♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■人生を変える恵みの出会い  竹田俊造 / 岩井基雄

2017年03月31日 | Weblog
2017/2/24放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。月の最後の金曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、先月は松江バンドを導いたバークレー・バックストン宣教師について学びました。今日は彼に導かれた竹田俊造について学んでみましょう。

 明治6年、和歌山で徳川家の漢医の息子として生まれた竹田俊造は、大阪の泰西学館で学ぶ時、クリスチャンの宮川館長に導かれ、16歳でイエス・キリストを信じ洗礼を受けます。そして新島 襄が開いた同志社大学に入学し、在学中にバックストン宣教師と出会うのです。そしてこのバックストンの愛と恵み溢れる説教に感銘を受け、改めて神の前に自分の罪を認め、心から悔い改めました。そして大学を中退し、松江市でバックストン宣教師からの訓練を受けて行くのです。

 さらに彼にとって最大の出会いは、明治30年、鳥取県境港で迎えたパゼット・ウィルクス宣教師との出会いでした。牧師の次男として生まれ、オックスフォード大学で学んだウィルクスはバックストンからのチャレンジを受け、福音宣教のために来日したのです。竹田俊造はその後27年間彼と一緒に働く事になります。

 一つの出会いが人生を変えます。竹田俊造は神様の御手の中、様々なクリスチャンと出会い、愛と恵みを伝え続けていく器へと整えられていきます。バックストンの帰国後、竹田俊造はウィルクス宣教師を中心に、他の牧師たちと共に神戸に日本伝道隊を組織します。その働きの中心は神戸聖書学校におかれ、校長に竹田俊造が就任します。そして多くの伝道者を育て行くのです。

 キリストと出会い、二人の宣教師を通して人生の転換を迎えた竹田俊造はキ、リストの愛と恵みを大胆に伝え、また人を育てる器として用いられていったのです。

 あなたの人生もイエス・キリストとの出会いを通して豊かな愛と恵みに導かれていくことができます。どうぞあなたもお近くのキリスト教会に行き、愛といのちへの新しい人生を始めてみませんか?

 聖書のことば
 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
    新約聖書 コリント 第二の手紙5章17節

 PBA制作「世の光」2017.2.24放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■万軍の主がそれを計り / 福井 誠

2017年03月30日 | Weblog
2017/2/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「万軍の主がそれを計り」です。それではイザヤ章23章9節から読んでみましょう。

 「万軍の主がそれを計り、すべての麗しい誇りを汚し、すべて世界で最も尊ばれている者を卑しめられた。

 地中海の東沿岸の都市ツロに対するメッセージが語られます。実に興味深く思うのは、イザヤは、自分の国イスラエルだけではなく、イスラエルを取り巻く周年の国々に広く神のことばを語り伝えている所ですね。というのも、神はイスラエルだけの神ではないのです。人類を造られだ神は全人類の主であり、全世界の一人ひとりに愛の心を注いでおられますね。すべての人が神の愛の対象なのです。

 さて、それらの国の一つであるツロはイスラエルの沿岸から550メートル離れた小さな島に建てられた港町です。神様の関心はそんな小さな離島に注がれていました。そして神のことばがイザヤを通して伝えられます。地中海の西の端にあるタルシシュ、現在のスペインからツロに向かう商船がその旅の途上で行き先のツロが滅ぼされてたという驚く知らせを聞くようになるだろうと。誰もそんな話に耳を傾ける人は居なかったようですね。実際、当時栄え賑わっていたこの小さな都市が滅びて交易船が行き先を失って海上を漂うなど誰も想像し得なかったのです。けれどもそれが起こるのだ。神がご自身の主権によってそれを起こすのだと言うのです。恐るべきは神の主権ですね。神は誰も起こり得ないと思わざを行うお方です。私たちが平安に暮らせるのも神の守りがあればこそです。しかし私たちの多くは自分たちの努力で安心を得ようとしていますね。これで大丈夫だと思うよな生活や仕事を得ようと努力しています。繰り返しますがそうした安心や安全を与えてくださるのは神様です。神様がお許しにならなければ突如足をすくわれるハメになります。逆に言えば、何の保証が無い様にも見えても、全世界の支配者である神を認め、神に信頼して生きるならば、神様に守られるのです。神を恐れ、神の導きと守りを覚えてへりくだって歩みたいものですね。

(PBA制作「世の光」2017.2.23放送でのお話より )

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■岩から水を / 板倉邦雄

2017年03月29日 | Weblog
207/2/22放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「岩から水を」という題でお話ししましょう。

 岩から水を出して家畜や人々の渇きを救ったモーセの話です。

 さてイスラエルの人々がチンの荒野に入り、カデシュに宿営しました。その頃、人々は水が不足して得ることができなかったので相談し、集団でモーセとアロンに迫りました。
 「なぜあなたがたは神の民をこの荒野に導いて私たちと私たちの家畜とをここで死なせようとするのですか? どうしてあなたがたは私たちをエジプトから連れ出してこんな悪い所に導き入れたのですか。ここでは種も蒔けないし、果物は取れない。それに飲む水すらないのです。」(民数記20章4節、5節参照)

 そこでモーセとアロンは会衆の前を立ち去り、神の幕屋の入口に行って主なる神様の前にひれ伏しました。すると主なる神様の栄光の輝きが二人を包み込むように現れ、モーセに語りかけられました。
 「あなたは、つえをとり、あなたの兄弟アロンと共に会衆を集め、その目の前で岩に命じて水を出させなさい。こうしてあなたは彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませなさい」。(民数記20章8節)

 それからモーセとアロンとは一緒に会衆を岩の前に集めて言いました。「反逆者たちよ、聞きなさい。私たちがあなたがたのためにこの岩から水を出さなければならないのか!」 モーセは手を挙げて杖で岩を二度打ったのです。すると水がたくさん湧き出たので人々と家畜は飲み、癒されました。(民数記20章10節、11節参照)

 ところでこの水を出して人々と家畜を癒した岩はイエス・キリストであると新約聖書で解説されています。
 「わたしたちの先祖は・・・・みな同じ霊の食物を食べ、みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。」 
    第一コリント人への手紙の10章の4節にあります。

 イエス・キリストはこう言われました。
 「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。       ヨハネの福音書8章の37節と38節
 
  (PBA制作「世の光」2017.2.22放送でのお話より )

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■十戒 -自由への励まし- 3 / 大嶋重徳

2017年03月28日 | Weblog
2017/2/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
聖書には十戒と呼ばれる、神様と人との間に結ばれた約束があります。
 今月から十戒を通して聖書の語る神様を学んでいきたいと思います。

 十戒に出てくる最初のことばに、「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。」(出エジプト記 20章2節)ということばがあります。神様は私たち人間を造るとき、「これを取って食べてはならない」(創世記 2章17節参照)という約束を与えられました。これは人間が約束を守って生きる存在として造られたことを表しています。しかし、人間はこの約束を守ることができずに、取って食べてはならない、と言われた木から取って食べ、神様との約束を破り、罪を犯しました。その時から私たちは、神様の愛の中で自由に生きることができなくなりました。そして、したいと思う良いことを行うことよりも、かえって、したくない悪を行うようになってしまいました。本当は夫のことを大切にしたい、でもでききない。あの人に謝りたい、でも自分からごめんなさいと言うことはできない。私たちは大切な人を愛したい、大切にしたい、と願いながらも、私たちの口から出ることばや行動は周りの大切な人を傷つけたり関係を壊してしまったり。また傷つけられたり、辛い思いに落とし入れられたりします。そこは自分の願っている生き方からほど遠く不自由です。かえってしたくないをさせられ、窮屈で悔しく悲しいもので、それはエジプトの地で奴隷のように生きているような毎日かもしれません。

 しかし十戒があなたに生きて欲しいと願っていることは、あなたがその奴隷のような生き方から抜け出すことで、そのための指針を与えようとしているのです。そして何よりもまず十戒は私たちに、あなたは奴隷の家にいた罪人なのだ、救われなければならない、そことを自覚させようとするのです。

 あなたは今日いかがでしょうか。私は自由だ。何にも縛られずに生きている、と言えるでしょうか。もし言えるならば、あなたのその自由奔放な生き方のために誰かが犠牲になり誰かを痛めつけている現実に気が付いていないのかもしれません。十戒が最初に語るのは、あなたは罪の中にいる。その罪の中から解放される道筋がある。その自由への道に共に生きて行こうではないか、ということなのです。

  ( PBA制作「世の光」2017.2.21放送でのお話しより )

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■み名があがめられますように / 関根弘興

2017年03月27日 | Weblog
2017/2/20放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス様は御自分と共に生活していた弟子たちにどのように祈ったらいいのかを教えられました。教会では「主の祈り」として毎週、礼拝で祈られているものです。

 イエス様はまず、「天にいます私たちの父よ。」(マタイ 6章9節)と呼びかけることを教えられ、「御名があがめられますように。」(マタイ 6章9節)と祈りなさいと教えられました。御名とはお名前ということですね。これは神様ご自身を表しているんです。ですから、神様があがめられますように、という意味ですね。

 ではなぜ「神様が」ではなく、「御名があがめられますように」と言っているんでしょう。 旧約聖書の十戒の中には、神様の御名をみだりに唱えてはならない、という戒めがあります。ユダヤの人たちはその戒めを厳格に受けとめて、聖書の中に神様のお名前を表すことばが出て来ると、そのまま発音することをせずに、「主」、ヘブル語では「アドナイ」と読み変えたんです。それと同じ理由から、「神様」とはっきり言う替わりに「お名前」ということばを使うことがよくあったんですねえ。ですから「御名があがめられますように」というのは、神様があがめられますように、という祈りなんです。

 それでは、「あがめられますように」とは具体的にどういうことなのでしょう。このことばは「聖なるものとされる」という意味があります。と言っても神様は初めから聖なる方ですから私たちの祈りによって神様が聖なるものとなりますようにと言うそんな意味ではありません。そうではなくて、神様が聖なる方であることをすべての者が認めるようになりますように、というそういう祈りなんです。

 私たちが、「御名があがめられますように」と祈る事は神様がきよい聖なる方であり主なる方であることをすべての人々に知らせ、すべての人が認めていきますように、そういう祈りなんです。私たちの現状はどうあれ、神様の力は変わることがありません。神様の偉大さも決して変わることがありません。だから私たちが神様の完全さや力を疑ったり否定したりするのではなく、神様、あなたはすべてを良きにしてくださる主であり、偉大なるお方です、とあがめていくのです。そしてその祈りによって確かに神様は主であり、そして力強い方であることをあなた自身がこの祈りを通して味わうことができるのです。

 (PBA制作「世の光」2017.2.20放送でのお話しより)

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■モアブ人を救う神 / 羽鳥頼和

2017年03月25日 | Weblog
2017/2/18放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
聖書には、これは厳しいなあと思うようなことばがあります。今日は申命記23章にあるそんな神の厳しい命令についてお話しします。

 エジプトを脱出し、荒野を40年間さまよい、やっと約束の地に入ろうとしているイスラエルに、神は厳しい命令を言われました。「モアブ人は主の集会に加わってはならない。」(申命記 23章3節) そして神はその理由を語られました。「この命令を下すのは、モアブの王がイスラエルを呪うためにまじない師を雇ったからである。」(申命記 23章4節参照)  実際には呪い師バラムの祈りに神は耳を貸さず、返って神はイスラエルのために呪いを祝福に変えられました。それは神がイスラエルを愛しておられたからでした。イスラエルを呪うようなモアブ人は神の民イスラエルに入ってはならない、と神は言われたのです。このように神が厳しく言われるのはモアブがひどいことをしたからです。

 それでは神はモアデ人を愛しておられないのでしょうか。そうではないはずです。聖書を読むならば、神はモアブの人々も救おうとされていることが分ります。神はモアブをも救われます。

 ルツという女性がその良い例です。ルツはモアブの女ですがイスラエルの神を信じてボアズと結婚します。そして彼女はダビデの祖父であるオベデを生むのです。新約聖書のマタイの福音書の1章に記されているダビデの子孫イエス・キリストの系図にルツは入ることができました。神の民に入れられ、その上、救い主の系図に名を連ねるという栄誉を受けたのです。

 更に旧約聖書のエレミヤ書48章47節には、「終わりの日に、わたしはモアブの繁栄を元どおりにする。」という神の約束が記されています。神はモアブ人も愛しておられるのです。

 新約聖書のテモテへの手紙第一2章4節もこう言っています。
 「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

 神はあなたが救われることを望んでおられ、救いの道をイエス・キリストによって用意してくださっています。

 明日は日曜日です。神の救いを知るために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2017.2.18放送でのお話より )
 
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■安息日の主 / 岩井基雄

2017年03月24日 | Weblog
2017/2/17放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 第三週の金曜日はマルコの福音書から学んでいます。前回は、新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れるような命あふれる人生の祝福を学びました。今日はそれに続く箇所です。

 この背景には安息日律法と呼ばれる問題があります。神が創造のわざを休まれたことを覚える安息日は人が働きを止め、神を心から礼拝するという目的がありました。しかし律法学者たちはその趣旨を離れ、安息日には働くな、と口伝の律法を作り、安息日に歩ける距離や仕事を制限し、人を癒すことも禁じたのです。そのため、彼らはキリストが安息日に手の萎えた人を癒すかどうかを注視しました。聖書はこう語っています。
 イエスは手のなえたその人に、手のなえたその人に「立って真ん中に出なさい」と言われた。それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか。」と言われた。彼らは黙っていた。イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい。」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。
   新約聖書 マルコの福音書3章3節から5節

 キリストの心の中心は、人を癒し解放する愛でした。癒された人の喜びや感動を共有せず、安息日に人を癒したことを責める律法学者たちは、キリストに怒りを覚えます。しかしこの癒しこそ彼らに対するキリストの愛のわざでした。彼らを含めすべての人が自分の心の闇を認め罪を認める必要があるからです。自分の罪を認め、赦しと恵みに生かされていくとき、どんな人も新しいぶどう酒に表わされる命溢れる人生へと変えられていくことができるからです。

 キリストはこの奇跡のわざと共に、愛の光を通して彼らの心の闇を照らしてくださったのです。律法学者たちの問題は、自分の心の闇を認めない頑なさでした。高慢で固い心は真の愛や命に気がつかずに、恵みと愛と赦しを過ぎ去らせてしまうことがあるのです。あなたも心を開き、自分の心の闇を認め、イエス・キリストの愛と恵みのチャレンジを受け取って行きませんか? あなたは愛されているのです。

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■竪琴のようにわななく / 福井 誠

2017年03月23日 | Weblog
2017/2/16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「竪琴のようにわななく」です。それではイザヤ書の16章11節から読んでみましょう。

それゆえ、わたしのはらわたはモアブのために、わたしの内臓はキル・ヘレスのために立琴のようにわななく。

イザヤの預言を続けて読んでいますが、今日は16章です。ぜひ毎日聖書を開いて読み通していただきたいと思います。

 さて今日の箇所は、イスラエルの隣の国モアブという国に対するさばきの宣告ですね。しかし聖書を読んで思うことは、神様は敵対的に人を罰するようなお方ではない、ということですねえ。いつでも身内として親のような心を持って罪人に向かっていますねえ。モアブの罪は彼らの高慢さと邪悪さにある、とイザヤは言います。高ぶり・高慢と訳されたことばは、自分自身を過大評価することを意味します。また、おごりはあらゆる面で自分を誇ろうとするあつかましい態度を意味しています。人間は本当に不自由なもので、なかなか自分の弱さや心の貧しさを認めることができないものです。自分が弱いと分かっていても、そうは見せない強情さがあるものですね。しかしそのような高ぶりにあっては決して神様を認めることはできませんし、社会の人間関係の中でも物事をうまく進めることができないものです。そしてある日突然、梯子を外された者のように高慢ちきな心を砕かれてしまうことが社会の中で起こったりするものですねえ。

 ただ神はそんな私たちの愚かさを冷ややかに見ている方ではありません。痛みつつ見守ってくださっている方だというのが実に感動的ですね。
 「わたしのはらわたはモアブのために、わたしの内臓はキル・ヘレスのために立琴のようにわななく。

 はらわたも内臓も感情の座です。神は言い尽くせぬ突きあげるよな悲しみを味わいながら、人が素直になること、神の前にへりくだることを期待しておられます。人間が神に造られた者、神あっての存在であることを認めるときに、人は本当の自由を感じることができます。また神を味方にした人生を歩むこともできます。あなたを深く愛する神の祝福を信じて歩みたいものですね。

(PBA制作「世の光」2017.2.16放送でのお話より )

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■十分の一は相続 / 板倉邦雄

2017年03月22日 | Weblog
2017/2/15放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「十分の一は相続」という題でお話ししましょう。

  遺産相続は時々、家族の間を分裂させる争いへと発展させてゆきます。しかし初めから十分の一は相続できると約束されていたら、どんなに安心でしょうか。

 さて、レビ族の子孫には主なる神様から十分の一の相続が約束されていました。レビ族の仕事は、神の幕屋で神様と人々のために働く事です。神様と人々との間に立って人々の罪を背負って神様に執成しの祈りをしました。人々が供え物として主なる神様に捧げる十分の一は神様と人々のために働くレビ人の相続となったのです。すなわち生活費や活動費として与えられました。レビ人にとって主なる神様が相続財産だったのですねえ。ですからレビ人はイスラエルの人々の内で相続地を持ってはならなかったのです。

 さて主なる神様はレビ人の祭司アロンに言われました。「あなたはイスラエルの人々の地の内に相続地を持ってはならない。また彼らの内に何の分、相続財産をも持ってはならない。彼らの内にあって、わたしがあなたの分、相続財産であり、あなたの相続地である。」

 ですから主なる神様は、レビの子孫にはイスラエルにおいてすべての十分の一を相続として与え、その働きすなわち神の幕屋の働きに報いる、と約束されたのです。人びとが捧げる十分の一の備え物、穀物や果物の残りはレビ人の働きの報酬となりました。

 さてこの原則は今日まで続いて参りました。神の教会で働く働き人が信徒たちの捧げる十分の一献金あるいは献品によって生活を支えられているという原則です。
 イエス様もこう言いました。
 「働き人がその(神の国の働きによって)食物を得るのは当然である。」 マタイの福音書10章10節

 そして伝道者パウロも、「主なる神は、神の国の福音を宣べ伝えている者たちがその働きによって生活すべきことを定められたのである。」 第一コリント人への手紙の9章の14節(参照) と言っています。

 私がキリスト教の伝道者になると父親に言った時、「誰が食わせてくれるんだ。」と父親が私に言いました。私は「神様です。」と答えましたが、それは本当でした。

  (PBA制作「世の光」2017.2.15放送でのお話より )

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■十戒 -自由への励まし- 2 / 大嶋重徳

2017年03月21日 | Weblog
2017/2/14放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
聖書には十戒と呼ばれる、神様と人との間に結ばれた約束があります。十戒が聖書に登場するのは聖書の出エジプト記という箇所です。

 出エジプト記とはエジプトで奴隷として扱われていたイスラエル民族をモーセというリーダーが連れ出して自分たちの故郷に戻ろうとする旅が描かれています。その旅の途中、十戒は神様からイスラエルに与えられたのです。

 十戒の最初のことばはこうです。
  それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。
  「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
・・・」(出エジプト記 20章2節、3節)

 十戒は「それから神は」と始まります。「それから」と言う限りはそれまで何か経緯があったはずです。実は十戒が与えられる前、神様とイスラエルの間には愛の告白がありました。そこでは、エジプトで奴隷として扱われていたイスラエルを神様が救い出し、「わたしはあなたがたを鷲の翼に乗せ、わたしのもとに連れてきた。」(出エジプト記19章4節参照)と、神様がイスラエルに愛情豊かに語られます。そして、「今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、・・・わたしの宝となる。」(出エジプト記19章5節)と神様からの愛の告白があるのです。

 するとイスラエルの民はみなが口を揃えて、「私たちは主が仰せられたことを、みな行ないます。」(出エジプト記19章8節)と返事をするのです。まるで神様からのプロポーズを受け取り、愛の誓約をした結婚式のような瞬間です。

 この愛のやりとりがあった後に、「それから神は」と十戒を与えられたのです。十戒は神様が人間に一方的に押し付けたものではありません。愛とは約束を守ることで表わされるものです。愛しているけれども時間は守らない、約束をすっぽかす、というのは愛ではありません。神様が「あなたを宝の民とする、あなたを祝福する」という約束を結ばれました。私たちが神を愛し神に伝わる愛で生きようとするとき、神様は私たちを宝の民として、神様に届く愛の表し方を教えてくださったのです。十戒は縛りつけるものではなく、神様を愛する愛の表し方なのです。今日も聖書から教えられ、神様を愛する一日を生きていきたいと思います。 

  ( PBA制作「世の光」2017.2.14放送でのお話しより )

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