♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■大なぎになった

2005年08月31日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。宮崎県日向市にお住まいの梅田ふくおさんからいただきました。

 お元気ですか? 誰も人の心の中は見えません。ですから祈ります。ことばに出してお祈りすることの大切さを思います。生まれて初めて讃美歌を作りました。「イエスの恵み」という題です。ある人に曲をつけていただきました。テープをお送りします。

 梅田さん、讃美歌「イエスの恵み」聞きました。良い曲、良いことばですね。感謝しました。あなたのあたたかい心が伝わります。ありがとうございました。
 
 今日の約束のことばです。マタイの福音書8章26節。 イエス・キリストのことばです。
 イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。

 イエス様と弟子たちは舟に乗り込まれました。すると湖に大暴風が起こって舟は大波をかぶりました。イエス様は舟の中で眠っておられました。弟子たちはイエス様の所に来て、イエスを起こして言いました。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」その時イエス様が言われました。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになったのです。人々は驚いてこう言いました。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」最もなことですね。ひとことばで海も波も静めて大なぎにするとは、そうですイエス・キリストは人となられた神でした。弟子たちにはそのことが良く分らなかったのでしょう。ですが彼らは言いました。「主よ。助けてください。」彼らはイエス・キリストがとんでもない大きな方・力強い方だと知っていて助けを求めたのですね。イエスは彼らの祈りに応えてくださいました。十字架に死んでよみがえられ、今も生きて天におられるイエス・キリストは私たちを救うお方です。

 聖書のことば。
キリストは、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。」新約聖書ヘブル人への手紙7章25節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2005.8.31放送でのお話しより )

*****

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。また、近くの教会も紹介してくれますので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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■目に見えないしるし

2005年08月30日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 聖書のことばにこんなことばがあります。第一コリントの1章の22節。「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。」どうでしょうねえ、日本人はやはりいろいろ目に見えるしるしを求めたがりますよね。例えば厄除けの御札をどこかに貼っておくだけで安心であったり、御守りを持っているだけで安心するという人はとても多いです。人は目に見える何かのしるしが無いと不安になるようなんですよ。そしてそのしるしがあればその人の生きざまはまあ大目に見てしまうということもあるようです。

 よくクリスチャンは先祖を大切にしないという批判を受けることがあります。なぜならクリスチャンは目に見える形であの仏壇のようなものを持ったり家の中で先祖を祀ったりするということをしないからです。でもよく考えてください。先祖たちはあなたの生活がいくら乱れていても宗教的な目に見えるお勤めを済ませば果たして満足すると思いますか? 私個人としては、死んだ後、何か立派な目に見えるものを作ってもらって毎日自分に向かって拝まれるよりも、私の孫やひ孫が人間として輝いて、神様に愛され人に愛される人生を送ってくれたほうがよっぽど親孝行だと思いますよね。

 最近何かと話題になっていますけれども、あの亡くなられたあの相撲取り・力士の子どもたちの争いが報道されていますね。誰が喪主になるのかとか、立派な墓石を建立したけど一人の名前しか書かれていなかったとか、遺産を放棄したとか。でも父親にしてみれば、どんな立派な葬儀をあげてもらうより、またどんな立派な墓を建立してもらうより、やはり兄弟が仲良くなってもらったほうがどんなに嬉しいか分らないですね。でもどこかで私たちの社会は目に見える形によって評価し評価され、判断し判断されてしまう。ですからそういうものを持っていないと不安になるんです。でも目に見えるものは一時的なものであるということを忘れてはなりません。

 パウロは、目に見えるしるしを求めることが大切なのではなく、愛によって働く信仰こそが大切なのだと聖書に記しました。第一コリント13章13節には、「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」こういうことばが出てきます。私たちが持たなければならない本当のしるしは、神様への信仰、そこから生まれる永遠の希望、そして私たちのためにいのちを捨ててくださるほどの無条件の愛に生かされ愛に生きる姿。これこそ私たちが求めていく人としてのしるしなのですね。

 ( PBA制作「世の光」2005.8.30放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■リフレッシュされて

2005年08月29日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。
 
 えー、8月もそろそろ終わり、宿題に追われているお子さんたちもいらっしゃるでしょうか。夏もまあ残暑はあるというものの、そろそろ終わり夏の疲れがでる頃かなあと、そんなような感じもしてですね、また新しい月に向けて気を取り直してリフレッシュされて臨みたい、そんな時だと思いますねえ。

 聖書の中にこういうことばがありまして、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」ってこれはキリスト・イエスが言われたことばで、よく教会の看板とかそういう所にはですね、このことばが書かれているのが多いほどこれは有名なことばですねえ。「疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」ってこの「休ませてあげます」っていうことばは、ただやれやれってこうどっかり腰を降ろしてゆっくりしてというようなことよりも、もっと積極的な意味がありましてですねえ、英語の聖書で見ますと、「私はあなたをリフレッシュしてあげよう」という意味のことばですね、リ・フレッシュ。で、「フレッシュ」は「新鮮な」「生き生きした」というふうな意味で、それを「リ」ということはねう一度そういうふうにしてあげましょうというような意味ですよね。私たちは毎日の生活の中で疲れ果てることがありますし、またこういうふうな夏の終わり、肉体的にも疲れを覚えるようなことがある訳ですけれども、そういう私たちをもう一度こうリフレッシュしてくださるというふうな神様の招き、呼び掛けというのはありがたいなあというふうに思いますねえ。

 あのー、私、これがリフレッシュだなあと思ったことがあるんですけれども、シクラメンの鉢を貰いましてねえ、そしてこういう暑い時でもありますからなんとなくダラーンとしてくる。その時にもちろん水をやるとまた元気になってくる訳ですけれども、なんかしばらく放っておくとまたダラーンとしてくるので、ある時にですねえ、水の中に鉢ごと入れちゃったんですね。そしてほんとに私はこう見てたんですけど、見てるまにこう生き返ってくるというか、葉っぱが持ち上がってくる、花がちゃんとこう新鮮になってくる。ああ、リフレッシュだー!って思ったんですけどもねえ。私たちがイエス・キリストってお方のもとに行って、このお方から愛の供給、恵みの供給、力の供給を頂いたらこのようにリフレッシュされるのかなあと思ったんですがいかがでしょうか。

 ( PBA制作「世の光」2005.8.29放送でのお話しより )

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##結婚戯画

2005年08月28日 | Weblog

1 彼らの結婚は体の結びつきで始まった
  しかしそれ以上になることはなかった
  そして今
   彼らはいわば合法的売春にふけっている

2 彼は困惑している
   彼女がすぐにきちんとは理解しないことに
  彼女は困惑している
   自分がその器でないことに

  二人の関心事は取り繕うこと
  一緒にいるように映ること
  何もかもうまくいっているという印象をかもし出すこと
  どちらも相手のことを思わず
   相手に関心を持たない

3 彼らが結婚した時には 愛はあった
  しかし すぐに彼らの愛すべき家族が
  〈結婚は家族と家族の結婚だと感じる双方の家族が〉
   その愛を窒息させてしまったのだ

  今や結婚した二人は
   自分のそれぞれの家族の延長線で自分を相手に伝える

4 彼らの結婚の焦点は 彼らの子どもたちであった
  二人の愛は子どもたちに向けられ そして止んだ
  〈いったいそれはどういう愛であったと言えるのだろう〉

  二人は結婚をやりとげたと思った
  そして互いの思いを通わせる必要はないと感じた
  しかしそれは二人の子どもたちが決断できるようになるまでのことだった
  子どもたちがある人のためには別の人の意に反してでも決断しようとするに至るまでのことだった

  そして二人の意志疎通は始まった
  しかし自分の所有物としようとする者との意志疎通にすぎなかった
  そして
  ついに子どもたちは
  引き裂かれた
  ずたずたに

5 公には
  彼らの結婚は
  二人のどちらも周りを楽しませる熟練者として
  悪口をぶつけ合っているのだということになっていた

  今や二人はそれを
  自分のこととしてやっている


 ウルリッヒ・シェーファー 『成長する愛』より

***

日曜日には、 ラジオ放送からではなく
こういうのを、英文から訳して掲載しています。
過去の分は カレンダーの日曜日をクリックしてみてください。
著作権を考慮して公開するのは原書の一部となるよう過去ニケ月分程度といたします。
  

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■私を強くしてくださる方によって

2005年08月27日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 さあ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。

 千葉県浦安市にお住まいの大野あさおさんからは新約聖書ピリピ人への手紙4章11節から13節までのことばをお寄せいただきました。お読みしましょう。
 「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

 社会経験も経済力もない私が1968年に23歳で結婚するその前の数年間、彼女と交わしてした交換日記の裏表紙に、義父になるその方が書いてくれた聖書のことばです。たまたま結婚記念日が4月11日だったこともあり、その日読み返したこの聖句が私の心に残る聖書のことばとなりました。妻も義父も既に天に召されましたが、クリスチャンホームで育った妻に導かれて
私は1984年、結婚して16年めに受洗を許されました。1994年の再婚を経て、今も恵まれた教会生活を送っています。

 わずか15行の中で、結婚、義父と妻との死、再婚して11年という生活を簡潔に語ってくださいました。クリスチャンであった義父が、結婚することになっていた大野さんに婚約者と交換してきた何年かの交換日記の裏表紙に書いてくださった聖書のことばが、それから後の毎日毎日を通しての導きのことばになったのですね。

 大野あさおさんの心に残る聖書のことば。
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」新約聖書ピリピ人への手紙4章13節のおことばでした。

 また聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2005.8.27放送でのお話しより )

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■「あえて信じます」と

2005年08月20日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の紹介です。

 神奈川県川崎市にお住まいのR・Tさんという男性の方は新約聖書ペテロの手紙第一5章7節のことばをお寄せくださいました。
 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

 日々いろいろな事に心配し、思い煩って落ち込んだりしている者です。そしてそんなふうに一切を神に委ねられたらどんなに良くなるか、いつも平安でいられるという確信みたいなものが湧いてきて少し安心し、祈り委ねようとするのですが、少したてばまた再び思い煩いの中に浸ってしまいます。25年前、よく分らないままに洗礼を受けて信仰生活に入ったのですが、始めた頃より自分が今は神様に近づいているような気がします。改めて求め、諦めずに求め続けていきたいと思うのです。

 R・Tさん、正直にお気持ちをお書きくださってありがとうございました。あなたばかりではありません。多くの人が二つの気持ちの間を行ったり来たりしているのでしょうね。

 私の体験を申し上げますと、そんな時に、「でも私、信じて飛び込みます。信じて委ねます。」と申し上げると、心の中から湧いてくるように安心や喜びがありました。イエス様は信じられないトマスに向かって言われました。「信じない者にならずに、信じる者となりなさい。」この毎日の積み上げの中から確信が与えられてきます。信じないという罪を正直に神様に申し上げると、「神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」聖書はこう言っているのです。R・Tさん、いろいろの場合、「あえて信じます。」と自分をさらけだす時に、赦してくださり、またきよめてくださるのです。

 R・Tさんの心に残る聖書のことば。
 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」新約聖書ペテロの手紙第一5章7節です。
 
 ではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2005.8.20放送でのお話しより )

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■たとえ孤独でも

2005年08月19日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみやすお)です。

 今日は、天涯孤独の中から宣教師となった一人の方についてお話しをします。

 ま、宣教師と言うと、どうしても欧米の人たちがアジア・アフリカに行くというイメージが今でもありますが、今、宣教師はアジア・アフリカからたくさん送られています。日本からも400人以上の人が世界中に行って奉仕をしています。私もかつてインドネシアで宣教師として奉仕をしました。 そんな中で私の親しい友人・熊井祐作宣教師は、もう海外で40年近くも奉仕してるんです。

 でもこの熊井さんは台湾で生まれ、両親が爆撃を受けて亡くなってしまったんです。小学生の時、日本に送り返され、鹿児島の孤児院に7年間おりました。一生懸命勉強して学校を出ても保証人がいないと就職できない、ってそんな時代でした。苦労する中で、(結局は世の中、万事は金だ。) ま、そんな思いを強く持つようになりました。そして英語を学んで米軍基地で働くことができるようになりました。

 ある時、一人のアメリカ人から、「これを読むと幸せになるよ。」って一冊の聖書を貰いました。その時思ったそうです。(本なんかで幸せになれるものか。)って。ところが、それを読んでキリストを知りました。そして何と不思議な出会いを通してアメリカに留学する道が開け、アメリカのシアトルで大学を卒業し、その後、聖書を専門的に勉強して宣教師になったんです。 すばらしい奥さんと恵まれ、また3人のお子さんも与えられ、そして今もお子さんたちや、このお孫さんたち(と)一緒に宣教師として働いておられるんですねえ。

 旧約聖書の箴言の20章24節という所に、こんなことばがあります。「人の一歩一歩を定めるのは主である。人は自らの道について何を理解しているか。」っていうんです。

 この熊井さんの事を思いますと、本当にそうだなと思います。そしてまた私たちの人生も今孤独であったり行き詰まったり、非常な不利な状況にあっても一歩一歩定めてくださるお方がおられる。私たちは理解できなくても、全知全能の神が私たちに目を留め、そしてきちんと最も良い歩みを一歩一歩定めてくださる。そんなことを知った時、新しい生きる意味が、意欲が出てくるのではないでしょうか。


(PBA制作「世の光」2005.8.19放送でのお話しより )

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■いつ、どこで、だれが、どうした

2005年08月18日 | Weblog

 お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。
 
 今日は読売新聞こどもの歌のコーナーにありました東京都港区南山小学校4年生の曽根じょしん君が『分らない』と題しての詩を紹介しましょう。

 いつどこで だれがだれと なにでどうした ときかれたら こうこたえた
 いつかどこかで だれかがだれかと なにかでこうした 
 まるでほんとに わからない

 この詩にですね、こんなコメントが寄せられていました。「答えのわからないなぞなぞこそ本当のなぞなぞ遊び」とありました。まあ、なぞなぞ遊びのことでしょうか、それとも曽根君はお友達に何かのできごとについて聞かれたのかもしれません。まさか、お家の人に尋問されたのではないでしょう。「いつ? どこで? 誰が? 誰と? 何で? どうした?」そうするとですね、「いつかどこかで だれかがだれかと なにかでこうした。 まるでほんとに わからない。」と答えたんでしょうか。

 曽根君の詩を読みながら、人生のさまざまな出来事についてとても考えさせられました。時にはなぜこんなことがあるのか。なぜ自分ばかりつらい目に遭わなければならないのか。何を悪いことをしたのか。あまりにも非情で不条理なことが自分に降り掛かってくることがあります。生きる意味さえ失ってしまうこともあります。事故、突然のアクシデント、病気、家族の問題、 リストラ、なぜ? どうして? あんまりにも多すぎます。聖書では、私たちの人生に神様がしっかりと介入していらっしゃるんだと言うんです。決して無意味ではないんだと言うんです。

 旧約聖書の伝道の書の3章という所にはこういうことばがあります。「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。」そしてこう書かれています。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。」神様は決して悪いようなことをなさらないのだ。神にお任せしていく時、神様のなさることはその時その時にかなって美しい、麗しい、素晴らしい、タイムリーだ、こう言うんですね。

 そういう神様を信じていく時に、明日何がありましても、 今「なぜ? どうして? なぜ?」っていうような事々の日々が、出来事が積み重なるようなことがあったとしても、そういうことにしっかりと神様は意味を持たせて、ああこういうことだったんだ、ああいうことだったんだ。大丈夫なんだ。そんな明日をあなたにきっと備えてくださるに違いないはずです。


(PBA制作「世の光」2005.8.18放送でのお話しより )

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■私たちのためにも祈って下さい

2005年08月17日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。茨城県真壁郡にお住まいの宮崎かつおさんからいただきました。

 これからも放送を続けられることをお祈りします。さて今日の羽鳥 明さんのメッセージ、「いつまでも主に信頼せよ。主はとこしえの岩だから。」いつまでも、どんなことがあっても信仰がゆるがないようにとしていきたいものです。

 宮崎さん、いつまでも、どんなことがあろうと神に信頼していく、これこそ私たちの願いでもありますねえ。お便りありがとうございます。またお祈りありがとうございます。さて、今日の約束のことば。新約聖書テサロニケ人への手紙第一 5章25節です。お読みします。「兄弟たち。私たちのためにも祈ってください。

 パウロは「私たちのためにも」と言っていますが、その中心は「私のために」祈ってくださいということですね。パウロは神様から御自分に預けられた人々のためにいつもその名前をあげて祈っていた人でした。その人の病いの癒しのために、難しい悩みごとのために勇気をくださるように、困難の時に上からの力を下さるようにと、一人一人のために一生懸命祈っていた人でした。私もパウロほどとは思いませんが、毎日何百人かの人のために、それぞれの必要のために、癒しのため、勇気と信仰のため、救いのため祈っています。しかし、祈りながら自分こそ誰よりも神様の力、神様の赦し、神様の癒し、神の力・神からのエネルギーを必要としている者だということを心底から感じています。パウロのような人でさえ、「兄弟たち。私のために祈ってください。」と頼んでいます。一人一人のために祈っていると不思議なことに、神様のお助けがある、祈りが聞かれていると感じるものです。不思議ですが、祈っていると私のその人のためにできる小さなこと、ほんとに小さなことも知らされるのです。私も皆さんから祈っていただいていることを切実に感じています。どうぞ私のためにも祈ってください。

 今日の約束のことば。「兄弟たち。私たちのためにも祈ってください。
新約聖書テサロニケ人への手紙第一 5章25節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2005.8.17放送でのお話しより )

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■あの喜びは今どこに

2005年08月17日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 私たちが生きていく上で大切なことの一つに、自分が自分をどう見ているのかということがあります。あなたはあなたそのものであって、あなた以上にもあなた以下にもなれませんよね。あなたはあなたという存在だからです。でも多くの人は自分の欠点を見ながら他人とくらべることが大好きです。自分を必要以上に低く見積もったり、逆に高く見積もったりして優越感と劣等感を行ったり来たりするなんてことがありますよね。

 聖書は、あなたは神様に愛されている存在でと教えています。でも神様があなたを愛しているなんて聞くと、ある人はこう考えませんか。そんなに俺たちを愛して下さる神様がいるなら、どうして問題が起こるの? どうして苦しみがあるんですか。割り切れないなあという訳です。

 ハーバード大学のオルフォードという博士が多くの人の信仰生活のスタイルを調べたそうです。すると二つに分けられたそうです。一つは、神様を信じるといいことがある。神様を信じると立派になれる。お金が儲かる。友達が増える。自分の世界が豊かになる。とにかく自分の安全や自分の地位。いつもそこには自分という姿が中心にあるという訳です。いつも自分に良い事をして下さる神様しか考えません。ですから突然の不幸や病気や苦しみが起こると、神様がいるのになんでこんなことをなさるの、神なんて信じられないって終わってしまうというんですね。こうした信仰のスタイルは、どうしても人生におこる悲しみや困難に立ち向かえないという欠点があると言います。

 もう一方はどういう形でしょう。それは先程のように、いつもいつも自分が自分がというその自分が中心にならないスタイルだと言うんです。詩篇23篇には「主は私の羊飼い。私は乏しい事はありません。」と書いてあります。また、詩篇46篇には、「神はわれらの避け所、また力、苦しむ時そこにある助け。」と記されているんです。どちらも主語は誰でしょう。そうですね、天と地を造られた神様。神様こそ私の羊飼いですと告白するその信仰スタイル。それが聖書の教える生き方なんだと教えるんです。私たちはいろんな出来事の中で心にある喜びが失われる事がたくさんあります。でもその姿を良く見ると、いつのまにか、自分が自分がというようなそんなような思いになってしまってるんではないでしょうか。そうした、自分が自分がの世界から、イエス様あなたのために人生を委ねて生きてまいりますと祈ってみてはいかがでしょう。イエス様はこうおっしゃっています。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしの所に来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
 
 ( PBA制作「世の光」2005.8.16放送でのお話しより )

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