♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■一年を振り返って  / 羽鳥頼和

2011年12月31日 | Weblog
 2011/12/31放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。今日は大晦日です。皆さんにとってこの一年はどんな一年だったでしょうか。

 旧約聖書の詩篇106篇はイスラエルの歴史を振り返って書かれています。その内容はこのようなものです。神様は今まで私たちを何度も救ってくださったのに、その度に私たちは神様に逆らっていました。そんな私たちが災いに遭って叫び声を上げると神様は私たちの苦しみに目を留めてくださった。そして神様は私たちとの約束を思い起こし豊かな恵みの故に憐れんでくださり、そして私たちを救い出してくださった。神様は本当に慈しみ深いお方です。私たちは神様を誉めたたえます。

 この詩篇106篇の背景となっているイスラエルの歴史とは、イスラエルの国がバビロンによって滅ぼされ、人々がバビロンに捕え移されてしまったバビロン捕囚とその後のバビロンからの解放とイスラエルの国の復興のことです。自分たちの罪のためにバビロンに捕囚されたイスラエルは、神様によって救い出され、滅ぼされた国はもう一度再建することができたのです。

 旧約聖書の伝道者の書7章14節には、「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。」とあります。順境とは順調なときのことです。順調なときは神様に感謝し、逆境の時は反省しなさいと言うことです。すべての事が神様の主権の中にあることを覚え自分の過ちを悔い改めるとき、神様の救いの恵みを受けることができるのです。

 旧約聖書のエレミヤ書29章11節には、神様からのことばとして、「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。----主の御告げ。----それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」とあります。神様はあなたに平安を与える計画を立てておられます。新しい一年、恵みを与えてくださるこの神様に信頼してまいりましょう。

 明日は元旦です。そして日曜日です。キリスト教会では礼拝を行います。一年の始まりにぜひお近くの教会にいらしてください。

  ( PBA制作「世の光」2011.12.31放送でのお話より )

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■不思議な神のご計画  / 岩井基雄

2011年12月30日 | Weblog
2011/12/30放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。いよいよ明日でこの2011年も終わりですねえ。この1年は多くの悲しみがありました。東日本大震災や津波、福島第一原発の問題、そして放射能汚染の問題、風評被害、更には日本列島に幾度も上陸した台風の被害もありました。ご家族の中にもこの痛みや悲しみを通られた方も少なくないのではないでしょうか。

 私たちはこれらの出来事の中で自分たちの人生が問わたように思います。自分が何に信頼しているのか、本当に信頼できることは何なのかを問われたのです。そして見えるものではないもの、目には見ないけれども確かなものを求めてきたのではないでしょうか。

 神の民イスラエルも様々な悲しみを経験しました。彼らはまことの神様を無視するという罪を犯し、迫害や攻撃によって国は打ち倒され、捕囚の憂き目に遭いました。北王国イスラエルはアッシリヤに、南王国ヤダは新バビロニアに滅ぼされ、バビロン捕囚となったのです。しかし、そのような時期に預言者エレミヤによって語られたことばがあります。

 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。----主の御告げ。----それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
 旧約聖書エレミヤ書29章11節

 どんなに他国の脅威が迫り、自分たちの存在が脅かされようと、大きな悲しみの中に突き落とされようと、聖書が語る神様は神の民を決して見捨てることなく、悲しみの中に遭ってなお民を守り、支え、そして本当の平安へと導いてくださるというのです。その約束の通りイスラエルは約束の地へと帰ってきました。それは祝福を伴うものだったのです。

 この神様の不思議な計画はあなたにも与えられています。それは災いで終わるものではないと聖書は断言しているのです。もうすぐ訪れる新しい年、神様はあなたに不思議な計画をもっていらっしゃいます。現状がどんなに絶望的でも、あなたのすべてをご存知の神様を心から信頼してみませんか? 神様にすべてを委ね、その神様の豊かな平安に導かれる生涯をあなたも歩み出しませんか? 新しい年もどうぞまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2011.12.30放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■恐れることはない  / 福井 誠

2011年12月29日 | Weblog
2011/12/29放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。 今日のバイブル・メッセージは「恐れることはない」です。

 それではマタイの福音書 10章29節から読んでみましょう。

 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。

 私の義理の父が海外に出張に行った時のことです。毎日英語漬けの生活にほとほと疲れが溜まってきたそうです。そんなある日、重たい気持ちで朝、目が覚めると、ホテルのベランダから何と日本語が聞こえてきたと言います。その正体は雀でした。海外でも雀は「チュンチュン」と聞こえたと言うのです。なるほど、ちょっとした笑い話ですが、普段は雀など気にも留めない鳥ではないでしょうか。

 聖書には「二羽の雀は一アサリオンで売っている」と言います。一アサリオンというのは、当時のローマ(帝国)では最小単位の銅貨でした。当時デナリというお金も使われましたが、それは大体一日分の日当に相当したと言います。で、一アサリオンは一デナリの16分の1以下であったそうです。ですからルカの福音書では、五羽で二アサリオン(ルカ12章6節)、とありますから一羽はおまけでついてくるというものです。ま、当時の日当と今の日当を単純に比較することはできないと思いますが、とにかく安く買える、価値がない、そんなことを言いたいのでしょうね。大切なのは、そんな誰の気にも留められない雀の一羽ですら神様は心にかけてその雀の命すら神様のお許しなしには失われることはない、ということです。となればそのような雀よりは比べ物にならないほどに価値のある人間に対して神様の配慮と心遣いがないだろうか、という訳ですね。

 あなたは自分がつまらない人間であると思っていることはないですか? 自分は誰にも好かれない、誰にも愛されない、どうでもいい人間だ、と思っていることはないですか? 神様はあなたを大事に思ってくださっています。神様があなたを心に留め、あなたの人生を導こうとしておられることをぜひ覚えていただきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2011.12.29放送でのお話より )

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■事の善悪  /山中直義

2011年12月27日 | Weblog
2011/12/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。事の善悪を判断するということは意外に難しいようです。旧約聖書創世記に善悪の判断を巡って衝突した二人の人物が登場します。ヤコブは義理の父であったラバンのもとで家畜を飼っていました。ラバンの欺き冷たい仕打ちに遭いながらもヤコブは必死になって自分の家畜を増やし、豊かな財を築くことに成功しました。があって正当に獲得したと主張するヤコブでしたが、一方のラバンは狡猾にかすめ取られたと非難します。事の善悪を巡る両者の言い分は衝突し一向に解決を見ませんでした。自分は正しく相手が間違っている。私たちの内側には自己中心という罪が潜んでいますから、事の善悪の判断は本当に容易ではありません。

 さてそんなヤコブに神様から次のことばがありました。創世記31章3節のことば。
主はヤコブに仰せられた。『あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる。』

 実はこの時ヤコブは神様との関係をないがしろにしていました。そんなヤコブに対して神様は何よりも神様との関係をまず大事にするようにと語りかけてくださったのです。そうしてヤコブはとにもかくにもラバンのもとを離れ神様のことば通り故郷に帰ることにしました。

 一方ヤコブに去られてしまったらラバンは財産を取り返そうとその後を追います。そしてとうとう追いついてヤコブに危害を加えようとしたその前の夜、夢で神様から次の戒めを受けました。「あなたはヤコブと、事の善悪を論じないように気をつけよ。」(31章24節)  こうしてヤコブのいのちは助かったと言います。

 いかがでしょうか。あなたは今ことの善悪を自分で判断しようとして解決のない争いを体験してはおられないでしょうか。聖書は、まず神様との関係を改善することそして神様のことばである聖書のことばに耳を傾けることが何よりも大切だと教えています。もしあなたが聖書のことばに聞き従うなら、神様はその時あなたの予想をはるかに超えた良いことをしてくださいます。

    (PBA制作「世の光」2011.12.27放送でのお話しより )

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■最上のわざ / 関根弘興

2011年12月26日 | Weblog

2011/12/26放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 今日は『最上のわざ』という詩を紹介したいと思います。この詩は上智大学学長も務めたヘルマン・フォイベルという神父がドイツに帰国後、南ドイツの友人から贈られた詩だそうです。

  『最上のわざ』

 この世の最上のわざは何? 

 楽しい心で歳を取り
 働きたいけれども休み
 しゃべりたいけれどもだまり
 失望しそうな時に希望し
 従順に平静に己の十字架を担う
 若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても妬まず
 人のために働くよりも謙虚に人の世話になり
 弱ってもはや人のために役立たずとも親切で柔和であること

 老いの重荷は神の賜物
 古びた心にこれで最後の磨きをかける まことのふるさとへゆくために
 己をこの世につなぐ鎖を少しずつ外していくのは誠に偉い仕事
 こうして何もできなくなればそれを謙遜に承諾するのだ

 神は最後に一番良い仕事を残してくださる
 それは祈りだ
 手は何もできない
 けれども最後まで合掌できる
 愛するすべての人の上に神の恵みを求めるために

 すべてをなし終えたら臨終の床に神の声を聞くだろう
 子よ我が友よ われ汝を見捨てじと

 『最上のわざ』という詩なんですねえ。ま、人生はよく四季に喩えられることがあります。春夏秋冬それぞれの時代をどう過ごしていくのか。これは私たちの人生の課題ですね。私たち一人一人が何ができるかではなく、どう生きるかを考えながらこの1年を締めくくることができれば幸いです。神様はそれぞれの人生それぞれの時に最上のわざを用意してくださっていると私は信じます。そしてその最上のわざの出発はイエス・キリストが語られたことばの中にあるように思うんですね。聖書はこのように記しています。ヨハネの福音書6章28節

 すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行なうために、何をすべきでしょうか。」 イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」

 イエス・キリストを信頼し生きること、これが人生のどの時代にあっても大切な神のわざだ。そしてそれは最上のわざへと導くものになっていくのだと聖書は教えているんですね。この一年の最後にこのことばをぜひ覚えていただきたいと思います。

 (PBA制作「世の光」2011.12.26放送でのお話しより)

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■クリスマスとあなた - あなたを照らすまことの光  / 羽鳥頼和

2011年12月24日 | Weblog
2011/12/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 クリスマスおめでとうございます。今日はクリスマスイブです。今日は「クリスマスとあなた」というテーマでお話をします。

 クリスマスとは神の独り子であるイエス・キリストが誕生されたことを覚える日です。その日があなたとどんな関係があるのでしょう。一つの聖書のみことばからそのことを考えてみたいと思います。

 「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。

 これは新約聖書のヨハネの福音書1章9節に記されている、イエス・キリストの誕生についてのことばです。この「まことの光」とはイエス・キリストのことです。イエス・キリストはすべての人を照らすまことの光なのです。

 今朝の日の出は7時前後ですからまだ外は暗いでしょう。あと1時間もするとだんだんと明るくなってきます。私は昔新聞配達をしていました。新聞を配りながら日が昇って来ると心も体もリフレッシュして元気が出てきたものでした。確かに朝日を浴びることは体を目覚めさせるのに良いそうです。そして日の光は体だけでなく心にも働いて元気を与えてくれます。

 それと同じように、まことの光であるイエス・キリストを受け入れて信じることは私たちの人生にとって良いことなのです。まことの光であるイエス・キリストを受け入れることによって、人は新しい命を与えられて生きることができるのです。

 暗さが私たちを覆っています。世の中が不景気や災害のために暗くなっています。そして人の心も暗くなっています。不安や絶望という暗闇が私たちを覆っています。そして私たちの心には罪という闇があるのです。

 イエス・キリストはそのような闇を追い払うまことの光でもあるのです。イエス・キリストはあなたに新しい命を与え、あなたの人生を幸せなものとしてくれるのです。あなたを照らすまことの光であるイエス・キリストはあなたを救うために生まれたのです。

 今日の夜はきっとお近くのキリスト教会でクリスマスの集まりがあると思います。ぜひ参加してみてください。

 そして明日はクリスマスそして日曜日です。お近くの教会では必ずクリスマスの礼拝が行われています。ぜひお近くの教会にいらしてください。

  ( PBA制作「世の光」2011.12.24放送でのお話より )

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■暗闇に響く讃美  / 岩井基雄

2011年12月23日 | Weblog
2011/12/23放送

 世の光の時間です。クリスマスのひととき、どのようにお過ごしですか? 岩井基雄です。

 世界で最初のクリスマスは誰も知らない小さなものでした。ローマ皇帝の命令で住民登録のために帰郷した時、ヨセフとその妻で身重のマリアはベツレヘムの町では泊まる場所さえ無く、救い主イエス・キリストの誕生は街外れの家畜小屋でした。当時の家畜小屋は洞窟のような所だったと言われています。そこが最初のクリスマスの舞台だったのです。

 しかし、最初のクリスマス・ソングは、それはそれは素晴らしいものでした。天使たちが天に集い、救い主誕生の喜びを素晴らしい歌声で賛美したからです。天に溢れるその賛美、聞いてみたいですよねえ。

 でも実際にそれを聞いたのは野宿で夜番をする羊飼いたちだけでした。彼らは当時の社会では見下されていた人たちでした。羊たちと共に各地を転々とし、住民登録にも関係がなく、世の中の悲しみを全部引き受けているような人たちと言っても過言ではなかったかもしれません。

 しかしそんな羊飼いたちに真っ先に救い主誕生の最初の知らせと賛美が届けられたのです。暗闇に輝く光とその天使の賛美は苦しんでいる彼らを照らし、どんなに励まし力づけたことでしょうか。

いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」 新約聖書 ルカの福音書2章14節 

 それは本当に高らかに天にこだまし、輝きと喜びが溢れる天使の歌声だったことでしょう。「地の上に平和が」というメッセージは、まさにこの地では不安定な生活を余儀なくされていた彼らにとって、心の深み届くものだったのでは無いでしょうか。

 しかも天使はこう言ったのです。「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」 ルカの福音書2章11節

 救い主イエス・キリストの誕生はあなたのためなのです。あなたの心を照らし、励まし、罪の赦しと命を与えるために救い主は生まれました。

 暗闇の中でこそ神様の愛の光は輝きます。あなたもこの喜びをご自分のものとなさいませんか? そして神様にある輝きと希望を与えられて、力強く歩み出しませんか? クリスマスの喜びはあなたのものなのです。

   (PBA制作「世の光」2011.12.23放送でのお話しより)

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■クリスマスと私 - 導かれるお方 / 福井 誠

2011年12月22日 | Weblog
2011/12/22放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「クリスマスと私」です。それではイザヤ書58章11節から読んでみましょう。

 「主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。

 今日はお題を与えられています。「クリスマスと私」ですね。何かこういうラジオ牧師をしていると、さぞクリスマスの印象深い思い出があるのではないかと思われがちですが、私はいたって平凡な道を歩んできましたから、はて何を話したらよいものかと考えてしまうところがありました。

 ただ私は小学校5年生の時に、今からもう40年も前になりますけれども、クリスマスの日に母と姉と三人で信仰を決心し、キリスト教の洗礼を受けています。不思議なものですね、あの時に撮った記念写真、重なる引っ越しでどこかに消えてなくなってしまいましたが、思い出すことができます。紺のズボンに紺と灰色の縦縞のセーターを着ていました。髪は短めだったと思いますね。信じ方も小学生でしたから今思い出せばただ単純に神様の存在を信じるというものだったと記憶しています。そんなわけですから、随分と成長のない見かけだけの信仰生活を長く過ごしました。イエス様を個人的な救い主として受け入れ、自分の信仰の未熟さと向かい合いながらイエス様の弟子として信仰を深めていく歩みに入るまでは少し時間がかかりました。信仰に入ってからもうすぐ40回目を数えるクリスマスを迎え思うことは、神様はよく私のようなものを見捨てにならなかったなあということであろうと思います。そしてこの何十年もの間、一時も私を離れることなく、私を支え続けてくださったことです。神様は自己中心な祈りと願いをするだけの私を受けとめ続けてくださいました。そして信仰に於いて成長することをも教えてくださいました。そんなことを感じます。

主は絶えず私たちの歩みを導かれるお方ですね。今年のクリスマスにもまたその神の恵みを味わうことにしましょう。

  ( PBA制作「世の光」2011.12.15放送でのお話より )

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■地上に下ろされた七つの階段 / 板倉邦雄

2011年12月21日 | Weblog
2011/12/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日はクリスマスの主人公であるイエス・キリストを紹介したいのです。

 始めに新約聖書のピリピ人への手紙2章6節から8節までをお読みします。

 「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。 」(口語訳聖書)

 この聖書のことばには天国からこの地上に下ろされた七つの階段をイエス・キリストが一段一段降りて来られる様子が描かれていましたね。

 まず第一の階段は、キリストは神のかたちであられた、すなわち神様であられたお方でした。

 次に第二の階段は、神と等しくあることを固守しようとは思わなかったということです。

 そして第三の階段は、自分の空しくして自分を無にして僕の形をとられたと言うことです。

 そして第四の階段は、人間の姿になられたということです。これが2000年前のイエス・キリストの誕生です。

 そして第五の階段は、そのありさまは人と異ならず、自分を低くされ、すなわち謙遜と謙りの地上の生涯だったのです。

 そして第六の階段は、死に至るまででした。人としてイエス様は死の苦しみ・死の悲しみ・死の恐怖を味わってくださいました。

 そして最後の七つの階段は、十字架の死に至るまで父なる神様のお心に従順であられたということです。十字架の死とは通常の死ではありません。犯罪を繰り返した極悪非道の人の刑罰でした。ではなぜ神様であられたキリストがこれほどまでに御自分を無にして低くなり、卑しくなって人間となられたのか。またなぜ罪を犯していないのに十字架の死に至るまで父なる神様の心に徹底して従順であられたのか。この質問を自問自答するとき、今年のクリスマスはあなたにとって色彩の変わったものとなるでしょう。ヒントの聖書のことばを一つ紹介しましょう。

神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかた(キリスト)を罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。
 第二コリント人への手紙5章21節 (口語訳聖書)

 ( PBA制作「世の光」2011.12.21放送でのお話より )

 

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■いる場所がなかったから / 山中直義

2011年12月20日 | Weblog
2011/12/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。二週に渡ってのクリスマス特別番組、今日は「クリスマスとあなた」というテーマで「居る場所がなかったから」というお話をさせていただきます。

 今から約2000年前、イエス・キリストがお生まれになった当時の世界のことが聖書にはこう記されています。

 「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。

 税金の回収を目的とした一人の皇帝の命令によってすべての人が嫌応なく振り回される、そんな時代でした。そんな中、ひと組の若く貧しい男女に聖書の焦点は合わされます。処女マリヤとそのいいなづけであったヨセフです。二人は住民登録をするために故郷のベツレヘムという町に向かっていました。そしてベツレヘムに着いたその時、マリヤは神様の約束通り、男子の初子を産んだのでした。その嬰児(みどりご)・赤ちゃんは布にくるまれ、飼葉桶に寝かせられた、と聖書は言います。

 この上なく貧しく、この上なく穏やかな嬰児。実はこの方こそ、人としてこの世に来れた神の独り子、全人類の救い主イエス・キリストであった、と聖書は言います。

 さてこのイエス・キリストの誕生物語の最後、その箇所をルカの福音書2章7節はこう結んでいます。

 「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

 この「宿屋」と訳されてることばには「荷物を降ろす。荷物をほどく。」という意味があります。この世の事柄に振り回されて重荷を背負って本当の意味で心を休めて生きることができ無い、そんな私たちの只中にそしてそんな私たちのためにイエス・キリストは来てくださった、と聖書は言うのです。

 荷物を降ろして心を休めて生きることができない。自分の本当の居場所がどこにも見当たらない。あなたがもしそのように感じておられるなら、どうぞこのクリスマスに救い主イエス・キリストを心に受け入れてください。イエス・キリストを心にお迎えするその時、あなたにも深い平安と喜びが訪れます。

    (PBA制作「世の光」2011.12.20放送でのお話しより )

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