♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■わたしはあなたを忘れない

2009年11月30日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。

 保育園と幼稚園の園長を30年もしているという方にですね、ある方が聞いたそうなんです。 「30年前の子どもたちと今の子どもたちと比べたときに何か変わったってことがありますか?」って尋ねましたら、「0歳から幼稚園児たちは全然変わってない。」って言うんですね。 「変わったのは親の方ですよ。」っていうことなんですねえ。 「昔の親は子どもをとても大切にして、心も目も子どもに焦点をあてて見ていた。だけど今の多くの親は子ども以外のことに心と目を向けすぎる。」っていうふうなですね、そんな苦言を呈しておられたそうなんですけれどねえ。 変わったのは親御さんだ、というその園長さんらしい見方かなあっていうふうに思うんですけれども、まあいろんな味方があるかもしれませんけど、ともかく昔から比べたらいろいろ確かに親の方が変わってきているってことが言えるかもしれないなあっていうふうに思いましたねえ。 

 聖書の中のイザヤ書の49章という所にこういうことばがありまして、「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」(15節)ってことばがあるんですね。 「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。」っていうそんなことあるはずがないっていうような意味で使われるてるんですけど、でも今はどうでしょうかねえ、何か乳飲み子を忘れることも胎の子をあわれまないこともあるような事件というのが起こりますよねえ。 しかしここには、「たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」(と) 「このわたしは」というのは天地万物の創造主であり、私たちを愛してやまないまことの神様、その方がおっしゃっていることばですね。 

 そしてそのあとには「見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」(イザヤ書 49章16節)ってことばがあるんですけれども、もうまるであなたを自分の手の平に彫りつけてですねえ入れ墨しているようにして片時も決して忘れないという、私たちがそういう方がいらっしゃるということを知るときにですね、子どもたちが親に愛されているという実感を持っているときに本当に健全に育つように、私たちもそのように私たちを片時も忘れずに覚えていてくださる方がいるということを知っているということは私たちの生活を本当に豊かなものにする、そういうふうに思いますよねえ。 

 ( PBA制作「世の光」2009.11.30放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■主は、心を痛められた

2009年11月28日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。

 心を痛めるほどに人を愛する神様、今日はそんな神様の愛に目を留めてみたいと思います。 

 旧約聖書創世記6章6節にこんなことばがあります。 
 「主は・・・心を痛められた。

 このことばに神様の深い愛が示されています。 これはあのノアの洪水によって人類が滅ぼされるその前の神様の思いを示しています。 当時の人々はみな神様を無視し神様に背いて歩んでいた、と聖書は言います。 私たち人間が神様を無視し神様に背いて生きるとき、神様はどのような思いをされるのでしょうか。

 聖書は言います。 「主は・・・心を痛められた。」 神様は神から離れて歩む人を蔑んで冷たく突き放そうとするお方ではありません。 いやむしろ心を痛めていてくださる。 人が神から離れて歩み、それゆえに裁きを身に招くことに心を痛めていてくださる。 聖書はそのように教えています。

 「主は・・・心を痛められた。」 ここに私たちの予想をはるかに超えた深い愛が示されています。 限り無い愛のゆえに人を造られた神様は、どこまでも人を愛していてくださる。 神から離れて歩む人のために心を痛め、その人が救われること、神のもとに立ち帰ることを願っていてくださる。 聖書はそう教えているのです。 

 今あなたは神様の目に何を見ておられるでしょうか。 そこにあるのは冷酷な怒りや無関心などではありません。 心を痛めるほどの深い愛、あなたに向けられたその深い愛にどうか目を留めていただきたいと思います。 そしてあなたを愛し、あなたが救われることを願っていてくださる神様の語りかけ・聖書のことばに耳を傾けていただきたいと思うのです。 

  「主は・・・心を痛められた。」 あなたに向けられた神様の愛、その愛にあなたも目を留めてくださいますよう。

(PBA制作「世の光」2009.11.28放送でのお話しより )


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■死を越えていく永遠の家 --人生の建物--

2009年11月27日 | Weblog

世の光の時間です。 お変わりありませんか? 岩井基雄です。 

 今月は、人生という建物について一緒に考えてきました。 今日もまた真の家・永遠の家について一緒に考えたいと思います。 少し長くなりますが聖書をお読みします。

 「私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。・・・確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。」 コリント人への第二の手紙5章1節、4節

 私たちの人生にはうめきがあり虚しさがあります。 それは地上の幕屋・地上の生涯に終わりがあるという事実と無関係ではないでしょう。 どんなに素晴らしい人生を歩んだと思っても、死によって全てが失われ、無に帰してしまうのではないか、と思うのです。 あなたはいかがでしょうか。 

 しかし聖書は、私たちの心のうめきは、本物の住まい・天の住まい、そして永遠のいのちをもとめているからだ、と言います。 永遠の神のかたちに創造された私たちは表面的なものや一時的なものでは満たされないのです。 そして心のどこかに、死を越えていく永遠のいのち、本物の勝利の人生があることを感じ、求めているのです。 

 この地上の建物は必ず朽ちていくように、私たちの地上の人生も必ず終わりを迎えます。 しかしそれは虚しく終わるのではありません。 あなたの罪のために十字架にかかり、死んでよみがえられた救い主イエス・キリストを信じる者には、天にある永遠の家・永遠の愛といのちが待っているからです。 どんなうめきや悲しみがあろうとも、イエス・キリストを信じる者の人生は豊かな希望と喜びに満ちたものとなるのです。 なぜなら、そのためにイエス・キリストはこの地上に来られたからです。

 クリスマスが近づいている今、いつまでも続く本物の希望について一緒に考えてみませんか? このイエス・キリストを信じる人生には、永遠の希望といのちが待っているのです。 どうぞこのクリスマス、近くの教会へとお出かけください。 

 ではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2009.11.27放送でのお話しより)



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■ただ一度で成し遂げられた

2009年11月26日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。 
 今日のバイブル・メッセージは「ただ一度で成し遂げられた」です。 

 それでは聖書の中のヘブル人への手紙7章25節から読んでみましょう。

 「キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。

 昔ユダヤ人には、毎日犠牲動物を捧げる習慣がありました。 それは人の罪やけがれは血を流す犠牲によって赦されるという考えがあったからです。 実際に神殿では毎日朝夕、子羊が捧げられました。 また安息日つまり土曜日にはさらに二頭の子羊を、月始めには更に十頭の犠牲動物が捧げられました。 そして祭りがある時もたくさんのいけにえが人の罪の赦しのために捧げられたのです。それら公のいけにえに、さらに個人的ないけにえも捧げられました。 ですから神殿では毎日おびただしい数のいけにえが人間の罪の赦しのために捧げられていたのです。 
 紀元70年、ローマ帝国によってエルサレム神殿が破壊されるまでにこうした犠牲の習慣は続けられていました。 ですからユダヤ人には、罪は血によって犠牲を捧げることによって赦されるという考え方が深く染みついていた訳です。 そういうユダヤ人に対してヘブル人への手紙の著者は、言ってみればキリストは全人類の罪の赦しのために永遠に有効なただ一度だけ捧げられたいけにえである、と語るのです。 もうこれっきりの犠牲である。 イエスが十字架で血を流し、御自身を捧げられた以上、どんな犠牲も不要であるという訳です。

 私たちの罪の赦しのために必要なことはイエスが一度だけで完全に成し遂げてくださいました。 これが聖書の語ることです。

 今のあなたにとってイエスの罪の赦しは関係のないことと思われるかもしれません。 しかしもしあなたが何かに失敗して深く罪意識に悩まされた時に、あなたにはどんな解決があるでしょうか。 

 イエスの十字架にこそその解決がある、と聖書は言います。 イエスの十字架は一度限り。 全人類の罪の赦しのために捧げられた尊い犠牲です。 信じればあなたの心にも安らぎが来るのです。 

  (PBA制作「世の光」2009.11.26放送でのお話しより)


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■自ら墓穴を掘る

2009年11月25日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 板倉邦雄です。
今日は「自ら墓穴を掘る」という題でお話ししましょう。 

 自ら墓穴を掘るとは、自ら招いた災いの種に我が身が破滅してしまうという意味です。 人に害を与えようとするとやがてそれが自分に跳ね返ってくるのです。 総理大臣ハマンの人生はその通りになりました。 旧約聖書エステル記の続きです。

 さていよいよエステル王妃の二日目の宴会が始まりました。夫である王様と総理大臣ハマンだけが招待されたパーティーでしたね。 こうして酒が振る舞われる頃、王様はもう一度王妃に尋ねました。 「エステル、一体何が欲しいのじゃ。 何なりともかなえてやろう。 帝国の半分でもなあ。」 遂に王妃エステルは重い口を開きました。 「ああ陛下、もし私を愛おしいとお思いでしたら、そしてもしこのことがお心にかないますなら、何とぞ私と私の同胞の命をお助けください。 このままでは私も同胞の者たちも助かる術はありません。 みな皆殺しにされる運命なのです。」 王は唖然としていました。 「はてさて何のことを申しておるのじゃ。 一体どこのどいつが手出しをすると言うのじゃ。」 「恐れながら陛下、ここにおりますハマンこそ悪の張本人。 私どもユダヤ人の敵でございます。」 二人の目の前でハマンの顔から見る見るうちに血の気が引いていきました。 王様は荒々しく立ち上がると部屋を出ていってしまいました。 もうだめです。 自分の命は風前の灯火だと察したハマンは王妃エステルに命乞いを始めました。 王妃がもたれているソファーに崩れるようにです。 その時王様が庭から引き返してきたから、さあ大変です。 「この宮殿の中で、しかも余の目の前で王妃に手を出すつもりか!」 王の怒りが爆発しました。 その場で直ちにハマンの顔に死刑用のベールが掛けられたのです。 その時、王の側近が申し出ました。 「陛下、ハマンはモルデカイをつけようと、25メートルも及ぶ絞首台を自宅の庭に造らせております。 こともあろうに暗殺者の手から陛下のお命を救ったあのモルデカイでございますよ。」 「何だと! ハマンをそれに吊るせ。」

 聖書のことばです。 
 「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。
    ガラテヤ人への手紙 6章の7節から8節 (口語訳聖書)

  ( PBA制作「世の光」2009.11.25放送でのお話より )

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■喜びの叫び

2009年11月24日 | Weblog

  世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。 聖書の中に「信仰の父」(ガラテヤ 3章9節「信仰の人」、ローマ 4章12節「信仰の足跡に従って歩む者の父」、ローマ 4章16節「アブラハムの信仰にならう」)と賞賛された人物がいます。 それは旧約聖書に登場するアブラハムという人です。 まあ賞賛されているからと言って彼が完全な非の打ち所のない人であったかというと、そうではありませんでした。 挫折もしましたし、落胆もしたんです。

 ある時アブラハムに神様は、「わたしが示す地へ旅立ちなさい」(参照創世記12章1節)と言われました。 一大決心をして彼は遂に旅立ちました。 きっと神様が示す地なのだから素晴しいことがこの先待っているに違いないと考えたことでしょう。 素晴しい潤いのある土地に神様が導いてくださるぞ、ぶどうが実り、果実が豊富に取れ、穀物は有り余るほど、家畜のためには牧草はたっぷり、ま、そんな夢を抱きながら旅を続けたと思うんです。 しかしどうでしょう。 アブラハムの思いとは裏腹な出来事が襲ってきました。 彼がようやく辿り着いた土地、神様に従って出て行った先は何と飢饉だったのです。

 アブラハムの生涯はいろいろなことが起こりました。 挫折も落胆も経験しながら、しかし彼は神様をなお信頼して生きていったんですねえ。 

 私たちは日本の中で信仰ということを考えると、どうも御利益宗教のイメージがとても強いですよね。 信じたらいいことがある。 もしなければやーめた、って具合です。 ですからキリストを信じても自分の考えていないようなことが起こったり、いわゆる不幸が起こると、すぐに、なあーんだキリストを信じたって何もいいことなんてないぞ。 やーめた、と結論づけてしまうことがあるんです。 自分にメリットがないなら信じている意味があるのか、とすぐに考えてしまうんですねえ。 でもちょっと待ってください。 自分の思い通りになるために神様がいるとするなら、もはや神様は私たちの召し使いのようですよね。 残念ながら聖書は、信仰を持っていればバラ色の人生を保証しようとはどこにも書いてありません。 しかし力強くこのように記しているんです。 「彼に信頼するものは失望に終わることがない」(参照ローマ 9章33節、ローマ 10章11節、1ペテロ 2章6節)と。 失望は人生に襲うことがあります。 思うようにいかない現実も経験するでしょう。 悲しみの涙を流すことも何度となくあるかもしれません。 しかし聖書は、イエス・キリストにあって生きる一人ひとりの人生は最終的には喜びの叫びを刈り取る人生とされていくのだと教えているんです。 イエス・キリストに信頼していく人生は決して失望に終わらせないと約束されていますからね。 

 (PBA制作「世の光」2009.11.24放送でのお話しより)

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■神に感謝して

2009年11月23日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。

 今日11月23日は勤労感謝の日ですねえ。 「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう日」として制定されたということなんですけれども、まあしかし今はねえ不景気で仕事をしようにもできないという方たちもいらっしゃるのでねえ、そういう方たちが本当に仕事が与えられて勤労の喜びを一緒に味わうことができるといいなあと思いますよねえ。 

 アメリカではその毎年その年の収穫を神様に感謝するサンクス・ギビング・デーというのがあって祝日になっているようですね。 11月の第四木曜日がそれにあたる訳ですから今週ですけれどもね。 まあ日本は国民が互いに感謝しあう日となっていますけれどもアメリカの場合は神様に感謝する日という意味なんですねえ。

 で、これはイギリスからアメリカの方に渡っていった17世紀、メイフラワー号で渡っていった訳ですね、あの清教徒ピューリタンたちが。 で、そこでその所に住んでいた原住民の方たちに教えてもらって開墾して、そして収穫を得て、その時に本当に彼らは神様に感謝をし、もちろんその助けてくれた方たちにも感謝した訳ですけれどもね。 それで、そのことを忘れずに神に感謝する日として祝っているということですね。 

 私たちはやっぱりお互いに勤労を喜びあうこともそうですけれども、すべての恵み・祝福の源である神様に感謝するということ、これは大切なことだなあというふうに思いますねえ。 

 ある宣教師の方がこんな話をしてまして、お宮の前でですね、目の前を通ってた人が財布を落としたものですから、「もしもし財布を落としましたよ」って拾ってその人に差し上げた。 そしたら、「あっ、これはこの天神様のおかげだ」と言ってそこに賽銭を入れて、そしてパチンパチンと柏手を打ってですね帰っていった。 そのときに宣教師に全然ありがとうと言わずに「ああ天神様のおかげで」って言って、「いやあ、拾ってあげたのは私なんだけどなあ」と思ったというんですけど。 時々そんなことがあるんじゃないかなあというふうに思ったりするんですねえ。 

 聖書を見ますならば「父なる神に感謝す」(参照 エペソ 5章20節、コロサイ 1章3節、コロサイ 3章17節)というふうに書いてあって、様々な人を通してでありますとか、いろんな状況の中でそういう感謝すべき事態が起きてくる。 でももともとは神様がそこに御配剤してくださってすべてを最善にしてくださった。 その神に感謝する。その気持ちを大切にしたい。 そう思いますね。 

 ( PBA制作「世の光」2009.11.23放送でのお話しより)

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■真の強さ

2009年11月21日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。

 私たち人間はいったいどれほどの強さ豊かさを手に入れれば幸せに生きられるのでしょうか。 旧約聖書創世記4章には人類が大きく分けて二つの流れに分かれていったということが記されています。

 人が目指した一つの流れ、それは強さを追い求める生き方でした。 より多く、より豊かで、より強い生き方。 ある人々はそんな生き方を目指し、実際それを手に入れたと言います。 彼らの人生の目的は喜び楽しむことにあり、表面的には賢く豊かな生き方が実現しました。

 しかし彼らの内側には自己中心の罪と恐れがいつまでも潜み続け、結局その意味はうわべだけのはかないものであった、と聖書は言います。 人間の知恵と力にのみ信頼する歩み、神に感謝せず神を拒絶して生きる神なき歩み。 それは決して強くも豊かでもない歩みであったと聖書は言います。 

 一方、それとは対照的に、弱さを受け入れて歩む人々、神様に拠り頼んで生きる生き方を選んだ人々もいました。 彼らは神様に拠り頼むということを恥としませんでした。 いやむしろ神様の恵みに拠り頼むことを彼らは喜びとしたのです。

 その結果、彼らは神様との豊かな交わりを体験し、人としての弱ささえ感謝して受け入れることができました。 弱さを認めながら神様の恵みに拠り頼み、神様と共に歩む。 そんな歩みこそ真に豊かで真に強い幸いな意味であると聖書は教えています。

 神様の存在を認め、神様の愛と恵みに拠り頼んで歩む。 その人はことさらに強さを求める必要はありません。 豊かさを追い求める必要もありません。 自らの弱さ、人間としてのはかなさを認めつつ神様の豊かな恵みに身をゆだねて生きる。 そこにこそ本当に幸いな歩み、本当に強い歩みがある、と聖書は言います。

 背伸びをし続けることをやめてありのままの自分で神様に愛され守られて生きる。聖書が約束するそんな幸いな生き方にあなたもどうぞ目を留めてください。
    
( PBA制作「世の光」2009.11.21放送でのお話しより )


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■天の故郷----人生という建物

2009年11月20日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。 

 一年の締めくくりを約一ヶ月後に控え、自分が育った故郷を想う季節を迎えています。 ふるさとに想いを馳せながらも、様々な理由で帰ることができない人もいらっしゃるかもしれませんねえ。 

 聖書は、私たちの本当の故郷について旧約聖書の人々の歩みを用いてこう語っています。 
 「彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」 新約聖書ヘブル人への手紙 11章16節

 旧約聖書の人物たちは、この地上の生涯にどのような苦しみがあってもその苦しみを御存知で限りない平安と祝福を与えてくださる神様のもとに戻ることを心に留め、苦難の中でも神様を信頼して歩み続けたのです。 

 随分前のことですが神様のためにアフリカの奥地で宣教師として生涯を捧げて歩んだ方がその歩みを終えてアメリカに帰り着きました。 しかし港で彼を迎えた人は殆どいませんでした。 一方、同じ船に数週間のアフリカでの狩り・狩猟の旅を終えて戻ってきた有力者が乗っていたのです。 その彼のためには紅い絨毯が敷かれ、盛大な歓迎のファンファーレがその港に流れたというのです。

 宣教師は失望を隠せませんでした。 生涯を捧げた彼と、わずか数週間の狩りの旅を終えて帰ってきたこの有力者との歓迎の仕方の違いに、悲しみさえ覚えたのです。 しかしその時彼の心に神様からの語りかけがありました。 「お前はまだ本当には帰り着いてはいない。 帰るべき所はそこではない。」と。 彼の心に天の故郷への希望と憧れがよみがえりました。 人生を終えたときの天の喜びそして主ご自身との愛に満ちた交わりはどのようなものだろうか、と胸が高鳴ったというのです。

 私たちが帰るべき所はこの地上ではありません。 そしてあなたが帰るべき本当の故郷は神のもと、天にあるのです。 イエス・キリストを自分の救い主として信じた者に天への門は開かれています。 あなたも神様を見上げ、天の祝福に心を留めて人生を歩みませんか? 

 それではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2009.11.20放送でのお話しより)



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■とりなすキリスト

2009年11月19日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。

 今日のバイブル・メッセージは「とりなすキリスト」です。 それでは、聖書の中のヘブル人への手紙7章25節から読んでみましょう。

 「キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。

 初めて教会に訪ね、信仰を求めてくる人は大体神様を素直に信じる心を持っていることがあります。 しかし神様にキリストが加わってくると良く分からない、という人は多いのです。 

 二千年前に生きていたキリストが教祖だと言われると分かるような気もしますが、聖書はそうは教えていません。 キリストは(もともとは)人ではなく神であって、今もなお生きていて、私たちを天地創造の神に結びつける重要な働きをしていると教えられています。 よく分からないなあ、キリスト抜きに神様に直接つながれないものか、と思う人は多いでしょうね。 

 そこでこんなことを考えてみてください。 今突然死んで裁き主である神様の前に立つとしたら、どれだけの人がそこで良心の咎めもなく胸を張って立っていられることでしょうか。 よく考えてみれば人生の終わりに裁き主である神の前に立つなど恐ろしいことですね。

 ところがそこにキリストが立ってくださったらどうでしょうか。 キリストは二千年前に十字架上で私たちを罪の赦しのために犠牲となって死んでくださいました。 キリストはまず私たちに対する愛を表してくださったのです。 そのキリストが復活されて今もなお生きておられ、天において私たちのためにとりなしをしてくださっています。 キリストは永遠の神として、いつでも私たちと共にいてくださいます。

 つまり今私たちが突然天に行くようなことがあってもキリストがそこで待っていてくださるのです。 そして私たちのあらゆる過ちや愚かさについて私たちの味方となって裁き主である天の父なる神にとりなしてくださるという訳ですねえ。 ビクビクし、口ごもる私たちのためにちゃんと弁護してくださいます。 何とも心強いものです。

 誰でもキリストを信じるなら私たちの死後に不安はありません。 また今も私たちの行動はとりなされています。 そうであればこそいつでも神の前に胸を張れる正しい心で歩みたいものですね。

  (PBA制作「世の光」2009.11.19放送でのお話しより)



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