♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■この方以外に救いはなし

2007年03月31日 | Weblog

 
 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。
さあ、今日の世の光は、まず皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。

 徳島県美馬市脇町にお住まいの福井さんは、新約聖書使徒の働き4章12節のことばをお寄せくださいました。お読みしましょう。

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。

 私は脇町教会の前で鍼灸治療院を開かせていただいておる福井です。今から40年前に鹿児島にありました結核療養所にて療養中、キリスト集会に導かれ聖書を学んでおるうちに、キリストの神様こそ天地万物の造り主なる神様であることを分らせていただき、本気になってイエス・キリスト様こそわが救い主と信じ、心の王座にお迎え入れました。かつては二度三度と死線を経験していました私たち夫婦ですが、今は三人の子どもに恵まれ、みんな結婚してクリスチャンホームとなり、六人の孫にも恵まれ、長男は結婚しており私たちと同居し満五年になります。五人の家族は何のトラブルもなく、みんな活き活きと主の恵みならではの日々を満喫しております。視力障害者の私は、ここまで原稿を書いてきますと、喉元に熱いものがこみあげて神様の大きな愛に感動し、震えてくるほどです。治療院で働かせていただいていると、鬱病などどうにもならなかった病気などはどんどん良くなり始め、そんな方からの喜びの声を聞くことが生き甲斐となって沸き上がってきます。喜びに満たされ、神様の御名を崇めつつの今日この頃です。

 福井さんの心に残る聖書のことば
この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」使徒の働き4章12節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」07.03.31放送のお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■新しい学期、新年度を喜んで

2007年03月30日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。
 
 あと二日で四月です。新しい学校や社会人生活が始まる人にとっては期待と不安の高まる次期ですね。私の初孫も一年生になります。大きなランドセルを背負ってはりきっています。でも今は、昔みたいに「一年生になったら友達何人できるかな」なんてだけ言ってられない面がありますね。ま、学校だけでなく会社に入っても、いじめられたりせずうまくやっていけるか心配です。新しいランドセルにお守り幾つもつけてる子どもを見かけますが、親の気持ちが分るような気がします。先が分らない時、またこれからどうなるか、うまく適応できるか不安な時、何かに頼りたくもなります。いじめを解決するための請け負い会社まである時代です。

 聖書には、不安や恐れを感じる時、何かに頼る必要を感じる時にこそ、安心して頼れる本当の神様を知る時でもあると言っています。

 例えば、その一つの例ですが、旧約聖書のヨシュア記に若くして民族大移動のリーダーとしての大役を担っていかなければならなかったヨシュアのことが書かれています。『十戒』の映画で有名な主役のモーセ、あの偉大な指導者亡き後、何十万というイスラエル民族を新しい土地に導くという大役です。この若いヨシュアはどんなに不安を感じたことでしょう。しかし彼は未知の世界に一人で大きな責任を持つという状況の中で静かに神様の声、その約束のことばを聞いたのです。こういう状況でこそ神様の声が聞けるんですねえ。

 ヨシュア記の1章に、こう書かれています。
 「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア記 1章9節 )

 親や親戚の励ましも大切ですが限界があります。行く先にどこにでも、どんなことが起こっても一緒にいて励まし、何よりも具体的な助けを与え、導いてくださる天地の創造者なる神様が共にいてくださると言うのです。こんな神様と一緒なら、何が起こっても大丈夫です。心の中に、こんな神様をしっかりと信じていく時、必ず神様は共にいてくださるという具体的な経験をされることでしょう。

  (PBA制作「世の光」2007.03.30放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■神の下さる賜物

2007年03月29日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日は聖書の中のローマ人への手紙から読んでみましょう。

 「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」ローマ人への手紙6章23節

 あるおばあさんが信仰を持ったいきさつを話してくれました。友達に誘われて聖書研究会に顔を出した時、特別講師の先生に「人間は神様に聖なるものとして造られたのだから、聖なる者にならなくてはいけない」と言われたというのです。「自分はまんざら悪い人間ではない」と思っていたものの、聖なる者として造られたという自分の人生を振り返ってみると、随分的外れな人生を歩んできたのではないか、聖書が言う通り自分は悔い改めるべき罪人ではないか、と考えたと言うのです。

 確かにこの番組を聞いてくださっているあなたも決して人に後ろ指をさされるような生き方はしていないはずです。それでも心の中をあれこれ探ってみれば、このおばあさんのように、聖なる者として造られた存在には程遠い自分の姿を思うものではないでしょうか。実際、人は、手をかけて人を殺さずとも心の中で人を殺しているように、心の中で罪を犯していることがあるものです。

 そんな私たちには報酬としての死が待っていると聖書は語ります。聖書が語る「死」というものは分離を意味します。そして二つの死があります。一つは「肉体と霊魂の分離という死」、誰もが普通に思い浮かべる死です。二つめに「人間の魂が永遠に神と引き離される永遠の死」があります。しかし聖書は希望を与える書です。罪をすなおに認め、悔い改め、神に立ち返るならば、神は賜物として私たちの心の中に、きよさと永遠のいのちを備えてくださると(聖書は)言います。

 ぜひこの約束を信じて神様から新しい心をいただき、永遠のいのちの望みを抱く歩みをしていただきたいと思います。
 
 (PBA制作「世の光」2007.03.29放送でのお話しより)

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■福音の四季 : わたしは渇く

2007年03月28日 | Weblog
 
 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さ、今日の世の光は、まず初めに皆様からのお便り紹介です。大阪府東大阪市のありかたさん(御家族)からいただきました。

 主イエス・キリスト様の救いと平安があなた様の上にありますように。「その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。

 ありかたさん御一家の皆さん、素晴らしい聖書のことば、ありがとうございました。旧約聖書エレミヤの17章8節のことばでした。

 さあ今日の福音の四季のメッセージの題は、「わたしは渇く」ヨハネの福音書19章の28節からとりました。お読みしましょう。

 この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く。」と言われた。

 ダビデは、ベツレヘムの門にある井戸の水を「誰かその水を飲ませてくれたらなあ」と申しました(サムエル記第二 23章15節参照 )。旧約の詩人は「 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神を求めてあえぐ」と歌いました(詩篇 42篇1節参照)。

 イエス・キリストはその十字架の極度の苦しみの中から、「わたしは渇く。」と言われたのですね。イエス・キリストは神に捨てられて地獄の灼熱の苦しみの中から「わたしは渇く。」と言われたのでしょうか。地獄に落ちた金持ちがその喘ぐ苦しさの中から言ったと(イエス・キリストが)例えられて話したことばがあります。『父アブラハムさま。・・・ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』(ルカ 16章24節) イエス・キリストも黄泉(よみ)の中で私たちに代わってこの渇きの苦しみを背負ってくださったのでしょうか。「わたしは渇く。」 何と悲愴な叫びでしょうか。イエスは私たちに代わって十字架の上でこの苦しみを味わってくださったのです。そしてイエス・キリストは「完了した。」(ヨハネ19章30節) ---「事が終わった」--- と叫ばれたのです。イエス・キリストは十字架の上でなすべき私たちの救いのわざを完了されたのです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2007.03.28放送でのお話しより )

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■コミュニケーションの回復

2007年03月27日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日も一日さわやかに過ごしていきたいですね。

 聖書の使徒の働きという書物を読むと、教会がどのように最初に誕生していったかが記されています。それはペンテコステ・五旬節と呼ばれる時でした。これはユダヤにおいては三大祭りの一つでした。ですからこの祭りの時には遠くに住むユダヤ人たちや改宗者たちも大勢エルサレムにやって来ました。イエス・キリストの弟子たちは一つ場所に集まっていたんですねえ。すると彼らの上に不思議なことが起こりました。それは、知るはずのない他国のことばで神様の素晴らしい御業を(彼らが)語り始めたんです。この弟子たちは、殆どはガリラヤ出身者です。教育という教育を受けている者など殆どいませんでした。しかし彼らはめいめいにその場に集まってきた人たちに、その人たちの国のことばで話し出したんですね。想像してみてください。もし(この)ペンテコステの出来事の中にあなたがいたら、日本語で、それもあなたの地方のなまりで神様の素晴らしさを聞いたことでしょう。それは何と身近で分りやすいことでしょう。聖書は私たちの日常語で語られ、分かち合われていくものなんですねえ。そしてこのペンテコステに起こった不思議な出来事は他国のことばで話し出したという訳ですから、今まで通じなかった人と通じるようになったということですよね。

 実は旧約聖書にはその正反対のことが起こったことが書かれているんです。それは「バベルの塔」の話しです。彼らは天にも届く建物を建築しようとしました。神様のようになろうとして天に向かって塔を建て始めたんです。人間は愚かですよね。立派な建物、そびえ立つ塔、こうしたことで自分がまるで神様になったかのような錯覚に陥ってしまうんです。しかしその途中で大変なことが起こりました。それは、今まで通じ合っていたことばが全く通じなくなってしまったというんです。神のようになろうとした代償は高くつきますよね。人々が分り得ない、理解し得ない存在になってしまったというんです。神のようになろうとする高慢は必ず人間関係を破壊していきます。そして人を遠ざけてしまうんです。

 しかしペンテコステの出来事は私たちに何を教えているんでしょう。イエス様の福音はめいめいの国ことばで語られ、通じ得ない世界を通じるものとしてくださるということなんです。聖書には、「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ち壊し」(エペソ人への手紙2章4節)と書いてあります。分りあえる、通じあえるコミュニケーションの回復はイエス・キリストから始まるのです。

 ( PBA制作「世の光」2007.03.27放送でのお話しより )

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■上はあいている

2007年03月26日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 あのう、心理学の実験の中でのことですけれども、ノミの実験という有名なのがありますねえ。透明の容器の中にノミを何匹か入れておいて、で、一生懸命にピョンピョンと飛び出そうと思えば飛び出せる程度の高さの容器なんで、で、ノミはそこから飛び出そうとして何回か飛び出す訳ですね。そのノミを捕まえては何回か元に戻す。また飛び出す。またそれを捕まえては元に戻すということを繰り返していて、そのうち透明の透き通った蓋をする。で、ノミは、さっきは飛び出すことが出来たのでいけると思って飛び上がるんですけれども、ぶつかってしまう訳ですね。で、おかしいなあって、さっきは出られたのに、と思って何回もやってみるんですけれども、ぶつかってしまう。で、ノミはピョンピョン跳ねてももう今度はぶつからない程度にしかもう跳ね上がらなくなってしまう。で、しばらくして上の蓋を取ってしまう。取ってあげる。ですけどノミは二度とそこから飛び出すことはしない。なぜならば上に塞がっていると思い込んでしまって、いくら飛び上がってもそこからはもう出られないと思い込んでしまっている。でも本当は上は塞がっていない。開(あ)いているのにということですね。

 これは人間の心理にもあてはまるようでして、やってもやってもだめだっていうことが何回も繰り返されると、いくらやってももうどうにもならないんだっていうふうなことでもう諦めてそれ以上のことの努力はしない。本当は飛び上がって飛び出ることができる能力があるのにその能力を使わないままで終わってしまっていうことがあるということなんですね。

 聖書の中に、ヨハネの黙示録の中に書かれてあるんですけれども、ヨハネって人はパトモスという島に捕らえられて身動きできないような状態の中にあって、つまり四面楚歌、周り全部囲まれてしまって動けない、しかし「見よ。天に一つの開いた門が」(ヨハネの黙示4章1節)あるのが見えたっていうふうに言ってるんですね。周りは塞がっていても天まで塞がってはいないのだ。天は開いている。上は開(あ)いている。つまり神様は私たちに可能性の門を残しておってくださるんだ、そう信じて私はいつでも挑戦していきたいとそう思います。

 ( PBA制作「世の光」2007.03.26放送でのお話しより)

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■神を信じ、またわたしを信じなさい

2007年03月24日 | Weblog

 
 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。
さ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。

 東京都三鷹市にお住まいの高橋さんは新約聖書ヨハネの福音書14章1節のことばをお寄せくださいました。お読みしましょう。
あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」イエス・キリストのことばですね。

 私が聖書を初めて読んだのは中学時代でしたが、創世記でつまずき、以後十数年、聖書から離れていましたが、二十数年前に初めての家庭集会に母と共に参加し、その後、時々教会へ行き牧師先生のお話を聞きました。不安や心配を牧師婦人や姉に聞いてもらい少しづつ生活の心配・不安がなくなってきましたが、今度は自分勝手な考えが出てきて相手を非難したり悪く思うようになり、生きていることがとても苦しくなってきました。心はますます落とし穴に落ち込んで抜け出せなくなってしまいました。先生や姉に何度も相談しましたが、その度に「みことばを信じなさい」と言われました。そしてこのみことば「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」ということばを聞いたのです。自信をなくし苛立っていた私は子供たちにも自分にとってもこれでは良くないと思い、自分を変えようと思い、洗礼を受けました。集会を通し聖書の学びを通し何事も喜んで感謝できるように、どのような問題にもめげずに対峙していける強さをお与えください、日々感謝して過ごせるようにしてください、と祈り続けてまいりました。聖書のみことばに導かれて今はいよいよ神を信じ、御子イエス様を信じていけるようになり感謝です。

 高橋さんの心に残る聖書のことば
 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
 ヨハネの福音書14章1節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」07.03.24放送のお話しより)


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■人生に影響を与えることば

2007年03月23日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。
 
 今日は、「人生に影響を与えることば」ということについてお話しします。これは私の一人の友人の例なんですが、彼は大手のコンピューター会社でシステムエンジニアをしていました。地方にある研究所で日夜研究に没頭していた時、東京の本社に出張する機会がありました。たまたま大学時代のサークルの同窓会がありました。そこで彼は一杯機嫌になってこう言いました。「毎日毎日朝から晩まで仕事仕事。こんな仕事仕事で一生を終わっちゃうのかと思うと、俺、何のために生きているのか分からないよ。」そうしたら、斜(はす)向かいに座っていた女性がこう言いました。「私はその問題はもう解決しています。」彼はびっくりしました。そして聞きました。「ほんとか? それなら俺に教えてよ!」 ま、そんな出会いから彼女が通っている教会に一緒に行くようになり、聖書に出会ってそれを読み、彼は神を知り、自分の人生はキリストのように生きるためにあるんだと悟ります。何と彼はこの女性と結婚するようになりました。会社を辞め農学部に入り、農業の技術者としてネパールの山奥に技術宣教師として10年間も奉仕したんです。「その問題は私は解決しています。」(の)ひとことばによって彼の人生はまことに180度って言ったらいいでしょうか、変わってしまいました。こんな人生に大きな影響を与えることば、あるんですね。

 聖書の旧約聖書の詩篇の1篇の冒頭にはこう言われています。「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。・・・その人は、何をしても栄える。」(詩篇1篇2節、3節)  「主のおしえ」とは聖書のことばです。それを喜んで口づさむように心に留めていく時、何をしても栄える・成功していく、そんな大きな力・影響力があるって言うんです。それはこの詩篇が書いた(今から)三千年前の人の経験(であるだけ)ではなくて、また今日(こんにち)の私の友人の経験でもあると共に、どなたでもこの聖書のことばを読んで、それを信じて、そして心にしっかり留めていく時、その人の中に神の偉大な力が大きく働くというのです。

  (PBA制作「世の光」2007.03.23放送でのお話しより )

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■義の器として用いられる手と足

2007年03月22日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日は聖書の中のローマ人への手紙から読んでみましょう。
 
 「あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。」ローマ人への手紙 6章13節

 聖書の中には、神のみこころに沿って自分の体をささげた人々がたくさん出てきます。たとえばダビデはその知恵と力をもってイスラエルの王国を建設しました。旧約の預言者たちはその口と舌を用いて神のメッセージを語り伝えました。使徒パウロは町から町へと福音を伝えるために自分の手足を神にささげました。そして使徒ヨハネは未来の幻をその目で見て神のメッセージを耳で聞き、それらの全てを私たちが読むことができるようにと自分の手を神のために用いたのです。

 しかし聖書を読むならば、人間の体は罪深い目的のためにも用いられることが分ります。ダビデは隣人の妻に姦淫の視線を向けました。その心は邪悪な計画を宿らせ、その手は隣人を殺せという卑劣な命令を書き記したのです。

 私たちの手足・目・耳・口・舌は、実はいかようにも用いることができるものです。神のみこころに沿って良いことのために用いられることもあれば、人間の欲望を満たすために邪悪な道具と化してしまうこともあります。

 パウロは言います。「あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。」私たちの体が問題なのではありません。体はいたって忠実です。何にささげるか、ひいては、私たちの心がどんな思いに支配されているかでしょう。聖書を読み、神に私たちの心を整えていただき、真に人間として良い道を歩ませていただきたいものです。

 (PBA制作「世の光」2007.03.22放送でのお話しより)

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■福音の四季 : 白髪は栄光の冠

2007年03月21日 | Weblog
 
 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さ、今日の世の光は、まず皆様からのお便り紹介です。徳島県美馬市脇町で長年牧師をしておられる岩井さんから戴きました。

 私が「恵みの声」の番組を知ったのは2005年5月6日に羽鳥明先生の所に夫婦でおじゃまして、その時、大平洋放送協会にお伺いし、ラジオでお聞きしている方々にお目にかかり、とても親しみを感じました。私の亡き母が目が悪かったので、この恵みの声の放送は身に滲みます。

 「恵みの声」は失明者の方々を対象にした番組で、テープ1本を雑誌のように編集してある番組です。お聞きになってみてください。

 さあ今日の福音の四季のメッセージです。梅は満開、みかんは黄金色、海は光り、東京でもあちらこちらで晴れたすがすがしい朝など富士山の雪をいただいた雄大な姿を見ることができます。六十の還暦を迎えた兄弟がこんな短歌を作られました。「覆われし山の姿ぞ我が身なれ 真白き衣 我を包めり」 頭が真っ白になり還暦を迎えられた兄弟なのでしょうか。

 旧約聖書箴言の16章31節にこんなことばがあります。 「しらがは光栄の冠」 私は禿げるたちで、昔はまだ若かった時から「先生はハンサムだわねえ」とよく言われました。ハンサムとは半分寒い・禿げのことなんですね。喜んではいられません。私の友人の中にまだ六十歳ぐらいで頭が真っ白になっている人がおられます。何か神々しいというか美しさがありますね。聖書は「しらがは光栄の冠」と言うのももっともだと感じます。老人になって頭が真っ白になったのを光栄の冠に例えたのではないでしょうか。禿げであれ白髪であれ、人が歳をとって神の恵みに輝くのは美しいものですね。主の恵みに満ちた人はいいですねえ。

 聖書のことば
 「しらがは光栄の冠
 旧約聖書 箴言16章31節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2007.03.21放送でのお話しより )

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