♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■他人の称賛によってためされる

2006年05月31日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。さあ今日の世の光はまず皆さまからのお便りの紹介です。長野県小布施町にお住まいの原たけしさんから戴きました。詩です。

 「ふりかえってみて」

  愛ですと
  愛でしたと ふりかえってみて
  今日あることへの感謝

 ・・・原さんはいつも短い短い詩のお便り、ありがとうございます。

 さ、今日の神の知恵のことばです。旧約聖書箴言は知恵の書と呼ばれています。今日はその箴言の27章の21節です。
 「るつぼは銀のため、炉は金のためにあるように、他人の称賛によって人はためされる。

 困難も試練も人生を試すテストですが、人から誉められる時も私たちの人生は試されますね。成功して人に誉められる時に、私たちはのぼせ上がって天狗の鼻高々となって威張ったり、誇ったり、人を見下したりする。これは人生の負けですね。

 昔、栃木県の山奥の足尾銅山に行って銅の精錬を見てきました。鉱石が掘り出され、何千度という炉に投げ込まれ、純銅が出てくる。人も暗闇、嵐、大地震といった人生の困難を通されて純金にも純銀にも純銅にもなるんでねえ。しかし気がつかないでいる人が多いかもしれませんが、他人から称賛され誉められる時もまた人生が試されることなんですねえ。

 パウロは聖書の中でこう言いました。「だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」(ローマ人への手紙 12章3節)

 「俺は頭がいい。」「私は美人だ。」「俺には実力がある。」と誇りますが、誰があなたをそのようにお造りになったのでしょうか。神様ではないですか。多く与えられた者は、それだけ責任も重いのです。

 神の知恵のことば。
るつぼは銀のため、炉は金のためにあるように、他人の称賛によって人はためされる。
箴言の27章21節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2006.05.31放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
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■シャロームをあなたに

2006年05月30日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 今日はイエス・キリストが語られたことばをまず紹介しましょう。
わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネの福音書 14章27節)

ここでイエス様が言われた「平安」、これはヘブル語でシャロームと言います。ま、誰の心にも穏やかな平安というものを持ちたいと願いますよね。心の平安を取り去ってしまう要因というものは私たちの周りに満ちているからです。例えば人間関係のトラブルや妬みや争い、将来に対する不安。私たちはなかなか平安を自分のものとすることが難しいと考えてしまいます。イエス・キリストは自分が十字架につけられる前に弟子たちに、「あなたがたに平安を残します。・・・あなたがたは心を騒がしてはなりません。」と言われたんです。

 でもちょっと待ってください。イエス様がこのことばを語られた後、すぐに当時の宗教家たちにイエス様は捕らえられてしまったんです。そしてしまいにあのむごたらしい十字架につけられてしまったんですね。平安どころか、恐れと極度の不安しか弟子たちに残しませんでした。でもイエス様は何度も、「あなたがたに平安を残します」と言われたんです。

 イエス様が言われた平安とは、私たちが考えている平安と少し違うようですね。私たちは、平安とは何も問題もなく平穏で、ちょうど海のなぎのような状態を考えてしまいます。でもイエス様が私たちに与えようとしている平安は、たとえ問題があっても、たとえ大シケのような問題の真っただ中においても失われることのない平安をあなたに与えようと約束されているんです。

 一体そんな平安は本当にあるんでしょうか。弟子たちはどうだったでしょう。イエス様が十字架につけられた時、彼らは悲しみで押し潰されてしまいそうでした。平安のかけらもありませんでした。でもイエス様は十字架で死なれ、三日目のことです。イエス様は死から復活されて、弟子たちにお会いになったんです。そしてこう言われました。「シャローム」「平安があなたがたにあるように」(ヨハネの福音書20章19節)と。弟子たちは復活のイエス様と出会って、イエス様が与える平安は、誰も打ち破ることのできなかった死さえも打ち破る、復活のいのちによってもたらされる平安だということが分かったんです。

 この平安をあなたにもイエス様は与えようとしています。


 (PBA制作「世の光」2006.05.30放送でのお話しより )

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■大事な忘れもの

2006年05月29日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、私のような年代になりますとですねえ、「この頃、物忘れがひどくってえ」というふうなことをよくまあ話し合ったりするんですねえ。「人の名前がなかなか思い出せなくってえ」とかですね、私も忘れないようにってしゃんとこう玄関の所に置いといて、それをまたいで行っちゃって「あっ、忘れた。」とかですね、そんなことがあったりとか、本当によくそういうふうに、なんて忘れっぽいんだろうというふうに思うんですけれどねえ。

 まあ忘れ物の筆頭と言えば傘のようですけれどもね、雨の時なんか雨降ってる時はいいんですけれども晴れてしまった時なんかはすっかり忘れてというふうなことが多かったりしますね。忘れ物の中には面白いものもあってお骨を忘れていっちゃりですねえ、また入れ歯を置いていっちゃったりとか、まあ携帯なんかはざらなのかもしれませんけどね、とにかくまあお年寄りだけじゃなくって若い者でも忘れ物はするんだなあというふうに・・・。

 『日本人の忘れ物』という本を書いた方が いますよねえ。人間の心の中には物を大切にする心とか弱い人を労(いたわ)る心とか目上の人を尊敬する心とか、日本人の持っていたそういう良いものを段々忘れて行っているんではないかというような、そんなことが言われたりしている訳ですけれどもね。

 で、私たちはまあ時にはその人の性格にもよるでしょうし、年齢にもよって忘れるっていうことはどうしようもないのかも分りませんのですけれども、聖書の中で、他のものは忘れてもこれだけは忘れないようにということばがあるんですね。「愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」(ペテロの手紙第二3章9節、10節 口語訳聖書) 人間の罪は本当に神様の前にもう我慢のできないぐらいにまで積み重なっている。本当はもう神のさばきはもう来なければならないような状態にまでなって来ているんだけれども、しかし忍耐をもって神はそれを延ばしておられる。でもやがて決着がつけられる時が必ずあるのだという事だけは決して忘れてはならない。それがいつであるか分らない。他のことは忘れてもいい。けれども私たちはやがて神の前に本当に出なければならない最終的なその時があるという事。これだけは忘れないで一日を送るようにということを大切にしたいと思いますねえ。

 ( PBA制作「世の光」2006.05.29放送でのお話しより)


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■どうしてわたしをお見捨てになったのですか

2006年05月27日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さ、今日の世の光は皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。

東京都中野区にお住まいの岡村さんからは、新約聖書マタイの福音書27章46節のことばをお寄せいただきました。お読みしましょう。

 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。

 イエス・キリストをこの世に遣わされた父なる神の御心を行っていたのでイエス様は父なる神様から取り残されるということはありませんでした。しかし私たちの罪のゆえにイエス様は身代わりに父なる神に断罪され、十字架上で神から見捨てられました。パッションという映画を見るとイエス様の受けられた刑罰はものすごく凄まじい光景でありました。あの罪のないイエス様が私の醜い罪のために苦しまれて死んでくださった。このことの故に私は救われ、いのちを戴いている。イエス様の深い愛を成し遂げてくださったみわざに感謝して歩みたい。復活され、今も生きて私たちの内に働らかれておられるイエス様と共に歩んでまいりたい。イエス・キリストの「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」との大声の叫びは私の心の中にもいつも響いています。神の子イエス様が父なる神に見捨てられる。何という厳しい凄まじいことであったか。私たち夫婦も、あのパッションというイエス・キリストの十字架の苦しみと死の物凄いことを描いた映画を見ました。心潰される思いでイエス様の苦しみと嘆きとを見て身の震える思いがしました。私たちのために「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばなくてはならなかったイエス様に感謝します。

 岡村さんの心に残る聖書のことば。

三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。

 マタイの福音書27章46節のことばです。

 それではまたお聞ききください。

 ( PBA制作「世の光」06.05.27放送のお話しより)

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■子どもを幸せにする教育

2006年05月26日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 先日、盲導犬の訓練をしている方に(話しを)伺う機会がありました。驚いた事に、盲導犬というのは人間に従順な犬を育てる・訓練するって言うのではなくて、自分で考える犬を訓練するって言うんですねえ。例えば途中で臭いを嗅いだら怒られるからしないっていうのではなく、嗅いでいけないのだと理解していくように訓練するって言うんです。人間の子どものしつけや教育と同じだなあって思いました。なぜこうするのか、こうしてはいけないのか、きちんと説明して理解させる。そして自分からそれを行えるように励ます。そうすると子どもは自分で理解して正しいことを行っていけるようになる訳ですねえ。

 新約聖書のエペソ人への手紙の6章4節にもこんな風に書いてあります。「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」って言うんです。ですからきちんと説明して理解をさせる。そうすればそれをする意欲が湧いてくる。だからその意味や説明を神のことばと言われる聖書のことばで教えよって言うんですね。

 ま、親の考えとか先生の経験だけだと子どもに反発されてしまうこともあります。例えば、なぜ人をいじめたり仲間はずれにしてはいけないのか。ただ自分もされたら嫌だからするなでは通りません。なぜなら自分もされないためにみんなと一緒になっていじめるっていうことが現実にある訳です。

 聖書では、「人はみな天地の創造者・まことの神によって命が与えられている。何よりも尊い一人一人を神様が愛し、大切にしていてくださるのだ。だから自分も大切にする。それと同じように他人も大切にするんだ。」そういうふうに考えるように教えていく必要があると思うのです。

 親の権威とか先生の権威で、こうせよ・ああせよ、してはいけないと言うだけでは限界があります。人を愛して素晴らしい人生を導くまことの神様の存在を知ることによって、どうしたらその神様に喜ばれるようになるか、どうしていけばいいかというふうに考えていくようになる。犬でも先生に人に喜ばれる役に立つことを考えて行う訓練が必要だとすれば、まして人間の子どもこそどうしたら神様に喜ばれ人に喜ばれるようになるか考えて行う子どもになって欲しいですね。

  (PBA制作「世の光」2006.05.26放送でのお話しより )


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■光から闇へ

2006年05月25日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。今日は聖書の中のエペソ人への手紙から読んでみましょう。
あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。」(エペソ人への手紙5章8節)

 神様を信じる人というのは、対照的な二つの生き方を常に意識し、よりよい生き方を目指しているものです。二つの生き方というのは、光の生き方と闇の生き方です。もっと具体的に言いましょう。光の生き方というのは、愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制、こういった神様が与えてくださる性質で心が綾取られている生き方です。一方、闇の生き方というのは、憎しみ・妬み・怒り・憤り・分裂等々、いわゆる人間の生まれながらの性質を丸出しにしていく生き方のことです。

 このどちらの生き方が良いかと言えば、誰でも、光の歩みをしたいと思うところでしょう。しかし私たちの現実はそんなに簡単なものではありません。心では光の生き方を慕い求めながら、実際には闇の生き方に強く縛られていることがあります。光の生き方を装いながら光の仮面の陰には底知れぬ暗闇があるということがあります。

 どのようにしたら良いのでしょう。聖書は言います。「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」人間の力は罪や暗闇の力の前には無力です。けれども、駄目だ駄目だと思っていても進歩はありません。大切なことは、すべての悪から私たちをきよめてくださるという神のきよめの力を信じることです。光の生活へ導き、押し出してくださる神様の助けを信じることです。

 ですからもしこれが罪だ、暗闇の生活だと気づかされることがあったなら、即座に自分の過ちを認めることが大切です。自分の罪を素直に認める。自分の罪を即座に悔い改める。そして心から、光の生活をもたらしてくださる主に信頼することです。神様が変えてくださいます。あなたもキリスト教会へ集って光を求める生き方をしませんか。


 (PBA制作「世の光」2006.05.25放送でのお話しより)

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■やさしいスピリット

2006年05月24日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。さ、今日の世の光はまず皆さまからのお便りの紹介です。福岡県北九州市にお住まいの まつりださんからいただきました。

 「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選んだのです。」(ヨハネ15章16節) こういう聖書のみことばを羽鳥牧師さんが話された時は感動させられました。このみことばを深く心に思い、キリストを心に迎えようと思いました。ありがとうございました。

 ・・・まつりださん、感動的なお手紙ありがとうございました。

 さあ、今日の神の知恵のことばです。今日は旧約聖書箴言26章21節です。
おき火に炭を、火にたきぎをくべるように、争い好きな人は争いをかき立てる。

 神様はあらゆる形の喧嘩や言い争いをお嫌いになさいます。これらはすぐ敵意や怒りを伝播させます。このような争いを癒すものは優しいスピリットですね。キリストに従う人々にはこの優しいスピリット・聖霊が与えられています。イエス・キリストは言われました。「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(マタイの福音書11章29節)

 預言者エリヤが恐れおののいて洞穴に身を隠した時に神はエリヤに、「外に出て、わたしの前に立て。」(列王記第一 19章11節)と命じます。外に出て神の前に立つと、大嵐、地震、火事、さまざまの事が起こりました。しかしその中から細いかすかな、しかししっとりと優しい神の声がしたと聖書の書に書いてあります。(列王記第一 19章12節参照)

 神様は、イエス様は、どんな罪人も狂ったような人も愛していらっしゃいます。怒らず、どならず、静かに愛し、優しい声で語りかけてくださいます。ですから「わたしのくびきを負ってわたしに学べ」と言われます。優しい愛のスピリット。人に仕える親切なスビリット。これこそ神からキリストから学べることなのですねえ。

 神の知恵のことば。
おき火に炭を、火にたきぎをくべるように、争い好きな人は争いをかき立てる。
旧約聖書箴言26章21節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2006.05.24放送でのお話しより)

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■一歩の勇気

2006年05月23日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 ま、私たちの人生にさわやかさを奪うものがあるなら、その一つは執着心だと思うんですね。これは何でも握りたがる癖を私たちは持っているということなんです。これも私のもの、あれも私のもの、この地位も権力も何でも握りたがる癖を持っている訳ですねえ。そしてまた心配事もたくさん握ってしまってるなんて事もある訳です。でも握った手を人に差し出しても、何も受けることができませんよね。握ってるんですから。
 
 こんな話しを聞いたことがあります。猿を捕まえるためにどうするかって話しなんですねえ。まず壺の中においしい食べ物を入れておくんです。すると猿がやってきてその壺を覗き込むともうよだれが垂れそうです。さっそく猿は手をその壺の中に入れて、わし掴みにしました。そしてたくさんの食べ物を握った手をそこから出そうとすると、その壺の入り口が狭くて手が抜けないんです。手を話すと食べ物が落ちてしまう。握った手を開くことができないんですね。さりとて手を壺から引き抜こうとしてもなかなか抜けない。そんなことをしている内に捕まってしまうという訳です。

 まあ欲というものはきりがないですねえ。延々と続くんです。握ったものを決して離さない頑丈な意志を私たちはどこかで持っているのかもしれません。私たちがいつまでもいろんな事に固執し、執着し、ぎゅうっと握りしめていると逆に不自由になることがあるんだということをあなたはご存じですか? 

 旧約聖書に登場するヨブという人がいます。彼はいろんな苦難を経験しました。そんな彼はこんな告白をしているんです。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ記 1章21節) まあ人生には様々な出来事が起こります。たくさんのものを失い、またたくさんのものを手に入れます。でも、主は与え、主は取られるのですねえ。

 私たちは何かを失うことばかり心配して、逆に縛られ不自由になり、ぎゅうっと握りしめているなんてことがあります。聖書は私たちに、握りしめた手を開いて委ねるという生き方があるんだよと教えるんです。自分の手を開いてイエス・キリストに委ね、思い煩いを委ねる、心配事を委ねる。そんな勇気を持ちたいですね。聖書の中に、「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。」(詩篇55篇22節)とあります。握った手を開きましょう。

 (PBA制作「世の光」2006.05.23放送でのお話しより )

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■これなくては生きられない

2006年05月22日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

えー、クリスチャンがよく歌う歌の中でですねえ、「ただ信ぜよ、ただ信ぜよ。信ずる者はみな救われん」というそういう歌があるんですねえ。で、ただ信じなさいという、何か「ただ」って言われるとですね、それが非常に価値にない値うちのないもののように思われる、そういう傾向があるかなと思うんです。で、イエス・キリストによる救いというのは、ただで提供されるものということなんですね。

 で、私たちがただのものというのは価値のないものと考えてしまうことがある訳なんですけど、ダイヤモンドはすごい買い物、高価な物というふうに言われていますよね。で、空気はただですよね。で、ダイヤモンドは無くても人間は生きていくことができますね。えーダイヤモンド、私もそうですけど、持っていません。持ってなくても全然生活に差し支えがありません。でも、空気がもし何分間でも無くなったらもう生きていくことができませんね。まったくただの物なんですけども空気が無かったら生きていくことができない。すごい高価な物であっても実はそれは無くても生きていける。

 聖書で言う神様の愛というのは、それは無代価で無償で私たちに与えられるもの、与えられているものなんですね。で、他のこの世のものはいろいろ高価そうに見える、価値があるように見える。けれどそれらのものは実は無くても生きていくことができる。けれども空気が無かったら生きていけないように、神様の愛が無かったら私たちは生きていくことができないんですね、本当に。私たちは毎日生かされているこの命も意識しないとするとに関わらず神様によって命が与えられて生かされている。この空気も神様が無代価で提供して与えてくださっている、それをもって生きていくことができる。

 実は私たちが罪から救われて永遠のいのちを持つ、神の国に入ることができることのために神様は御自分の独り子を十字架の上で犠牲にして、このイエス・キリストを信ずることによってだけ私たちが罪から救われて永遠のいのちを得ることができるという。人間が良い行いをしなければならないとか、どれだけの代価を払わなきゃいけないとか、そういうようなものではなくって、ただ信じなさい(と)。それは神様の愛がどんなに、いわゆる人間の価をもってしては計り知ることのできない所の大きなものであるからそれを提供しておってくださる。私たちもそれをただで受けることによって救いに与ることができるってことなんですねえ。

 ( PBA制作「世の光」2006.05.22放送でのお話しより)


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■いつも喜んでいなさい

2006年05月20日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さ、今日の世の光は皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。埼玉県川越市にお住まいの服部さんからは新約聖書テサロニケ人への手紙第一5章16節から18節をお寄せいただきました。お読みしましょう。

 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 夫は要介護4級で、今75歳です。11年前に脳内出血で後遺症で左半身マヒですが、いつも笑顔です。神様は夫から怒りや涙を取り上げてくださったのだと神様に感謝しています。日曜日には車に車椅子を積んで教会に行っています。私はこの聖句をいつでも歌っています。

 ・・・御主人は今75歳。11年前に脳内出血でお倒れになってからの介護、11年ということですねえ。御主人は64歳でお倒れになって左半身マヒの重症。長い困難な御介護、どんなにか大変だったことでしょう。介護の他にも生活上の問題もあり、家族のお世話のこともおありだったと思います。御主人から神様は怒りと涙をお取り上げになって御主人はいつも笑顔、御苦労の中になんという神様のお恵みでしょうか。御自分も笑顔で介護をなさっておられることでしょう。何と恵まれた介護生活かと羨(うらや)ましく思います。そしてそんな喜びの介護生活ができるのも、御主人を連れての毎週の教会での礼拝を守っていること、毎日歌っている聖書のこのことば、これらが介護の支えだったんですねえ。

 服部さんの心に残る聖書のことば。
 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」新約聖書テサロニケ人への手紙第一5章16節、17節、18節のことばです。

 あなたにも心に残る聖書のことばがおありでしたら、ぜひ感想を付けてお寄せください。お待ちしております。

 それではまた聞いてください。

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