♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■福音の四季 :キリストを着る

2007年01月31日 | Weblog
 
 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さて今日の世の光、沖縄の牧師、高安さんの作った「人生讃歌」という歌を紹介しましょう。『男はつらいよ』のメロディーで歌うのだそうです。

 人生行路は楽しいものよ キリスト・イエスを信じれば 
 どんなにつらい道を行くとも 希望の太陽は微笑むよ 
 人生行路は楽しいものよ 愛と赦しがあるならば 
 父ちゃん母ちゃん共に愛して 家庭円満幸せよ

 まだ一節あるのですが、惜しいですけれども割愛します。高安先生の、背が高くて福々しいお顔が目に浮かびます。

 さて今日の福音の四季のメッセージです。新約聖書ローマ人への手紙13章14節。
 「主イエス・キリストを着なさい。

 キリストを着なさいというメッセージですね。イエス・キリストの例え話の中で、王の招待を受けた者の中で礼服を着ていないので暗闇に放り出されたという話があります(マタイの福音書22章10節~13節)。今日(こんにち)はだいたい「平服でおいでください」というパーティーが多い中で、これは何ということばでしょうか。ところが王の招待を受けた者にはあらかじめ礼服が用意されていたのだという旧約聖書のことばがあります。私たち天国のパーティーに礼服とはイエス・キリストなのですね。天国に入る救いの恵みも神様の賜物、神様の備えなのです。「キリストを着る」とは、天国に入るために十字架に死に、よみがえってくださったイエス・キリストを信じることなのです。ぼろ切れを着た罪人我ら、外はきらびやかに見えても、美しい衣を着ていても、中身はぼろぼろの罪人です。しかし、罪のあるまま神様の与える救い主イエス・キリストを着さえすれば天国に入れるものとなる。義の衣をまとって天国に入る。クリスチャンの恵みですねえ。

 聖書のことば。  「主イエス・キリストを着なさい。」ローマ人への手紙13章14節のことばです。

  それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2007.01.31放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



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■人生をみつめ直そう

2007年01月30日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしですか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 今日はまず聖書のことばを紹介しましょう。詩篇77篇の12節。
私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。

 忙しい時代の中にあって、ふと立ち止まり、人生を見つめ直す。これは大切なことです。聖書には「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。」(伝道者の書7章14節)とあります。ですから私たちが折に触れ自分の人生を静かに見つめ直すことを聖書は勧めているんですね。私たちが人生を見つめ直そうとするとき、二つのアプローチがあります。

 一つは、過去から今を見つめるということです。昔を振り返りながら今の自分を見つめるんですねえ。しかし、ともすると、昔は良かった昔は良かったと、ただ回顧するだけで将来に希望を持てなかったり、ただ昔の栄光に縛られて今を正直に受け入れられず、こんなはずじゃないのに、って心の中で叫んでいる人もいるかもしれません。また過去にあまりにも苦しい経験をしたものですから未来にまったく希望をもてないと考えてしまう人もいるでしょう。でもこれでは、見つめ直すどころか、余計に人生を虚しいものにしてしまいますよね。

 聖書の視点はまったく違います。過去を見るなら神様のなさったことを思い起こしなさいと教えているんです。あなたがここまで生かされていることの中に、神様の支えを過去の出来事から見てみなさいと勧めているんですねえ。自分の人生、何一つ良いことなんかないって言われるかも知れません。でも、今あなたはこうして生かされているんです。静かに過去を振り返り、神様があなたの人生を支えているということを考えてみる。これも大切ですね。

 そしてもう一つのアプローチは、未来を見つめ今を見るということです。聖書のヘブル書という所には、こう書いてあります。「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。」(ヘブル人への手紙11章13節) 聖書に登場する有名な人物をここで紹介しながら、みんな昔の人たちは死にましたが彼らは未来を望みながら今を力いっぱい生きていったんだって紹介しているんです。

 人生を見つめ直す。それはあなたの人生に神様が共にいてくださることを受け入れ、永遠の未来を待ち望みつつ信仰に生きる姿なんですね。

 ( PBA制作「世の光」2007.01.30放送でのお話しより )

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■しんがりとなられる神

2007年01月29日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー旧約聖書のですねえイザヤ書の52章という所にこういうことばがありますが、「主があなたがたの前に進み、・・・、あなたがたのしんがりとなられるからだ。」っていうことばですね。神様っていうお方は私たちの前に進んでくださって、そして行く道を備えてくださり、また新しい方向へとちゃんと導いてくださるんだと。どういうふうなことがあってもこのお方が先に進んでいてくださるから大丈夫なんだという意味のこと。

 しかし同時に、そのお方が「あなたがたのしんがりとなられる」ということばがあるんですね。「しんがり」ということばは最近はあんまり使わないことばですよねえ。これは一番後ろという意味ですよね。最後のというふうな意味ですね。

 よく幼稚園なんかの子供たちの遠足などで引率をする先生が一番前にいますよね。「ハイ、こっちですよ」というふうにして前に立って進みます。同時に、必ず後ろにも先生がついていますよね。子どもたちは遅れたりすることがあるかもしれないし、道草してしまうこともあるかもしれません。転んだりすることもあるかもしれません。ですから、ちゃんと後ろにいてそれをケアすると言いましょうかね、フォローするって言いますか、そういうことが大切な訳ですね。

 そういう意味で私たちの信ずる神様は前に進んで新しい方向へと導いて下さるというだけじゃなくって後ろにもいて下さって、そしていろんな危険から守って下さる。で、いろんな問題をフォローして下さるということが言われているということなんですね。で、この「しんがり」というふうに訳されていることばは「後始末」というような意味があるんですね。で、振り返ってみると、私たちの生活にはいろんな間違いがあったり、失敗があったりですね、罪を犯してしまったりというふうなことがあったりする。それらのものを神様がちゃんと後始末をして下さるということが言われているっていうんですねえ。

 このイザヤ書の52章の後は53章な訳ですけれども、この53章というのはちょうどキリストの十字架のことを予告・預言している所だというふうに言われています。つまり、イエス・キリストが十字架で死んで下さったということは、私たちの失敗や罪を全部ご自分が背負って後始末をして下さったということを意味するということですね。

 そういう意味で、私たちは先に進んでくださるイエス様、後始末をして下さるイエス様ということを知ることは大切ですね。


 ( PBA制作「世の光」2007.01.29放送でのお話しより)

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■いのちを得させてくださいました

2007年01月27日 | Weblog

 
 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。
今日の世の光は、皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。

 徳島県徳島市にお住まいの牧師、秋吉さんからは、新約聖書ヨハネの手紙第一4章8節、9節が寄せられました。お読みしましょう。
愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

 1997年版のニューズウィーク日本版に「100歳まで生きる」という特集がありました。最初に紹介されたのはアンジエライン・ストランダルという104歳になるおばあさんで、70年もの間、病気らしい病気はしたことがないお方、酒・たばこはやらない。あまり肉は食べないで野菜中心、テレビの宗教番組は欠かさず見ているという元気なおばあさんです。フリップ・アレットという、100歳まで現役で働いている社長さんは「毎日活動的に前向きに生きること。くよくよ心配する悲観論者の友人は皆、早死にしているよ。」と言います。このように、生きる大前提は神様を信じて生きることだと私は思うのです。新しい年、愛なる神様を信じて、明るく一日一日を生きてまいりましょう。秋吉牧師の年頭のことばですね。本当に私など病気の問屋のようでしたが、86歳の今まで生きたのは、愛の神様に育まれ、(神様を)愛して、信じて生きたおかげだと、つくづく思います。

 秋吉牧師の心に残る聖書のことば。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」ヨハネの手紙第一4章8節、9節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」07.01.27放送のお話しより)


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■変わらない幸せ、本当の幸せ

2007年01月26日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 今日は、先週に続いて「変わらない幸せ、本当の幸せ」について考えてみたいと思います。

 本当の幸せというのは三つの条件を満たすものだと考えてきました。一つは、自分で本当にそうだと実感できるもの。ま、現実のこと。次に、ある人だけではなく、それを持ったら誰でも本当に幸せと実感できるもの。つまり普遍的なもの。三つめは、それは変らないものということでした。ですから、変りやすいものや状況によるものではないということでした。例えば、結婚、家庭、仕事、人生、それらはみんな変りやすいものです。だからそれらを幸せにする変らないものが大切だ。

 ま、聖書を通して教えられている神は、あららゆる良きものの源であり、幸せにする方だということです。ですから、そこにある幸せのことです。

 実は英語ではこの幸せ、区別しています。ハッピー、ハッピネス、これはハプン「起こる」という動詞から来ています。ですから何か良いことが起こる、起こった、だからハッピー・幸せということです。良くないことが起こる、悪い状況になってしまうとアンハッピー・不幸になってしまう。つまり変りやすい状況による一時的なものです。

 もう一つ、その変らない本当の幸せと言われているもの、それはブレッシング、ブレスト、「祝福」とも訳されていることばです。これは神からの祝福という意味です。つまり、あらゆる出来事・状況を、良きもの・幸せに祝福することのできるそういう神からの贈り物、それが幸せなんだと言うことです。

 旧約聖書の詩篇の119篇の71節という所には、苦しみに会ったことは幸せだった、なぜならそれで神様を・神様の幸せの道を知ったからだ、と歌われています。

 新約聖書の多くの手紙を書いた、キリストの弟子パウロは重い病気、治らない病気(になって)、一生懸命祈った、でも治らなかった。でも、その病気を通して偉大な神を知った、神の力を味わった、だから病気も幸いだ、と書いています。

 本当の幸せというのは、変らない幸せっていうのは、それを与えてくれるブレッシング(祝福)してくださる神を知っている(こと)、(その)神を持っていることだ、というのです。

 あなたはそんな神様からの幸せを味わったことがありますか。どうぞ体験してみてください。

  (PBA制作「世の光」2007.01.26放送でのお話しより )

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■神に感謝する歩み

2007年01月25日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日は聖書の中のローマ人への手紙から読んでみましょう。

というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。
  ローマ人への手紙1章21節から23節

 ある医学部の教授が退官間際にキリスト教信仰に導かれました。大学で長年、人体の解剖学を研究し教えてきた先生でしたが、それによって人間の体が実によく設計されたものであると思うようになったそうです。そしてある日、聖書に出会い、天地をお造りになり人間をお造りになった神がおられることを知り、神様を信じるようになったと言います。

 大空や大地、またその中のあらゆる自然を覚える時に、私たちの心には、不思議と神の存在を覚える思いが湧き起こることがあります。

 しかし往々にして私たちはそれらをお造りになった神を見上げるのではなくて、造られたものそのものを神にしてしまう頓珍漢な所があるように思います。木や石で彫られたもの、鳥や獣や蛇あるいは人間を神として祭りあげ、そういったものをお造りになった神様そのものを見上げることができないでいるものです。

 神様は決して一つの形や場所に押し込めることのできないお方です。私たちが想像する以上に偉大で不滅の力を持っておられるのです。聖書はそのように偉大な神に私たちが日々守られていることを教えてくれます。本当に崇むべき方、感謝すべき方がいることを覚えたいものですね。

 聖書のことば
 「神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められる・・・のです。 
      ローマ人への手紙1章20節
 
 (PBA制作「世の光」2007.01.25放送でのお話しより)

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■福音の四季 : イエスから目を離さないでいなさい

2007年01月24日 | Weblog
 
 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光、まず皆様からのお便りの紹介です。栃木県鹿沼市にお住まいのワケ(和気?)さんからいただきました。

 「私は小学校の教頭として勤務しておりましたが、おととし鬱病にて闘病生活に入り、現在三年めを迎えました。鬱病は想像を絶する辛い病です。何度も自殺の衝動に駆られ、壮絶な闘病の日々から私を救ってくださったのが主イエス・キリストであり、また聖書との出会いでした。私は今、いかに努力しても得られなかった全き平安の中に主を愛し、主に従い、生かされている日々を心から感謝しております。」

 ワケさん、素晴らしいお証しのことば、ありがとうございました。

 さ、今日の福音の四季のことばです。近頃福寿草の花に心を惹かれています。 「 地に低く 幸せありと 福寿草 」 保坂伸秋の句です。

 さあ今日の聖書のことば。
 新約聖書ヘブル人への手紙12章2節
 「イエスから目を離さないでいなさい。

 赤ちゃんの目はいいかげんだと思っていましたが、この頃、孫の赤ちゃんの目を見てびっくりしました。いつもお母さんを見つめ続けているんですねえ。私たちは、キョロキョロしないで、いつも心の目で、信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいたいものですねえ。そして私たちはお互に助け合い手を取り合って目標イエス様に向かって歩もう、走ろうではありませんか。

 聖書のことば
兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
 新約聖書ピリピ人への手紙3章13節、14節のことばです。
 
 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2007.01.24放送でのお話しより )


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ブログの毎日の更新は、時間がまちまちですので、今後、なるべく放送日の夜にしようかと思います。


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■罪責感という重荷

2007年01月23日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日も一日さわやかに過ごしていきたいですね。

 今月はイエス・キリストが語られた大変有名な招きのことばからお話をしています。
 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイの福音書11章28節

 まあ私たちの人生には様々な重荷があります。孤独感、虚しさ、罪責感、そして例外なしに襲ってくる「死」という現実です。もし死が全ての終わりであるなら人生はあまり深く考える必要はありませんね。楽しけりゃいいじゃない!で終わってしまいます。しかし永遠の世界があるなら私たちの人生設計の中にちゃんと永遠への備えをすべきなんです。

 イエス・キリストはこんな例え話をされました(ルカの福音書12章16節から参照)。ある金持ちの畑が豊作になりました。金持ちはこう言いました。「どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。」 そして彼はこう言ったんです。「そうだ、あの倉を取りこわして、もっと大きいものを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。『たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。』」 しかし神様は彼にこう言われるんです。「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」(そうして)「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」とキリストはおっしゃいました。

 目先の計画は立て、安心を手に入れたかのように見えても、永遠への備えが出来ていなければ何の役にも立たないという訳です。

 死ということについて人は話題にすることを嫌いますよね。病院に行けば四号室がありません。なるべく避けたいテーマ、それが「死」ということです。

 しかしイエス・キリストは不思議なことばを言われました。こう言ったんです。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネの福音書11章25節) こう語りました。イエス・キリストは死という現実を無視されたのではなく、死んでも生きる世界があるのだと告げたのです。死は辛い悲しい現実ですよね。しかし悲しみが悲しみで終わらない永遠の世界があることをイエス・キリストは告げたのです。

 そしてイエス・キリストは二千年前に来られ、あのむごたらしい十字架につけられて死にましたが、三日目に復活されたんですねえ。イエス・キリストこそ死を打ち破ることのできるお方なのです。この方によって私たちの人生の重荷を降ろすことができるんですねえ。

 ( PBA制作「世の光」2007.01.23放送でのお話しより )


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■すべての道で共におられる神

2007年01月22日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 イエス様はこの地上を去って行かれる直前に、「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたと一緒にいます。」(マタイ の福音書28章20節参照 )というふうに約束をされました。それは、どんな道でもどんな状況の中ででも「わたしはあなたと一緒にいます」というふうな意味でした。でも私たちはしばしばイエス様が一緒にいてくださるということを忘れて、独りぼっちでああ大変だなあと思いながら歩んでしまっていることもないわけでもないと思うんですね。

 あのー、イエス様がよみがえられた後ですけれども、二人の弟子がエマオという所、道の途中で、「イエス様はとうとう十字架にかかって死んじゃったよねえ。でも、よみがえったっていうことが噂になってるんだけど、一体どういうことなんだろうか。」というふうなことを話している時に、イエス様の側で近づいて彼らと一緒に歩いていかれたっていうことが書いてあるんですねえ。ですけどその弟子たちはイエス様が一緒にいるということを気がつかないで「イエス様はどうしちゃったんだろう」というふうなことをまあ話していたというふうなことですね。

 で、旧約聖書の箴言という所がありますけども、その中で、「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。」(箴言 3章6節)ということばがあるんですが、これがそのギリシャ語の聖書で見ますと、 「あなたの行く所どこにおいても、あなたと共にいる主を認めよ。」というふうに訳すことができるというふうに言われているんですね。「あなたと共にいる主を認めよ。」ということですね。

 有名なあの『フットプリント』(足跡)という詩があって、夢の中で海岸に二人がずっと歩いている足跡が見えた。(ああ、あれはイエス様と一緒に歩いた足跡なんだな。) でもある所からその足跡が一人分の足跡しかなくなっている。(ああ、あの時私が一番大変な時だったのに、あの時にイエス様は一体どこに行っちゃったんだろう。) いうようなことを思っていた時に、「実はあなたが一番大変な時に、わたしはあなたを背負って歩いていたんだよ。」というようなこと。

 私たちは自分が苦しい時、本当にイエス様が一緒にいてくださったらなあって、神様が一緒にいてくださったらなあというふうに思うような時、それが気がつかないでも、でもイエス様は一緒に、神様は一緒にいてくださらない時はないのだということをいつも認めながら、毎日毎日神様が私と共にいる、イエス様が共にいるということを自覚しながら生きる毎日は何と幸いなことかなあというふうに思わされます。
  
 ( PBA制作「世の光」2007.01.22放送でのお話しより)

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■私たちも赦しました

2007年01月20日 | Weblog

 
 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。
さあ今日の世の光は、皆様からお寄せくださる「心に残る聖書のことば」の御紹介です。

 神奈川県愛甲郡清川村にお住まいの黒岩さんからは新約聖書マタイの福音書6章12節のことばをお寄せくださいました。お読みしましょう。

 「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。

 主がどのように祈るべきかを教えてくださった主の祈りの中のことばですねえ。参考までに主の祈りの全体をお読みしてみましょう。
 
 だから、こう祈りなさい。
 『天にいます私たちの父よ。
   御名があがめられますように。
   御国が来ますように。
   みこころが天で行なわれるように
       地でも行なわれますように。
   私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
   私たちの負いめをお赦しください。
    私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
   私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
  〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。
                アーメン。〕

         (マタイの福音書6章9~13節)

 黒岩さんはこう言われます。
「私が生活する中で、どうしても赦すことのできない人がいて苦しんだ時です。自己中心的な自分がそこにありました。しかしイエス・キリストを信じ受け入れた時に、私の全ての罪咎を赦していただいた時、その人を赦すことができ、平安が与えられました。」

 黒岩さん、嬉しい体験でしたねえ。私たちはクリスチャンになっても、なかなか人を赦しません。しかしイエス様が私の身代わりになって死んですべてを赦してくださったことに思いをいたす時に、私たちもまた赦すことができるんですねえ。憎むことに平和はありません。心から人を赦して初めて平和があるんですね。聖書に、「愛は寛容であり、愛は親切です。・・・怒らず、人のした悪を思わず、」うんぬん(コリント人への手紙第一 13章4節~)とありますが、私たちは段々とそんな人になるのですね。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」07.01.20放送のお話しより)


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