たちの罪の解決をするという目的をもって、--考えてみますと、始めから死ぬいう運命を背負ってといいましょうかねえ、目的を持って--、この地上においでになった。でも、イエス・キリストがもしおいでにとならなかったら、--クリスマス・プレゼントは貰えないとかそんなような次元ではなくって--、私たちの罪は永遠に消えることはなかった。解決されることはなかった。

 要するにイエス・キリストがおいでくださったことによってとその十字架を通して私たちの罪が赦されて、私たちは永遠のいのちを持つことができるというそういう素晴らしい事になっていく、だからメリー・クリスマス、だからおめでたいということなんですね。そういう意味でのクリスマスを、本当に今日を素晴らしい日としてと欲しいなとそう思います。 
 
 ( PBA制作「世の光」2006.12.25放送でのお話しより)


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■仕えるために来られた救い主・神の子イエス

2006年12月23日 | Weblog

 クリスマスおめでとうございます。明日がクリスマス・イブ、明後日25日がクリスマス当日ですね。2006年クリスマス・スペシャルの第十二回のメッセージ、これが最後になりますが、「仕えるために来られた救い主・神の子イエス」という題です。、新約聖書マルコの福音書10章45節をお読みします。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。

 今年のクリスマス・スペシャルの総合テーマは「救い主イエス・キリストは何のためにこの世に生まれてこられたのか」と言えるでしょうか。このマルコの福音書のことばの中に二つのことが言われていますね。

 神が人となって地上に来てくださったクリスマスの恵みの第一は、仕えられるためではなく仕えるためということです。神なら拝まれるため、崇められて礼拝されるお方でしょう。しかし救い主イエス・キリストは、私たちに仕えるしもべとして来られました。人類が愛の神を無視し、自分勝手な道を歩み、争い憎しみ傷つけあって苦しむ姿を見て、神は憐れみ、駆け寄って寄り添い、膝を折り、耳を傾けて仕えてくださるのです。

 クリスマスの恵みの第二、そして中心的な目的は、多くの人の贖(あがな)いの代価として自分の命を与えるためだったのです。私たちは罪の奴隷でした。罪が要求する代価は死です。永遠の死をもって償わなければならない罪人である私たちを救うためにイエス・キリストは神である方なのに人間になりかわってその体を罪の贖(あがな)いとして捧げ十字架の刑罰を受けてくださったのです。ご自分の命を私たちの罪の代価として払い切ってくださったのです。

 クリスマス。神の子の来臨。祝わずにはいられません。感謝せずにはいられるでしょうか。

「・・・多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。
マルコの福音書10章45節のことばです。

 それでは良いクリスマスをお迎えください。

 ( PBA制作「世の光」06.12.23放送のお話しより)


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■預言の成就

2006年12月22日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 クリスマスは年中行事の一つとなっていますが、ふと立ち止まって考えてみますと実は不思議なことがいっぱいあります。何よりも一人の人の誕生日が全世界で祝われているっていうことです。しかも二千年近くも前の誕生日です。こんな例が他にあるでしょうか。

 そのクリスマスに生まれたイエス・キリストについても不思議なことがいっぱいです。その誕生は処女(おとめ)マリヤを通してであったと言うんです。処女(おとめ)が子どもを産むということがあり得るでしょうか。お伽話しのようにも聞こえる処女降誕の日、クリスマスが、人間の歴史を紀元前と紀元後に分ける分岐点・紀元元年になっているっていうのも不思議ですよねえ。

 そして更に、この救い主キリストの誕生はその七百年も前から、生まれる場所やその生涯、そして最後の十字架の出来事に至るまで詳しく預言されていたって言うんです。例えば紀元前七百年頃活躍したミカという預言者の書いた旧約聖書のミカ書には、ベツレヘムという町で生まれると書かれています。そして同じ時代に活躍したイザヤという預言者(の書いたイザヤ書)、その53章5節、6節にはキリストが十字架にかかられるってことについてこんな風に預言しています。「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」って言うんですね。

 七百年後にイエス・キリストがクリスマスに生まれ、そして最後に十字架につけられました。それを最後まで見届けた弟子のペテロはその第一の手紙の2章24節、25節にこんな風に書いています。「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。

 キリストの誕生・生涯は一見、不思議なことだらけですけど、神が人となっておいでくださった救い主が私たちに本当の罪と傷の癒し・救いを与える、それがキリストの誕生であり十字架であったと考えます時に、それは当然のことなのかもしれません。ですからそこに本当の救い・喜び(がある)、それがクリスマス、全世界で祝われている喜びだと言うのです。
 
  (PBA制作「世の光」2006.12.22放送でのお話しより )


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■救いの道を備えるために

2006年12月21日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日は聖書の中のヨハネの福音書から読んでみましょう。
 
 「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」  ヨハネの福音書 3章17節

 クリスマスのこの週、皆さんはどんな思いでイエス・キリストの御降誕を迎えていることでしょうか。イエス様にどのようなイメージと思いを抱いて過ごしていることでしょうか。

 ヨハネは 「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」 と語ります。

 「世をさばく」というのは、すべての悪が罰せられる、すべてのごまかしが明らかにされる、すべての不正が正されるということでしょう。世の中には多くの不正や矛盾がありますが、聖書の神は正しい神ですから、それらを臭い物に蓋をするかのように闇から闇へと葬り去ることはありません。どこかできっちりとさばきをつけられるお方なのです。

 しかしヨハネは言います。その神はさらに御子を私たちに遣わされたと。それは御子によって世がその神様の恐ろしいさばきから救われるためであるという訳です。

 神はさばきの神であると同時に、赦しの神です。愛と恵みに富んでおられるお方です。私たちの過ちを御覧になっていつまでも怒り続けておられるお方ではありません。私たちが罪を悔い改めるならば、イエス様の十字架の苦しみのゆえに私たちを赦してくださるお方です。また私たちが罪の習慣からも、その生活からも救い出される力を与えてくださるお方なのです。

 クリスマスの日、あなたも、この神と、神が遣わしてくださった御子を信じて、新しい人生を歩んでみませんか?

 聖書のことば
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」  ヨハネの福音書 3章17節

 (PBA制作「世の光」2006.12.21放送でのお話しより)

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■万民の前に備えられた救い主イエス

2006年12月20日 | Weblog
 
 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さあ今日も2006年クリスマススペシャルのメッセージを続けましょう。

 今日はその第9回。「万民の前に備えられた救い主イエス」についてお話ししましょう。

 ベツレヘムで救い主イエス・キリストは呱呱(ここ)の声(※産声)をあげられましたが、その両親が幼子を神に捧げるためにエルサレムに上りました。そこにシメオンという正しい敬虔な人でイスラエルの救いを待ち望んでいた人がいました。彼は幼子イエスを見ると腕に抱き、神を誉め讃えていいました。「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。 私の目があなたの御救いを見たからです。御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」(ルカの福音書2章29節から32節) シメオンは神の人で、聖霊に動かされてこのことばをイエス・キリストについて語りました。この預言のことばには幼子としてこの世にお生まれになったイエス・キリストが万民の救い主として神が備えられた方であることがはっきりと宣言されています。クリスチャンになったユダヤ人の中に、異邦人がクリスチャンになるためには信じるだけでは駄目だ、ユダヤ人と同じように律法を守らなければクリスチャンになれないと言い出して教会を混乱させたことがぁりました。イエス・キリストは万民の救い主です。ユダヤ人だけの救い主ではありません。聖書の中でパウロははっきりとこう言いました。「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」(ロ-マ人への手紙1章16節) 私たちは異邦人ですが、私たちみんなのためにイエス・キリストは備えられた救い主なのです。

 聖書のことば。
 「御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」新約聖書ルカの福音書2章29節から32節 からお読みいたしました。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2006.12.13放送でのお話しより )


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